ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

メメント・モリ

2020-11-25 | 哲学/思想/社会学

 このところのakiさんとのやり取りは誠に刺激的で面白いのだけれど、gooブログとしてはいささか重いかなとは思う。ではnoteのほうでやれば良いのかというと、コメント欄の字数制限のことを別にしても、それもまた違う気がする。されど、ぼくのほうとしては「話がややこしい所に来てしまった。」などと困惑しているなんてことはなく、とても本質的な話ができてすこぶる満足なのである。とはいえしかし、重いのはじっさい重いわけで、本質的な話ってのは大切なものではあるけれど、そればかりやっているのも不味いので、暮らしのことや、ブンガクのことや、アニメのことなんぞをあれこれ喋っているなかに、ふとしたはずみで紛れ込んでくるくらいがいいのではないか。そうも思ってるわけである。まあ、ぼくはこのブログで日々の暮らしについてほとんど述べないわけなのだが(食べるのも料理するのも好きなので、「今日の晩飯」なんてカテゴリを設けたら今よりぜったいアクセスが増えるに違いないんだけども)。


 さてさて。哲学の言説をわかりやすく「超訳」したりなんかすると、たいていは「名言辞典」の類にまとめて押し込められるような安っぽい警句になっちまう。それを承知で泣く泣く要約するならば、ハイデガーって人は「《自分の死》に真剣に向き合うことが哲学の始まりである。」と言ってると思う。ただこんな発想はもちろんデガさんの独創ってわけではなく、「限界状況」てなことをいったヤスパースもいるし、その前駆としてキェルケゴール(キルケゴール)もいる。もともとキリスト教神学と格闘しながらアイデンティティーを確立してきた西洋の近代哲学は、「死後」や「神」について語ることを頑として禁欲しつつも(「死後」や「神」について語れば「神学」と同じになってしまうから、これは当然の態度なのだが)、「死」には拘り続けたのである。これは東洋思想とりわけ儒教との対比において際立った特色をなすといってよい。そうはいってもキェルケゴール~ヤスパース~ハイデガー……往々にして、キルとヤスとのあいだにニーチェが入れられたりもするが……の流れは少々異色だぞってことも確かなのだが。


 で、「死」への拘りというならば、じつはこれもまたキリスト教が濫觴ってわけでもなくて、遡って古代ローマにはすでに「メメント・モリ memento mori」なる警句があった。「死を忘れるな。」である。この文句は有名で、サブカルでもよく援用されるけれど、ここではクリストファー・ノーランの映画のタイトル『メメント』を挙げておこうか。それくらい有名ってことですね。ウィキペディアによれば、古代ローマにおいてはこれは「どうせ明日は死ぬ(かもしれん)身なんだから、せいぜい今は楽しくやろうぜ。」などと、じつに享楽的かつ刹那的な意味で使われていたそうな。それがキリスト教の普及にともない、「この現世での快楽や財産や地位なんぞ、所詮は空虚でむなしいものなのじゃ。わしらの永遠の至福は来世にこそあるんじゃよ。」という含みになった……というのだが、どうも双方ともに極端で、あまり健全とは思えない。いずれにせよ、この「メメント・モリ」は絵画における「ヴァニタス vanitas」の寓意とも相まって、西洋文化の重要なテーマであり続けた。








 そして、この「メメント・モリ」や「ヴァニタス」と対をなすものとして、「カルペ・ディエム Carpe diem その日を摘(つ)め。」があり、ふたつ併せて「バロック精神の鍵となる言葉」とウィキペディアはいっている。バロック精神のキーワードとは、つまり西洋文化のキーコンセプトってことで、とうぜんその命脈は近代~現代にも受け継がれている。教科書的な括りでは「実存主義」などと一緒くたにされちゃう前述のキェルケゴールやヤスパース、さらには俗流に解釈されたばあいのニーチェおよびハイデガー、もひとつおまけにサルトルもまた、「メメント・モリ」と「カルペ・ディエム」との鬩ぎ合いの中にいる……といっていいだろう。「人生は空しい。だからこそ、今日という日を大切にしよう。」という含みである。刹那的な享楽主義にも、荒っぽい現世放棄にも与せぬ、中庸な考えだと思う。主体性をもち、自己の責任で今日という日を掴み取る。じつに現代的でもある。とはいえこれも、まかりまちがえば、「どうせ限りある命なんだから、すべてのものに感謝して、今日という日を力いっぱい、精いっぱい生きていきましょう!」なんて、いかにも昔の青春ドラマか自己啓発本並みの安っぽいノリになりかねぬから、安直に受け取るのは禁物なのだが。


 ともあれ、本当の意味で「死」を見つめる/観照する、なんてことは、本格的な修行を積んだ高僧にしかできぬほどのことで、そういえば、「太陽と死は直視できない。」というラ・ロシュフーコーの箴言もあったけれども、そういうことを業務として成し得るからこそ僧侶という階級は世俗を離れて高邁なる精神世界に居ますことを社会的にも経済的にも許されているわけで、ぼくみたいな凡俗は、どこまでも哲学、あるいはせいぜい文学を通じて「自分の死」をおそるおそる垣間見るしかないわけである。








 



愛想のよいを惚れられたと思い

2020-11-21 | 雑読日記(古典からSFまで)。

 2020年11月10日にテレビ放映された第三期『おそ松さん』のAパート「まあな」は、ドラッグストアの女性店員に親切にされた末っ子のトド松と次男のカラ松がすっかり勘違いして岡惚れしてしまい、ひとしきり煩悶のあげく2人同時に交際を申し込みにいってあえなく玉砕。というおマヌケかつ切ない話。Bパートの「帰り道」ともども、この週はギャグ控えめで真面目っぽい(シリアスというほどではない)回になっていた。
 「それにしても、若い女性に優しくされて、(あれっ、この子おれに気があるのでは?)と誤解するなんて、現実にもありがちな話だけど……待てよ、こういうシチュをずばっと言ってのけた江戸の川柳ってなかったか?」と思い、ちょっと調べて見つかったのが今回のサブタイトル。


「愛想のよいを惚れられたと思い」


 あいそ、では語呂が悪いから「あいそうの……」と読むんだろうが、これは上手いね。これでもう言い尽くしてるようなもんだけど、さらに駄目押しで、たとえば「馬鹿がにやけて一人やきもき」とでも下の句を付ければ、情けない絵面が浮かび上がって、若い男たちにとっては軽挙妄動の戒めとなるのではないか。いや、なにも若い男とは限らぬか。中年でも、はたまた老年であっても、誰にだって起こりうることだ。誰しもが生活のなかに多少の潤いを求めているし、かつはまた、些かなりとも自惚れ鏡を胸の内にもってるもんだから。
 そんな勘違いヤローを発生させたら面倒だってんで、近ごろの若い女性なんてぇものは、みんな怖い顔して街なかを歩いてますよね。むろん、ビジネスやなんかで利害関係のある相手ならともかく、袖がすりあうていどの輩にたいして愛想よくする謂われはまるでないんで、それはそれでいいんだけども。
 「男は度胸、女は愛嬌」なんてのは昔の諺で、これだけ社会進出を果たした以上、そこには女も男もない。オトコのほうだってべつに無関係な相手に愛想使ったりしないんだから、そこは同じことだよね。
 ま、社会全体のムードとして、ギスギスはしますがね。

 ぼくだって、もっと若くて様子のよかった時分は(笑)、歩いててちょっと肩が当たったりしたら「あ。すみません」と言って相手のほうを見て口角を少し上げたりしたもんだけど、最近の空気からすると、なめられる、あるいは、薄気味悪がられる、のではないかと思って「どうも」とか口の中でぼそっと言って足早に立ち去りますもんね。それくらいが今の時代の距離感でしょう。平成の30年を経て、ずいぶん空気が変わったね。こういうのは皮膚感覚なもんで、あまり言語化されないんだけど、一応は社会学の範疇じゃないかと思うんだけども。

 そんな話題はさておいて、川柳ってのはほんとに人情や世帯風俗の機微をみごとに突いてますよね。そっちの話をしたかったんだ。
 和歌ってものは貴族(公家)にとって「詩」すなわち「美の結晶」である以上に、「社交の具」であったわけでしょう。むしろ武器っていうべきかな。詩才を認められるってことは、たんに名誉だけじゃく、まさに死活問題でもあったわけですよ。定家だって、家柄は貧乏貴族なんだけれども、その創作と鑑賞(批評)の才によって栄達を遂げたわけでさ。
 時代が変わって武家の世になり、室町あたりで「連歌」ってのが盛んになってくる。これはもう宮廷なんかではなくて、町なかに下りてきてるわけだよね、詩が。いろいろな階層の人を交えた講(結社)の中で、遊びとしての詩がやり取りされる。
 川柳ってのはさらに下って、やはり「町人」のものだよね。いかにも江戸って感じがする。余裕もあるしさ。
 こっちのは、結社の中のものってんじゃなく、むしろもっと開かれてますよね。『誹風柳多留』なんてね、正確な出版部数は知らないけども、けっこうみんな読んでたんでしょ。「おっ、こいつァ上手ぇこと言やァがったな。」「わかるねェ。」てなもんでね。今でいう「あるあるネタ」の宝庫だったりもしたと思う。
 あとね、もっと口承文芸に近いところで、「端唄」ってのがあるでしょう。それと都都逸。このあたりに今すこし興味があるんですけどね。


「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」


 なんて、いいよね。これは五七五じゃなく、七五七五なんだけど、リズムに乗って心地よい。五七五とか七七に拘らずとも、定型にさえ収まってれば、どう切っても口調がいいんですよね。
 春、夏、秋、冬の四季折折で、ちょいと一句ずつ選(よ)ってみましょか? どうせならちょいと色っぽいのを……。




「浮気うぐいす梅をばじらし わざと隣の桃に鳴く」


「朝咲いてよつに萎れる朝顔さえも 露に一夜の宿を貸す」


「色は良けれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる」


「重くなるとも持つ手は二人 傘に降れ降れ夜の雪」




 よござんしょ? いや、芭蕉も蕪村もそりゃ凄いけど、ほとんどが「読み人知らず」の扱いになってるこの手の文芸作品に何故かしら興味がわいてる今日この頃でございます。











20.11.17  akiさんのコメントと、ぼくからのご返事「ハイデガーのほうへ。」

2020-11-17 | 哲学/思想/社会学


akiさんからのコメント
2020.11.17
「質問です。」




 こんばんは。いやそろそろおはようございますかw akiでございます。


 早速のご返事、ありがとうございます。何度か読み返させていただきましたが、eminusさんからのご質問もあったのですが、そのご質問の意味するところが分かりませんで・・・質問に対し質問で返す非礼をお許しください。




>人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣(つか)えない。
死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。




 このハイデガーの言葉を提示されて、「それでなにか足りないところはありますか?」とお尋ねなのですが、ハイデガーがナチスに加担したことで非難を浴び、それでもなお20世紀最大の哲学者と呼ばれていることは知っていますが、この言葉の意味はよく判りません。




>人は死から目を背けているうちは、


 この部分については理解できます。しかし次の、


>自己の存在に気を遣(つか)えない。


 とはどういうことでしょう? 「自己」とは普通に我々が自覚している「この自分」のことでいいのでしょうか? そして、「気を遣う」とは、どんな気を、どのように遣うということでしょうか?


>死というものを自覚できるかどうかが、


 この部分は「死を自覚することが」と言い換えても構いませんか?


>自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。


 ここで言う「可能性」とはどのような可能性のことでしょう? そして、「可能性を実現して」と言わずに「見つめて」と言ったことに、何か意味はあるのでしょうか?




 ・・・我ながらメチャメチャ煩雑な訊き方ですね。(爆) そんな細かく考えんと、もっとざくっとおおまかに捉えたらええんやで、ということでしたら、おおまかにお答えいただいても全然構いませんので、よろしくお願いします。




 それとこれは質問に対する質問というわけではありませんが、


>正直ここは何度か読み返しても意味がすっきり届いてきませんでした。


 ここで言われているのは、「何を言っているかは理解できたが、心には全く響かなかった」ということか、「言っていることそのものが理解できなかった」ということか、どちらでしょう? なんとなく前者の意味かな、と思ってますが、もし後者であれば新たな説明が必要になるでしょうし・・・その場合、具体的に「この部分の説明が理解できなかった」とのお答えを頂ければ、重ねて説明できるかもしれません。(まあ能力には限界があります。その時はすみません)




 てなわけで。お手数をお掛けしますが、お答えよろしくお願いします。






☆☆☆☆☆☆☆



ぼくからのご返事
2020.11.17
「ハイデガーのほうへ。」




 そっちを攻めてきましたか(笑)。いや、たしかに大事なとこですね。いえいえ、ぜんぜん煩雑とは思いませんよ。もしこの質問を煩雑だというなら、ぼくのこのブログは成立しないんじゃないでしょうか(笑)。


>人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣(つか)えない。
死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。


 この一節はハイデガーを「20世紀最大の哲学者」たらしめた主著『存在と時間』のキモにかかわるものですが、これがそのまま『存在と時間』のなかに記されているわけではないです。ハイデガーって人はこんな素直な言葉づかいをしない(笑)。どなたが編集されたのかは知りませんが、いかにも『名言辞典』みたいなものに収めやすいよう枝葉を刈り込んでありますね。でも本質を抑えてます。


 ここからハイデガーの話に入りますが、その前に、ひとつお含みおきください。哲学ってのは「死後」については語りませんし語れません。「死後」について語るのは宗教と、あとはまあ文学ですね。でも文学のほうは、どうせ絵空事っていうか、比喩みたいなもんだとみんな思って読むから、そんな切羽詰まった感じにはなりませんけども。
 哲学は、「死後」については語りませんし語れませんが、「死」について語ることはできます。とくに『存在と時間』という書物はそうで、ほぼ「死」という問題をめぐって繰り広げられるといっていいようなもんです。
 前回いただいたコメントのなかで、いま俎上にあげているくだりは、いわゆる宗教的な要素を捨象してしまえば、ほとんどハイデガーじゃないかとわたしには思えたですよ。
 akiさんがほんとにハイデガーを読んでらっしゃらないのなら、もともと哲学的な資質があるのか、親鸞さんと向き合うなかでそういう思考が育まれたのか、いやそもそもそういう資質をお持ちだから《信》の領域に惹きつけられたとも考えられるし、まあハイデガー本人を読んでおらずとも、その影響を受けた哲学書を読まれたのかもしれないし、そのへんはむろんわからないんですが、あのくだりを読んで「いやこれハイデガーじゃん」と思ったですね。そんな感じをあの時の気分で表現したら、あんな言い回しになってしまいました。少々ぞんざいでしたね。ここで補足いたしましょう。むちゃくちゃ長い補足になりそうですが。


 その前に書誌的な話をしておくと、『存在と時間』の邦訳は数種類出てます。中でも新しいのが光文社古典新訳文庫の中山元訳全8巻。これに次ぐのが岩波文庫の熊野純彦訳全4巻。あと、これらよりかなり古くなりますが、ちくま学芸文庫の細谷貞雄訳全2巻もスタンダードとして今も売れてます。でもぼくの手元にあるのはもっと古い中央公論社・世界の名著シリーズの原祐訳のみ。こういうのはたいてい新しいほうが読みやすくて面白いんですよね。しかしワタシも、そうあれもこれもと買い求めるわけにはいかぬので……。まあ原祐さんの訳だって、「中公クラシックス」版に姿を変えて今もなお流通してるから、ダメってわけではないんだけども、訳語や文体がいかにも哲学くさくて生硬です。むろんハイデガーのもともとの独逸語がそうだってことはあるにせよ。


 ぼくが「よく似てるなあ。」と思ったのは、たとえば以下のところです。ほんと哲学くさくて生硬なんだけど(原祐先生ごめんなさい)、そのまま書き写してみます。独特の用語が頻出するんで読みづらいとは思うけど、とりあえず雰囲気を味わってください。迫力は伝わると思います。中央公論社・世界の名著シリーズ版の410から411ページに掛けてですが……。




 死は、そのつど現存在自身が引き受けなければならない一つの存在可能性なのである。死とともに現存在自身は、おのれの最も固有な存在しうることにおいて、おのれに切迫している。この可能性において現存在には、世界内存在そのものへのとかかわりゆくことが問題なのである。現存在の死は、もはや現存在しえないという可能性なのである。現存在がおのれ自身の可能性としておのれに切迫しているときには、現存在は、おのれの最も固有な存在しうることへと完全に指示されている。このようにおのれに切迫しているときには、現存在においては他の現存在とのすべての交渉は絶たれている。この最も固有な没交渉的な可能性は同時に最も極端な可能性でもある。存在しうることとして現存在は、死の可能性を追い越すことはできない。死は、現存在であることの絶対的な不可能性という可能性なのである。このようにして死は、最も固有な、没交渉的な、追い越しえない可能性として露呈する。このようなものとして死は一つの際立った切迫なのである。こうした切迫が実存論的に可能である根拠は、現存在がおのれ自身に本質上開示されているということ、しかも、おのれに先んじてという在り方において開示されているということ、このことのうちにある。おのれに先んじてという気遣いのこの構造契機は、死へとかかわる存在のうちにその最も根源的な具体化をもっている。終りへとかかわる存在は、現存在の以上のように性格づけられた際立った可能性へとかかわる存在として、現象的にいっそう判然としたものになるのである。
 しかし、この最も固有な、没交渉的な、追い越しえない可能性を現存在は、あとから、またときおり、おのれの存在の遍歴のうちで取得するのではない。そうではなく、現存在が実存するときには、現存在はいちはやくこの可能性のうちへと被投されているのである。現存在はおのれの死に委ねられているのであり、だからこの死は世界内存在に属しているのだということ、このことについて現存在は、さしあたってたいていは、いかなる表立った知識をも、ましてや理論的な知識をももってはいない。死のうちへの被投性が現存在に、いっそう根源的に、またいっそう切実に露呈するのは、不安という情状性においてなのである。死に対する不安は、最も固有な、没交渉的な、追い越しえない存在しうることに「直面する」ときの不安にほかならない。こうして不安の対象は、世界内存在自身なのである。こうした不安の理由は、現存在の存在しうることそのものなのである。死に対する不安は、落命に対する恐怖と混同されてはならない。死に対する不安は、個々人にあらわれる気ままな偶然的な「弱々しい」気分ではなく、それは現存在の根本的情状性なのだから、現存在がおのれの終りへとかかわる被投的な存在であることが、判然となる。純然たる消滅に対して、さらにはたんなる終焉に対して、最後には落命の「体験」に対して、死がいっそう鋭く限界づけられたわけである。
 終りへとかかわる存在は、ときおり浮かびあがってくる気持によって、またそのような気持として、はじめて生ずるものではなく、現存在の被投性に本質上属しているのであって、この被投性が情状性(気分)のうちでこれこれしかじかに露呈するのである。終りへとかかわる最も固有な存在に関する現事実的な「知」もしくは「無知」は、そのつど現存在において支配しているのだが、そうした「知」もしくは「無知」は、この存在のうちでさまざまな在り方でおのれを保つことができるという実存的な可能性の表現にすぎない。現事実的には、多くの人々がさしあたってたいていは死に関して知らずにいるということは、死へとかかわる存在が「普遍的には」現存在に属していないということの証拠だと称されてはならないのであって、それはただ、現存在がさしあたってたいていは死へとかかわる最も固有な存在を、そうした存在に直面してそこから逃避しつつ、隠蔽しているということの証拠にすぎないのである。(後略…………)




 センテンスはまだ続くけど、ここらで止めておきましょう。なんか嫌がらせみたいになっちゃってますが、書き写してるこっちも疲れたというか、マジで気分わるくなってきました。原文と照らし合わせたわけではないから大きなことは言えないけど、いくらなんでも日本語としてももう少し整理できそうに思うんですがね……。言っちゃなんだけど、そりゃ新訳もいっぱい出てくるよなあという感じです。
 「現存在」「気遣い」「世界内存在」「被投(性)」などといった独自のキーワード(キーコンセプト)が駆使されます。これらは互いに絡み合ってるんで、ひとつひとつを説明すると堂々巡りになりそうです。一挙にわっとやっちゃいましょう。
 「現存在」とはほぼ「人間」のことです。この「現存在」は「世界」の内に「存在」しますが、それは石ころが箱の中にころんと置かれてるって仕方でそこに在るわけじゃなくて、「世界」に絶えず働きかけてるわけです。というか、「現存在」が働きかけることによって、はじめて「世界」が構成されると。そのような「世界」に「存在」するものであるから、たんに人間と呼ばずに、わざわざ「現存在」なんて呼び方をするわけです。このあたり、どうしても堂々巡りになります。この「現存在」は(石ころじゃないんで)「可能性」をもってます。それで、この「現存在」がじぶんの「可能性」に思いを致すことが「気遣い」です。
 ただ、人間ってものは熟慮の末にこの世に生まれてくるわけではなく、気が付いた時(俗にいう「ものごころ付いたとき」)にはもう存在しちゃってるわけですね。そのようなありかたが「被投性」です。「ぽんと投げ込まれちゃってる」みたいな感じですね。いっぽう、そのように被投された現存在が、世界を構築すべく働きかけるその働きが「企投」です。「企投」ってのは上で引用したくだりには出てなかったけど、ハイデガー哲学の重要なキーワードです。「世界―内―存在」というのは、その「被投性」と「企投」とが存在の根源のところで縺れ合ってる在り方をいいます。
 ただ、このような「現存在」は、ふだんは日常の中に安穏と埋没してて、切実に「世界」と向き合ってはいない。そのようなありようが「頽落」です。なんか悪口のようですが、ハイデガーは、「別に価値判断をするわけではなく、たんに、そういうものだというだけだ」みたいなことを言ってます。ただ、それが「現存在」にとって本質的かつ根源的な在り方でないのは確かです。そして、そのような「現存在」が全体性と本来性とを与えられるのは、自らの「死」との関わりの中においてである、というのが『存在と時間』のなかでハイデガーが述べていること(のひとつ)です。
 こうやってまとめてみても、やはり、こないだのコメントのなかでakiさんが書いてらしたことによく似ていると思いますね。それはつまり、「宗教」のことばに拠らずとも、akiさんのお考えはかなりなていど「哲学」の域内で語りうることではないかと私には思えたということですね。「ここまでは哲学の範疇で語れるけれど、これ以上はどうしても宗教のことばに拠らなければ無理」という区分けがもう少し厳密にできるのではないかと感じたということです。こんなところでご返事になっていますでしょうか。



この記事の続き。
20.12.21 akiさんのコメントと、ぼくからのご返事「知と信。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/a04012a57c7c78cc4ace1d62fa815925
















20.11.16 akiさんからのコメントと、ぼくからのご返事「司馬さんとミシマの威を借りて」

2020-11-16 | 哲学/思想/社会学


akiさんからのコメント
20.11.16
「仏教と死について」


 こんばんは。一週間お待たせしてしまいました。akiでございます。
 実は先月から、(ぽつぽつとではありますが)構想してました小説を書き始めてます。『三国志』に題材を採った歴史小説で、親鸞聖人とも仏教とも関係はないんですが、中国文化は一方の私のルーツでもありますので、生きているうちに形にしておきたいと思いまして。空いた時間はそちらの方を優先していました。(つっても相変わらずのまったり遅筆ですw)


 そんなわけで遅くなりすみません。お返事でございます。




>もし《信徒》と《それ以外の者たち》とのあいだに垣根を立てて、前者のほうにだけ語りかけるというのであれば、


 さて。このお言葉が何を想定されているのか分かりかねる部分もあるのですが、少なくとも親鸞聖人の教えにそういった垣根は存在しないと思います。ていうか、垣根が存在したら阿弥陀仏の本願にある「十方衆生」が嘘であることになってしまいます。
 ただし、親鸞聖人が「信」と「不信」を峻別されたことは確かです。「不信のままでいいんだよ」という教えではない。「地獄一定」の我が身が「信」を得ることが叶わなければ、そのまま救われないことになってしまいますから、「他力の信心を得よ」と口を酸っぱくして言われることは当然のことでしょう。


 これは親鸞聖人ではなく蓮如上人の言葉ですが、『御一代記聞書』の中に、こういう一節があります。


「陽気・陰気とてあり。されば陽気をうくる花は早く開くなり。陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かように宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。弥陀の光明に遇いて早く開くる人もあり。遅く開くる人もあり。兎に角に信・不信ともに、仏法を心に入れて聴聞すべきなりと云々」


 最後の一節が大切で、現在不信の者であっても、陽気を受ける場所、すなわち聞法の場に出て、「仏法を心に入れて聴聞」すれば、やがて信の花を咲かせることができるわけです。その意味で、親鸞聖人の教えは(すなわち仏法は、あるいは阿弥陀仏の本願は)全人類に向かって開かれています。




 もし、「不信のままでいいんだよ」という教えをお望みなのだとすれば、失礼ながらそれは宗教と呼ばれるものではなく、「自己啓発セミナー」等と呼ばれる類のものでしょう。上から目線ですみませんが、そんなものに全人類を救う力があるとは、私には到底思えません。




>「全人類にとって最終的な大問題」というものがもし在るとするならば、それは「死」ではなくて「生」ではないでしょうか。「いかに生きるか。」ということです。


 これは恐らく、「死によって今の「私」は分解して大きな縁起の流れの中に還っていく(意訳ですみません)」すなわち、「自分である自分は死によって終わる」と考えておられるeminusさんにとっては、そのように感じられるのだと思います。ただし、上のお言葉に共感する人はかなり多いでしょう。実際問題として、厳しく不安な生をいかに生きるか、という問題は、生きている人が日々直面する大問題です。
 ですが、この生は必ず終わる時が来ます。それももしかしたら今日のことなのかもしれない。突然の事故で、あるいは思いもよらぬ急病で、今この時、いきなり人生は終わりを迎えるかもしれない。そういう不安は、生きている限り拭うことはできません。
 仏教では「生死一如」とそれを言われますね。生と死は表裏一体のものであって切り離すことができない。また「出息入息不待命終(出る息は入る息を待たず命終わる)」とも言われ、我々は一息一息の中に死と隣り合わせに生きている、とも説かれます。にもかかわらず、我々はこの生と死を切り離して考えます。「死ぬのは避けられないことだし、死んだら死んだ時だ。今考えても仕方がない。それまでは、どう生きるかが先決だ」という感じで。
 ですがこれは、仏説に従えばまるで逆なのです。生が大切であるならば、なお一層死について問題になってくるはずなのです。ところがそうはならないのはなぜなのか。そう考えると、結局のところ、「我々は自分が死ぬとは考えていない」というところに行き着きます。
 「そんなばかな」と思われるでしょうが、そういう人も、「今すぐに自分が死ぬ」とは思っていないでしょう。eminusさん、「一分以内に自分が死ぬ」と思っておられますか? おそらくそんなことは全く感じていらっしゃらないはず。そして、「いや、そういう可能性があることは知ってるよ」と言っている人も、まさかそれが現実のものになるとは全く予想だにしていないでしょう。
 そして、その思いは、一分後にはまた「この一分のうちに自分が死ぬとは思わない」心になるのです。そうやって一分後、一分後、・・・と未来へとすすめていけば、それはすなわち「自分は永遠に死なない」と思っている心と等価なのです。
「いや、重病とか、戦争とか、死ぬような縁があれば『自分は死ぬ』といくら何でもわかるだろう」と、実際そういう縁に遭っていない間は思うでしょうが、人間は環境に必ず慣れます。たとえ死の病に冒されたとしても、もっと言えば今から自殺しようとする人でさえ、死の寸前まで、人は自分が死ぬとは思っていない。仏教で言われる「迷い」ですね。
 だからこそ、「死は大問題」と言われても、「まあ理屈ではそうかもしれんけど、とりあえず今の自分は関係ないわ」と思っておれるわけです。
 ですが、そういう思いがもし正しいのだとしたら、この世に死ぬ人は一人もいなくなります。もちろん現実は、死なない人は一人もいない。だからこそ「迷い」と言われるわけで、人はその迷いを抱えたまま、厳然とした現実の死を迎えます。そこに慈悲は存在しません。


 死を前にすれば、すべての理屈は吹っ飛びます。それはそうです。理屈も信念も、すべて今の私が様々な経験や学識や知恵で練り上げたものであり、それは死と共に必ず崩れ去るものだからです。そして死を前にすれば、当然ながら「いかに生きるか」は意味を為さなくなります。その時問題になるのは、「死んだらどうなるのか」の一点のみです。
 親鸞聖人の教えは、その「死んだらどうなるのか」の大問題に、明らかな解決をもたらすものだということです。




>一切皆空について


 順番が入れ替わりになりますが、上の話と関連があると思いますので、歎異抄第二章の前にこちらについて述べたいと思います。


>「原子」「素粒子」まで行っても結局実体はなく、すべて「概念」でしかない。それを仏教では「一切皆空」と教えるわけです。


 11月5日のコメントで私はこのように書いたわけですが、それに対し、eminusさんから


>ぼくの理解では、仏教でいう「一切皆空」とは、「すべてが概念だ。」といってるんじゃなく、「すべては縁起だ。」って意味です。「概念」と「縁起」とはぜんぜん違う。


 とご指摘を頂きました。これに関しては、私の書き方がまずかっただろうと思います。
 冗長になってしまうのでここに長々と引用することは控えますが、11月5日のコメントの要点は「我々は概念で物を見るが、その概念とは森羅万象の真の姿を映したものではない」ということで、「一切皆空」は「物の真の姿」を映した仏語ですね。従って、上のコメントで「それを仏教では『一切皆空』と教えるわけです」と述べた「それ」とは「結局実体はなく」の部分のみを指して言ったつもりだったのです。仏語を使えば、「概念」は「迷い」と言うべきでしょう。


 仏教に従えば、「森羅万象、一切のものには実体はなく、成住壊空を繰り返す」ということになりますが、eminusさんが言われた「すべては縁起だ」というのは、この「成住壊空を繰り返す」の部分をそのように表現されたのだと拝察します。その意味では、eminusさんのご説明におかしな点は感じませんでした。ただ、私の「空」についての理解をもう少し詳しく述べてみると、「実体はなくとらえられないが、無ではなく確かに存在しているもの」を「空」と説かれたのだと理解しています。「『ある』と言った瞬間、人は概念(=迷い)でそれを捉えてしまうので、『ある』とは言えないが、『ない』とも言えない、万物の真の在り方」を指す仏語だと思います。・・・まあこの辺が私の限界ですがw




 ところで、eminusさんが感じておられる「齟齬」とは結局のところ、「私は死後どうなるのか」という問題に行き着くと思うのですが、eminusさんは「仏説では、死ねば私たちの意識(これは阿頼耶識、と言うべきですね)は霧散して自我が保てなくなる、と教えている」とお考えですか? それとも、「仏教では死後も自分が残ると教えているが、自分はそう思っていない」ということでしょうか?


 とりあえず仏教では、明確に「死後、自分は残る」と教えていますね。そうでなければ、六道輪廻も往生浄土も地獄化生もすべて比喩ということになって意味を為さなくなります。
 親鸞聖人の『正信偈』に、インドの龍樹菩薩(ナーガルジュナ)について述べられた部分があって、そこでは


「悉能摧破有無見(ことごとくよく有無の見を摧破し・・・有の見、無の見をすべて打ち破られた)」


と説かれています。
 ここでいう「有の見」「無の見」とは、「常見外道」「断見外道」ともいい、「死後がある」「死後がない」どちらも外道の教えだということで龍樹菩薩はことごとく打ち破られたということです。どっちやねん、て感じですが、これに関しては、阿含経に、極めて簡潔に答えられた仏語があります。


「因果応報なるがゆえに来世なきに非ず、無我なるがゆえに常有に非ず」


 一切衆生は因果の道理に従って善果悪果を受け続けるものだから、死ねばなくなるわけではない。ただし諸法無我が真理であるから、今の自分が続くわけでもない、すなわち「今の自分はこの世だけの仮の姿であるが、善果悪果(すなわち幸不幸)を受ける自分は死後も残り続ける」と教えるのが仏教である、ということです。
 ここの部分は全ての仏教に通ずる教えですので、ご存知かもしれません。ただ解釈が違うのでしょうか?




>ぼくなんかとも話を続けてくださってるんだと思います。それはたいへんありがたいことです。


 もっと長く引用すべきですが、冗長にならないように失礼ながら省略。
 ご温言痛み入ります。ただまあこれは、本当にお恥ずかしい限りなんですが、おっしゃる通りそのおかげでeminusさんともお話しできたわけで、悪いことばかりでもないのかな、と自分でも思います。
 まったり進行だとは思いますが、これからもよろしくお願いします。<(_ _)>






☆☆☆☆☆☆☆




ぼくからのご返事
20.11.16
「司馬さんとミシマの威を借りて」






 その小説ってのは例えばnoteなんかに発表されるおつもりでしょうか。だったらぜひ読みたいですね。
 しかし小説を書くなんてのはそれこそ煩悩の為せる業だと思うし、たしか寂聴尼もそんな意味のことを仰ってたはずですが、されど日本文学には今も昔も「僧侶にして作家を兼ねる」という方々が少なからずいらっしゃるわけで、たぶん執筆の動機はそれぞれに異なるだろうから一概には言えないでしょうけど、キリスト教圏における「信仰と文学とのかかわり」という巨大なテーマ(西洋の作家はほぼ全員が大なり小なりこのテーマを抱えて小説を書いているといってよい)と考え合わせても、興味ぶかい問題であります。


 わたくしは《非―信》のサイドにポジショニングをしているので、親鸞という方を絶対視せず、たとえば「日本思想史」といった広いフィールドのなかで語らせていただきます。まずはそのことをご了承ください。
 とりあえず一般論として、「不信のままでいいんだよ。」と言ってのける宗教者ってものはそりゃいないでしょうね。akiさんの言われるとおり、それは宗教ではない別の何かでしょう。ところで司馬遼太郎さんは、新潮文庫の『司馬遼太郎が考えたこと 6』所収のエッセイでこう書いてます。


 本願寺は周知のとおり親鸞のひらいた浄土真宗を法義としている。日本の宗教者のなかで親鸞ほど自分の思想に厳格さをもった人間はまれで、かろうじて道元くらいなものだったかもしれない。親鸞は念仏往生を説きながら、念仏すれば浄土に往けるとは断定しなかった。親鸞自身死んでそれを試したわけではなかったからである。「往けるかもしれない」といった。さらにかれの厳格さは念仏のほかの自力雑行をいっさい捨てたことで、神頼みも呪(まじな)いも坐禅も祈祷もいっさいいけないという立場をとり、ひたすらに念仏をとなえ、その唱える念仏すら浄土へ往けるための呪文ではないとした。
 このため親鸞一代は教団というほどの勢力をなさず、裏店の説教所程度のものだった。その子孫は代々貧窮した。本願寺がにわかに日本最大の宗旨になったのは第八代蓮如からであり、蓮如は戦国乱世のあらゆる時代的要素を利用して津々浦々の農村に講をつくり、講の組織者として僧を送り、講を武力から防衛するために一見砦のような真宗式の寺をつくり、その寺々のうえには大寺をつくって分国ごとの管理をさせた。
 蓮如は宗教者というよりも、その時代のたれよりも政治家だったし、アジテーターでもあった。かれは大膨張のために多少とも親鸞の教義を曲げざるをえなかった。しかしそれでも呪(まじな)いをすすめるということはなく、むしろ俗信や呪術に対し一向念仏の一向をたかくかかげて積極的にたたかった(後略……)。


 引用ここまで。




 司馬さんらしい省略や誇張もあるので色々とツッコミたいかもしれませんが、本筋において正当な要約であると思います(この記事を読むほかの方々のために補足しておくと、親鸞と蓮如とのあいだにはほぼ250年のひらきがあります)。
 ぼく自身はまだ「13世紀の民衆社会における鎌倉仏教のありかた。およびその中で親鸞の果たした役割」といった主題についてさほど明瞭な像が描けてはいないので、ふにゃふにゃした言い回しになってしまいますけども、親鸞ってひとは救いを求めてやってくる人たちには全霊を尽くして平安を与えるべく努めたけれども、自分から一大勢力を成そうと獅子奮迅されたタイプとは思えないですね。
 前回ぼくの述べたことは、とりあえずそういった意味に取っていただければと思います。
 ただそれでも、「救いを求めて彼のもとにやってくる人たち」は少なからぬ数に上ったであろうとは思っています。それは、当時の民衆にとって「死」というものが今日のわれわれからは想像もできないくらい切実なものだったから。飢饉もあれば戦乱もあれば悪疫もある。暴力や抑圧やら理不尽やらも、日常として在ったでしょう。「死」が身近なればこそ、「宗教」ってものが身近になる。というか、みんなそれを「宗教」とすら感じてなかったでしょうねたぶん。
 やっぱりぼくは、「現代人(21世紀人)」と「中世人(13世紀人)」とを「同じ人間じゃないか!」みたいなノリで一緒くたに論じることに抵抗をおぼえるんですね。それなりに安定した社会で安定した生活をおくる今日のぼくたちと、「末法」とすら呼ばれた世の中で救いを求めて親鸞のもとに集まった信徒(なかにはファンっていうか、信徒未満のひともけっこういたと思いますが)の皆さんとはやはり全然別物だろうと思います。そこは分けとくべきではないか。
 そんなふうに思ってるせいか、このたび頂戴したコメントのなかで、ぼくの

>「全人類にとって最終的な大問題」というものがもし在るとするならば、それは「死」ではなくて「生」ではないでしょうか。「いかに生きるか。」ということです。

 というフレーズに答えて下さったくだりは、全文のなかでもっとも長いパラグラフなんですけども、正直ここは何度か読み返しても意味がすっきり届いてきませんでした。akiさんからのコメントでこれまでそんなことはなかったので、それはそれで逆に興味ぶかかったんですけども。
 このパラグラフで述べられていることは、前のご返事でぼくがハイデガー(1889 明治22~ 1976 昭和51。ナチスに加担したとして戦後ドイツでは一時忌避されたが、それでもおそらく20世紀最大の哲学者で、今もなお世界の哲学者たちに影響を与え続けている)のことばとして引用した、




人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣(つか)えない。
死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。




 っていう簡潔な一節に収斂できると思うんですが、それでなにか足りないところはありますか? ちなみにぼくは、「死」というものを「安寧」「静寂」「慰安」といったイメージで捉えているので、前にも書いたと思いますが、恐れや不安はほんとにないんですよねえ……。ただ、ハイデガーさんの提言にならって、「自分の可能性を見つめ」るために、ふだんから「自身の死」については自分なりに考えてるつもりですけどね。「そんなんじゃだめだ。生温い。」と言われるのなら、それはそうかもしれないけれど、とりあえず不都合は感じていないので、当面は、現状のまま行くしかありません。


 それで、「一切皆空」および「仏教における死の観念」についてなんですが、このたびのコメントに書かれていることを踏まえたうえで、またしても文豪の威を借りるわけですけども(笑)、大好きな三島由紀夫の『豊饒の海 第三部 暁の寺』より、新潮文庫版29頁から30頁にいたる文章を引用いたします。




 (……前略)
 学者の説くところによれば、印度の宗教哲学は、次のような六期に分(わか)たれる。
 第一期は梨倶吠陀(リグヴェーダ)の時代である。
 第二期は祭壇哲学の時代である。
 第三期はウパニシャッド(奥義書哲学)の時代で、西暦紀元前八世紀から五世紀に及び、梵と我(アートマン)の一体を理想とする自我哲学の時代であるが、輪廻(サムサーラ)の思想はこの時期にはじめて明瞭にあらわれ、これが業(カルマ)の思想と結びついて因果律を与えられ、我(アートマン)の思想と結びついて体系化されたのである。
 第四期は諸学派分立時代である。
 第五期は、紀元前三世紀から紀元一世紀にいたる小乗仏教完成時代である。
 第六期はその後五百年に亘る大乗仏教興隆時代である。
 問題はその第五期であって、本多(eminus注・この小説の主人公。もと判事で今は弁護士)がむかし親しんで、輪廻転生を法の条文にまでとり入れていることにおどろいたマヌの法典は、正にこの時期に集大成されたのであるが、同じ業思想でも、仏教以後の業思想は、ウパニシャッドのそれとは劃然(かくぜん)とちがっている。どこがちがっているかというと、我(アートマン)が否定されたのである。仏教の本質は正にここにあると謂ってよい。
 仏教を異教と分つ三特色の一つに、諸法無我印というのがある。仏教は無我を称えて、生命の中心主体と考えられた我(アートマン)を否定し、否定の赴くところ、我(アートマン)の来世への存続であるところの「霊魂」をも否定した。仏教は霊魂というものを認めない。生命に霊魂という中心の実体がなければ、無生物にもそれがない。いや、万有のどこにも固有の実体がないことは、あたかも骨のない水母(くらげ)のようである。
 しかし、ここに困ったことが起るのは、死んで一切が無に帰するとすれば、悪業によって悪趣に落ち、善業によって善趣に昇るのは、一体何者なのであるか? 我がないとすれば、輪廻転生の主体はそもそも何なのであろうか?
 仏教が否定した我の思想と、仏教が継受した業の思想との、こういう矛盾撞着に苦しんで、各派に分れて論争しながら、結局整然とした論理的帰結を得なかったのが、小乗仏教の三百年間だと考えられるのである。
 この問題がみごとな哲学的成果を結ぶには、大乗の唯識を待たねばならないのであるが、小乗の経量部にいたって、あたかも香水の香りが衣服に薫じつくように、善悪業の余習が意志に残って意志を性格づけ、その性格づけられた力が引果(eminus注・「因果」ではなく、三島はこう書いてます)の原因になるという、「種子薫習(しゅうじくんじゅう)」の概念が定立せられて、これがのちの唯識への先蹤をなすのだった。
(後略……)




 引用ここまで。




 さすがに東大の法学部を首席で出た大秀才だけあって、的確な要約ですね。『豊饒の海』4部作は輪廻転生(というか生まれ変わり)をモチーフにしていて、ミシマってひとは神にも仏にもまったく救いを求めるタイプじゃないんだけれど、そのためにだけ仏教思想を猛勉強したわけですね。文壇の先輩であり盟友でもあった武田泰淳……この方も滅法アタマのいい人で、浄土宗の僧侶でもあり、中国文学者でもありましたが……から話を聞いたり、参考文献を教えて貰ったりと、いろいろ教示を受けたと聞いていますが。
 『豊饒の海』の第三部である「暁の寺」は1968年から1970年にかけて雑誌「新潮」に掲載されたので、この文章も50年ほど前のものってことになるわけですが、今でも十分通用するでしょう。仏教思想にかんするぼくの認識もおおむねこんなところです。
 そこでakiさんからの


>(前略……)eminusさんは「仏説では、死ねば私たちの意識(これは阿頼耶識、と言うべきですね)は霧散して自我が保てなくなる、と教えている」とお考えですか? それとも、「仏教では死後も自分が残ると教えているが、自分はそう思っていない」ということでしょうか?


 というご質問にお答えさせていただくならば、この二択でいえば後者ですね。仏教ではこのように教えていますが、これについてはまったく納得できないです。「なぜ納得できないか。」については、長くなりすぎるので別の機会に譲りたいと思いますが……。
 そうは言いつつ、①思想のありかたとして興味はあるし、②《信》とか「超越」とか「聖なるもの」の放つ眩い光彩のようなものにはずっと心を惹かれ続けているので、《非―信》のサイドに留まりながらも、仏教にもキリスト教にもイスラームにも、またそのほかの宗教についても、ひきつづき関心をもって勉強をしていきたいと思っています。まったり、ゆっくり進行でぜんぜん構いませんので、よろしくお願いいたします。


この記事の続き。
20.11.17  akiさんのコメントと、ぼくからのご返事「ハイデガーのほうへ。」




期間限定記事・『若草物語 ナンとジョー先生』

2020-11-15 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽


dig  ……フカボリスト。口がわるい。

e-minor ……当ブログ管理人eminusの別人格。



☆☆☆☆☆☆☆










 よお。digだぜ。


 どうもe-minorです。


 なんか久しぶりに呼ばれたけども。


 GYAOがサービスでやってる期間限定の無料アニメを紹介するんで、ちょいと付き合ってもらおうと思ってね。


 『昭和元禄落語心中』『坂道のアポロン』『ばらかもん』につづいて4作目か。今回は何だよ。


 『若草物語 ナンとジョー先生』。日本アニメーション制作。全40話。放映は1993年、フジテレビ系列にて。前に紹介した「世界名作劇場(ハウス世界名作劇場)」の19作目だよ。


 そうきたか。これまでの3作に比べると古いし、対象年齢も下がるようだが、しかしリアリズムを基調としてるって点は共通してるな。まあ、お前さんは世界名作劇場が大好きだもんな。


 「ハイジ」や『赤毛のアン』よりは知名度が落ちるんだろうけど、「世界名作劇場」シリーズの中でも人気があって、ファンの方による専門のサイトもある。主人公のナンのキャラクターデザインが、『魔女の宅急便』のキキを手がけた佐藤好春さんなんで、可愛いんだよね。


 『魔女の宅急便』は89年だろ。93年といえば、スタジオジブリの劇場映画は『紅の豚』とか「ぽんぽこ」の頃だわな。もう押しも押されもせぬ制作会社になってた。


 作り手の側も消費者の側も、アニメを支える層がずいぶんと厚みを増してきた時期といっていいだろうね。そのような厚みはこの作品にも反映されてるね。そりゃ毎週ぜんぶのシーンが同等の作画クオリティーとはいかないけど、「あのジブリアニメが週イチでテレビで観られるのか。」という感慨はあったよ。放映当時は。


 これ原作は『若草物語』の後日談なのか。


 うん。ルイーザ・メイ・オルコットさん(Louisa May Alcott 1832 天保3~1888 明治21)の『若草物語』は有名だけど、じつは4部作になってて、4姉妹のその後がずっと描かれるんだよね。4作とも角川文庫で手に入るけど、これはその3作めを原作にしている(角川文庫版のタイトルは『第三 若草物語』)。おてんば娘のナン(アニー・ハーディング)を主人公に格上げし、彼女を中心にエピソードを紡いでいくといった脚色が施されてて、ほかにもかなり手が加えられてはいるけどね。


 ふうん。マーチ家の次女ジョー(ジョセフィン)が成長して結婚し、その夫と営んでいる「プラムフィールド」という寮制の学園が舞台なんだな。寮っていうか、「自然に囲まれた共同生活の場」って感じだけども。まあ少数限定の寄宿学校ってとこか。でも、ジョーって作者自身がモデルなんだろ。だから作家になったと思ってたんだが。


 この学園の経営が一段落した後に、文筆に打ち込んで成功したって設定だね。


 なるほど。しかしおてんばといえば、ジョーも子供の頃はすごいおてんばで、「マーチ家の次男」なんて自称してたほどだから、このナンって子の心情がよくわかるんだろうな。


 それもあってナンを主人公に置いたんだろうね。ナンは腹を立てたら男の子たちにも突っかかっていくほど気が強いし、がさつだったり、わがままに見えるところもあるにせよ、根は純粋で素直な子だ。だからプラムフィールドに着いた時には大立ち回りを繰り広げたけど、ジョー先生の真心あふれる薫育もあってすぐにみんなに溶け込んだ。いっぽう原作での主人公は、繊細で芸術家肌の少年ナット(5話から登場)と、彼が放浪を余儀なくされていた頃に出会った不良少年のダン(11話から登場)だからね。


 この2人はナンほど簡単にはいかないんだよな。なぜなら苦労人だから。弱年にして社会を背負わされちゃってるから。


 そう。ナットは大人しくて勤勉な、とても良い子なんだけど、生い立ちのせいもあってか、気の弱すぎるところがある。ダンときた日にゃあきらかに問題児だからね。この2人を巻頭から主人公として描いていたら、90年代のテレビアニメとしては重くなりすぎる。それで、ナンを中心に「理想的な共同体」「情操豊かな教育環境」としてのプラムフィールドをひととおり描きこんだ上で、あらためてナットとダンを作品世界に呼び込むわけだよ。そういう工夫がされている。


 もちろんまあ、全体としては綺麗事というか、美化された世界ではあるけども、この2人、とりわけダンがいることで、作品全体が地に足の着いたものとなってるな。なにしろ時代背景は日本でいえば明治の初頭くらいだもの。そんな甘いわきゃないのよ。インフラだって整ってないし、人権意識も希薄だし、貧しいとこは悲惨なまでに貧しかったわけでさ。


 そういうこと。それにしてもジブリを思わせる自然描写の美しさはいま見てもまるで色あせないね。手描きアニメのあたたかさを感じるな。


 いうまでもないが、ナンをはじめ、子どもたちの動きも素晴らしい。思ったんだけど、寄宿舎とか寮とか、幼児期から思春期、さらに青年期までをこういう環境で送る習慣って日本にはあまりないよな。海外の児童文学にはそういう風俗にふれる楽しみもあるな。


 それで、そのことで少し思ったんだけど、『約束のネバーランド』ってあるよね。


 あるな。


 あれはノーベル賞作家カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)の世界像を現代サブカル特有の「サバイバルホラー」の文脈に落とし込んだものなんだけど、まあ、ぼくはこのブログではそんなに誰かの作品を貶したりはしないんだけども、ああいうのはやっぱり貧しいね、作品として。このたび『ナンとジョー先生』を見返してみて、改めてそう感じたな。


 まあ言いたいことはわかるがね。「物語」が「リアリズムの豊饒さ」を押し殺しちゃってるってことだろ。


 そう。「生活」ってものは周りの人たちや自然とのかかわりを大切にすることから成り立っていて、そこに色々な感情が流れて、こころがゆたかに育っていく。そういう日々をていねいに観察して描いていけば自ずから「作品」ってものができあがるわけで、つまりはそれがリアリズムだよね。ありふれた日常のなかの歓びをえがく。そういったことを疎かにして、いきなり設定ありきで話をつくると、なんていうかその、ぜんぶが潰されちゃうわけさ。あたかもブルドーザーで草花を踏みつぶしてくみたいにね。「物語」ってのはたしかに滅法面白いんだけど、いっぽうではそんな怖さもあるわけでね。そこはぼくも、2014年にこのブログを始めた頃の初心に戻ってもういちど強調しとかなきゃいかんと思ったね。


 むろん、どぎついのもあっていいんでね。いろんなものがあっていい。そこは大前提なんだけど、今はなんだか、子ども向けのも含めてそればっかりになっちゃってるんで、ちょっとどうなんですかってことだわな。


 うん。ぼくたち大人はさ、そりゃいろいろなものを相対的に見比べられるんだからいいんだけども、子供たちにはああいうものに触れるまえに、『若草物語 ナンとジョー先生』みたいな作品に親しんで貰いたいと切に願う次第だよ。


 大人が見ても、教育の大切さとか、若い人に対する責任ってものを再考するきっかけになるな。このころの作り手はそういうことをちゃんと考えてたんだろうな。たしかに子どもたちに見てもらいたいけど、ただ地味な料理の旨さがしみじみわかるのは大人になってからなんで、そこはちょっとした逆説だわなあ。


追記 gyaoでの無料配信は2020年12月30日で終了しました。


さらに追記 それどころか、gyaoというサービス自体が終了してしまいました。


定家と親鸞

2020-11-12 | 歴史・文化






 akiさんから返事がこないので、宗教とはまた別の見地から、親鸞という人について書きたい。前々から気になっていたことでもある。それにしても宗教の話は難しくて、本来なら私信でやり取りすべき内容をブログでやっちゃってるのかなあ……という懸念もじつはあるのだ。ぼくからの前回の返事は、おそらく期待に沿うものではなかったであろう。このまま打ち切りとなってもそれはそれで仕方がないのかもしれない。もちろん続けば続いたで有り難いことで、この先のことは風まかせとでもいうよりない。


 親鸞さんは藤原定家とほぼ同時代人になる。定家といえば、一般には百人一首の編纂で知られるが、精緻華麗な作風を誇る天才歌人である。かの塚本邦雄は、「人麿、家持、貫之、定家、芭蕉、蕪村の六人を究明すればこの国の伝統詩歌のおおよそは語りうるというのも逆の証明となるだろう。他の諸家は極論するなら彼らの描いた円周の中に、多種多様な軌跡を残しつつ、結果的には吸収包含されるとみてもよかろう。」とまで言っている(原文は旧かな・旧漢字。以下も同様)。


 さらに塚本さんは、「さらにこの六人の中でも定家の独自である点は、彼が時代の異端児でありながら、ついに正統としてまかり通り、一時期の、単なるアンチ・テーゼとはなり終らなかったことであろう。」と続ける。ここでいう「異端」とはただ「規矩(きく)から外れていた。」という意味ではない。外れていたのは確かだが、巧すぎて突出していたゆえに外れてたのである。しかも、それでいて正統でもあった。なにしろ「家元」になってしまったわけだから。


 定家には、のちの用語でいえばほとんど「シュール」というべき歌もある。「狂言綺語」などとも評されたらしいが、言の葉をぎりぎりまで酷使して、虚構のなかでしかありえない幻の世界を綾なす歌だ。その真価はほかの歌人たちの作品と見比べると明瞭に浮かび上がってくるのだが、ぼくたちがあまり古文に親しんでいないため、どれもみなほぼ一様に「古めかしくてようわからん。」といった具合に見えてしまい、定家ひとりの凄味ってものが容易には視えづらいのはいかにも惜しいことである。


 シュールであり、前衛でありながら正統にもなりえた定家のありようは、当時の時代状況を離れては感得できない。それはまた親鸞も同じことである。定家は1162(応保2)年に生まれて1241(仁治2)年に没した。親鸞は1173(承安3)年に生まれて1263(弘長2)年に没している。お二方とも当時としてはかなり長命であったはずだがほぼ10歳年下の親鸞のほうがさらに長生きであった。前に当ブログで中世について話をやりかけたことがあったが(例によって中途でアイマイになっちまってるが)、イイクニつくろう鎌倉幕府。が「中世」の始まりって認識は今や古くて、さいきんの史学では中世の濫觴はそうとう早くに想定されている。


 ただ、定家が生き親鸞の生きたこの時代が「公家社会の終わり=武家社会のはじまり」たる激動期だったのは間違いないことで、それは社会の上層部のみならず下層の民衆たちにも(いやむしろ「民衆たちにこそ」というべきか)ただならぬ余波を及ぼした。シュールであり前衛でありながら正統でもあった定家の作風も、宗教者としての親鸞の教えも、そのような背景と切っても切り離せないのは言うまでもない。もとより下層の民衆たちに近かったのは圧倒的に親鸞さんのほうなのだけれども。


 このあたりの機微についてはいずれまた機会があればやりたいと思うが(たぶんやらないのだろうが)、ひとまず私の当面の疑問として、ほぼ同時期に京都で活躍をしたこの二大巨人に接点はあったのか否か、ということがあったわけである。むろん直に顔を合わせるとは(大河ドラマの強引な演出ででもなければ)まず考えられないから、どちらかがどちらかを噂にでも聞いたことがあるか、という話になるが、これもまた、親鸞のほうが宮廷のなかの定家を知る由はないので、結局は「定家が親鸞の、というか師の法然をふくめた浄土宗の集団の活動を知っていたかどうか。」という疑問に収斂する。


 こういう件は資料がなければほぼお手上げに近いのだが、歴史家や文学研究者にとっては幸いなことに、定家は大歌人であると同時に几帳面な記録者でもあったのだった。18の齢から晩年まで、およそ56年にわたって日記をつけ続け、その記述が「癇性」といっていいくらいに綿密なのだ。この貴重な記録は『明月記』といい、定家ファンでもある堀田善衞さんの手によって、『定家明月記私抄』『定家明月記私抄 続篇』として、二冊のアンソロジーが、ちくま学芸文庫から刊行され、長らく版を重ねている。一般読者でも手に取りやすくなっているわけだ。


 ちくま学芸文庫版『定家明月記私抄』『定家明月記私抄 続篇』の二冊は家のどこかにあるはずなのだが、埋もれていてすぐには見つかりそうにない。Googleにて「定家 親鸞」と検索をかけてトップにきた真宗大谷派・東本願寺のホームページから、「師教の恩厚を仰ぐ」という文章の一節を引用させていただきます。
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/kyoken/syu1311.html







 『小倉百人一首』の撰者として名高い藤原定家は、宗祖(引用者注・親鸞聖人のこと)と十一歳上の同時代人である。彼は一一八〇年(十八歳)から五十六年間にわたり、ほぼ毎日日記を綴った。その全文が、のちに『明月記』と題して世に出、公家の世から武士の世へと転換していく中世初期の社会のありさまが知れる貴重な史料となった。
 その日記の一二〇七(建永二)年一月から三月にかけての記を見ると、宗祖が越後へ遠流となった「承元の法難」に関する生々しい記事が散見される。まず一月二十四日の日記に、次のような記事があらわれる。


「専修念仏ノ輩(やから)停止(ちょうじ)ノ事、重ネテ宣下スベシト云々(専修念仏を広める人々に対して、再び停止せよとの天皇の命令がおりた)」〔以下( )内は意訳〕と。続いて二月九日、「近日、只一向専修の沙汰。搦メ取ラレ、拷問サルト云々。筆端ノ及ブ所ニアラズ(近頃は、毎日一向専修の人々の裁判がどうなったのかという話ばかり。今日は数人が捕縛されて拷問を受けているとのこと。その有り様は筆に書きとめられないほど過酷なものである)」。




そして二月十八日、裁決が出、住蓮・安楽など四名斬首、法然・親鸞など八名、俗名を与えられて遠流に処され、三月十六日、還俗させられ俗名藤井元彦となった法然が鳥羽の近くで乗船したと言われている。
(以下略)




 引用ここまで。




 親鸞の名は記載されてはいないのだけれども、少なくとも、定家がこの時期に起こった新しい仏教の運動につき、浅からぬ関心をもっていたのは確かであろう。ただし、伝聞で知った事実を冷厳に記しているだけで、それを聞いて定家が何を感じ、何を考えたかについてはついに分からぬままなのだが……。中世人の記述なのだから仕方ないところはあるにせよ、せめて片言隻語なりとも留めておいてくれたならばと残念に思う次第である。











20.11.10 akiさんのコメントと、ぼくからのご返事。「親しみ。」

2020-11-10 | 哲学/思想/社会学

akiさんのコメント
2020.11.08
「お返事」


 こんばんは。akiでございます。


 改めて見てみたら、11月5日にはほぼ一日で(と言っても日はまたいでますが)3本もコメントを投稿させていただいてましたね。さすがにこれはやりすぎだぞ、返事が空いたと思ったら立て続けに投稿したり、ちと極端すぎるぞと反省いたしました。まあ1日1本、ないしは2~3日に1本くらいが、ご負担を掛けることも少なく、じっくり考えを練ることもできていいかなと思いますので、その辺りで行きたいと思います。(^^)


 ・・・で、前回のコメントでは、かなり(というか完全に)批判的な内容になってしまいましたので、ご気分を害することがなかったかと心配しておりましたが・・・おそらくこらえて下さっているのだろうとは思いますが、その中でもご返事をくださりありがとうございます。


 それで、今回のご返事の中では、


>吉本さんは、《非―信》の側にいるんです。ぼくももちろんそうです。でも、《信》の側に心惹かれてもいるわけです。


 この表現に、「なるほど」と得心するところが多くありました。この文脈で見るならば、猫町さんの


「極端にいえば、不-〈信〉と〈信〉の境界がなくなるということです」という文言も、


「親鸞の教えは、非信・不信の者をも惹きつける魅力を持っている」


 と換言すれば、得心できるものでもあります。(まあこれは断章主義による曲解でしょうけど)




 eminusさんは非信の人の立場として、同じく非信の立場から「親鸞の教え」に惹かれた吉本隆明さんの見解に、惹かれるものを感じられた、ということですね。了解いたしました。
 そのこと自体は良いことだと(上から目線でスミマセン。いい言い方が浮かばない・・・)私も思います。




 ただ、そこで止まってしまっては、実にもったいない。親鸞聖人の教えは、全人類にとって最終的な大問題である「死の問題」に完全解決をもたらす力を持っているのです。折角親鸞聖人とよい縁を持たれたのですから、ぜひ、その教えの真の姿を知ってもらいたい。そう私は感じます。


 まああんまりこっちからがっつきすぎるのも異様ですので、この辺で収めておきます。




 ただ、今回テキストとして提出いたしました『歎異抄をひらく』の著者、高森顕徹先生については、私自身の立場を明らかにするうえでも少しご説明いたしたいと思います。




 調べられた結果でもお分かりかと思いますが、高森先生は若い頃は本願寺教団の中から真宗を変革しようとされていましたが、それを断念して「浄土真宗親鸞会」という新たな団体を立ち上げられました。本願寺とは、親鸞聖人の教義について様々な論争を行ったため、本願寺の人の中には忌み嫌う人もいますが、また逆に「高森さんは正しいよ」と共感する人もいます。(まあこの辺りの毀誉褒貶は、目立つ人にはありがちなことだと思います)


 私自身は学生の頃に高森先生の説法に出会い、以降ずっと聞法をしてきています。ただし、私は聞法者としては雑念が多すぎて落第者だと思っています。教義については、聞法を重ねてきた結果多少知ってはいますが、親鸞聖人の教えられた他力信心をまだ得てはいません。蓮如上人が言われた「不信心の輩」あるいは「未信の徒」です。
 従って、「私の話を聞け」と言うつもりはさらさらありません。私にできるのはせいぜい「紹介すること」だけです。




 歎異抄第9章については先のコメントで述べましたので、後述べなければならないのは「歎異抄第2章」についてと「一切皆空」についての二点ですね。
 「歎異抄第2章」については、猫町さんの解釈にはやはり致命的な間違いがあります。その説明をするためにはそれ相応の字数が必要ですので、これは次回のコメントで述べさせていただきます。
 「一切皆空」については、私も正しく理解しているかどうかは怪しいです(笑) ただ、先のコメントの書き方では誤解を生じる部分もあったと思いますので、そこを丁寧に説明し、「判らんところは判らん」で丸投げする感じですかねw




 で、最後にこれが本題かもしれません(笑)


 私の拙い言葉を読まれるより、実際に『歎異抄をひらく』を手に取られて読まれることをお奨めします。高森先生の著書で市販されているものには他に『なぜ生きる』などのシリーズもありますので、それらを通読されれば、ある程度の「教えの姿かたち」が見えてくるのではなかろうかと。




 はい、以上です。今回はつらつらと所感をまとまりなく書き連ねた感じですね。次回からが本論ですか。また、よろしくお願いします。<(_ _)>




☆☆☆☆☆☆☆




ぼくからのご返事
2020.11.10
「親しみ。」




 2~3日に1本くらいのペースというのは手ごろですね。
 akiさんからのコメントで気分を害するってことはほんとにないです。いつも心待ちにしてるし、よい刺激を受けてます。ちょうど講談社……じゃないな、高段者と将棋を指してる時の感じですね。これはべつだん勝ち負けを競ってるって含みではありません。おわかり頂けてるとは思いますが、あくまで「ほどよい緊張感があって楽しい。」ってことです。
 ただ、前にも述べたとおりコピペさせて頂いた文章の責はわたくしことeminusにあります。猫町さんにしても、ご自分のレビューが与り知らぬ所で云々されるのはけして面白くないでしょうから、たとえば今回いただいたコメントの文中において、


 「歎異抄第2章」については、猫町さんの解釈にはやはり致命的な間違いがあります。その説明をするためにはそれ相応の字数が必要ですので、これは次回のコメントで述べさせていただきます。


 とあるのは、ご遠慮なく、


 「歎異抄第2章」については、eminusさんの解釈にはやはり致命的な間違いがあります。その説明をするためにはそれ相応の字数が必要ですので……(後略)


 と書いていただいて構いませんし、次回以降もその塩梅でやって頂ければと思います。また、この記事を読まれる他の皆様についても、そのつもりでお読み頂ければ幸いです。
 ところで、「気分を害する」というならば、むしろこちらのほうがその懸念をもっていますね。これは信仰ではないですが、ぼくは若い頃からニーチェについてわりと真面目に向き合ってきました。そういう人間からすると、白取春彦さんの『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)はとても不愉快です。ましてや適菜収さんの『キリスト教は邪教です!現代語訳『アンチクリスト』』(講談社+α新書)に至っては、「なめとんのかコラ。」という感じですね。
 つまり、人類史レベルの巨大な思想家をダシにして、専門の研究者でもない人っていうか、当の思想家と全身全霊を賭けて取り組んだこともないような人たちが、チャラい自己啓発本だの、粗悪な入門書(?)を書いて、ふだん本を読まない一般ピープルをころころと転がして小銭を(でもないかな。大金ですね)稼ぐっていう安いビジネスモデルですね。これは正直アタマにくるぜって話です。
 元の思想家の考えが捻じ曲がって広まるという点からいえば、それこそ禁書扱いにしたいくらいの気分ですけども、けど、それでもまあ、そうやってニーチェにふれた読者の中には、「じゃあきちんとニーチェを読んでみよう。」ってんで、ちくま学芸文庫版の全集に手を伸ばす人が数%はいるかも知れぬし、そういった機縁になるのなら、これはこれでアリなのかなあ、と自分を宥めてみたりもするんですが。
 つまらぬ例を出してしまいましたけれども、ニーチェですらそうなんだから、「信仰」の対象である親鸞さんと真摯に向き合っている方々からすれば、《非―信》の側から親鸞について聞いたふうなことをいうこと自体がもう僭越じゃないかとは恐れてます。むろん吉本さんとか、三木清とか、そういった人たちとぼくなんかとではレベルがぜんぜん違うわけだけど、それでも、《非―信》の側にいるってことは確かですから。
 ただ、そういった凡夫凡婦をも峻拒せず、やわらかく包摂してくれるのが親鸞さんじゃないのかなって親しみは前々から持っていて、その感じは、ぼくが読んだかぎりでは、古今東西の宗教者のなかでたしかに親鸞さんだけですね。だから、これはほんとに「気分を害する」ことになるのではないかと恐れるんですが、もし《信徒》と《それ以外の者たち》とのあいだに垣根を立てて、前者のほうにだけ語りかけるというのであれば、少なくともぼくにとっては、親鸞さんはむろん偉大な宗教者だけれど、それでも、ほかの偉大な宗教者の方々と同じということになります。あくまで垣根のこちら側、つまり《非―信》のサイドから、畏敬の念をもって仰ぎ見るだけ……ということになってしまうわけです。


 ところで、親鸞さんのこととはまた別に、ひとつ切り離して取り上げさせて頂きたいのですが、このたびのコメントのなかの「全人類にとって最終的な大問題である「死の問題」」というフレーズについて、ぼくはすこし引っ掛かりました。これはあるいはバナナフィッシュの話の時からずっと底に流れつづけているテーマじゃないかと思うんですけども、「全人類にとって最終的な大問題」というものがもし在るとするならば、それは「死」ではなくて「生」ではないでしょうか。「いかに生きるか。」ということです。むろんこれは、akiさんには言わずもがなのことであろうし、だからこそ信頼できる先達を介して親鸞と向き合っておられるのだとも思うのですが、すこし「死」が前面に出ているように感じたんですよね……。
 もちろん、


人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣(つか)えない。
死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。


 というハイデガー(1889 明治22~ 1976 昭和51。ナチスに加担したとして戦後ドイツでは一時忌避されたが、それでもおそらく20世紀最大の哲学者で、今もなお世界の哲学者たちに影響を与え続けている)のことばもありますし、そのつもりで言っておられるのだとは思うんですけども。



 それにしても、「私は聞法者としては雑念が多すぎて落第者だと思っています。教義については、聞法を重ねてきた結果多少知ってはいますが、親鸞聖人の教えられた他力信心をまだ得てはいません。蓮如上人が言われた「不信心の輩」あるいは「未信の徒」です。」というくだりについては、何ていうか、ほっとしましたよ。だって、そうでなければ、ぼくみたいな凡俗とはたぶん対話が成立しないと思うので。「雑念が多すぎる」からこそアニメもご覧になるんだろうし(ここにいらしたきっかけは『宇宙よりも遠い場所』でしたよね)、ぼくなんかとも話を続けてくださってるんだと思います。それはたいへんありがたいことです。



 それで、「歎異抄第2章」と、「一切皆空」についてですが、上ではあのように述べましたけども、《信》ということはひとまず措いて、文献学的といいますか、解釈学的といいますか、記された文言をあくまでも「テクスト」と見て、それを解釈するってことにかけては私も多少の経験がありますので、あくまで《非―信》の立場からですが、ひきつづきご意見をうかがって、それについてのご返事を述べさせて頂きたく思います。こちらこそよろしくお願いします。それから、米大統領選はもちろん、「指し掛け」になっている「中国」の話や「軍事」の話など、このたびの件が一段落したら、また色々とこのような形でお話が続けられたら幸いです。それでは。




この記事の続き。
20.11.16 akiさんからのコメントと、ぼくからのご返事「司馬さんとミシマの威を借りて」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/0422f9a8d7c631d86cef4b3b0a7d1e74










20.11.07 akiさんとの対話「吉本隆明と親鸞さん。」

2020-11-07 | 哲学/思想/社会学


akiさんのコメント
20.11.06
「歎異抄第9章」




 こんばんは。akiでございます。


 仏教について真剣に問われたからには、私も覚悟を決めて述べるしかございますまい。浅学菲才ながらよろしくお願いします。<(_ _)>
 ただし、やたらと長文になってしまっても論点がぼけてしまいますし、精神的にも大きく疲労するでしょうから(笑)、一つずつ参りましょう。




 まずは、猫町さんが解釈された『歎異抄第9章』について。
 結論から申しますと、猫町さんの解釈は親鸞聖人の真意からは大きく外れます。思いっきり、剃刀で致命傷を負っておられますね。だからこそ、蓮如上人は「仏縁なき者に見せるな」とおっしゃったわけで、やはり蓮如上人は正しかったことになってしまいます。残念ながら。




 ではこの9章は、どのように解釈するのが親鸞聖人の真意に適うのか。こちらもテキストを提示して、その文面をお借りしようと思います。eminusさんのことですから、すでにご存じかもしれませんが。




『歎異抄をひらく』高森顕徹著 1万年堂出版
 243~251ページ


以下引用


「親鸞さまでさえ、喜ぶ心がないと仰っている。喜べなくて当然だ」と広言し、‘喜ぶのはおかしい‘という者さえいる始末。『歎異抄』の危ぶさのひとつである。
 親鸞聖人と唯円房の対話を記すこの章は、共鳴しやすいだけに曲解が多い。
「私たちが喜べないのは当たり前」と共感し、懺悔も歓喜もない自己の信仰を正当化するのに都合のいい、言い回しのところだからだ。
「この唯円、念仏を称えましても、天に踊り地に踊るような歓喜の心が起きません。早く浄土へ往きたい心もありません。これはどういうわけでありましょう」
 率直な披瀝に聖人の返答も、これまた虚心坦懐である。
「親鸞も同じ不審を懐いていた。そなたも同じ心であったのか」


 この聖人の告白は、弥陀に救い摂られた人の懺悔であって、懺悔も歓喜もなく、喜ばぬのを手柄のように思っている、偽装信仰者の不満とは全く違うのだ。
「永劫の迷いの絆を断ち切られ、広大な世界に救われても喜ばぬ、どこどこまでも助かる縁なき不実者じゃのう。そうであろう唯円房、こんな者が弥陀の独り子だとは、なんと頼もしい限りではないか」


 肉体の難病が救われても嬉しいのに、未来永劫、助かる縁なき者が、不可称・不可説・不可思議の功徳が満ち溢れ、かの弥勒菩薩と同格になり、諸仏に等しい身になるのである。天に踊り地に踊るほど喜んで当然なのだ。
 なのに喜ばぬのは、この世の欲望や執着に迷う煩悩のしわざ。煩悩に狂い、三年の恩を三日で忘れる猫よりも恩知らずの悪性に、懺悔のほかはないのである。
 同様な告白は、聖人の主著『教行信証』にも載っている。


 悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまず。恥ずべし、傷むべし(教行信証)
 情けない親鸞だなあ。愛欲の広海に沈み切り、名誉欲と利益欲に振り回されて、仏になれる身(定聚)になったことを少しも喜ばず、日々、浄土(真証の証)へ近づいていながらちょっとも愉しまない。なんと恥ずかしいことか、痛ましいことよ。


 あまりに自虐主義との批判もあるが、これが聖人の真情だったに違いない。


 懺悔の裏には、歓喜がある。
「しかるに仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときの我らがためなりけりと知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり」(『歎異抄』第9章)
(とうの昔に弥陀は、そんな煩悩の巨魁が私だと、よくよくご存じで本願を建てて下さったのだ。感泣せずにおれないではないか)
も、そのひとつ。
「後序」にも、聖人の歓声が轟く。


 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ(歎異抄)
 弥陀が五劫という永い間、熟慮に熟慮を重ねてお誓いなされた本願を、よくよく思い知らされれば、まったく親鸞一人を助けんがためだったのだ。こんな量りしれぬ悪業を持った親鸞を、助けんと奮い立って下された本願の、なんと有り難くかたじけないことなのか。


 このような歓喜があればこそ、しぶとい呆れる根性を知らされて、
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、同じ心にてありけり」
 の懺悔があるのである。
 仏法の入り口にも立たない者が、針の穴から天を覗いて、「喜べないのが当然」と開き直っているのとは、全然次元が異なるのだ。弥陀の救いに値わない者には、懺悔もなければ歓喜もない。当然だろう。
 また、急いで浄土へ往く気もなく、少し体調を崩すと「死ぬのではなかろうか」と、心細く思えてくるのも煩悩のしわざである。
 果てしない過去から流転してきた、苦悩の絶えぬこの世ではあるけれど、なぜか故郷の如く懐かしく、安楽な浄土を恋い慕わず、急ぐ心のないのが私たちの実態だ。
 暴風駛雨のような煩悩を見るにつけ、いよいよ弥陀の本願は、私一人を助けんがためであったと頼もしく、‘浄土往生間違いなし‘と、ますます明らかに知らされるのである。
「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候え」(『歎異抄』第9章後半)が、その告白だろう。
 喜ぶべきことを喜ばぬ、麻痺しきった自性が見えるほど、救われた不思議を喜ばずにおれぬのだ。それをこんな喩えで、聖人は解説される。


 罪障功徳の体となる
 氷と水のごとくにて
 氷多きに水多し
 障り多きに徳多し  (高僧和讃)
 弥陀に救い摂られると、助けようのない煩悩(罪障)の氷が、幸せよろこぶ菩提(功徳)の水となる。大きい氷ほど、解けた水が多いように、極悪最下の親鸞こそが、極善無上の幸せ者である。


 九章で言えば、こうなろう。
「喜ぶべきことを喜ばぬ心(煩悩)」が「氷」であり、「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候えの喜び(菩提)」が「水」に当たろう。
 無尽の煩悩が照らし出され、無限の懺悔と歓喜に転じる不思議さを、
「煩悩即菩提」(煩悩が、そのまま菩提となる)
とか
「転悪成善」(悪が、そのまま善となる)
と簡明に説かれる。
 喜ばぬ心が見えるほど喜ばずにおれない、心も言葉も絶えた大信海に、
「ただこれ、不可思議・不可称・不可説の信楽(信心)なり」(教行信証)
 ただ聖人は、讃仰されるばかりである。




 以上、引用終わり


 ・・・最早私の拙い言葉を足す必要などないと思いますが、「喜ぶ心がない」との告白は、「信楽開発の時尅の極促」である「信一念」を通り、自力を捨てて他力に帰した人の、他力信心の強い光に照らされて徹見せられた「真実の自己」の姿に対する懺悔の言葉であって、猫町さんのおっしゃるような「不-〈信〉こそが人間の煩悩のせい」というようなものとは全く次元が違います。
 猫町さんは「極端にいえば、不-〈信〉と〈信〉の境界がなくなるということです」とも仰っていますが、これは「捨自帰他」の破壊であって、最早浄土真宗でも親鸞聖人の教えでもありません。甚だ失礼を承知で敢えて申し上げますが、これこそは『歎異抄』において歎ぜられるところの「邪義・異安心」です。
「弥陀を信じられない心」を親鸞聖人は「疑情」と言われましたが、この「疑情」は信一念において完全に消滅するものです。すなわち、他力信心の人にとって、弥陀の存在、弥陀の本願の存在、そして煩悩具足の自身の姿に対する疑いの心は一点の露塵ほども存在しません。『歎異抄第9章』の文に戻れば、唯円と親鸞聖人は「喜ぶ心がない」「早く浄土に往きたい心もない」と告白されてはいても、「弥陀を信じられない」とはどこにも仰ってはいないのです。教えを知らない人が見れば同じように思えるかもしれませんが、この両者は全く違う、と教えるのが親鸞聖人です。




>ぼく自身、この考えにはとても惹かれるのですが、


 「そのままでいいんだよ」と言われれば、誰でも安心できますよね。そのお気持ちは判る気がしますが、それはやはり、親鸞聖人が教えられた「そのまま」の弥陀の救いとは、天地雲泥の差があると思います。






☆☆☆☆☆☆☆






ぼくからのご返事
20.11.07
「吉本隆明と親鸞さん」






 前回コピペさせて貰った文章は、むろん別人28号なので多少の異議はありますけれども、ほぼ私ことeminusのものと見なしていただいてよいです。あれほど的確にまとめられぬからこそ引用させて頂いたわけで、そう考えると面映ゆいんですが、ともあれ文責はすべて引用者たるわたくしにあります。だからあの方が歎異抄を誤読しておられるとしたら、それは私が誤読しているわけですし、『最後の親鸞』という書物の主旨はあの方が要約しておられる通りだから、吉本隆明もまた歎異抄を誤読してたってことになります。


 それで、あの文章の肝(きも)は……ということはすなわち、「ぼく(eminus)がいちばん言いたかったことは」と換言しても構わないんですが……「《信》と《非―信》あるいは《不―信》とのあいだに横たわる懸隔」というところにあります。それは断崖絶壁にも比すべき懸隔ですね。深淵といってもいいかもしれない。


 『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)については、これが初耳だったので、調べてみました。2008年の刊行ですね。12年経ってるわけですが、最大手の通販サイトでは「歎異抄」のカテゴリで「ベストセラー1位」となっています。吉本さんのより売れてるわけですね。あたりまえか(笑)。ほか、電子版も出ているし、アニメの原作にもなっているではないですか。親鸞聖人のCVは石坂浩二さん、唯円が増田俊樹さん、キャストには、細谷佳正、三木眞一郎さんら実力派の名も見えますね。


 著者の高森顕徹さんは、ウィキペディアによれば、ご自身の会派を立ち上げて、のちに浄土真宗本願寺派の僧籍を離脱した……とあります。あくまでもぼくの感想ですが、ともすれば通俗的な解釈に流されがちな親鸞さんの教えを、できるかぎり純化して世に伝える……ことに精力を傾けておられるようにお見受けしました。いずれにせよ、《信》と《非―信》あるいは《不―信》との対比でいえば、《信》の側におられることは間違いありません。


 吉本さんは、《非―信》の側にいるんです。ぼくももちろんそうです。でも、《信》の側に心惹かれてもいるわけです。というのも、それを或いはカントに倣って「超越」と呼んでもいいし、バタイユに倣って「聖なるもの」と呼んでもいいし、たんにあっさり「宗教」と呼んでもいいんだけれど、とにかく人間の精神の活動にまつわるさまざまなもの……哲学にせよ思想にせよ、文学にせよ芸術にせよ、さらには倫理にせよ法にせよ、もっというなら政治や経済に至るまで……それらすべてが根源のところで「そちら側」から来てるんだぜってことをひしひしと感じてるからですね。


 吉本さんはつまり、「親鸞さんは大衆のためにぎりぎりまで宗教を解体した。」といった内容のことを述べてるわけだから、それはもう、まっとうな信徒の方からは叱られて当然なんですけども、ぼくみたく、「けっして自ら断崖絶壁ないしは深淵を跳び超えて《信》のサイドへ行くことはできないけれど、どうしてもそちらの側に心を惹かれて、聖書を読んだりクルアーン(コーラン、というよりこちらのほうが正確らしいです)を読んだり法華経を読んだり神道の本を読んだり歎異抄を読んだりしている俗物」としては、自分と親鸞さんとを結びつけるうえで、吉本さんのことばがものすごくしっくり来るぞってところはあるわけです。


 何本か前の記事で名前を出した哲学者の三木清はほんとにアタマのいい人で、これほどの人材を意味なく獄死させたってだけでも戦中の官憲は言語道断なんですが、結果として遺稿になってしまった「親鸞」というエッセイで、的確なことをいろいろ言っております。「親鸞が仏教を人間味あふれるものにしたのは確かだが、だからといって親鸞を文芸的なり美的に捉えてわかったつもりになってはいけない。」とか、「親鸞の文章には到るところ懺悔がある。同時にそこには到るところ讃歌がある。懺悔と讃歌と、讃歌と懺悔と、つねに相応じている。」とか、「破戒と無戒とは違う。」とか、肯綮に当たることをきっちりと書き残していますね。


 ぼくだって、親鸞が比叡山で修行と勉学を積んだ偉い人だってことは承知してるんですよね。凡夫にまがう煩悩を言行録に留めてはいても、われわれの及びもつかぬ人格者だってことも承知してます。ぼくでさえわかってるんだから、吉本さんも重々わかってるでしょう。そのうえで、「親鸞さんは大衆のためにぎりぎりまで宗教を解体した。」といった内容のことを述べているわけです。そしてそれは、《非―信》あるいは《不―信》のサイドにいるぼくたちが、どのように《信》のサイドにかかわることができるのか。という巨大なテーマについての瑞々しいヒントを提示してくれてるように思うんですよ。



この記事の続き。
20.11.10 akiさんのコメントと、ぼくからのご返事。「親しみ。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/f9d9ecd574d09d0c794dc2e5a97bb582









20.11.05 akiさんからのコメントと、ぼくからのご返事02「かなり真面目に仏教の話。」

2020-11-05 | 哲学/思想/社会学


akiさんからのコメント
20.11.05
「アメリカは騒然としてますねえ」






こんにちは。今回は早いお返事(笑)




>米大統領選


 あっちはあっちで凄いことになってますねえ。法廷闘争まで持ち込まれたら解決に一体いつまでかかるのか。
 不正投票の証拠をトランプ側がどこまで抑えているかにもよるでしょうが、今ネットで流布している不正情報が本当のことだとすれば、それも民主党側が支配する裁判所なら公平な裁定が下されるはずもありませんから、これは揉めるでしょうねえ・・・。
 なんか民主主義の本家とも目されるアメリカで民主主義の危機が起こっているとしたら、なんとも暗澹とした気持ちになります。




>「私」というのは、ほかの森羅万象と同じく「現象」であると考えています。


 ああ、はい。eminusさんはおそらくそのようにお考えなのだろうな、と思ってましたが、今回のご返事でよりはっきりしました。
 恐らく現代日本人はそう考える人が多いでしょうし、それがわかりやすい見方であることも確かでしょうが、これは私と言うより仏教、そしてほとんどすべての宗教とは相容れない考え方でしょう。まあだから現代日本人は無宗教と言われるわけですが。


 「台風」にしろ「こころ」にしろ、あるいは「森羅万象」にしろ、そういう実体というものは確かに存在しません。「台風」で言えば、それは要するに気圧の変化による現象に過ぎず、そもそも「気圧」「現象」「変化」といったものも人間の概念であって実体ではありません。そうやって細かく見ていけば、「原子」「素粒子」まで行っても結局実体はなく、すべて「概念」でしかない。それを仏教では「一切皆空」と教えるわけです。
 では、その「概念」を与えている「私」とは一体なんなのでしょうか。
 もしその「私」もまた「現象に過ぎない」ということであれば、「概念を与えている私」もまた「概念に過ぎない」ことになり、「私の存在」自体が無に帰します。要するに、「死後の私はない」と言っている人は、「私など最初から存在しない」と言っていることと同義です。
 これは大いなる論理矛盾である、と私には思えます。
 人間の心は現象である、という言い方は正しい。確かにその通りですし、現象なら人間にもわかるのです。しかし、「現象でしかない」ということは、そう言う人自身が存在しないということであって、「現象でしかない」と言うことそのものが無意味であり存在しないことと同義なのです。


 まあ以上が「私の死後は存在する」と私が思う論理的な根拠ですね。重ねて言いますが、これはあくまで私自身の考えであって仏教ではないです。




>親鸞さんの教えはそんな「甘え」を許すように聞こえます。


 ああなるほど。そういう意味でしたか。何となくですが理解できたように思います。
 ただまあ、これは親鸞聖人に責任を求めるのはお門違いだろうと思いますね。具体的に吉本隆明さんが親鸞聖人の教えのどこに甘えたのかがわからないのではっきりしたことは言えませんが、いずれにしろ親鸞聖人の教えを正しく受け取った結果というよりは、吉本さんの我流で理解した結果のことであって、吉本さんに全責任を帰すべき話だと私は思います。
 親鸞聖人が教えたのはあくまで「捨自帰他」です。自力を捨て、他力に帰せよ、という教えは、一切の我流を排除します。その教えに「甘える」ということは、すなわち「誤解する」ということとイコールです。
 具体的に、親鸞聖人の教えのどの部分をどのように解釈したかがわかれば、もう少し具体的に答えられそうな気もしますが・・・いかがでしょう?






☆☆☆☆☆☆☆





ぼくからのご返事
20.11.05
「かなり真面目に仏教の話。」


 ちょっと今回は対立を鮮明にせねばならぬかもしれません。いや大統領選の話じゃなくて(笑)、米大統領選のことは、たいへんな話なんで、また別に記事を立てますが(あくまで予定)、akiさんとぼくとの「仏教観」に小さからぬ齟齬を感じるのです。
 ぼくの理解では、仏教でいう「一切皆空」とは、「すべてが概念だ。」といってるんじゃなく、「すべては縁起だ。」って意味です。「概念」と「縁起」とはぜんぜん違う。それで、「では縁起とは何ぞや。」ってことで、これまでに膨大な論が重ねられてきたし、今日もなお論議が続いてるはずです。
 でも、議論の細部はさておいて、「縁起」とは「関係性」の謂である、とざっくりまとめてしまっても、けして誤りではないでしょう。
 ぼくの使った「現象」というキーワード(キーコンセプト)がもし誤解を招いたのなら補正しなければなりませんが、「現象」とは「空漠として実体なきもの」って含みではなく、「流転極まりなき関係性のただなかにあるもの」、すなわち「縁起」のなかにあるもの、という含みでした。
 そういうことでは、ぼくの考え方はむしろ仏教的だと思っています。akiさんのおっしゃる「≪永遠不滅の実体としての私≫が≪死後≫もなお厳然として存続する。」という考え方は、むしろユダヤ教―キリスト教―イスラーム的な思想に近いとぼくには思えます。
 ただ、真宗の教えの説く「極楽浄土」という考えは、そちらに似ているところがありますね。だから「仏教のなかでも浄土真宗には一神教に近いものを感じる」と前回述べました。
 そして、お葬式をきちんと執り行い、お骨をお墓に安置し、折々には法事を営む「現代日本人」は、信仰の強弱は別として、やはり心情としてはそちらの発想に身を委ねてるんじゃないでしょうか。だから、今だって日本人の多くは、ぼくみたいに「私とは現象である。」なんて感じてないと思いますよ。
 「現代人の宗教意識」みたいなアンケートで、「私とは現象であると思いますか。」なんて質問があったら、ほとんどの人が「はあ?」と答えるんじゃないでしょうか(笑)。
 とはいえ、「私とは現象である。」って発想は、現代科学のそれに近接してるとは思いますね。科学の知見がようやく仏教に追い付いてきたわけで、凄いことだと思ってますけども。
 「縁起」の中に在る「私」、それをぼくは我流の用語で「結ぼれ(結び目)としての私」と呼んでおりますが、「結ぼれとしての私」がご飯を食べたり、水を飲んだりして生命を維持し、住居で暮らしたり服を着て外に出たりして社会活動を行い、本を読んだり物事を考察したりして認識を深め、総じて「人」としての生涯をまっとうすることは、「すべては流転する関係性のなかにある」こと、すなわち「現象」でしかないのだけれど、だからといってそれらのことが「無」であるとか、「無意味」であるってことはないです。それは「今ここ」において、とても白熱した切実な意味を持っています。ただし永続性はない。しかし、永続性がないってことと、「だから今ここにも存在してない。」ってこととは違うでしょう。
 「縁起」はさておき、「概念」ということでいうならば、akiさんのおっしゃる「私の概念の中に世界(宇宙)がある。」という考えは、たしかに唯識の思想にありますね。ぼくが思うに、これは西洋哲学の根幹を貫く「認識論」と「存在論」との相克っていうか葛藤っていうか絡み合いっていうか、要するにまあそっち系のアレで、精密にやるなら相当に厄介な話です。近年これに手を付けたのが前回述べた「思弁的実在論」の一派で、これもまた、21世紀も20年過ぎて、ようやく哲学が仏教の知見に追い付いてきたってことだと思ってますが、いま「思弁的実在論」はほぼ4つの派閥に分かれてて、仔細にみればどれも面白いんだけどブログでやるにはまだまだ準備が足りません。




 吉本隆明と親鸞とのかかわりは、まさに日本思想史上のテーマだとぼくは本気で考えています。
 どう書こうかと迷ったのですが、これについては、大手通販サイトの『最後の親鸞』(ちくま学芸文庫)に附されたレビューに素晴らしいものがありましてね……。筆者は「猫町」さんというハンドルネームの方です。長さといい内容といい、レビューっていうよりほぼエッセイですね。この手のレビューに著作権が発生するかどうかはわかりませんが、こういうのって、事情次第である日とつぜん消えてしまったりもするし、これは本当に残しておきたい文章なんで、苦情が出たら後でまた対処させて頂くこととして、ここに全文を書き写させて頂きます。
 吉本さんと親鸞さんとのかかわりについて、〈信〉と非-〈信〉あるいは不-〈信〉との問題をも含め、ここに書かれていることが、ほぼぼく自身の考えだと見なしていただいて構いません。






☆☆☆☆☆☆☆






レビューアー  猫町
『歎異抄』のなかの親鸞
2017年10月14日に日本でレビュー済み






 宗教を信じるということはどういうことなのか。
 信仰とは、あるいはもっと端的に〈信〉とはどういうことなのか。


 評者のような非-信者には、上の問いはつねに気になることであり、とはいえその答え、というか〈信〉がどのようなものであるのかは自身ではついに想像しえぬものです。


 では信者は、その問いに答えられるのでしょうか。
 〈信〉にすでに身を置いているもの、つまり〈信〉の自明性のなかで生きているものは、その〈信〉をすでに客観化、対象化できません、というか非-信者が理解できるようにはおそらく言語化できません。
 もしできるのであれば、上の問い、つまり〈信〉であるとはどういうことなのか、非-信者にもわかるはずですが、そんなことは不可能です。もしそんなことが可能であれば、信者と非-信者とのあいだで、〈信〉とは何かについてすくなくとも言葉の上で共有できることになりますが、やはりそんなことは不可能です。


 この比較がいいかどうかわかりませんが、それは、たとえば狂気あるいはマインドコントロールにおちいったひとが、自身の生きている世界ないし世界観を語っても、普通に日常を送っている人間には(ほとんど)通じないというのにも似ています。


 聖書のことばはそのまま神のことばであると信じ(これは一般に聖書逐語霊感説と呼ばれるものです)、その聖書に「血を食べて(飲んで)はいけない」(旧約レヴィ記その他)などとあるところから、どのようなばあいでも、たとえ医学的にそれが必要な措置で、しかもそれで命が助かるばあいであっても、輸血をいっさい拒否するキリスト教の一宗派の人たちがいます。以前、戸口訪問で来た同信者の方にこのことをたずねたところ、言下に「私は輸血を拒否します」と答えたのを覚えています。
 あるいはまた、高名な自然科学者ながらキリスト教の篤信家でもあるような人もいます。このばあい、そのひとのなかで自然科学的な世界像とキリスト教的な世界像(たとえばキリスト教の教えの根幹にある「イエスの復活」や「永遠の命(霊魂の不滅)」)がどのように関係しているのか、そのひとがどのように説明しようと(あるいはしまいと)、やはり非-信者はその〈信〉のありようというのはついに理解できません。想像もできません。


 ただ、だからといって、評者は、どちらもその〈信〉を迷妄だとして、しりぞけようという気持ちはまったくありません。


 とにかく信者自身、〈信〉、たとえば神を信じるということがどういうことか、おそらくすでに語るすべをもたない、すくなくとも非-信者に理解できることばでは語れない、というかそこで神をどのように語ろうとも、非-信者にはそのことばはまったく別次元、別世界の話のようにしか聞こえず、理解不能であることに変わりありません。


 『歎異抄』のなかの親鸞はしかし、驚くべきことに、非-〈信〉あるいは不-〈信〉がそのまま〈信〉となるような契機を語っています。あえていえば、念仏をとおしての絶対他力のかたちをとる阿弥陀仏の誓願(弥陀の本願)への〈信〉とはそのような〈信〉であると語っているようにみえるところがあります。


 『歎異抄』のなかでつぎのようなエピソードが語られています:


 ひたすら念仏をとなえることで、弥陀の本願により、浄土に往生できるといわれても、ほんとうに信じることができず、念仏をとなえても喜びの気持ちがわいてこない、と親鸞に訴えるものがいたとき、親鸞は、それは信心がたりないからだというどころか(凡庸な宗教家だったらそういうでしょう、そしてもっと奉仕をしろ、もっとお布施をしろといったりするでしょう)、その信じられないこと、つまり不-〈信〉こそが人間の煩悩のせいであり、その煩悩があればこそ人間を浄土にゆかせようと阿弥陀仏は結願されたのだから、むしろそのことでますます往生できると考えるべきだ、と言います。


 ここにあるのは、念仏をとなえても喜びの気持ちがわいてこないという人間のつくろわないあるがままの生理が、そのまま宗教的な救いの根拠となるという、あとで述べるキリスト教ではおそらく考えられないような、親鸞の途方もない教説です。親鸞はこれを指して「自然法爾(じねんほうに」と呼んだのでしょうか。
 もちろん、ひとが「煩悩」ということばあるいは概念を口に出すことにおいて、すでにある意味、仏教の〈信〉の世界に一歩入っているというべきなのでしょうが、このばあいしかし、「煩悩」を、〈信〉の一歩手前にあって、あるいは不-〈信〉、さらに非-〈信〉にあっても、人間だれしも思いあたる人間の生理そのもの、すなわち愚かなことをしたり悪いことをしたりする、人間のあるがままのどうしようもない生理そのものと受けとめてもいいのではないかと思われます。


 非-信者である評者のような人間には、ここに不-〈信〉あるいは〈信〉もどきが、そのまま〈信〉に着地する契機があるようにみえ、そこから〈信〉の世界がほんの少しうっすらと遠くにかいまみえるような気がします。


 と同時に、親鸞の教えのこのゆるさ、つまり不-〈信〉や〈信〉もどきが、そのまま〈信〉に着地する契機があるようにみえるところからは、不-〈信〉の人も、〈信〉もどきの人も、そしてもちろん〈信〉の人も、みんなすべてを親鸞の教えのなかに平等に吸いあげ、弥陀の慈悲のなかに摂取してしまう契機もみえてきます。
 (「悪人正機説」もこれにかかわってくるのでしょう)


 それにしても、不-〈信〉がそのまま〈信〉のありかたにかかわる、というのはしかし、同時に〈信〉の絶対的なありようそのものが逆に解体されることでもあります。極端にいえば、不-〈信〉と〈信〉の境界がなくなるということです。


 これは、もうほんとうに途方もない話です。
 宗教を解体すると同時に構成する、宗教を構成すると同時に解体してしまう、そんなとてつもない宗教、これをしも宗教と呼んでいいなら、そんな宗教です。


 親鸞はいっぽうで、念仏をとおして、そうした不-〈信〉と〈信〉の対立が解体される地平の向こう側に、つまり不-〈信〉と〈信〉の彼岸に、なにか(救い、浄土)が見えてくると主張するわけではありません。救いや浄土が実体としてあるかどうか、そんなものはもとより人間が知りえぬことだし、人間の思慮・はからいに属するものではない、すくなくともおれは知らぬ、と言うのみです。
 
 そのうえで、専修念仏をみずからの教えとしているはずの親鸞は、『歎異抄』でつぎのように言っています。念仏が自己目的化してしまうとき、念仏が「自力」に転化してしまう危険を親鸞は考えていたのでしょう、念仏さえ相対化してしまいます。さらに最後は自分の信者たちをもつきはなしてしまいます。


 「念仏はほんとうに浄土に生まれる種であるのだろうか、また地獄に堕ちるような業であるのだろうか、そういうことはあずかり知らぬことです[念仏はまことに浄土にむまるるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべらん、そうじて存知せざるなり]」
 「このうえは、念仏をえらびとって信じるのも、また棄ててしまうのも、ひとりひとりがめいめいに考えればいいことです[このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおんはからひなり]」と。
 「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたずさふらふ」と。


 「面々のおんはからひ」、すなわち〈信〉じるも〈信〉じないもめいめいがそれぞれに考えればいいこと――ここには、教団教派にとどまらず、みずから立てようとする宗教そのものを解体してしまいそうな契機さえあります(これを指して吉本は「最後の親鸞」と呼んでいます)。
 のちに真宗教団(本願寺教団)中興の祖である蓮如が、この書を、封印するかのような措置をとったのもむべなるかな、というところです。


 (なお、ここまで評者は、「親鸞は…」と書いてきましたが、あくまでそれは『歎異抄』のなかの(ある一面の)親鸞というべきものです)


 親鸞が説いている絶対他力は、よくいわれるように、キリスト教のカルヴィニズムの、救いは人間の「はからい」つまり「自力」でどうにかなるものではなく神の恩寵しだいという救霊予定説に似ていることは似ていますが、弥陀の本願はしかし、そこに選別はなく、衆生いっさいを救うものであるはずです。また、親鸞自身が、念仏によってほんとうに浄土へ生まれるのかどうかはわからないが、どういう修行もできぬ凡俗の身である以上もとより地獄堕ちが必定であるなら、弥陀の本願を信じ念仏に賭ける(親鸞はもちろん「賭ける」ということばを使っていませんが)ことを選ぶ、と言っているのは、キリスト教の神の存在への〈信〉をめぐるパスカルの〈賭け〉にいくらか似るところがあります。


 キリスト教の聖書であれ仏教の仏典であれ、宗教の聖典というものは、非-信者にとって(そしておそらく信者にとってさえも)けっして理解しやすいものではありません。


 新約聖書にある、たとえば「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」、「あなたの頬を打つ者があれば、もう一方の頬もさしだせ」というイエスのことばも、そのまま受けとれば、人間の生理に逆らう実行不可能な教えにしかみえませんし、ほんとうにそれを守って実践しているひとがいるとも思えません、もしいたとしても、そんな人はかえって人間らしく見えず、むしろ気味悪く思うばかりです。
 (もちろん、上のイエスのことばは、神の愛こそが「頬を打つ者があれば、もう一方の頬もさしだす」そういう愛のありかたをするものであること、そういう神の人への無際限の愛のありかたにならって人は人への無際限の愛(隣人愛)でもって生きよ、と解釈されたりするのでしょうけど。また、多くの宗教の教えというのは、こうして人間の生理とは逆立する、人間に実行不可能なことを高く掲げることで、人間の倫理を高く引き上げていこうとしているのかもしれません。あるいはべつの見方をすると、宗教というのは、まずは人間の常識的なものの見方を根本から揺さぶり、それを完全に打ち砕く衝撃的なことばでもって、人間をひれ伏せさせ、人間を圧倒的な無力の状態におく――そういうことをするのでしょうね。『歎異抄』のなかの親鸞のことばもある意味そういうところがあります。まあついでにいえば、(一部の)自己啓発セミナーとか新人社員研修とかでも、おそらくこの種の手法がつかわれているのではないかと思えます)。


 吉本隆明は、人間の生理と倫理が逆立しあうことのあるこのような宗教というものにつよい関心をもってきた批評家であり、ふつうに読んでもよくわからない宗教書の本質について深い洞察をめぐらしてきた思想家です。
 本書も、『歎異抄』が、宗教を生みだすと同時に解体してしまうような、おそるべき宗教書であること、あるいは端的に『歎異抄』のなかの親鸞のすごさ、法外さというものをほんとうによくわからせてくれます。


 なお、『歎異抄』は、唯円が親鸞の話したことばを記録した書ということになっていて、親鸞が直接自分の手で書いたものではないため、『歎異抄』のなかの親鸞の教説に、親鸞自身のものではないものも混じっていることが研究者によって指摘されています。
 親鸞自身が書いたものでない以上、ありうることです。
 しかし、唯円がつくりあげた親鸞の一面があるにせよないにせよ、評者にはまあそのようなことはどうでもよく、やはり『歎異抄』のなかの親鸞は、比類なき、他に隔絶した超⁃宗教家であることに変わりはありません。




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 引用は以上です。
 「かつてマルクス主義を教導しながら、高度成長でニホンが豊かになるや、一転して80年代バブルを享受し謳歌した吉本さんの倫理性」というぼくの拘りに即して敷衍するならば、「揺るぎない信念なんてものを解体して、禁欲からも解放され、旨いものを食い、いい服を着て、しぜんな欲望のままに生を送ることを全面的に肯定する」思想家として吉本さんは親鸞さんを解釈したということになります。そしてもちろんそれはたんなる自堕落ってことではなくて、じつはそのこと自体が救いになりうるっていうか、そのことの中にしか救いはないんだぞってことですね。そしてぼく自身、この考えにはとても惹かれるのですが、ほんとにそれでいいのかなあ、とお訊きしたかったわけです。


この記事の続き。



20.11.07 akiさんとの対話「吉本隆明と親鸞さん。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/e559595f3be9f171d589dcb601374076










20.11.05 akiさんからのコメントと、ぼくからのご返事「私という現象。あと少し吉本隆明のこと。」

2020-11-05 | 哲学/思想/社会学
「20.10.22 akiさんとの対話。ひきつづき、仏教のこと。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/98c9953412bb5f280e78c72edda94627
 からの続き。





20.11.04
akiさんからのコメント
「お返事になってますかね?」


 こんばんは。akiでございます。
>1週間やそこら、いや別にもっと空いてもぜんぜん構いませんので。
 とのご温言に「そうか」と思ってまったりしているうちに、いつの間にか十日以上が経ってしまいましたw
 いや、このまったりっぷりはとてものことに無常観に裏打ちされた仏法を語る資格などはありませんね。eminusさんはご自身を「野狐禅」とご謙遜でしたが、私こそ落第者です。
 まあそれを踏まえつつ、答えられることは答えることが私の義務かな、ということで、お返事です。<(_ _)>




>こころについて


 eminusさんの言われる「全体の中に還っていく」というのは、「自分は死ねば自分ではなくなる」という意味ならば、現代人には理解しやすいかもしれませんね。今の自分の「こころ」を作っているものも、この肉体と同じく誕生と共にこの世に形を成したものであり、日々変動しつつ、死が来ればこの肉体と共に消滅していく。そのように理解している人は多いだろうと思います。
 我々の心がこの肉体と不可分であることは、現代科学でも明らかになりつつありますし、その意味では西洋哲学にある物心二元論は明らかに間違いでしょう。仏教における「こころ」の捉え方は、物心二元論とは全く違うものだと思います。「唯識学」は私もかじった程度で、本格的に学んだことはなくはっきりしたことは言えませんが・・・。
 唯識においては、肉体ばかりでなくこの世界の存在も「こころ」と不可分のものと見ます。我々は肉体の制約を通して、この世界を「こころ」で見ますから、この肉体、そして「こころ」が無常である限り、その「こころ」で見る世界もまた無常であり、我々はこの世界の真の姿を見ることはできません。そして、死と共に我々が見ているこの世界も消滅します。
 ただし、「私自身」がそれによって消滅し、全くの無に還る、とは仏教では教えていませんね。前回申し上げた「阿頼耶識」という「本当の私」は残って輪廻転生する。そのとき、その人の行ってきた様々な業の力によって、善行を行ってきた人は好い世界へ、悪行を行ってきた人は悪い世界へ転生する。


 親鸞聖人は「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と、「地獄一定」の我が身を告白しています。明らかに「死ねば地獄へ落ちる自分」を吐露しているわけで、「死後も残る私」を想定しなければ意味がない言葉です。


 前回も書いたと思いますが(前々回だったかな?)、「死後も残る私」を認識する力は私たちにはありません。だからそこは理解しづらい。理解しづらいからとりあえずその部分は措いといて、わかる部分のみで親鸞聖人の教えを理解しようとするのでしょう。ただまあ、それは結局「自分の計らい」で仏教を見ていることになり、親鸞聖人の言う「自力の信心」であることには変わりはありませんが。




 ちなみにこれは仏教ではなく仏教に影響を受けた私自身の考えですが、「本当の私」というものが死と共に完全に消滅する(肉体と共にバラバラに分解する・・・など言い方は何でも構いませんが)のであれば、今現に考えている「この私」も実は存在しない、ということになると思います。真理とは永遠不変のものであり、「ある」ことが真理であるならば、「ある」ものが「ない」ものに変化することはあり得ないからです。




>吉本隆明さんの「責任」問題・・・?


 これは親鸞聖人の教えというより、吉本隆明さんの生き方についてどう思うか、とのご質問でよろしいでしょうか?
 その人が経験を重ねる中で、それまで命を賭してでも打ち込んだ信念を放棄して別の生き方を選択することはあり得ることですし、そのことを他人がとやかく言える問題でもないと思います。吉本隆明さんの場合、その「転向」に多少なりとも親鸞聖人の教えが影響を与えたとのことで、そのこと自体はよろしいのではないでしょうか。・・・・てなことをお聞きなわけではない? なんか的外れ感満載ですが、スミマセン。




>「大いなる存在に己を委ねたからとて、やすやすと安寧に陥り、怠惰を貪るのではなく、表向きは穏やかではあっても、内には常に適度の緊張感を保ち、身を慎んで日々を送るべし。」


 これは他力信心の人の心構えとしてはその通りでしょうね。ただし、親鸞聖人が勧められた「真剣な聞法」は、信前の人(すなわち自力信心の人)に対してのものです。また、他力信心の人にとっては、自らそういった心構えを起こすまでもなく、他力信心に引っぱられて常に懴悔と歓喜が起こります。またお礼の念仏も、自ら称えるまでもなく称えさせられる。絶対他力の易行道とはそういうものです。






☆☆☆☆☆☆☆






20.11.05 ぼくからのご返事。
「私という現象。あと少し吉本隆明のこと。」








 米大統領選の帰趨も定まらぬこのタイミングで返事がくるとは思いませんでした(笑)。


 でも「まったり」と無常って、意外と相性よくないですか。「あわてないあわてない。ひと休みひと休み」と昔アニメの一休さんがよく言ってました。


 「思弁的実在論」と「オブジェクト指向存在論」ってのが今の哲学のひとつのトレンドらしいんですよ。で、たぶんこの話はそっちにも関わってくると思うんですよね。つまり、かなり高度であり尖端的でもあると。
 とても大事な話なんで、できるだけ精密にやりたい……のは山々なんだけど、正直、いまは手に余りますね……中国のこと、軍事のことと併せて、しばらく宙づりに……将棋では「指し掛け」っていうんですけど、指し掛けでお願いしたいところです。


 ただ、これは「信仰」とも「唯識論」とも「哲学」とも「科学」とも別に、ぼく個人の意見として述べるんですが、「私」というのは、ほかの森羅万象と同じく「現象」であると考えています。
 「台風」を思い浮かべて頂くとわかりやすい。あれは年に数回来襲して甚大な被害をもたらすもので、そういう意味では紛れもなく実在しており、だからこそ識別のための固有名さえ与えられますが、「台風」という何物かがそこに「在る」わけではない。ありようは、気圧の差によって空気が激しく対流し、そこに力が生まれてるだけなんですね。
 いっぽう、目の前の「パソコン」や「机」や「壁」なんてものは、そんな「空気の動き」に比べればいかにも「実体」に視えますけども、これもまた、仮初めにそういう姿を取っているだけで、いずれ寿命が尽きれば雲散霧消するわけです。
 しかし、だからといってそれらのものがこの宇宙から消え去ってしまったわけではない。ご存じのとおり、「原子」に還元されただけなので。厳密には、「消滅した。」のではなく「変容した。」とでもいうべきでしょう(量子うんぬんの話はややっこしくなるんで置いときます)。
 「私」についてもまったく同じだと思っています。ただ難しいのは、これが「こころ」をもっていること。
 「身体」のほうは、たかだか酸素と炭素と水素と窒素とカルシウムとリンと、あと何がしかの微量元素の寄せ集めなんで、これが「分解する。」というイメージは描きやすい。だけど、「こころ」ってものはそう簡単には片付かない。そう簡単には片付かないように、人類はおそらく発祥以来この方ずっと思考の型を積み上げてきたわけですね。
 がりがりの唯物論者なら、「こころ」なんてのは所詮は「志向性」が高度に複雑化したもので、つまりは原生動物がエサのほうへにじり寄っていくのと変わりがない……その延長線上にあるだけだ……というところでしょうが、ぼくはさすがにそこまでは割り切れない。なにかしら違いがあるはずだ……と考えてます。というのは、人類ってのは「自然」に働きかけて、ごく短期間で回復不能なくらいの変貌をもたらす力をもっているので。そこは他の生物と大きく異なるんじゃないかと思ってるわけです。
 「身体」が消滅ならぬ分解という変容を遂げて、元素となって散らばると共に、「こころ」もまた霧散するでしょう。なにしろ、からだとこころとは不可分なので。そのあとはもう「この私」というアイデンティティーは保ちえないとぼくは考えます。ここはakiさんとは相容れぬところでしょうね。とはいえ、それで「こころ」というものがこの宇宙から消滅してしまうのかといえば、それはそうではない。もはや「この私」ではないけれど、何らかの形っていうか、まあエネルギーとしては留まるのではないか、それでまた、時が満ちれば離合集散ののちまた別の「こころ」となって生を受けるのではないか。あたかも、また洋上のどこかで台風が発生するように。
 そのようなイメージをもっているわけです。






 80年代以降の吉本隆明の身の処し方は、たんに吉本さんひとりのことではなく、戦後日本のテーマでもあるし、さらにいうなら近代日本のテーマでもあるし、思いきって言うなら日本思想史のテーマですらあります。
 吉本さんは敗戦のあと自分なりの姿勢でマルクスとずっと向き合ってきて、その立場から戦後の日本に批判的なスタンスを取ってきました。確たる一神教の伝統をもたない日本の少なからぬ数の知識人たちにとって(浄土真宗はわりあいに一神教的なところがあるとぼくは感じますが)、マルクス主義は、大正~戦後の一時期においてほぼ「唯一神」に近い信奉の対象であったわけです。
 さすがに今はごく少数派になっているでしょうが、80年代にはまだ、「ニホンの豊かさは自国の貧困層や海外の発展途上国の労働者からの収奪によるものだ。こんなものに浮かれるなどとは言語道断なり。」というようなことをいう左翼のひともいたわけです。そんななかで吉本さんは、前に書いた通り目いっぱい「バブル」を享受し、「うむ。これでいいのだ。」といわんばかりに謳歌しました。
 いうならば、それまでの信念を打ち捨てて、「自然(じねん)」に身を任せたわけですね。そのような際に拠り所にしたのが親鸞であったと。ここはぼくとしてもどこまで言葉にしてよいか迷うんですけども、それはつまり親鸞さんに甘えたんじゃないかと思うんですよ。それで、これは吉本さんだけのことじゃなく、ぼくみたいな凡夫にとってみても、親鸞さんの教えはそんな「甘え」を許すように聞こえます。そういうことでいいのかなあ、とつねづね疑問に思ってたからお訊きしたんですよね……。
 akiさんのおっしゃるような、「他力信心に引っぱられて常に懴悔と歓喜が起こ」るような境地に至らない立場としては、どうしても、甘えた感じになります。とりあえずは、そういうことでもいいんでしょうか。




この記事の続き。
20.11.05 akiさんからのコメントと、ぼくからのご返事02「かなり真面目に仏教の話。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/bd0ac5122e0378512cb9aa4380c4c4a3?fm=entry_awc