ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

『鎌倉殿の13人』における上総広常の描き方について その②

2022-04-21 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽



 誤解のなきよう申し上げておくが、ぼくは第15話『足固めの儀式』にいたく感動したのである。上総広常の誅殺シーンは、大河ドラマ史に残る名場面になったと思う。梶原景時(中村獅童)に斬りつけられてから絶命に至るまでの数分間は、ただ息を呑んで見守るばかりだった。何が起こったのか咄嗟にはわからぬままの驚愕のあと、懐刀を掏り取られていたことに気づいての焦燥、ぶざまに逃げ惑う時の恐慌から、頼朝の来室をみての一瞬の安堵、そして、事の起こりから裏切られて罠に嵌められていたことに気づいての衝撃、さらに義時の涙を眺めやっての微笑まで、佐藤浩市の動きと表情はあたかも眼前に惨劇を見せられるかの如くであった。ほんとうに真に迫っていた。そりゃあ子供も泣き出す道理である。
 「三國連太郎を彷彿とさせた。」といったら、すでにベテランの域に達している佐藤さんには失礼に当たるだろうが、長らくのあいだ、ぼくにとっての三國さんは「日本でいちばん演技のうまい人」だったので、これは自分として最上級の褒め言葉である。三國さんもまた、人間の弱いところ、醜いところを演じた時に異様な迫真力をみせる役者だった。
 涙を流す義時を眺めやっての最後の微笑は、「お前は俺みたいになるなよ。」という広常からのメッセージであろう……との解釈が佐藤さん自身のインタビューとしてNHKの公式に載っていた。このあとの流れから逆算するとそういうことにもなるのだろうが、とりあえずあの場面では、「義時はどうやら事前に今日のことを知ってはいたようだが、企みの最初から加担していたわけではない。」とわかったゆえの微笑ではないかとぼくは思う。「ブルータス、お前もか。」ではなかったということである。
 この無惨なシーンのあとが義時の第一子(のちの泰時)誕生の目出度いシーンとなり、その泣き声が「ぶぇい、ぶぇい」と聞こえる演出に続いて、サブタイトル「足固めの儀式」がテロップに出て、そのダブルミーニングが明かされる。怪僧・文覚(市川猿之助)の出まかせを指していた筈の「足固めの儀」が、じつは鎌倉新政権の「足固め」のためのスケープゴートの葬送……「広常粛清という儀式」を意味していたという、戦慄の謎解きである。
 正直ぼくは、これまで三谷幸喜氏のことを、「ニール・サイモンの日本版」くらいに思っていた。「日本版」とはつまり、(失礼を顧みずいえば)「劣化版」ってことである。しかしこの『鎌倉殿の13人』、なかんずく今回の『足固めの儀式』を観て、おおいに認識を改めた。小劇場のご出身だから、組織の中で煮詰まった人間関係の美点と暗部をたっぷりと味わってこられたのだろうか。とにかく「政治」を描ける人である。「政治」の本質を(それこそ小学生にもわかるくらいの)面白いドラマに仕立て上げられる脚本家だ。
 多くの作品が、お花畑のファンタジーでなければ、愚にもつかないコメディーか、悪意だけをむやみに誇張したサイコホラーばかりに偏りがちな令和ニッポンで、この才能は貴重である。
 とはいえぼくも、ひどく怠惰ながらも10数年にわたってブログをやってる身である。そしてこのブログのテーマは「物語論」だ。初めのうちは純文学を扱っていたが、又吉直樹の『火花』騒動によって、純文学の社会に及ぼす訴求力がどうしようもなく衰えていることを逆説的に思い知らされてからは、むしろサブカルチャーに目を向けるようになった。
 「物語論」は、作品そのものの分析が主だが、近頃では「人気を博した物語が社会にどう影響を与えるか?」についても興味がある。いっときアニメに深入りしてたのもそのせいだ。大江健三郎はいうまでもなく、おそらく村上春樹でさえも、大衆的な影響力ではたとえば庵野秀明に及ぶまい。そういった兆候は80年代後期のバブル時代(まだスタジオジブリが発足する前だ)に出てきていたが、ゼロ年代いこう決定的となった。
 すぐれた物語は読む者、観る者の心を動かす。心を動かされた人が多いほど、その物語は幅広く社会を共鳴させる。しかしぼくは、宇野常寛さんみたいな批評家ではないので、当ブログでは「自分が感動した作品」についてしか論じていない。『君の名は。』『宇宙よりも遠い場所』から、「まどマギ」やプリキュアまでをも扱いながら、「エヴァ」を取り上げてないのはそのせいである。エヴァンゲリオンはぼくの琴線に触れてこない(その理由についても分析できるがさすがに脱線が過ぎるので割愛する)。
 だから、冒頭で述べたとおり、ぼくはこの『足固めの儀式』に心を動かされたのだけれど、こんなブログをやってる以上、ただ「感動したッ」「泣けた」「神回」「広常かわいそう」「頼朝許せん」だけで済ませるわけにはいかない。「なぜ自分は感動したのか?」をきちんと分析し、そこから作品の批評へと至らなければならないのである。




 歴史の本にも、広常が誅殺された寿永2年(1183)の終わり頃から鎌倉での御家人たちの結束が固まったことは定説として書かれてある。確かに、そうでなければ京に向けて大軍を発することなどできない。考えてみれば当たり前だが、出兵のたびに豪族たちにいちいち相談して了承を取り付けていては埒が明かない。頼朝が木曽(源)義仲の討伐を命ずるためには、その時までに軍事権を完全に掌握していなければおかしいのである。
 「平家に対抗する旗頭として坂東の豪族たちに担ぎ上げられていた」だけだった頼朝が、名実ともに「坂東武者の棟梁」となったのが何時だったかについては諸説あるが、「イイクニ創ろう鎌倉幕府」の1192年(征夷大将軍に任じられた年)よりも早かったのは間違いない。「名実ともに坂東武者の棟梁になる。」とは、司法・行政上の統治技術としてはさまざまな制度設計があるけれど、その根幹においては「軍事権を完全に掌握する。」ということだ。暗記中心の教科書式のお勉強ではここのところがぼやけてしまう。
 権力の源泉は軍事力である。古今東西、この原則は絶対に不変だ。いまのロシアのウクライナ侵攻を見ても僚かだし、そもそも戦後の我が国がずっとアメリカに服しているのも、戦争に負けて占領され、国内の要所に基地を置かれ(「置いて貰っている」という見方もできるが)、冷戦が始まってからは核の傘に入れて頂いているからである。そんな現実がよく視えないのは、「軍事にまつわることは徹底して忌避する」という戦後ニホンの風潮のせいだ。まあこれについては「現実がそんなふうだから軍事から顔を背けている」というほうが実情に即しているのだろうが、いずれにせよ、現実が視えなくては歴史も視えない。「歴史の授業がつまらない」といわれる理由の一端はこのあたりにもある。
 寿永2年(1183)といえば、義仲が京に兵を進めて平家を都落ちさせた年でもある。このときの「治天の君」は、すなわち京の朝廷の頂点にいたのは、後白河法皇だ。法皇は平家に拉せられるのを恐れて身を隠していたが、「義仲軍迫る」との情報を得て戻ってくる。義仲の入京は7月で、法皇はただちに朝議を開いて勲功を与えるが、その第一位は頼朝、じっさいに兵を率いて平家を追い落とした義仲は第二位だった。
 これは遠く離れた鎌倉からの頼朝の朝廷工作が功を奏した結果で、ざっくりいえば「義仲が軍事をしているあいだに、頼朝は政治をしていた。」ということだ。第14回「都の義仲」でそのあたりが巧みにドラマ化されていた。
 さらに義仲軍は、朝廷が期待した京の治安維持に貢献するどころか、かえって乱暴狼藉をはたらいて法皇の不興を買い、ほかにもあれこれ政治上の衝突があって、関係はどんどん悪化する。ドラマでは「義仲は都の礼儀作法に慣れていないからしくじった。」との面が強調されていたが、それ以上に「都の政治に慣れていなかった」というべきだろう。長引く飢饉で兵糧が手に入らず、兵站が機能しない不運もあった。
 朝廷は軍事力をもたないに等しい。だから清盛と仲違いして平家と敵対したのちの法皇は圧迫されて長らく不遇をかこつ羽目になったし、清盛の没後、義仲が上洛してきた際には歓迎したが、義仲が意のままにならず、結局はまたこちらとも対立するようになると、抵抗(小規模の戦闘)もむなしく幽閉されてしまう。
 しかし朝廷には、古代からの伝統によって培われた「権威」がある。この「権威」が、時の「権力」にお墨付き(認可)を与えて、ここで初めて正当性を付与されるのが日本政治史の特徴なのだ。
 義仲が法皇を幽閉するほど腹を立てた理由の一つは、義仲が平氏追討のため京を離れている隙に、法皇が頼朝に宣旨(せんじ)を与えたからである。これは「寿永二年十月宣旨」としてwikiにも独立の項目が立てられているが、ひとことでいえば頼朝に東国支配の権限を認めたものである。その重要度については専門家のあいだでも意見が分かれているようだが、「鎌倉幕府」の成立へ向けてこの宣旨が大きく与ったことは確かだろう。
 地方の「革命軍事政権」が、中央から認められて、「自治政府」への道を歩みはじめたといってもいいか。
 これが寿永2年10月のこと。ドラマでも、この宣旨を授かっていこう、頼朝を取り巻く体制が変質していったのがわかる。それまでの、いわばアットホームでざっくばらんな雰囲気から、頼朝をトップに頂いて、役員たちをブレーンとして経営戦力を練り、組織全体を動かしていく、一個の「意志決定機関」へと変わっていくわけだ。その変質ぶりを身を以て表しているのが、大泉洋という役者の幅広い演技力である。
 宣旨が下ったのが寿永2年の10月。そして広常誅殺はその2ヶ月後の12月だ。この2つの件が無関係なはずはない。
 その側近グループの中心にいるのが大江広元(栗原英雄)だけど、じつはこのドラマの広元は少し史実とは違う。しかしそれを言い出すとキリがないので先へ進もう。とにかくこの広元がもっとも頼りになる謀臣であり、頼朝の知恵袋だ。義時はそのグループの末席に連なってはいるが、まだまだ使い走りである。
 この広元は京から下ってきた下級公家だが、第12回のラストで初登場したさい「鎌倉は安泰です。ただ、一つだけ気になることが……」と述べていた。ここでの引きがひどく思わせぶりだったため、ネットでも憶測を呼んでいたようだが、その「気がかり」こそが上総広常の存在だったと、視聴者は15話のあとで思い知らされるわけである。
 おそらく頼朝と広元は、広常の危険性についてじっくりと検討し、彼を粛清することのメリットを計算して謀殺を決め、その方法についても綿密に計画を練りあげたのだろう。そのことは義時はもちちん、ほかの御家人たちにも一切知らされていない。側近グループに近い位置にいた比企能員(佐藤二朗)や梶原景時でさえ知らなかったことは15話で明示されていた。ましてや、このたびのクーデター(謀反)に加わった御家人たちが知る由もない。
 14話と15話では、表向きのストーリーの裏側で、そんな陰謀が進行していた。知らないのは彼らだけではない。視聴者もまた同じである。いわば義時たちとわれわれ視聴者とはまったく同じ「蚊帳の外」に置かれていた。だからこそ、15話の後半での「あれよあれよ」の展開があれほどショッキングだったし、その不条理なまでの理不尽さによって、われわれは心を激しく揺さぶられたのだ。
 ……しかし、だ。たしかにあの作劇は、ドラマの運びとしては誠に巧いのだけれども、「軍事力」というキーコンセプトに即して考えたばあい、どうしても無理がある。
 前回の末尾で、
「これはドラマとしては大成功といえる。しかし、ロジックからすると相当に無理がある。反則すれすれ、といってもいいかもしれない。」
 と述べたのはそのことだ。




 すでにあちこちで指摘されているが、14話・15話で描かれたあのクーデター未遂騒動は完全なるフィクションである。じつは吾妻鏡には広常誅殺のことがまったく記されていないらしいが、そもそも、あれほど大切なことが目白押しだった寿永2年に、鎌倉政権の中でどのような事態が起こっていたのか、はなはだ記述が薄いらしいのだ。
 これについてはぼく自身、吾妻鏡の原テキストに当たったことがないので、「らしい」「らしい」と伝聞調にならざるをえないわけだが、北条氏の強い影響下に編まれた幕府の「正史」たる吾妻鏡に寿永2年の記述が薄いのは、「よほど表沙汰にしにくいことが多かったのではないか。」とする専門家もおり、ぼくもその説に同調する。
 いずれにせよ、ドラマでのクーデター騒ぎが三谷オリジナルの創作なのは間違いない。たとえば中公文庫や講談社学術文庫の『日本の歴史』にも、その他の概説書にも、そんな事件は記されていなし、さらには誰かの歴史小説でも、もしくは過去の大河などでも、描かれたことはない。
 御家人たちが糾合して頼朝を追放し、義仲の子息・義高をかついでの反乱を画策するなんて、いかにも無理がありすぎる。ただ、京に攻め上った義仲の勢力が一時は大いに盛んだったために、御家人たちにかなりの動揺が走っていたこと、また、朝廷との距離の取り方をめぐって(つまり東国経営だけに専念するのか、中央の政局に本格的にかかわるのか)頼朝と御家人たちとの間に路線対立が生じていたということはあり、そのあたりを三谷氏はああいうかたちでエピソード化したわけだ。
 けれど、よく考えてみれば、それまで頼朝を支えてきた有力御家人の大半が敵に回ったあの状態で、頼朝があんなに強い態度に出られるわけがないではないか。ようするに、あのとき軍事権は誰にあったのか、ということだ。京の義仲に向けて(じつは史実では、このころ頼朝は他にも派兵をしているのだが)義経を先発させているのだから、頼朝の命によって動かせる軍勢があったのは間違いない。しかしそのいっぽう、御家人たちもまだ手勢をもっていたはずである。そうでなければクーデター計画自体が成り立たない。ここに齟齬が生じている。
 もちろんぼくは、あのエピソードが史実から離れたオリジナルの創作であることを問題にしているのではない。そこは一向に構わないのだけれど、ひとつのフィクションとして見ても、内的なロジックそのものが破綻しているということだ。
 具体的にいうなら、頼朝は、彼らのあいだに根回しをして、相応の見返りを提示し、幾人かの御家人たちをあらかじめ手なずけておかねばおかしい。そんな下準備もなしに、それまで御家人たちを抑えてくれていた広常をあのようなかたちで誅殺したら、かえって危険だし、いっそうの反撥を喰らって政権基盤が根底から揺らぎかねないではないか。
 ここは専門家の間でも定説がないようだからぼくの推測としていうが、じっさいの広常誅殺は、かなり周到な根回しと裏工作のもとに行われたはずだ。ドラマでの頼朝は、「上総介の領地は一同に分け与える。」と言い放っていたが、所領ってのはおいそれと分割できるものではない。史実では、亡き広常(彼には嫡男がいたが、こちらも自害させられた)の領地は房総半島のライバル千葉常胤(ドラマでの配役は岡本信人)の千葉氏と、あと三浦氏との両家によって継承されている。少なくともこれらの両家は、広常暗殺を事前に知らされ、黙認していたはずだとぼくは考える。
 そしてもちろん、じっさいの広常は、あんな愛すべき好漢ではなく、頼朝のマブダチになりうるような良い奴でもなくて、坂東武者を代表して、正面から頼朝とぶつかるのも辞さぬ硬骨の武将だったのであろう。
 とはいえ当然、こういったこともぜんぶ三谷氏は承知のうえだろう。多少の齟齬には目をつぶっても、ドラマとしての鮮烈さと、人間なるものの深淵とを追い求めるのが優れた作家というものだ。反則すれすれとはいいながら、ロジックを弾き飛ばしてでもあのシナリオを仕上げたことで、あんな「神回」が生まれたわけだし、佐藤浩市の凄い名演を観ることができた。だから本当はなにも難じるつもりはないのだけれど、それでもやっぱりこのようなものを書いてしまわずにいられないのは、ぼくがどこまでも「物語」と、物語が社会に及ぼす影響とにこだわっているせいである。






『鎌倉殿の13人』における上総広常の描き方について その①

2022-04-19 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽





 佐藤浩市演じる「上総広常」は、群を抜いて魅力的だったので、第15話『足固めの儀式』での謀殺シーンは多くの視聴者にショックを与えたようだ。放映直後のタイムラインを見ていたら、「小学生の子供が泣き止まないんですけど。」といったツイートがあって、そういえば自分も幼いころ、両親の脇でドラマを観ていて、筋立てはよくわからぬし、役名も俳優じしんの名前もあやふやながら、何となく好感を抱いていたキャラが悲惨な最期を迎える場面で、いたく混乱した記憶があるな……と、微かな痛みと共に思い返した。
 むろん深甚なショックを受けたのは子供ばかりではなく、「明日からまた仕事だってのに、なんて気分にさせてくれるんだ。」とか「よし、5月になったら上総広常の墓参りに行く!」とか「それにつけても頼朝はありえん。許すまじ。」「広常ロス。」といったツイートもみられ、かなり騒然となっていた。これほどに視聴者の心を揺さぶるとは、脚本の三谷幸喜、スタッフの皆さん、そしてもちろん佐藤さんをはじめ、主演の小栗旬も、頼朝役の大泉洋も、「冥利に尽きる。」というやつだろう。いかにもSNS時代の大河ではある。
 ぼくは父君の三國連太郎の大ファンだったが、佐藤浩市はこれまで好きでも嫌いでもなかった。記憶に残っているのは、映画では、デビュウ間もない頃の『道頓堀川』(1982/昭和57)……これは映画館で観た……と、あとは『亡国のイージス』『のぼうの城』『KT』『清須会議』『Fukushima 50』『あなたへ』、あとは父の三國と本格的に初共演した『美味しんぼ』……この7本はテレビ放映で観た……くらいか。
 テレビドラマではなんといっても同じ三谷脚本での大河『新選組!』(2004/平成16)の芹沢鴨だけど、これもドラマが序盤から中盤に差し掛かるところで組織全体の「足固め」のために暗殺される役どころで、今作のキャスティング発表の時から話題になっていた。むろん、たんに組織の地盤固めだけでなく、新選組のばあいは沖田総司(藤原竜也)、今回の「鎌倉殿」では小四郎こと北条義時と、「その殺害に加担することによって後進の少年が大人へと脱皮する契機を作る」という役回りを担っている点が物語論的には重要なのである。
 総司のほうは実際に自らが刀を振るって事に及んだのに対し、今回の小四郎は頼朝とその謀臣・大江広元(栗原英雄)によって巧く操られただけだが、事後的に計画を知らされてから容認したわけだから、「謀殺に加担した」には違いない。
 前回の記事でふれた『草燃える』(1979/昭和54)は、永井路子の一連の「鎌倉もの」が原作で、岩下志麻演じる政子を中心に、鎌倉幕府の草創期から、承久の乱の少し後までを扱っていた。『鎌倉殿の13人』は……大胆な言い方をするならば……その放送当時18歳だった三谷さんによる、『草燃える』の才気あふれるリメイクといえる。
 『草燃える』で義時を演じていたのはこのたび平清盛役をやっていた松平健で、義時を中心にみるならば、あのドラマは、
「事情がよく分からないまま周囲に巻き込まれて『革命』に加わった坂東の純朴な若者が、稀代の政治家・源頼朝(石坂浩二)に側近として仕えて『政治の何たるか』を身を以て知り、自らも政争をくぐり抜けていくうちに、だんだんと人格が変わっていき、やがて老練・冷酷な独裁者となって次々と政敵を粛清していく話」
 であった(その「政敵」には実父の時政も含まれる。さすがに命までは取らないが)。
 いっぽうの政子は、政治向きには疎く、ひたむきに身内を愛する女性として描かれていた。そんな政子が、長女・長男・次男(・次女)ら全てに非業のかたちで先立たれるから悲劇性が際立つわけだ。
 ぼくが前回「政治と権力の魔性」という言い方をしたのはこの義時のことで、その人格の変貌ぶりが鮮烈だった。なお前作の『黄金の日日』でその人格変貌を見事に演じたのは秀吉役の緒形拳だ。権力はひとを怪物へと変える。それが独裁であればなおさらだ。だから絶対にいかんのである(これはプーチン大統領のことを念頭において言っているのだが、むろんそれだけではない)。70年代後期の大河はその真理をしっかりドラマ化していた。
 義時は、当年40になろうかという小栗さんが演っているから紛らわしいが、頼朝の「旗挙げ」(じっさいには目代の屋形を夜討ちしただけだが)のさい17、8歳。今でいえば高2か高3くらい。今話のラスト、長男の泰時が誕生した時点でもたかだか21くらいだ。三谷×小栗は、果たしてどんな義時像をつくりあげていくのか。このご時世、あまりSNS界隈を「ドン引き」させるのも得策ではなかろうから、「最愛の妻と子供たちを守るために、感情を殺して表向きはひたすら冷徹にふるまう。」くらいの線であろうか。それならば史実を曲げてまで新垣結衣さんを嫡男・泰時の母にキャスティングしたのも頷ける(正妻役の女優さんは別におられるようだけど)。
 いずれにせよ、盟友・三浦義村(山本耕史。なお義時は最後までこの義村だけとは良い関係を保っていた)が指摘したとおり、義時が「頼朝に似てきている」、すなわち政治権力の恐ろしさを理解し始めているのならば、そして、頼朝の性格を目の当たりにして、この先どんなことをしてでも北条の家を守り抜く決意を抱き始めたとすれば、それはこのたびの広常誅殺~第一子誕生こそがその契機であったのは間違いなく、それゆえの佐藤浩市のキャスティングであったと納得できるわけである。




 それで、その佐藤広常なのだけれども、第7回の「敵か、あるいは」で初登場したさい、父君の三國さんにあまりにもそっくりだったのでまず驚いたのだった。これまで佐藤浩市が三國連太郎に似ていると感じたことはなかった。しかし思えばぼくが初めて三國連太郎という俳優に魅了されたのは1981/昭和56年のオールスタードラマ『関ヶ原』での家康(森繁久彌)の謀臣・本多正信役であり、このとき三國さん58歳。いまの佐藤さんは61歳だから、そういうものなのかもしれない。血は争えぬということだ。
 冒頭でも述べたが、この佐藤版・上総広常はほんとうに魅力的だった。じつはいったん視聴をやめようかと思ってたのだが、この人の登場ののちは日曜の夜が楽しみになった。むろん脚本と演者の力が大きいのだが、美術スタッフなども丹精を込めて仕事をしていたように思う。渋めの衣装がじつに似合うのである。
 広常じしんがドラマの中で高言していたとおり、あの時点でキャスティングボードを握っていたのは彼だった。なにしろ頼朝は石橋山の合戦で大敗を喫して命からがら小舟で逃げ延びてきた身である。父の義朝ゆかりの豪族たちが少しずつ参集しつつあったとはいえ、房総の地で広常が本気で合戦を挑んでくればまず勝ち目はなかったろう。その大豪族の広常が敵対どころか味方になってくれたおかげで他の豪族も次々と傘下に加わり、頼朝の関東支配がやっと緒についたといえる。広常なくして後の頼朝はなかった。このことは誰よりも頼朝じしんが認めていた。
 それで、ぼくはかねがね「房総半島にあれだけの勢力を誇った広常がなぜ頼朝に加担したのか?」について疑問をもっていたのだが、ドラマ化に併せてあちこちのサイトが特集を組んでくれるおかげで、いろいろ有益な情報を拾えた。こういうところが大河の功徳だ。そのなかで、いちばん得心できたのはこれである。






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源頼朝の危機を救った「両総平氏」 千葉常胤、上総広常【鎌倉殿の13人 満喫リポート】
https://serai.jp/hobby/1063346






上総広常とは、どういう人物なのか。


上総氏は桓武平氏の流れをくむ一族で、平安時代中期に坂東(関東)に根を下ろした坂東八平氏と呼ばれる氏族集団のひとつだ。


広常の祖父にあたる平常晴は、現在の房総半島にあった上総国の権介となった。「介」とは地方行政官である国司の二番目の役職で、「権」は「仮」の意味。つまり律令制における上総国のナンバー2ということになるが、上総国は天皇の息子である親王が国司を務める国(親王任国)だった。親王は任国に赴任はしないので、上総介は上総国の実質的な長官だった。広常の父常澄も上総介を世襲していたようで、広常は3代目の上総権介ということになる。


広常の祖父常晴の兄にあたる平常兼は、下総国の権介を名乗り、下総国千葉郷に拠点を置いた。これが千葉氏のルーツとなる。『鎌倉殿の13人』に登場する千葉常胤(演・岡本信人)は、この常兼の孫にあたる。上総を本拠とする上総氏、下総を本拠とする千葉氏をはじめとする、房総半島に拡がった一族は、両総平氏とも呼ばれた。


(……中略……)


頼朝が挙兵した治承4年(1180)当時、広常は上総氏の家督を継いで、名目的には両総平氏を率いる立場にあったようだが、実際には一族間の争いもあり、両総平氏のなかには、平家と血縁関係にある藤原親正という荘園領主の傘下に走るものもいるなど、その支配は不安定なものだった。


前年の治承3年(1179)には、平清盛が後白河法皇の院政を停止するクーデターを起こしていた(治承三年政変)。実はこの政変が、頼朝の挙兵、そして平家の滅亡に至る争乱の呼び水となった。


できるだけ簡単に説明しよう。清盛は院の影響力を削ぐため、院や院に近い人物が所有していた所領や知行国を取り上げて、のきなみ平家一門や家人たちに分け与えた。知行国主が平家関係者に変わると、坂東にも平家の家人が目代(代官)として派遣される。


平家の家人にとっては都合の良いことだが、そうではない地元の武士層にとっては、自分たちの生活や特権をおびやかす脅威に他ならない。彼らは自らの生存をかけて、平家打倒に立ち上がった。その旗頭としてふさわしい人物が、源頼朝だったのだ。


上総広常の支配する上総にも、波が押し寄せていた。治承3年には平家の有力家人の藤原忠清が上総介に任命されたのだ。藤原忠清は、平家政権に広常の非を訴え、その権限を奪おうとする。広常はすぐに息子の能常を京都に派遣して申し開きをさせたが、平家政権は納得せず、広常を京都に召喚しようとした。


広常と平氏政権は、のっぴきならない対立関係となっていった。しかも、広常の兄で、おそらく広常と家督争いをしたと思われる上総常茂が藤原忠清と連携して、広常から家督を奪い返そうとしていた。


上総広常は、追い詰められていたのだ。


平家政権によって追い詰められていたのは、上総広常だけではなかった。一族の千葉常胤も、藤原親正や平家方の目代に圧迫を受けていた。三浦半島の三浦氏も、平清盛の信頼を背景に相模国全域に支配を広げようとする大庭景親の脅威にさらされていた。


実は、頼朝の舅であり、もっとも信をおくべき相手でもあった北条時政にも、同じような「事情」があった。


かつて伊豆の知行国主は源頼政で、その嫡男仲綱が伊豆守だった。時政はこの頼政に仕える地方官僚だったとされている。ところが、頼政・仲綱親子は、以仁王の挙兵失敗によって滅亡した。彼らに代わり、清盛の義弟にあたる平時忠が伊豆の知行国主となり、時忠嫡男の時兼が伊豆守となったのだ。


そして、伊豆の目代として派遣されたのが、平家家人の山木兼隆だ。伊豆では平家家人である伊東祐親も力を伸ばしていたため、源頼政に仕えていた北条時政は、事実上、追い詰められていたのだ。


北条時政、三浦義明(その子義澄)、そして千葉常胤、上総広常は、旗揚げ期の頼朝を支えた坂東武士の主力ともいうべき面々だが、彼らはみな、平家政権の圧迫によって一族の危機を迎えていた。源氏再興のために平家を討つというのは、スローガンとしては非常に分かりやすい。しかし、その裏には極めて現実的な坂東武士の「事情」があったのだ。






引用ここまで


☆☆☆☆☆☆☆




 つまり、日に日にいや増す平氏の勢力がいよいよ東国にまで及び、土着の坂東武者たちは所領その他の既得権益を脅かされつつあったわけである。それくらい切羽詰まった事情がなければ、いかに貴種とはいえ、一兵ももたない流人の三十男を奉じて自分の命と家の存亡を賭けるはずはないのだ。
 そのあたりの研究は近年ずいぶん進んできているらしく、日本史好きの三谷氏もとうぜん目を通してはいると思うが、しかし、この手の込み入った事情はなかなかドラマに乗せにくい。
 佐藤広常が大泉頼朝に味方した理由は、シンプルに「彼の人柄に惚れ込んだから。」である。もともと興味をもっていたところに、小四郎のけんめいの説得(と、頼朝の天運を認めたこと)で面会する気にはなったが、そのときはまだ「この目で見て、奴が大将の器でないと判断したら討ち取ってその首を平家に差し出してやる。」くらいの気分でおり、わざと約定の刻限に遅参した。しかるに頼朝が、大軍を率いての到着を喜ぶどころか、かえって遅参を叱責したため、その心根に感服して、そこで臣従を誓った。そんな設定になっていた。
 これは当時の状況を知るうえでの基礎的な文献のひとつ『吾妻鏡』の記述なのだが、いかにも芝居がかっている。もともと近代以前の史書に厳密なリアリズムを求めるのは木に縁って魚を求めるようなものではあるが、それにしても脚色がすぎるようである。芝居がかっているということは、ドラマに仕立てやすいということで、このたびの三谷脚本もほぼそのままこのエピソードを生かしたわけだ。
 この初対面のエピソードを最大限に生かしたことで、佐藤浩市演じる上総広常は「情誼に厚い、愛すべき好漢」というキャラクターとなった。頼朝を「佐(すけ)殿」という尊称で呼ぶのが気に入らないと愚痴っているところに三浦義村から「唐では親しき仲間のことを武衛(ぶえい)と呼ぶそうです。」と嘘八百を教えられ(じっさいには武衛とは「兵衛府」のことで、やはり尊称である)、それからはずっと(まさに謀殺されるその瞬間まで)頼朝のことを「武衛、武衛」と親しみを込めて呼び続ける。しかも、一貫してタメ口である(舅の時政ですら「鎌倉殿」と呼んで丁寧語で応対するにも関わらず)。
 それもこれも、頼朝が好きだからこそなのである。従来は、「広常は武力を笠に着て横柄なふるまいが目につき、家臣団の結束を乱していた。」という解釈が専らだった。『草燃える』でも、小松方正(この人は憎々しい悪漢面が売り物の役者さんだった)演じる広常は、ある式典で頼朝を出迎えたとき、一人だけ下馬しなかったし、他のことでもいろいろと盾突いていた。それらも『吾妻鏡』にある有名なエピソードなのだが、このたびの三谷版は、そういった「頼朝に対する尊大さ」を示す逸話を一切採用せず(挑発してきた佐竹秀義や大場景親を一刀のもとに切り捨てるなど、直情ぶりを強調する演出はあったが)、ただただ「頼朝に惚れこみ、そのマブダチのつもりでいる広常」の像をつくった。
 頼朝は広常のその「友情」を利用し、そして裏切って罠に嵌め、政権の「足固め」のためのスケープゴートとして葬り去った。だからこそ、その唐突かつ理不尽な死がこれほど広範囲にショックを与えているのである。
 これはドラマとしては大成功といえる。しかし、ロジックからすると相当に無理がある。反則すれすれ、といってもいいかもしれない。




その②につづく



あらためて文学と向き合うための10作リスト・03 『憐れな人々』

2022-04-16 | あらためて文学と向き合う。
 前々回にしても、べつにウィル・スミスの話なんてどうでもいい……いやどうでもいい訳ではないけども、なにも1回分の記事にするつもりはなかったのに、ちょっとした前振りのつもりで書き始めたら思いのほか長くなってしまって、結局は本題に入れぬままだった。前回の、円安と「鎌倉殿」の話題もそうだ。あくまでも前置きで、それだけで1回分にする気はなかった。落語でいえば、延々とマクラをふって肝心の噺を演らないうちに時間がきちゃったという……。談志の高座じゃねえンだから……。
 ただ、『鎌倉殿の13人』については、1979(昭和54)年の『草燃える』……このドラマは、「権力と政治のもつ魔性」を主題とした作品としてぼくのなかでは前1978年の『黄金の日日』、翌1980年の『獅子の時代』と並んでもっとも印象に残った大河なのだが……との絡みでもう少しいろいろ語ってみたい気持ちはある。菅田将暉演じる義経のひねった造形も興味ぶかいし、また、西田敏行演じる後白河法皇の老獪さは、「日本の皇室は他の国々の王族と違って神代の昔から庶民のことだけを大切に思っている。」などと甘ったるいファンタジーに浸っている昨今の若い人たちにぜひとも見ておいて頂きたい。
 いやいや、この調子ではまたしても本題が疎かになりそうだ。ではここからいきなり、「あらためて文学と向き合うための10作リスト」の続きに行きましょう。
 トルストイとドストエフスキー、この両者はもうロシアがどうこうというより、人類全体の知的遺産と見なして敬意を払うしかない。そのお二人の代表作として、『戦争と平和』と『カラマーゾフの兄弟』。そして近代小説発祥の地・イギリス(連合王国)からジェイン・オースティン『自負と偏見』およびジョージ・エリオット『ミドルマーチ』と2大女性作家の代表作を。そしてフランスからはトルストイにも影響を与えた巨人スタンダールの『赤と黒』。これが前回までのあらすじ。
 というわけで残り5作なのだけれども、ここまではすんなり決まった反面、あとのほうは枠組みを先に作ってそこに当て嵌めていく形になった。つまり、フランスからもう1作を選び、あとはドイツ、アメリカ、そしてわがニッポンと、国別に一人ずつリストアップすることにしたわけだ。
 フランスといえば、定跡からいけばフローベールの『ボヴァリー夫人』だろう。もしくはバルザックから『ゴリオ爺さん』あたりか。しかし今回はあえてどちらも落とした。『ボヴァリー夫人』は教科書ふうの説明としては「科学的に厳密な手法で書かれた近代リアリズム小説の傑作」とされるのだけど、あの蓮實重彥がライフワークとして拘り続けていることからもわかるとおり、じつは小説技法のすべてが詰まった「現代小説の最先端」といっていいほどの凄玉(すごだま)なのである。べつにそんな難しいことを言わずとも、ふつうに鑑賞するつもりで取り上げてもいいのだが、またの機会と致しましょう。
 『ゴリオ爺さん』でもよかったが、今回はあえてユーゴーの『レ・ミゼラブル』を選んだ。ヴィクトル・ユーゴーは19世紀フランスの国民的作家で、生前の名声は他のどの作家をも凌いでいたが、今日の評価としては「通俗的」で、文学史のうえでは格下だとみられている。『レ・ミゼラブル』にしても、ミュージカルや映画だけ観て「知ってるつもり」になってる人も多いだろうが、しかし実際に読んでみるとこれがたいそう面白いのである。ストーリーは波乱万丈、当時の政治的状況や社会風俗もよくわかる。そういう意味ではたしかに通俗的なのではあろうが、まさにその通俗性ゆえに今回リストアップすることにした。





22.04.14 円安とセミの抜け殻。

2022-04-14 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 このところの円安は行き過ぎではないかとぼくは思うが、日銀の経済操作の是非にかんする判断というのはなかなかに高度な知識を要するので、軽々に「黒田(総裁)が悪い。」「なに考えてんだ。」とは言えない。ただ、お気に入りのtwitterを眺めていると(もともと自民党政府に批判的な方々が多いせいもあって)、おおむねみんなそう言っている。
 いっぽう、自民礼賛サイドの上念司氏は、「悪しき円安」という常套句に反論して、「あのさ、為替レートに良いも悪いもないから。日本の場合は望ましいインフレ率を達成しようと政策を動員した結果でしかない。逆に言うと、望ましいインフレ率以上に大事なものがあるならそれを証明して。」とツイートしている。この人は根っからのインフレ推進派だからこういうことを述べるわけだが、しかし、コロナ禍による輸出の低迷・訪日客の激減・資源高や供給網(サプライチェーン)の混乱などが重なって、近年のニッポンにとって円安は以前ほど歓迎されるものではなくなっているし、物価はただでさえ上昇傾向にある。そこへロシアのウクライナ侵攻(によるエネルギー価格高騰)が追い打ちをかけ、コロナ禍が収束する気配も一向にない。こういった不安定要素が積みあがる中で、インフレが決して景気の拡大を保証しないとなると、これはいわゆるスタグフレーション、つまり賃金は上がらず物価だけ上がる、庶民にとってはいちばん痛い状況になるのではないか? という懸念が拭えないんだけど、どうなんだろう。杞憂であればよいのだが。


 『鎌倉殿の13人』は、後の悲劇につながる「仕込み」が着々と埋設されて、三谷幸喜の意地わるな筆がいよいよ冴えわたってきた感じだが、事実上の人質として大姫(頼朝と政子との娘)のもとに婿入りしてきた八代目・市川染五郎演じる木曽(源)義高が「蝉の抜け殻を蒐めるのが趣味」というのは、いかにも三谷さんらしい潤色だと思った。なるほどこういう細部の作り込みがキャラの存在感を際立たせるのだなあ。清水冠者とも呼ばれた義高は、当年17歳の八代目よりもさらに年少で、今でいうなら小学校の5、6年生くらい。そんな子供っぽい嗜好があってもぜんぜん可笑しくはないが、むろんそれだけに留まるものではないだろう。
 古来「蝉の抜け殻」といえば「空蝉」と称され、およそ「儚いもの」の代表とされる。源氏同士の骨肉の争いの中で、わずか12歳かそこらで命を散らす義高じしんの象徴のようでもあるし、もっというなら許嫁の大姫の運命をも示唆しているのかもしれない。この姫、当時たかだか6歳くらいにすぎず、しかも義高と一緒にいたのは1年にも満たぬ間ながら、彼を心底慕っており、義高が横死を遂げたのちは「魂の抜け殻」のようになってしまう。頼朝はなんとか彼女を幸せにしようと、本来の政治構想に反してけんめいに朝廷に媚びを売り、入内まで画策するのだが、その工作もむなしく彼女は20歳にもならない齢で身まかることになる。のちの頼家、実朝の最期はご存じのとおり。つまり政子は3人の子供すべてを非業のかたちで喪うのである。



ウィル・スミスがクリス・ロックをアカデミー賞の場で平手打ちした件について。

2022-04-02 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 いっこうに収束しないどころか次なる波の到来が危ぶまれるコロナ・同じく一向に出口の見えないウクライナ問題・エネルギー価格の高騰による諸物価の上昇・ここにきて顕在化してきたアベノミクスの悪影響(悪しき円安)・頻発する地震・とめどなく負け続ける阪神タイガース、など、これほど明るい話題に乏しい春先というのも記憶にないが、そんななか、町なかを歩いていて、乳飲み子を抱えている若い女性たちを目にすると、「ありがとうございます。」という心持ちになる。思えばぼくの両親にしても、2人とも、太平洋戦争(はっきりいえば日米戦争)のさなかに生まれた。いかに先行きの見えない時代にあっても、子供を産んで育てるという営為の繰り返しがあればこそわれわれは存続してきたわけで、そういう意味でしぜんに感謝の念を覚えるわけである(あの変物のニーチェでさえそんな趣旨の寸言を残している)。
 もちろん、「子供を産んで育てる女性だけが偉い。」とか「そのようなライフスタイルこそが正しい。」といっているわけではないのでその点は誤解なきよう。そもそもぼく個人は両親の出生の結果としてぼく自身がこの世に誕生したことをそれほど感謝しているわけではなく、どちらかというと「ありがた迷惑」に近い気分をもっているのだ。でもそんなことばかり言ってると偏屈イメージが助長される一方だからこれくらいにしておきましょう。
 ウィル・スミスがオスカーの壇上で司会のクリス・ロックの頬を平手打ちした件に関しては、「褒められたことではないが、家族を侮辱から守るためにとった已むに已まれぬ行動」とする日本の世論と、「言語同断。この上なく厳正な対処で臨むべし」とする米国の世論との差が著しい。これにつき、「L.A.在住 映画ジャーナリスト」の肩書をもつ猿渡由紀さんが、東洋経済オンラインに発表された以下の文章がたいへんわかりやすかった。


「ウィル・スミス平手打ち」擁護に見る日米の差
妻の外見へのジョークに対する暴力は愛の証か
https://toyokeizai.net/articles/-/578496



 これを読んでまず意外だったのは、アメリカにおいて「容姿いじり」(猿渡さんはそんな書き方をしていないが)が必ずしもタブーというわけではないらしいことだ。ポリティカル・コレクトネスにうるさいお国柄だから、とくに近年では御法度だろうと思い込んでいた(では米国のコメディアンは主に何で笑いを取っているのだろうと疑問に感じてはいたが)。
 猿渡さんの文章によれば、アメリカ社会で御法度なのは「強者」(これは多数派といってもいいかと思う)が「弱者」(少数派といってもいい)を笑いのネタにすることであり、たとえば白人が黒人(最近は「アフリカ系アメリカ人」と記すことが多いが猿渡さんはあえてこう書いている)をジョークの元にしてはいけないし、ストレートがLGBTQを揶揄するのもいけない。しかし、「権力と富がある人、たとえば政治家やセレブリティーは、思いきりネタにしてもいい。いや、コメディアンからネタにされることを許容できないなら、政治家やセレブリティーになるなと言っていいくらいだ。」(記事『「ウィル・スミス平手打ち」擁護に見る日米の差』本文より)。
 つまり「弱者」(コメディアン)が「強者」(セレブリティー)を笑うのは全然OKであり(というかむしろ奨励されており)、その限りにおいて、素材(ネタ)として「容姿」が引き合いに出されるのもけっして珍しくはない、という話なのである。
(ここで念のため書いておくと、ウィル・スミス、クリス・ロック、ジェイダ・ピンケット・スミスは全員「黒人」である。そして、スミス夫妻は押しも押されもせぬ「セレブ」であるがクリス・ロックは売れっ子とはいえそこまでではない。地位や立場ではスミス夫妻よりも相当落ちる。)
 「弱者」が「強者」を笑うのはOK、というのはよくわかる。だいたい弱者(庶民の代表としての「道化」)が圧倒的強者(王や貴族、聖職者や大富豪など)を笑うというのがジョークってものの本質であり、だから自民党や維新の会にすり寄って(というよりほぼ癒着して)「野党」や「リベラル」を口汚く罵る一部の吉本芸人などはコメディアンの風上にも置けぬ……というよりコメディアンたることを放棄したただの無知で野蛮な政治ゴロでしかない。さすが自由と個性を重んじる国アメリカではそんなことはなく、コメディアンも観客も笑芸の本筋を弁えている、ということだろう(もちろん全員がそうってわけでもないんだろうけど)。
 最前列に座っていたウィル・スミスが憤然と壇上にのぼってクリス・ロックを平手打ちしたのは、隣席に座っていた妻のジェイダ・ピンケット・スミス(女優)に向かって司会のロックが「次回作の『GIジェーン』、楽しみにしてるよ。」とジョークを飛ばしたからである。『GIジェーン』(1997年)は、若い女性が屈強な男性兵士に交じって何から何まで忖度なしの同一条件で過酷な軍隊生活に挑み、苦闘の果てに仲間の兵たちから認められる映画だ。主演を務めたデミ・ムーアの坊主頭が公開当時話題となった。
 ジェイダ・ピンケット・スミスも坊主頭である。ぼくも今回の件でネット検索して写真を見たが、とても似合っており、チャーミングで美しい。ただし問題は、この人はファッションや趣味や何らかの信条に基づいてこのスタイルにしているのではなく、「脱毛に悩んで」仕方なくこの髪型にしている、というところなのである。
 この事実がアメリカの社会で、あるいはアメリカの芸能界においてどれくらい周知されていたのか、そしてクリス・ロックはそのことを知っていたのかどうか、知ったうえでジョークとして口にしたのかどうか、ぼくなどの感覚ではそこがいちばんの主眼であり、それによって判断も大きく変わってくるのだが、猿渡さんはわりとあっさり「クリス・ロックは知らなかった。」と書いておられる。
 クリス・ロック本人はまだ自分の口からその点を明言していないはずなので、猿渡さんが何をソースにそう言っておられるのかは不明なのだが、もし仮に本当に脱毛のことを知らなかったとする。そうなると今度は、「ウィル・スミスはロックが脱毛のことを知らないことを承知していたのか、知らないと承知したうえで平手打ちしたのかどうか?」が新たにまた問題になってくる。
 先にも書いたが、ジェイダ・ピンケット・スミスの坊主頭そのものはとても似合っているのである。だから、クリス・ロックの「GIジェーン」云々は、もし脱毛のことを知らなかったとしたら、「そのヘアスタイルすごく素敵だね。主演級だよね。」という賛辞ともとれる。ウィル・スミスがその文脈を無視してあの挙に出たのであれば、とんだ早とちり野郎ってことにもなりかねぬわけだ。
 ただ、猿渡さんはふれておられぬが、ぼくが他で見た記事では、以前にもクリス・ロックは公の場でスミス夫妻をジョークのネタにしたことがあるそうだ(むろん髪型のことではない。なおその席にはスミス夫妻はいなかったらしい)。つまり、それなりの因縁があるわけだ。だから夫妻ともども何らかの蟠りがあったことは想像できるし、そのうえでの今回の一件となると、「クリス・ロックは知らなかった。」だけで片付けていいかどうかはぼくにはすぐには判断できない。
 しかし、猿渡さんがレポートするところのアメリカの世論に即していえば、じつはそのあたりはさほど重要ではないようである。やはり、「アカデミー賞授賞式」というアメリカ映画界にとって最高の舞台で暴力がふるわれた、という点が「断じて許せない。」という空気になっているようだ。「たかが軽いビンタではないか。」では済まない。やはり暴力であり、蛮行なのである。
 「公衆の面前で妻が侮辱された。」と感じたウィル・スミスは、それではどうすればよかったのか。猿渡さんはこう書く。




 腹が立ったとしても、スミスはそこでぐっと堪え、CM休憩中か授賞式の後、個人的にロックに文句を言うべきだった。あるいは、自分はもうすぐ主演男優賞受賞者として舞台に立つとわかっていたのだから、受賞スピーチの中で、あくまで軽い感じでロックのジョークに抗議し、妻の強さを称えてあげればよかった。




 しかし、「CM休憩中か授賞式の後、個人的にロックに文句を言う」だけでは、ウィル・スミスが感じた「妻への侮辱」を雪ぐことはできないだろう。公衆の面前での侮辱なのだから、それを雪いで名誉を取り戻すのも公衆の面前でなければならない。だから、「受賞スピーチの中で……ロックのジョークに抗議し、妻の強さを称えてあげ」るという方がたぶん100点満点の対応だったと思う。
 あまりに感情が激してそれすら待てなかったというならば、おもむろに立ち上がって、その場で「おいおいクリス、それ洒落になってないよ。俺もジェイダもぜんぜん笑えない。悪いけど撤回してくれよ。」くらい言っておけばよかったと思う。白けて気まずい空気にはなるであろうがそれでもいきなり壇上にのぼっての平手打ちよりは遥かにましだ。これだったら45点くらいだろうか。しかし、「いきなり壇上にのぼっての平手打ち」と、及びそのあとの「4文字ワードを使っての罵倒」は、併せてマイナス120点相当の愚行だったのである(平手打ちのあと席に戻ったスミスは、弁明らしきものを試みるロックに対して「お前のその**ッタレな口で俺の女房の名を呼ぶな!」と言った。イギリスのBBCはそのあいだ放映を中止したらしい)。
 「これは、何重もの意味で、罪深い。」と書く猿渡さんは、スミスの振る舞いによって授賞式がジャックされた格好になり、その後のセレモニーや受賞した俳優・作品の栄誉が台無しになったことを指摘したあと、こう続ける。
 「さらに、人種差別との闘いにも大きく水を差した。アメリカには今も、「黒人は怖い」という偏見を持つ人がいる。そのステレオタイプを崩すべく、多くの黒人が長い年月をかけて努力を積み重ねてきた。/そんなところへ、チャーミングなナイスガイとして知られてきたこの黒人のトップスターが、そこが格式高いアカデミー賞授賞式であることも、全世界に中継されていることも忘れ、たかだかジョークのために、他人を引っ叩いたのだ。/しかも、その後の受賞スピーチで、彼は「愛のためにやった」と自分の行為を正当化している。スミスをヒーローとして崇めてきた黒人の少年たちにそれがどんなメッセージを送るのかを、彼は考えられなかった。好きな女の子が誰かからバカにされたら、暴力で抗議するのが愛の証しなのか?(後略……)」
 なるほど。ウィル・スミスほどの大物になると、「人種のサラダボウル」たる米国にあって、若者や子供をふくむ一般の観客のための規範としてのポジションが求められているわけか。こういう見方は勉強になった。
 ともあれ、「たとえ如何なる理由であろうと、公の場で感情を剥き出しにして暴力をふるう。」こと、しかも「それを愛の名のもとに正当化すること」が非難の的になっているのだ。この厳しさは、いかにも「甘えを許さぬオトナの社会」という気がする。これに比べると日本の反応は情緒的かつ感傷的だ。つまりは甘ったるくて子供っぽい。
 それにしても、こんな雲上人たちの世界でなくとも、軽い気持ちでいったひとことのせいで、傷つけられたり傷ついたり……という経験は誰にでもあるだろう。そこが言葉というもののムツカシサであり、人付き合いってもののムツカシサであり、ひいては人間というもののムツカシサだ。もちろん文学もまたそのムツカシサのなかに在る。