ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

中世について 02 「中世」はいつから始まったか?

2019-09-27 | 歴史・文化
 そもそも西欧史学から借りてきた「中世」なる概念が日本の歴史に当てはまるのか、という議論はまたの機会にいたしましょう。「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」といった区分がほぼそのまま通用するものとして話を進める。


 このうち、「近世」「近代」「現代」はわかりやすい。それぞれ、江戸期、明治維新の前後から太平洋戦争の惨敗まで、そして占領期から高度成長~バブルとその崩壊を経て現在である。むろんそんなにすっぱり截然と切れるもんじゃなく、徳川270年の治世によって涵養された経済や社会や技術のシステムがなければああ易々と(でもないけど)「文明開化」が成し遂げられるはずもない。そういう意味ではすべての時代はいうまでもなく繋がっている。されどおおまかな目安としては十分に機能するとは思う。


 もんだいは、「中世」がどこから始まるかだ。ぼくなんかの学生の頃は頼朝の政権、すなわち鎌倉幕府の開府をもってそう見なすのが標準だった。イイクニ作ろう鎌倉幕府ってやつだけど、1192年は頼朝が征夷大将軍に任じられた年だ。しかし近年の日本史学では「これを以って鎌倉幕府の成立とみるのが妥当か?」との問題が提起され、「頼朝が鎌倉に居を構え、南関東の支配に乗り出した」1180年、「守護・地頭の設置を行った」1185年あたりがふさわしいとされる。他にもいくつか候補はあるが、いずれにせよ1192年よりけっこう早い。つまり実質的な開府はもっと早かったとされているわけだ。


 当時はまだ律令制が生きている。律令制の中での「征夷大将軍」はいわば「東部軍総指令官(それも臨時の)」くらいのものだ。それからほぼ400年のち、家康が江戸に開府した際の「将軍様」よりまだずっと軽い。だからその任命が必ずしも起点にはならないという話なのである。


 さて。開府の起点をどこに置くにせよ、頼朝の政権は紛れもなく「軍事政権」だった。京の朝廷はそのまま置いて、軍事力をバックに、鎌倉の地にもうひとつの「権力の中枢」をつくった。そのためにフル活用したのが、律令制の埒外にある「令外官(りょうげのかん)」というシステムで、そもそも「征夷大将軍」自体が令外官にすぎない。さらに、日々の実務や頻発するトラブルに対処すべく、京の認可を待たずに現地で人材を登用していったわけだ。


 そうなれば勢い律令制は緩んでいくが、ただしこの臨時(だったはず)の軍事政権は、京の公家社会に手を付けぬばかりか、「権威」の源泉としては、ずっと利用しつづけていた。この二重構造は世界史上ほかに類例を求めづらい。あえて言うならヨーロッパにおける歴代のローマ法王と皇帝たちとの関係に近いか……とも思うが、いろいろ条件が違うからここではそれ以上踏み込めない。ともあれ、京と鎌倉、ふたつの場所に政権ができた。そしてこの権力の二重……より正確にいえば多重……構造こそが「中世」のありようであるとするならば、じつはそれは、頼朝の政権よりずっと早くに始まっていたじゃないか、というのが今日の中世史学の見解であるらしい。


 つまり、「鎌倉幕府の開府」をどの時期に置くにせよ、じつはそれすら「日本の中世のはじまり」とは規定できない。近年の日本史学の中世像は、そのようになっているらしい。つまりそれだと清盛の平氏政権や、それに先立つ「武士の台頭」が「古代の末期」に収まってしまうが、その歴史観はおかしいぞ、というわけである。


 では、「中世」はいつから始まったのか。


 むろん研究者によって意見の相違はあるにせよ、「院政期」こそが「中世のはじまり」であるというのが今日の一般的な見解なのだ。院政とは、天皇の父親である院(僧形をしている)が、天皇以上の権限をもって政治を主導することだ。この院のことを「治天の君」と呼ぶ。2012(平成24)年の大河ドラマ『平清盛』では、伊東四朗の白河法皇がおそるべき存在感を放っていた。そののち三上博史の鳥羽法皇、松田翔太の後白河法皇が登場したが、この三人が院政を行っていた時期が「院政期」である。


 白河天皇が譲位して院政を始めたのが1086年だから、もし鎌倉幕府の成立を1180年まで前倒ししても、ほぼ100年も前に「中世」が始まってたんですよ、って話になる。









中世について 01 近ごろ「中世」が面白い。

2019-09-21 | 歴史・文化
 どうも日本の中世は、くっきりした像を描きにくい。ごちゃごちゃしていて、しかも陰惨である。閉塞感が濃いくせに、安定しているのかというとそうではない。常に権力闘争に明け暮れ、隙あらば敵の寝首を掻こうとしている。狭いところで領地を取り合い、小競り合いが絶えない。
 そんなイメージがある。それが500年以上も続くのだ。
 信長が絶大な人気を博すのもわかる。信長が「天下布武」を掲げて四方を平らげていく姿は爽快だ。むろん、じっさいには血みどろの無残絵図だったんだろうけど、スケールが大きく、その先に明快な目標がみえるのでまだ救われるのである。
 桶狭間の戦いで信長が表舞台にあらわれてから、歴史が一挙にわかりやすくなる、という印象は多くの人がもつだろう。そりゃ大河ドラマもこの英傑の周辺をやりたがる道理だ。
 大河のばあい、たいてい舞台となるのは戦国でなければ幕末で、ほかの時代だと視聴率が落ちる。オリンピックだからって近過去などを取り上げたら、かの宮藤官九郎の才筆をもってしても大苦戦、という仕儀にもなる。
 大河ドラマは現代における講談だろう。それでもNHKなんだから、大衆レベルの「歴史観」を醸成するうえで多少の責任がないわけでもない。しかし、人気があるから戦国ばかり取り上げる。そうするとますます他の時代への馴染みが薄くなる、という悪循環で、勿体ない話だと思う。
 ほんとうは、中世ってのは「今へと連なるニッポンの《中身》がつくられた」といわれるとても重要な時期なので、もっともっと色んな形で描かれてよい筈なんだけど。




 今年(2019年)1月から6月までやっていたリメイク版『どろろ』は、信長が活躍する100年ほど前、15世紀後半が舞台だ。どうしてそれが割り出せるのか。
 百鬼丸(と多宝丸)の父・醍醐景光は加賀国の守護・富樫政親の家臣という設定になっている。醍醐景光は架空のキャラだが、富樫政親は実在の大名で、日本史好きにはそれなりに知られた名である。1455年生、1488年没。
 さらに、『どろろ』が応仁の乱いこうを材に取っているのは定説なので、1467年から1488年までの間ということになる。たぶん1480年代にまで絞っていい……とぼくは見ている。
 醍醐景光が富樫の家臣という設定は原作から引き継がれたものだ。原作はなにしろ荒っぽいのであまりアテにはならないが、手塚治虫が加賀の国を背景に据えたのは考えがあってのことだと思う。加賀といえば江戸期(近世)には前田家の領地となって「百万石」を謳われるが、それ以前、それこそ信長の手勢によって滅ぼされるまで、「百姓の持ちたる国のよう」と評されていたからだ。
 その原動力となったのが、加賀の一向一揆である。
 この時世、軍事力を有していたのはけして武門だけではなかった。大きな寺社は僧兵を抱えていたわけだし、信仰を紐帯としての津々浦々に及ぶネットワークという点でいえば、むしろ生半可な守護大名より、宗門のほうが力を持っていたのではないか。
 なにぶん、近世における徳川家のような圧倒的な支配体制ができてないから、いろいろな集団が各地で力を蓄えて競り合っている。そんなパワーが何らかの理由で結集されて迸るのがこの時代の一揆であって、「厳しい年貢の取り立てに耐えかねての止むを得ない蜂起」といった後世のイメージとは違う。むしろ内乱に近いだろう。ほかに山城国一揆(やましろのくにいっき)なんかが知られてるけど、加賀の一向一揆もそれに劣らぬ規模だった。
 領主・富樫政親は城を攻められ、自害に追い込まれた(だからとうぜん醍醐景光も、落命したか、国を追われたんだろう)。そこから天正8年(1580年)まで、100年近くも「百姓の持ちたる国のよう」と呼ばれる時期が続くのである。




 一、其後加州ニ、叉富樫次郎政親、イトコノ安高ト云ヲ取立テ、百姓中合戦シ、利連ニシテ、次郎正親ヲ討取テ、安高ヲ守護トシテヨリ、百姓トリ立テ富樫ニテ候アヒダ、百姓等ノウチツヨク成テ、近年ハ百姓ノ持タル國ノヤウニナリ行キ候コトニテ候
「実悟記拾遺 下」


 ここでの「百姓」は「農民」ではなく、「さまざまな人たち」の含意であり、それも一向一揆というほどだから、その基盤は本願寺の門徒である。だから今日のわれわれが思い浮かべる「民衆の自治」とか「コミューン」とは違う。ただ、学生運動華やかなりし頃に『どろろ』の連載をはじめた手塚さんは、なにぶん少年マンガだし、そんな難しいことは考えず、虐げられた下層の民が「おれたちの国」をつくる……といったくらいの構想だったとぼくは思う。人気がふるわず途中で打ち切られたため、よくわからぬまま終わったが。


 「天下布武」を目指す信長の最大のライバルは、武田信玄でも上杉謙信でも、その他の大名たちでもなく、将軍足利義昭でもなく、正親町天皇でもなく、石山本願寺(あるいは一向一揆)であって、戦国時代でもっとも重要な戦争は石山戦争(石山合戦)だ、というのが日本史学の定説なのだと、『中国化する日本・増補版』(文春文庫)のなかで與那覇潤さんがいっている。しかしこのあたりは教科書でもあまり扱わないし、大河ドラマでも突っ込まない。

 追記) さいきん読んだものの中では、『のぼうの城』で知られる和田竜さんの歴史エンタメ小説『村上海賊の娘』(新潮文庫1~4)が信長軍と本願寺側との確執をわかりやすく描いていて面白かった。












『千と千尋の神隠し』のこと 04 6番目の駅

2019-09-12 | ジブリ
 分別盛り(である筈)の中高年による凶行が相次ぐ昨今、18年前(21世紀最初の年)に提起されたカオナシという表象は、繰り返し巻き返し、いつも何度でも、考察の俎上に乗せられてよい……と思う。たぶん職人的な手堅さでいえば高畑勲さんのほうが上なんだろうけど、じぶんのなかの妄想力を思う存分解放させてこのようなキャラを作り上げてしまう宮崎駿という作家はやはり「天才」と呼ぶに値する。




 さて。そんな天才が描き出した数多の作品の中の数知れぬ名シーンの内で、千尋とカオナシと坊ネズミ(公式名称)とハエドリ(公式名称)の4人(?)が電車に乗って「6番目の駅」こと「沼の底」へと向かうこのシークエンスがぼく個人はいちばん好きである。久石譲氏によるBGMの力も大きいが(楽理的には「四度堆積和音」というらしい)、その神秘的なまでの静謐さは、『銀河鉄道の夜』すら彷彿とさせる。「これはなんの暗喩だろう」「なにを象徴してるんだろう」と理性を働かせる前に、心のふかいところで感応してしまう。危ういほどの郷愁に包みこまれる。もともと『千と千尋の神隠し』という作品ぜんたいがそうなのだが、ことにこの電車のシーンは、ぼくたちのからだの底に眠る遠い記憶を凝縮したかのごとき感がある。



 「6番目の駅」はやはり「六道の辻」から来てるんだろうか。だとすれば終点の「中道」は「なかみち」ではなく仏教でいう「中道(ちゅうどう)」の含みを帯びる。あのシルエットみたいな乗客たちや、「沼原」駅に佇んで電車を見送っている少女のイメージなどとも併せ、あの道行から「死出の旅」を連想しないのは難しい。「行ったきりで帰ってこない」のであれば尚更だ。八百万の神々の集うあの温泉街がすでにして「異界」であったのに、そこからさらに深い処へと千尋は向かうわけである。「千と千尋」の作品世界はなかなかに複雑な構造をもっている。





 リンが千尋を盥(たらい)の舟で駅(「船着き場」という感じだが)まで送ってくれ、「お前のこと鈍くさいって言ったけど、取り消すぞーっ」の名台詞を吐いて、名曲「6番目の駅」がはじまり、千尋が坊ネズミ、ハエドリ、そしてカオナシを連れて乗り込む。水平線まで広がる景色が美しい。その景色も、少しずつ日が暮れると共に他の乗客が降りていき、ぽつんと座席に取り残されて、夜の底を走る車窓にネオンサインが流れ去っていく様子も、ぼく自身、かつて確かに幼い頃の夏休みに見た……気がしてならない。




 この鉄道は海原電鉄というらしい。「千と千尋の神隠し 6番目の駅」で検索をかけて上位にくる「海原電鉄(うなばらでんてつ)とは 【ピクシブ百科事典】 」によると、


踏切の通過シーンや線路を映したシーンから数学的に計算すると、海原電鉄の運行速度はおよそ60km/hであり、さらに千尋が油屋駅を午後1時に出発し、沼の底駅に午後7時に到着したと仮定したら一駅区間は60km、油屋から沼の底まで360kmほどの長大な路線であることが伺える。ちなみに360kmは東京から京都ほどの距離。


 とのこと。
 このシークエンスは進行方向をひたむきに見つめる千尋の横顔のアップでいったん切れるが、その間ほぼ3分50秒足らず。ここだけ切り取って「環境ビデオ」として繰り返し見ても飽きぬだろうなあ。べつにわざわざそんなことやらないけれども。






 このあとカメラはいったん油屋に戻り、ハクと湯婆婆との対峙を映す。絶大な魔力を誇る湯婆婆が、砂金がただの土くれに過ぎぬことはおろか、最愛の息子(?)である坊が入れ替わっていることにすら気づかない。これはラスト間際で千尋が「この中に両親はいない」ことを一目で看破するのと対をなしている。ただし、このあとの展開は率直にいってバタバタである。千尋たち一行が「沼の底」に着いた時には辺りはもう暗いのだが、本来ならば最難関であるはずのこのお詫び行脚が、拍子抜けするほど簡単に運ぶからだ。それは銭婆のキャラの豹変による。




 形代に宿って油屋までハクを追っかけてきた時の銭婆は、そのままハクを殺しかねない剣幕だったのに、今はもう、打って変わって、歩くランプを案内に寄こすほど親切だし、印鑑を返して詫びを入れる千尋を呵々大笑(かかたいしょう)してあっさり許す。カオナシにもとことん寛容で、同居人として受け入れてしまう。『千と千尋の神隠し』は古今東西のたくさんのファンタジーの要素を詰め込んだ作品と宮崎監督じしんがパンフレットでも言ってるけども、ここでの銭婆はグリム童話の「ホレおばさん」を彷彿(ほうふつ)とさせる。ホレおばさんは生意気な子、怠け者の子、平気で嘘をつく子などには徹底して残酷だけど、心根がきれいで善良な子にはあくまで優しい。ちょっと戦慄的なくらいの二面性をもつのだ。ああいうのは一神教的だなあと思う。


 それからハクが白龍の姿で迎えにきて、自らの本当の名(ニギハヤミコハクヌシ……「饒速水小白主」という字を当てる説が有力だ)と、かつて千尋と結んだ深い縁(えにし)を思い出すことで、ふたたび人間の姿に戻る。物語の定型としては、異形の姿に変えられた者が辛苦のあげく人間の姿を取り戻すところで大団円となるので、わりと手軽に自分の意志で龍→人間に往還できるっぽいハクの属性はいささか緊張感に欠けるようである。坊および千尋の両親も元の姿に戻るが、そちらも「付け足し」の感があり、まるでカタルシスを覚えない。主眼はむしろ「幼少期の記憶が二人を救う」ところにあるようだ。


 この「幼少期(あるいは前世)の記憶が二人を救う」というモティーフは次作『ハウルの動く城』へと受け継がれるわけだし、なんなら『君の名は。』にも影響を与えているといってもいいのだけれど、奔騰するイメージや、カオナシという突出したキャラや、郷愁に満ちたディテール(細部)によって素晴らしい作品に仕上がっていた『千と千尋の神隠し』に比べて、「ハウル」のほうはとかく破綻が目について、「巨匠の迷走」を思わせるものとなっていた。残念なことである。


















 



『千と千尋の神隠し』のこと 03 ハクとカオナシ

2019-09-04 | ジブリ


 追記)2020.09.25
 サブカル批評の草分けの一人で、今やyoutuberとしても名を馳せる岡田斗司夫氏が、「ハクはじつは千尋の兄だった。」なる新説を唱えて界隈で話題をまいているようだ。幼い千尋が川で溺れたさいに彼女を助け、代わりに流されてしまった実兄。その魂魄が「神」に成り切れぬままあの世界に留まっているのがハクであるというわけだ。なるほど確かにそう考えると腑に落ちることも少なくないが、自分なりにこの説を検証するには改めて作品を見返さねばならず、当面はその時間がないのでこの件は自分としては保留としたい。とりあえずここでは、従来どおり「千尋が幼いころに溺れかけて、そのあと埋め立てられてしまった川の主」がハクなのだという見解に従って話を進める。


☆☆☆☆☆☆☆


 というわけで第3回は、みんなのアイドル・ハクとカオナシでございます。いや美少年ハクと不気味なカオナシを一緒にするなと言われるだろうが、「物語論」の見地からいえばこの両者、じつは極めて酷似した構造をもっているのだ。



 まず、どちらも最初に千尋を助ける。ハクについては見やすいであろう。彼の助力と助言がなければ千尋は湯婆婆のもとで働くことができず、ニワトリにでもされていただろう(パンフレットの中の宮崎監督の発言から)し、そもそも体が透けてあのまま消滅していただろう。あの異世界に千尋が居場所を見つけて生き延びるうえで、ハクはなくてはならぬ大恩人である。








 カオナシは、千尋がハクに連れられ油屋に向かって橋を渡るシーンで初登場する。ここで彼女は息を止めているため神々や他の従業員(蛙たち)からは見えないのだが、カオナシだけはじっと彼女を見送っている。つまりこの時点では、ハクとカオナシだけが千尋のことを認識できていたってことになる。そのあと雨中で庭に佇んでいたところを(千尋を追ってきたのであろう)、彼女に招き入れられて、油屋に足を(?)踏み入れる。




 この直後にたまたまオクサレサマ(じつは名のある川の主)騒動が起きる。これは千尋にとっての事実上の初仕事であり、そこで彼女はオクサレサマの浄化に貢献することで一躍株を上げるのだが、これにはもとより千尋自身の献身もあったにせよ、カオナシが番台から「薬湯」の札をくすねてどっさりと渡してくれたことが大きく与っていた。あの大量の札がなければ浄化は叶わなかったはずで、つまりカオナシも彼なりの仕方で千尋をいちどは助けているのだ(だから千尋も、あとで会ったとき「あの時はありがとうございます。」と、きちんと礼を言っている)。




 そこで「砂金」の威力を目の当たりにしたカオナシは徐々に異形化し、増長していく。ひとびとの内にある「欲望」を喚起し、それを弄ぶことで、周りの者たちを意のままに振り回す術を会得するわけだ。この中盤~後半に向けての展開は当初のプランにはなかったもので、作品づくりが進むにつれてカオナシの存在感が膨れ上がっていった、というのは有名な話である。作品のもつ力そのものが、カオナシというキャラを要請したわけだ。それはあるいは、「時代(あるいは社会)そのものの要請」であったかもしれない。




 これにつき、次作『ハウルの動く城』の公開時(2004年)に、「世に倦む日日」氏が見解を述べていた。この人、政治的に偏向しているように思えて近年は距離を置くようになったが、この2004年当時には毎日ブログを愛読してたのだ。このカオナシ論は今でも秀逸だと思うが、「千と千尋の神隠し カオナシ」で検索をかけても上位に出てくるわけでもなく、ネットの海に沈んだ格好になっているので、そのくだりだけ引用させて頂こう。原文はこちら。




世に倦む日日 『ハウルの動く城』(4) - 暗喩と象徴 
https://critic.exblog.jp/1303839/


 『千と千尋の神隠し』のテレビ広告では、宮崎駿自らが自分の言葉で「みんなの中にもカオナシはいます」とメッセージを投げていた。
 この言葉はインパクトがとても大きくて、映画の中でもカオナシの存在に強烈な衝撃を受けたものだ。作品は全編にいろんな意味と暗喩が宝石箱のように散りばめられていて、物語の中身も深く濃いものが感じられたが、何より見た者が考えるべきはカオナシの意味であり、そこには現代の日本が見事に映し出されていた。他人とコミュニケーションがとれず、金で人を操ろうとして、物事が思いどおりにならないと暴れ狂う幼児的な男。自立性も協調性もなく、感情のまま自己主張を喚き散らす未熟な人間。そういう人間がここ十年ほどの間に世代を超えて増殖していた。それは自分とは無縁な他人事の話ではなく、カオナシ的な状況が社会を――メディアを政治を学校を職場を――侵食し影響を強めていく環境の中で、ひとりひとりがカオナシ的プロトコルに接触、感染し、自己弁護的に言えば免疫抗体を体内生成するように、カオナシと通信するインタフェースを具有しつつあるという実感、すなわち自分もカオナシ化しているという問題の自覚でもあった。
 日本人のカオナシ化。映画を見た者は誰しも同じ思いを持っただろう。カオナシはまさに(名前からしても意味深く)シンボリックな存在であり、われわれは現代の社会状況を語るときに、一言「カオナシ」と言えば、百万語の心理学や社会学の専門用語の動員を省略して、問題の本質を察知したり思考を膨らますことができる。この表現と問題提起は宮崎駿の社会科学的快挙であり、画期的な成功であったと言える。『千と千尋の神隠し』は極端に言えばカオナシの映画だ。カオナシはジブリ作品に精通した宮崎ファンでなくても一般的にその象徴的意味を理解できる。それは日本人だけでなく、世界の人々にも同じだったのではないか。同様の問題状況が社会的に発生しているに違いない。カオナシは諸外国の観客にとって理解不能な日本の特殊なキャラクターではなく、現代世界の問題状況を射抜く普遍的な象徴装置であり、その監督の手腕に世界の人々が感動したのだろう。前作への世界の評価は単にアニメ映像の芸術美や想像力だけではなかったはずだ。




 引用ここまで。いま読むと毒気が強すぎて、あまり同意はできないけれど、ひとつの社会批判として傾聴に値するご意見だと思う。




 さて。カオナシが砂金(ただの土くれであったと後にわかるが)を振り撒いて豪遊しているころ、ハクは湯婆婆の命を受けて「銭婆」の家に忍び込み、魔女の契約印を盗み出そうとしたのが発覚して、紙製の形代の群れに襲われながら逃げ帰ってくる。そのときの彼は龍体であり、痛みのために我を忘れて猛り狂っている。つまりカオナシが千尋に拒絶されて異形化し、やがて暴走を始めるのに先んじて、ハクもまた異形の姿となり、暴走していたわけである。




 そして、この両者を救うことができるのは千尋しかいない。まず階上の湯婆婆の部屋へ行き、銭婆(の魔力の宿った形代)によってあわや殺されようとしている瀕死のハクをかばい、ダストシュートを通って釜爺のいる一階のボイラー室まで墜落する。そこで再び猛り狂う龍体のハクを宥めて、川の主からもらったニガダンゴの半分を食べさせ、契約印と共に呪いの毒虫(見た目はススワタリと変わらぬくらい可愛いが)を吐瀉させることで、ハクを人間の姿に戻し、ひとまずの小康を得る。ちなみに「吐瀉」というのは「千と千尋」のキータームかもしれない。






 千尋がハクに成り代わって銭婆の家まで行き、ふかく謝罪することを決意して釜爺から片道切符を貰ったあと、リンが千尋を呼びに来る。カオナシが従業員(蛙男と蛞蝓女)3人を呑み込むなどして狼藉のあげく、「千を呼べ」といって聞かず、湯婆婆ですら持て余しているというのだ。ハクの助命嘆願のために「恐ろしい魔女」のところに(片道切符で)単身乗り込むという大仕事を控えていながら、自分が招いたことの責任を取るべく、決然としてカオナシのもとに赴く千尋は、すでにここではナウシカにも引けを取らない凛々しき宮崎ヒロインといえる。








 ただ、カオナシのような存在を相手にきちんと対峙して話をしようとする千尋はまことに立派だけれど、ぼくなんかから見れば、やっぱり子どもだなあとも思う。世間には、「ぜったいにコトバの通じない相手」ってものが確実におり、そういう人と何かの間違いで関わりを持ったらこれはもう速やかに逃げ出すよりほか仕様がないのだ。カオナシの本性がそこまで凶悪でもクレイジーでもなかったことは千尋にとって幸いであった。そこはさすがに「家族で見られるファンタジー」である。


 「『千と千尋』はカオナシの映画だ。」という極論にもし従うならば、あの「風神雷神図」みたいな鬼の絵が描かれた大広間で千尋とカオナシが向き合うシーンこそが「全編のクライマックス」ってことにもなろう。まさに「杯盤狼藉(はいばんろうぜき)」という熟語どおりのあの食い散らかしの惨状は、バブル狂乱の宴の果てのようにも視えるし、飽食ニッポンのグロテスクな戯画のようにも視える。その中でカオナシは、手のひらからざらざらと砂金を湧出させて、けんめいに千尋の気を引こうとする。しかもその砂金とて幻が解ければじつはたんなる土くれなのである。


 もとより若い観客たちは千尋とハクとの清純でかわいらしいラブロマンスに心を惹かれるんだろうけど、ある年齢を過ぎた人間にとってはカオナシがどうにも気にかかるのだ。だから千尋がここできっぱりと述べる「私の欲しいものはあなたには出せない。」という言明こそが、全編を通じての随一の名ゼリフってことにもなる。千尋が本当に欲しいもの。それは別のシーンで釜爺(CV・菅原文太)がいう「愛だよ、愛」にほかならない。


 愛とは無償の贈与であり、一切の見返りを求めることなく相手のために為すべきことを為すことだ。物欲を喚起することでしか他人の関心を得られず、しかも執着の対象を「所有」することしか念頭にない(千……欲しい……千……食べたい……)カオナシにそんなもの出せるはずがない。そもそも理解もできないだろう。ゆえに千尋はだんぜん正しいのだが、カオナシからすればこれは手ひどい拒絶にほかならない。当然ながらショックを受けたカオナシは、ここからさらなる暴走を始める。


 千尋は怯えながらもニガダンゴの残り半分をカオナシに呑ませ、そこでカオナシは番頭蛙の「兄役」(CV・小野武彦)と蛞蝓女とを吐瀉して、急速に退縮する。そのあとなおも暴れるが、油屋の外(膝のあたりまで水没している)に出てから最後のひとり(?)の青蛙(CV・我修院達也)を吐き出し、そのあとはもう、気弱で引っ込み思案な感じの、元の姿に戻っていく。



 つまりハクとカオナシは千尋のくれるニガダンゴを結果的にそれぞれ半分ずつ分かち合うわけだし、それによって体内の異物を吐瀉することで平穏な元の姿を取り戻すわけだ。ぼくが「ハクとカオナシとは物語論的構造においてほぼ同一の存在」と述べたのはここのところであり、両者は正面きって向き合うことこそ一度もないが、千尋を介して「光」と「影」の間柄といっていい。シンボルカラーも「白」と「黒」で、わかりやすく対照になっている。



 なお、千尋は「名のある川の主」から貰ったニガダンゴをハクとカオナシのために使い切ってしまうわけだが、あのニガダンゴが「両親を人間の姿へと戻すためのアイテム」ということが作中において明確に定義されないために(とりあえず、千尋がそう思い込んでるだけなのだ)、ハクとカオナシに対する千尋の心情の深さがいまひとつ伝わってこない憾みはある。こういった脚本の瑕疵は他にもいくつか散見される。