ファンタジーは社会性を捨象することで成り立っている。それが児童向けアニメであればなおさらだ。あえてそこに社会的な要素を持ち込み、リアルに考察したらどうなるか。野暮なこととは承知のうえで、ちょっと試みてみたい。
最終話(49話)Bパートは今から15年後の設定らしい。2035年。その時代に日本初の「有人ロケット」計画が遂行されることの意味を考えてみたいのである。ただ、これはぼくたちの暮らすこの世界ではなく、あくまでも「スタプリ」というSFふう児童向けファンタジーアニメの「世界観」の中での話だ。それに、「宇宙開発」に関するぼく自身の知見たるや誠にお粗末なもので、それこそ『宇宙兄弟』から得たていどの知識しかない。それやこれやで、野暮どころか滑稽なことになるやもしれぬけれども、頭の体操ないしは一種の知的(?)ゲームとしてお読みください。
「宇宙開発特別捜査局」に属する香久矢まどかがリーダーとなって推し進め、星奈ひかるがパイロット(のひとり)として搭乗する「日本初の有人ロケット」計画。このふたりが、いわば同志としてタッグを組み、片や国家機関の中枢で、片や現場の最前線で、プロジェクトの立ち上げから推進に至るまで、それぞれに尽力してきたことは想像に難くないけれど、打ち上げの中継でアメリカ合衆国大統領(女性であり非白人でもある)からのお祝いの声明を通訳している天宮えれなもまた、たんに通辞に留まらず、卓抜なコミュニケーション能力を生かして築いた人脈によって対外的にプロジェクトの地固めをしてきたのであろうとぼくは思う。宇宙開発はじつは軍事の領分でもある。技術面での協力関係もさることながら、周到な根回しもなしに、一国だけで軽々に進められるものではない。その貢献あってこその、晴れ舞台での同時通訳なのだろう。
つまりこの3人はプリキュア活動卒業以降、それぞれの夢を着実に追いかけながら、「宇宙に行く。/(ひかるを)宇宙に行かせる。」という一事に向かって力を合わせて邁進してきたわけである。その情熱および連帯感、そこに費やされた努力(むろん彼女たちはそれを楽しんでいたには違いないけれど)に思いを致せば、あの秒読みのシーンがいっそう感慨深くなる。
ところで、ぼくたちの暮らすこの世界においては「国際宇宙ステーション」なるものがあり、たんに「宇宙へ行く。」だけならわざわざ自前のロケットを飛ばさずともそこに滞在する資格を獲得すればよい。たぶん児童向けにわかりやすくした、ということなのであろう。しかし、そこで話を済ませずに、スタプリの世界観に即してあえて深読みするならば、もうひとつの可能性が考えられないか。どうしても日本が独自に宇宙へアプローチをかけねばならぬ理由である。
この手の計画には莫大なコストがかかり、いかにまどかの父君・冬貴氏の総理大臣としてのバックアップがあろうと、生半可なことでは進められるはずがないのである。相応の理由がなければならない。いうまでもなく、ひかる個人の「ララたちに会いたい。」という思いのたけなど、国家レベルの思惑の前では物の数にも入らない。
スタートゥインクル☆プリキュアの世界観(世界設定)においては、宇宙には「宇宙星空連合」なる機関がある。地球における国際連合に相当するもので、一定以上の文明をもつ惑星は基本としてこれに加入することになっている。加入資格については作中では語られずじまいであったが、いずれにしても要件を満たしておらぬようで、地球は未加入なのである。それどころか、何らかの打診すらなくて、その存在を知っているのはかつてプリキュアであったひかるとえれなとまどかだけなのだ。
しかし、まどかと冬貴氏との信頼関係の厚さから見て、おそらくこの現職の総理は「宇宙星空連合」のことを娘から聞き、その存在を確信するに至ったと思われる。のみならず、調査員として長期滞在しているP.P.アブラハム氏(地球での職業は映画監督)と何らかの接触をもったのかもしれない。仮にそうだとするならば、表向きは他の名目を押し立てているにせよ、日本が「初の有人ロケット」を飛ばす真の理由が「いずれ星空連合に加入するためのワンステップ」だということは十分に考えられるのではないか。
むろん現実のニッポンはつねにアメリカの顔色を窺わなければ何もできない国であり(言いすぎかな? まあいいや)、自国だけでそこまでの深慮遠謀を描けるほどの才腕と覚悟を備えたリーダーが現れるはずもないけれど(それこそ中学生女子が変身して敵と戦うくらいありえないことだ)、少なくともこのアニメの世界設定に即すかぎりは、そのような憶測は成り立ちうるとぼくは思う。
じっさい、そうとでも考えなければひかるたちの苦労が報われない。ひかるの乗ったロケットがどこを目指していたかは不明だけれど、現在の科学技術では有人ロケットの到達範囲として想定しうるのはせいぜい火星までであり、それはスタプリの描く2035年でもさほど大差はないはずなのだ。どちらにしても、ララのサマーンやユニのレインボーには行き着けるはずもないのである。それを承知で「自分の力で宇宙に行く。」という約束にそこまで拘るならば、やはり「星空連合」という介在者を措定しないわけにはいかぬのだ。
作中では、覚醒したフワ(結局、声だけで姿は見せないままだった)の不思議な力によって約束は果たされるのだけれど(公式ツイッターによると、「感謝祭プレミアム公演の朗読劇は、再会したひかるたち5人の15年ぶりの同窓会が舞台になります!」とのこと)、そのようなかたちで非科学的な奇跡が起こったのも、ひかるたち3人が熱い想いを失うことなく力を合わせて精進を重ね、自分たちのできるかぎりのことをやったあげくの結果なのだ。だから、「ファンタジーに逃げたな。」という感じはぜんぜんなくて、後味はひたすら爽やかだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f9/77aa3ec1134dc835453ffa70e0087aeb.jpg)
参考画像。ひかるたちの地元であり、本作の主な舞台となった観星町。中央に「P.P.アブラハム」氏がいる。ルックスは、髭を蓄えていた頃のマイケル・ムーア氏にも似ているが、たぶんF.F.コッポラ氏がモデルではないか。じつはこの姿(外殻)はロボットで、本体はトカゲていどの大きさしかなく、内部で操縦している。つまり『メン・イン・ブラック』に出てきたアレである。宇宙星空連合から監視のために派遣された調査員で、数百年に渡って隠れ住んでいたが、百数十年前に地球人が生み出した映画文化に魅了され、ハリウッドで映画監督として活動を続けている