ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

田中慎弥の「共喰い」~オイディプスと王女メディア

2015-05-26 | 純文学って何?
 これは2013年1月24日に発表した記事に手を加えたものです。文中では小説「共喰い」の核心部分およびラストに触れています。つまり、いわゆるネタバレを含んでおりますので、当の作品を未読の方はくれぐれもご注意ください。

☆☆☆☆☆☆☆

 芥川賞の受賞に際し、古風な小説、との世評を見た。なるほど、同時受賞の円城塔と並べて読むと、いっそうその感が強くなる。舞台は昭和63年7月。昭和最後の夏だ。土地の名前は明記されてないが、少なくとも都会ではない。これも多くの世評に倣って、「川辺の田舎町」と荒っぽく呼んでもいいだろう。青山真治監督による映画版は、北九州でロケをしたそうだが、むろん、作家の故郷である下関にも、似たような地域があって不思議ではない。

 古風とは、とりあえずは文体のことか。一読したかぎりでは、いかにも「ニッポンの純文学」の系譜に属する文章ではある。村上春樹を通過した目には、かえって新鮮にすら映る。影響を受けた作家として、田中さんは谷崎、川端、三島の名前を挙げている。源氏物語を五回読んだ、とも述べている。とはいえ、流麗で美しい文章、とは言えない。端正には違いないけれど、どことなく佶屈している。これがこの作家の個性なのだろう。そしてそれは、必ずしも古めかしいばかりではない。

 一本の汚れた川が、冒頭からラストまで、この小説の風土を貫いて流れている。出だしの部分、その川を埋めているさまざまなゴミを描出した中に、「もし乗れたとしても永久に右に曲がることしか出来そうにない壊れた自転車」という一文が見える。こういう言い回しは、やはり平成の感覚だと思う。その次の「折れた骨を檣のように水面から突き出している黒い傘」で「帆柱(ほばしら)」をわざわざ「檣」と書くのは三島調だが、ふだん見かけない異様な漢字が使われているのは、ぼくの見たところここだけだ。平野啓一郎の『月蝕』とは違うのである。

 17歳の男子高校生がいて、一つ年上で別の高校に通う恋人との交情に溺れながら日々を送っている(彼女があまり美人でないことは、主人公の母親が彼にいう台詞から分かる)。彼の住居のすぐ脇を流れるゴミだらけの川は、また下水と海のにおいに満ちてもいる。彼は実の父親およびその内縁の妻と暮らす。実母はひとり、橋の向こうで魚屋を営んでいる。父親が交情のさいに殴りつける悪癖を持つうえ、女癖もひどく悪いため、彼が生まれて間もない時分、耐えかねて出ていったのである。それでも遠くへは行かず、間近でずっと息子を見守り続けている。

 また、母親は空襲で右手を失い、今は義手をつけているのだが、かつてその義手を作ってやったのは父親だった。壊れているようでいて、妙な絆で絡み合っている家族関係とでもいおうか。陰惨というべき情景ながら、しかし、筆致が乾いているために、読み進めるのに苦痛を覚えることはない。

 父は35歳の内縁の妻と夜な夜な性交を重ねるいっぽう、近くのアパートに住む風変わりな女性と交わってもいる。そのいずれに対しても、やはり彼はいつも交情の折りに殴打しているらしい。むしろ、そうしなければ交情ができないらしいのだ。性と暴力の臭いを濃密にまとった父親。成熟したエロスを湛えたその愛人。烈しさと母性とを共に備えた異形の母親。かなり歪(いびつ)にデフォルメされてはいるものの、このオイディプス的な(もしくは、王女メディア的な)煮詰められた関係性もまた、「古風」という形容に値するのかもしれない。

 ただ、いくぶん捻った言い方をすれば、その一見「古風」な構図がかえって新しいともいえる。1972年生まれの田中慎弥は、いまどき珍しい昔気質の文学青年なのかもしれないが、やはり相応にドラマや映画などから影響を受けているとも思えるのである。源氏や谷崎や川端や三島だけでは、このような作品は出てこない。昭和の純文学は、これほど劇的な構成を立てない。もっとぐずぐず日常性に流れていく。登場人物の面々は、これといったカタルシスもないままに、噎せ返るような川のにおいに圧し拉がれるようにして、便々と日々を送ったはずである。だから昭和を舞台に据えてはいても、これは確かに平成の小説なのだ。

 「性」と「暴力」のイメージはまた、母親の商う、あるいは主人公が川で釣りあげる「沙魚」や「鰻」に仮託され、小説のそこここで蠢いてもいる。このあたりの細工も、いかにも「純文学」というべきか。

 「愛」ということばを使うなら、主人公の遠馬と恋人の千種とのあいだに愛はなく、ほぼ情欲だけがある。しかしまあ、十代における性交なんておおむねそんな程度のものなのだし、それを「愛」だと履き違える、というか、自他ともにごまかして目先の快楽を貪るのが十代の性交というものなのだから、リアル世界においては、十代のうちはせいぜい健全なお付き合いをして、あとは勉強したりスポーツしたりして清らかな毎日を過ごすのが結局はいちばん賢明だとぼく個人は思う。ただしこの作品における遠馬には、情欲に溺れるだけの背景がある。千種のほうの事情は描かれてはいない。

 遠馬は中上健次の作中人物がそうであるように、オイディプスの末裔のひとりなのだから、物語の文法に従って、父親の内縁の妻・琴子に暗い情欲を抱いている。必ずしもそれだけではなかろうが、千種を彼女の代替として扱っている節もある。

 そしてこの愛なき関係性は、これも物語の文法にしたがい、父親によって、より暴虐な仕方で反復される。すなわち、父親の円(まどか)はこともあろうに神域(神社の境内)において息子の恋人・千種を襲い、暴行をふるい、犯す(この事件の起こる少し前、自らの妊娠を知った琴子は円に内緒で家を出ている)。事件を聞いた母親の仁子(じんこ)は、息子に代わって、義手と刃物で円を刺し殺し、その屍骸を川へと流す。つまりこれは、オイディプス譚であるとともに、王女メディアの物語の変奏曲でもあるわけだ。

 川に浮かんだ父親の屍骸の描写はさすがに圧巻だ。「男、つまり父の死体の腹には、川辺の者なら誰でも知っている魚屋の女主人の義手が、深々と突き刺さっていた(……)。増水した川を塞いだごみと一緒に海へ向かっていた死体から生えたその奇妙な金属の塔が、川が国道の下へ吸い込まれていく暗渠の入口の天井部分に引っかかっていたために、どうにか海まで流れずに発見された。」

 冒頭部分で見かけた異様な一文字の漢字「檣(ほばしら)」がここで生きてくる。父親の腹から生え出して、彼の海への葬送を拒んだその「奇妙な金属の塔」はどうしても帆柱ではなく「檣」でなくてはならない。それはまたもちろん屹立するペニスでもあろう。オイディプスと王女メディアとが、泥絵具で描かれた劇画チックな風景の中で混じり合う。「母」と「父」とは、息子が女性と交わることのできる年齢に達した今、あらためて、憎しみの果てに激烈な交情をかわしたのだ。だからこそ、かつての夫を刺殺した後で、母親は「鳥居を避ける。」 すなわち、齢60近くになって、「やまっちょったもんが、また始まった」のだ。義手を介して、十数年ぶりに夫と交わり、死へ至らしめたことで、再び女に戻ったのである。
 だから、拘置所に主人公が母親を見舞うラストの三行、

「差し入れ、出来るみたいやけど、ほしいもん、ない?」
「なあんもない。」
 生理用品は拘置所が出してくれるのだろう、と遠馬は思った。


 ……はまさにこれしかないオチなのだ。これを「息子のお前なんぞに生理用品の心配をされる筋合いはねえ!」と茶化している山田詠美選考委員は、作品の核心をきちんと捉えているのか怪しい。また、「戦後間もなく場末の盛り場で流行ったお化け屋敷のショーのように次から次安手でえげつない出し物が続く」と罵倒したあげく、この回を以て委員を辞した石原慎太郎選考委員は、「完全な遊戯」をはじめとするご自身の作品をいまいちど読み返されてはいかがかと思う。






補足・オイディプスとクリュタイムネストラ(初出・2013年1月29日)


 田中慎弥の「共喰い」について書いた前回の記事、こまめに当ブログのトップページを開いて下さっている方はお気づきのことと思うけど、最初は副題が「~オイディプスとエレクトラ」になっていた。投稿の翌日に間違いに気づき、「あわわわ。」などと言いながら、取り急ぎ改めたのだった。精神分析用語で「オイディプス」と対になるのは確かに「エレクトラ」だけど、これはふつう、(それこそオイディプス・コンプレックスの裏返しで)父親を愛する娘が母親に対して抱く憎悪を指すものだとされているから、「共喰い」には当て嵌まらない。「共喰い」に出てくる人物の中で「娘」に該当するのは千種さんくらいだが、彼女の背景はまるで描かれてはいない。あくまであれは、息子・遠馬と母・仁子、そして父・円との物語なのである。

 ぼくとしては、ずっと王女メディアのつもりでいた。草稿を書いている時も、「ホレむかし蜷川幸雄の演出で平幹二朗が女形をやった例のホラあれ。」と頭にイメージを浮かべていたのだ。それがすっかり「エレクトラ」に置換されてしまっているのだから、やっぱ齢は取りたくねえなあという感じなのだが、ただ、メディア・コンプレックスという用語は正式な精神分析用語としては存在しないし、カタカナでたんに「メディア・コンプレックス」などと書いてしまったら、「複合商業施設」みたいな意味に取られそうである。そもそも、ギリシア神話およびギリシア悲劇に出てくる「王女メディア」は、夫の愛人(?)及びその父親と、さらに夫とのあいだに設けた自分自身の二人の子供までをも手にかけてしまう烈婦だけれど、肝心の(?)夫その人には手を下さない。「共喰い」の仁子さんとは、かなりズレがあるのも事実なのだ。

 じつは、このたび気づいたのだが、「夫を殺害する妻」という典型ないし類型が、世界(日本をも含む)文学史の中にすぐには見当たらないのである。これはなんとも不思議なことで(だって、いちばんドラマの題材になりそうじゃないですか)、ひょっとしたら大きな見落としをしているのかもしれないが、いま改めて考えてみても、やっぱり思い浮かばない。マクベス夫人は違うしなあ……。あっ。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のコーラですか? 81年にリメイクされた映画版では、ジェシカ・ラングが演ったやつね? 大胆な描写が当時は話題になりましたが……。だけどあれはなあ……。いや、べつにミステリーだからって別扱いにする気はないけれど、しかしあの原作は1934(昭和9年)に発表されたということなので、いささか重みに欠けるというか……。風俗資料的な用語としてはいいんですよ、まあ「コーラ・コンプレックス」でもね。ただ、精神分析用語となると、もう少しこう、歴史の厚みみたいのが欲しい。民族の、さらに言うなら人類の集合的無意識によって練り上げられた重層的な厚みが不可欠なんですよ。それでこそ、コンプレックス(複合観念)の名に値するわけで。

 安手のミステリーでよく見かける「妻が不倫相手と共謀して夫を殺す」パターンがどうしても薄っぺらになるのは、そこに「子供」が介在しないからだろう。つまり、女と男(と男)の話になってしまって、家庭劇にならない。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は安手のミステリーではないし、そもそも、単純にミステリーと呼んでいいかどうかも疑わしいくらい完成度の高い作品だけど、残念ながら、その点においてはやはりシンプルすぎると言わざるを得ない。「共喰い」の仁子さんの場合、息子オイディプスの代理として、息子の父たる自分の夫を(ペニスの代替物たる義手で以って)刺殺するわけで、しかも昔その義手を作ってくれたのは当の夫であるという、冨澤たけし風に言うならば、「ちょっと何言ってんだか分からない。」ほどの、幾重にも錯綜した関係性を生きている。その複雑さたるや、とてもじゃないけどコーラみたいなちんぴら姐ちゃんの比ではないわけで。

 そこでまた、ぼくの考えは一回りして、エレクトラに戻ってくるのだが、「息子」と「父」「母」との関係性に重点を置いたフロイトに対し、ユングはもっと女性原理に着目し、エレクトラ・コンプレックスなる概念を唱えた。これの元になったのは、アテナイの英雄アガメムノンの娘エレクトラが、父親の仇を討つために、母親とその愛人とを殺したというエピソードだ。エレクトラがそんな挙に出たのは、父アガメムノンがその妻、つまり自分の母親であるクリュタイムネストラに殺害されたからである。しかし、ではクリュタイムネストラが稀代の悪女だったのかと言えば、そんな単純なことでもなくて、もともとクリュタイムネストラには相思相愛の夫タンタロスがいたのだが、彼女の美貌に惹かれた従兄のアガメムノンによって、夫は敵中に置き去りにされ戦死させられたのだった。ほとんど略奪されたようなものである。

 さらに、その亡き前夫との間にもうけた唯一の男児も遺恨を恐れたアガメムノンに殺され、しかも最愛の長女イピゲネイアまで生贄と称してアガメムノンに命を奪われた。このイピゲネイアもまた、一説によれば前夫タンタロスの忘れ形見だったらしい。(このあたり、いろいろと文献によって異同があるので、とりあえず日本版ウィキペディアをほぼ丸写しにしております)。クリュタイムネストラが夫の戦役(トロイ戦争)による不在中に愛人をつくり、その男と共謀して夫アガメムノンを殺すのには、それだけの背景があったのである。

 夫アガメムノンを殺したあと、彼女もまた遺恨を恐れ、実の息子であるオレステスを殺害しようとするのだが、それを阻んだのが次女エレクトラだ。姉弟はミケーネを脱出し、長じてのちに帰還して、母クリュタイムネストラとその愛人を殺害する。殺人が殺人を、復讐が復讐を呼んで骨肉相食む殺伐たるドラマである。オレステスは母殺しの罪によって一時は狂気に陥り放浪するも、やがて回復し、さらなる復讐の血に塗れたあとで、ミケーネに戻って王となる。いやはや。さすがはギリシア悲劇。善悪のスケールが違い過ぎ、もはや何が何だか分からない。なお、エレクトラがその後どうなったのかはぼくは知らない。ちょっと調べたけれども探しきれなかった。

 長々と書いてきたけれど、耳慣れぬ固有名詞の連発にめげずに付き合って下さった方ならお察しのとおり、「夫殺し」というテーマにおいてはエレクトラではなくクリュタイムネストラこそが主人公といえる。息子を殺そうとしてるのだから、やはり「共喰い」の仁子さんとはズレるけれども、「複雑きわまる家庭劇としての夫殺し」という点で言うなら、「王女メディア」よりも「クリュタイムネストラ」のほうがより相応しいようだ。だとすれば、前回の記事の副題は、むしろ「~オイディプスとクリュタイムネストラ」とすべきだったのか? ちょっと長いし、あまり一般受けはしそうにないけど。

 それにしても、「コンプレックス」という概念はじつに多種多様なるものなのだから、「オイディプス」と「エレクトラ」だけに占有させておくのは誠にもったいないことだ。日本では、仏教説話から取って「阿闍世コンプレックス」なる用語が創られたけれど、この手の工夫がもっともっと取り揃えられていて然るべきだと思うのである。たとえば、「ナオミ・コンプレックス」とか「葵の上・コンプレックス」とか「ムラサキ・コンプレックス」とかさ、どうして言わないんだろうと思うよ。



第5回・小川国夫「相良油田」その④

2015-05-25 | 戦後短篇小説再発見

 この「相良油田」が発表されたのは1965(昭和40)年、同人誌「青銅時代」誌上となっている。発表年次と執筆時期とは必ずしも合致しないにせよ、いずれにしても戦後20年近くを経て書かれたのは確かだ。いわゆる昭和ヒトケタに属する作家が敗戦ののちに「民主憲法」のもとで自己形成を果たし、青年や壮年になってから、かつて少年だった自分たちをモデルにフィクションをつくった例としては、みんな知ってる野坂昭如の「火垂るの墓」はもちろん、「飼育」や「芽むしり 仔撃ち」をはじめとする大江健三郎の初期のショッキングな中短編がある。

 ほかにも開高健、古井由吉、井上ひさしなど、枚挙に暇はないけれど、さらにいえば、およそ小説を書く人間で、その試みに手を染めなかったひとはほぼ皆無であろう。戦前および戦中の軍国教育と、敗戦後の民主教育とは180度違う。まさにコペルニクス的転換であって、うちのお父っつぁんみたいな一般ピープルならばいざ知らず、いやしくも作家と名乗るほどの者ならば、その転換に底知れぬ衝撃を受け、それを自らの問題として生涯抱え込まざるを得なかったはずだし、当然ながら創作という形でその問題と格闘せずにはいられなかったはずである。

 小川国夫は昭和2年生まれで、昭和10年生まれの大江さんより大正14年生まれの三島由紀夫に近いんだけど、その文体はこの両者と違ってとにかく淡白なのである。前回の記事でもしつこく強調したとおり、憧れの君「上林先生」の彼氏が海軍士官であることは、浩にとってじつに大変なことなのだが、小川さんはいちいちそんなことを書き込まないので、今どきの若者には(今どきの若者がこの短編を読むとしての話だが)よく伝わらないんじゃないかと思う。けれど、耳目をそばだてさせるような派手さは見受けられないにせよ、やはり小川国夫は小川さんなりのやり方で、戦争という主題に向き合っているのである。

  理科の時間に、彼女から、日本の石油の産地を聞かれた時、浩は、新潟県と秋田県、樺太(からふと)の東海岸、と答えることが出来た。
  それから、
  ――御前崎にも油田があります、とつけ加えた。
  上林先生は例の生まじめな表情になって、一瞬黙った。彼は、微かにだったが、疑われた感じがして、躍起になっていい張りたかった。しかし、口が銹(さ)びついたようで、言葉が出なかった。
  ――御前崎に……そう、先生は知らなかったけど、調べてみますね、と彼女はいった。

 冒頭からの流れで、浩と上林先生との作中における最初のやり取りがこのように描かれる。冒頭の授業風景と同じ日のことかどうかは分からない。あるいは別の日かも知れぬ。つまり時間の推移があいまいで、ここでも小川マジックが発動しているわけだが、小説の進み行きとしては至ってスムースで、なんら不自然さはない。授業のあと浩は「調べてみますね」という先生のことばにこだわり、(生徒のいうことをないがしろにしない責任感とも取れるが、にわかには信じがたいとする蔑視のあらわれとも思える。先生には親しくされるのを拒むようなところがある……)などと、うじうじと思いを巡らす。

 文章が簡潔なのでさらっと読んでしまいがちだけど、小川国夫の作中人物はみんな内向的で、ナイーブで、頭のなかはいつも相当ねちっこい。高校時代のぼくにとってはそこがたまらぬ魅力であった。太宰ふうの饒舌体で書けば随分な分量になるはずのその内面描写を、ひとことでバシッと決めてしまうところがカッコいいのである。青年になった浩を描いた「アポロンの島」や「青銅時代」でも、たとえば「浩は空虚なことを言ったと思った。そして、空虚なことを言うのにも慣れねばならないと思った。」とか「笑った自分が単純で滑稽な気がした。しかし、少なくとも今夜は、自分はこうより他に在り方はなかった、と思った。」とか、鮮やかなフレーズが随所に散りばめられてるのだ。

 「相良油田」に戻ろう。(あの時僕に親しげなものいいをされたように、彼女は感じたのか、僕はそんな気はなかったのに……)などと、浩の屈託はさらに続く。どうでもいいが、教師を「彼女」などという代名詞で呼ぶこと自体が小学生として(それも戦時中のだぜ)相当ませてるんじゃないかと思う。さらに浩は、そもそも本当に御前崎に油田があるのかどうか、そこが不安になってくる。「(……)たしかに聞いた気がした。しかし、だれに、いつ、どこで聞いたかもおぼえていないことだった。」

  「彼は、父親の経営している事務所へ行き、年配の従業員に、そのことを尋ねて見た。四、五人に尋ねたが、だれも知らないと答えた。彼には、たしかだと思っていたことが、段々曖昧になり、やがて事実無根になっていく気がした。物陰になにかがいたような気がしたので、それを請け合ったが、調べて見たら、なにもいなかった、というのに似ていた。彼の耳に、調べて見ますね、という彼女の言葉が聞えていた。」

 テレビもインターネットもない時代だし、戦時下のこととて文献なども乏しいのだろう。それより何より、やはり戦争中はとかく世相が騒然として、いろいろなことが混沌としていたんだろうと思う。小川さんには「人隠し」という短編があって、講談社文庫『海からの光』に収録されている。ここでは中学生になった浩が、顔なじみの女学生を探して回るが、だれに訊いても要領を得ず、結局は死んでいたと知らされる。怪しい先輩は軍事教練中の事故死と言い張るのだが、なんとなく、その男が手にかけたのではないかと疑われる節もある。しかし実際のところは分からない。カフカ的、と呼びたいような不気味な話である。そこまで怖くはないものの、「相良油田」にも薄気味のわるいところはあるのだ。小説はここから、長々と夢の話を繰り広げるのだが、その夢が、ちょっと「ねじ式」ふうの気味悪さなのである。

 その⑤につづく。


第5回・小川国夫「相良油田」その③

2015-05-19 | 戦後短篇小説再発見
 自分なりにあれこれ調べて考えてみたところ、もし今回の住民投票で「大阪都構想」(仮称)なるものが可決され、実現に移されていたとしても、ただちに「二重行政」の解消に至るなんてことはなく、むしろコストは金銭的にも人的資源の面でも、減るどころか増加することになったと思われる。しかも、行政の現場は当面のあいだ混乱を極め、住民サービスの低下は避けられなかったであろう。

 そもそも政令指定都市という、望んでも簡単には得られぬ恩恵をこうむっていながら、自らの手でそれを廃止しようとする住民がこの地球上に存在するってことが何よりも私には興味ぶかかった。やはり大阪は愉快な街だ。筒井康隆や中島らもや町田康を生んだだけのことはある。いっそのこと、次はチャイナの共産党様にお願いして特別自治区に繰り入れてもらうってのはどうであろうか。

 下らない冗談は置いて、もう少し真面目に話をしよう。そもそも明治維新ってのはそんなにも賞賛すべきもんなのかい? ということを近頃よく考える。今やっている大河もそうだろうけど、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を頂点とする幕末志士のヒーロー視がこの国にはすっかり定着している。あの偏屈おやじの「世に倦む日日」ですら、「明治維新」への心酔ぶりでは人後に落ちない。それどころか、その話題となると、いつも以上にコーフンして熱い礼賛を書きまくる。でもほんとにそれは正しいんですかと。

 あれはフランス革命的な意味での「市民革命」からは程遠く、ありていに言って「地方における有力諸藩の下級武士=不満分子によるクーデター」であろう。本当ならば、当初の計画どおり、「幕府(徳川家)および薩長など有力諸藩の藩主たちによる合議制」へとなだらかに移行するのがベストだったのだ。もちろんトップだけでは細かい作業はできないから、幕閣に加えて、各藩の優秀なブレーンたちがそれを補佐するわけである。たぶん竜馬が思い描いていたのもそんな体制であったと思う。

 ところが実際には、あんなぐあいに武力によってむりやり倒幕してしまった。だからたくさん血も流れた。それ以上に問題だったのは、幕府サイドからの反動や他からの叛乱を抑えるべく、「天皇」に絶対の権威を付与しなければならなかったことだ。その絶対権力(統帥権)が、昭和に入ると軍部によって一人歩きを始めてしまう。そのあげくが約60年後のあの大戦(足かけ十五年にわたる戦争)であり、国の内外における無慮数百万の死者なのである。

 西欧的な意味での「民主化」が敗戦によって初めてもたらされたのだとすれば、そのために払わねばならなかった代償ってものは、何というかもう、ほとんど想像を絶するくらい、あまりにも途方もなく無茶苦茶に大きすぎたといわざるをえない。それもこれも、遠因は「明治維新」の性質そのものにあったと私は思うわけである。

 つまり、性急な改革なるものは当面の混乱を招くばかりか、さらに将来にわたっても取り返しのつかぬ禍根を残す、と私はここで言いたいわけだ。その点において私はまったく保守派であり、変革はゆるやかであればあるほど良いと考える人間である。日常の暮らしを大切にして、日々の業務をひとつずつ着実にこなしつつ、どうしても必要な所だけじわじわと改善していくのが望ましい。

 現に、圧倒的多数のひとびとはそうやって毎日を送っているわけで、だからこそ世の中はこうして回ってるのである。絵に画いた餅という言葉もある。いかに立派に見えたとしても、遠大すぎる計画には往々にして中身が伴っていないことがある。このたびの「都構想」、より実情に即していえば、「大阪市廃止・5分割構想」に「賛成」の票を投じた人たちのうち、その真底を見極めていたひとはどれだけいらっしゃったのか、私は今も疑問に思っている。

 以上、にわか勉強のうえでの無責任な私見にすぎないが、本題に入る前にどうしてもひとこと述べておきたかった。さてさて。またしてもあいだが空いてしまったが、小川国夫「相良油田」の続きである。これだけ空いたら前回どこまでやったか覚えてない方が多かろう。わしも覚えとらん。だいたいこのブログを引き続き読んで下さっている人はいるんだろうか。まあいいや、書いて置いときゃいつかは誰か読むだろう。

 「相良油田」は三角関係の小説である。まあ、恋愛小説ってものは(ひいては恋愛というものは)根底に必ずや三角関係を潜めているわけで、もっというなら人間と人間との関係性そのものが元来そういうふうに成り立っている(つまり、純然に一対一ということはありえず、つねにそれ以外の存在からの影響をこうむらざるにはいられない)ものなのである。つまりはそれが「社会性」ってやつだろう。

 「相良油田」に出てくる小学生の「浩」は、若くてきれいな女性教師「上林先生」に幼い思慕を抱いている。うわさのなかでの上林先生の彼氏、すなわち浩の三角関係の相手は海軍の士官である。士官ってのは将校ないし将校に相当する位だから相当偉い。このひとは作品内にじっさいには登場しないので名前も容姿も年齢もわからないけれど、それにしても、幾つなんだか知らないが、そんな偉いひとがまだ小娘みたいな一介の小学校教諭と本気で交際するもんだろうか。

 ドラマや映画なんかでは、人気若手男優の演じる凛々しい士官が人気若手女優演じる幼馴染の清楚な美少女と清らかな交際をしている設定ってのはよくあって、ぼくらも見慣れているのだが、現実にそういう事例が頻繁にあったとは私にはどうも思えないのである。この「噂」は「高等科の生徒から伝わってきた」ものなので、信憑性は低くはなかろうが、しかしその海軍士官の存在自体が生徒らのあいだでの「共同幻想」という可能性もないわけではない。ただ、その詮索はさほど重要なことではない。ポイントは、浩がその「海軍士官」を(実在か非在かに関わらず)「恋のライバル」だと無意識のうちに見なしていることだ。

 この短編の舞台となっている戦時中、より正確にいうなら太平洋戦争開始前夜における「海軍士官」といったら、まさにエリートの中のエリートであり、スターであり偶像であり、軍国少年や婦女子らの憧れの的であったはずである。浩にとっても本来ならば仰ぎ見るような対象であるはずだ。小川国夫は純文学作家のなかでもとりわけ言葉を惜しむというか、削ぎ落としていくタイプのひとだから、作中には明示的な形では書かれていないが、「三角関係」の相手が海軍士官というのは、浩にとっては途轍もなく大きなことである。ただの勤め人やなんかとはわけが違う。「社会性」の点でいうならば、この時代、軍人くらい莫大かつ複雑かつ錯綜した「社会性」を担っていた職業はほかにないからだ。

 その④につづく。