ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 54 女子高生観測隊員 キマリの取材メモ 12話の補足として。

2019-01-21 | 宇宙よりも遠い場所

(画像はいずれも私が撮ったものではなく、ネット上からお借りしました)


 昨年(2018年)の10月に『宇宙よりも遠い場所』のディスクを4枚セットで購入したら、ほかのいくつかの特典と共に、「女子高生観測隊員 キマリの取材メモ」という小冊子が付いていた。
 Vol.1には監督のいしづかあつこ、脚本の花田十輝両氏へのインタビュー、Vol.2にはいしづかさんと、吉松孝博(キャラクターデザイン・総作画監督)、山根左帆(美術監督)、川下裕樹(撮影監督)各氏へのインタビュー、Vol.3には佐藤司(制作デスク)、古関孝生(設定制作)、尾上裕記(制作進行)、木村拓(監督補佐・制作進行)、眞木郁栄(制作進行)、中本健二(アニメーション・プロデューサー)各氏へのインタビューが収録されている。
 インタビューはすべて合同で、司会付きの座談会といったほうがいいか。
 貴重な資料なのだが、ぼくは届いたときにざっと卒読しただけで、そのあと読み返さなかった。このたびの論考はこのアニメを「物語」として読み込むという趣旨なので、かなり独自の解釈を含むことになるかもしれない。だから、なるべく制作サイドのお話に捕らわれぬようにしたかったのだ。
 最大の山場というべき12話まで済んで、有意義なコメントをたくさん頂いたこともあり、「もういいかな」と思って改めてちゃんと読んでみた。案の定、ほとんどの内容を忘れている。
 メールのくだりについては、脚本の花田さんが、「何年も使っていないメールアドレスを見つけて、遊び半分にログインしてみたところ、数百件ものメールが次々と受信トレイを埋めていき、それを見るうち不意にその頃の記憶が甦ってきて、まるで迷子になっていた自分を見つけたような気分になった」ことから着想した、という意味の話をしておられる。
 なにかの事情でしばらく放置していたパソコンを開けて、似たような経験をしたことは誰にでもあるのではないか(ぼくにもある)。それだけに、あの描写には生々しさが伴っていて、プライムビデオでの初見の際には、底のほうから揺さぶられる感じになった。
 以前にネットで、「12話を見終えて一時間ほど経つのだが、まだテレビの前から動けない。」という意味の書き込みを見た。ぼくも本放送で1話からずっと1週間ずつ観ていたら、たぶんそんな具合になったろうな……という気がする。
 ラストで、「これまで夜にならなかった南極」に太陽が沈んでいくシーンは、脚本にはなくて、いしづか監督が映像化のさいに加えたものだという。花田氏は、冒頭の「まだ……続いている。」のところで「朝焼けの南極の風景」と書き込み、「醒めない夢のなかにいる報瀬」と「延々と白夜がつづく南極の風景」とを重ねるところまでは想定していた。しかしラストで、報瀬が母の死に直面して、「夢から醒めた」あと、止まっていた時間が動き出し、「作中で初めて南極に夜が訪れる」シーンは、いしづか監督の演出によるものだというのである。
 このたびきちんと読み直して、いちばん感銘を受けたのはここだった。才能と才能がぶつかって「物語」が熟していくとはこういうことであろう。
 このお話も失念していたのだが、それでもいちおう、前回の記事には、忘れてたなりに画像だけは貼らせて頂いている。はっきりと真意はわからずとも、「この絵はぜひとも必要だ」という勘だけは働いたらしい。
 ほかにもいろいろ発見はあったが、総じていえば、ここまでのところ、懸念してたほど的外れなことは書いてないようである。安心した。このタイミングで読み返してよかったとも思う。
 とはいえ、「内陸基地」への日程など(当初は片道3週間と記していたが、コメントでのご指摘のとおり、片道約1週間とみるのが妥当と思われる)、あれこれとミスや「詰めの甘さ」はあるはずなので、ひきつづきご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


宇宙よりも遠い場所・論 53 宇宙よりも遠い場所 11

2019-01-19 | 宇宙よりも遠い場所
 「物語の出で来はじめの祖(おや)」の古くより、人がさまざまなかたちで語り継ぎ、語り直してきたテーマ「喪の仕事」。それはニンゲンという生き物が、死を悲しみ、死を悼む唯一の動物であるゆえの必然であったろう。モノ語ること、あるいは、「モノ」をして語らしむること。それによって人類は、「死」との向き合い方、「死者」との付き合い方を、自ら学んでいったのだと思う。
 ワタクシがこれから僭越にも要約させていただく『宇宙よりも遠い場所』第12話のエンドパートは、私見によれば、人類の成立と共に古い「喪の仕事」が成し遂げられる瞬間を、もっとも現代的なやり方で変奏してみせたエピソードである。2018年度ハイテク最新バージョン。「ニューヨークタイムズ」が激賞したのも当然で(いやまあもちろんここんとこだけを褒めたわけじゃないけど)、映像をもちいた表現として、世界レベルを軽々とクリアしている。現時点での表現の頂点に達している。
 これまで52回にわたった連載すべてに言えることだが、なかんずくこの回ばかりは、どれほど文章をつらね、画像を貼らせて頂いたところでその感動を伝えることなど不可能である。ことに、信じがたいほど巧緻な編集と、花澤香菜さんの入神の演技はただただ息を呑むしかない。「あああ」という嗚咽と、「お母さん、お母さん」の呼びかけは、昨年の9月にプライムビデオで初めて観た時からずっと、耳に残って離れない。この先も忘れることはないだろう。



 挿入歌「またね」は、あの「宇宙よりも遠い場所」にて、キマリが手袋でパソコンの霜を拭ってありし日の貴子と幼い報瀬の写真があらわになった時から流れはじめている。それは以下のシーンを貫いて流れつづけ、エンドロールへと至り、そのままエンディングテーマになる。いつものEDはない。
 パソコンを手渡された報瀬がふかく息をつくカットのあと、





ふたつのカットを挟んで、



 次のカットがこれになる。昭和基地。報瀬の部屋だ。だから帰路、また1週間くらいの日数が経過している筈である。かつ、持ち帰ったパソコンは(おそらく敏夫に頼んで)念入りにメンテをしただろう。そういった経緯はことごとく削ぎ落されている。こういうことができるのが「物語」なのだ。リアリズムとしては飛躍があれど、報瀬の心情において、また「喪の仕事」という主題においてストーリーラインが持続しているから、なんの問題もないのである。
 部屋の中が暗いのも、もちろん、まだ「喪の仕事」が終わっていないから。ここが「喪の仕事」をはたすべき場の延長だからだ。
 念のために確認しておくと、「内陸基地」の内部や周辺には電波が来ていない。だからここに来るまで、メールの送受信は一切できなかった。それが前提になっている。


3人はここにいる。パソコンという「媒介の具」を見つけ出し、報瀬に手渡すところまではできても、この部屋の中には立ち入れない。「喪の仕事」は当人がひとりで為すべき事、どうしても独りで為さねばならない事なのだ









スイッチを押す。無事に通電、起動まではできた


 
 パスワード。まず母の誕生日を打ち込む。それではなかった。



 母と幼い自分が写った写真に目をやり、すこしためらったのち、自分自身の誕生日を打ち込む。11月1日。「1101」だ。






パソコンの蓋に貼られた写真。ちなみに、これと同じ写真を藤堂も持っている。報瀬はこれを鏡越しにみて(だから左右が反転している)、自分の誕生日を打ち込む


 ここで誕生日が前面に出るのは、直接には、10話の結月のエピソードから続いている。それは生のはじまり。すなわち「死」の対極にあるものだ。その人がこの世に生まれたことをまるごと肯定する。それがバースデーパーティーの本義であって、たんなる「イベント」のひとつではない。だからこそ結月もあんなにうれしかったわけだ。



 パスワードはほんとうに報瀬じしんの誕生日だった。ここまでは、娘にたいする母の情愛を示した「いい話」なのだが、問題はこの先である。


最初のメールが受信される













 堰を切ったかのように、画面の上から下へと滔々と流れ落ちていくメール。






 積み重なっていく数字。3年間にわたって毎日毎日送り続けていたメールは、1通も母のもとに届いてはいなかった。母はもうこの世にいないのだ。自分の送ったメールによって、その事実を思い知らされる。








 数々の暗喩と象徴によって綾なされてきたこのアニメにあって、間違いなく最高・最大の暗喩がこれだろう。3年にわたって鬱積していた感情。留まっていた時間。それらのすべてが流れ出していく。







 これもまた決壊ではあろう。しかしどこまでも前向きであったキマリや日向の決壊に比べて、「母の死」に直面させられる報瀬のそれは残酷だ。とはいえそれが「喪の仕事」なのだ。これを成し遂げ、乗り越えなければ、「澱んだ水」からの解放はない。
 それでもやはり、今この時は、ただただ悲しい。「しゃくまんえん」を返してもらったとき以来、たびたび涙を見せてきた報瀬。しかし心の底からの号泣はこれが初めてだ。





 表示が「1101」になったとき、画面は外の3人に切り替わる。なお1101が送ったメールの総数ではない。もっと多い。それは次の13話でわかる。




もちろん、これはたんなる「もらい泣き」ではない。3人がひとつになって、扉のこちらで、報瀬の悲しみに全身で共鳴している。それはここまでの物語の積み重ねを思えばなんら不思議なことではない。ひとが誰かのためにこんなふうに泣けるということは、現実の世界ではまず滅多にないことだと思う

















宇宙よりも遠い場所・論 52 宇宙よりも遠い場所 10

2019-01-18 | 宇宙よりも遠い場所
 「ブリザードの夜」での報瀬とキマリの対話から(あのシーンではキマリの顔がさかさま、すなわち報瀬視点だった)、「青春できた!」を転機に「南極青春グラフィティ」ふうの麗しいスケッチへと移り、報瀬のナレーションで残りの旅程をきれいにまとめて、ついに一行は「内陸基地」に到着する。

 「49 内陸基地とはどこなのか?」で述べたとおり、がっしりしたリアリズムで補強されてはいても、この「最後の旅」は、あくまでも報瀬が「喪の仕事」を執り行うための「象徴の旅」だ。だから到達点であるこの基地も、けして、こと細かには描かれない。
 名称を示す看板は半ば雪に隠され、その外観も、周辺のようすも、はっきりとは描かれないのである。
 そしてじつは、ここはまだ「宇宙(そら)よりも遠い場所」ではない。いわばその入り口にすぎない。




かなえ「久しぶりね」
藤堂「待たせた。まだまだ待たせるけどね」
黒い帽子は弔意であろう


 たしかに……これは先が長そうだ。「大丈夫なんですか? それで」と訊く日向に、かなえは「大丈夫なわけないでしょ。このあと土台直して建物たてて、一個一個部品運んで望遠鏡つくって」と答える。
 そして藤堂は、「小淵沢天文台ができるのはそうとう先だけど……でも」と呟くようにいって、


涙を流す


 それを見た報瀬。この顔でぽつりと、


思い出してるんだろうね……お母さんと見たときのこと


 藤堂にはこの場において想起しうる貴子との思い出がある。報瀬には何もない。
 これではだめだ。あのとき食堂で、「もし行って何も変わらなかったら、私はきっと、一生いまの気持ちのままなんだ」といった、「一生いまの気持ちのまま」の表情ではないか。何も変わっていないではないか。
 これではいけない。そして、これではいけないということに、3人が気づかぬはずもない。
 とりわけこの人。







 キマリの泣き顔から、次のカットはいきなりジャンプしてこれだ。11話の流れるような「連係プレー」も素晴らしかったが、こちらはそれとはまったく対照的な、しかし負けず劣らず鮮やかな編集といえる。





 そしてここが、この場所こそが「宇宙よりも遠い場所」にほかならない。冥府。あるいはそれこそ記紀神話をすら彷彿とさせる「根の国」のイメージ。櫛の歯に灯した火のかわりにランプを掲げ、軽々と閾(しきい)を突破して、3人はそこに駆け込んでいく。おずおずとその後を追う報瀬は、手に何も持ってはいない。
 結月の「友達が欲しい」が一人ではできなかったように(当たり前だが)、日向が一人では「過去との訣別」を果たせなかったように(それが自分の課題であるとも意識していなかった)、キマリの「青春、する。」が一人では為しえなかったように(4人で共に在ることのすべてが、キマリにとっての「青春」だ)、報瀬もまた、一人では「喪の仕事」に取り掛かることができなかったのだ。



 報瀬「お母さんの物なんて見つかるわけないでしょ。もう3年も前なんだし」



 キマリ「わからないよ!」



 日向「そうだぞ、逆にいえば、3年前からだれも来てないってことなんだから!」



 報瀬「いいよ、見つかるわけないよ」



 キマリ「諦めちゃダメだよ」



 キマリ「なんでもいい。一コでもいいから」

 報瀬「いいよ……」



 日向「よくない!」
 
 報瀬「見つからないよ」
 
 結月「なんで言い切れるんです?!」



結月は手袋を脱ぎ捨てる



 報瀬「いいよ……ここに来れただけでじゅうぶん」



 報瀬「ちゃんと目的は達成したから。お母さんのいるところに来れたから。……ありがとう。だから……もう」



 キマリ「よくない! ここまで来たんだよ! ここまで来たんだもん。一コでいい。報瀬ちゃんのお母さんが確かにここに居たって何かが……」





 日向「キマリ!」
 結月「報瀬さん!」



 駆け寄るキマリ。



 日向「これ!」


 おそらく日向と結月が同時に見つけたパソコン
 貴子と報瀬とを媒介するその通信器具が




 まずキマリに手渡され




 キマリの手から
 


 報瀬にわたる




 ふかい吐息。






宇宙よりも遠い場所・論 51 宇宙よりも遠い場所 09 友達ができました。

2019-01-16 | 宇宙よりも遠い場所
 キマリの課題「ここではない何処かへ」は、南極の地に降り立った時……いや、それどころか、日向のいう「引き返せない旅」に出た時に、すでに達成できていた。しかもキマリは、無二の親友を3人も得ていながらそれに気づかなかった(!)結月と異なり、じぶんがちゃんと課題をはたしたのを自覚していた(まあふつうはそうだよね)。けれど、キマリの課題はじつはそれだけではなかった。その先に、もうひとつ、大切なものがあったのだ。






キマリは、南極すき?

うん。大好き

そう

でもね、一人だったら好きだったかわからなかったかも

……そうなの?

みんなと一緒だから



みんなと一緒だったら、北極でも同じだったかも



ねえ報瀬ちゃん? 連れてきてくれてありがとう



参考画像。01話より



報瀬ちゃんのおかげで私



青春できた!








 生の謳歌である「青春、する。」と、死別の悲しみを乗り越える「喪の仕事」。「表の主人公」と「裏の主人公」、ふたりの主人公の抱えるテーマが(それはまた、人間の本質にかかわる2大テーマといっていいかと思うが)重なり合った瞬間だ。




 Dear お母さん



 友達ができました。



 ずっと一人でいい、って思っていた私に、友達ができました。



 ちょっぴりヘンで、ちょっぴり面倒で、ちょっぴりダメな人たちだけど




 いっしょに南極まで旅してくれる友達が。



 ケンカしたり、泣いたり、困ったりして


(このあと、自転車の日向と報瀬もコケる)

 それでも、お母さんのいたこの場所に




 こんな遠くまで、いっしょに旅してくれました。




 私は、みんながいっしょだったから、ここまで来れました。



 お母さん、そこからなにが見えますか。



 お母さんが見たのと同じ景色が、私にも見えますか。



 もうすぐ着きます。



 お母さんがいる、その場所に。



宇宙よりも遠い場所・論 50 宇宙よりも遠い場所 08 ブリザードの夜に。

2019-01-16 | 宇宙よりも遠い場所
 息をのむほどの荘厳さを見せたかと思うと、その数時間後には、牙を剥く獣のように荒れ狂う。どちらが真でどちらが偽というわけではない。それらのすべてが、南極のもつ貌なのだ。
 かつて母も、身をもってそれを体験した。いま報瀬はその軌跡をなぞっている。母とずっと行動を共にし、その最期のことばを聞いた人と一緒に。


 かなえ「今夜は風が強くなるそうだから、車両間の移動は必ずこのロープを使うこと。たった数メートルでも油断しないで。ブリザードの中に放り出されたら、まず帰ってこられないからね」


 どうしても俯きがちになる報瀬。しかしキマリの「なにあれ?」という声に顔を上げる。



 日向「なんだ……?」
 結月「太陽……ですよね?」
 かなえ「地球の終わりみたいでしょ? 太陽柱。サン・ピラーっていうの。氷の結晶が生みだす光学現象よ」

お母さんも……見てましたか?
ええ。見てた。なんならそこで見ながら寝てた


 そして。

「来た」

 日向「もしかして、ブリザード?」
 かなえ「もしかしなくてもね」

わあ、なんにも見えない

こっちもです

お母さんがいなくなったときも、こんな感じだったんですか?
…………うん


たぶん、内陸の基地に忘れ物をしたか、足を滑らせたんだと思う。気づいた時には姿はなくて、瞬く間にブリザードになって。



「きれい……きれいだよ……とても。」



 藤堂の口から初めて「貴子が消息を絶った夜」のことが語られる。それを報瀬に告げるためには、どうしてもここまで来る必要があった……ということだろう。
 このとき貴子が命と引き換えに取りに戻った「忘れ物」が、のちに報瀬に厳然たる「母の死」を伝え、そのあとで再び、母と娘とを結びつける。




 その夜。

藤堂とかなえは、万一に備えてここで眠る


眠る日向と結月

眠るキマリ

雪上車は狭い。報瀬はこんな所で寝ている

眠れぬままに、ふと窓辺に目をやって……

パソコンに向かう母の姿を幻視する







「報瀬ちゃん」

「……大丈夫?」



「寝れないの?」
「ううん、さっきまで寝てて目がさめた」





 やっぱり、なんだかんだいっても、この2人なんだよなあ……。












宇宙よりも遠い場所・論 49 宇宙よりも遠い場所 07 内陸基地とはどこなのか?

2019-01-15 | 宇宙よりも遠い場所
 Wikipediaや気象庁のHPによれば、南極における日本の基地は4ヶ所。昭和基地。あすか基地。みずほ基地。ドームふじ基地。

気象庁のHPより

 中でも有名なのは昭和基地だ。キマリたちが生活のベースに(文字どおり)しているのはここで、作中にも名前が出てくる。
 しかしこれから向かおうとしている基地については、「内陸基地」と呼ばれるだけで、固有名詞が明かされない。到着後に看板が映るのだが、わざわざ雪で隠されている。

到着後の画像

 3つのうちのどれがモデルなんだろう。11話で壁に貼られていた地図では、ぼくには正直よくわからなかった。もっとも奥地にあるのはドームふじ基地だ。公式HPには実際にそこに滞在した隊員の方へのインタビューが載っている。また、「ドームふじ基地は地球上で最も天体観測に適した場所である」との国立極地研究所のレポートもある。
 だからおそらくそこだと思うのだが、ネット上には「みずほ基地」説もあるようだ。それ以上の考証は手に余るので考察サイトにお任せするが、物語論の見地からすれば、とうぜん「もっとも奥地=深淵にある処」でなければならない。
 「01 喪の仕事」からずっと述べているとおり、これは報瀬が自らの課題をはたすための旅だ。表の主人公はキマリ。だが全員の駆動力となってきたのは報瀬で、だから間違いなくこれは全編中のクライマックスである。
 報瀬の内面に即していえば、「象徴としての旅」といっていい。
 じぶんのなかで未だ生死の定まらぬ母に会いに行き、きちんと葬ってあげるための旅である。
 物語類型としては、やはり広い意味での「冥府下り」のバリエーションといっていいだろう。
 もちろん、ディテールについては今までどおり可能なかぎり精密に、リアリスティックに描かれる。ここからとつぜんタッチが表現主義や象徴主義になっちまうなんてことはない。そういうことはないけれど、何から何まで、あたかもルポルタージュかドキュメンタリーみたいにリアルかといえば、「ちょっと違うぞ」ってところはある。
 たとえば他の隊員たちのことだ。雪上車はぜんぶで4台確認できる。そのうちの1台が「女性チーム」用で、藤堂や報瀬たちが乗っているのだが、ほかの雪上車の隊員たちはまったく出てこないのである。
 そうやって、本筋と関わりのない描写を削ぎ落し、彼女たち6人に、ひいては4人に徹底して照射を絞り込むことで、この旅の「象徴性」を陰翳ゆたかに浮かび上がらせている。
 基地の固有名があえて隠されているのも、その一環であろう。
 ともあれ、旅程はけして短くない。全行程が3週間。過酷でもある。上で紹介した公式HPのインタビューの一部を引用させていただこう。

——アニメではブリザードの様子も描かれていますが、小林さんは雪上車でブリザードに遭遇した経験はありますか?

小林:あります。隊員たちのあいだでは「ブリ停滞」と呼ぶのですが、最大で5日間ものあいだ動けませんでした。

——5日間も? そのあいだは車内に閉じこもりっきりですか?

小林:いや、トイレや食料の調達などで外に出ることもあります。ただその場合は体と車両を紐でつないで行動するんです。ひどい吹雪の際は視界もほんの数メートル程度なので、やっぱりちょっと怖いです。もし車とはぐれてしまったら、これはもう100%死にますからね。

——ゾクッとしちゃいました。改めて南極の怖さを感じます。

小林:本当は怖い世界なんですよね。晴れている時は見渡す限り真っ白で穏やかな景色なんですが、実際にはマイナス30℃と、動物はおろかウイルスさえ生きていけないほどの環境ですし。昭和基地のような沿岸部にはまだペンギンなどがいますが、内陸部は完全に死の砂漠で、雪上車という生命維持装置のおかげで生かされているだけなんですよ

 読んでみてどう思われるだろうか。ぼくは軟弱者なので、とても耐えられそうにない。ブリザードで車内に閉じ込められるくだりは本編にもある。藤堂とかなえが4人を連れていくかどうか悩みに悩み抜いたのも宜なる哉だが、キマリも日向も結月もいっさい弱音など吐かず、気を強く持って、仕事もこなしている(報瀬だけはわりと動揺のようすが伺える。「喪の仕事」がはじまっているのだから無理もないが)。みんな本当に立派だと思う。「ちょっぴりダメな人たち」どころではない。






 内陸旅行への拠点となるS16。まずはヘリでそこまで移動し、デポされている雪上車に物資を積み込むのが最初のミッションだ。




 かなえ「これぞ南極大陸、って景色でしょ?」






 雪上車は思った以上にスピードが遅い。


 トランプで時間つぶし。雀士・報瀬はなぜか「大富豪」が苦手で、罰として立たされっぱなし。



 雪上車が止まり、かなえが「仕事の時間よ。外に出るから覚悟して」と声をかける。


 燃料補給ほか、ここでもやるべき事はたくさんある。だが高度が上がっているため寒さが半端ではない。息をするだけで胸が痛い。鼻の感覚がない。地表に置いたバケツは底がすぐに凍って持ち上げるのも一苦労。「これからもっと寒くなっていくからね」と藤堂。

 しかしこんな折でも遊び心を忘れないのがこの人のよいところ。「できるかな……」 結月「持ってきたんですか?」


 ようやく一仕事終えて車内に。「うー、感覚ないー」



できませんでした



 キマリ「夜はエンジン切るんですよね」
 かなえ「回しておけるほどの燃料はないからね」




「(敏夫の声で)こちら昭和、こちら昭和、内陸チーム聞こえますか、どうぞ」

「定時交信。練習しといて。私たちだって何があるかわからないんだから」


「あ……」



宇宙よりも遠い場所・論 48 宇宙よりも遠い場所 06 最後の旅へ

2019-01-14 | 宇宙よりも遠い場所
 翌朝。カメラはいったんキマリたちに戻る。

 似顔絵入りの垂れ幕が。


 キマリ「おおー、すごーい」
 日向「だろ? 手づくりだってさ」
 結月「これ、内陸旅行に持っていくらしいですよ」


 報瀬の顔もある。
 それを見たキマリ、「あ……」とつぶやくが、必ずしも嬉しそうなだけではない。もうすこし複雑な顔だ。

 藤堂が近づいて、
「それ荷物?」
 キマリ「え……はい!」
「多すぎる。あと半分に。5分で」
「うそ!」
 そのとき、結月が「あ」といって、一角に目をやる。



「おはようございます」
 その顔も、声音も晴れやかだ。


 
 それを見て初めて、キマリが笑顔をみせる。
 藤堂「おはよう」



 そうなのだ。がむしゃらに南極を目指してバイトに明け暮れていた頃とは違う。今はもう、1人ではないのだから。


 報瀬のナレーションで。
「こうして、最後の旅がはじまった。ニッポンから14000キロ。宇宙(そら)よりも遠い、彼方にも思えたその場所へ」



宇宙よりも遠い場所・論 47 宇宙よりも遠い場所 05

2019-01-14 | 宇宙よりも遠い場所
 4話ではじめて4人(および視聴者)の前に現れた時点では、報瀬にとっての藤堂吟は、やや誇張していえば「貴子を巡る恋敵」だった。自分はお母さんにいつも傍に居てほしかった。でもお母さんは南極を選んだ。南極に行った。藤堂とともに。そして、この人は帰ってきて、お母さんは帰ってこなかった。それだけ? いや、もちろん、それだけのはずがない。
 到着のまえ、船の上でいちど感情をぶつけた。そのご、南極の地におりて、雀卓を囲めるくらいまでには打ち解けた。
 物語論からいうならば、藤堂の役割は、わりとわかりやすく「メンター」である。先達。師匠的存在。導き手。
 コメント欄で、「ルーク・スカイウォーカーにとってのヨーダのような」というご指摘があり、そのとおりなのだが、幼い頃からかかわりがあって、「魂」を注入してくれた「父」のようでもあり……という点では、さらに濃い因縁といっていい。



「行かなくていいんですか?」
「知ってるでしょ。賑やかなの苦手だって」


「どう思いますか」


「なにが?(やさしく)」

「お母さん」


「私にそれを訊くくらいなら、行かないほうがいい」



 BGMは「溢れ出す想い」。チェロを使った柔らかく深みのある曲。サントラの中でもとりわけ心に沁みる一曲だ。


 藤堂、「ここへ」というように階段を叩く

 報瀬、ゆっくりと降りてきて、となりに座る


「どんなに信じたくなくても、貴子が死んだ事実は動かない。(報瀬の表情が一瞬こわばる) 遺志だとか生前の希望だとかいっても、それが本心なのか、ほんとうに願っているのかは、だれにもわからない」


「じゃあなんで南極にもういちど来たんですか?」


「私が来たかったから。貴子がそうしてほしいと思っていると、私が勝手に思いこんでいるから」


「結局、ひとなんて思い込みでしか行動できない。けど、思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める。私はそう思っている」


「ひとに委ねるなってことですか?」



「そう。けど、ずっとそうしてきたんじゃないの? あなたは」



 藤堂のことばの最後の「あなたは」が、


 次のシーンのこのカットに重なる。BGM「溢れ出す想い」も、シーンをまたいで続いている。
 1話でキマリと出会わせ、2話でかなえに南極への思いの丈を示し、6話で日向との絆を強めた100万円。いや、しゃくまんえんだ。出てくるたびに封筒がヨレヨレになっているのが細かい……いや、このスタッフなら当然か。



 引っ越し  レジ  清掃  清掃  新聞配達


 レジ  引っ越し  交通量調査  清掃 工場 工場  レジ  配達


 レジ



 ひとに委ねず、「南極に行く」という「思い込み」だけで、嘲笑や侮蔑といった「現実の理不尽」をひとつひとつ「突破」してきたこの3年間の自分自身を、一枚一枚、汗のしみ込んだ万札を並べながら改めて確かめ、


 「宇宙よりも遠い場所」を目指した初期衝動を呼び起こし、


「でも、どうしても行きたい。……だって、お母さんが待ってる」
02話より




 ついにその場所へ赴く決意を固めるこのシーンを、「マイ・ベスト1」に掲げるファンも少なくないようだ。

 

 

 





宇宙よりも遠い場所・論 46 宇宙よりも遠い場所 04

2019-01-14 | 宇宙よりも遠い場所
 いつも陽気で冗談ばかり言ってる人は、ふだんはとても楽しいが、肝心な時にまでその調子じゃあ頼りにならない。かといって、年がら年中、全人類の苦悩を背負って思いつめたような顔をしてる人も断じて困る。
 陽と陰。軽と重。明と暗。どちらかだけではやっていけない。フィリップ・マーロウの名セリフをもじっていうならば、「軽くなければ生きていけない。重くなれなければ、生きている資格がない」ってところか。ともあれ、それは人間も作品も同じ。

 次のシーンは屋外でのバーベキュー大会。これは藤堂たち「内陸旅行隊」への壮行会も兼ねている。玉ねぎを剥いていたのはこれの準備だったから、流れとしてもすこぶる自然だ。BGMは「朝が来た」。いちばん軽快で浮きたつ曲。
 かなえのライトジョークと、藤堂の「行ってきます」で幕を開け……


 旨そうな食べ物。火。酒。宴会。そこここで沸き立つ会話。おまけに弓子さん。「活気」と「賑わい」を表す記号が満載である。
 キマリ、日向、結月は、今はこちら側。報瀬だけがいない。日向が「はいっ、はいっ、はいっ」とせわしなく肉をトングで挟んで隊員たちに渡している。もたもたしてたら、あっという間に冷め切った肉になる。それが南極バーベキューの醍醐味(?)らしい。
 キマリが串に刺したマシュマロを溶かして落としてしまう。「近づけすぎ」と言いながら弓子が寄ってきて、手際よく3本炙り、それぞれに手渡す。そのついでにいう。ここがこのアニメのよいところで、さっきの玉ねぎもそうだけど、大事な話を「なにか作業をしながら」することが多いのである。
「そういや聞いたよ。行くの迷ってるんだって?小淵沢さん。いいの? ほっといて」
 そこで日向が得意の名言(正しくは「警句」というべきところ)。

「なにかをするの(だけ)が思いやりではない。何もしないのも思いやりである」


 結月「また適当なことを」
 キマリ「……てことに、一応なってまして」

 弓子が笑って立ち上がり、「いいよね、あなたたち。お互いほっとけるっていうのは、いい友達の証拠だよ」


 これを聞いた「友情ジャンキー」さん。
「いい友達って、言いましたよね……」


「いい友達ですって!」
    ↑
むちゃかわいい。10話いこう、結月はどんどん幼い感じになっていく。



 たしかに、いい友達なのだ。たぶんサイコーの友達といってもいいんじゃないか。だが、それほどの間柄であっても、どうしても及ばない、届かないこともある。いまの報瀬ときちんと話ができるのは、ただひとり、この人しかいない。






 ずっとここで待っていた。しかし、それにしても、なかなか真っすぐ向き合うことのできない2人ではある。鏡越しだったり、雀卓をあいだに挟んでいたり。


宇宙よりも遠い場所・論 45 宇宙よりも遠い場所 03

2019-01-13 | 宇宙よりも遠い場所
このオゾンホールですが、じつはここで観測していた隊員が発見し、世界で最初に報告したんですよ。その観測には、こうした、高層気象観測用の気球が使われ、毎日2回、世界で同時に放球されます


 例によって、南極での暮らしや研究・観測のもようを織り込みながら、キャラたちの心情や、置かれた情況をビジュアル化する詩的な暗喩。ここでの発見が世界初のものになりえたのなら、藤堂たちが計画している天文台にだって同じことができるかも知れない。そうやって今回のプランに一定のリアリティーを持たせつつ、ほんとうに描きたいのは、この映像が人のこころに喚起するもの。


 さながら「魂」のように宇宙(そら)を目指して駆け上っていく気球。それを見上げるキマリたちもこんな目になる。


 結月「報瀬さん、来ませんでしたね」
 日向「ひとりで考えたいんだろう。隊長から話きいてから、ずっと口数少なかったし」


 報瀬もまた、すこし離れた場所で見上げている。そこに、中学時代の情景が重なる。

訪問した担当者が「ここです。このポイントで、通信が途絶えました」と祖母に説明している。それを背中で聞きながら……


母に向けてメールを打つ……いや、打とうとして、この時はまだ言葉が紡げない



 「おー、峠の茶屋復活したんだね、ビールある?」という敏夫の声が、報瀬を現実に引き戻す。いつの間にか側まで来ていたキマリが「冷えてますよー」と缶ビールを差し出す(冷えてますよ、は南極ジョークとでもいうべきか)。「気が利くね。サンキュー」
 そのあと……。



 「今日はあったかだよね」「さっき気球飛ばしたんだよ」「今日のおやつはアンパンだって」と、どうにかして話の糸口を見つけようとするキマリだが、ことごとく空回り。



 あげくに……。

どーじよう


 報瀬の「それはこっちの台詞……」という声が入って、シーンチェンジ。



 食堂。ここで涙腺を刺激する玉ねぎを剥いているのがまた巧い演出なのだが、ジャージの袖で目をこするキマリに対し、報瀬はまったく泣いていない。
 いったいに、最初に女子トイレで「しゃくまんえん」を返してもらったとき以来、報瀬はけっこう泣いてるようだし、昂れば、目じりに溜まった涙を溢れさせたりもするけれど、結月が10話で、日向が11話で見せたような、「心の底からの涙」を見せたことは一度もない。

 日向「キマリがノープランすぎるからややこしくなるんだ」
 結月「どうして話してくるなんて言ったんです?」
 キマリ「だって……」


 ごめん。べつに落ち込んでいるとか、悩んでいるとかじゃないの。むしろふつうっていうか。ふつうすぎるっていうか。



 日向「ふつう?」


 私ね、南極きたら泣くんじゃないかってずっと思ってた。これがお母さんが見た景色なんだ、この景色にお母さんは感動して、こんなすてきなところだからお母さん来たいって思ったんだ。そんなふうになるって。


中学時代。自宅の縁側。見ているのはもちろん貴子の『宇宙よりも遠い場所』



 でも、じっさいはそんなことぜんぜんなくて、なに見ても写真といっしょだ、くらいで。

これは現在。基地の自室にて


 日向「たしかに、到着したとき最初に言ったのは、ざまあみろ、だったもんな」

 え? そうだっけ。

 結月「忘れてるんですか?」

 うん……。


 キマリ「でも、報瀬ちゃんはお母さんが待ってるから来たんだよね。お母さんがここに来たから来ようって思ったんだよね」

 うん……。
 
 キマリ「それで何度もかなえさんたちにお願いして、バイトして、どうしても行きたいってがんばって」

 わかってる。

 キマリ「お母さんが待ってるって、報瀬ちゃん言ってたよ!」

 3人の中でも、報瀬にここまで言える「資格」があるのはキマリだけだ。あとの2人もそれはわかっているけれど、さすがにどこかで口をはさまざるをえない。

 日向「キマリ」
 結月「そんなふうに言ったら、報瀬さん可哀想ですよ」
 キマリ「う……」

 わかってる。なんのためにここまで来たんだって。
 でも……

 キマリ「でも?」

 (声がふるえる)でも、そこに着いたらもう先はない。終わりなの。


 もし行って、なにも変わらなかったら、私はきっと、一生いまの気持ちのままなんだって。



あ……