当ブログでは、講談社文芸文庫版をテクストにした「≪戦後短篇小説再発見≫を読む」というシリーズをやってるんだけど、最初の太宰から四番手の三島まではそれぞれ短期集中連載で、きっちり一ヶ月以内に片づけてきた。ところがその次の小川国夫にいたって、なぜか流れは寸断されてしまったのです。初回は3月12日、第二回が4月21日、第三回が5月19日、第四回が5月25日、第五回が8月7日、というありさま。書いてるこっちも、そのつど読み返さないことには、何をどこまで書いたか忘れちまっているという。
なぜこんなことになってるのか。今年はブログの更新がままならなかったってこともあるけど、つらつら思うに、「相良油田」という短篇が、ひいては小川国夫ってぇ作家がそれだけ難物なのである。とにかく説明しない。言葉を惜しむ。切り詰める。ゆえにその作品はみな、小説でありながら散文詩のような硬度を帯びる。とてもじゃないが、スナック菓子みたいにぱりぽりと消費できる類いのブンガクではないのだ。
このままだと下手すりゃ年を越しちまう。「旧ダウンワード・パラダイス」から昔の記事を引っ張ってくる作業も一段落したことだし、そろそろ続きを書きましょう、という感じなんだけど、その前に、とりあえず①~⑤までの内容をまとめておこうじゃないですか。そうしなきゃぼく自身も何だかよくわからないんで。
その①
前回のミシマからずいぶん間があいてしまったが、そろそろ「戦後短篇小説再発見」の続きをしましょう。五番目に選ばれているのは小川国夫。これはぼくにはうれしい人選だった。トップバッターの太宰(青春小説の永遠のチャンプ)、二番手の慎太郎(元都知事)、三番手の大江(ノーベル賞)、四番サード三島(戦後日本文学最高のエースにして最大の謎)と、知名度においてはいずれ劣らぬ錚々たるメンバーに続いて、ここで小川国夫がくるんだからね。ぼくにとっての「文学の基準線」は高校以来ずっと変わらず大江健三郎その人だけれど、それとは別に、「とにかく矢も盾もたまらず好き。数ヶ月に一度はこの人を読み返さずにはいられない」という大好きな作家も何人かいて、その筆頭が古井由吉とこの小川さんなのだ。またしても思い出話になってしまうが、ぼくは高校の図書室にあった「新潮現代文学」という全80巻のシリーズでブンガクの世界に入門した。赤い表紙のハードカバーで、表紙を開けるとタイトルの記されたページがあって、その次に作者の近影が載っている。どれも作家の個性が出ていて面白かったが、中でも小川さんのは、群を抜いてカッコよかったのである。バックに何もない殺風景な景色のなか、石の柱に背中を預けた小川国夫が、左手を左のこめかみに当て、瞑目したまま天を仰いでいる全身像。それがクローズアップではなく、ちょっと遠めの視点で撮られている。こんなクサい構図が様になるひとは、役者の中にもそんなにいまい。ウェーブの掛かった豊かな長髪は五木寛之を思わせるが、格調の高さでは小川さんのほうがさらに一枚上だったと思う。町田康が登場するまで、小川国夫は吉行淳之介と並んで近代日本文学史上屈指の美男であったはずである。
当時、原田芳雄に心酔する少し渋めのミーハーであったぼくは手もなくこの近影にいかれてしまい、なんの予備知識もないままにこの巻を借りて帰った。CDでいうところの「ジャケ買い」みたいなもんだが、中身のほうも作家の風貌に恥じないカッコよさで、これを機に全80巻の「新潮現代文学」に深入りしていくこととなる。つまり小川国夫はぼくの本格的な文学入門のきっかけを作った作家だともいえる。その同じ図書室で、大江さんの「死者の奢り」と野坂昭如の「火垂るの墓」を読んで衝撃を受けるのは、その何日か後である。ちなみにこの「新潮現代文学」の小川国夫の巻は、最初の出会いから十数年のち、偶然入った古本屋で見つけて飛びついて買った(三百円だった)。爾来、手の届く場所に置いて繰り返し読みかえしている。とうぜん影響を受けてもいるはずだが、影響というなら、そもそもぼくが19の年に文具屋でコクヨの原稿用紙を買って初めて書いた小説(らしきもの)が、もろに小川国夫の模倣だったのである。模倣といっても自己流だから、似て非なるものであったのは間違いないけど、それでも自分としては真剣だった。しばらくはその線で書き続けていたものの、根っからの饒舌体質であるぼくには、切り詰めて凝縮された小川流の文体はどうしても無理だと判断し、しばらくのちに諦めた。それでもあの文体は、今も自分にとって目標の一つであり続けている(ついでに言うと、大江さんの文体はあまりにも癖が強すぎるので、仮に練習であっても一度も真似したことはない)。
小川国夫は、1970年代にはそこそこ人気を博していた。あのころは高橋和巳の作品もみな新潮文庫で入手できた。バブルはほんとにこの国の精神風土を変えてしまった。ま、その話はいい。70年代には人気のあった小川さんだけど、それ以前は長く不遇であった。不遇というか、本人はさほど気にしてなかったらしいから無名の時期と言い換えるべきかもしれないが、地方の一介の同人誌作家として、けして短からぬ歳月を過ごした。昭和40(1965)年、38歳のころに短編集『アポロンの島』がとつぜん島尾敏雄の賞賛をうけて一挙に知名度をあげるのだが、その『アポロンの島』は8年も前に自費出版したものだったのだ。まあ悠長な時代だったんだなァ。そういえば、つげ義春の短篇で、「彼は当時まだ無名であった小川国夫をいち早く発見して私に薦めてくれた」といった文章をみた覚えがある。才能はあるのに生きるのが下手で社会の底辺を低迷している漫画家のエピソードとしてである。小川国夫とは、そんな事例に引き合いに出されるのが似つかわしい作家ではあった。
小川国夫の第一作品集『アポロンの島』は、ヘミングウェイの初期短篇を思わせる小品のスケッチ集である。文章は簡潔にして陰影に富み、個々の作品はそれぞれに強い緊張を孕んではいるが、しかし物語や劇が展開されるには至っていない。ヘミングウェイもそうだったけれど、いかに優れたものであれ、これだけではまだ一般の評価も集まらないし、作家としても認められがたい。「戦後短篇小説再発見」に採られた「相良油田」は、この『アポロンの島』につづく第二作品集『生のさ中に』の中に入っているものだ。じつはここでもまだ、物語や劇は展開されていない。小川国夫は物語作家ではなく、いわば生粋の「純文学」の書き手、純文学しかやれない人なのだ。ただここでは、ヘミングウェイの「ニック・アダムス」シリーズに倣って、作者の分身とおぼしき少年が成長していく挿話が(けして系統立てられてはいないが)順に積み重ねられている。だから「相良油田」は、短編集「生のさ中に」の流れにおいて読むのがいちばん望ましいのだが、しかしこれだけ読んでも十分に面白い。
――ちょっと熱を加えただけで揮発は蒸発します。放っておいたって蒸発しますね。うんと熱くしてやってもなかなか蒸発しないのは、悪い成分です。
――………………。
――ガソリンもいい成分ですね。八十度以上二百度以下で蒸発するんです。
――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか。
――ガソリンです。
――そうガソリンですね。飛行機に使うガソリンは、とりわけいいものです。百度前後の熱で蒸留したものです。もっと質の悪いガソリンは……。
――自動車なんかに使います。
――そう、自動車や軽便のレールカーに使いますね。
――………………。
――軍艦の燃料はなんでしょうね。軍艦はなんで走るの。
――重油です。
――そう、重油ですね。では、重油をなん度くらいに熱してやると、上って来るんでしょう、青島さん。
――………………。
――教科書の表にあるでしょう。
――四百度以上です。
(以下略)
作品はこんな会話ではじまる。「小説を会話で始めるのは、できれば控えたほうがよい」という戒めをそのむかし「小説の書き方」みたいな本で読んだ記憶があるが、小説には決まりごとなんてものはないので、要は書き手の腕次第である。会話を「」ではなく――であらわすのは終生かわらぬ小川さんのスタイルだった。深意は知らぬが、こだわりということなんだろう。ぼくも最初はマネしていた。こうすると、「」よりも会話の部分が地の文に溶け込んで、結果として作品全体に幻想的な風合いが増すように思う。このやりとり、小学校の教室で先生が生徒に授業をしている場面なのである。年代ははっきり書かれていないが、作者自身の年齢などを考え合わせると、おそらく太平洋戦争の始まる間際、すなわち昭和15(1940)年あたりらしい。「軍艦」という単語が出てくるのもそのせいだし、そもそも小学校の授業でこんなに石油の話に拘るのも、戦争という背景あってのことである。それにしてもこの会話、ぼくには何度読み返しても分からない。気がついた方はおられるだろうか。――ちょっと熱を加えただけで、という出だしの一行は、これはやっぱり先生の発言だろう。次の………………は、教室ぜんたいが黙って傾聴している感じ。そして次の――ガソリンもいい成分ですね、はとうぜん再び先生の発言だと思われるのだが、しかし、だとするとこの次の――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか、が分からなくなる。あれ、先生はこの前に喋ってたよね? でも授業中に生徒に質問するのって、どう考えても先生しかないよね。だとするとこれが先生なの? え、じゃあさっきの――ガソリンもいい成分ですね、は誰なのよ。ていうか、そうなると、順に前へと戻っていって、冒頭の――ちょっと熱を加えただけで、までもが、もう誰のせりふだか分からなくなっちゃうじゃん。まさかこれ時枝さん? 時枝さん最初から喋ってたの? いやさすがにそれはないでしょ。といった具合に、よく分からなくなってくるわけだ。
ぼくの解釈としては、――ガソリンもいい成分ですね。八十度以上二百度以下で蒸発するんです。から、――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか、までが、先生による一連なりの発言であって、これを切断して二つに分けたのは作者の単純なミスでなければ一種のトリックであろう。後者の解釈に従うならば、ここからすでに小川マジックが始まっているわけで、読み進めればわかるとおり、この短篇は全編のほぼ8割が夢の情景という或る種異様な作品なのである。この冒頭の授業のもようは夢ではない。夢ではないが、この時点でもう、平凡な授業風景のようでいて、だれがどのせりふを喋っているのか、じつはゆらゆら揺らめいている。小川国夫の文体には、「明晰」という形容がよく使われるけれど、大理石に鑿(のみ)をふるうがごとく、端正かつ明晰な文章をこつこつと重ね、結果として「硬質なる夢幻」とでも呼ぶべき独特の世界を彫り上げるのが小川国夫という稀有の作家なのである。
その②
冒頭の、教室における先生と生徒との質疑応答はさらに十行ばかし続くのだが、話題はずっと石油のことである。小学校の授業でかくも石油にこだわるのは、これが戦時中(正確にはたぶん太平洋戦争開始まぎわ)のお話だからだってことは前回述べた。石油とはもっとも重要な戦略物資なのであり(石油がなければ軍艦も海に浮んだたんなる鉄のかたまりだ)、日本がアメリカとの開戦などという自殺行為に出たのも、あえて乱暴に言ってしまえば、ようするに石油の輸入を止められたからだった。
この短篇がそのような緊張状態を背景としていることはぜひ頭に留めていただきたい。ところで、今いったようなことは、いうならば石油ってものの科学的・社会的側面である。歴史の勉強をしてるんならば別段それでいいんだけども、しかし「相良油田」はルポルタージュではなく小説であり、しかも小川国夫の小説なのである。つまり「石油」には日常の概念とは異なる象徴的な意味が込められていると見なければならず、そうでなければ作品の奥にひそんだ凄みが分からぬままで終わってしまう。石油とは、ドロドロしていて、濁っていて、何かしら暗いエネルギーに満ち、地の底から湧き上がってくるものだ。そして、「油田」というのはまさに石油が湧いて出てくるその場所なのだ。このことを弁えておかないと、作品の魅力は半減してしまう。
「<石油>の課の授業は四、五時間続いた。理科を六年二組に教えたのは、主任の教諭ではなくて、上林由美子という若い女教師だった。先生は長野県の上諏訪というところで生まれました、と彼女は自己紹介したことがあった。」
冒頭の対話部分がおわり、地の文に入って最初の文章がこれである。ヒロイン登場とでも申しましょうか、先生は若い女性だったのだ(おれなんかの齢からすると「女の子」という感じだけども)。でもって、このパラグラフにつづく一連の記述は、この短篇の主人公(正確には「視点的人物」と呼ぶほうがふさわしいけれど)が小学生(それも戦前の)であることを思うといささか生々しくてドキッとする。少なくとも、最初読んだ時にはぼくはドキッとさせられた。
「浩たちの級に、高等科の生徒から伝わってきた噂があった。それによれば、上林先生の彼氏は海軍の士官だということだった。前の土曜日の夕方、彼女が彼と並んで、青池の岸を歩いていたのを、見たものがあるということだった。(…………中略…………) 浩は青池へ遊びに行き、そこを歩いた二人のことを想像した。二人が残していった温かみが感じられる気がした。」
なかなかに早熟な小6ではないか。青池に行ったのがたまたまなのか、噂を耳にしてわざわざ出かけたのかが気になるとこだが、だけど、まあ、これくらいは普通かねえ。「浩」というのは初期の小川さんが自分の分身として愛用していた名で、「アポロンの島」に出てくる青年もやはり浩であった。それはともかく、浩少年が上林先生に憧れ以上の感情を抱いているのは確かだけれど、いきなりその感情が、いっしゅの「三角関係」として前景化されるあたりが鮮やかである。
すべての恋愛は潜在的に三角関係を孕んでいる、とたしか柄谷行人が夏目漱石論のなかで言っていたけれど、恋愛ってものがエディプス・コンプレックス(女性のばあいはエレクトラ・コンプレックス)を基底としているのだとすればもちろんそれはそうだろう。ただ小学生が(男女を問わず)若くて見栄えのいい異性の教師に強い憧れを抱くのはよくあることだし(かく言うぼくにも覚えがある)、それを題材にしたお話もわりあい多いと思うけれども、あくまでも三角関係を前面に立ててその模様を叙述するのはなかなか例のないことで(だって何しろ子供なんだから、本来ならそんな関係なんぞ成立しないわけでね)、そこは小川国夫の非凡さであろうと思うわけである。
むろん浩は、少年らしい潔癖さで、その噂をたいそう不快に思っている。「彼氏」という言葉さえ、浩には汚れたものと感じられるのだが、その感情はたんにジェラシーなのかというと、それだけじゃないとぼくは思う。海軍士官の彼氏うんぬんの話のあと、ようやく上林先生の外見および人となりが語られる(ふつうはこちらが先だろう)。ここの描写はじつに清冽で、小川国夫の女性描写の見事さの一端が窺えるので、全文を引用させてもらおう。
「浩は母親から、山家(やまが)の人は肌がきれいだ、と聞いたことがあったが、上林先生はその証明のようだった。味気ないほど白く滑らかで、きちんとした輪郭を持った顔をしていた。彼女の切れ長の眼のまわりが彫ったように整っていて、曖昧な影が一つもないのが、彼には不思議な気がした。生徒から質問されると、その眼は一瞬生(き)まじめな表情になって、かえって質問した者を緊張させた。こうして、ちょっと黙ってから、彼女はゆっくり質問に答えたが、その間の表情の動きに、自然に注意が集まってしまった。彼女の短い沈黙には、磁気の作用があるようだった。」
ようするに、きりっとしていて、清潔で、やや堅苦しいくらいに真面目な人なのだろう。いますよね、こういう女性。そんなひとが先生なら、ぼくが浩くんでもきっと好意を持ちますよ。でも、いかに早熟であろうと小6の男子ならばまだ性的にも未成熟であり、先生に寄せる思いも、憧れ以上のものであっても恋愛とまではさすがにいかない。上林先生に向ける浩の視線には、聖女を仰ぎ見る信徒のような真率さが込められている……と、自らの経験からもぼくは思う。だから浩には、「彼氏」の存在は何よりもまず、彼女の清潔さを損なうものだと思えて許しがたいのである。大げさにいえば冒涜というか……。まあ、それも含めてジェラシーなのだと言われれば、それはたしかにそうなんだけどね。
その③
「相良油田」は三角関係の小説である。まあ、恋愛小説ってものは(ひいては恋愛というものは)根底に必ずや三角関係を潜めているわけで、もっというなら人間と人間との関係性そのものが元来そういうふうに成り立っている(つまり、純然に一対一ということはありえず、つねにそれ以外の存在からの影響をこうむらざるにはいられない)ものなのである。つまりはそれが「社会性」ってやつだろう。
「相良油田」に出てくる小学生の「浩」は、若くてきれいな女性教師「上林先生」に幼い思慕を抱いている。うわさのなかでの上林先生の彼氏、すなわち浩の三角関係の相手は海軍の士官である。士官ってのは将校ないし将校に相当する位だから相当偉い。このひとは作品内にじっさいには登場しないので名前も容姿も年齢もわからないけれど、それにしても、幾つなんだか知らないが、そんな偉いひとがまだ小娘みたいな一介の小学校教諭と本気で交際するもんだろうか。
ドラマや映画なんかでは、人気若手男優の演じる凛々しい士官が人気若手女優演じる幼馴染の清楚な美少女と清らかな交際をしている設定ってのはよくあって、ぼくらも見慣れているのだが、現実にそういう事例が頻繁にあったとは私にはどうも思えないのである。この「噂」は「高等科の生徒から伝わってきた」ものなので、信憑性は低くはなかろうが、しかしその海軍士官の存在自体が生徒らのあいだでの「共同幻想」という可能性もないわけではない。ただ、その詮索はさほど重要なことではない。ポイントは、浩がその「海軍士官」を(実在か非在かに関わらず)「恋のライバル」だと無意識のうちに見なしていることだ。
この短編の舞台となっている戦時中、より正確にいうなら太平洋戦争開始前夜における「海軍士官」といったら、まさにエリートの中のエリートであり、スターであり偶像であり、軍国少年や婦女子らの憧れの的であったはずである。浩にとっても本来ならば仰ぎ見るような対象であるはずだ。小川国夫は純文学作家のなかでもとりわけ言葉を惜しむというか、削ぎ落としていくタイプのひとだから、作中には明示的な形では書かれていないが、「三角関係」の相手が海軍士官というのは、浩にとっては途轍もなく大きなことである。ただの勤め人やなんかとはわけが違う。「社会性」の点でいうならば、この時代、軍人くらい莫大かつ複雑かつ錯綜した「社会性」を担っていた職業はほかにないからだ。
その④
この「相良油田」が発表されたのは1965(昭和40)年、同人誌「青銅時代」誌上となっている。発表年次と執筆時期とは必ずしも合致しないにせよ、いずれにしても戦後20年近くを経て書かれたのは確かだ。いわゆる昭和ヒトケタに属する作家が敗戦ののちに「民主憲法」のもとで自己形成を果たし、青年や壮年になってから、かつて少年だった自分たちをモデルにフィクションをつくった例としては、みんな知ってる野坂昭如の「火垂るの墓」はもちろん、「飼育」や「芽むしり 仔撃ち」をはじめとする大江健三郎の初期のショッキングな中短編がある。
ほかにも開高健、古井由吉、井上ひさしなど、枚挙に暇はないけれど、さらにいえば、およそ小説を書く人間で、その試みに手を染めなかったひとはほぼ皆無であろう。戦前および戦中の軍国教育と、敗戦後の民主教育とは180度違う。まさにコペルニクス的転換であって、うちのお父っつぁんみたいな一般ピープルならばいざ知らず、いやしくも作家と名乗るほどの者ならば、その転換に底知れぬ衝撃を受け、それを自らの問題として生涯抱え込まざるを得なかったはずだし、当然ながら創作という形でその問題と格闘せずにはいられなかったはずである。
小川国夫は昭和2年生まれで、昭和10年生まれの大江さんより大正14年生まれの三島由紀夫に近いんだけど、その文体はこの両者と違ってとにかく淡白なのである。前回の記事でもしつこく強調したとおり、憧れの君「上林先生」の彼氏が海軍士官であることは、浩にとってじつに大変なことなのだが、小川さんはいちいちそんなことを書き込まないので、今どきの若者には(今どきの若者がこの短編を読むとしての話だが)よく伝わらないんじゃないかと思う。けれど、耳目をそばだてさせるような派手さは見受けられないにせよ、やはり小川国夫は小川さんなりのやり方で、戦争という主題に向き合っているのである。
理科の時間に、彼女から、日本の石油の産地を聞かれた時、浩は、新潟県と秋田県、樺太(からふと)の東海岸、と答えることが出来た。
それから、
――御前崎にも油田があります、とつけ加えた。
上林先生は例の生まじめな表情になって、一瞬黙った。彼は、微かにだったが、疑われた感じがして、躍起になっていい張りたかった。しかし、口が銹(さ)びついたようで、言葉が出なかった。
――御前崎に……そう、先生は知らなかったけど、調べてみますね、と彼女はいった。
冒頭からの流れで、浩と上林先生との作中における最初のやり取りがこのように描かれる。冒頭の授業風景と同じ日のことかどうかは分からない。あるいは別の日かも知れぬ。つまり時間の推移があいまいで、ここでも小川マジックが発動しているわけだが、小説の進み行きとしては至ってスムースで、なんら不自然さはない。授業のあと浩は「調べてみますね」という先生のことばにこだわり、(生徒のいうことをないがしろにしない責任感とも取れるが、にわかには信じがたいとする蔑視のあらわれとも思える。先生には親しくされるのを拒むようなところがある……)などと、うじうじと思いを巡らす。
文章が簡潔なのでさらっと読んでしまいがちだけど、小川国夫の作中人物はみんな内向的で、ナイーブで、頭のなかはいつも相当ねちっこい。高校時代のぼくにとってはそこがたまらぬ魅力であった。太宰ふうの饒舌体で書けば随分な分量になるはずのその内面描写を、ひとことでバシッと決めてしまうところがカッコいいのである。青年になった浩を描いた「アポロンの島」や「青銅時代」でも、たとえば「浩は空虚なことを言ったと思った。そして、空虚なことを言うのにも慣れねばならないと思った。」とか「笑った自分が単純で滑稽な気がした。しかし、少なくとも今夜は、自分はこうより他に在り方はなかった、と思った。」とか、鮮やかなフレーズが随所に散りばめられてるのだ。
「相良油田」に戻ろう。(あの時僕に親しげなものいいをされたように、彼女は感じたのか、僕はそんな気はなかったのに……)などと、浩の屈託はさらに続く。どうでもいいが、教師を「彼女」などという代名詞で呼ぶこと自体が小学生として(それも戦時中のだぜ)相当ませてるんじゃないかと思う。さらに浩は、そもそも本当に御前崎に油田があるのかどうか、そこが不安になってくる。「(……)たしかに聞いた気がした。しかし、だれに、いつ、どこで聞いたかもおぼえていないことだった。」
「彼は、父親の経営している事務所へ行き、年配の従業員に、そのことを尋ねて見た。四、五人に尋ねたが、だれも知らないと答えた。彼には、たしかだと思っていたことが、段々曖昧になり、やがて事実無根になっていく気がした。物陰になにかがいたような気がしたので、それを請け合ったが、調べて見たら、なにもいなかった、というのに似ていた。彼の耳に、調べて見ますね、という彼女の言葉が聞えていた。」
テレビもインターネットもない時代だし、戦時下のこととて文献なども乏しいのだろう。それより何より、やはり戦争中はとかく世相が騒然として、いろいろなことが混沌としていたんだろうと思う。小川さんには「人隠し」という短編があって、講談社文庫『海からの光』に収録されている。ここでは中学生になった浩が、顔なじみの女学生を探して回るが、だれに訊いても要領を得ず、結局は死んでいたと知らされる。怪しい先輩は軍事教練中の事故死と言い張るのだが、なんとなく、その男が手にかけたのではないかと疑われる節もある。しかし実際のところは分からない。カフカ的、と呼びたいような不気味な話である。そこまで怖くはないものの、「相良油田」にも薄気味のわるいところはあるのだ。小説はここから、長々と夢の話を繰り広げるのだが、その夢が、ちょっと「ねじ式」ふうの気味悪さなのである。
その⑤
「火花」騒動がかまびすしいが、芥川賞のことでいうならば、いま取り上げている小川国夫には、芥川賞の候補に選ばれること自体を辞退したという逸話がある。理由ははっきりわからないけれど、ようするにまあ、この手のバカ騒ぎ、空騒ぎに巻き込まれたくなかったのだろう。そんなドタバタは文学の本質とはなんら関係ない、という信念があった。小川さんは頑ななまでに自己の流儀を貫いたひとだが、そういった気概は昭和中期までの純文学作家たちには或るていど共有されていた節がある。文学とは自らの魂を刻む崇高な営みであり、社会に対して一矢を報いるものなのだから、ジャーナリズムとは一線を画さなければならない。おれたちはエンタメ(娯楽小説)系とは違うのだ。そんな心意気である。純文学の矜持といっていいだろう。そういった気概なり心意気なりが払拭されてしまったのも、80年代バブルの頃であったかと思う。そもそも今や純文とエンタメとの境界線がアイマイだ。
さて。「相良油田」はここから夢の話になる。講談社文芸文庫版にて、ほぼ4・5ページ分が導入部で(これまで延々と紹介した分だ)、残りのほぼ14・5ページがじつに夢の話なのである。この「戦後短篇小説再発見」全18巻の収録作品は、リアリズムだけで貫かれたものが大半だけど、島尾敏雄の「夢もの」をはじめ、夢から着想を得たと思しき作品も多い。それらはおおむね「幻想小説」という括りで呼ばれる。幻想小説と「夢小説」とは厳密にいえば違うけど、面倒なのでここではひとまず一緒にしておこう。「夢」というテーマは現代小説の本質に関わるもの(のひとつ)で、まともに論じれば分厚い本が一冊書ける。日本の現代文学だと、安部公房、筒井康隆の作風は「夢」ととりわけ縁がふかい。掌編(15枚くらいの短編のこと)で有名なのは、残念ながらこのシリーズには入ってないが、吉行淳之介の「鞄の中身」だ。むかし丸谷才一が口をきわめて絶賛していた。この吉行さんの掌編は、「切り出しナイフが、鳩尾(みぞおち)のところに深く突刺さったが、すこしも痛くない。その刃は真下に引き下げられてゆき、厚いボール紙を切裂いてゆくのに似た鈍い音がした。」というショッキングな出だしで始まり、次の行で「夢の話である。」と、あっさり種明かしをする。
いっぽう、いわゆる幻想小説のなかには、「夢」という単語を一切使わず、むしろ周到にその一語を排除するようにして創られたものも少なくない。「夢ですよ。」と断ったとたん、その箇所はほかの「リアリズム」の部分から切り離されて、いわば額縁に収められた格好になってしまう。「鞄の中身」はそこを逆手にとって、その「額縁」をことのほか巧みに用いた作品なのである。その逆に、「あ、ここから夢ですからね。」と断りを入れず、リアリズムからすううーっと幽明境を異にする感じで移行してゆき、結果として凄い効果を上げているのは、残念ながらこれも本シリーズに収められていないが、ぼくがこれまで読んだ中では河野多恵子の「骨の肉」および永井龍男の「秋」だ(日本文学に限る)。いずれもラストまで来て鳥肌が立つ名品である。
「相良油田」はその点、拍子抜けするほどシンプルだ。ここまでの段落からわざわざ一行あけて、「浩は夢の中で彼女に会った。」とくる。淳之介と同じ額縁式だ。「火花」のamazonレビューに「純文学とか読むのってこれが初めてなんですけどぉー」などと臆面もなく書いてるいたいけな、頑是ない少年少女でも、これなら一目で「あ、こっから夢のハナシなんだあ」って分かるよね。よかったね。それでまあ、量からいっても内容からいっても、この「額縁」に収められた「夢」のくだりこそが「相良油田」のメイン、肝(きも)であるのは明白なのだ。油田の存在をめぐる上林先生とのやりとりを何度となく反芻し、悶々としながら床に就いたんだろう。浩はその夜、彼女との「道行」の夢を見るのである。
「……なまぬるい埃が立つ焼津街道を、海の方に向って歩いていると、前を行く若い女の人があった。上林先生だった。髪にも、水色のスカートにもおぼえがあったし、歩く時の肩の辺の動かし方も、そうだった。彼は駆けて行き、息を弾ませながら、
――先生、と声をかけた。彼女は、彼が近づくのを待っていてくれた。彼は追い縋ると、自分でも思い掛けないことをいった。
――僕は物凄い油田を見ました。
またいってしまった、と彼は思った。彼女はちょっと目を見張って、それなりに生まじめな表情になって、しばらく考えていた。彼には、なんだか癪にさわることがあったが、それを抑えなければ……、という自制も働いていた。彼は自分のことを、緑シジミの幼虫が、暗くみずみずしい葉陰で、一人で翻転しているように感じた。」
「緑シジミの幼虫が、暗くみずみずしい葉陰で、一人で翻転しているように感じた」という比喩が何とも生々しいではないか。そこまで冷静に自己分析しながら、しかし浩は、「アメリカよりも、ボルネオやコーカサスよりも大きな、油田地帯です。」としつこく言い募ってしまう。このあたり、身体(感情)が内面(理性)を裏切って暴走する感じが如実に出ていて絶妙だ。ここのくだりはほんとに良くて、いくらでも引用を続けたくなる。
「……彼女は、浮世絵人形のような表情を動かしはしなかった。彼は、自分が無為に喋っているのを感じた。そして、なにをいってもいいのなら、いうことは一杯あるぞ、と思った。自分で自分に深手を負わせてしまい、血が止らなくなった感じだった。彼はまたなにかいおうとした。…………」
大好きな異性を目の前にして、彼女と少しでも長く話を続けたい。できればもちろん、相手に熱中して欲しい。だけどそれはぜんぜん無理っぽくて、もう何を話していいかさえわからない。共通の話題が見当たらない。だって向こうは自立した大人の女性で、こっちはただの子供なんだから……。それで、とりあえず共有できる唯一のネタ(このばあいは油田の話)をずるずると引っ張ってしまう。それも、内容がないから口ぶりだけが誇大になって……。ひどく軽薄なことだとわかっていて、自己嫌悪にもかられるのだが、どうしてもそれが止められない。そのうちにだんだん、開き直った気分になってくる……。
「オトナ」をまえにした「コドモ」の焦り。この焦燥をよりいっそう掻き立てるのは、彼女の恋人である(と噂されている)「海軍士官」の存在である。どうしても届かない、絶対に乗り越えることのできない強大な恋敵(ライバル)の存在(じっさいには出てこないけど)が、たえず少年の心にのしかかり、間断なく揺さぶり続けている。これぞまさしくエディプス・コンプレックスの典型である。
ぼくのお父っつぁんは堂々たる社会的名士なんかじゃなかったし(むしろその対極に近い気がする)、ぼく自身も息子として母親とはなはだ折り合いが悪かったので、現実の家庭においてエディプス・コンプレックスを感じた覚えはない。だが、20歳になるやならずの時分にひょんなことからダンナのいる女性(つまり人妻。もちろん年上)に恋をしてしまったことがあり、もとより片思いで終わったんだけど、だから浩の感情の動きがイタいくらいにわかるのである。
空転し、なかば自暴自棄となっていく浩。ところが事態はここから展開を見せる。冷ややかに聞き流していると思っていた上林先生が、彼の話に乗ってくるのだ。「彼はまたなにかいおうとした。」のあと、
「すると彼女が、いつもの口調できいた。
――それはどこなの?
――大井川の川尻です。」
小川さんは節度を保ってこう書くが、本来ならばここはもう「――お、大井川の川尻ですっ。と浩は勢い込んで言った。」くらいのもんだろう。ここでようやく上林先生が、いまどきの用語でいえば「食いついて」きてくれたわけだから。
「――大井川の川尻……。あんなところだったの、と彼女は少し声を顫わせて、いった。浩には、彼女が胸をはずませているのがわかった。駄目だと思いながらも叩いた扉が、意外にも手応えがあって動き始めたようなことだった。彼は自分の嘘の効果が、怖ろしく美しく彼女に表れたことに呆然としていた。」
いうまでもないとは思うが、大井川の川尻ってのは、ふたりが(夢のなかで)この会話を交わしている場所のすぐ近所で、むろんそんな所に油田なんかあるわけがない。「自分の嘘」とはそのことである。浩としては、あわよくばこれから二人でそこに行きたいと目論んでいるわけで、ほんとうに話はそんな具合に進んでいく。わりと嬉しい夢なのである。とりあえず途中まではね。ただその前に、ここで浩が、
「――僕はなにか海軍の士官のことをいったんだっけ」
と内心で呟いているのがなんともおかしい。ここだけは何度読み返してもくすっと笑ってしまう。小川国夫は生真面目な作家で、その作品はあまり笑いとは縁がないけれど、それでもこんなふうにしてユーモアが生まれることもある。こういうのを「巧まざるユーモア」というんだろう。それはたいそう上質のものだ。
その⑥につづく。
なぜこんなことになってるのか。今年はブログの更新がままならなかったってこともあるけど、つらつら思うに、「相良油田」という短篇が、ひいては小川国夫ってぇ作家がそれだけ難物なのである。とにかく説明しない。言葉を惜しむ。切り詰める。ゆえにその作品はみな、小説でありながら散文詩のような硬度を帯びる。とてもじゃないが、スナック菓子みたいにぱりぽりと消費できる類いのブンガクではないのだ。
このままだと下手すりゃ年を越しちまう。「旧ダウンワード・パラダイス」から昔の記事を引っ張ってくる作業も一段落したことだし、そろそろ続きを書きましょう、という感じなんだけど、その前に、とりあえず①~⑤までの内容をまとめておこうじゃないですか。そうしなきゃぼく自身も何だかよくわからないんで。
その①
前回のミシマからずいぶん間があいてしまったが、そろそろ「戦後短篇小説再発見」の続きをしましょう。五番目に選ばれているのは小川国夫。これはぼくにはうれしい人選だった。トップバッターの太宰(青春小説の永遠のチャンプ)、二番手の慎太郎(元都知事)、三番手の大江(ノーベル賞)、四番サード三島(戦後日本文学最高のエースにして最大の謎)と、知名度においてはいずれ劣らぬ錚々たるメンバーに続いて、ここで小川国夫がくるんだからね。ぼくにとっての「文学の基準線」は高校以来ずっと変わらず大江健三郎その人だけれど、それとは別に、「とにかく矢も盾もたまらず好き。数ヶ月に一度はこの人を読み返さずにはいられない」という大好きな作家も何人かいて、その筆頭が古井由吉とこの小川さんなのだ。またしても思い出話になってしまうが、ぼくは高校の図書室にあった「新潮現代文学」という全80巻のシリーズでブンガクの世界に入門した。赤い表紙のハードカバーで、表紙を開けるとタイトルの記されたページがあって、その次に作者の近影が載っている。どれも作家の個性が出ていて面白かったが、中でも小川さんのは、群を抜いてカッコよかったのである。バックに何もない殺風景な景色のなか、石の柱に背中を預けた小川国夫が、左手を左のこめかみに当て、瞑目したまま天を仰いでいる全身像。それがクローズアップではなく、ちょっと遠めの視点で撮られている。こんなクサい構図が様になるひとは、役者の中にもそんなにいまい。ウェーブの掛かった豊かな長髪は五木寛之を思わせるが、格調の高さでは小川さんのほうがさらに一枚上だったと思う。町田康が登場するまで、小川国夫は吉行淳之介と並んで近代日本文学史上屈指の美男であったはずである。
当時、原田芳雄に心酔する少し渋めのミーハーであったぼくは手もなくこの近影にいかれてしまい、なんの予備知識もないままにこの巻を借りて帰った。CDでいうところの「ジャケ買い」みたいなもんだが、中身のほうも作家の風貌に恥じないカッコよさで、これを機に全80巻の「新潮現代文学」に深入りしていくこととなる。つまり小川国夫はぼくの本格的な文学入門のきっかけを作った作家だともいえる。その同じ図書室で、大江さんの「死者の奢り」と野坂昭如の「火垂るの墓」を読んで衝撃を受けるのは、その何日か後である。ちなみにこの「新潮現代文学」の小川国夫の巻は、最初の出会いから十数年のち、偶然入った古本屋で見つけて飛びついて買った(三百円だった)。爾来、手の届く場所に置いて繰り返し読みかえしている。とうぜん影響を受けてもいるはずだが、影響というなら、そもそもぼくが19の年に文具屋でコクヨの原稿用紙を買って初めて書いた小説(らしきもの)が、もろに小川国夫の模倣だったのである。模倣といっても自己流だから、似て非なるものであったのは間違いないけど、それでも自分としては真剣だった。しばらくはその線で書き続けていたものの、根っからの饒舌体質であるぼくには、切り詰めて凝縮された小川流の文体はどうしても無理だと判断し、しばらくのちに諦めた。それでもあの文体は、今も自分にとって目標の一つであり続けている(ついでに言うと、大江さんの文体はあまりにも癖が強すぎるので、仮に練習であっても一度も真似したことはない)。
小川国夫は、1970年代にはそこそこ人気を博していた。あのころは高橋和巳の作品もみな新潮文庫で入手できた。バブルはほんとにこの国の精神風土を変えてしまった。ま、その話はいい。70年代には人気のあった小川さんだけど、それ以前は長く不遇であった。不遇というか、本人はさほど気にしてなかったらしいから無名の時期と言い換えるべきかもしれないが、地方の一介の同人誌作家として、けして短からぬ歳月を過ごした。昭和40(1965)年、38歳のころに短編集『アポロンの島』がとつぜん島尾敏雄の賞賛をうけて一挙に知名度をあげるのだが、その『アポロンの島』は8年も前に自費出版したものだったのだ。まあ悠長な時代だったんだなァ。そういえば、つげ義春の短篇で、「彼は当時まだ無名であった小川国夫をいち早く発見して私に薦めてくれた」といった文章をみた覚えがある。才能はあるのに生きるのが下手で社会の底辺を低迷している漫画家のエピソードとしてである。小川国夫とは、そんな事例に引き合いに出されるのが似つかわしい作家ではあった。
小川国夫の第一作品集『アポロンの島』は、ヘミングウェイの初期短篇を思わせる小品のスケッチ集である。文章は簡潔にして陰影に富み、個々の作品はそれぞれに強い緊張を孕んではいるが、しかし物語や劇が展開されるには至っていない。ヘミングウェイもそうだったけれど、いかに優れたものであれ、これだけではまだ一般の評価も集まらないし、作家としても認められがたい。「戦後短篇小説再発見」に採られた「相良油田」は、この『アポロンの島』につづく第二作品集『生のさ中に』の中に入っているものだ。じつはここでもまだ、物語や劇は展開されていない。小川国夫は物語作家ではなく、いわば生粋の「純文学」の書き手、純文学しかやれない人なのだ。ただここでは、ヘミングウェイの「ニック・アダムス」シリーズに倣って、作者の分身とおぼしき少年が成長していく挿話が(けして系統立てられてはいないが)順に積み重ねられている。だから「相良油田」は、短編集「生のさ中に」の流れにおいて読むのがいちばん望ましいのだが、しかしこれだけ読んでも十分に面白い。
――ちょっと熱を加えただけで揮発は蒸発します。放っておいたって蒸発しますね。うんと熱くしてやってもなかなか蒸発しないのは、悪い成分です。
――………………。
――ガソリンもいい成分ですね。八十度以上二百度以下で蒸発するんです。
――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか。
――ガソリンです。
――そうガソリンですね。飛行機に使うガソリンは、とりわけいいものです。百度前後の熱で蒸留したものです。もっと質の悪いガソリンは……。
――自動車なんかに使います。
――そう、自動車や軽便のレールカーに使いますね。
――………………。
――軍艦の燃料はなんでしょうね。軍艦はなんで走るの。
――重油です。
――そう、重油ですね。では、重油をなん度くらいに熱してやると、上って来るんでしょう、青島さん。
――………………。
――教科書の表にあるでしょう。
――四百度以上です。
(以下略)
作品はこんな会話ではじまる。「小説を会話で始めるのは、できれば控えたほうがよい」という戒めをそのむかし「小説の書き方」みたいな本で読んだ記憶があるが、小説には決まりごとなんてものはないので、要は書き手の腕次第である。会話を「」ではなく――であらわすのは終生かわらぬ小川さんのスタイルだった。深意は知らぬが、こだわりということなんだろう。ぼくも最初はマネしていた。こうすると、「」よりも会話の部分が地の文に溶け込んで、結果として作品全体に幻想的な風合いが増すように思う。このやりとり、小学校の教室で先生が生徒に授業をしている場面なのである。年代ははっきり書かれていないが、作者自身の年齢などを考え合わせると、おそらく太平洋戦争の始まる間際、すなわち昭和15(1940)年あたりらしい。「軍艦」という単語が出てくるのもそのせいだし、そもそも小学校の授業でこんなに石油の話に拘るのも、戦争という背景あってのことである。それにしてもこの会話、ぼくには何度読み返しても分からない。気がついた方はおられるだろうか。――ちょっと熱を加えただけで、という出だしの一行は、これはやっぱり先生の発言だろう。次の………………は、教室ぜんたいが黙って傾聴している感じ。そして次の――ガソリンもいい成分ですね、はとうぜん再び先生の発言だと思われるのだが、しかし、だとするとこの次の――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか、が分からなくなる。あれ、先生はこの前に喋ってたよね? でも授業中に生徒に質問するのって、どう考えても先生しかないよね。だとするとこれが先生なの? え、じゃあさっきの――ガソリンもいい成分ですね、は誰なのよ。ていうか、そうなると、順に前へと戻っていって、冒頭の――ちょっと熱を加えただけで、までもが、もう誰のせりふだか分からなくなっちゃうじゃん。まさかこれ時枝さん? 時枝さん最初から喋ってたの? いやさすがにそれはないでしょ。といった具合に、よく分からなくなってくるわけだ。
ぼくの解釈としては、――ガソリンもいい成分ですね。八十度以上二百度以下で蒸発するんです。から、――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか、までが、先生による一連なりの発言であって、これを切断して二つに分けたのは作者の単純なミスでなければ一種のトリックであろう。後者の解釈に従うならば、ここからすでに小川マジックが始まっているわけで、読み進めればわかるとおり、この短篇は全編のほぼ8割が夢の情景という或る種異様な作品なのである。この冒頭の授業のもようは夢ではない。夢ではないが、この時点でもう、平凡な授業風景のようでいて、だれがどのせりふを喋っているのか、じつはゆらゆら揺らめいている。小川国夫の文体には、「明晰」という形容がよく使われるけれど、大理石に鑿(のみ)をふるうがごとく、端正かつ明晰な文章をこつこつと重ね、結果として「硬質なる夢幻」とでも呼ぶべき独特の世界を彫り上げるのが小川国夫という稀有の作家なのである。
その②
冒頭の、教室における先生と生徒との質疑応答はさらに十行ばかし続くのだが、話題はずっと石油のことである。小学校の授業でかくも石油にこだわるのは、これが戦時中(正確にはたぶん太平洋戦争開始まぎわ)のお話だからだってことは前回述べた。石油とはもっとも重要な戦略物資なのであり(石油がなければ軍艦も海に浮んだたんなる鉄のかたまりだ)、日本がアメリカとの開戦などという自殺行為に出たのも、あえて乱暴に言ってしまえば、ようするに石油の輸入を止められたからだった。
この短篇がそのような緊張状態を背景としていることはぜひ頭に留めていただきたい。ところで、今いったようなことは、いうならば石油ってものの科学的・社会的側面である。歴史の勉強をしてるんならば別段それでいいんだけども、しかし「相良油田」はルポルタージュではなく小説であり、しかも小川国夫の小説なのである。つまり「石油」には日常の概念とは異なる象徴的な意味が込められていると見なければならず、そうでなければ作品の奥にひそんだ凄みが分からぬままで終わってしまう。石油とは、ドロドロしていて、濁っていて、何かしら暗いエネルギーに満ち、地の底から湧き上がってくるものだ。そして、「油田」というのはまさに石油が湧いて出てくるその場所なのだ。このことを弁えておかないと、作品の魅力は半減してしまう。
「<石油>の課の授業は四、五時間続いた。理科を六年二組に教えたのは、主任の教諭ではなくて、上林由美子という若い女教師だった。先生は長野県の上諏訪というところで生まれました、と彼女は自己紹介したことがあった。」
冒頭の対話部分がおわり、地の文に入って最初の文章がこれである。ヒロイン登場とでも申しましょうか、先生は若い女性だったのだ(おれなんかの齢からすると「女の子」という感じだけども)。でもって、このパラグラフにつづく一連の記述は、この短篇の主人公(正確には「視点的人物」と呼ぶほうがふさわしいけれど)が小学生(それも戦前の)であることを思うといささか生々しくてドキッとする。少なくとも、最初読んだ時にはぼくはドキッとさせられた。
「浩たちの級に、高等科の生徒から伝わってきた噂があった。それによれば、上林先生の彼氏は海軍の士官だということだった。前の土曜日の夕方、彼女が彼と並んで、青池の岸を歩いていたのを、見たものがあるということだった。(…………中略…………) 浩は青池へ遊びに行き、そこを歩いた二人のことを想像した。二人が残していった温かみが感じられる気がした。」
なかなかに早熟な小6ではないか。青池に行ったのがたまたまなのか、噂を耳にしてわざわざ出かけたのかが気になるとこだが、だけど、まあ、これくらいは普通かねえ。「浩」というのは初期の小川さんが自分の分身として愛用していた名で、「アポロンの島」に出てくる青年もやはり浩であった。それはともかく、浩少年が上林先生に憧れ以上の感情を抱いているのは確かだけれど、いきなりその感情が、いっしゅの「三角関係」として前景化されるあたりが鮮やかである。
すべての恋愛は潜在的に三角関係を孕んでいる、とたしか柄谷行人が夏目漱石論のなかで言っていたけれど、恋愛ってものがエディプス・コンプレックス(女性のばあいはエレクトラ・コンプレックス)を基底としているのだとすればもちろんそれはそうだろう。ただ小学生が(男女を問わず)若くて見栄えのいい異性の教師に強い憧れを抱くのはよくあることだし(かく言うぼくにも覚えがある)、それを題材にしたお話もわりあい多いと思うけれども、あくまでも三角関係を前面に立ててその模様を叙述するのはなかなか例のないことで(だって何しろ子供なんだから、本来ならそんな関係なんぞ成立しないわけでね)、そこは小川国夫の非凡さであろうと思うわけである。
むろん浩は、少年らしい潔癖さで、その噂をたいそう不快に思っている。「彼氏」という言葉さえ、浩には汚れたものと感じられるのだが、その感情はたんにジェラシーなのかというと、それだけじゃないとぼくは思う。海軍士官の彼氏うんぬんの話のあと、ようやく上林先生の外見および人となりが語られる(ふつうはこちらが先だろう)。ここの描写はじつに清冽で、小川国夫の女性描写の見事さの一端が窺えるので、全文を引用させてもらおう。
「浩は母親から、山家(やまが)の人は肌がきれいだ、と聞いたことがあったが、上林先生はその証明のようだった。味気ないほど白く滑らかで、きちんとした輪郭を持った顔をしていた。彼女の切れ長の眼のまわりが彫ったように整っていて、曖昧な影が一つもないのが、彼には不思議な気がした。生徒から質問されると、その眼は一瞬生(き)まじめな表情になって、かえって質問した者を緊張させた。こうして、ちょっと黙ってから、彼女はゆっくり質問に答えたが、その間の表情の動きに、自然に注意が集まってしまった。彼女の短い沈黙には、磁気の作用があるようだった。」
ようするに、きりっとしていて、清潔で、やや堅苦しいくらいに真面目な人なのだろう。いますよね、こういう女性。そんなひとが先生なら、ぼくが浩くんでもきっと好意を持ちますよ。でも、いかに早熟であろうと小6の男子ならばまだ性的にも未成熟であり、先生に寄せる思いも、憧れ以上のものであっても恋愛とまではさすがにいかない。上林先生に向ける浩の視線には、聖女を仰ぎ見る信徒のような真率さが込められている……と、自らの経験からもぼくは思う。だから浩には、「彼氏」の存在は何よりもまず、彼女の清潔さを損なうものだと思えて許しがたいのである。大げさにいえば冒涜というか……。まあ、それも含めてジェラシーなのだと言われれば、それはたしかにそうなんだけどね。
その③
「相良油田」は三角関係の小説である。まあ、恋愛小説ってものは(ひいては恋愛というものは)根底に必ずや三角関係を潜めているわけで、もっというなら人間と人間との関係性そのものが元来そういうふうに成り立っている(つまり、純然に一対一ということはありえず、つねにそれ以外の存在からの影響をこうむらざるにはいられない)ものなのである。つまりはそれが「社会性」ってやつだろう。
「相良油田」に出てくる小学生の「浩」は、若くてきれいな女性教師「上林先生」に幼い思慕を抱いている。うわさのなかでの上林先生の彼氏、すなわち浩の三角関係の相手は海軍の士官である。士官ってのは将校ないし将校に相当する位だから相当偉い。このひとは作品内にじっさいには登場しないので名前も容姿も年齢もわからないけれど、それにしても、幾つなんだか知らないが、そんな偉いひとがまだ小娘みたいな一介の小学校教諭と本気で交際するもんだろうか。
ドラマや映画なんかでは、人気若手男優の演じる凛々しい士官が人気若手女優演じる幼馴染の清楚な美少女と清らかな交際をしている設定ってのはよくあって、ぼくらも見慣れているのだが、現実にそういう事例が頻繁にあったとは私にはどうも思えないのである。この「噂」は「高等科の生徒から伝わってきた」ものなので、信憑性は低くはなかろうが、しかしその海軍士官の存在自体が生徒らのあいだでの「共同幻想」という可能性もないわけではない。ただ、その詮索はさほど重要なことではない。ポイントは、浩がその「海軍士官」を(実在か非在かに関わらず)「恋のライバル」だと無意識のうちに見なしていることだ。
この短編の舞台となっている戦時中、より正確にいうなら太平洋戦争開始前夜における「海軍士官」といったら、まさにエリートの中のエリートであり、スターであり偶像であり、軍国少年や婦女子らの憧れの的であったはずである。浩にとっても本来ならば仰ぎ見るような対象であるはずだ。小川国夫は純文学作家のなかでもとりわけ言葉を惜しむというか、削ぎ落としていくタイプのひとだから、作中には明示的な形では書かれていないが、「三角関係」の相手が海軍士官というのは、浩にとっては途轍もなく大きなことである。ただの勤め人やなんかとはわけが違う。「社会性」の点でいうならば、この時代、軍人くらい莫大かつ複雑かつ錯綜した「社会性」を担っていた職業はほかにないからだ。
その④
この「相良油田」が発表されたのは1965(昭和40)年、同人誌「青銅時代」誌上となっている。発表年次と執筆時期とは必ずしも合致しないにせよ、いずれにしても戦後20年近くを経て書かれたのは確かだ。いわゆる昭和ヒトケタに属する作家が敗戦ののちに「民主憲法」のもとで自己形成を果たし、青年や壮年になってから、かつて少年だった自分たちをモデルにフィクションをつくった例としては、みんな知ってる野坂昭如の「火垂るの墓」はもちろん、「飼育」や「芽むしり 仔撃ち」をはじめとする大江健三郎の初期のショッキングな中短編がある。
ほかにも開高健、古井由吉、井上ひさしなど、枚挙に暇はないけれど、さらにいえば、およそ小説を書く人間で、その試みに手を染めなかったひとはほぼ皆無であろう。戦前および戦中の軍国教育と、敗戦後の民主教育とは180度違う。まさにコペルニクス的転換であって、うちのお父っつぁんみたいな一般ピープルならばいざ知らず、いやしくも作家と名乗るほどの者ならば、その転換に底知れぬ衝撃を受け、それを自らの問題として生涯抱え込まざるを得なかったはずだし、当然ながら創作という形でその問題と格闘せずにはいられなかったはずである。
小川国夫は昭和2年生まれで、昭和10年生まれの大江さんより大正14年生まれの三島由紀夫に近いんだけど、その文体はこの両者と違ってとにかく淡白なのである。前回の記事でもしつこく強調したとおり、憧れの君「上林先生」の彼氏が海軍士官であることは、浩にとってじつに大変なことなのだが、小川さんはいちいちそんなことを書き込まないので、今どきの若者には(今どきの若者がこの短編を読むとしての話だが)よく伝わらないんじゃないかと思う。けれど、耳目をそばだてさせるような派手さは見受けられないにせよ、やはり小川国夫は小川さんなりのやり方で、戦争という主題に向き合っているのである。
理科の時間に、彼女から、日本の石油の産地を聞かれた時、浩は、新潟県と秋田県、樺太(からふと)の東海岸、と答えることが出来た。
それから、
――御前崎にも油田があります、とつけ加えた。
上林先生は例の生まじめな表情になって、一瞬黙った。彼は、微かにだったが、疑われた感じがして、躍起になっていい張りたかった。しかし、口が銹(さ)びついたようで、言葉が出なかった。
――御前崎に……そう、先生は知らなかったけど、調べてみますね、と彼女はいった。
冒頭からの流れで、浩と上林先生との作中における最初のやり取りがこのように描かれる。冒頭の授業風景と同じ日のことかどうかは分からない。あるいは別の日かも知れぬ。つまり時間の推移があいまいで、ここでも小川マジックが発動しているわけだが、小説の進み行きとしては至ってスムースで、なんら不自然さはない。授業のあと浩は「調べてみますね」という先生のことばにこだわり、(生徒のいうことをないがしろにしない責任感とも取れるが、にわかには信じがたいとする蔑視のあらわれとも思える。先生には親しくされるのを拒むようなところがある……)などと、うじうじと思いを巡らす。
文章が簡潔なのでさらっと読んでしまいがちだけど、小川国夫の作中人物はみんな内向的で、ナイーブで、頭のなかはいつも相当ねちっこい。高校時代のぼくにとってはそこがたまらぬ魅力であった。太宰ふうの饒舌体で書けば随分な分量になるはずのその内面描写を、ひとことでバシッと決めてしまうところがカッコいいのである。青年になった浩を描いた「アポロンの島」や「青銅時代」でも、たとえば「浩は空虚なことを言ったと思った。そして、空虚なことを言うのにも慣れねばならないと思った。」とか「笑った自分が単純で滑稽な気がした。しかし、少なくとも今夜は、自分はこうより他に在り方はなかった、と思った。」とか、鮮やかなフレーズが随所に散りばめられてるのだ。
「相良油田」に戻ろう。(あの時僕に親しげなものいいをされたように、彼女は感じたのか、僕はそんな気はなかったのに……)などと、浩の屈託はさらに続く。どうでもいいが、教師を「彼女」などという代名詞で呼ぶこと自体が小学生として(それも戦時中のだぜ)相当ませてるんじゃないかと思う。さらに浩は、そもそも本当に御前崎に油田があるのかどうか、そこが不安になってくる。「(……)たしかに聞いた気がした。しかし、だれに、いつ、どこで聞いたかもおぼえていないことだった。」
「彼は、父親の経営している事務所へ行き、年配の従業員に、そのことを尋ねて見た。四、五人に尋ねたが、だれも知らないと答えた。彼には、たしかだと思っていたことが、段々曖昧になり、やがて事実無根になっていく気がした。物陰になにかがいたような気がしたので、それを請け合ったが、調べて見たら、なにもいなかった、というのに似ていた。彼の耳に、調べて見ますね、という彼女の言葉が聞えていた。」
テレビもインターネットもない時代だし、戦時下のこととて文献なども乏しいのだろう。それより何より、やはり戦争中はとかく世相が騒然として、いろいろなことが混沌としていたんだろうと思う。小川さんには「人隠し」という短編があって、講談社文庫『海からの光』に収録されている。ここでは中学生になった浩が、顔なじみの女学生を探して回るが、だれに訊いても要領を得ず、結局は死んでいたと知らされる。怪しい先輩は軍事教練中の事故死と言い張るのだが、なんとなく、その男が手にかけたのではないかと疑われる節もある。しかし実際のところは分からない。カフカ的、と呼びたいような不気味な話である。そこまで怖くはないものの、「相良油田」にも薄気味のわるいところはあるのだ。小説はここから、長々と夢の話を繰り広げるのだが、その夢が、ちょっと「ねじ式」ふうの気味悪さなのである。
その⑤
「火花」騒動がかまびすしいが、芥川賞のことでいうならば、いま取り上げている小川国夫には、芥川賞の候補に選ばれること自体を辞退したという逸話がある。理由ははっきりわからないけれど、ようするにまあ、この手のバカ騒ぎ、空騒ぎに巻き込まれたくなかったのだろう。そんなドタバタは文学の本質とはなんら関係ない、という信念があった。小川さんは頑ななまでに自己の流儀を貫いたひとだが、そういった気概は昭和中期までの純文学作家たちには或るていど共有されていた節がある。文学とは自らの魂を刻む崇高な営みであり、社会に対して一矢を報いるものなのだから、ジャーナリズムとは一線を画さなければならない。おれたちはエンタメ(娯楽小説)系とは違うのだ。そんな心意気である。純文学の矜持といっていいだろう。そういった気概なり心意気なりが払拭されてしまったのも、80年代バブルの頃であったかと思う。そもそも今や純文とエンタメとの境界線がアイマイだ。
さて。「相良油田」はここから夢の話になる。講談社文芸文庫版にて、ほぼ4・5ページ分が導入部で(これまで延々と紹介した分だ)、残りのほぼ14・5ページがじつに夢の話なのである。この「戦後短篇小説再発見」全18巻の収録作品は、リアリズムだけで貫かれたものが大半だけど、島尾敏雄の「夢もの」をはじめ、夢から着想を得たと思しき作品も多い。それらはおおむね「幻想小説」という括りで呼ばれる。幻想小説と「夢小説」とは厳密にいえば違うけど、面倒なのでここではひとまず一緒にしておこう。「夢」というテーマは現代小説の本質に関わるもの(のひとつ)で、まともに論じれば分厚い本が一冊書ける。日本の現代文学だと、安部公房、筒井康隆の作風は「夢」ととりわけ縁がふかい。掌編(15枚くらいの短編のこと)で有名なのは、残念ながらこのシリーズには入ってないが、吉行淳之介の「鞄の中身」だ。むかし丸谷才一が口をきわめて絶賛していた。この吉行さんの掌編は、「切り出しナイフが、鳩尾(みぞおち)のところに深く突刺さったが、すこしも痛くない。その刃は真下に引き下げられてゆき、厚いボール紙を切裂いてゆくのに似た鈍い音がした。」というショッキングな出だしで始まり、次の行で「夢の話である。」と、あっさり種明かしをする。
いっぽう、いわゆる幻想小説のなかには、「夢」という単語を一切使わず、むしろ周到にその一語を排除するようにして創られたものも少なくない。「夢ですよ。」と断ったとたん、その箇所はほかの「リアリズム」の部分から切り離されて、いわば額縁に収められた格好になってしまう。「鞄の中身」はそこを逆手にとって、その「額縁」をことのほか巧みに用いた作品なのである。その逆に、「あ、ここから夢ですからね。」と断りを入れず、リアリズムからすううーっと幽明境を異にする感じで移行してゆき、結果として凄い効果を上げているのは、残念ながらこれも本シリーズに収められていないが、ぼくがこれまで読んだ中では河野多恵子の「骨の肉」および永井龍男の「秋」だ(日本文学に限る)。いずれもラストまで来て鳥肌が立つ名品である。
「相良油田」はその点、拍子抜けするほどシンプルだ。ここまでの段落からわざわざ一行あけて、「浩は夢の中で彼女に会った。」とくる。淳之介と同じ額縁式だ。「火花」のamazonレビューに「純文学とか読むのってこれが初めてなんですけどぉー」などと臆面もなく書いてるいたいけな、頑是ない少年少女でも、これなら一目で「あ、こっから夢のハナシなんだあ」って分かるよね。よかったね。それでまあ、量からいっても内容からいっても、この「額縁」に収められた「夢」のくだりこそが「相良油田」のメイン、肝(きも)であるのは明白なのだ。油田の存在をめぐる上林先生とのやりとりを何度となく反芻し、悶々としながら床に就いたんだろう。浩はその夜、彼女との「道行」の夢を見るのである。
「……なまぬるい埃が立つ焼津街道を、海の方に向って歩いていると、前を行く若い女の人があった。上林先生だった。髪にも、水色のスカートにもおぼえがあったし、歩く時の肩の辺の動かし方も、そうだった。彼は駆けて行き、息を弾ませながら、
――先生、と声をかけた。彼女は、彼が近づくのを待っていてくれた。彼は追い縋ると、自分でも思い掛けないことをいった。
――僕は物凄い油田を見ました。
またいってしまった、と彼は思った。彼女はちょっと目を見張って、それなりに生まじめな表情になって、しばらく考えていた。彼には、なんだか癪にさわることがあったが、それを抑えなければ……、という自制も働いていた。彼は自分のことを、緑シジミの幼虫が、暗くみずみずしい葉陰で、一人で翻転しているように感じた。」
「緑シジミの幼虫が、暗くみずみずしい葉陰で、一人で翻転しているように感じた」という比喩が何とも生々しいではないか。そこまで冷静に自己分析しながら、しかし浩は、「アメリカよりも、ボルネオやコーカサスよりも大きな、油田地帯です。」としつこく言い募ってしまう。このあたり、身体(感情)が内面(理性)を裏切って暴走する感じが如実に出ていて絶妙だ。ここのくだりはほんとに良くて、いくらでも引用を続けたくなる。
「……彼女は、浮世絵人形のような表情を動かしはしなかった。彼は、自分が無為に喋っているのを感じた。そして、なにをいってもいいのなら、いうことは一杯あるぞ、と思った。自分で自分に深手を負わせてしまい、血が止らなくなった感じだった。彼はまたなにかいおうとした。…………」
大好きな異性を目の前にして、彼女と少しでも長く話を続けたい。できればもちろん、相手に熱中して欲しい。だけどそれはぜんぜん無理っぽくて、もう何を話していいかさえわからない。共通の話題が見当たらない。だって向こうは自立した大人の女性で、こっちはただの子供なんだから……。それで、とりあえず共有できる唯一のネタ(このばあいは油田の話)をずるずると引っ張ってしまう。それも、内容がないから口ぶりだけが誇大になって……。ひどく軽薄なことだとわかっていて、自己嫌悪にもかられるのだが、どうしてもそれが止められない。そのうちにだんだん、開き直った気分になってくる……。
「オトナ」をまえにした「コドモ」の焦り。この焦燥をよりいっそう掻き立てるのは、彼女の恋人である(と噂されている)「海軍士官」の存在である。どうしても届かない、絶対に乗り越えることのできない強大な恋敵(ライバル)の存在(じっさいには出てこないけど)が、たえず少年の心にのしかかり、間断なく揺さぶり続けている。これぞまさしくエディプス・コンプレックスの典型である。
ぼくのお父っつぁんは堂々たる社会的名士なんかじゃなかったし(むしろその対極に近い気がする)、ぼく自身も息子として母親とはなはだ折り合いが悪かったので、現実の家庭においてエディプス・コンプレックスを感じた覚えはない。だが、20歳になるやならずの時分にひょんなことからダンナのいる女性(つまり人妻。もちろん年上)に恋をしてしまったことがあり、もとより片思いで終わったんだけど、だから浩の感情の動きがイタいくらいにわかるのである。
空転し、なかば自暴自棄となっていく浩。ところが事態はここから展開を見せる。冷ややかに聞き流していると思っていた上林先生が、彼の話に乗ってくるのだ。「彼はまたなにかいおうとした。」のあと、
「すると彼女が、いつもの口調できいた。
――それはどこなの?
――大井川の川尻です。」
小川さんは節度を保ってこう書くが、本来ならばここはもう「――お、大井川の川尻ですっ。と浩は勢い込んで言った。」くらいのもんだろう。ここでようやく上林先生が、いまどきの用語でいえば「食いついて」きてくれたわけだから。
「――大井川の川尻……。あんなところだったの、と彼女は少し声を顫わせて、いった。浩には、彼女が胸をはずませているのがわかった。駄目だと思いながらも叩いた扉が、意外にも手応えがあって動き始めたようなことだった。彼は自分の嘘の効果が、怖ろしく美しく彼女に表れたことに呆然としていた。」
いうまでもないとは思うが、大井川の川尻ってのは、ふたりが(夢のなかで)この会話を交わしている場所のすぐ近所で、むろんそんな所に油田なんかあるわけがない。「自分の嘘」とはそのことである。浩としては、あわよくばこれから二人でそこに行きたいと目論んでいるわけで、ほんとうに話はそんな具合に進んでいく。わりと嬉しい夢なのである。とりあえず途中まではね。ただその前に、ここで浩が、
「――僕はなにか海軍の士官のことをいったんだっけ」
と内心で呟いているのがなんともおかしい。ここだけは何度読み返してもくすっと笑ってしまう。小川国夫は生真面目な作家で、その作品はあまり笑いとは縁がないけれど、それでもこんなふうにしてユーモアが生まれることもある。こういうのを「巧まざるユーモア」というんだろう。それはたいそう上質のものだ。
その⑥につづく。
島尾敏雄という補助線を引くのはとても興味ぶかいですね。島尾さんは小川さんより10歳年上の先輩作家で、ご結婚相手のミホさんは確かに小学校の先生でした。その自らの経験をもとにした名作「出発は遂に訪れず」が発表されたのは、この「相良油田」より何年か前だから、ひょっとしたら、小川さんのほうが何かしらインスパイアされたところもあるのかもしれない……などと、想像を逞しくしてしまいました。
ただ、島尾さんのばあい、赴任した先の小さな島での恋愛だから、すこし稀なケースなのかな……という気もしています。
もちろん、士官といっても若い男性なのだから、たまたま小学校の先生をしている女性と出会って恋に落ちることはふつうにありえますね。いまはそう考えています。
ただ、ぼくはあまり戦前~戦中のことを書いた小説を読んでいないので、じっさいにそういう事例を書いた作品が他にあるのかどうかは、いまだに心もとないままですね……。よろしければ、箇条書きでいいので、いくつかご紹介いただけましたら幸いです。