ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 53 宇宙よりも遠い場所 11

2019-01-19 | 宇宙よりも遠い場所
 「物語の出で来はじめの祖(おや)」の古くより、人がさまざまなかたちで語り継ぎ、語り直してきたテーマ「喪の仕事」。それはニンゲンという生き物が、死を悲しみ、死を悼む唯一の動物であるゆえの必然であったろう。モノ語ること、あるいは、「モノ」をして語らしむること。それによって人類は、「死」との向き合い方、「死者」との付き合い方を、自ら学んでいったのだと思う。
 ワタクシがこれから僭越にも要約させていただく『宇宙よりも遠い場所』第12話のエンドパートは、私見によれば、人類の成立と共に古い「喪の仕事」が成し遂げられる瞬間を、もっとも現代的なやり方で変奏してみせたエピソードである。2018年度ハイテク最新バージョン。「ニューヨークタイムズ」が激賞したのも当然で(いやまあもちろんここんとこだけを褒めたわけじゃないけど)、映像をもちいた表現として、世界レベルを軽々とクリアしている。現時点での表現の頂点に達している。
 これまで52回にわたった連載すべてに言えることだが、なかんずくこの回ばかりは、どれほど文章をつらね、画像を貼らせて頂いたところでその感動を伝えることなど不可能である。ことに、信じがたいほど巧緻な編集と、花澤香菜さんの入神の演技はただただ息を呑むしかない。「あああ」という嗚咽と、「お母さん、お母さん」の呼びかけは、昨年の9月にプライムビデオで初めて観た時からずっと、耳に残って離れない。この先も忘れることはないだろう。



 挿入歌「またね」は、あの「宇宙よりも遠い場所」にて、キマリが手袋でパソコンの霜を拭ってありし日の貴子と幼い報瀬の写真があらわになった時から流れはじめている。それは以下のシーンを貫いて流れつづけ、エンドロールへと至り、そのままエンディングテーマになる。いつものEDはない。
 パソコンを手渡された報瀬がふかく息をつくカットのあと、





ふたつのカットを挟んで、



 次のカットがこれになる。昭和基地。報瀬の部屋だ。だから帰路、また1週間くらいの日数が経過している筈である。かつ、持ち帰ったパソコンは(おそらく敏夫に頼んで)念入りにメンテをしただろう。そういった経緯はことごとく削ぎ落されている。こういうことができるのが「物語」なのだ。リアリズムとしては飛躍があれど、報瀬の心情において、また「喪の仕事」という主題においてストーリーラインが持続しているから、なんの問題もないのである。
 部屋の中が暗いのも、もちろん、まだ「喪の仕事」が終わっていないから。ここが「喪の仕事」をはたすべき場の延長だからだ。
 念のために確認しておくと、「内陸基地」の内部や周辺には電波が来ていない。だからここに来るまで、メールの送受信は一切できなかった。それが前提になっている。


3人はここにいる。パソコンという「媒介の具」を見つけ出し、報瀬に手渡すところまではできても、この部屋の中には立ち入れない。「喪の仕事」は当人がひとりで為すべき事、どうしても独りで為さねばならない事なのだ









スイッチを押す。無事に通電、起動まではできた


 
 パスワード。まず母の誕生日を打ち込む。それではなかった。



 母と幼い自分が写った写真に目をやり、すこしためらったのち、自分自身の誕生日を打ち込む。11月1日。「1101」だ。






パソコンの蓋に貼られた写真。ちなみに、これと同じ写真を藤堂も持っている。報瀬はこれを鏡越しにみて(だから左右が反転している)、自分の誕生日を打ち込む


 ここで誕生日が前面に出るのは、直接には、10話の結月のエピソードから続いている。それは生のはじまり。すなわち「死」の対極にあるものだ。その人がこの世に生まれたことをまるごと肯定する。それがバースデーパーティーの本義であって、たんなる「イベント」のひとつではない。だからこそ結月もあんなにうれしかったわけだ。



 パスワードはほんとうに報瀬じしんの誕生日だった。ここまでは、娘にたいする母の情愛を示した「いい話」なのだが、問題はこの先である。


最初のメールが受信される













 堰を切ったかのように、画面の上から下へと滔々と流れ落ちていくメール。






 積み重なっていく数字。3年間にわたって毎日毎日送り続けていたメールは、1通も母のもとに届いてはいなかった。母はもうこの世にいないのだ。自分の送ったメールによって、その事実を思い知らされる。








 数々の暗喩と象徴によって綾なされてきたこのアニメにあって、間違いなく最高・最大の暗喩がこれだろう。3年にわたって鬱積していた感情。留まっていた時間。それらのすべてが流れ出していく。







 これもまた決壊ではあろう。しかしどこまでも前向きであったキマリや日向の決壊に比べて、「母の死」に直面させられる報瀬のそれは残酷だ。とはいえそれが「喪の仕事」なのだ。これを成し遂げ、乗り越えなければ、「澱んだ水」からの解放はない。
 それでもやはり、今この時は、ただただ悲しい。「しゃくまんえん」を返してもらったとき以来、たびたび涙を見せてきた報瀬。しかし心の底からの号泣はこれが初めてだ。





 表示が「1101」になったとき、画面は外の3人に切り替わる。なお1101が送ったメールの総数ではない。もっと多い。それは次の13話でわかる。




もちろん、これはたんなる「もらい泣き」ではない。3人がひとつになって、扉のこちらで、報瀬の悲しみに全身で共鳴している。それはここまでの物語の積み重ねを思えばなんら不思議なことではない。ひとが誰かのためにこんなふうに泣けるということは、現実の世界ではまず滅多にないことだと思う