そういえば昔、noteに掲載した記事があるので、すこし手を入れて、こちらに転載しておきましょう。
江戸といえば、夷斎先生こと石川淳の、
「わたしはいくさのあひだ、国外脱出がむつかしいので、しばらく国産品で生活をまかなって、江戸に留学することにした。」(「乱世雑談」(『夷斎俚言』所収)より)
という名台詞がまっさきに思い出されるところですが……。
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中野三敏『江戸文化評判記』(中公新書)より
「一番手っ取り早いのは、江戸時代を一個の人格を具えた生命体として見ることだと思う。つまり江戸を一人の人間になぞらえる。
人間にはだれしも人格形成期、成熟期、老衰期がある。そして都合のよいことに江戸は17、18、19の三世紀にわたっている。よりわかりやすくいえば、寛政の改革後(1801年)あたりに区切りをおいてみればよい。享保以前の17世紀が江戸の人格形成期、享保から寛政までの18世紀が成熟期、それ以後の19世紀が老衰期ということになろう。
(……中略……)
享保から寛政までの18世紀が成熟期だとすれば、これまでの教科書で金科玉条的に述べられてきた元禄、化政の両文化というのは、いずれもピークには適合しないことになってしまう。元禄の西鶴・近松・芭蕉、化政期の馬琴・三馬・一九、これらが江戸文化のピークを示していないとすれば、さあ、どうしてくれるといきりたたれそうだが、こういう見方がまさに近代的楽天主義の見本というべきなのである。」
この伝でいくと、江戸270年はこういう塩梅になりますね。
慶長けいちょう 1596.10.27 ~ 1615.7.12
元和げんな 1615.7.13 ~ 1624.2.29 元和偃武
寛永かんえい 1624.2.30 ~ 1644.12.15 寛永寺 寛永通宝
正保しょうほう 1644.12.16 ~ 1648.2.14
慶安けいあん 1648.2.15 ~ 1652.9.17 慶安の変
承応じょうおう 1652.9.18 ~ 1655.4.12
明暦めいれき 1655.4.13 ~ 1658.7.22 明暦の大火
万治まんじ 1658.7.23 ~ 1661.4.24
寛文かんぶん 1661.4.25 ~ 1673.9.20
延宝えんぽう 1673.9.21 ~ 1681.9.28
天和てんな 1681.9.29 ~ 1684.2.20 ※辛酉革命
貞享じょうきょう 1684.2.21 ~ 1688.9.29.
元禄げんろく 1688.9.30 ~ 1704.3.12 西鶴・近松・芭蕉 / 赤穂浪士討ち入り
宝永ほうえい 1704.3.13 ~ 1711.4.24
正徳しょうとく 1711.4.25 ~ 1716.6.21
享保きょうほう 1716.6.22 ~ 1736.4.27 享保の改革
元文げんぶん 1736.4.28 ~ 1741.2.26
寛保かんぽう 1741.2.27 ~ 1744.2.20
延享えんきょう 1744.2.21 ~ 1748.7.11
寛延かんえん 1748.7.12 ~ 1751.10.26
宝暦ほうれき 1751.10.27 ~ 1764.6.1 宝暦事件
明和めいわ 1764.6.2 ~ 1772.11.15
安永あんえい 1772.11.16 ~ 1781.4.1
天明てんめい 1781.4.2 ~ 1789.1.24 天明の大飢饉
寛政かんせい 1789.1.25 ~ 1801.2.4 寛政の改革
享和きょうわ 1801.2.5 ~ 1804.2.10
文化ぶんか 1804.2.11 ~ 1818.4.21
文政ぶんせい 1818.4.22 ~ 1830.12.9 馬琴・三馬・一九
天保てんぽう 1830.12.10 ~ 1844.12.1 天保の改革
弘化こうか 1844.12.2 ~ 1848.2.27
嘉永かえい 1848.2.28 ~ 1854.11.26
安政あんせい 1854.11.27 ~ 1860.3.17 安政の大獄 安政の大地震
万延まんえん 1860.3.18 ~ 1861.2.18
文久ぶんきゅう 1861.2.19 ~ 1864.2.19 ※辛酉革命
元治げんじ 1864.2.20 ~ 1865.4.6 ※甲子革令
慶応けいおう 1865.4.7 ~ 1868.9.7
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また、岩波書店の「講座 日本通史」では、
➀織豊政権からいわゆる元和偃武(げんなえんぶ)、徳川氏の覇権成立まで。明・清の交替という東アジアの大きな変動のなかで、政治的な結合が実現。
➁第四代将軍家綱の寛文・延宝期まで。幕府と藩の機構を軸に、都市と農村の支配体制が確立された。
➂元禄から享保の改革をふくむ八代将軍吉宗の政治まで。平和が継続するいっぽう、経済は成長から停滞への転換期に入り、あらゆる意味で社会の再構築の方向が模索される。
➃宝暦・明和から天明にいたる田沼政治の登場した時期。模索のつづくうち社会的矛盾の表面化もみられ、近代への萌芽がいくつかの要素として浮上する。
➄寛政の改革いこう、列島を取り巻く国際的な条件が変化するとともに、社会の諸側面において国民国家形成への動きが進みはじめる。
と、五つに区切っている。
これでいくと、こうなる。ちょっとあいだが飛んじゃうんだけど……。
慶長けいちょう 1596.10.27 ~ 1615.7.12
元和げんな 1615.7.13 ~ 1624.2.29 元和偃武
寛永かんえい 1624.2.30 ~ 1644.12.15 寛永寺 寛永通宝
正保しょうほう 1644.12.16 ~ 1648.2.14
慶安けいあん 1648.2.15 ~ 1652.9.17 慶安の変
承応じょうおう 1652.9.18 ~ 1655.4.12
明暦めいれき 1655.4.13 ~ 1658.7.22 明暦の大火
万治まんじ 1658.7.23 ~ 1661.4.24
寛文かんぶん 1661.4.25 ~ 1673.9.20
延宝えんぽう 1673.9.21 ~ 1681.9.28
(天和てんな 1681.9.29 ~ 1684.2.20 ※辛酉革命
貞享じょうきょう 1684.2.21 ~ 1688.9.29.)
元禄げんろく 1688.9.30 ~ 1704.3.12 西鶴・近松・芭蕉 / 赤穂浪士討ち入り
宝永ほうえい 1704.3.13 ~ 1711.4.24
正徳しょうとく 1711.4.25 ~ 1716.6.21
享保きょうほう 1716.6.22 ~ 1736.4.27 享保の改革
元文げんぶん 1736.4.28 ~ 1741.2.26
寛保かんぽう 1741.2.27 ~ 1744.2.20
延享えんきょう 1744.2.21 ~ 1748.7.11
寛延かんえん 1748.7.12 ~ 1751.10.26)
宝暦ほうれき 1751.10.27 ~ 1764.6.1 宝暦事件
明和めいわ 1764.6.2 ~ 1772.11.15
安永あんえい 1772.11.16 ~ 1781.4.1
天明てんめい 1781.4.2 ~ 1789.1.24 天明の大飢饉
寛政かんせい 1789.1.25 ~ 1801.2.4 寛政の改革
享和きょうわ 1801.2.5 ~ 1804.2.10
文化ぶんか 1804.2.11 ~ 1818.4.21
文政ぶんせい 1818.4.22 ~ 1830.12.9 馬琴・三馬・一九
天保てんぽう 1830.12.10 ~ 1844.12.1 天保の改革
弘化こうか 1844.12.2 ~ 1848.2.27
嘉永かえい 1848.2.28 ~ 1854.11.26
安政あんせい 1854.11.27 ~ 1860.3.17 安政の大獄 安政の大地震
万延まんえん 1860.3.18 ~ 1861.2.18
文久ぶんきゅう 1861.2.19 ~ 1864.2.19 ※辛酉革命
元治げんじ 1864.2.20 ~ 1865.4.6 ※甲子革令
慶応けいおう 1865.4.7 ~ 1868.9.7
蔦屋重三郎は1750(寛延3)年生、1797(寛政9)年没だから、まさに江戸の社会と文化とが成熟して、「近代」への萌芽がのぞきはじめた(そして自らその成熟に大きく寄与した)時代の人ってことになりますね。