ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第5回・小川国夫「相良油田」その①~⑤まとめ。

2015-11-29 | 戦後短篇小説再発見
 当ブログでは、講談社文芸文庫版をテクストにした「≪戦後短篇小説再発見≫を読む」というシリーズをやってるんだけど、最初の太宰から四番手の三島まではそれぞれ短期集中連載で、きっちり一ヶ月以内に片づけてきた。ところがその次の小川国夫にいたって、なぜか流れは寸断されてしまったのです。初回は3月12日、第二回が4月21日、第三回が5月19日、第四回が5月25日、第五回が8月7日、というありさま。書いてるこっちも、そのつど読み返さないことには、何をどこまで書いたか忘れちまっているという。

 なぜこんなことになってるのか。今年はブログの更新がままならなかったってこともあるけど、つらつら思うに、「相良油田」という短篇が、ひいては小川国夫ってぇ作家がそれだけ難物なのである。とにかく説明しない。言葉を惜しむ。切り詰める。ゆえにその作品はみな、小説でありながら散文詩のような硬度を帯びる。とてもじゃないが、スナック菓子みたいにぱりぽりと消費できる類いのブンガクではないのだ。
 このままだと下手すりゃ年を越しちまう。「旧ダウンワード・パラダイス」から昔の記事を引っ張ってくる作業も一段落したことだし、そろそろ続きを書きましょう、という感じなんだけど、その前に、とりあえず①~⑤までの内容をまとめておこうじゃないですか。そうしなきゃぼく自身も何だかよくわからないんで。


その①



 前回のミシマからずいぶん間があいてしまったが、そろそろ「戦後短篇小説再発見」の続きをしましょう。五番目に選ばれているのは小川国夫。これはぼくにはうれしい人選だった。トップバッターの太宰(青春小説の永遠のチャンプ)、二番手の慎太郎(元都知事)、三番手の大江(ノーベル賞)、四番サード三島(戦後日本文学最高のエースにして最大の謎)と、知名度においてはいずれ劣らぬ錚々たるメンバーに続いて、ここで小川国夫がくるんだからね。ぼくにとっての「文学の基準線」は高校以来ずっと変わらず大江健三郎その人だけれど、それとは別に、「とにかく矢も盾もたまらず好き。数ヶ月に一度はこの人を読み返さずにはいられない」という大好きな作家も何人かいて、その筆頭が古井由吉とこの小川さんなのだ。またしても思い出話になってしまうが、ぼくは高校の図書室にあった「新潮現代文学」という全80巻のシリーズでブンガクの世界に入門した。赤い表紙のハードカバーで、表紙を開けるとタイトルの記されたページがあって、その次に作者の近影が載っている。どれも作家の個性が出ていて面白かったが、中でも小川さんのは、群を抜いてカッコよかったのである。バックに何もない殺風景な景色のなか、石の柱に背中を預けた小川国夫が、左手を左のこめかみに当て、瞑目したまま天を仰いでいる全身像。それがクローズアップではなく、ちょっと遠めの視点で撮られている。こんなクサい構図が様になるひとは、役者の中にもそんなにいまい。ウェーブの掛かった豊かな長髪は五木寛之を思わせるが、格調の高さでは小川さんのほうがさらに一枚上だったと思う。町田康が登場するまで、小川国夫は吉行淳之介と並んで近代日本文学史上屈指の美男であったはずである。

 当時、原田芳雄に心酔する少し渋めのミーハーであったぼくは手もなくこの近影にいかれてしまい、なんの予備知識もないままにこの巻を借りて帰った。CDでいうところの「ジャケ買い」みたいなもんだが、中身のほうも作家の風貌に恥じないカッコよさで、これを機に全80巻の「新潮現代文学」に深入りしていくこととなる。つまり小川国夫はぼくの本格的な文学入門のきっかけを作った作家だともいえる。その同じ図書室で、大江さんの「死者の奢り」と野坂昭如の「火垂るの墓」を読んで衝撃を受けるのは、その何日か後である。ちなみにこの「新潮現代文学」の小川国夫の巻は、最初の出会いから十数年のち、偶然入った古本屋で見つけて飛びついて買った(三百円だった)。爾来、手の届く場所に置いて繰り返し読みかえしている。とうぜん影響を受けてもいるはずだが、影響というなら、そもそもぼくが19の年に文具屋でコクヨの原稿用紙を買って初めて書いた小説(らしきもの)が、もろに小川国夫の模倣だったのである。模倣といっても自己流だから、似て非なるものであったのは間違いないけど、それでも自分としては真剣だった。しばらくはその線で書き続けていたものの、根っからの饒舌体質であるぼくには、切り詰めて凝縮された小川流の文体はどうしても無理だと判断し、しばらくのちに諦めた。それでもあの文体は、今も自分にとって目標の一つであり続けている(ついでに言うと、大江さんの文体はあまりにも癖が強すぎるので、仮に練習であっても一度も真似したことはない)。

 小川国夫は、1970年代にはそこそこ人気を博していた。あのころは高橋和巳の作品もみな新潮文庫で入手できた。バブルはほんとにこの国の精神風土を変えてしまった。ま、その話はいい。70年代には人気のあった小川さんだけど、それ以前は長く不遇であった。不遇というか、本人はさほど気にしてなかったらしいから無名の時期と言い換えるべきかもしれないが、地方の一介の同人誌作家として、けして短からぬ歳月を過ごした。昭和40(1965)年、38歳のころに短編集『アポロンの島』がとつぜん島尾敏雄の賞賛をうけて一挙に知名度をあげるのだが、その『アポロンの島』は8年も前に自費出版したものだったのだ。まあ悠長な時代だったんだなァ。そういえば、つげ義春の短篇で、「彼は当時まだ無名であった小川国夫をいち早く発見して私に薦めてくれた」といった文章をみた覚えがある。才能はあるのに生きるのが下手で社会の底辺を低迷している漫画家のエピソードとしてである。小川国夫とは、そんな事例に引き合いに出されるのが似つかわしい作家ではあった。


 小川国夫の第一作品集『アポロンの島』は、ヘミングウェイの初期短篇を思わせる小品のスケッチ集である。文章は簡潔にして陰影に富み、個々の作品はそれぞれに強い緊張を孕んではいるが、しかし物語や劇が展開されるには至っていない。ヘミングウェイもそうだったけれど、いかに優れたものであれ、これだけではまだ一般の評価も集まらないし、作家としても認められがたい。「戦後短篇小説再発見」に採られた「相良油田」は、この『アポロンの島』につづく第二作品集『生のさ中に』の中に入っているものだ。じつはここでもまだ、物語や劇は展開されていない。小川国夫は物語作家ではなく、いわば生粋の「純文学」の書き手、純文学しかやれない人なのだ。ただここでは、ヘミングウェイの「ニック・アダムス」シリーズに倣って、作者の分身とおぼしき少年が成長していく挿話が(けして系統立てられてはいないが)順に積み重ねられている。だから「相良油田」は、短編集「生のさ中に」の流れにおいて読むのがいちばん望ましいのだが、しかしこれだけ読んでも十分に面白い。

 ――ちょっと熱を加えただけで揮発は蒸発します。放っておいたって蒸発しますね。うんと熱くしてやってもなかなか蒸発しないのは、悪い成分です。
 ――………………。
 ――ガソリンもいい成分ですね。八十度以上二百度以下で蒸発するんです。
 ――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか。
 ――ガソリンです。
 ――そうガソリンですね。飛行機に使うガソリンは、とりわけいいものです。百度前後の熱で蒸留したものです。もっと質の悪いガソリンは……。
 ――自動車なんかに使います。
 ――そう、自動車や軽便のレールカーに使いますね。
 ――………………。
 ――軍艦の燃料はなんでしょうね。軍艦はなんで走るの。
 ――重油です。
 ――そう、重油ですね。では、重油をなん度くらいに熱してやると、上って来るんでしょう、青島さん。
 ――………………。
 ――教科書の表にあるでしょう。
 ――四百度以上です。
(以下略)

 作品はこんな会話ではじまる。「小説を会話で始めるのは、できれば控えたほうがよい」という戒めをそのむかし「小説の書き方」みたいな本で読んだ記憶があるが、小説には決まりごとなんてものはないので、要は書き手の腕次第である。会話を「」ではなく――であらわすのは終生かわらぬ小川さんのスタイルだった。深意は知らぬが、こだわりということなんだろう。ぼくも最初はマネしていた。こうすると、「」よりも会話の部分が地の文に溶け込んで、結果として作品全体に幻想的な風合いが増すように思う。このやりとり、小学校の教室で先生が生徒に授業をしている場面なのである。年代ははっきり書かれていないが、作者自身の年齢などを考え合わせると、おそらく太平洋戦争の始まる間際、すなわち昭和15(1940)年あたりらしい。「軍艦」という単語が出てくるのもそのせいだし、そもそも小学校の授業でこんなに石油の話に拘るのも、戦争という背景あってのことである。それにしてもこの会話、ぼくには何度読み返しても分からない。気がついた方はおられるだろうか。――ちょっと熱を加えただけで、という出だしの一行は、これはやっぱり先生の発言だろう。次の………………は、教室ぜんたいが黙って傾聴している感じ。そして次の――ガソリンもいい成分ですね、はとうぜん再び先生の発言だと思われるのだが、しかし、だとするとこの次の――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか、が分からなくなる。あれ、先生はこの前に喋ってたよね? でも授業中に生徒に質問するのって、どう考えても先生しかないよね。だとするとこれが先生なの? え、じゃあさっきの――ガソリンもいい成分ですね、は誰なのよ。ていうか、そうなると、順に前へと戻っていって、冒頭の――ちょっと熱を加えただけで、までもが、もう誰のせりふだか分からなくなっちゃうじゃん。まさかこれ時枝さん? 時枝さん最初から喋ってたの? いやさすがにそれはないでしょ。といった具合に、よく分からなくなってくるわけだ。

 ぼくの解釈としては、――ガソリンもいい成分ですね。八十度以上二百度以下で蒸発するんです。から、――時枝さん、飛行機の燃料はなんですか、までが、先生による一連なりの発言であって、これを切断して二つに分けたのは作者の単純なミスでなければ一種のトリックであろう。後者の解釈に従うならば、ここからすでに小川マジックが始まっているわけで、読み進めればわかるとおり、この短篇は全編のほぼ8割が夢の情景という或る種異様な作品なのである。この冒頭の授業のもようは夢ではない。夢ではないが、この時点でもう、平凡な授業風景のようでいて、だれがどのせりふを喋っているのか、じつはゆらゆら揺らめいている。小川国夫の文体には、「明晰」という形容がよく使われるけれど、大理石に鑿(のみ)をふるうがごとく、端正かつ明晰な文章をこつこつと重ね、結果として「硬質なる夢幻」とでも呼ぶべき独特の世界を彫り上げるのが小川国夫という稀有の作家なのである。


その②

 冒頭の、教室における先生と生徒との質疑応答はさらに十行ばかし続くのだが、話題はずっと石油のことである。小学校の授業でかくも石油にこだわるのは、これが戦時中(正確にはたぶん太平洋戦争開始まぎわ)のお話だからだってことは前回述べた。石油とはもっとも重要な戦略物資なのであり(石油がなければ軍艦も海に浮んだたんなる鉄のかたまりだ)、日本がアメリカとの開戦などという自殺行為に出たのも、あえて乱暴に言ってしまえば、ようするに石油の輸入を止められたからだった。

 この短篇がそのような緊張状態を背景としていることはぜひ頭に留めていただきたい。ところで、今いったようなことは、いうならば石油ってものの科学的・社会的側面である。歴史の勉強をしてるんならば別段それでいいんだけども、しかし「相良油田」はルポルタージュではなく小説であり、しかも小川国夫の小説なのである。つまり「石油」には日常の概念とは異なる象徴的な意味が込められていると見なければならず、そうでなければ作品の奥にひそんだ凄みが分からぬままで終わってしまう。石油とは、ドロドロしていて、濁っていて、何かしら暗いエネルギーに満ち、地の底から湧き上がってくるものだ。そして、「油田」というのはまさに石油が湧いて出てくるその場所なのだ。このことを弁えておかないと、作品の魅力は半減してしまう。

 「<石油>の課の授業は四、五時間続いた。理科を六年二組に教えたのは、主任の教諭ではなくて、上林由美子という若い女教師だった。先生は長野県の上諏訪というところで生まれました、と彼女は自己紹介したことがあった。」

 冒頭の対話部分がおわり、地の文に入って最初の文章がこれである。ヒロイン登場とでも申しましょうか、先生は若い女性だったのだ(おれなんかの齢からすると「女の子」という感じだけども)。でもって、このパラグラフにつづく一連の記述は、この短篇の主人公(正確には「視点的人物」と呼ぶほうがふさわしいけれど)が小学生(それも戦前の)であることを思うといささか生々しくてドキッとする。少なくとも、最初読んだ時にはぼくはドキッとさせられた。

 「浩たちの級に、高等科の生徒から伝わってきた噂があった。それによれば、上林先生の彼氏は海軍の士官だということだった。前の土曜日の夕方、彼女が彼と並んで、青池の岸を歩いていたのを、見たものがあるということだった。(…………中略…………) 浩は青池へ遊びに行き、そこを歩いた二人のことを想像した。二人が残していった温かみが感じられる気がした。」

 なかなかに早熟な小6ではないか。青池に行ったのがたまたまなのか、噂を耳にしてわざわざ出かけたのかが気になるとこだが、だけど、まあ、これくらいは普通かねえ。「浩」というのは初期の小川さんが自分の分身として愛用していた名で、「アポロンの島」に出てくる青年もやはり浩であった。それはともかく、浩少年が上林先生に憧れ以上の感情を抱いているのは確かだけれど、いきなりその感情が、いっしゅの「三角関係」として前景化されるあたりが鮮やかである。

 すべての恋愛は潜在的に三角関係を孕んでいる、とたしか柄谷行人が夏目漱石論のなかで言っていたけれど、恋愛ってものがエディプス・コンプレックス(女性のばあいはエレクトラ・コンプレックス)を基底としているのだとすればもちろんそれはそうだろう。ただ小学生が(男女を問わず)若くて見栄えのいい異性の教師に強い憧れを抱くのはよくあることだし(かく言うぼくにも覚えがある)、それを題材にしたお話もわりあい多いと思うけれども、あくまでも三角関係を前面に立ててその模様を叙述するのはなかなか例のないことで(だって何しろ子供なんだから、本来ならそんな関係なんぞ成立しないわけでね)、そこは小川国夫の非凡さであろうと思うわけである。

 むろん浩は、少年らしい潔癖さで、その噂をたいそう不快に思っている。「彼氏」という言葉さえ、浩には汚れたものと感じられるのだが、その感情はたんにジェラシーなのかというと、それだけじゃないとぼくは思う。海軍士官の彼氏うんぬんの話のあと、ようやく上林先生の外見および人となりが語られる(ふつうはこちらが先だろう)。ここの描写はじつに清冽で、小川国夫の女性描写の見事さの一端が窺えるので、全文を引用させてもらおう。

「浩は母親から、山家(やまが)の人は肌がきれいだ、と聞いたことがあったが、上林先生はその証明のようだった。味気ないほど白く滑らかで、きちんとした輪郭を持った顔をしていた。彼女の切れ長の眼のまわりが彫ったように整っていて、曖昧な影が一つもないのが、彼には不思議な気がした。生徒から質問されると、その眼は一瞬生(き)まじめな表情になって、かえって質問した者を緊張させた。こうして、ちょっと黙ってから、彼女はゆっくり質問に答えたが、その間の表情の動きに、自然に注意が集まってしまった。彼女の短い沈黙には、磁気の作用があるようだった。」

 ようするに、きりっとしていて、清潔で、やや堅苦しいくらいに真面目な人なのだろう。いますよね、こういう女性。そんなひとが先生なら、ぼくが浩くんでもきっと好意を持ちますよ。でも、いかに早熟であろうと小6の男子ならばまだ性的にも未成熟であり、先生に寄せる思いも、憧れ以上のものであっても恋愛とまではさすがにいかない。上林先生に向ける浩の視線には、聖女を仰ぎ見る信徒のような真率さが込められている……と、自らの経験からもぼくは思う。だから浩には、「彼氏」の存在は何よりもまず、彼女の清潔さを損なうものだと思えて許しがたいのである。大げさにいえば冒涜というか……。まあ、それも含めてジェラシーなのだと言われれば、それはたしかにそうなんだけどね。

その③

 「相良油田」は三角関係の小説である。まあ、恋愛小説ってものは(ひいては恋愛というものは)根底に必ずや三角関係を潜めているわけで、もっというなら人間と人間との関係性そのものが元来そういうふうに成り立っている(つまり、純然に一対一ということはありえず、つねにそれ以外の存在からの影響をこうむらざるにはいられない)ものなのである。つまりはそれが「社会性」ってやつだろう。

 「相良油田」に出てくる小学生の「浩」は、若くてきれいな女性教師「上林先生」に幼い思慕を抱いている。うわさのなかでの上林先生の彼氏、すなわち浩の三角関係の相手は海軍の士官である。士官ってのは将校ないし将校に相当する位だから相当偉い。このひとは作品内にじっさいには登場しないので名前も容姿も年齢もわからないけれど、それにしても、幾つなんだか知らないが、そんな偉いひとがまだ小娘みたいな一介の小学校教諭と本気で交際するもんだろうか。

 ドラマや映画なんかでは、人気若手男優の演じる凛々しい士官が人気若手女優演じる幼馴染の清楚な美少女と清らかな交際をしている設定ってのはよくあって、ぼくらも見慣れているのだが、現実にそういう事例が頻繁にあったとは私にはどうも思えないのである。この「噂」は「高等科の生徒から伝わってきた」ものなので、信憑性は低くはなかろうが、しかしその海軍士官の存在自体が生徒らのあいだでの「共同幻想」という可能性もないわけではない。ただ、その詮索はさほど重要なことではない。ポイントは、浩がその「海軍士官」を(実在か非在かに関わらず)「恋のライバル」だと無意識のうちに見なしていることだ。

 この短編の舞台となっている戦時中、より正確にいうなら太平洋戦争開始前夜における「海軍士官」といったら、まさにエリートの中のエリートであり、スターであり偶像であり、軍国少年や婦女子らの憧れの的であったはずである。浩にとっても本来ならば仰ぎ見るような対象であるはずだ。小川国夫は純文学作家のなかでもとりわけ言葉を惜しむというか、削ぎ落としていくタイプのひとだから、作中には明示的な形では書かれていないが、「三角関係」の相手が海軍士官というのは、浩にとっては途轍もなく大きなことである。ただの勤め人やなんかとはわけが違う。「社会性」の点でいうならば、この時代、軍人くらい莫大かつ複雑かつ錯綜した「社会性」を担っていた職業はほかにないからだ。

その④

 この「相良油田」が発表されたのは1965(昭和40)年、同人誌「青銅時代」誌上となっている。発表年次と執筆時期とは必ずしも合致しないにせよ、いずれにしても戦後20年近くを経て書かれたのは確かだ。いわゆる昭和ヒトケタに属する作家が敗戦ののちに「民主憲法」のもとで自己形成を果たし、青年や壮年になってから、かつて少年だった自分たちをモデルにフィクションをつくった例としては、みんな知ってる野坂昭如の「火垂るの墓」はもちろん、「飼育」や「芽むしり 仔撃ち」をはじめとする大江健三郎の初期のショッキングな中短編がある。

 ほかにも開高健、古井由吉、井上ひさしなど、枚挙に暇はないけれど、さらにいえば、およそ小説を書く人間で、その試みに手を染めなかったひとはほぼ皆無であろう。戦前および戦中の軍国教育と、敗戦後の民主教育とは180度違う。まさにコペルニクス的転換であって、うちのお父っつぁんみたいな一般ピープルならばいざ知らず、いやしくも作家と名乗るほどの者ならば、その転換に底知れぬ衝撃を受け、それを自らの問題として生涯抱え込まざるを得なかったはずだし、当然ながら創作という形でその問題と格闘せずにはいられなかったはずである。

 小川国夫は昭和2年生まれで、昭和10年生まれの大江さんより大正14年生まれの三島由紀夫に近いんだけど、その文体はこの両者と違ってとにかく淡白なのである。前回の記事でもしつこく強調したとおり、憧れの君「上林先生」の彼氏が海軍士官であることは、浩にとってじつに大変なことなのだが、小川さんはいちいちそんなことを書き込まないので、今どきの若者には(今どきの若者がこの短編を読むとしての話だが)よく伝わらないんじゃないかと思う。けれど、耳目をそばだてさせるような派手さは見受けられないにせよ、やはり小川国夫は小川さんなりのやり方で、戦争という主題に向き合っているのである。

  理科の時間に、彼女から、日本の石油の産地を聞かれた時、浩は、新潟県と秋田県、樺太(からふと)の東海岸、と答えることが出来た。
  それから、
  ――御前崎にも油田があります、とつけ加えた。
  上林先生は例の生まじめな表情になって、一瞬黙った。彼は、微かにだったが、疑われた感じがして、躍起になっていい張りたかった。しかし、口が銹(さ)びついたようで、言葉が出なかった。
  ――御前崎に……そう、先生は知らなかったけど、調べてみますね、と彼女はいった。

 冒頭からの流れで、浩と上林先生との作中における最初のやり取りがこのように描かれる。冒頭の授業風景と同じ日のことかどうかは分からない。あるいは別の日かも知れぬ。つまり時間の推移があいまいで、ここでも小川マジックが発動しているわけだが、小説の進み行きとしては至ってスムースで、なんら不自然さはない。授業のあと浩は「調べてみますね」という先生のことばにこだわり、(生徒のいうことをないがしろにしない責任感とも取れるが、にわかには信じがたいとする蔑視のあらわれとも思える。先生には親しくされるのを拒むようなところがある……)などと、うじうじと思いを巡らす。

 文章が簡潔なのでさらっと読んでしまいがちだけど、小川国夫の作中人物はみんな内向的で、ナイーブで、頭のなかはいつも相当ねちっこい。高校時代のぼくにとってはそこがたまらぬ魅力であった。太宰ふうの饒舌体で書けば随分な分量になるはずのその内面描写を、ひとことでバシッと決めてしまうところがカッコいいのである。青年になった浩を描いた「アポロンの島」や「青銅時代」でも、たとえば「浩は空虚なことを言ったと思った。そして、空虚なことを言うのにも慣れねばならないと思った。」とか「笑った自分が単純で滑稽な気がした。しかし、少なくとも今夜は、自分はこうより他に在り方はなかった、と思った。」とか、鮮やかなフレーズが随所に散りばめられてるのだ。

 「相良油田」に戻ろう。(あの時僕に親しげなものいいをされたように、彼女は感じたのか、僕はそんな気はなかったのに……)などと、浩の屈託はさらに続く。どうでもいいが、教師を「彼女」などという代名詞で呼ぶこと自体が小学生として(それも戦時中のだぜ)相当ませてるんじゃないかと思う。さらに浩は、そもそも本当に御前崎に油田があるのかどうか、そこが不安になってくる。「(……)たしかに聞いた気がした。しかし、だれに、いつ、どこで聞いたかもおぼえていないことだった。」

  「彼は、父親の経営している事務所へ行き、年配の従業員に、そのことを尋ねて見た。四、五人に尋ねたが、だれも知らないと答えた。彼には、たしかだと思っていたことが、段々曖昧になり、やがて事実無根になっていく気がした。物陰になにかがいたような気がしたので、それを請け合ったが、調べて見たら、なにもいなかった、というのに似ていた。彼の耳に、調べて見ますね、という彼女の言葉が聞えていた。」

 テレビもインターネットもない時代だし、戦時下のこととて文献なども乏しいのだろう。それより何より、やはり戦争中はとかく世相が騒然として、いろいろなことが混沌としていたんだろうと思う。小川さんには「人隠し」という短編があって、講談社文庫『海からの光』に収録されている。ここでは中学生になった浩が、顔なじみの女学生を探して回るが、だれに訊いても要領を得ず、結局は死んでいたと知らされる。怪しい先輩は軍事教練中の事故死と言い張るのだが、なんとなく、その男が手にかけたのではないかと疑われる節もある。しかし実際のところは分からない。カフカ的、と呼びたいような不気味な話である。そこまで怖くはないものの、「相良油田」にも薄気味のわるいところはあるのだ。小説はここから、長々と夢の話を繰り広げるのだが、その夢が、ちょっと「ねじ式」ふうの気味悪さなのである。

その⑤

 「火花」騒動がかまびすしいが、芥川賞のことでいうならば、いま取り上げている小川国夫には、芥川賞の候補に選ばれること自体を辞退したという逸話がある。理由ははっきりわからないけれど、ようするにまあ、この手のバカ騒ぎ、空騒ぎに巻き込まれたくなかったのだろう。そんなドタバタは文学の本質とはなんら関係ない、という信念があった。小川さんは頑ななまでに自己の流儀を貫いたひとだが、そういった気概は昭和中期までの純文学作家たちには或るていど共有されていた節がある。文学とは自らの魂を刻む崇高な営みであり、社会に対して一矢を報いるものなのだから、ジャーナリズムとは一線を画さなければならない。おれたちはエンタメ(娯楽小説)系とは違うのだ。そんな心意気である。純文学の矜持といっていいだろう。そういった気概なり心意気なりが払拭されてしまったのも、80年代バブルの頃であったかと思う。そもそも今や純文とエンタメとの境界線がアイマイだ。

 さて。「相良油田」はここから夢の話になる。講談社文芸文庫版にて、ほぼ4・5ページ分が導入部で(これまで延々と紹介した分だ)、残りのほぼ14・5ページがじつに夢の話なのである。この「戦後短篇小説再発見」全18巻の収録作品は、リアリズムだけで貫かれたものが大半だけど、島尾敏雄の「夢もの」をはじめ、夢から着想を得たと思しき作品も多い。それらはおおむね「幻想小説」という括りで呼ばれる。幻想小説と「夢小説」とは厳密にいえば違うけど、面倒なのでここではひとまず一緒にしておこう。「夢」というテーマは現代小説の本質に関わるもの(のひとつ)で、まともに論じれば分厚い本が一冊書ける。日本の現代文学だと、安部公房、筒井康隆の作風は「夢」ととりわけ縁がふかい。掌編(15枚くらいの短編のこと)で有名なのは、残念ながらこのシリーズには入ってないが、吉行淳之介の「鞄の中身」だ。むかし丸谷才一が口をきわめて絶賛していた。この吉行さんの掌編は、「切り出しナイフが、鳩尾(みぞおち)のところに深く突刺さったが、すこしも痛くない。その刃は真下に引き下げられてゆき、厚いボール紙を切裂いてゆくのに似た鈍い音がした。」というショッキングな出だしで始まり、次の行で「夢の話である。」と、あっさり種明かしをする。

 いっぽう、いわゆる幻想小説のなかには、「夢」という単語を一切使わず、むしろ周到にその一語を排除するようにして創られたものも少なくない。「夢ですよ。」と断ったとたん、その箇所はほかの「リアリズム」の部分から切り離されて、いわば額縁に収められた格好になってしまう。「鞄の中身」はそこを逆手にとって、その「額縁」をことのほか巧みに用いた作品なのである。その逆に、「あ、ここから夢ですからね。」と断りを入れず、リアリズムからすううーっと幽明境を異にする感じで移行してゆき、結果として凄い効果を上げているのは、残念ながらこれも本シリーズに収められていないが、ぼくがこれまで読んだ中では河野多恵子の「骨の肉」および永井龍男の「秋」だ(日本文学に限る)。いずれもラストまで来て鳥肌が立つ名品である。

 「相良油田」はその点、拍子抜けするほどシンプルだ。ここまでの段落からわざわざ一行あけて、「浩は夢の中で彼女に会った。」とくる。淳之介と同じ額縁式だ。「火花」のamazonレビューに「純文学とか読むのってこれが初めてなんですけどぉー」などと臆面もなく書いてるいたいけな、頑是ない少年少女でも、これなら一目で「あ、こっから夢のハナシなんだあ」って分かるよね。よかったね。それでまあ、量からいっても内容からいっても、この「額縁」に収められた「夢」のくだりこそが「相良油田」のメイン、肝(きも)であるのは明白なのだ。油田の存在をめぐる上林先生とのやりとりを何度となく反芻し、悶々としながら床に就いたんだろう。浩はその夜、彼女との「道行」の夢を見るのである。

 「……なまぬるい埃が立つ焼津街道を、海の方に向って歩いていると、前を行く若い女の人があった。上林先生だった。髪にも、水色のスカートにもおぼえがあったし、歩く時の肩の辺の動かし方も、そうだった。彼は駆けて行き、息を弾ませながら、
 ――先生、と声をかけた。彼女は、彼が近づくのを待っていてくれた。彼は追い縋ると、自分でも思い掛けないことをいった。
 ――僕は物凄い油田を見ました。
 またいってしまった、と彼は思った。彼女はちょっと目を見張って、それなりに生まじめな表情になって、しばらく考えていた。彼には、なんだか癪にさわることがあったが、それを抑えなければ……、という自制も働いていた。彼は自分のことを、緑シジミの幼虫が、暗くみずみずしい葉陰で、一人で翻転しているように感じた。」

 「緑シジミの幼虫が、暗くみずみずしい葉陰で、一人で翻転しているように感じた」という比喩が何とも生々しいではないか。そこまで冷静に自己分析しながら、しかし浩は、「アメリカよりも、ボルネオやコーカサスよりも大きな、油田地帯です。」としつこく言い募ってしまう。このあたり、身体(感情)が内面(理性)を裏切って暴走する感じが如実に出ていて絶妙だ。ここのくだりはほんとに良くて、いくらでも引用を続けたくなる。

「……彼女は、浮世絵人形のような表情を動かしはしなかった。彼は、自分が無為に喋っているのを感じた。そして、なにをいってもいいのなら、いうことは一杯あるぞ、と思った。自分で自分に深手を負わせてしまい、血が止らなくなった感じだった。彼はまたなにかいおうとした。…………」

 大好きな異性を目の前にして、彼女と少しでも長く話を続けたい。できればもちろん、相手に熱中して欲しい。だけどそれはぜんぜん無理っぽくて、もう何を話していいかさえわからない。共通の話題が見当たらない。だって向こうは自立した大人の女性で、こっちはただの子供なんだから……。それで、とりあえず共有できる唯一のネタ(このばあいは油田の話)をずるずると引っ張ってしまう。それも、内容がないから口ぶりだけが誇大になって……。ひどく軽薄なことだとわかっていて、自己嫌悪にもかられるのだが、どうしてもそれが止められない。そのうちにだんだん、開き直った気分になってくる……。

 「オトナ」をまえにした「コドモ」の焦り。この焦燥をよりいっそう掻き立てるのは、彼女の恋人である(と噂されている)「海軍士官」の存在である。どうしても届かない、絶対に乗り越えることのできない強大な恋敵(ライバル)の存在(じっさいには出てこないけど)が、たえず少年の心にのしかかり、間断なく揺さぶり続けている。これぞまさしくエディプス・コンプレックスの典型である。

 ぼくのお父っつぁんは堂々たる社会的名士なんかじゃなかったし(むしろその対極に近い気がする)、ぼく自身も息子として母親とはなはだ折り合いが悪かったので、現実の家庭においてエディプス・コンプレックスを感じた覚えはない。だが、20歳になるやならずの時分にひょんなことからダンナのいる女性(つまり人妻。もちろん年上)に恋をしてしまったことがあり、もとより片思いで終わったんだけど、だから浩の感情の動きがイタいくらいにわかるのである。

 空転し、なかば自暴自棄となっていく浩。ところが事態はここから展開を見せる。冷ややかに聞き流していると思っていた上林先生が、彼の話に乗ってくるのだ。「彼はまたなにかいおうとした。」のあと、

「すると彼女が、いつもの口調できいた。
 ――それはどこなの?
 ――大井川の川尻です。」

 小川さんは節度を保ってこう書くが、本来ならばここはもう「――お、大井川の川尻ですっ。と浩は勢い込んで言った。」くらいのもんだろう。ここでようやく上林先生が、いまどきの用語でいえば「食いついて」きてくれたわけだから。

「――大井川の川尻……。あんなところだったの、と彼女は少し声を顫わせて、いった。浩には、彼女が胸をはずませているのがわかった。駄目だと思いながらも叩いた扉が、意外にも手応えがあって動き始めたようなことだった。彼は自分の嘘の効果が、怖ろしく美しく彼女に表れたことに呆然としていた。」

 いうまでもないとは思うが、大井川の川尻ってのは、ふたりが(夢のなかで)この会話を交わしている場所のすぐ近所で、むろんそんな所に油田なんかあるわけがない。「自分の嘘」とはそのことである。浩としては、あわよくばこれから二人でそこに行きたいと目論んでいるわけで、ほんとうに話はそんな具合に進んでいく。わりと嬉しい夢なのである。とりあえず途中まではね。ただその前に、ここで浩が、

「――僕はなにか海軍の士官のことをいったんだっけ」

 と内心で呟いているのがなんともおかしい。ここだけは何度読み返してもくすっと笑ってしまう。小川国夫は生真面目な作家で、その作品はあまり笑いとは縁がないけれど、それでもこんなふうにしてユーモアが生まれることもある。こういうのを「巧まざるユーモア」というんだろう。それはたいそう上質のものだ。

 その⑥につづく。

書キタイコトハ。/新人賞について。

2015-11-12 | 純文学って何?
 というわけで、先ほどの「小説とは何か。」2本を前置きとして、いちおうこっちがメインになります。しかしこれも読み返してみると恥ずかしいなー。いまどきの若い子だったら「ハズい」とか言うのかな。いやその言い方ももう廃れたか。よく分からんがとにかくまあ、変なことに拘ってあれこれ書いてたもんである。こんなことを一所懸命考えてるヒマがあったら目の前の小説を1行でも先に進めよう、といまのぼくならば思うところだが……。
 古い友人から「お前が書きたいことは何だ。」と改めて問われ、不意をつかれて答えあぐねて、さらに家に帰って考えを巡らせたけれど答が出ません、というのがこの記事の主旨なんだけど、この時から3年半が過ぎて、今ならば明瞭な答を返すことができる。ぼくも多少は進歩しているらしい。ただ、その回答についてはこの場ではちょっと言いづらいので、いずれまたブログ本編でゆっくり書ければいいなと思う。
 この記事を面白いと判断したのは、コメントをくれた「ドリー」さんが、のちに村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のレビューでたいへんな数の支持を集めて一気に名を上げられたからである。この方とぼくとはたぶん親子くらい齢が違うと思うんだけど、ポスト・ロスジェネ世代がハルキ文学をどのように見ているかがわかってとても興味ぶかいレビューだった。でももちろん、ぼくの世代からはまた別の見方があるよってことは言っておきたい。
 また、もうおひとりの「たま」さんのコメントに答えて4人の作家を挙げているけれど、これを見ると、この時点での自分はほんとうに文学について堅苦しくも狭量な思い込みを抱いてたんだなあ……となんだか少し悲しくなる。このときにはまだ三島由紀夫さえ読めなかったのだ。純文バカにもほどがある。このあと山田風太郎を知り、エンタメやSFや幻想小説を読み漁るようになって文学観がいっぺんに猥雑になり放埓になった。「物語」についての警戒感は保ちながらも、それはそれとして、いわば官能的に物語のなかに溺れることができるようになった。
 やはり小説とは「文体」と「物語」とが縺れ合い絡み合って織りなされるものなのである。そんな当たり前のところに帰り着くまでにえらく時間がかかっちまった。やっぱりアホだ。
 なお、「書キタイコトハ。」とカタカナ表記になっているのは、たまたまこのころflipというバンドの「ホシイモノハ。」という曲をよく耳にして、なんかいいなと思ったからで、とくに他意はございません。では。





書キタイコトハ。

初出 2012/03/30


 このあいだ、久しぶりに大学時代の友人どうしで集まり、居酒屋で飲んだ。今回の発起人となった友人の選んだ店で、店主の方が職場の後輩の知り合いだそうだ。その縁もあって、貸し切りにしていただいた。こじんまりした良い店だ。集まったのは十人ほどだが、ちょうどいい広さだった。

 お品書きを見ると、日本酒と焼酎が充実していた。ぼくは酒にはまったく素人だが、ことに日本酒は、経験や知識がないという以上にどうも相性が悪い。路上ないしそれに準ずる場所で夜明かしをした体験は、覚えているかぎりで三回ほどあるが(いずれも20代の時の話ですよ)、そのすべてに日本酒が絡んでいる。店に入って「とりあえずビール」で始めて、途中からウィスキーに切り替え、そのまま洋酒だけで通した際には、かなり度を過ごした時でも、正体を失くすまでには至らなかった。悪酔いしたのは、決まって日本酒に手を出したときだ。

 ここ数年は外で飲む機会もめっきり減り、もっぱら家にて、スーパーで買った1800mlの酸化防止剤無添加ワインをちびちびやってるだけだから、自分の酒量がどうなってんだか分からない。まして相手は日本酒である。かなり不安はあったのだが、みんな早々とビールを切り上げ、周囲はすっかりポン酒モードに入っている。特製のコップになみなみと注がれたその透明な酒がまた、やたらと旨そうなのである。話を聞くと、やはりどれもなかなかの銘酒らしい。ついに我慢できなくなり、まあ一杯くらいは大丈夫だろうと、禁域に足を踏み入れた。

 五時間ちかく長居して、かれこれ三、四杯は飲んだと思うが、ありがたいことに、これがまったく悪酔いしなかったのだ。とにかく、ぼくがこれまでに飲んだ日本酒とは口当たりも匂いも違っていた。すこし口に含んだとたん、独特の臭みが舌に広がる、というのがぼくの日本酒に持つイメージだった。今回のお店で供されたお酒はまったくそんなことはなく、すんなりと喉の奥に落ちていった。「良い酒ほど水に似る。」というのはあのことかもしれない。してみると、ぼくが日本酒と相性が悪かったのは、たんに安い酒にばかり出会っていたせいなのか。なんてこった。なんか人生の大いなる欠落を思い知らされた気分だが、ぼくのばあい、ほかにもそんなことは山ほどあるんだろうな。なんせ世間が狭いからな。

 それはそれとして、宴もたけなわとなった頃、この店を紹介してくれた当の発起人の友人が側の席に来て、ちょっと議論を仕掛けてきた。たしか英文科の出身で、卒論はグレアム・グリーンだったと思う。大学に入った時分はけっこう意気投合して、卒業までに同人誌の一冊も出そうぜなんて話をした覚えもあるが、なんやかんやで取り紛れて、結局はなにも実現しなかった。面と向かってブンガクの話をすること自体、なんだかいかにも「(約)30年ぶり」という感じで、いささか面映い。ただ、新鮮といえば新鮮でもある。

 「お前はずっと小説を書き続けているようだが、そもそも書きたいことは何なのだ。」というのが彼の問いかけである。青臭いといえばこれほど青臭い設問もなく、学生時代ですらこんな話をした覚えはないが、むろん、それは極めて本質的な設問ということでもある。あまりにも本質的であるゆえに、ぐっと言葉に詰まってしまった。

 念のために断っておくが、素面だろうと酒席だろうと、ぼくはめったに自分からこの手の話はしない。適当な相手がいないということもあるし、それ以上に、アタマが付いていかないのである。このブログではいろいろと小難しい事柄を書き連ねており、一体どちらのインテリさんですかという趣きだけど、リアル世界でのぼくはしょっちゅう道に迷うし、物は落すし、はなはだぼんやりと日々を送っているのだ。ふつうに日常生活を営んでいる時と、文章を書く時とでは、脳の中のまったく違う部分を使ってる気がする。

 それでも30代前半くらいのぼくだったら、たぶんこんな具合に答えたと思う。「《書きたいこと》というのが題材のことを意味するのなら、『題材があって作品を書く。』というのがそもそも19世紀の発想である。現代文学というか、現代芸術というのは『何を書くか。』ではなく『いかに書くか。』を問題にしている。絵画を例にとると分かりやすい。ゴッホは向日葵を描いたから偉大なのではなく、向日葵をあのように描いたからこそ偉大なのだ。同じことは小説にもいえる。ジョイスにしてもプルーストにしても、題材よりむしろ表現手段ないし表現技術の革新によって、20世紀文学の源流と目されているはずだ……」

 しかしこの回答はいかにも一般論すぎるし、なんとなく、肝心なところをはぐらかしている気がした。それで、一呼吸おいて、とりあえずこう反問してみた。

「書きたいことってのはテーマのことかな? たとえば今なら《反原発》とか、《新自由主義の風潮に対する反発》とか。もしくは、もっと個人的なことなら《父親との葛藤》とかさ。もしそういう意味だとしたら、おれには《書きたいこと》は何もないけどね」

「書きたいことがないのに、なんで小説なんか書いてんだよ?」

「いや、だからもちろん表現衝動はあるんだよ。過剰なほどに。社会に対して言いたいことは、差しさわりのない範囲でブログのほうに書いている。つまりエッセイの形式で書くわけだ。ほとんど誰も読まないけどね。小説ってのは、そこで解消しきれない表現衝動を蕩尽するために書く。同じく言葉で書かれてはいても、まるで別物なんだよね、おれの中では」

「よく分からんが、そうやって書かれた小説が、現実の社会に対して何らかの力を持つとは思えんな」

「自分の小説が、社会に対して何らかの力を持つなんてことは端から期待してないよ。おれのばあい、なんでもいいからとりあえずさっさとデビューしろよって段階だしさ。早いとこ世に出て、少しでも多くの人に読んでもらわんことには始まらない。だから最近は純文学にもさほどこだわってないよ。娯楽小説もありだと思ってる」

「いや、だからそのへんが引っかかるんだよな。《読者が付こうが付くまいが、とにかく俺はこれを書きたい》という強烈な核みたいなものがないから、そういう按配になるんじゃないのか?」

「うーん、迎合主義ってことかなあ。そう言われればそうかもしれないけど、小説なんてまず読まれなきゃ話にならないもんな。とくに今みたいに、文字メディア以外に多チャンネルテレビやネットやビデオやゲームや、何が何だかわからんくらい時間つぶしの手段が溢れかえってる時代になると、作家が生き延びていくためには、《小説》という表現手段の特質を最大限に活かしつつ、自分から読者に擦り寄っていくしかない気がするんだけどね。『1Q84』の春樹さんがそうだとは言わないにせよ」

「どうもやっぱりすっきりせんな。なんかこう、社会に向かって正面からぶつかっていくのを避けて、うまいこと流れに乗っていきたいだけのように聞こえる。逆にこういう時代だからこそ、文学が生き延びていくためには、作家個人が自分のこだわりを思いっきり打ち出していくしかないんじゃないのか」


 こんな具合で結局のところ話は平行線を辿ったわけだが(なにしろお互い酔ってますしね)、ぼくとしても、けっこう痛いところを突かれた感触はあった。それで、あとになって思い出したのが石牟礼道子さんの『苦海浄土』(講談社文庫)のことである。水俣病の被害にあった患者たちとその家族を取材したルポルタージュの名作で、しかも第一級の文学作品でもある。彼が漠然とでも思い浮かべていたのがもし『苦海浄土』のごとき作品だったとするならば、それはまあぼくの書くものなんて、どれもみな他愛もない夢想の産物ってことになっちまうだろう。

 ぼくの場合、小説のアイデアは題材やテーマではなくて、ヴィジュアル的なイメージの形で得られることが多い。たとえば街の外れのスクラップ置き場で深夜、置き捨てられた廃物たちに青い生命の炎が宿るとか。どこか高台の空き地で仲のいい高校生たちが寝転がって星空を観てるとか。それを端緒にして一編の作品ができあがっていく。しかしこれには枚数の問題があって、十数枚~30枚くらいの短編ならばいいのだけれど、200枚を超す長編となるとそうもいかない。構成を立てて、素材を集め、きちんと組み上げていく必要がある。ただ、そのケースでも「これが書きたい」という題材やテーマが先にくるわけではない。たとえばいま書いているのは小さな劇団の話なのだが、これとて別に劇団のことが書きたかったのではなく、現実と虚構とが交じり合った小集団内での人間関係を描きたいからそういう設定を選んだだけである。じゃあ、「人間関係を書きたかった」ってことになるんじゃないかと言われそうだけど、もともと小説というのは人間関係を描くもんだから、それでは何も言ったことにはならないだろう。

 本音をいうと、「おまえの書きたいことは何なんだ?」といった類いの抽象論ないし観念論は知的ゲームとしては面白いけれど、そんなことを訊く前に、とりあえずオレの小説を読んでみてよと言いたい気持はある。本来ならば、答はぜんぶその中に入っているはずだから。読んでみて「なるほど」と思ってくれたら重畳だし、「アホかいな」と思われたならそれはそれで仕方がない。自分が未熟なことは百も承知しているし、どうやらあまり才能に恵まれてないってことにも気がついている(でなければとっくにプロになってますよね)。それでもまあ、この齢になってもわずかずつながら進歩しているという感覚があるから、せいぜい精勤に書いているわけである。

 改めて考えてみても、ぼくには「書きたいこと」はやっぱり無い。ただ、「書きたい」という衝動だけは一貫して在る。そして、衝動のままに書き続けることで、少しずつだけど、より高く、より深いところに足を進めている自覚はある。今のところ、そう答えておくしかないようだ。


コメント

はじめまして。いつも楽しく拝見させてもらっています。
ドリーと申すものです。

いきなり質問で恐縮なのですが、eminusさんは友人に小説を読ませて、

感想をもらったりしたことはないのでしょうか。もしあるのなら、記事にもあるように

そんな質問はされないと思いますが。

投稿 ドリー | 2012/04/08



 こんばんは。コメントありがとうございます。
 そうですね。いわゆる「文学仲間」みたいな存在はいませんが、作品が仕上がるたびに目を通してくれて、あたたかい批評をくれる友人はおりますよ。
 しかしお互いこの齢になると、相手も仕事のこととか子供のこととか、あれこれ忙しくなってくるのが分かるから、昔ほど気軽に「できたから、ちょっと読んでよ。」と言いにくい感じはありますね。
 この記事でネタにさせてもらった友人には、もう四半世紀も前の、ほとんど処女作に近い短編以来、まったく読んでもらってないんですよねー。
 でも今回、ブログをやってることは伝えたので、ここに載せた短編だけでも目を通してくれると嬉しいんですけどね。
 ただ、この2作だけだと、「読んだけど、そんで結局、おまえの書きたいことは何なんだよ。」と言われそうな気もしますが(笑)。


投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2012/04/09




  返信ありがとうございます。

 私もたまに小説を友達に読ませることもあって、

 この記事には非常に気づかされることがありました。

 もし人に自分の小説を読ませて、

 「おまえの書きたいことは何なんだよ」と返されたら、やっぱりそれは(その人にとって)あまり面白くなかったという

 ことなのではないでしょうか。

 面白かったならメッセージなどがなくてもそんなことは言われないだろうし(小説に何か主張を求めている人間は別として)面白ければ、なんだかよくわからなくても読む側からすれば多少許されるのではないかと思うのです(これは僕の実体験でそう思うのですが)

 いかがでしょう。

 

投稿 ドリー | 2012/04/10



 そうですね。もし誰かに小説を読んでもらって、「それで、これって何が書きたかったの?」と言われたならば、それはほぼ間違いなく、「詰まらんぞ。」もしくは「何だかよく分からん。」というメッセージでしょうね。
 だからふつうは、相手だってそんな言い方はしないでしょう。気まずくなるのが必定だから。もっと別のことばを選ぶと思います。
 ぼくが前回の返信で、ブログに載せた短編について、「そう言われそうな気がする。」と書いたのは、この二作だけでは、まだまだとうてい、自分の作品世界(?)を表現しきれていない、という意味です。
 というか、ドリーさんも小説をお書きになるんですね。
 ぼくのばあい、小説を書くことはブログの記事(エッセイ)を書くよりずっと難しいです。それはまさに、「書きたいこと」を持たざるが故だと思います。ほかの記事にも書いたとおり、「(自分にとっての)小説とは、言語を使って何ができるかの実験場」だと考えているので、「何かしら訴えるべき事柄があって、それを伝達するために小説という手段をとる。」わけではないんですよね。それだったら、論文かルポルタージュを書くでしょう。
 小説とはあくまでも虚構であり、現実とは別の次元に存在している。しかし、たんに狂言綺語というわけではない。あえて単純化して言ってしまえば、それは夢に似ていると思います。忘れ去ってしまえばそれまでだけど、記憶に留めて、きちんと分析していけば、そこから人生を豊かにするための沢山のヒントが得られるもの。そういうものだと思っています。

投稿 eminus | 2012/04/11



返信ありがとうございました。

なるほど、小説とは、言語を使って何ができるかの実験場・・・ですか。
まったく考えたことなかったです。

ちょっと話が横道にそれますがよろしいでしょうか。
eminusさんにお聞きしたいのですが、
新人賞を取れる作品と、とれずに落選する作品、決定的に何が違うと思いますか?

ずーっと考えて答えが出ないので、ぜひあなたの考えを訊きたいです。


投稿 ドリー | 2012/04/13



 返事を書いたら、長くなったので記事にしました。
 ぼく自身も気になっていた話なので、この機会に考えをまとめることができてよかったです。
 たいしたことは書いてませんが、よかったら、なにかの参考にしてください。

投稿 eminus | 2012/04/14



新人賞について。

初出 2012/04/13

 小説とは何ぞや、という定義にせよ、また、小説を書く方法にせよ、結局はひとりひとりの書き手が自分で探し出すものだろうから、ぼく自身の小説観を誰かに押しつけるつもりはまったくないんですけれど、「小説とは、言語を使って何ができるかの実験場」というのは、今のぼくにはいちばんしっくりきますね。大雑把なぶんだけ、射程が広い気がして。

 もっときちんと、格調たかく言うならば、「文学とは、個たる人間の根源において、その他者・社会・世界、ひいては宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業である。」というのもあります。『ゲド戦記』のあとがきに書かれた清水真砂子さんの言葉に、ぼくが少し手を加えました。「文学」についての定義として、個人的にはこれが決定版だと思っています。

 新人賞の話は難しいですね。むかし村上龍さんが、「新人賞に応募してる時点でもう駄目だよ。」といった意味のことをおっしゃっていた記憶があります。これはかなり際どい発言で、龍さん自身が群像新人賞からデビューした作家だからこそ、かろうじて暴言にならずに済んでるようなものですが……。ただ、言い方は極端にせよ、趣旨ははっきりしてますね。並外れた才能があれば、周りが放っておかないよ、ということでしょう。

 じっさい、例えば堀江敏幸さんは、新人賞を取ってデビューされたわけではないですよね。町田康さんもそうでしょう。片や大学の先生、片やパンク歌手の違いはあれ、ふだんから業界の周辺に身を置いて、エッセイなり書評なり詩なりに、傑出した文才を発揮していた。それで編集者が「ぜひいちど小説も書いてみてください。」と依頼した。よく知らないけど、たぶんそんな感じじゃないのかな。

 しかしまあ、これは才能ばかりじゃなくて、正直いって、あきらかにコネの問題もある。朝吹真理子さんは、「吉増剛造を囲む会にてスピーチしたところ、それを聞いていた編集者から小説を書くよう熱心に勧められた。」そうです(ウィキペディアより)。こういうことは、われわれのような一般人には望みがたい。そもそも、「吉増剛造を囲む会」なんぞに招かれる由もありませんから。

 そこで応募となるわけですが、まず、日本語として文章の体をなしていないもの、また、どうにかこうにかテニヲハは合っていても、小説とは言えないようなものなんかは、粗選りの段階で落とされるでしょうね。これは冗談ではありません。純文学の新人賞に中途半端なミステリや時代小説を送ってきたり、たんなる自叙伝みたいなものを送ってくる人も、けっこうおられるそうだから。

 一次審査を通過するのは、いちおうどれも、「小説」と呼ぶに値する作品なのであろうと思います。その中でさらに二次審査を通るのは、やはり技術レベルが卓越していたり、人間や社会や人生に対する深い洞察を湛えていたり、ディテールがことのほか精確に描かれていたり、従来の小説にはない新しさを放っているような作品などではないでしょうか(娯楽小説ならば、当然ながら「ストーリーの面白さ」が加わるのでしょうが、純文学の場合は必ずしもそうでもないから厄介です)。

 ただ、純文学業界においては、新人の低年齢化が進みすぎており、いま挙げた要素の中の「新しさ」ばかりが重視されている気がしますが……。じつをいうとぼくも、30も半ばを過ぎた辺りから、若い子たちの奔放な「純文学」よりも、藤沢周平、司馬遼太郎さんたちの成熟した「娯楽小説」のほうが好ましくなってきました。もちろん、「成熟した純文学」こそがいちばん好ましいわけですけれども。

 もしぼくが選者の立場であれば、綿矢りささんはもとより、いまや中堅となった阿部和重、吉田修一といった方々も、それどころか、すでに大家というべき島田雅彦、山田詠美さんでさえ、認めることができたかどうか分かりません。円熟味を増した近年の作品はともかく、デビューから1、2年くらいの作品は、かなり希薄で、荒っぽいものだったので……。はっきりいって、「新しさ」と「癖の強さ」以外に何もなかった。その一方、先ほど名を挙げた堀江さん、町田さん、朝吹さんといった方々は、さすがに第一作から「作家」と呼ぶに足る完成度を備えていました。

 ぼくは投稿歴こそ長いのですが、よくて二次選考どまりです。しかもここ7、8年くらいは出していないし、業界の内幕などはまるで知りません。ただ、外から見た印象だけで言うならば、20代のひとが挑戦するなら、やはり技術の巧拙以上に「新しさ」と「勢い」が高く買われるのかなあと思っています。しかし30代ともなると最早それだけでは駄目だろうし、まして、ぼくくらいの齢になってしまうと、いくら「実験場」だなんて言っても、そこに自ずから人生の年輪みたいなものが滲んでいないと、「アホか。」と一蹴されてしまうでしょうね。


コメント

①丁寧な長い記事にしていただいて、ありがとうございます。

 単刀直入に訊きたいのですが、その「新しさ」とは何でしょう?

 題材ですか? メッセージですか? それともスタイル?

投稿 ドリー | 2012/04/17



②純文学ではやはり三島でしょうか?
以前に比べると、文学なんてものは地に落ちているようです。その背景には文学の根源に社会を切り取る視点が変化したと思います。「美」意識が、シニズムなんかと合わさって文学からエッセイに低下しているのかも。
乱筆ですみません。

投稿 たま | 2012/04/17



 ドリーさんへ。
 小説における「メッセージ」というのは果たして何なのか、簡単な話のようでいて、よく考えると分からなくなったので、ここでは保留としておきます。
 あとの「題材」と「スタイル」ですが、これはどちらも新しさの対象になりうるでしょうね。
 ただ、題材の新しさ(1990年代初頭までの小説と比べれば、ケータイやネットのことを出すだけで、新しい風俗を描いたことになるでしょう)を書くだけならば、べつに純文学でなくてもいいですよね。
 近代文学史を瞥見しても、純文学の「新しさ」を保証するのはやはり「スタイル」、とりわけ「文体」の新しさでしょう。
 大江健三郎さんにしても村上春樹さんにしても、従来の日本文学になかった新しい文体を作り上げ、そのことによって若い世代の心情を鮮やかに掬い上げて、日本文学史に未踏の地平を切り開きました。
 これほど見事に一時代を画す才能はそう頻繁には現れませんが、やはり純文学の「新しさ」は、文体を中核とする形式(スタイル)の新しさにこそ存すると思います。
 ただ、当然のことながら、20代の人たちの書く文章は、べつにことさら自覚せずとも、年長の者の書く文章に対して、おのずから「新しい」に決まってるんですよね。この高度ハイテク社会にあっては、感性の基盤は日々更新されているわけだから。
 だから、もし新人賞に投稿する人の多くが20代だとすれば、そのような「新しさ」だけでは、自己を際立たせることはできないでしょう。
 やはり文体の裏打ちとして、自己や他者や社会や世界に対する認識の深さというものが不可欠であろうと思います。というか、新しい時代に真摯に向き合うところから、その人に固有の新しい文体が生まれてくるのではないでしょうか。



 たまさんへ。
 残念ながら、ぼくは昔から三島由紀夫という作家が駄目なんですよ。エッセイはわりと読めるんですが、小説のほうが駄目なんです。生理的に受けつけないとまで言ったら大げさですが、どうしても作品世界に入っていけない。「サーカス」とか、短編ではいくつか偏愛しているものもあるんですけど。
 いま存命の作家の中で、ぼくが心の底から大好きで、かつ尊敬もしているのは、大江健三郎、古井由吉、金井美恵子、丸山健二といった方々ですね。
 「文学なんてものは地に落ちている」「根源に社会を切り取る視点が変化した」「美意識が、シニズムなんかと合わさってエッセイに低下している」……たまさんのご指摘はどれもいちいち腑に落ちるところがありますが、私見では、少なくともここに列記した4名の作家は、このような時代にあってなお、真正の「文学」を構築し続けているんじゃないかと思っています。


投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2012/04/18


小説とは何か。

2015-11-12 | 純文学って何?
 古いブログから作家案内の記事を引っ張ってくるこの企画、さすがにそろそろタネ切れになってまいりました。自分にとっての大事な作家は、古井由吉先生をはじめまだまだ一杯おられるわけですが、あまりに大事でありすぎるためにアプローチの仕方が難しく、結局のところ独立した論は立てられぬまま徒(いたずら。「悪戯」じゃないよ)に月日ばかりが流れちまったんですねー。これではいかんと発奮して、こちらで新たに「戦後短篇小説再発見」のシリーズを始めたりもしたけど、それもただいま小川国夫「相良油田」の半ばで中断しちゃってるという。まあ、ぼくみたいな菲才にとっては、人生なんてのは何をやるにも忙しすぎるし、短すぎるってことです。
 ともあれ、作家案内はここでいったん一段落して、ブンガク関連のほかの記事を再掲しましょう。いま読み返してみたら、なんだか変に真面目に書いてて、あまり面白くなかったんだけど……。というか、いま読むとすっげぇ恥ずかしいんだけど……。このころは新人賞への投稿用の長編に掛かりきりで、けっこう煮詰まってたんだよなー。ただ、この「小説とは何か。」はろくでもないけど、この次にアップした「書キタイコトハ。」という記事と、それに頂いたコメントと、さらにそのコメントへのご返事として書いた「新人賞について。」という記事のほうは、ちょっとばかしオモロイかもしれない。だからこの「小説とは何か。」2本のほうは、とりあえずそのプロローグということで。



小説とは何か、

初出 2012年02月12日


 という設問は、ぼくのばあい一般的ないし抽象的なものにはなりえない。小説を書いているからだ。たしか18の年にコクヨの原稿用紙を買ってきて40枚ほどの短編を仕上げ、しばらく大事に持っていた記憶があるから何とまあ、もうかれこれ30年近くも書き続けていることになる。いやしかし30年かあ。いま自分で書いててびっくりした。そんじょそこらの新進作家諸君・諸嬢よりもキャリアだけなら遥かに長く、じっさいに、さすがにまだ芥川賞の選考委員に年下はいないにせよ、そのための登竜門となる文學界・群像・新潮・すばる、つまりいわゆる「四大純文学誌」の選考委員にはそろそろ年少者が入ってきている。新人賞に投稿しちゃあ、年下の子らに「世界観が浅い。」「人間が描けてない。」「死ねぼけなす」とか言われてばっさばっさと落とされているわけである。(追記 いやいや、それは最終選考にまで残ったばあいの話で、現実にはその前の下読みの段階で落とされてますから)

 しかしまあ、今ぼくはあえて面白おかしく書いているわけで、作り手のキャリアが生産物の商品価値、つまりこの場合は小説の質ってことになるが、それをなんら保証しないことはいうまでもない。将棋を例にとるならば、羽生善治はルールを覚えて10年ちょっとで竜王という最高位を取った。いっぽう、町の将棋道場にいけば、何十年と将棋を指し続けていながらアマ初段から三段どまりという方々が、(ぼくも含めて)いっぱいいる。才能ってのはそういうものだ。なにも羽生さんほどの大天才を例に出さずとも、およそプロになるほどの棋士なら小学生の時点で最低でもアマ四段が常識であり、さらにそこから試験を受けて「奨励会」という組織に入り、またその中で切磋琢磨して、激戦を勝ち抜いた一握りの俊英だけがプロの資格を許される。さらにこの奨励会には年齢制限があって、決められた年齢までに所定の段位に到達できねば強制的に退会させられる。一見すると冷酷なようだが、これはむしろ前途有為な若者になるべく早く見切りをつけさせ、ほかの進路を選ばせようという温情によるシステムなのである。しかし小説の場合は幸か不幸かプロ養成の機関もなく、年齢制限の規定もないため、ぼくみたいにアマチュアのままキャリアを重ねる者も少なくないわけだ。

 むろんぼくとて30年間ひたすら小説に心血を注いできたわけではない。貴族でもなければ資産家の子息でもないからとうぜん正業をもっているわけで、そちらのほうが忙しくなったり、またプライベートで雑事に追われたりして、小説のことを完全に失念したまま歳月を送ったこともある。本当をいうと文芸誌の新人賞にもここ7~8年ほど投稿していない。ひとつにはブログを始めたせいもあるだろう。ブログというスタイルでエッセイを書き、しかも一定のアクセスを戴いていることで、小説の執筆に向かう心理的動機のかなりの部分が昇華されているのは確かである。しかしそれでもやっぱりこのところ、暇があったらパソコンを開いて小説ないし小説っぽいものを書いている。ここ一年半くらいブログの更新は週に一度のペースだけれど、もし小説を書いてなかったら最低二回は更新できるはずであり、つまりエッセイの形式ではどうしても表現できないものが、自分の中には常にわだかまっているということだ。ここでようやく話は冒頭に戻るが、ぼくにとって「小説とは何か?」という一般的ないし抽象的な問いは存在せず、ただ「自分にとっての小説とは何か?」、もっと言うなら「自分の書いている小説とは何か?」という、極めて卑近で切実な設問だけが成立しうることになる。

 「自分にとって小説とは何か?」というテーマについてぼくがもっとも影響を受けたのは中上健次だ。若き日の中上のインタヴューの中に、「小説というのはオレにとって世界を認識する道具であり、オレが世界に対してわたりあっていくための武器なんだ。」という内容の発言があったのである。もう文献は手元にないし、とにかく昔のことだから半ば以上ぼく自身の言葉に入れ替わっているかもしれないが、たしかにそのような意味のことを中上健次は言っていた。その鮮烈な定義は今もなおぼくの座右の銘だ。とはいえ中上健次の小説はあくまでも中上健次のものなのであって、ぼく自身が世界を認識する道具ではないし、ぼく自身が世界とわたりあっていくための武器ともなりえない。ぼくには「路地」という濃密で猥雑で官能に満ちたトポスはない。ほかにも相違点はたくさんあり、むしろ最近つくづく思うのだが、じつは対極に近いのではないかという気がしている。対極に近いからこそ今までこれほど惹きつけられてきたのであり、これからは彼の引力圏から脱出を図るかたちで小説を書いていかねばならぬのではないかと、中上が逝去した年齢を迎えて、改めて心を巡らせている次第である。

 「自分が世界を認識するための道具にして、世界とわたりあっていくための武器」という定義は、いわば小説なるものの「機能」の面を規定したものだと言えるかも知れない。これとは別に、いわば純粋に本質的な面から「小説とは何か?」という設問を投げかけることも当然できる。その場合ぼくは、「自分の書いている小説は、《言葉を使って何ができるか》の実験場なり。」と答えることにしている。むろん、「何ができるか」といったところで、自分ひとりでわけのわからないことを書いて悦に入っていても仕方ないから、「読者(の意識)にどのような変容を起こさせられるか?」と言い換えたほうがより精確だろう。これは筒井康隆の作品を思い浮かべて頂いたら分かりやすいと思うのだが、十代の半ばでツツイ作品を読んで周囲の空間が捩じ曲げられたような体験をした方は、ぼくと同世代なら少なくないのではなかろうか。といって、なにも初期~中期ツツイ作品のごときナンセンス、不条理、シュール、スラップスティック小説だけを指して《実験場》と称したいわけではない。司馬遼太郎だって塩野七生だって、城山三郎だって高杉良だって、みな言語を使った企みってことに変わりはないのである。司馬さんや塩野さんは言葉によって読者の意識に「歴史」や「社会」についての重厚かつ緻密な認識を打ちたてようとしているのであり、城山さんや高杉さんならば、この「」の中が「経済」や「政治」に置き換わるわけだ。それがフィクションであるかぎり、どれもみな一種の実験ってことに違いはない(仮に新聞記事や学術論文でさえ、言葉によって創られている以上フィクションじゃないかという議論は措いておく。あくまでも社会通念上フィクションとして書かれ、フィクションとして流通している文章についての話だ)。

 ぼくのばあい、歴史や社会や経済や政治などに関する分厚い経験や知識がなく、かと言って凡庸なリアリズムはやる気がしないので、いきおい作風は幻想的となり、娯楽小説を試みたときにはそのものずばりファンタジーとなってしまう。それは往々にして子供っぽいと見なされがちだが、しかし先ほどからお名前を挙げている筒井さんをご覧になればお分かりのとおり、反リアリスティックな書き手であっても年齢を重ね、現実世界でいろいろと経験を積むうち作品には自ずと年輪が刻まれ、そこから単なる写生や私小説を超えた凄みが生じてくるものだ。今はそこに期待をかけている。自作の小説が商業レベルに達し、これ一本で身を立てられるようになればどんなにいいか(追記 まあ、そんなことを目論んでる人はこのニッポンに数万人規模でいるでしょうねえ……)。べつに自分の現状に不満を持ってるわけではないが、文筆だけに専念したほうが、もっと良いものをたくさん書ける(はずだ)からである。




小説とは何か。 学術?編

初出 2012年02月19日



 いやどうも。このところ、小説のことで頭がいっぱいなので、前回に続いてもう少しそっち方面の話をします。ひきつづき面倒な記述になりそうでアレなんですが、御用とお急ぎでない方はお付き合いのほど。

 古来より中国には「大説」と「小説」との別があり、「大説」とは例えば大新聞の社説のごとき、天下国家を正面きって論じる文章を、「小説」とは世俗に流布する雑談やら噂話の類いを指した。明治18年、坪内逍遥という人が、『小説神髄』なる書物を著し、英語のnovelに「小説」の訳語を当てた。これが本邦において「小説」という言葉が現在の意味で使われるようになった端緒らしい。この逍遥はまことに偉い人であり、彼の名前と『小説神髄』という書名は日本史の教科書にも載っている。ともかく、もともと小説なんてのは文字どおり「小さな説」の意に過ぎず、けっして立派なものではなかった。富国強兵、立身出世、実学本位、西欧列強に追いつき追い越せ、の開化期においては今よりもその傾向はなおいっそう顕著だったはずであり、とてもじゃないが、大の男が本気で取り組むものとは思われていなかった。されどその一方で明治政府は、たとえば漱石のような知識人のタマゴを倫敦に官費留学させるなどして、文化の移入に心血を注いでもいる。政治や経済や科学技術や法制度のみならず、文化面でも欧米に対する立ち遅れを痛感し、劣等感に苛まれ、馬鹿にされまいと必死になったあげくの涙ぐましい努力だったのだが、この点において我が国は、現在よりも明治期のほうが或る意味「文化国家」だったといえるかも知れない。国の根幹を支える柱のひとつとして、「文化」の意義を、はっきりと認めていたからだ。

 漱石のような立場の人たちが明治国家から期待されていたのは「小説」というより「文学」であった。「文学」という語も漢語である以上もちろん中国由来であり、これも古くから用いられていたらしいのだが、literatureの訳語として現在の意味を付与したのは西周(にし・あまね)という人である。このひとは「哲学」という訳語の創始者としても知られ、これまた偉い人なのだが、高校の日本史の教科書に載っているかどうかは知らない。その明治の御世からかれこれ130年ほどの歳月が流れ、「小説」という概念も「文学」という概念も当然ながら変質を遂げていったのだが、それでもやっぱり「小説」のほうが「文学」に比べて軽く扱われている点は変わらない。「文学部」とは言っても「小説部」とは言わない。「純文学」とは言っても「純小説」とは言わない(「純粋小説」なる呼称が提唱されたこともあったが、定着しなかった)。「大衆文学」という言い方はしないでもないが、どちらかといえば「大衆小説」「娯楽小説」のほうが通りがよい。かくのごとく「文学」は「小説」よりも数ランク高次のものと見なされているが、しかし、大学という象牙の塔の中ならばともかく、われわれの住まうこの濁世にあっては、「文学」とは何よりもまず「小説」のことであり、両者がほぼ同義語として流通している。書店に行けば一目瞭然だ。「文学書」のコーナーにはほとんど小説しか置かれてはいない。

 さりながら、ギリシア・ローマに端を発する西欧文学史の観点からすると、じつは詩と戯曲こそが「文学」の本道なのである。そちらのほうがもっとずっと古く、由緒正しい形式なのだ。むろん、神話やらホメロスのような叙事詩はさらに古い時代からあったが、それらはあくまで「物語」であって「小説」ではない。我が国の源氏物語が世界文学史上の奇蹟と称されるのは、11世紀の初頭にあって、「物語」の範疇をはるかに超えた精緻きわまる内面描写を成し遂げたゆえんだが、西欧において「novel」という形式が確立されるのはそれから600年くらい後である。ノヴェルという語はボジョーレ・ヌーヴォーとかヌーヴェル・ヴァーグとかいう場合の「ヌーヴォー」「ヌーヴェル」と同根であり、「新しい」、というかいっそ「新奇な」という意味を含んでいる。……と、ここまで調子に乗って書いてきて、ふと気になって確かめてみたら、「小説」という意味での「novel」はボッカチオの「デカメロン」など、中世イタリアの「novella」から派生したものであり、「新奇な」という意味の「novel」とはまた別の系統だそうだ。あらあら。そうなのか。うーん。いやはや。ま、こういう考証は知的パズルとしては面白いのだが、深入りすれば際限がなく、ただですら長い記事が果てしなく長大化して収拾がつかなくなるのでたいがいにしておきましょう。ともあれ、「小説」という形式が、近世~近代市民社会の成立とともに出来した、「風変わりな新参者」とでもいうべき立場だってことは事実である。

 ここまで書いてきたことは、文学史の入門書を何冊か漁ればおおよそ身につく知識で、まずは定説といっていいと思うが、以下に書くことはぼく個人の見解だから眉に唾をつけてお読みください。近世~近代小説とは、いわば「詩」と「戯曲」の双方の要素を併せ持ったかたちで成り立っていたと思うのだ。単純にいえば《地の文》が《詩》の管轄で、登場人物のせりふをあらわす「」の中が《戯曲》の管轄ということになるわけだが、ゲーテやバルザックやディケンズやドストエフスキーといった巨匠たちの作品は、この戯曲的要素の構造がきわめて堅固であるゆえに、現代のふつうの読者にも読みやすいものになっているのだと思う。古典派からロマン派あたりのクラシックが聴きやすいのとよく似ている。これがたとえばサミュエル・ベケット以降の「現代小説」になってくると、登場人物の輪郭がだんだん溶融していって、ストーリーそのものも解体され、戯曲的要素は甚だしく薄らいでくる。いきおい地の文は詩的散文へと傾き、おそろしいほど緊密かつ緻密な、しかし一般読者にとってはお世辞にも読みやすいとはいえない作品ができあがるわけだ。

 「純文学」と「大衆小説」との相違については、いろいろな定義が可能だと思うし、ぼくもこれまで当ブログにていくつかの定義を試みたが、より「詩」に近いのが「純文学」で、「戯曲」に近いのが「大衆小説」という括り方もできるかもしれない。


フェミニズムをめぐるやり取り。

2015-11-07 | 純文学って何?
 昨日は山田風太郎についての過去記事を再アップして、そのあとに、頂戴したコメントを添えておいたのだけれど、じつはあれにはまだまだ続きがござんす。ただ、その続きの部分は、以前に頂戴したコメントが伏線になっているために、そこだけを切り取って貼っても何だかよくわからない。でもそれは、フェミニズムに関するとても面白いものになっていたので、捨ててしまうのはもったいない。mottainaiは国際語。というわけで、その「伏線」の部分まで遡って、再編集のうえで再掲することにいたしましょう。やり取りのお相手は、gooブログに引っ越ししてくるまで当ブログの常連だった、沖縄在住の「かまどがま」さんです。では、まず小松左京をめぐる軽いジャブから……。



小松左京は最初に読んだ時にリアリティがないような感じがして…………というとそれはSFだから当然なのですが、
なんというか、すんなりハマれなくて、そのままになっています。面白いものがあったら教えてください。

投稿 かまどがま | 2013/05/11



 小松さんは戦後まもない頃に高橋和巳らと共に京都大学に在学していたので、とうぜんマルキシズムの洗礼を受けているわけですが、そこは20世紀の作家なので、H・G・ウェルズの「タイムマシン」みたいに、思いっきり「階級対立的世界観」を打ち出した作品はないですね。もっとスケールが大きい。
 宇宙論的な視座に立って、「人類という種」そのものの終焉と、その後に来るべきものは何か、というテーマに行ってしまいます。典型的なのは、長編『継ぐのは誰か?』でしょう。
 『日本沈没』『首都消失』『復活の日』といった作品は、いわば社会派シミュレーションノベルですが、ぼくが好きなのはその系列ではなくて、この『継ぐのは誰か?』みたいな「本格SF」に属するものです。
 これと並び称されるのが『果しなき流れの果に』で、これも物凄い小説(大説?)ですが、中盤あたりにかなり文章・構成の粗いところが見えます。
 中編~短編では、ハルキ文庫の『結晶星団』および『ゴルディアスの結び目』に収録されている作品群が(そのすべてとは申しませんけども)、小松氏がその学識と想像力と文章力とを最大限に駆使した世界レベルの本格SFだと思います。
 これとは別の系列で、落語や文楽、浄瑠璃といった古典の素養をSFっぽくアレンジした佳品も多く、ハルキ文庫の『くだんのはは』『高砂幻戯』に収録されています。こんなところでいかがでしょうか。

投稿 eminus | 2013/05/12


コメントを拝読して思い出しました。読んでピンとこなかったのが『果てしなき流れの果てに』。
eminusさんよりずっとずっと粗い流し読みなので印象のみだったのですが、それきりになってしまいました。
高橋和巳はやはりここの影響で、『邪宗門』を少しずつ読み進めています。

投稿 かまどがま | 2013/05/12



 小松左京の作品について、追記をしようと思ってブログを開けたら、ちょうどコメントを頂いていました。『果しなき流れの果に』は、中1くらいの時に近所の図書館で借りて読み、その後も何度か読み返していますが、ちょっと日本文学には類例のない形而上的エンタテイメントだから、好き嫌いが分かれるでしょうね。人によっては荒唐無稽と思うかもしれない。空間的にも時間的にも、舞台があまりに大きすぎるので……。『継ぐのは誰か?』のほうは、ミステリの体裁を取って、そこまで風呂敷を広げてはいません。
 追記をしたかったのは、小松作品にみられる男性中心主義的傾向についてです。今日のフェミニズム批評の観点からすると、いろいろと問題があるかも知れない。ことに『ゴルディアスの結び目』所収の作品の中には、表題作をも含めて、性暴力を扱った作品があるので、そのことを申し添えておきます。むろん小松氏は卑しい俗情によってそれらの主題を前面に出しているわけではないですが、作品を手に取られたさい、不快の念を抱かれてはいけませんので……。
 高橋和巳亡きあと、小松さんはSFというジャンルで彼のその「観念性」やら「大きすぎた問題意識」やら「志」を引き継ぎ、それを大衆レベルで存分に展開してみせた、という言い方もできるかもしれない……と以前にぼくは書きましたが、いま考えても、その評言はけして的外れではないと思っています。

投稿 eminus | 2013/05/13




『果てしなき流れの果てに』の内容をすっかり忘れているのに、よい印象は残っていない。その理由について、コメントを拝見して思い至りました(笑
ご指摘の「不快の念」だったはず……
「フェミニズム批評の観点」ではなくても、それはそういうものとしてなんの疑問も持たずに発言もしくは書かれたものと
もしかして、これを聞いたもしくは読んだ女性が不快に思うかもしれない、と少しでも念頭において発した言葉とには
大きな違いがあると感じています。

これはただ単に、年代または時代による認識の差のみかもしれませんが、
そう云う意味では吉本隆明も大西巨人も小松左京も同じで、ああ、この人たちはそういう概念に疑問も持たず暮らしてきた人たちなんだと
どこかで感じさせるもの言いをしていて、そう云う場面では不快とまではいかないけれど
諦めに似た感情は確かにあります。

若い人たちがそうと意識しながら書いたバイオレンスものとどちらがマシかという事ではないのですが、
読んだ瞬間に、なんだかんだリベラルなようでも、結局そうなのねと感じてしまうのです。


投稿 かまどがま | 2013/05/13



 これはたいへん難しい問題ですね。これまで半年あまりにわたって色々とお話してきた中で、いちばん難しいかもしれない。というのも、ぼくのばあい、自分が小説を書いているので……。
 世代のことはもちろんあるでしょうね。ただ、昭和ヒトケタである小松氏らの世代より、ぼくなどは遥かに「リベラル」であるはずですが、しかしそれでも、完全に女性の立場にたつことはできない。やはりそこには、「深くて暗い川(by野坂昭如)」が厳然と横たわっていると感じます。日常の暮らしの中でも、文学などの抽象化された媒体のうえでも。
 商業誌に投稿するつもりで書き溜めている小説においては、ぼくもけっこう踏み込んだことを書いていまして……。それらのエピソードや描写の中には、「女性なら、ここは絶対こういう書き方はしないだろうな。」というものは少なからずあります。
 きのう日曜美術館でフランシス・ベーコンの特集をしていましたが、芸術というものは(むろん、文学もまた芸術です)往々にして人を不快にさせたり、嫌悪感を与えたりすることもある。それを怖れては深奥に迫る表現はできない。
 もとより悪意や偏見、そうでなくとも単なる無神経さ、鈍感さによって人を傷つけるのは論外とはいえ、ひとたび芸術として昇華されたもののばあい、そこに正確な線は引けるのだろうか……。
 フェミニズム的な知性や感性が染み渡ってきた今日、これまで名作と目されてきた作品であっても、一般読者のみならず、プロの批評家のあいだでさえ、それを読んだ人の性別によって、評価が大きく異なるケースが増えてくるかもしれません。
 まあ、小松左京の小説は、がっちりと論理的に構築されている反面、わりとフェミニズム批評の餌食になりそうな「ガードの甘さ」が見て取れますね。吉本隆明、大西巨人氏らの作品に対しては、ぼく自身は、そういったものをとくに感じたことはないのですが……。それはやっぱりぼくが男だからかな……。
 ぼくが小説を書く際には、誰かに不快の念や嫌悪感を与えると思しき表現をする際には、「どうしてもこの表現は必要なのか? 自分がいま書いている作品は、それだけの値打ちのあるものか?」と自問する癖をつけていますが、きっとそれでも、その手の「自己検閲」をすり抜けているものは多いことでしょう……。

投稿 eminus | 2013/05/14


フェミニズム批判と一括りにするのにもどこか引っかかるのですが……、
亡父は昭和一桁世代ですが、
自分の娘がそういう扱いをされたら、そんなことなら戻ってこい、と云うはずのことを自分の妻にしているのに気がつかない、
自分より優秀な女性がいることをどうしても納得できない、幼児性としか思えない感覚をその年代の多くの人が持っています。

村上春樹は自分の作品を書いている時、無意識にも女性が読まないなどとは絶対に考えていないことが読みとれますが、
吉本隆明や大西巨人は、ひょっとしたら、読者を自分と違う性のものが読むことを微塵も考えていない可能性がある
と感じることがあります。
なんというか・・・著書の理解者に女性を想定していないというか・・・
性的対象以外に女性を考えて書かれていないというと極端ですが・・・立ち位置を男性に置き換えて読むことを無言で求められています。

読者が男だと、気がつかないのは当たり前なのです。男である人に向かっての言葉なのですから。
壁というか疎外感があるのです。
女性の立場に立ってということではなくて、普通にだれでも読むという意識が欠落していることを感じるのです。


投稿 かまどがま | 2013/05/14


 何年か前にNHKのEテレが、糸井重里の主催した吉本隆明(1924=大正13年生)最晩年の講演会のもようを流していまして、その会場に女性の姿の多かったことが、とても印象に残っています。その方々がすべて吉本氏のよき読者ではないでしょうけど、自分が思っていたよりも、吉本隆明は女性に読まれているのかな?と感じました。若い世代への知名度の高さは、娘さんのおかげかも知れませんが……。
 大西巨人はその吉本氏よりさらに五歳ほど年長ですが、たしかに『神聖喜劇』が多くの女性に愛読されているとは思えませんね……。ただ、これら二人の著述はきわめてロジカルで堅牢だから、「読者に女性を想定していない」というより、「読者に、論理的思考の訓練を積んでいない人を想定していない」といったほうが正確ではないかと、ぼく個人は感じます。それというのも、ぼく個人は、この方たちの著作を読んで、(まさに橋下発言に見られるような)「男性中心主義的イデオロギー」をまざまざと感じたことはないからです。
 ただし、ジャック・デリダが喝破したように、いわゆるその「論理的思考」なるものがすでに「男性中心主義的イデオロギー」の産物であると言うならば、それは実際そうかも知れません。ぼくが哲学ではなく文学こそを一生の仕事と思い定めたのも、まさにその「論理的思考=男性中心主義的イデオロギー」から逃走したいと思ったからなので……。しかしこの話はあまりに広く深くなりすぎるから、ここではこの辺にしておきましょう。
 「男性中心主義的イデオロギー」というならば、大西・吉本氏らより遥かに「やわらかい」小説を書いているはずの吉行淳之介(1924=大正13年生)、立原正秋(1926=大正15年生)といった人たちのほうに、ぼくはそれを感じますね……。「イデオロギー」というと何か信念のようにも響きますが、もっと生理の根っこに染みついたものです。それはほんとに骨がらみで、ちょっとやそっとじゃ治らない。というか、たぶんぜったい治らない。
 ずっと後輩、1949=昭和24年生まれの村上春樹にも、じつはぼくはそれを感じるのですが、村上さんがあれだけ多くの女性の支持を受けているのを見ると、彼の「男性中心主義的イデオロギー」は、女性にとって魅力的に映るのだろうと判断せざるを得ません。このあたりの機微も、たいへん難しいところです。
 ともかく、いろいろな点でものすごく大事なお話ですね。言いたいことが次々に湧いてきて際限がないので、とりあえずここまでと致しましょう。

投稿 eminus | 2013/05/15




なんと言ったらいいか・・・うまく伝わっていないかもしれないような・・・
『神聖喜劇』は愛読書です。だからこそ、立ち位置を微妙に踏み変えないと楽しめない部分が非常に気になるのです。
「男性中心主義的イデオロギー」以前の無意識の問題かもしれません、これはいつか場を改めた方が良いですね。

あと、村上春樹は、何度か述べましたが、私自身が読めていない(苦笑)ので、たとえとして出したのは間違っているかもしれません。
吉本隆明や大西巨人ほど魅力を感じていないので
この場合、出すべきではなかったと反省しています。すみません。

投稿 かまどがま | 2013/05/15



 そうですね……。うまく伝わってない気がします(笑)。小説を書く者として、とても勉強になる問答なんですが、今回はこのくらいに致しましょうか。いずれまた、場所を改めて続きをお聞かせ頂けたら幸いです。最後にふたつ(三つ?)だけご質問させてください。高村薫さんは、言葉のもっともシンプルな意味で「男性的」な小説を書く方だと思うのですが、あの方の小説を読む際は、「立ち位置の変更」は必要ないですか? あと、野上弥生子さんの場合はどうでしょう?
 もうひとつ、古今東西の男性作家のうち、そういった抵抗を覚えることなく、しぜんに読み進めることのできる作家がいるならば、その名前をぜひお聞かせください。


投稿 eminus | 2013/05/15




高村薫は確かにとても硬質な小説ですが、野上弥生子同様、立ち位置の変更の必要は感じずに楽しめます。
論理的とかそういう事ではないのですよ・・・なんというか・・・

男性作家か・・・・・・・
ざっと本棚を見まわして、改めて読書体験の乏しさに愕然としたのですが・・・・

「脳内ファンタジーでは女性を物扱いすることは当然」と思っていない、と感じられる作家(笑

いや、思いつかないのですよなかなか・・・・普通にいるはずと思っていたのですが・・・・

チェーホフ、作家じゃないけど、なだいなだ・・・・・
戯曲しか思いつかない・・・
日本の現代作家特に男性はミステリーしか読んでいないというのが致命的です。

違和感を感じずに読めるのが、そう考えると、源氏物語まで遡っても女性作家しかいない?
そんなはずは、ない。と思いたいので、もう少し考えてみます・・・・

川の深さと暗さに、改めてたじろぎそうです(笑

投稿 かまどがま | 2013/05/15



 ご返答ありがとうございます。ひとりの「男性作家」(笑)として、さらにいくつかお伺いしたいことが出てきましたけれど、ほんとうに際限がなくなりそうです……。続きはまた、場所を改めてということで……。

投稿 eminus | 2013/05/16


 ……と、ここまでが「伏線」です。このあと半年ほどのインターバルを挟んで(その間ももちろん、ほかの話題を巡って「かまどがま」さんとのやり取りは続いていました)、この時の問答にいちおうの決着が付きます。ここのところに、前回アップした山田風太郎の記事が入るとお考えください。以下はその記事に対するコメントとして頂いたものです。後半はさらに、沖縄特有の「ユタ」「ノロ」についての話にまで突入しますが……。


 (「かまどがまさんのご父君は、知識人であられたのだろうと思います。ぼくの家だと、父はもちろん、祖父だって漢文が読めたとはとても思えないので……。」という、ぼくからの返事の一節を受けて……)

 亡父は選良の家系などではなく、米屋の息子です。ただ、女系家族の中のやっと生まれた男子だったので猛烈に甘やかされて育ったことは確かで、空襲の記憶で、コレクションのレコードが焼夷弾で燃えるのを見てから防空壕に入ったなどと言っていたので、ふんだんに本は与えられていたかも知れません。年代から考えると漢籍ではなくて、教育勅語が口語体の基礎だったなどとは思いたくないがその可能性もあります……
ただ、戦況が厳しくなる前にぎりぎり基礎教育を終えている世代なので、eminus さんのお父様よりは学校も余裕があった時期だと思います。
その後の終戦含めて20年間くらいは社会が子どもの教育に心を配ることが良くも悪くも不十分だったと、今の少しだけ上の世代(団塊含める)を見て感じるところです。
積んである山田風太郎に食指が伸びないのは・・・そうか!エッセイだからですね(笑
正直に言うと、ちょっと見ても、時間を割いてというほど面白くない(笑 私がエッセイをあまり好みでないということもありますが・・・
今度図書館で見てみます。
フェミニズムのスタンスでは・・・もうこの、教育勅語を空で言える世代は全く話になりません。親に持って日々の言動を見ていたのだから確実です、リベラルなはずの吉本隆明も大西巨人も自称リベラルだった亡父も全く全然、話にならない。この線での彼らとの共通言語は無いです。
彼らにとって女性とは乳母・家政婦・娼婦のどれかでしかない。自分の娘だけが3つのどれにもカテゴライズしたくない存在・・・
それこそ、絶滅するのを待つしか対処のしようがない人たちです。


投稿 かまどがま | 2014/01/30


 フェミニズムの話は、昨年の5月にも出まして、難しいのでそのままになっていたんですが……。
 大西巨人(1919生)、吉本隆明(1924生)の名はあの時にも挙げられていましたが、この2名については、どのあたりが駄目なのか、じつはぼくにはよく分からないままです。
 あの時にも述べたとおり、吉行淳之介(1924生)、立原正秋(1926生)の2人なら、これはもう、誰が見たってフェミニズム的に「問題あり」なのは明白なんですが……。ちなみに風太郎は1922年生まれです。三島由紀夫が1925年の生まれ。「昭和」と同い年ですね。
 ご面倒でなければ、後学のために、大西巨人と吉本隆明のどこがダメなのか、具体的な作品を指してあげつらって頂くとありがたいです。ほぼ祖父と孫ほど年齢が離れているとはいえ、ぼくもいちおうオトコなので、同性の目からは視えにくいことも多いようでして。
 あと、この名前はまあ、あまり耳にしたくもないでしょうけれど、石原慎太郎は1932年生まれで、いわゆる昭和ヒトケタですね。野坂昭如、五木寛之、開高健、小松左京あたりと同世代。そして筒井康隆、井上ひさし、大江健三郎らが2、3年遅れでこれに続きます。戦時下ゆえ、この時代の1年の違いはそうとう大きいと聞いています。徴兵されるか否かで、文字どおり「生死を分ける」ことにもなったので。
 まあ、「作家」と聞いて、こうやって男の名前ばかりがずらずらっと浮かんでしまうところがすでにマズイよなあとも思いますが。しかし、書き手も読み手も今と比べて圧倒的に男性の比率が高かったのは事実でしょう。
 「教育勅語」そのものは短くて、この内容自体に女性蔑視は含まれていないと思いますが、要するにまあ、これを暗唱させられて育った世代は、硬いことばで言うならば、「家父長専制型の封建主義的イデオロギー」に骨の髄まで毒されているということでしょうか。ただ、大西・吉本クラスの思想家(ぼくは大西巨人は作家というより思想家に近いと思っています)は、さすがにそこから知性の力で抜け出ていると思うので、かまどがまさんがお感じになっているこの二人の問題点を、ぜひお聞かせ願いたいのです。
 さいごに風太郎の話を付け加えておきますと、お手持ちの書籍のうち、『人間臨終図巻』はかなり面白いと思いますよ。べつに慌てて読むほどのものではないとも思いますけども。ほかのエッセイのことはよく知りません。小説以外で凄いのは、エッセイではないですが、やはり『戦中派不戦日記』(講談社文庫/角川文庫)と『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)の二冊でしょう。20歳から23歳までの日記ですが、この年齢の若者が「銃後」の生活についてこれほどの質と量をもつ記録を留めている例は珍しいので、史料としても貴重なものだと思います。


投稿 eminus | 2014/01/31




『戦中派不戦日記』と『戦中派虫けら日記』も並んでいます。見てみますね。

大西巨人は全て手元になくて、吉本隆明は『共同幻想論』なので厄介この上ないのですが・・・
まず、大西巨人よお前もかと感じた部分は『神聖喜劇』の日本兵が中国人の女性を強姦殺戮した回顧の場面でした。場面が場面なのでフェミニズムとは最も遠いのは当然なのですが、状況が不快であるという意味では無くて、その場面の描き方に、それは至極当然のものとして描いたという感じを強く受けたのです。「惨い」という認識はあることは伝わったのですが、被害者側の持つであろう怒りや屈辱感が描く側の認識として無い・・・そう云う状況ではそういう事が当然起こると何の不条理もなくそう思っている。橋下のよく云う、そう云う状況なのだから、そう云う事は当然起こるでしょと白っと言える感覚を普通に持っていると感じました。現物が無いので引用できなくて申し訳ございません。
あと、個人的な日常風景を場面としたエッセイの中で、自分の妻を完璧に従順な所有物として認識していると感じたことがあります。
向かい合う対象ではなく、つき従うものとして保護する、飼っている愛犬に対する感情に近いものを感じました。酷い表現で申し訳ないです。

『共同幻想論』は読み進んで、対幻想で、性的な役割分担以外の差別はあってはならない、と言いながら、母性本能を自明のものであって当然の前提としていることに違和感があります。最初からの流れで行くと、これは社会的にあることにされて烙印されている幻想じゃないか?と思うのですが・・・これはもうページをぱらぱらめくって書ける事では無くて読書会をしないと正確に言っていることにはならないのですが・・・

大江健三郎は確かにわずか下ですが、意識は全く違いますね。躊躇なく虐げられる側に立てる、というか虐げられる側をテーマに描ける。


作家を挙げた時に、この時代は男性ばかりがでてくるのはもう状況として仕方がないと思いますが、その時代に女性で同じくらいの教養と財力があり物を書いていた人はわずかですが、そういう時代だからこそ透徹した見方は女性作家の方ができているのかと思います。と明治生まれの野上弥生子がすぐ浮かぶのですが・・

投稿 かまどがま | 2014/01/31



 いやあ……こちらからお願いしておいてアレなんですが、これはまた、思っていた以上にたいへんな話になってしまいました(笑)。『神聖喜劇』(光文社文庫・全5巻)も『共同幻想論』(角川文庫)も、何度か読んではおりますが、これまで、ご指摘のような点が気になったことはないんです。もういちど、慎重に読み返してみましょう。
 ことに『共同幻想論』のほうは、個幻想⇒対幻想⇒共同幻想への展開というのが立論の要になっているので、根底的な批判になりうるかも知れませんね。
 『神聖喜劇』はいちおう小説であり、しかも戦争という異常な状況を描いたものだから、難しいところはあると思いますが……。ぎっしりと内容の詰まった大長編のため、すぐには当該箇所が見つからなかったんですよ。大前田軍曹の回想シーンだと思うのですが……。これもゆっくり読み返します。
 大西さんのエッセイは読んだことがないのですが、ネットで探してみたところ、「大西巨人の随筆を読んだが、『妻』に対する家父長専制ぶりが目に余る。」という意味のことを書いている方がおられました。どうやら男性らしいのですが、大江健三郎氏が『家内』ということばを使うことにも腹を立てておられるので、そうとうにフェミニスティックな感性を備えた方のようです。
 いずれにしても、大西・吉本両氏への批判について、昨年の5月からずっと引っかかっていたので、問題点を明らかにして頂いてすっきりしました。これから自分なりに検証していきます。
 ぼくは高校のときに図書室にあった「新潮現代文学」全80巻を読み漁ることで文学の基礎を身に付けたと思っています。一人一冊の編集なので、80人の作家が取り上げられておりますが、女性は4分の1にも満たないんですね。昭和50年代半ばにあっては、まだそんな塩梅だったということです。もし同じ企画が今あれば、事情はがらりと変わるでしょう。
 ちなみに収録された女性作家は以下のとおりです。
 野上弥生子
 宇野千代
 佐多稲子
 円地文子
 幸田文
 住井すゑ
 山崎豊子
 有吉佐和子
 曽野綾子
 瀬戸内晴美
 河野多恵子
 森茉莉
 田辺聖子
 倉橋由美子

 いろいろと制約もあったのでしょうが、ざっと思いつくだけでも、網野菊、岡本かの子、宮本百合子、林芙美子、平林たい子、壷井栄、中里恒子、芝木好子、大原富枝、大庭みな子、宮尾登美子といったあたりが抜けているなあ、と感じますね。


投稿 eminus | 2014/02/01




そうそう、大前田軍曹の回想シーンでした。両方ともとにかく時間がかかる作品なので、読み返すのはなんだかお気の毒です。その他、神聖喜劇には大切に思う女性も出てきて、彼女の描き方にも女性との関わり方の立ち位置がなんとも・・・適切な言葉がなかなか思いつかないのですが、家父長的というか、自分に従属するものという感覚が大前提にあることを感じました。具体的に示せなくて本当に申し訳ないのですが。
『神聖喜劇』は一度しか読んでいなくて、その他、全体の流れはとても楽しめたのですが、これはこの時代に生まれ育った人の限界かもしれないと思いますし、その時代の男を親に持ちながらも、60年代後半から70年代にかけてのフェミニズムの興隆のど真ん中を経験し、母親とのやり取りをつぶさに見ていたからこそ過敏に感じ取ってしまうのかもしれません。ひょっとすると男性だとあまり気がつかないことかもしれません。以前ネットで神聖喜劇の読書会のようなことをして、私はHNでの書きこみで、長いこと意識して性別が明確になる書き方をしなかったのですが、大前田軍曹のこの話題ではじめて「もしかして女性ですか?」と聞かれてしまいました。たぶん強姦殺戮シーンがすでに不快なのでその不快さに隠れてしまうのかもしれません。
大西巨人の女性観に関してのみでしたら、『神聖喜劇』ではなくて、エッセイで充分だと思います。エッセイについてはネットで書いた記憶がないので読まれたのは別の男性だとは思います(笑

大江健三郎が妻を家内というのは、少し下とはいえこの世代の人に、言葉つかいの事で文句を言うのが気の毒というものです(笑
大江健三郎だから、作家だからという理由を考慮しても大目に見てあげたいなぁ、それ以外の人と比べると・・・

『共同幻想論』はもちろん、一回でサラッと読めるものではないし、私自身がどこまで読めているかという問題もあるのですが、確かに家父長的な感覚がもう120%大前提に考察が進んでいることに違和感があります。ただこれは『共同幻想論』のみからではなく、彼の他で書いたものを読んだ私の経験値からの思い込みという可能性もあります。

提示していただいた女性の作家を見てみると、 曽野綾子だけ異質ですね・・・何故でしょうね?

投稿 かまどがま | 2014/02/01



 『神聖喜劇』も『共同幻想論』も、ぼくにはとても大切な本で、折にふれて読み返しているので、まったくノー・プロブレムです。大切な本だからこそ、神棚に祭り上げて妄従するのではなく、つねに批判を加えて新しく読み直していかねばならない。それこそが正しい読み手の姿勢であり、そういった批判に耐えうるのが真の書物というものでしょう。
 たぶんまあ、人も書物も、まったく偏向してないってことはありえないわけで、最初の女性が男性の肋骨から創られたと主張して憚らない旧約聖書こそ、ジェンダー偏向の最たるものではないですか。西欧の文化史を紐解いても、「小説家」はともかく、「哲学者」はほとんどすべてが男性ばかり。それゆえに、フェミニズム思想、フェミニズム批評というものは、文化史そのものをひっくり返してしまうくらいの可能性を秘めていると思うんですよ。
 アタマではそう思うんですが、じっさいにはまあ、医学的にも社会的にもいちおう男性でありまして、当然ながら、いろいろと桎梏に囚われてはいるんでしょう。だからこういう話は勉強になります。
 ただ、わが国のばあいは、これは宮廷文化という特殊な背景の賜物ながら、紫式部をはじめとする才媛たちが咲き誇りましたね。「女性作家」が男性に引けを取るどころか、どうやらもっと優秀らしいってことは、早くから実証ずみだった。そのあと長らく続いた武家社会が、女性の力を抑え込んでいたということでしょう。
 明治維新から敗戦までの約80年間も、極端にいえば、内実はほぼ軍事政権だったから、いわば武家社会みたいなもんです。「家父長専制的イデオロギー」が基盤をなしていたのも当然でした。
 あまり安易に結びつけるのは危ういかとは思いますが、戦前のニホンが「半島(植民地)」や「中国」に対して、「男」が「女」を扱うように扱っていたということはあるのではないでしょうか。むろん、家父長専制的な男が、抑圧された「妻」を扱うように、ということですが。そのいっぽう、「欧米列強」からはあたかも「女」のように扱われ、きわめて屈折した情態に置かれていた……。むりやりに病理学的に分析すれば、そうなるんじゃないかなあ。
 ちょっと話が大きくなりすぎました。しかし、いずれ準備が整えば、ブログ本編でも扱いたい題材です。
 話を戻すと、大西巨人ほどの偉大なる「ロジカル・モンスター」でさえ、なおジェンダー偏向から逃れきれないという事実は、「性差」なるものの根の深さを窺わせるに十分ですねえ……。おそろしいことだ……。
 大江健三郎さんのエッセイで「家内」という呼称を見かけると、ぼくはいつでも深い信頼と愛情をそこに感じ取りますね。ほんとうに家庭を守るということは、外に出て日々のたつきを稼いでくることに負けず劣らず困難で大変な仕事じゃないでしょうか。大江さんはそういうつもりで使っておられると思いますよ。感じ方は人それぞれなので、口を差し挟むつもりはありませんが、字面だけを捉えて難じるのではなく、もう少し深く心を配って頂けませんか、と、当のブログ主さんに言いたい気分はありますね。言いませんけどね。
 曽野綾子という人を異質と感じるのは、それはまあ、評論家としては「右翼」で「タカ派」だからだと思いますけども、「小説家」としては、ぼくが読んだかぎりでは、そういう匂いはないんですよ。この人の『神の汚れた手』(文春文庫/たぶん絶版)という作品がけっこうぼくは好きでして……。中年の産婦人科医(男)を主人公に、「生命の尊厳」をテーマにしたもので、まあ、通俗小説ですけども。
 こういうことを言うと、かまどがまさんは間違いなく不快に思われるでしょうが、「作家」として、と限定するならば、石原慎太郎なる人物も、じつはぼくは嫌いではありません。偏向ということでいうならば、まあ、あれくらい分かりやすく偏って歪んだ人格も稀でしょうけど、偏って歪んでいるゆえに(「にも関わらず」ではなく)優れた小説を書いてしまうケースも往々にしてあるわけで、そこが文学という異形のジャンルの困ったところだと思います。むろん、ろくでもない作品がほとんどなのですが、『わが人生の時の時』(新潮文庫/たぶん絶版)と、あと中期の2、3の作品だけはどうしても捨てがたいです。


投稿 eminus | 2014/02/02



石原慎太郎は天敵(笑 のような存在なので・・・ 『わが人生の時の時』は見たことが無いのですが、チャンスがあれば是非手にとってみます。

宮廷文化に触れておられましたが、沖縄の離島に住んでみて異文化性を一番感じるのが、儒教の影響が強いので強烈に家父長制が浸透していて、一家の主、その後継者である長男のたてまつられ方は驚くほどなのですが、それと同時に女性の位置が神に直結していて、地域の中の祭りは関東でいうお祭りという観光化した行事ではなく、その地域の人しか開催されていることも分からない本当に女たちが地域の神聖な場所に籠り、一家と地域の願い事を神に伝える行事が行われています。
普段は口答えすら許されない(蔭では女同志で集まってワイワイ言っているけど)、職場でも理不尽だと明確に分かっていても、ある線以上は男性の意見に逆らわないことが標準装備なのに、祖先や自然信仰の窓口は女性が受け持っていると云う微妙な力配分になっています。
このあたりをうっかりすると踏み外し、ある程度キチンと意見を言わなければいけない場面で、議論をそのまま進めてしまい、人間関係がぎくしゃくしてしまう失敗はあります(笑
家父長制と自然信仰は掘り下げるとかなり興味深いカテゴリーなのですが、とりあえず機会があるときに好奇心200%で耳を傾けるだけになっています。

自然信仰は、神の権威を表現した人造的な寺院仏閣を見たどの経験よりも、神聖とされる森の中のスポットなどは、神が降りるとしたらここに違いないという確信を持たせる神聖さがあるのですが、自然信仰そのものがどうしても欠落しているという個人的な経験値の違いがあり、そこに住んでいる者としてどうしても一歩遠慮したアプローチになるのが残念です。

投稿 かまどがま | 2014/02/02



 興味ぶかいお話ですね……。「近代」の空間のあいだに、「古代」やら「中世」がミルフィーユみたいに層をなして入り混じっている感じとでもいうか……。これは現地に身を置かぬことにはなかなか実感できないでしょうね。
 とっさに思い出したのは、『沖縄文学選』にも収められている又吉栄喜の芥川受賞作「豚の報い」でした。川村湊による行き届いた解説が附されていますが、そこには「ユタ」(霊性をそなえた女性シャーマン)「ノロ」(祝女)といった単語が見えます。なるほど。「神」の世界と「こちら側」とをつなぐ媒介者として、女性がしぜんに位置づけられているわけですか……。アスファルト・ジャングルとでもいうか、「近代」の最果てみたいな殺伐たる地域で生まれ育ったぼくには、ばくぜんと想像するしかありません。それだけにロマンティックな好奇心を覚えますが、ただ、自分がその社会で巧みに身を処していけるかと言われると、ちょっと自信がない……(笑)。
 「家父長制」と「自然信仰」という二項対立からは少しずれるかも知れませんが、「男性原理」と「女性原理」との対立というか相克というか葛藤といったテーマであれば、これは大江文学のメインテーマのひとつでもあります。自然の豊かな小宇宙としての「森」の中で、女性たちが大地に根ざした根源的なパワーを発揮する展開がよく描かれる。もちろん、そんなシンプルな紋切り型で片づけられるものではなくて、多様なイメージを駆使して、重層的で錯綜するドラマが繰り広げられるわけですが。
 さらに大江的作品世界においては、そのような女性の「力」の発露が、既成の秩序を転覆しかねないほどの「謀叛」や「反乱」にまで発展していく不穏さがあって、そこがたまらない魅力になっています。それはもちろん、シンタローなんてまるで問題にもなりません(笑)。


投稿 eminus | 2014/02/03



ユタとノロの存在ですが「神の世界」と「こちら側」の二つでは無くて、私の識別ですが、祖先を含めた死者の世界と神の世界なのです。亡くなった死者の霊と自然の中にいる神は明確に違う存在です。死者の霊が神にいつか神になるわけとはちょっと違うのですが、では神とは何かを聞かれるとそこまでは私は分からないのです(笑
ただユタとノロはあきらかに担当分野が違っていて、どちらに通じるかは偶然なのですが、姉妹に現れることが多いと聞いたことがあります。
県立病院が総合病院としてあるのですが、ここの精神科でどうしても手がつけられない症状の場合、ユタのアプローチであっさり治ることも珍しくなく、病院側から、ある時点でそれを勧められることもあるようです。内地では信じられないことですが、普通の認識として存在するのが興味深いです。

投稿 かまどがま | 2014/02/03



 ますます興味ぶかいですね……。「死者(たち)の世界」と「神の世界」は別なんですね。それもたぶん、「神々」と複数形になるのではないかという気もしますが……。その二つの世界に、われわれの棲むこちら側の世界(現世)が入り混じっている感じなのかな? そのままマジック・リアリズムですね。
 ここまでのやり取りがとても面白いので、ひとつにまとめて新たな記事としてアップさせて頂きました。もし支障があればお知らせください。


投稿 eminus | 2014/02/03


ユタとノロについては、これだけで生涯かけた研究テーマにしている方もある分野なのですが、余所から来た私なりの区分ということで書いております。地元の方、詳しい方のご指摘、ご教授、お叱り含めてどうかよろしくお願いいたします。

投稿 かまどがま | 2014/02/04



 そうですね……。この話はものすごく深くて、いろいろとお伺いしたいところですが、あまりに深すぎるために、かえって何を訊いていいか分からないというか、こちらのほうも、もう少し勉強して知識を蓄えておかねば迂闊には入り込めないぞという気がしています。
 勉強といっても、ぼくがいつもやってるように、ただ関連書籍を読み漁るだけではダメで、ここはやっぱり、じっさいにその土地に足を踏み入れて、その場所の「気」を身を以って感じ、そのうえで、さまざまな方からの話をお伺いしたり、もし可能なら、「神おろし」(……と呼んでいいのでしょうか?)の現場に居合わせたりして、少しずつ体感していくべきことなんでしょうが……。
 ともあれ、ほかの場所から移り住まれた方だからこそ、その土地では当たり前のようになっている事象を真新しく感じ、それをこうやって部外者のぼくなどにも言葉を使って伝えて下さることができるわけで、それはひとつの貴重なポジションだと思います。おかげで、「豚の報い」や「水滴」、崎山多美さんの「風水譚」といった作品が、「ふむふむ。ようするに沖縄流マジック・リアリズムだよね……」という浅はかな理解を超えて、ひどく生々しく、実感をもって読めるようになりました。そのせいかどうか分かりませんが、昨日の夜はずっと元ちとせを聴いていました。あの人は奄美ですけども。
 沖縄の地から、若い(いや別に若くなくてもいいけど)女性の作家が登場することを期待します。


投稿 eminus | 2014/02/04



eminusさんのコメント一行目「いろいろお伺いしたいところですが」で、えっ?深く尋ねられても・・・とオロオロしたのですが(笑 私にではないのでほっとしました(笑
本当に奥が深すぎて、入り口あたりにふれるだけでもドキドキです。
沖縄の文化の持つ異次元性のようなものは、文学で表現するとたぶん新しい分野が開けるほど摩訶不思議な世界感なのですが、それらは古典で表現されているようで、読み終えていないのですが『球陽』などが不思議な感覚を味わえます。
ただやはり現代文学は数は少なく、女性のものもあまりなくて、どちらかというと、ダイレクトにユタに入っていく女性や音楽などの表現の方がやりやすいようです。
その理由として思い当るのは、文学表現でつかう言語は、書き文字の日本語になるのですが、霊的な異次元感覚を表現する場合はどうしても地元の言葉で不思議な感覚などを現わすので、書き言葉に変換するとニュアンスが違ってしまうのです。
言葉と感覚双方でバイリンガルが登場するのを待つしかないですね。
映画『ウンタマギルー』をご覧になるとなんとなくわかると思いますが、あれは、格好をつけて字幕にしているのではなくて、言葉を内地の言語にすると全く違うものになってしまうからなのです。

と、考えると、海外の翻訳小説というのは、かなり正確に感じているのではないのかも・・・と不安にもなるのですが(笑

投稿 かまどがま | 2014/02/05



 そういえば沖縄絵画というのは目にしませんが……音楽はふかく浸透してますね。安室奈美恵をはじめ、沖縄出身のアーティストも多いし、独特の音階がポップスにもよく応用されていて……。「レ」と「ラ」を抜いた「ドミファソシド」のペンタトニックでしたっけ。
 『球陽』(きゅうよう)は史書なんですね。いま調べて初めて知りました。沖縄の古語で記されていたら、それだけで言霊(ことだま)がざわざわ立ち上ってくる感じでしょうが……。『おもろさうし』は上下巻が岩波文庫で出ていましたが、品切れのようです。
 新刊で、伊波普猷の『古琉球』というのが出てますね。これはちょっと見てみたいな。
 音楽や絵画はダイレクトに右脳に訴えかけるから広がりやすいんだけど、たしかにコトバというのはむずかしい。翻訳しちゃったら意味ないし、そのままだと何がなんだかわからない。そこらあたりの兼ね合いがね……。「内地」の作家ですけども、ぼくが大江さんと並んで畏敬している古井由吉という作家がいまして、このひとの文章というのはもはや通常の日本語の概念を越境しています。近代のなかに中世や古代が入り混じっている感じ。ぼくなんか、読むたびに最高級のウイスキーをあおったみたいに酔い痴れますが、鴎外の「舞姫」や一葉の「たけくらべ」にすら翻訳が入り用な若い人たちには、ちょっと読めないかもしれない。
 読み手の側のスキルアップを望みたい気分はありますね。さらさらと読んで「あー面白かった」というのではない、いくばくかの忍耐と労力を費やす読書もあると知ってほしい。それはけっして苦役ではなく、必ずや、より高い次元の快楽へとつながっているわけだから。
 勉誠出版の『沖縄文学選』にも短編「風水譚」が収録されている崎山多美さんですが、このひとの『ゆらてぃくゆりてぃく』(講談社)という作品を四方田犬彦が褒めていました。短い書評を読むかぎり、かなり面白そうです。2003年刊で、残念ながら入手は困難のようですが……。


投稿 eminus | 2014/02/06



そう云えば女性作家では崎山多美がいましたね。『ゆらてぃく~』はまだ読んでいません。何か短編集の中のものを読んだことがあります。文体は読みにくいような記憶がありますが世界感が独特でした。
球陽は『琉球民話集―球陽外巻 遺老説伝口語訳』というのが神話と民話の中間のような話が読めます。古書店で3000円くらいで出るときがあります。
沖縄のものは県内の図書館で観ることが出来るのでこちらにいると助かります。

音楽はおきなわんポップスとは全く別ですが、いわゆる民謡がかなり生活に定着しており三線(サンシン)と歌ですが古典があって、その他に酒の席などで延々と即興で弾くことがあり、興に乗るとどんどん歌が続き、数人で掛け合いのように勝手に歌が続いて行くというものがあります。地元の言葉が分からないと面白さも半分以下で残念です。
もちろん地元の言葉なので、これを自在に操れる人の年齢が限られるのでこの先どうなるのか心配です。
20代になると聞けても話せない人がほとんどになります。

投稿 かまどがま | 2014/02/06



 球陽は、外伝の「民話集」ですか。民話というのも神話と共に物語の宝庫ですよね。『琉球民話集―球陽外巻 遺老説伝口語訳』は、とりあえずamazonでは中古で6800円からとなってますね。
 インド神話の「マハーバーラタ」に興味がわいて、ちくま学芸文庫版を探したら品切になってました。聖書の4倍くらいの規模だそうです(四方田犬彦氏は16倍と書いてます。何を基準に勘定するかで変わるのかな? とにかくまあ、膨大なものには違いありません)。ちくま学芸文庫版の翻訳は、訳者の逝去によって惜しくも中断したそうですが、それでも500ページ近いものが8巻まで出ました。これも死ぬまでに一度は読んでみたいけど……。
 こうやって、「いずれ大きな図書館に行ったら探したい本ノート」がどんどん分厚くなっていきます。
 酒席に三線(サンシン)を持ち込んで、アドリブの歌が掛け合いで延々と続いていくというのは面白いですねえ。そういうノリは、ちょっとほかの地域では見られないんじゃないでしょうか。
 講談社文芸文庫から2011年に出た『現代沖縄文学選』には、崎山多美「見えないマチからションカネーが」と山入端信子「鬼火」が収められてるようですね。10人中、女性はこの2人だけです。山入端さんについては、ほかに情報がありません。
 「見えないマチからションカネーが」は、既に死んでいる水商売の女性二人が、琉球方言を交えて語るものがたりとのこと。「鬼火」も、愛人に殺された母子が、珊瑚とウツボのいる海中で語るお話とのことです。みんな語り手が死者という(笑)。これぞユタの世界でしょうか。
 若い世代の使うコトバがどんどん貧しくなってるのは(記号化している、とぼくなんかは言いたいですけど)、いずこも同じで、ほんとうに悲しいことですが……、それでも、20代の人たちが耳で聞いてわかるというのはすごい。映画「ウンタマギルー」は、むかしむかし、深夜テレビでやったのを観ましたが、台詞はまったく分かりませんでした。じつは内容もよく覚えてないんです(泣)。機会があれば改めて観てみたい、という気分ではおります(笑)。


投稿 eminus | 2014/02/07




若い人たちが沖縄言葉を聞いて分かるのは、経済的に貧しかったので子どもを持つ母親のほとんどがパートや畑に出て働いていて、子守りは外で働けないおばあさん、ひいおばあさんたちの役割だったことでかろうじて聞けるようになっています。
核家族化が浸透するのは、いなかに行くほど遅れているのですが、今の小さい子は完全に保育所に行っているので、それも伝わっていないはずです。
仕事関連で地域の人と話し込んだり、女性たちの集まりで一緒に作業をしていると、歌が出たり、そう云えば・・・風な話が広がったりするのですが、以前に亡くなった人の意志が今生きている人の様に語られたり、亡くなった人の魂が当たり前に出てきたりするのは不思議な面白さがあります。
怪談のように怖くなくて、生活空間に普通に亡くなった人の思いが流通している感じなのです。
そういう時は部分的に方言が飛び交い、流れを断ち切らない程度に、興味しんしんで質問をさしはさんでいますが、良くて8割しか理解できていないです。

投稿 かまどがま | 2014/02/07



 なるほど……世代をひとつ隔てた交わりによって、ことばが継承されたわけですか。前からふしぎに思ってたんですが、疑問がほぐれました。
 歌であるとか、亡くなった人の魂についての会話の際に方言(沖縄ことば)が出るというのは、とても象徴的ですね。ことばというものはけっして意識と切り離せなくて、深いところに関わる時には、ことばもまた深いところから出てくるということなんだろうと思います。
 死者の魂といったものが、恐ろしいものとしてではなく、なにか温かみをもって受け容れられているあたりが、いかにも土地柄ですね。やはり南方だからでしょうか……。
 そういったお話を聞くと、つくづく自分は、子供のころから「近代」に(それもきわめて中途半端な「近代」に)毒されてきたんだなあ、というふうにも感じますが、それはそれで、もう、そういう場所から自分なりの文学をつくっていくしか仕方がないです。でもさいきんは自分も、よかれあしかれ近代からはみ出してきたかなあ……と自負(?)してますけど……ぼくのいま書いている小説には、生死すら定かならざるおかしな存在がうじゃらうじゃらと登場するのです。

投稿 eminus | 2014/02/08

裏がえしの暗黒山脈・山田風太郎

2015-11-06 | 物語(ロマン)の愉楽
 さて。古いブログから文学関係の記事を引っ張ってくるシリーズ、今回はヤマフウこと山田風太郎。いわゆる純文学系以外の作家を扱うのは珍しい……というか初めてではないか。だけどこんな時でさえまだ高校時代がどうしたこうしたという話をしてるんだから何というかまあ。なんだかぼくは高校時代の思い出を枕にふらねば文学の話ができないらしい。
 アップしたのは2014年の1月。とにかく病的なまでの純文バカで、SFと藤沢周平を除けば「純文のほかに神はなし。」と信じてやってきた私がこのころエンタテインメントやミステリや幻想小説といった周辺領域に手を出すようになった。そのきっかけとなったのがヤマフウさんで、そのかんの事情を述べたものである。あくまでも純文学に軸足を据えつつ、山風ショックに端を発する「周辺への越境」はなおも収まることなく、今年になって澁澤龍彦、中井英夫、山尾悠子、津原泰水などといった妖しい作家たちにまで手を出すこととなった。自分のなかの文学の地形図は、休みなく日々変動を続けている。何というかまあ。何というかまあ。

☆☆☆☆☆☆☆


裏がえしの暗黒山脈・山田風太郎
初出 2014年01月29日


 このあいだから山田風太郎を読んでいる。昨年の今ごろはサルトルの『存在と無』を読んでいた。こういった振れ幅の大きさは、よくいえばポストモダンなんだろうけど、じつはたんに私の頭がイカレてるだけだと思う。ただ、サルトルと比較するのも詮無きことだが、山田風太郎の作品が、たんなる暇つぶしの具に過ぎぬかというならば、それは違うと明瞭にいえる。
 なにしろ、ひとくちに山田風太郎といっても、いわゆる忍法帖、明治もの、時代もの、初期ミステリ、最晩年の室町もの、さらにエッセイまで実に奥行きが深い。ことに『戦中派不戦日記』(講談社文庫)と『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)の二冊は、戦時下の青春を文字に留めた記録文学として出色のものだ。前者は昭和20年、すなわち敗戦の年に23歳の著者によって書かれた日記の集成であり、後者はそれに先立つ3年間の日記である。いずれも奇矯なところはまるでなく、生真面目な勉強家の勤労学生の姿を浮かび上がらせる。山田誠也青年は肋膜炎のために徴兵されず、働きながら医学校に通っていた。「不戦」と銘打っているのはそのためだが、しかし「反戦」日記ではなくて、文中には、随所にずいぶん勇ましい表現もみえる。

 流麗な漢文くずしを交えたその文章は、当節の大学生には及びもつかぬ名文だが、それもそのはず、山田青年はすでに18歳のとき懸賞小説に入選し、敗戦の翌年には、創刊されたばかりの「宝石」の第一回新人賞に入選している。24歳の時だ。天稟の持ち主だったのである。
 ただ、「不戦」と「虫けら」の二巻の日記を見るかぎり、この青年が貪るように読み漁っていたのはもっぱら古典、純文学、また評論や哲学書のたぐいであり、それはまあ、戦時下においては本そのものがひどく貴重で、ミステリなどはかえって入手しにくかったろうから当然といえば当然かも知れぬが、こういった読書体験の中からのちの大エンタメ作家・山田風太郎が誕生するのはとても不思議に思えた。純文学に進んでいてもおかしくはない。いわゆる「戦後派」の面々よりは一回りほど若く、三島由紀夫、吉本隆明、丸谷才一とほぼ同世代の、昭和を代表する純文学作家がもうひとり生まれていてもちっともおかしくなかったはずなのだ。
 しかし、ある意味で山田文学の「後継者」の一人ともいえる12歳年下の鬼才・筒井康隆が40代後半から純文学へと傾斜していったのとは異なり、山田風太郎は最後まで偉大なる「通俗作家」であり続けた。こういうのは、やはり資質と言うしかないだろうか。

 天性の物語作者なのだ。筆を取ったらしぜんにもう「物語」を紡いでいる。留めようもなく「物語」が溢れ出てしまう。それゆえに「純文学」どころではなかったのだろう。
 純文学に物語性がいらないわけではないけれど、お話を語る(騙る)ことに耽って人間の書き込みがおろそかになるのを書き手は厭う。本能的に避けてるところがある。「物語」は否応もなく登場人物を「類型化」し、ストーリーの起承転結にのみ奉仕させる。どうしてもその傾向が拭えないからだ。安手のサスペンスドラマを思い浮かべてみてください。舞台と設定が変わるだけで、あとはたいてい同工異曲。ソフトを作ればコンピューターでもシナリオができる。
 風太郎作品にもその傾きはむろんある。もともと「近代小説」であるべくもなく、漱石や藤村や逍遥や四迷を飛び越えて、江戸期に書かれた「南総里見八犬伝」にそのまま連なる「読みもの」なのだ。ことに忍法帖シリーズはそうである。奇想縦横、淫虐暴戻。カタカナでいうならトンデモ+エロ・グロ・ナンセンス。ときにスカトロ。
 読者の俗情に媚びて「売らん哉」を狙っただけだ、と片付けてしまうと貶(おとし)めすぎで、性や暴力を通して人間という生き物の根源を暴いたサド侯爵に通じる文学とまでいったら誉めすぎになる。なんとも危うい作品群だ。しかし、そんなゴタクはさておいて、むやみやたらと面白い。とはいえ、ぼくがその面白さを思い知ったのはごく最近になってからだ。

 ぼくの風太郎との最初の出会いは高校の時だった。角川文庫の『魔界転生』。同世代の方なら「ああ」と頷いてもらえるだろう。沢田研二と千葉真一が主演した例のカドカワ映画の原作である。学校の図書室のいちばん目立つ棚にぽんと置いてあったので、借り出し手続きをしようとカウンターに持っていったら司書のおばさんが露骨にケーベツのまなざしを向けた。「だったらそんなとこに置いときなさんなよ……」と思ったものである。
 こちらもまだブンガクに目覚める前の話で、当時は平井和正や大薮春彦みたいな荒っぽいものもわりと平気で読み飛ばしていたが、それでも作中の残虐描写には閉口した。いったん死んだ武蔵だの荒木又衛門だのが女体を破って「転生」してくるという趣向も、酸鼻なうえに下らねえと感じた。上下巻あわせて千ページ近くを3日くらいで読みきったのだから退屈はしなかったはずだが、これを皮切りに風太郎にハマるということはなく、それどころか敬して遠ざける羽目になった。
 柴田錬三郎の「眠狂四郎」のほうがずっと上質だよなあと感じたし、さらに司馬遼太郎なら面白いうえに歴史の勉強にもなるじゃんと思い、『新選組血風録』『関ヶ原』『項羽と劉邦』なんかを手当たり次第に読んでいった。じっさい面白くて勉強になった。日本史の成績も上がった。
 さらに高2の夏には純文学に開眼し、直木賞系の小説とはますます縁遠くなっていく。そののち、ぼくの「純文学」志向はいよいよ偏狭となってアンチロマンから「散文詩」にまで近接していき、いっぽうのエンタメ志向は活字を離れてマンガのほうに行ってしまう。『MASTERキートン』とか、『ナニワ金融道』とか。自分の中で「純文学」と「エンタテインメント」とがすっぱりと二極分化し、あまつさえ、「娯楽系の小説」が抜け落ちてしまったのである。

 最近になって思うのだが、特定の神はもとよりイデオロギーすら信奉しない懐疑派で、かつ文学至上主義者である私は、ひょっとすると「言葉」をゆいいつ無比のものとして聖化していたのかもしれない。
 言葉といっても日本語しか使えぬから、つまりは日本語を聖化してたってことだけど、それゆえに長年にわたって尖鋭な純文学を詩と一体のものとして崇め、片や娯楽小説を毛嫌いしつづけることにもなった。それは物語性を軽蔑していたということでもある。
 だから朝吹真理子さんが登場したときには「これだッ」と叫んでえらくコーフンしたものだが、しかしああいう「エクリチュールの真摯なる戯れ」みたいなものとは真逆の、ページを開くや読み手をぐわっと引きずり込み、絢爛たる「物語」の渦の中へと否応もなく巻き込んで、いわばもう鼻面引き回し、冒頭の一行目から最終ページの最終行まで、息をも付かせず拉し去る、というのもまた大いなる「言葉」の力だよなあ、ということにこの齢になって気がついた。いやまあぼくだって、子供の頃にはそんなふうにしてお話に夢中になってたはずだから、何十年ぶりかで思い出した、というべきか。子供の頃のそんな気分が蘇ったのも、もっぱら山田風太郎のおかげ(責任?)である。

 昭和の30年代から40年代にかけて、すなわち作者のほぼ30代から40代前半にかけて書かれた忍法帖シリーズは奇想天外かつ荒唐無稽、しかもエログロ満載、いっぽう、昭和40年代後半、すなわち風太郎が円熟期を迎えた40代の終わりから着手した「明治もの」のシリーズは、綿密な考証と奔放な想像力、それに加えてマジシャンのような構成の妙が一体となった傑作ぞろい。そのような世評を、2000年代に入ってからあちこちで目にした。調べてみると、ちくま文庫からお誂え向きに「山田風太郎明治小説全集」と銘打った全14巻のシリーズが出ていた。
 それでもすぐに買わなかったのは、やはり高校時代の「魔界転生」のわるい記憶が残っていたせいだが、そうこうするうちこれらは軒並み品切れとなった。そうなったのを知って逆に慌てて、とりあえず入手可能な『警視庁草子』と『明治断頭台』を購読したが、たしかに噂に違わぬ面白さで、筑摩書房に再版希望のハガキを出した。
 念願かなって全14巻がそろって復刊されたのが2010年。読了ずみの『警視庁草子』から改めて読み始めたところ、ほぼ半月あまり、他の本が読めなくなるほど夢中になった。必ずしもその影響だけではないが、自分でも試しに娯楽小説を書いたりもした。ところがこれがたいへん難しい。元来ぼくはどうにも嘘が下手なのである。「物語」をあれほど忌避したのは、生来のおかしな潔癖症のせいもあるけれど、ようするに自分の苦手なものから逃げていたってだけかもしれない。

 その頃、ぼくの個人的な受容とはべつに、現実のサブカル業界でもちょっとした風太郎ルネサンスが起こった。忍法帖ものの第一作にして代表作『甲賀忍法帖』が「バジリスク」としてアニメ化されたのである(実写映画版よりずっと原作に近い)。これで若い世代にも風太郎の面白さが浸透したはずだ。
 つとに巽孝之が、90年代半ばに、風太郎忍法帖は「サイボーグ009」をはじめとする戦後少年ヒーローまんがの原点の一つであると喝破していた。すなわちそれは、高度成長以降のサブカルチャーの基調を風太郎文学が期せずして整えていたということだ。平成になってもスタイルを変えて再生産され続ける「仮面ライダー」もまた、風太郎ニンジャの末裔なのかも知れないわけだ。発表からほぼ半世紀近くが経って風太郎忍法帖がアニメ化されたのは、再発見というよりも、十周ほど回って時代がオリジナルの風太郎に追いついたということか。

 その一方、ぼく自身はなお『魔界転生』の記憶を引きずり続け、まあしかし「明治もの」さえ読めば十分だろう、忍法帖のほうはやっぱりなあ……と思っていたのだが、なぜか昨年の暮れに『伊賀』に手を出してしまい、そのまま『甲賀』『くノ一』『柳生』『風来』と、どっぷり耽溺することとなり、ついでに『魔界転生』までをも30年ぶりに再読した(すべて講談社文庫版)。どういう次第でこういうことになったのか、自分の心情がうまく計れないのだが、たぶんアタマに虫でもわいたのだろう。
 相かわらず「魔界」は下らねえというか、ひょっとしたらヤマフウさんはこれを半分ギャグのつもりで書いたんじゃないかとさえ思ったが、『風来忍法帖』には参った。これはすごい。面白い。美しく気高い姫君を、ちんけで弱っちい小悪党どもが力をあわせ、恐るべき強敵たちから命を賭して護り抜くのである。「明治もの」の中では『明治十手架』にも見られる風太郎先生お得意のパターンなのだが、びしっと決まればかくも感動的な筋立てはない。ラストシーンでほろりと泣いた。よもや風太郎忍法帖で涙を絞られるなんてまったく予期してなかった。

 かくして毒は回ってしまった。いいかげんにしておかなきゃなあと思いつつ、角川文庫の『妖異 金瓶梅』も読む。中国四大奇書のひとつ『金瓶梅』を鮮やかにアレンジした連作ミステリである。ミステリだから内容については詳述しないが、文章の見事さに舌を巻いた。大衆作家としての山田風太郎は、もちろん達意の名文を駆使してはいたが、それでも読み手のレベルに応じてはっきりと程度を落としていたと思う。学生時代の日記の文体のほうがはるかに格調高かったのだ。
 しかるに30代の前半に書かれた『妖異 金瓶梅』では、明代の支那を舞台にしていることもあってか、漢文の骨格を備えた練達の文章家としての山田風太郎が堪能できる。ぼくはミステリに疎いのでまともな論評はできないが、手口やトリックの点でも十分に水準を抜いた作品だと思う。ミステリ作家としての風太郎の手腕は『明治断頭台』で堪能してはいたのだが、このひとが生涯において江戸川乱歩ただひとりを「師」と見なしていたという世評の意味がよく分かった。根はミステリのひとなのである。

 これほどまでに面白く、各方面に影響を与えているにも関わらず、山田風太郎は直木賞を取ってはいない。受賞どころか候補に挙がったことすらない。直木賞にかぎらず、ほとんど賞に縁がなかった。賞を貰わないまま大半の選考委員より偉くなってしまったということかもしれない。その途方もないエンタメ性において、かつまた小説作りの技術において、紛れもない巨匠でありながら、終生異端であり続けた。無冠の帝王というか、むしろ魔王と言いたい趣きである。魔王と呼ぶにはいささか飄然としすぎているようだが、ほんとうに怖いのはそういうタイプではなかろうか。

 このたび著作を纏めて読んで、かつて新潮現代文学・第78巻「筒井康隆」集の巻末に中島梓(栗本薫)が附した「解説」を私は思い浮かべたものだ。中島さんは冒頭にこう書いていた。

「日本の文学史、という膨大な連山の中で、筒井康隆の作品は、ひときわ高い山脈をかたちづくっている。但し、それは驚くべき異様な山脈である。すなわち彼の形成した山脈は、すべて文学史の連なりにそっぽを向いて、地底の太陽に向かってそびえ立っている山々なのである。」

 この文章は1979年に書かれた。しかし、直木賞こそ取らなかったものの、こののち「純文学」の領域へと踏み込み、独自の作品世界によって泉鏡花賞や谷崎潤一郎賞や川端康成賞を受賞して、押しも押されもせぬ大家となった筒井氏よりも、ついに生涯、ほぼ無冠のままに終わった飄然たる魔王・山田風太郎の膨大なる作品群にこそ、この呪わしくも美しい賛辞はふさわしいのではなかろうか。


☆☆☆☆☆☆☆


 コメント(抜粋)

 父が無くなる直前、病床で同年代の山田風太郎を読んでいたので、手元には『人間臨終図巻』や『あと千回の晩飯』『死言状』『コレデオシマイ』『半身棺桶』など最晩年のものが10冊くらい積んであります。積んでしまうといつでも読めるので未読……図書館で借りてきたエンタメもの優先の日々を送っています。
 この世代の人がいとも簡単に繰り出す名文は小さい頃の漢籍を身につけたことが大きいと密かに確信しています。バイリンガルなのですよ。縦書きの漢字を英語の文法で読める……自分も中学の時に国語は得意だったのに、漢文がチンプンカンプン、返り点も無しに普通に読む父が不思議だったのですが、ひらがなと同時に漢籍もやっていた。敵うわけはありません。
 沖縄方言や文化を研究している人が国を守ることは、国土を守ることでは無く文化を守ることだと言いきっていましたが、まったくその通りです。
 高校の図書館の司書の先生、『魔界転生』読んでいたと確信します。『魔界転生』は妹が持っていて、これを読んだような読まなかったような……。

投稿 かまどがま | 2014/01/29



 高校の図書館の司書の方とは、そのあとすっかり仲良くなりました。なにしろこっちはずっと図書館に入り浸ってますから(笑)。
 さて。文学というものの役割(の一つ)が、「ニンゲンという存在(ないし生物)の根源を容赦なく暴き立てること」にあるとするならば、風太郎作品もまた紛れもない文学というか、むしろ傑出した文学であろうと思います。ただ、「近代小説」ではないでしょうね。「近代」と「小説」という二つの制度を、ともども食い破っていくような怖い作家のひとりですね。
 まあ、そんな屁理屈はぬきにして、ともかく滅法面白いのでついつい読んじゃうわけですが。
 お手持ちの風太郎作品はエッセイばかりのようですが……。エンタメということならば、風太郎作品ほどエンタメ度の高いものも世にそう多くはないと思うので、『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』『明治断頭台』あたりの「明治もの」をいちどお試しになってみてはいかがでしょう。図書館にもあると思います。
 忍法帖はほんとにエログロなんで、ひとには勧められないですね。とくに女性には。ただ、意外と女性ファンも少なくないようで、プロの書き手でも、金井美恵子、中野翠といった方々がファンを公言しています。このあたりの機微は、フェミニズム論にも関わってくるので、もう少し考えてみたいところです。
 ぼくのばあい、このところ小説を書いていて、「おれはエッセイを書くときはすらすら言葉が出てくるのに、どうして物語をつくるのがこう下手なんだろう?」と情けなくなって、それでうっかり風太郎に手を伸ばしちゃった感じですけども。
 漢文の素養という話ならば、そうですね、鴎外(1962生)も漱石(1967生)ももちろん漢詩が書けたし、流麗な漢文くずしを自在に操ることができました。幸田露伴(1967生)なんてほぼ漢文だけの小説まで書いてますね。しかし漱石の全集を見ても、後年になればなるほど文体がどんどん平易になっていく。口語体というか、近代の文章なるものは、そうやって育っていったということでしょう。永井荷風(1879生)もまだ漢文調を駆使できた。この系譜がどこまで続いたかというと、ぼくの見立てでは石川淳(1899生)までなんですよ。石川のばあい、祖父が漢学者で、6歳から論語の素読を学んでいたわけです。そういうエリートの家系であった。
 このあとに中島敦(1909生)という凄い人が出ますが、この方も代々の漢学者の家系ですね。20世紀になると、そのような選良の家ででもないと、しぜんに漢籍に親しむことは難しくなったのではないか。かまどがまさんのご父君は、知識人であられたのだろうと思います。ぼくの家だと、父はもちろん、祖父だって漢文が読めたとはとても思えないので……。
 中島敦のあとはもう、ぼくの見たところ、「純文学」系の作家ではっきりと漢文脈を身のうちに備えた人はいませんね。高橋和巳(1931生)は優れた中国文学者でしたが、彼の文体は硬質ではあれ、漢文脈とは言いがたい。三島由紀夫(1925生)も、語彙が豊富で、凝った華麗な言い回しを好んだけれども、漢文脈ではないでしょう。
 むしろ柴田錬三郎(1917生)、五味康祐(1921生)といった「時代小説」の書き手のほうが、戦後の日本に漢文脈を伝えていったと思います。山田風太郎もその一人でしょうが、文体だけでいうならば、「忍法帖」ものは五味の『柳生武芸帳』(文春文庫)に及ばない。
 ともあれ、時代小説の中でしか漢文脈が生き延びられなかったということは、もはやその文体では「現代社会」とそこに生きる人間を描けなくなったということなんでしょうね。時代が下ってハイテク化・情報化が進むにつれていよいよ漢文脈が希薄になり、日本語の足腰が脆弱になって知性が痩せ細り、「反中」の言論ばかりが盛んになるという現象は、はなはだ示唆的であると思います。

投稿 eminus | 2014/01/30

映画『ゴールデンスランバー』(テレビ用カット版)を自己流に分析する。

2015-11-01 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 前にやってたブログの中から、「20世紀少年」につづいてもう一本、映画の記事を引っ張ってきた。「ゴールデンスランバー」。原作はご存じ伊坂幸太郎。ぼくはまだこの人の小説をじっくり読んだことはないが、いかにも劇画&アニメ世代らしい明快なキャラ設定と軽妙なストーリーテリングが持ち味の作家と認識している。「ゴールデンスランバー」の主演は堺雅人で、この数年後に「半沢直樹」で大ブレイクした。作品を選ぶ俳優なので、たとえマンガチックでもこのひとが出るなら面白いだろうと踏んでテレビの前に座ったのだが、期待は裏切られなかった。
 でもこの映画の中で観客にもっとも強烈な印象を残したのは濱田岳だったかもしれない。このひともブレイクしたけれど、それはこの「ゴールデンスランバー」がきっかけだったんじゃないか。また、最後の最後にちょっと顔を出す(役柄はネタバレになるのでいえない)滝藤賢一もいまやすっかり売れっ子で、そう思うとこの映画はけっこう日本映画/ドラマ史に貢献している。
 この映画評をアップするのは、ブログ開設当時に力を入れていた「物語論」をやっているからである。物語論の素材としてぴったりの作品だったのだ。純文学ではなく、キャラクターとストーリーがまことに分かりやすいため、まさにそれこそ絵に画いたような「物語」になっていた。面白かった。
 それでは、いただいたコメントと併せて、本文どうぞ。


映画『ゴールデンスランバー』(テレビ用カット版)を自己流に分析する。
初出 2011年10月18日


 このまえテレビでやった『ゴールデンスランバー』を観た。放映は10月1日のフジテレビ「土曜プレミアム」枠だったが、このところ忙しくて、こないだの土曜日(15日)にやっと、録画したものを2週間遅れでゆっくり観ることができたのである。なお、ぼくは原作を読んでいないし、そもそも井坂幸太郎の作品を一作も読んだことがない。
 この映画版にしてからが、テレビ用に編集されたものであって、いくつかのエピソードがカットされていたらしい。しかも今回ぼくは全編を一回通して観ただけで、再見せずに削除してしまった。もともとブログで取り上げるつもりはなく、急に気が変わったのである。だからこれは、批評とか感想といった類いではなく、あくまでもぼくの個人的な関心にもとづく自己流の分析と思っていただきたい。ファンの方にはあるいは耳障りなことを書くかもしれないし、記憶違いによる誤記もあるかもしれないが、そのあたりはご容赦のほど。

 監督は中村義洋で、井坂×中村コンビによる映画は、『アヒルと鴨のコインロッカー』『フィッシュストーリー』に次いで3作目らしい。あらすじそのものはシンプルだ(設定はかなり大がかりだけど)。舞台は仙台。堺雅人演じる宅配ドライバー青柳(あおやぎ)が、とてつもない国家的謀略に巻き込まれ、こともあろうに首相を爆殺した犯人に仕立て上げられて、命からがら逃げ回るというものである。
 この「命からがら」は比喩ではなく、裏工作専門のヒットマンらしき男(永島敏行)が登場し、口封じのため、ショットガンをぶっ放したりもする。おっそろしい話なのである。
 2年前にたまたまアイドルを暴漢から救って有名になったという以外、いたって平凡で善良なこの青年の必死の逃亡を、新旧さまざまの友人・知人が手助けする。その顔ぶれは、大学時代の友人で、恋人でもあった女性(竹内結子)、仕事先の先輩(渋川清彦)、大学時代の後輩(劇団ひとり)、謎の通り魔(濱田岳)、さらに病院で偶然出くわした初老の男(柄本明)、大学時代のバイト先である花火屋のおやじ(ベンガル)とその息子(少路勇介)、そして最後に、かつて彼に窮地を救われたアイドル(貫地谷しほり)だ。

 名もなくカネも権力もない一般ピープルがそれぞれの特技を持ち寄って巨大な敵に立ち向かう、という図式はマンガやハリウッド映画なんかでもよく見るけれど、この作品がいかにも日本的だなあと思ったのは、事件の真相や黒幕がまったく明かされないところだ。主人公はどうにかこうにか逃げのびるのだが、これほど酷い目にあわされた相手に一矢も報いることはできず、社会的には抹殺されてしまう。巨悪の側は枕を高くして眠っている。
 ハリウッドだったらちょっとこれでは収まるまい。陰謀を巡らせた陣営に敵対する陣営が必ずいて(もちろん、そちらが「正義の味方」というわけではなく、たんに反対側にいるだけなのだが)、そちらの勢力と主人公とが接触し、情報をリークすることで、事の次第を公にして、自分を陥れた勢力に反撃するだろう。良かれ悪しかれ、それがアメリカ式の正義(の幻想?)というものだ。「途轍もない権力に対しては、闘おうとしても無駄なこと。とにかく逃げて、生き延びさえすればそれでいい。」という発想は、ニッポン特有のものではないか。そこのところが、なんとも切なく、やるせない。

 ともあれ、映画の導入部を「あらすじ紹介」ふうに纏めるとこんな具合になる。仙台市内で宅配ドライバーをしている青柳は、久しぶりに再会した大学時代の友人・森田(吉岡秀隆)から釣りに行こうと誘われて車に乗り込む。折しもその日は、当地出身の総理大臣が凱旋パレードを行う当日だった。森田の差し出すペットボトルを飲んだ青柳は、とつぜんの眠気に襲われてしばらく熟睡してしまう。
 つぎに青柳が目覚めたとき、パレードはもう始まっていた。ふたりの乗った車は、そのパレードに沸く沿道の人波から100メートルほど離れた路上に停まっている。そこで森田は、自分の妻が多重債務に陥っており、その弱みにつけこまれて、青柳をこの場所に誘い出し、この時刻まで眠らせるように、誰かから命じられたことを打ち明ける。
 見るからに人のよさそうな青柳に対し、森田のほうは、30歳にしてひととおり世間の裏表を見てきたような印象がある。とはいえ青柳ならずとも、この時点で自分の置かれた立場を正しく把握するのは難しかったろう。森田が「おまえ、オズワルドにされるぞ」と忠告を重ねても、青柳は戸惑ったような微笑をうかべ「え? なに言ってんだよ?」などと応じるばかりだ。オズワルドとは、ケネディの暗殺犯に「仕立てられた」男の名前である。

 しかしそのとき、後方およそ100メートル、凱旋パレードの列の真っただ中で爆発が起こり、観客の阿鼻叫喚が響き渡って、事態は一気に緊迫する。驚愕してパレードの方角を振り返る青柳の目に、まっすぐにこちらへ向かって走ってくる二人の警官が映る。森田は「この車の下にも爆弾が仕掛けられてるんだ。おまえは逃げろ。どんなに無様な姿を晒しても、とにかく逃げのびろ」と言い残し、家族の安全を守るためだといって、自らは車内に留まる。
 ドアを開け、車の外に転がり出て、走り出そうとした青柳に、二人の警官は問答無用で銃を向ける。その瞬間、さっきまで二人の乗っていた車が、森田を車内に残したまま、爆発音とともに炎上し、警官たちはその爆風で地面に倒れる。事態がいまだ飲み込めぬままに、青柳は、パレードの反対方向に向かって一目散に逃げていく。陰謀のスケープゴートにされた男の、命がけの逃避行が始まった……。

 ぼくは井坂作品をきちんと読んだことはないのだが、書店でぱらぱら立ち読みしたり、ネットで情報を拾ったことはある。いい意味で、「マンガとアニメで育った世代」という印象だ。「伏線の張り方と、その回収が絶妙に巧い。」という評があり、「登場人物を決して無駄づかいしない。少なくとも固有名詞を与えられたキャラは、必ずやそれなりの役割を与えて使い切る。」という評もある。これらはいずれも、優れたマンガ作品に見られる特徴である。『鋼の錬金術師』とか。つまりは上質のエンターテイメントということだ。

 ぼくの見たところ、「伏線が巧い」というよりも、すべてのエピソードが巧緻に絡み合い、いわばジグソーパズルのピースのように、ぴったりと収まるべきところに収まっている感じである。たいへんうまくできており、それゆえに分析もしやすい。
 ぼくなんかの目には、主人公を助ける面々の役割分担がじつに面白かったのだ。青柳を現場に誘い出して睡眠薬を飲ませ、「ゴールデンスランバー(黄金のまどろみ)」を与えて事件に巻き込む森田は、いわばすべての元凶だけど、同時にまた、「無様な姿を晒しても、逃げろ。とにかく逃げろ」「最後におまえを救ってくれるのは、習慣と信頼だ」と、作品のテーマを青柳および観客の頭に刻み込む大事なキャラクターでもある。物語論の見地からいえば、彼の役割は主人公を「異界=物語の世界」へと引き込む誘惑者、いわば「自覚なきメフィストフェレス」とでも呼ぶべきものになる。

 ちなみに、「ゴールデンスランバー」とは、ビートルズ最後のオリジナル・アルバムとなった『アビー・ロード』の、さらにそのラストを飾る有名な曲だ(この映画では斉藤和義の歌うヴァージョンが使われている)。つまりビートルズ最後の一曲ということになる。
 しかもこの映画のなかでは、関係がどんどん冷え切って、解散を目前にしたメンバーの4人を、どうにかしてもういちど結び付けられないかと苦慮したポールの作った曲がこの「ゴールデンスランバー」という位置づけになっている。
 正確に言えば、「ゴールデンスランバー」から、「キャリー・ザット・ウェイト」、「ジ・エンド」を経て、付け足しみたいな「ハー・マジェスティ」に至るメドレーだけど、いずれにしてもこの映画では、「ゴールデンスランバー」は、「失われた昔の絆を取り戻す曲」という意味を担っているのだ。青柳が大学時代に親しくしていた友人も、森田と恋人の晴子を含めて4人だった。

 事件現場から遁走した青柳はまず、最近知り合った小梅(相武紗季)の部屋に逃げ込むのだが、彼女が敵の手先であることに気づいて慌ててその部屋を去る。だから実質的に味方として青柳に最初に関わるのは大学の後輩・小野一夫(劇団ひとり)ということになる。彼は徹頭徹尾「ふつうの人」だ。青柳が犯人だなんて思ってないし、彼を匿ってやりたいとも思うけれども、警察に恫喝されれば他愛もなく怯え、かんたんに脅迫に屈してしまう。とくべつなスキルや知識があるわけでもなく、青柳を助けるために何ひとつ有効な策を講じることもできない。観客の多くが彼に感情移入するであろうし、その意味でわれわれの分身でもある。
 真っ先にこの小野が出てくるからこそ、このあとに登場する面々の「すごさ」がいっそう際立つわけだ。しかし彼は、青柳を売り渡すことだけは懸命に拒み、そのせいでひどい暴行を受ける。実際に彼の立場に置かれたとき、そのように振る舞えるかと自問したら、少なくともぼくには自信がない。だから彼は、われわれ観客の分身が、いくぶんか理想化されたキャラというべきかもしれない。

 警察(の内部の一部の謀略グループと思いたいが)はこの小野くんを人質にとり、おとなしく出頭するよう青柳を脅す。青柳は思い悩んだ末に、一計を案じて小野を助けに向かうのだが、ここの部分がテレビ版ではカットされていたようだ。
 その決死行のおかげで、大怪我を負わされながらも小野はなんとか解放されるが、青柳自身はあえなく捕まってしまう。まあ、それはふつうそうなるだろうね……。
 今回の謀略の陣頭指揮を執っている佐々木一太郎(香川照之。もちろん、黒幕は別にいると思われる)は青柳を車に乗せて交番へと運び、「こちらの言うとおりにさえしていれば、悪いようにはしない。」と自首を促す。青柳は反対側のドアから脱出をはかるも、それもまた彼らの手の内であった。屈強なヒットマン(永島敏行。街中でも平気でショットガンをぶっ放し、人殺しも辞さない残虐な男だ)に喉首を締め上げられる青柳。あわや絶体絶命、というそのとき……この作品における最高のトンデモキャラ、通り魔のキルオ(濱田岳)が現れる。

 このキルオは、濱田岳の好演もあって、ネット上でもことに人気のキャラクターのようだ。原作ではどうなっているのか知らないが、映画の中では、やむをえぬ防衛行為のほか、むやみにひとを殺戮したりしないから、やや不気味ではあるにせよ、通り魔とはいえずいぶんと好感の持てる人物になっている。
 物語論的な分類からいえば、彼は典型的なトリックスターである。彼の登場時に青柳の置かれていた状況は、文字どおり絶体絶命で、それこそ「神の介在」でもないかぎり、ほぼ逆転不能の窮地であった。神の介在、すなわちデウス・エクス・マキナ。村上春樹の『ノルウェイの森』(おっ。これもビートルズだな)にも出てきたので、ご存知の方も多かろう。ギリシア演劇において、事態が紛糾してどうにも収拾がつかなくなったさい、唐突に天上から神が降臨して、一挙に話をまとめてしまう。それほどに超越的な存在ということだ。

 キルオは青柳たちの乗った車に自分の車を(まあ盗難車だろうけど)正面衝突させて青柳を助ける。しかもそのあと、ショットガンを手にしたヒットマン(小鳩沢という名前らしい)を相手に、驚異的な身体能力を発揮して戦い、自らは傷ひとつ負わないどころか、小鳩沢の肩にナイフを突き立てる。
 その格闘術の巧みさたるや、「以前どこかの特殊部隊にでも所属していたのか?」と思わせられるほどのものであり、また要所にちゃんと隠れ家を準備していたり、コネをたどって必要な情報を集めたりするなど、都会におけるゲリラ的なサバイバル術を弁えている。その一方、チャイルディッシュな喋りかたや、どこか調子の狂った言動で青柳をつねに翻弄し、どこから見ても申し分のないトリックスターなのだ。たしかにこれくらいの凄キャラを出さねば、青柳の逃避行は成立しなかったろう。

 物語論的な見地からみて、キルオが興味をそそる点は二つある。一つは、彼が青柳に睡眠薬を盛る、すなわち「ゴールデンスランバー(黄金のまどろみ)」を与えることだ。
 この作品において青柳に「黄金のまどろみ」を与える者は、冒頭の森田とこのキルオのふたりだけであり、この両者がいずれも命を落とすのは偶然とは思えない。「黄金のまどろみ」は「ごく短い死」のことでもあり、たとえ比喩的なものであれ、主人公に「死」を与えた人物が、結果として自らの身に死を引き受けるという流れは、きわめて整合性のあるものだ。こういった点ひとつとっても、井坂氏にはストーリーテラーとしての天賦の才を感じる。

 キルオが興味をそそるもう一つの点は、彼が青柳と、青柳への助力者の中でもっとも重要な人物、すなわちかつての恋人・樋口晴子(竹内結子)とのあいだを「仲介」するということだ。
 青柳たちの大学時代の甘い記憶と「現在」とを繋ぐ重要なエピソードのひとつに、青柳と晴子が、草むらに置き捨てられた廃車に乗って、そこで青柳が晴子に交際を申し込む、という一幕があったのである。交通機関を封鎖され、ダンボールに隠れてトラックで県外へ抜け出すプランにも失敗した青柳は、その廃車のことを思い出し、いちどはひそかに乗り込むのだが、もとより動くわけはない。顔写真がテレビで派手に公開され、指名手配されているために、バッテリーを買いに行くこともできない。彼は、「僕は犯人じゃない。」という走り書きのメモだけを残して、空しく車を降りる。
 しかし、それとほとんど同時に晴子もまたその廃車のことを思い出し、青柳とほぼ入れ違いのように、バッテリーを取り替えていてくれたのだった。「僕は犯人じゃない。」のあとに、「だと思った。」という走り書きを残して……。

 キルオは晴子がバッテリーを交換したことを青柳に伝え、かつ、青柳が彼女のメモを読んだことをも晴子に伝える。この際のシーンがとてもいい。「白やぎさんからお手紙ついた。」と歌いながら、晴子の乗った車の周りを自転車でぐるぐる廻るのだ。「黒やぎさんからお手紙ついた」と、晴子の幼い娘が唱和する。何かを感じ取ったような晴子の顔のアップ。車から遠ざかりながら、「青やぎさんからお手紙ついた。」と小声で口ずさみ、にっこりと笑うキルオ。この映画のなかで、ぼくが思わず「巧いなあ……。」と唸り、ついでにちょっと泣かされちまった場面だ。
 そうだった。誰かと誰かを「媒介」するというのもまた、トリックスターの大きな仕事なのである。物語論的な見地から言えば、キルオは晴子を改めて青柳に結びつけ、名実ともに彼女を物語の中へと引き入れて、その役割を終えることとなる。

 キルオが敵の謀略にかかって落命したあとは、晴子の大活躍の巻となる。青柳が病院で偶然出くわした入院患者・保土ヶ谷康志(柄本明)と、大学時代にバイトをしていた花火屋のおやじ・轟静夫(ベンガル)およびその息子の一郎(少路勇介)も、なくてはならない存在だけど、彼らはいわば晴子という助力者の、さらに助力者というべきだろう。
 保土ヶ谷は青柳に下水管を伝って移動するよう進言し、さらに詳しい地図をも与え、晴子と共にマンホールの蓋を軽量のニセモノにすりかえる。ものすごく有能な人物なのである(入院も、どうやら保険金目当ての偽装らしい)。キルオがトリックスターなら、保土ヶ谷はさしづめ「老賢者」だろうか。
 青柳は彼の地図に従って市内を移動し、テレビのニュースショーのディレクター(木下隆行)に連絡を付けて、起死回生の賭けに出る。深夜の公園にテレビカメラと記者を呼び、単独会見を行って、真相を自分の口から説明しようと試みるのだ。その試みはうまく行くかと思えたが、すぐに警察の手がテレビ局の内部まで及んで、中継は無理やり打ち切られてしまう。

 呆然と立ち尽くす青柳の周りを、銃口を構えた警官たちが取り囲む。その中心にいるのはあの佐々木一太郎だ。すでに逃げ場はどこにもない。ふたたび迎えた絶体絶命の危機。しかし、青柳の記者会見と並行して、背後では、危険を察した保土ヶ谷の指示で、晴子と花火師の一郎が動いていた。晴子はその途中で例のおそるべき小鳩沢に見咎められて、したたかに殴られ、地面に倒され足蹴にされるが、それでもけんめいに力を振り絞り、点火装置のスイッチを押す。晴子の「行け! 青柳屋ーっ!」という掛け声とともに、マンホールを発射台にして、つぎつぎと夜空に向かって打ち上がる花火。ここで小鳩沢が宙に吹き飛ばされるのは、マンガチックな(しかし小気味よい)演出だ。

 この作品において、花火はただの小道具ではない。大学時代、青柳と晴子がファーストキスを交わしたのも、花火屋でバイトしていた時に森田や小野と、四人で一緒に打ち上げた、仕掛け花火の下だったのだ。
 その甘美な追想の情景に重ねて流れる斉藤和義の「ゴールデンスランバー」。まさに全編のクライマックスシーンであり、その圧倒的なカタルシスの前には、たった二人で短時間にこれだけの分量の火薬をどうやって配置したのか? なんて素朴な疑念は霧消してしまう。ちょうど、バッテリーを交換しただけでなんで十年以上前の車が動くんだ、ガソリンやラジエーターはどうなってんだよといった疑念が、晴子と青柳との時を隔てた信頼の前で、あえなく霧消するように……。優れたフィクションにのみ許される詐術、いわば公認された嘘である。

 佐々木や警官たちが花火に気を取られた一瞬をついて、青柳は下水管の中に逃げ込んでいた。そのあと彼は、最終の助力者であるアイドルの凛香(貫地谷しほり)の介添えによって顔を変え、別人として生きていくことを選ぶのだが、最後に偶然デパートで、夫と幼い娘を連れた晴子に出会う。彼にはチャイムやエレベーターのボタンを親指で押す癖があり、そのせいで晴子は彼が青柳であることを察知する。
 しかしここでも、お互いに声をかけることはできない。その切なさは比類がない。晴子はエレベーターを降りたあと、娘を介して本当にごくささやかな、そして彼女と青柳にしか分からない方法で、「よく生き延びたわね。辛いだろうけど、これからもうまく生きていってね。」という意を伝える。自転車のキルオ、父親役である伊東四朗のマスコミの前での演説、クライマックスの花火のシーンに次いで、こちとらは都合4回も泣かされちまうわけである。

 物語論的な見地から言ってもっとも興味ぶかいのは、すべての助力者たちのうちでただ一人、いちばん重要と思える晴子とだけ、青柳がついに一度も口をきかないことだろう。直接に話をしないどころか、電話でしゃべることすらないのである。廃車のなかでの走り書きのメモと、「たいへんよくできました」の子供っぽい花丸マークだけが二人の絆を繋いでおり、それでいて、心は誰よりも通い合っている。そこのところがいっそう切ない。いちばん大事なことだけは、言葉にできぬということか……。見終わって3日が過ぎた今もなお、切なさの余韻が胸に残っている。よくできた娯楽映画だった。


コメント

こんばんは、『ゴールデンスランバー』を最近レンタルして観た者です。
テレビはカットされているという事なのでキーになるシーンがない可能性がありますね。
私は映画を分析的に観るのが好き(理屈っぽい)で、この映画は主題の組み方に感心する部分がありましたので書いてみます。(でも結局主題は監督にしか分からないものだし、原作も未読のいい加減な解釈なのですが)

竹内結子はチョコレートを半分に分けるのにわざわざ見比べて大きい方を彼女の分とした事(もめ事を疎む→困難を避けたい)を細かい事を気にし過ぎる(小さくまとまっている)と言って堺雅人に別れを切り出していました。(このまま一緒にいてもよく出来ました止まりだとも)

この映画は、
よく出来ましたの人生→困難を避けられる代償として成功を諦めるローリスクローリターンな人生(小さくまとまる)→行き着く先の見える(よく出来ました止まり)退屈な人生
大変よく出来ましたの人生→困難を承知で成功を目指すハイリスクハイリターンな人生→夢を求める充実の人生
と捉えている気がします。

根拠は香川照之が堺を捕え自首(自由はないが生き延びられる→困難を避けたよく出来ましたの人生)を勧めたとき、逃げる事(捕まれば死刑だが成功すれば自由がある→困難を承知で成功を目指す大変よく出来ましたの人生)を選んだ事。
さらに竹内が柄本明(裏稼業の人間)から堺がイチかバチかの勝負に出る(ハイリスクハイリターン)事や正々堂々と出来る事なんか一つもないと聞かされ、生き延びる事の困難さを理解したうえで最後に大変よく出来ましたのハンコを与えた事。
この解釈に基づくとキルオが「びっくりした?」と聞きながら人を殺すのは退屈な人生への反発、堺を助けたのはハイリスクハイリターンな人生を生きている者への共感と捉えられ、この映画の人生観に沿うといえます。

ゴールデンスランバー→バラバラだったメンバーをもう一度繋ぎ合わせたくて作った曲だとの堺達4人の認識(回想中の竹内の言)→この曲をキーに堺達4人が仲間との絆の重要性を再認識(iPodが4人順繰りに渡り曲を口ずさむ)
とタイトルを意味付けると、主題は『困難から逃げず成功を目指せ(小さくまとまるな)、信頼できる者との絆がそれを支える』と勝手に解釈しました。

投稿 kusakari | 2011/10/19



 コメントありがとうございます。『困難から逃げず成功を目指せ(小さくまとまるな)、信頼できる者との絆がそれを支える。』……おっしゃるとおり、本作の主題はまさにそれでしょうね。ぼくはついつい捻った解釈をしてしまう癖があるのですが、このテーマに即して見ていくならば、kusakariさんの読解のほうが、より本質を突いていますね。とても参考になりました。
 そして、このテーマに沿って青柳(堺雅人)と晴子(竹内結子)との関係をもっと掘り下げていけば、ラストの「たいへんよくできました。」は、たんに「よく生き延びたわね。辛いだろうけど、これからもうまく生きていってね。」というだけに留まらず、これまでの「ローリスク・ローリターンの、小さくまとまった生き方」を捨てて、「ハイリスクだけど、困難を承知で信念を貫く生き方」を選んだ青柳の決断に対するメッセージだと理解できますね。
 それにしても、このテーマを打ち出すために、「国家的謀略」なんて巨大すぎる背景を設定した作者は、なかなかに大胆であるとは思いますが……(笑)。
 キルオがあそこまで青柳に肩入れする動機も、いろいろな説があるようですが、テーマに即して見ていくと、kusakariさんの解釈がとてもすんなり納得できました。「びっくりした?」という口癖は、たんに愉快犯ってことではなく、そういう含みがあったわけですね。
 「iPodが4人順繰りに渡っていった」ことも、ぼくは今回のご指摘をいただくまで見逃していました。なるほど。しかもその(ゴールデンスランバーの収録された)iPodが最後に青柳の命を救うわけだから、本当によくできてるなあ……。
 ブログをやっててよかったなあと思うのは、自分ひとりでは思いつかない、こういった卓抜なご指摘(コメント)をいただいた時です。ありがとうございました。


投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2011/10/20