ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

深掘り談義 『HUNTER×HUNTER』のこと。

2020-08-30 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽

 dig フカボリスト。




 e-minor 当ブログ管理人eminusの別人格。







明朗で真っすぐな主人公ゴン・フリークス

 

☆☆☆☆☆☆☆



 どうもe-minorです。


 digです。


 いや随分と間が開いたね。


 他人事みたいにいうな。お前さんのブログだろ。


 だってdigが呼んでもきてくれないからさ。


 なにしろ暑すぎたよ。でも、おれが居なくても、ひとりで記事は書けてたじゃんか。


 何とかね。本調子とは程遠いけど、さすがに「バナナフィッシュにうってつけの日」だけはちゃんとやっとかないとダメでしょ。


 akiさんのおかげで「有意義な寄り道」ができましたって感じで、前回は大江健三郎の話になったわけだが……。


 「純文学そのものにはさほど興味がない。」という意味のことを仰りつつも、こちらの意図をぱぱっと汲んで、本質を的確に突いたコメントを下さるakiさんはほんとにありがたいね。それで、「話がえらく逸れちゃった」と言いたいとこだけど、でも、いっけん何の関係もなさそうにみえるサリンジャーと大江さんとのあいだにちゃんと繋がりがあるんだから、ブンガクってのは面白いんだよなあ。


 そう。サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」はイギリスのノーベル賞詩人T・S・エリオット(1888 明治21 ~1965 昭和40)の代表作「荒地」(岩波文庫より邦訳あり)を下敷きにしていて、これは20世紀を代表するたいへんな名詩なんだけど、後期の大江健三郎もまたこのエリオットに心酔しており、彼のいくつかの詩篇をモチーフにして『さようなら、私の本よ!』(講談社文庫)という長編を書いている。


 ただ、あの小説は老年の感慨をうたった「ゲロンチョン(小さな老人)」という詩が主眼で、「荒地」については言及されてないんだけどね。


 でもエリオットをネタに作品を書いて「荒地」が念頭にないはずがない。サリンジャーと大江は「荒地」によって繋がっている、と述べても誤りにはならぬはずだぜ。


 ていうか、「荒地」って作品そのものが「アーサー王伝説」に多くを負ってて、つまりは西欧的キリスト教なるものの精髄(エッセンス)といった趣があるわけだよね。だから多くの優れた文学者が惹きつけられ、自作のモチーフにするのもむしろ当然なんだ。


 文学者だけじゃないぞ。F・F・コッポラの大作『地獄の黙示録』だって、表向きの原作はコンラッドの『闇の奥』だけど、じつは「荒地」を下敷きにしている。


 うん。もっと言うなら、「荒地」という作品は、人間(人類)の営みの基底に存する本質的なものに達してるんだよね。そしてまたそれは、おしなべて優れた創作物に共通することだ。だから、いい作品ってのは何らかのかたちでぜんぶ連鎖しているわけだよ。文学や映画、さらにはアニメや漫画といったサブカルまで含めてさ。


 それで思い出したが、こないだ『HUNTER×HUNTER』ってアニメを見たぞ。


 ああ……たしかあれって2回アニメ化されてるけど……。


 もちろん、新しい2011年開始のマッドハウス版のほうだ。


 マッドハウスっていえば、『宇宙よりも遠い場所』の制作会社だなあ。でもあれ長いんでしょ? たしか3年くらい放映してなかった?


 全148話だ。


 大作だね。


 いや、じっさいに大河ドラマだよ。まだ途中までだがね。原作そのものも未完で、長期にわたって中断しているらしい。


 原作は冨樫義博って人だよね。富樫さんっていえば、『レベルE』というのをたまたま読んだことがある。「宇宙最高の頭脳」をもった異星人の美男の王子が、辺境の未開の惑星・地球をターゲットにして、宇宙規模の悪ふざけを仕掛けるって話だ。あれを読んで、なんてまあアタマが良くて人の悪い作家なんだこの男は……と軽くショックを受けた覚えがある。まったく必要のない悪ふざけだけで多数の人々(というか星々)を巻き込んで、壮大なドタバタを繰り広げるってんだから……。ぼくは根が生真面目だから、逆立ちしてもあんな設定は思いつけない。


 うん。『HUNTER×HUNTER』は、王道のバトルアクション漫画の定型を借りつつ、その「アタマの良さ」と「人の悪さ」とを存分に発揮した作品だよ。


 かなり残酷な描写があるって話を耳にして、それで敬遠してたんだけど……。


 私見によれば、富樫ってひとは近代のいわゆる「人間中心主義」を信じてないようだな。ハンターは狩るものであると同時に、ひとつ間違えばすぐさま狩られるものとなる。人間と、異種の生物とのあいだに何ら「上下関係」などない。そういう思想を感じるわな。


 その「異種の生物」ってものがもし高度な知性をもっていたなら尚更だよね。


 いや、まさにそこなんだよ。現時点での「本編」というべき「キメラアント編」では……いやここまでに至る各編もむろん面白いんだが……その「高度な知性」(と桁外れに強大なパワー)を有する「キメラアント(怪物蟻)」たちこそがいわば主役の座につく。就中(なかんづく)、最期に「メルエム」という名前を獲得するキメラアントの「王」の造形がじつに魅力的だ。「コムギ」という異様な棋才をもった、そのくせ実生活ではまるで無能な人間の少女が彼の相手役を務めるんだがね。この取り合わせがすばらしいんだよ。



キメラアントの王「メルエム」とコムギ




 えっと、棋才ってことは、そのコ将棋が強いわけ?


 将棋とはまた別の「軍儀」っていう作品オリジナルの盤上ゲームがあってね。かの王はその気になったら単身で一国丸ごと壊滅させられるほどのパワーをもち、かつは並外れた頭脳も兼備していて短時間でチェスや囲碁や将棋の世界チャンピオンを片端から打ち破るまでになるんだが、この「軍儀」だけは何度やってもコムギに勝てない。そのことから、増上慢の極みで人を人とも思わず、部下の命さえ平然と奪ってきたこの王が、少しずつ、少しずつ「他者」の存在に目覚めていく。そういう設定なのだ。


 ははあ。それは確かに面白そうだ。いわば嬰児が「外界=世界」に目を開いていく過程をなぞってるわけだもんな。あと物語論的にみれば、その「コムギ」って子を「道化」と見立てて、「王と道化」の新バージョンってことにもなるよね。『リア王』とかさ。


 涙腺を刺激するって点では、シェイクスピアよりも冨樫義博のほうがずっと上だよ。それがエンタメってものの楽しさであり、またコワさでもあってな。


 コワいってのは、あまりにも容易く感情を持ってかれちゃうってことだよね。


 そう。ただ、たんに感情を弄ばれるってわけじゃなく、メルエムの「自分探し」のプロセスは「純文学」として見ても十分に説得力があるし、「王とは何か?」という一種「哲学的」な考察に成りえてもいる。なかなか侮れぬ作品だぜ。


 それはつまり、ジャンプ系少年漫画の王道である「バトルファンタジー」の枠組みに依拠しつつ、それを超え出てるってことかな?


 うん。つまりはそこが、お前さんのいう「アタマの良さ」と「人の悪さ」との賜物だろうな。ここは慎重にいうべきところだが、仮に鳥山明(ドラゴンボール)、尾田栄一郎(ワンピース)、岸本斉史(ナルト)と並べて、冨樫義博と比べてみたら、だれがいちばん偏差値高くて性格わるいかは明らかだろうさ。


 ぼくはその中のどれもきちんと読んでないから、すぐには何とも言えないけどね。


 『HUNTER×HUNTER』は『GAMER×GAMER』ってタイトルでもよかったんじゃないかと思うくらいに、ゲームの要素が大きいんだよ。どの戦いも、シンプルな物理攻撃による力押しではないんだな。それは騙し合いのコンゲーム(詐欺師もの)でもあるし、大体、異種能力者同士の戦闘そのものが「ルールの違う競技者が同じフィールドで闘う」っていう異種格闘技的な高等ゲームでもあるわけで。


 そういう感じはわかる。たぶん直系の鼻祖はやっぱり山田風太郎の「忍法帖シリーズ」だと思うけど。


 そうそう。「中2的」……っていうよりむしろ「幼児的」妄想炸裂の世界なんだけど、それをこれだけの質量で展開されたら引き込まれざるをえないっていうね……。宮崎駿だったかな、「作家にいちばん不可欠なものは幼児性だ。」ってね。筒井康隆も似たようなことをいってたと思うが。


 常識の枷をぶち壊す放恣な想像力=創造力ってことかな。オトナになるに従って、よかれあしかれ失わちゃうんだよね。


 そこに「アタマの良さ」と「人の悪さ」とがふくざつに絡み合うことで一流の作家が生まれるわけだが、のみならず富樫ってひとは、先にもいったが哲学的な考察力も備えているし、分析力もあるんだな。この作品の根幹を成すキーコンセプトに「念」ってものがあるんだが……


 「念力」とかの「念」?


 うん。ドラゴンボールにおける「気」に相当するものかな。物理的・化学的・生理学的法則を超えた精神のパワー、しかし「魔法」にまでは至らないっていうね。


 わかるわかる。




ゴンの無二の親友だが、複雑な陰りをもったキルア・ゾルディック




 その「念」の力を修得することで主人公の少年ゴン・フリークスと、彼の「シャドウ(影)」に当たるキルア・ゾルディックのふたりはどんどん強くなっていくんだけども、冨樫義博は作中で、彼らの師匠にあたるキャラの口を借りて、この「念」の力ってものを「強化系・放出系・操作系・特質系・具現化系・変化系」の6種に分類してるんだ。興味ぶかいことに、これはべつだん『HUNTER×HUNTER』の世界に留まらず、ほかのバトル系ファンタジーにも、古いとこではサイボーグ009とか、それこそ山田風太郎の忍法帖ものに出てくる異能力者とか、およそすべてのものに当てはまるんだな。


 網羅しちゃってるんだ。


 網羅しちゃってるんだよ。そういう分析力の持ち主でもある。結果として『HUNTER×HUNTER』は、ジャンプ系少年バトルファンタジーの定型を借りつつ、それを超えた何かになりえている。あれ? だけどこれ、さっきから同じこと何度も言ってるなァ。


 まあいいじゃん。


 ただ、不満を呈すべきところもある。「勢い」と「面白さ」を重んじるあまり、わりと早い段階で重大な矛盾が生じてもいる。先にふれた「念」のことだけど、作品が始まって「ハンター試験」に臨んだ時点では、主人公のゴンはもとよりキルアもまったく念のことを知らない。念の存在はストーリーの進展につれて徐々に明らかになっていくんだな。それは稀にみる資質を持った者が血の滲む修行の末に獲得し、研鑽を積んで成長させていくものなんだが、後のほうになると、例の「敵のインフレーション」ってやつが起こって、極端にいえばそのへんのチンピラみたいのまでがけっこう高度な「念」の使い手だったりするわけだ。「念」がそこまでポピュラーなものであるならば、野生児のゴンはともかく「超一流の暗殺者」の家系に育ったキルアが、それを身に付けてないはずがない。ましてや知らないなんてことは考えられない。この矛盾はこれまで説明がなされてないし、今後とも説明のしようがないだろう。そういった瑕瑾は目につくね。


 まあ、そこはジャンプ系漫画の通弊でしょう。「整合性」や「完成度」は二の次で、「勢い」と「面白さ」が最優先だから。なにしろ人気が落ちると連載そのものが打ち切られちゃう。


 ああ。だから、精密機械みたいな「整合性」と「完成度」を誇る『鋼の錬金術師』とはまるで別のものだな。あれは「少年ガンガン」という比較的フリーな媒体だからできたわけだろう。


 だよね。ハガレンもほんと凄いんで、いつかはやりたかったんだけどな。あれ、だけどこれ、けっこう長くなったよね。そろそろお時間なんだけど、また「バナナフィッシュ」の話がぜんぜんできなかったね。


 冒頭にちょっとやっただろ。


 シーモア君、いつになったら浜辺にいってシビルと会えるんだろうな。


 もう少し残暑が続きそうだし、まだいいんじゃないの。


 やれやれ。









第163回芥川賞受賞作決定。

2020-08-07 | 純文学って何?




 チャイナ・コロナの影響で調子がくるって、ほぼ一ヶ月遅れの話題になっちゃったけど、2020年上半期の芥川賞が決まりましたね。高山羽根子さんの「首里の馬」(『新潮』3月号掲載)』と遠野遥さんの「破局」(『文藝』夏季号掲載)』のW受賞。ちなみに直木賞は馳星周さんの『少年と犬』(文藝春秋)。馳さんがまだ直木賞取ってなかったのは意外だったけど、近年の直木賞は「中堅のエンタメ作家がしっかりしたリアリズムで重めの作品を書いた」ときに与えられるようですな。
 ともあれ、これで2010年以降の受賞作はこうなりました。






第163回(2020年上半期)- 高山羽根子「首里の馬」/遠野遥「破局」
第162回(2019年下半期)- 古川真人「背高泡立草」
第161回(2019年上半期)- 今村夏子「むらさきのスカートの女」
第160回(2018年下半期)- 上田岳弘「ニムロッド」/町屋良平「1R1分34秒」
第159回(2018年上半期)- 高橋弘希「送り火」
第158回(2017年下半期)- 石井遊佳「百年泥」/若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」
第157回(2017年上半期)- 沼田真佑「影裏」
第156回(2016年下半期)- 山下澄人「しんせかい」
第155回(2016年上半期)- 村田沙耶香「コンビニ人間」
第154回(2015年下半期)- 滝口悠生「死んでいない者」/本谷有希子「異類婚姻譚」
第153回(2015年上半期)- 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」/又吉直樹「火花」
第152回(2014年下半期)- 小野正嗣「九年前の祈り」
第151回(2014年上半期)- 柴崎友香「春の庭」
第150回(2013年下半期)- 小山田浩子「穴」
第149回(2013年上半期)- 藤野可織「爪と目」
第148回(2012年下半期)- 黒田夏子「abさんご」
第147回(2012年上半期)- 鹿島田真希「冥土めぐり」
第146回(2011年下半期)- 円城塔「道化師の蝶」/田中慎弥「共喰い」
第145回(2011年上半期) - 該当作品なし
第144回(2010年下半期) - 朝吹真理子「きことわ」/西村賢太「苦役列車」
第143回(2010年上半期) - 赤染晶子「乙女の密告」






 石井さんの「百年泥」、若竹さんの「おらおらでひとりいぐも」、さらに高橋さんの「送り火」も今年になって文庫化されましたね(電子版もあり)。ぼくもなるべく早く読むようにしよう。
 今回も、西日本新聞の文化欄が座談形式で寸評をやってたんで、アドレスを貼っておきましょう。




◎芥川賞、記者が選んだ作品は? 候補作読み比べ座談会
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/626283/





第163回芥川賞候補作品のあらすじ


 ▽石原燃「赤い砂を蹴る」
 母の死を機に、千夏は母の友人の芽衣子とブラジルを旅する。芽衣子も夫と義母を亡くし喪失感を抱える。赤い砂が広がる芽衣子の母国で、2人は「家族」とは何かと思いを巡らせる。


 ▽岡本学「アウア・エイジ(Our Age)」
 学生時代に映画館でアルバイトをしていた40代の私は、再訪した館で当時心を寄せていた同僚ミスミが持っていた写真を見つけ、塔だけが写された奇妙な写真と彼女の謎を探っていく。


 ▽高山羽根子「首里の馬」
 沖縄の郷土資料館で資料整理を手伝う未名子は、外国人にオンラインでクイズを出す不思議な仕事もしている。ある朝、庭に迷い込んだ宮古馬と出合い、その世界は変容していく。


 ▽遠野遥「破局」
 元ラガーマンで三田の大学の法学部に通う陽介は、公務員試験の勉強の傍ら筋トレに励む。社会正義を求めつつ彼女とのセックスに溺れる彼の人生の歯車は、ある「過ち」により狂う。


 ▽三木三奈「アキちゃん」
 小学5年時、わたしとアキちゃんはクラスで親友と見られていたが、わたしは二面性のあるアキちゃんが大嫌いだった。日々憎しみを募らせる中、アキちゃんもある苦悩を抱えていた。






 高山さんは三度目で、遠野さんは初の候補だったとか。この下馬評では「総合力では高山さん。」「発想も構成もレベルが違う。」「コロナ感染拡大前に書かれた小説なのに、ポスト・コロナを感じさせる。」と、みんなして高山さんをイチ推し。記者さんさすがって感じですけども。
 ただ、いっぽうの遠野さんの作品については、ここでの評価は高くない。だけど「女性に心を配りつつセックスには絶倫系で、良識と社会正義を併せ持ちながら変態的性愛、暴力的純愛までをも内に秘めている。新時代のマッチョ像にニヤリとさせられた。」とあるので、本選では、そのあたりの新しさを買われて受賞に至ったのだろうか。
 ここでは遠野さんより岡本さんのほうが高評価な印象。寸評とあらすじを読むかぎりでは、ハルキ・タッチを自家薬籠中の物として、そこに自分なりの味を加えた……という感じだけど、選考委員たちはどう評価したのかな。文藝春秋読んでないんでわかりませんけど。
 これも初候補の石原燃さんは、中上健次とも親しかった作家・津島佑子さんの娘。すなわち太宰治の孫。太宰と芥川賞との因縁は有名で、又吉さんの受賞のさいに太田光がネタにしてたほど。津島さんも実力派で、大きな文学賞をいくつも取っているうえに、3度にわたって候補になったのに、芥川賞だけは取れなかった。三代にわたって芥川賞に絡むというのは他に例がないけれど、さて、次回以降はどうなるか。
 こうやって五作並べて「とりあえず一つ選べ。」と言われたら、やはり「首里の馬」をまず読みたいなって感じはしますね。