ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

あらためて文学と向き合うための10作リスト・04  日・独・米・中、残りの4作。

2023-01-03 | あらためて文学と向き合う。
 昨年(2022/令和4)は、「あらためて文学と向き合う」というカテゴリを新設し、モダニズム以前の……すなわち19世紀以前のスタンダードな世界文学の大長編を読み込んでやろうと意気込んでいたのだけれど、年明け早々体調(およびパソコン)の不良によって思うに任せず、そうこうするうち2月24日のロシアによるウクライナ侵攻、さらには7月8日の安倍元首相暗殺、などの変事が起こり、気分がブンガクどころでなくなってしまった。
 本来ならば、『戦争と平和』に描かれた19世紀初頭のナポレオンによる対ロシア(+オーストリア)戦争(アウステルリッツの戦い)と、現在のロシア=ウクライナ戦争とを比較しながら『戦争と平和』論をやれたらよかったのだけれど、それだけの力量を持ち合わせぬために大した論考を残せず、結局のところ「あらためて文学と向き合う」のカテゴリはほぼ有名無実となっている。やれやれ。
 リストアップのほうも、『戦争と平和』『カラマーゾフの兄弟』のあとジェイン・オースティン『自負と偏見』、ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』(以上イギリス)、スタンダール『赤と黒』、ユーゴー『レ・ミゼラブル』(以上フランス)まで発表して、あと4作が放りっぱなしだ。遅きに失した感もあるが、新しい年の始まりに臨んで、とりあえず何を選ぶかだけでもはっきりさせておきたい。
 とはいえしかし、時間がかかったのは悪いことばかりでなく、昨今の世界および日本の情勢の激動を受けて考えが熟した面もある。というのも、当初はドイツ代表としてトーマス・マン『ブッテンブローグ家のひとびと』を想定していた。北杜夫の『楡家の人びと』の原型ともなった大名作である。しかし第二次世界大戦におけるドイツと日本との関わりというものを考えたときに、ここで『ブッテンブローグ』を持ってくるのはいかにも迂遠というか、どうにも暢気すぎる気がしてきた。
 それで、モダニズム以前(19世紀以前)という縛りを取り払い、20世紀の戦後を代表する一作ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を選ぶことに決めた。
 それに合わせて日本からは、野上弥生子の『迷路』を選んだ。グラス(Günter Grass)は1927(昭和2)年生まれ、2015(平成27)年没。野上さんは1885(明治18)年生まれ、1985(昭和60)年没。かなり年齢に開きがあるうえ、片やグロテスク&エロティックなマジック・リアリズムで片や堅実な写実主義、片や男性で片や女性、片や青年時代にナチスの武装親衛隊に加わり、片や社会主義へのシンパシーをもちつつ穏健な市民主義的良識の中に留まった……と何から何まで対照的なお二方だが、しかし『ブリキの太鼓』と『迷路』とは洋の東西でほぼ同じ時代を描いているのだ。だからこそ対比がいっそう際立ち、2作を読み比べるのは興味ぶかい作業になりそうな気がする。
 ついでアメリカだが、これも候補が多くて難渋した。すぐ思いついたのはフォークナー『響きと怒り』、ヘミングウェイ『日はまた昇る』、メルヴィル『白鯨』といったあたりだけれども、最終的にはマーク・トゥエインの『ジャンヌ・ダルク』に決めた。
 フォークナーでもヘミングウェイでもメルヴィルでもなくマーク・トゥエインなのは百歩譲って良しとして、しかしなぜ『ハックルベリー・フィンの冒険』ではなく『ジャンヌ・ダルク』なんだよそもそもそんなのトゥエイン書いてたのかよ、と言いたくなる人もいようが、知名度は低いが確かにトゥエイン氏はジャンヌ・ダルクをヒロインに据えた小説を書いている。しかも入魂の自信作であったらしい。邦訳は角川文庫の「トウェイン完訳コレクション」に入っている。
 居並ぶ候補を押しのけて、あえてこれを選んだのは、ジャンヌ・ダルクというキャラクターがナウシカを始めとする日本製アニメの「戦闘ヒロイン」の紛れもない原型だからだ。そこに今日性がある。
 トゥエインの筆はその魅力を余すところなく描き出している。ジャンヌは本家フランスのみならず各国において(さすがにイギリス製は少ないが)詩・戯曲・オペラ・小説・映画の題材にされているけれど(もちろん絵画にも)、中でも本作は白眉ではないか。
 それと、今回のリストの隠しテーマのひとつが「キリスト教」だからという理由もある。さらには、ヨーロッパとアメリカとの関係性を考えてみたいという思惑もあった。
 そして最後の一作は、
「古典中の古典から選びたい。もちろん、現代的で、いま読んでも十分に面白いものを」
ということで、当初は『ドン・キホーテ』のつもりであった。しかし日本を除けばすべて欧米というのもどうかと思い直し、現代のノーベル賞作家ということで、莫言の『白檀の刑』にした。
 これで地域別では西欧5名、ロシア2名、アメリカ1名、アジア2名、性別でいえば男性7名、女性3名。どうにかバランスは取れているのではないか。
 リストアップは以上だが、残念ながらいつ手を付けられるかはわからない。とりあえず『戦争と平和』だけでも着手できぬものかと思っているが、そう簡単にはいかないようだ。





2023(令和5年)・年頭の辞

2023-01-03 | 雑読日記(古典からSFまで)。
 昨年は安倍元首相の遭難があり、ウクライナ戦争も出口が見えず、さらには物価高や増税への懸念に加えて「新しい戦前(@タモリ)」の予兆までもが仄見えつつあるということで、とても寿ぐ気分になれぬゆえ、新年のご挨拶は控えさせていただきます。






 今年は西暦2023年、元号でいえば令和5年。
 西暦を元号に直すのは、もちろん難しいことではなく、どの元号であれ、「元年(1年)」を西暦で表して、それを基準にすればよいだけの話である。
 令和元年は2019年。
 平成元年は1989年。
 昭和元年は1926年。
 大正元年は1912年。
 明治元年は1868年。


 だから、


 令和   西暦→元号 2018を引く。
 平成   西暦→元号 1988を引く。
 昭和   西暦→元号 1925を引く。
 大正   西暦→元号 1911を引く。
 明治   西暦→元号 1867を引く。




 ただ、こう杓子定規にやるのでなく、ぼくのばあい、昭和に長く生きてきたので、「(西暦の)下二桁から25を引く。」と、半ば直感的に計算することが多かった。終戦が1945年だから昭和20年。60年安保が35年。バブル経済のきっかけとなったプラザ合意が1985年で昭和60年……という按配だ。
 子供の頃は、「60年安保」なり「70年安保」といった用語を耳にするたび、
「それだけだったら西暦を略したものだか元号なんだかわからんじゃないか。なんで昭和35年安保といわんのだろう。そのくせ一方では『昭和ヒトケタ』なんて言い回しもある。紛らわしいことだ……」
 といったことをうっすら感じていたような記憶があるが、そのうちに慣れてしまい、「西暦」と「元号」とのこの無節操(?)な混在ぶりが味わい深いなあ……と思うようになった。
 ちなみに、天安門事件・ベルリンの壁崩壊といった大事件が起こり、現代史の転換点となった1989年は昭和64年だが、この「昭和64年」は実質7日間であり、この年はほとんど丸ごと「平成1年(元年)」だ。これは世界史と日本史とのシンクロニシティ(共時性)を示す一例としてよく引き合いに出される。
 大正のばあいは下二桁から11を引けばよい。関東大震災は1923年だから大正12年の9月1日。第一次世界大戦は1914年から1918年にかけてのことだから、大正3年から大正7年まで……となる。
 つねに西暦のほうが数が大きい。昭和と大正はこの点においてわかりやすい。
 厄介なのは平成と明治だ。元号が世紀を跨ぐからである。
 平成だと、20世紀(1900年代)のうちは下二桁から88を引き、21世紀(2000年代)になってからは下二桁に12を足す。
 明治なら、19世紀(1800年代)のうちは下二桁から67を引き、20世紀(1900年代)になってからは下二桁に33を足す。
 ぼくなどはこれに馴染んできたが、「ややこしい」と感じる向きもあるだろう。むしろ初心に戻って、


 平成   西暦→元号 1988を引く。
 明治   西暦→元号 1867を引く。


 とやったほうが簡便な気もするが、近代史の本を読んでいて、しょっちゅうアタマの中で換算をする癖がつくと、「下二桁方式」に馴染んで、かえって手っ取り早かったりもする。
 古市憲寿の『平成くん、さようなら』のなかで、「西暦を元号に直すには、12を足して2000を引けばいいんだよ。」みたいな記述があったけれども(つまり1988を引くのと同じことだ)、これでも悪くない。「88」という数が100に近いからできることだ。
 明治なら、「33を足して1900を引けばいいんだよ。」ってことになる。
 令和のばあいは世紀を跨がぬから、昭和の「-25」と同じく、「-18」と覚えておけばよい。
 ただ、日常生活を送るうえではそれで支障はないのだけども、近現代史についてあれこれ考えていると、話が明治・大正・昭和・平成・令和と五世代にわたるので、時に混乱することもあり、「それくらいなら、いっそ一律のほうがいいか……。」と思うときもある。ようは慣れの問題だが……。
 こんなことをいうのも、西暦と元号とを併用する日本のやりかたは、上で述べたとおり「味わい深い……。」と思える面もあるけれど、やっぱり弊害も少なくないと感じるからである。
 ひとつには、時代の流れを元号ごとに切れ切れに捉えてしまい、一貫性を見失いがち……ということがある。
 たとえば、慶応3年の大政奉還は「明治」の始まる前年のできごとなのだが、元号で区切ってしまうと、その連続性がすぐには見えない。
 「明治維新」と総称されるそれら一連のできごとは、おおむね嘉永6年の「黒船来航」に端を発しているわけだが、それが「明治元年」から何年まえに遡る話なのか、元号だけでは即座にわからないだろう。
 同様に、明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争は、明治43年の韓国併合につながると共に、大正3年の第一次世界大戦、さらには大正7年のシベリア出兵などから、もちろん昭和12年の日中戦争勃発にもつながっているわけだが、これなども、いったん西暦に置き換えなければ時系列がひとめで見て取れない。
 西暦というのは、建前としては、キリストの生年を基準にしているわけだけれども(最近の研究では、キリストが生まれたのは、紀元前4年頃ではないかと言われているらしい)、これがスタンダードになっているのも、つまりは西洋中心主義であり、偏頗といえば偏頗である。
 ただ、スパンがなにぶん長期にわたっているために、元号のごとく「ぶつ切り」にならず、そこはありがたい。だから一般向けの史書なども、よほどのことがないかぎり、たいがいは西暦を使っている。
 スパンが長期にわたっていて、西洋中心主義に依らないということならば、「皇紀」なるものもあるにはあるが、これはあまりに右翼じみており、「戦前回帰」の臭気が甚だしいゆえに、とても使うわけにはいかない。当ブログではこれまでどおり、「西暦」と「元号」の併記でいくことになるだろう。