ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

本年最終更新 akiさんのコメント+ぼくからのご返事 20.12.31

2020-12-31 | 歴史・文化


akiさんからのコメント 20.12.31
「本年の御礼」


 こんばんは。今年もあとわずかですね。


 激動の今年の経験を経て、パラダイム・チェンジを果たされたとのこと、「おめでとうございます」と申し上げればよいのか、「ご苦労様でした」と労えばいいのか・・・ただし国難に対処するのはこれからの話なので、「いよいよこれからですね」と気を引き締めるべきでしょうか。
 ともあれ、日本にとっては、「ひとりの市民が覚醒した」ことは喜ぶべきことではあります。


 翻って見れば、明治維新は下級士族が中心になって起こされたものですし、現代に当てはめれば「民間の識者・先覚者」が中心になって国難に当たるという状況だったと思います。いわゆる「草莽崛起」で、ここが同じ東洋文化圏である中国や韓国と違いました。中国や韓国では覚醒した人物はほんのわずかの識者に留まり、ために既得権益者(すなわち時の権力者)に簡単に押しつぶされてしまった。どちらの国でも、改革の機運はほんの一瞬で立ち消えてしまったのです。
 そう思うと、日本では普通選挙が制度として導入されるはるか以前から、日本なりの「民主主義精神」が醸成されていたと言っていい。名のある活動家が次々と大量に斃れていっても、次々に新しい先導者が出現して時代を前に推し進め、ついに大きな改革を果たした。そういう底力を、当時の日本社会は持っていたわけです。
 今現在の日本は、たとえて言えばまだ「泰平の眠り」の中にいる江戸社会が続いている状況でしょう。先覚者はそれなりにいて精力的に情報発信を行っていますが、まだ一部に留まり、社会全体を包み込む大きなうねりになっていません。やはり、75年前の敗戦がいまだに社会の中に委縮を生んでいるというか、特にメディアが慎重になりすぎていると思いますね。(かなりオブラートに包んだ言い方ですがw)


 それにしても、この2020年は激動の年でした。武漢肺炎とアメリカ大統領選挙の両方において、中国共産党の暗部が世界に明らかとなった年でもあります。去年までは「トランプ一人が中国に対して厳しく当たっている」状況だったのが、武漢肺炎の影響で反中国の動きが全世界に広がり、さらに大統領選挙ではアメリカ社会に浸透した中国の影響力が浮き彫りとなりました。正直、「ここまでか」と愕然とするほどの浸透力でした。ここに関しては私の認識は甘かったと言わざるを得ません。


 しかし、です。
 「闇の勢力」は、闇の中に隠れているからこそ隠然たる力を発揮するものであって、明るみに出てしまえば力を失うものです。
 言ってしまえば、今回の大統領選挙において、中国は今まで蓄えてきた力を有形無形に限らず全て使い切ってしまった、切るべきカードを全部切ってしまったのです。それだけトランプ大統領の対処が効いていた、ということであり、トランプ排除のために共産党もなりふり構っていられなくなったのでしょう。
 そのおかげで今、アメリカ社会では、「敵」と「味方」が明確に分かれつつあります。それは南北戦争以来の国難ではあるでしょうが、そういう認識は国民運動のうねりへと変じつつあります。そのうねりが1月6日に間に合うかどうかは判りません。そこは私も固唾を呑んで注視していますが、たとえそこに間に合わなくても、そのうねりはやがて大きな津波となってアメリカ社会を覆いつくすでしょう。結果は目に見えています。アメリカは戦闘的民主国家であって、一端「やる」となればそれこそ容赦なく徹底的にやるでしょうから。(日本自身がその恐ろしさを骨身に沁みて体験しているわけですしね)


 アメリカが変われば世界が変わり、日本も変わります。その意味ではやはり、依然としてアメリカは世界のリーダー的存在であり、日本もその影響を強く受けざるを得ない。「他人の褌で相撲を取る」ようで情けない限りではありますが、それが現状における日本の実態でしょう。
 ただし、これを機に、日本も自国の存立を他人任せにするのでなく、自主独立の気風を持った方がいい。憲法しかり、スパイ防止法案やら土地を中国や韓国の資本に買われている問題やらもろもろしかり。既存メディアが頼りにならない以上、草の根で地道にやっていくしかないでしょうね。


 その意味で、eminusさんが自己改革を果たされたことは、極めて重要なことだと個人的に思います。ご謙遜なんてとんでもない。個人の一歩こそが「草莽崛起」につながるのです。民主主義とはそういうことです。
 ・・・まあ廻り回って、結局「おめでとうございます」ということになり、「これから頑張りましょう」ということになりますかw 




 ところで私自身も、貴ブログに様々なことを書き込ませていただいたことで、色々なことを再確認し、調べたりもして勉強になったと思っています。大変貴重な体験をさせていただきました。疎い文学の方面についても学ばせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。<(_ _)>


 それと、やはりアニメw 最近のアニメはかなり技術が上がってきていて(もちろん玉石混交ですが)、特にシナリオに関する技術の発展は目を見張るものがあると思ってます。「人が感動する」という目に見えない部分に関するものを「技術」と呼んでよいものかどうか判りませんが、今年の作品では『はめふら』と『ラブライブ・虹ケ咲学園スクールアイドル同好会』に注目してます。最近はそんなに多くを視聴してないので見逃しているものも大量にあると思いますけど、両作品とも『よりもい』の影響を受けているのではないか、と個人的に思えるんですよね。『はめふら』は原作があるのでそこまででもないですが、『ラブライブ』の方には濃厚に感じました。もちろん本当のところは判りませんが、良作に良い意味でライバル意識を燃やし、「あの作品を超えてやろう」と野心的な作品作りをしているのだとすれば素敵なことだな・・・と思ってます。




 ・・・さて。文面を練っているうちに日付が過ぎてしまいました。今年も残り24時間を切りましたね。
 では、来年も、よろしくお願いいたします。<(_ _)>




☆☆☆☆☆☆☆




20.12.31 ぼくからのご返事
「こちらこそ。」




 ほんとに大晦日なんですね……。齢を重ねるたびに一年が早くなりますが、今年はまた別物でしたねえ。早いというより、時間の感覚がいびつになったかのような……。
 お礼なら、こちらこそ言わねばなりますまい。コメントをいただかなければ、記事の投稿は半分くらいになってただろうし、gooブログをたたんでnoteに移ってたかもしれないんで。
 まあ覚醒というかね……。「自分はこの国でしか生きられない。そして、今のこの国がけっこう好きだ。」と見極めたうえで、「だったら、いまの日本をできるかぎりこのままの状態で保たねばならない。」と気がついた、といったところでしょうか。
 それが「保守」ってことなんだろうとは思いますけどね。
 だけど、抗うべき真の相手は某国の共産党というより、グローバリズムそのものですからね。もともと勝ち目がない。ぼくが一介の草莽ではなく、地位のある政治家か財界人であったとしても勝ち目はない。なにしろ時代の趨勢ですから。
 維新の志士たちだって、けして「攘夷」をやったわけではないですしね。最初は口ではそう言ってたけど、聡明な人ほどさっさと気づいてむしろ英国と強く結びついたわけでしょう。あの人たちがやったのは、「欧米列強に伍しうる近代国家を創るためにシステム全体を変革する。」ことですね。イギリス、アメリカ、フランスを中心とする19世紀的な世界秩序に組み込まれることは、すでに大前提として在った。
 もちろん、国家意識は今よりはずっと強かったとは思いますが、それだって、海外との垣根が高かったからで、いまどきの若い人たちなんて、平気で国境の壁を乗り越えて理財に励むわけでしょう。なんたって、ドルもユーロも元もネットで売り買いできるわけだし。それが当たり前になった時代に「日本人としての自覚を持て!」なんて叫んでも、かなり空しく響きますよね。
 明治維新論はまた江戸論でもありますが、清帝国や李氏朝鮮と比べて幕府=朝廷の二重構造をもつニッポンが際立っていたのは、町人も農民も侍も、「藩」に属していたことですね。帝国においては、皇帝から一般庶民までが原理としては一本のラインで繋がってるわけです。間にたくさん役人がいて、それぞれに賄賂を取るから庶民は大変だったと思いますが、それら役人たちは末端からずっと辿っていけば最後には皇帝へと至る。すべてが行政機構にすぎない。
 江戸期の日本はそうではなくて、民は将軍でも天皇でもなしに、藩に属していた(お膝元の江戸や、あと京や大坂などの天領は別ですが)。藩とはいわば独立した小国家。だから故郷のことを今でも「クニ」という。それらが全土に分散していて、その棟梁たる「徳川家」が将軍として幕府をひらき(制度上の建前では朝廷の委任のもとに)統率している。そういう体制なんですね。
 だから雄藩の、しかも外様の武士などは、下級であっても徳川には忠誠心を抱いていない……どころか敵愾心をもってるわけです。とくに関ヶ原の負け組、すなわち薩摩(島津)や長州(毛利)がそう。だからこれらの藩が維新の中核を担ったのは必然であった。
 西郷や大久保、木戸孝允らがいかに優秀であったとしても、藩の軍事力と政治力と経済力とがなかったら、とても幕府に太刀打ちできなかったでしょう。数少ない例外が坂本龍馬で、だからこそ根強い人気があるわけですが、しかし彼がただの脱藩浪人ではなく、英国の大商人をバックにした政商であったことは今やかなり知れ渡ってきています。
 ……いや、なんだかムキになって言い募って申し訳ない。ぼくが異議を唱えたかったのは、コメントの中の「日本では普通選挙が制度として導入されるはるか以前から、日本なりの『民主主義精神』が醸成されていたと言っていい。」という一文です。これは違うんじゃないかと思います。西郷や大久保や木戸は「幕府への反抗心」は多量にもっていたけれど、「民主主義精神」をもっていたわけではない。
 いや、たしかに佐久間象山のような大知識人ならばその萌芽くらいはあったかもしれない。勝海舟も民主制の要諦はわかってたでしょうね。もちろん福沢諭吉もいた。明治15(1882)年には中江兆民がルソーの『社会契約論』を訳出した(漢文で)という事例もあります。普通選挙法の制定が1925(大正14)年だから、40年あまり先んじてますね。
 しかし、やはり民主主義ってのは一握りのインテリではなく、隅々にまで浸透してこそのものだと思うんですよ。そういう点では、ほんとうの意味での民主主義ってものは、幕末どころか、戦後75年を閲してもなお、この国には根付いてないんじゃないでしょうか。俗にいう「リベラル」の皮をかぶった左派ならば大勢いるんですけどね。そこには強い信念をもった人から、ムード的っていうか、いわゆる心情左派のような人まで、いろいろな層が含まれていると思いますが、いずれにしても、左翼ってのは民主主義ではないんです。ラディカリズムだから。
 そういったラディカリストと、あとは圧倒的多数のノンポリティカル、まあ無関心層ですね、さらには政治アレルギーみたいな人も少なからずいます。テレビと新聞しか見てないような。目算だけど、7~8割はそんなぐあいじゃないですか。
 たんに数がどうこうではなく、何というか、空気として、民主主義が根付いていない気がします。基本的には勤勉でまじめで、おおむね良識もあって、素晴らしい国民性だと思うけど、民主的かといわれると、どうも違う。
 そこで最初の話に戻るんだけど、民主主義はじつは「国家意識」と不可分なんですよね。「愛国心」といってしまうとまた妙な政治性を帯びるので、国家意識と呼んでおきますが、民主主義は健全な国家意識と不可分なんです。アメリカを見てるとよくわかる。「オレたち私たちが創って守る自由の国アメリカ」というノリがけっこうな広範囲にいきわたってますね。それはあるいは共同幻想かもしれないんだけど、そこに誇りが生まれるのなら、それもまたひとつの真実でしょう。
 だから「やはり75年前の敗戦がいまだに社会の中に委縮を生んでいる」というのは同感です。じっさいぼくもついこないだまで委縮してましたから。「国に権力を持たせすぎたら怖い。」というふうに。でも、なにしろ超限戦が仕掛けられてるんだから、そうもいってられないんですね。
 そうそう。冒頭でグローバリズムといいましたが、あの国がルールに則った市場経済によって交流を図ってくるならまだいいんです。でも違いますからね。きわめて謀略的というか、陰険な策を弄してくる。そこが許しがたいんだけど、しかしじっさいには14億人の市場という旨味が目の前にあって、財界と政界のトップがそれに涎を垂らしてるんだからどうしようもない。「清濁併せ呑むのもグローバリズム」くらいに思ってるんでしょうあの人たちは。いや、完全に丸め込まれちゃってるのかな。だったら余計にどうしようもないけど。
 どうも大晦日だってのに不景気な話で恐縮ですが……しかしakiさんが楽観派でぼくが悲観派ってのは当初からの一貫した傾向なんで……(苦笑)。
 去年の今ごろはプリキュアの話をやってたわけで、とんだ大転換ですが、しかし年明けのスタプリ最終回の感想記事のコメント欄で、ちょっとした論争(?)をやりましたよね。ぼくが「日本はアメリカの顔色ばかり窺っていて情けない。」といったことを述べた時です。思えば政治の話をするようになったのはあれがきっかけでした。
 akiさんはあのとき、「覇権主義はいけませんよ。」という意味のことを書いてこられて、それでぼくは、「『いやあれは、日本は対米従属から脱し、自立して世界と対峙せねばならない。』くらいの心算でいったんです。」と弁明しました(笑)。これは今回akiさんが書かれてることとおおむね同じかと思います。
 その後しばらくして、もうコロナが蔓延していた頃ですが、やり取りの中で軍事の話になって、akiさんは「平和主義は断固として貫かねばならない。」と仰いました。それは確かにそうなんですけど、けして覇権主義ではなく、「対米従属から脱し、自立して世界と対峙する」ためだけにでも、どうしても軍事力は必要であると思います。
 やはり憲法をきちんと改正のうえ、自衛隊を「日本軍」……がだめならせめて「国防軍」として、正当に位置づけることが大切でしょう。そのうえで、相応の軍事力をもつしかない。平和主義は崇高な理念ですが、残念ながら世界の情勢がそれを許してくれません。一国だけで平和を保持することはできないんですね。ほんとにつくづく残念なんですが、それが冷徹な現実であります。
 それで万事オッケーとは思いませんよ。ひょっとしたら今よりも悪い世の中になるかもしれない。でも、どう考えてもそれが本筋でしょう。それがもっと早くできていたなら、米大統領選挙の結果にここまで振り回されずに済んだろうし、何よりも、あの国に対しても毅然たる態度をとれるはずです。
 ちょっと長くなりすぎましたね。この辺で切り上げましょうか。最後にアニメの話ですが、『天気の子』、1月3日に地上波でやるんですね。これだけはぜひ観て感想を書きたいと思います。
 ただ今年は、……じゃないな、まだ年内ですね、来たる2021年は、「アニメ断ち」をするつもりです。あの国についても金融についても先端技術についても、知らないことが多すぎる。もっともっと勉強せねばなりません。
 そうはいっても、「物語」のことは引き続き考えていきますけどね。あらためて思い返してみても、『宇宙よりも遠い場所』は物語の宝庫ですね。多くの有志が目標とするのも宜なる哉です。
 それでは、来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。






20.12.21 akiさんのコメントと、ぼくからのご返事「知と信。」

2020-12-21 | 哲学/思想/社会学
元の記事




20.12.21 akiさんのコメント
「一カ月ぶりの投稿です」


 こんばんは。誠にお久しぶりです。akiでございます。


 前回11月17日のコメントから早くも一月以上が経ってしまいました。折角質問にお答えくださったのにここまで遅くなったのは、述べねばならないことの余りの膨大さにひるんでしまい、筆が委縮してしまった、というのが正直なところです。で、他のことに意識が向いちゃって、有体に言えば現実逃避してましたw すみません。(汗)
 まあしかし、そんなことを言っていても仕方がありませんので、遅筆ではありますができるところからやっていきたいと思います。




 というわけで、宿題にしてました二点について述べさせていただきます。


①ハイデガー哲学によって親鸞聖人の教えを理解することの是非
②歎異抄第二章について




①ハイデガー哲学によって親鸞聖人の教えを理解することの是非


 前回は私の質問にお答えくださりありがとうございました。ただまあ・・・eminusさんも危惧なさってましたが、案の定「頭ポカーン」な状態になってしまいましたw つうか、ちょうど頭痛に悩まされていたタイミングで読んだので、より頭痛が悪化したというかw ともあれ後日改めて拝読し、大まかなところは理解したつもりですが、確かにアレでは「哲学とは頭のおかしいアレな人がやる、危険な学問」と一般人に思われても仕方がないでしょうねえ。


 とはいえ、確かにeminusさんが「似ている」と思われたのもそうだな、と思えるくらいには納得しました。表面的には、ですが。
 哲学と宗教とは根本的に異なるので、哲学的思考法によって理解できるのは、宗教の教義の骨格がどうなっているか、ということだけでしょう。中身(つまり『救い』の真髄に関わる部分)がわかるはずがありません。
 しかし人間は、当然ですが自分にわかる範囲のことしか判りませんので、表面的な部分を理解するためにハイデガー哲学を用いること自体は否定しません。「そうした方が理解しやすい」ということならそれでもいいのでは、ということです。




 これは『なぜ生きる』の共同執筆者である明橋大二さん(前にご紹介した『歎異抄をひらく』の著者、高森顕徹先生が監修されている著書です)の体験談を、以前に聞いたことですが、明橋さんも大学生のころ、ハイデガー哲学に傾倒し、ドイツ語原文を読んで(!)、「ハイデガー哲学によって親鸞聖人の『信一念』を理解しよう」とされたそうです。そこで高森先生に「先生にひとつの質問をさせていただきたい、もしお答えくださったら自分は大学を辞めてもいい」という手紙を出し、法話の後に質問の場を設けてもらい、「信一念の瞬間、世界はどのように見えますか(資料がないのでうろ覚えですが)」という質問をぶつけたそうです。その時の高森先生のお答えが心に残り、話を聞いた私も覚えています。


「信一念の瞬間の世界の見え方は、世界が破壊せられる感じです。その時世界は一心に収まる。自も他もなく、まったくの個になる。そしてそれがそのまま地獄に堕ちるのです」(これも一字一句その通りではないかもしれません)


 この答えを聞いた明橋さんは、「親鸞聖人の教えは哲学などではとても測れない深遠なものだ」と思った、とのことですが・・・。
 これは親鸞聖人の教えの一端を表す逸話だと思いますが、教えそのものではないので、あくまで参考までに。




②歎異抄第二章について
「念仏はまことに浄土に生まるる因にてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、惣じてもって存知せざるなり」


 結論から言えば、この親鸞聖人のお言葉は


「念仏が本当に浄土に生まれる種か、また地獄に堕ちる業なのか、この親鸞にもわかりません」という意味ではなく、


「念仏が浄土に生まれる種とか地獄に堕ちる業とか、今更何を言っているのか、いい加減にせよ。もう知らんわ」と突き放したお言葉なのです。




 そもそも、歎異抄第二章は仏法初心者に対して語られた言葉ではなく、関東で二十年に渡り親鸞聖人から仏法を聴聞していた篤信の人に対してのものです。そのことは冒頭の「おのおの十余か国の境を超えて、身命を省みずして尋ねきたらしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり」という一文にも表れています。関東から京都まで、街道の整備されていない当時ではそれこそ命がけの覚悟での旅だったでしょう。そうやって命がけでやってきた人に対して、生半可な返答ができるはずがありません。
 親鸞聖人は40歳過ぎごろから60歳ごろまで、関東で布教に歩かれ、そのときにできた高弟たちが後世「二十四輩」と呼ばれて教団を支えました。(ちなみにこの二十四輩を始め、記録に残る親鸞聖人の弟子を合わせると七十~八十人くらいになるそうです) もちろん、弟子たち以外にも、在家の聞法者が多数いました。が、親鸞聖人が60歳過ぎごろに京都に帰った後、関東で同行衆の信仰を動乱させる二つの大事件が起こります。それが「日蓮の『念仏無間』の強調」と「善鸞による秘事法門」です。
 現在でも日蓮宗が存在しますので、その開祖を悪く言うことは差しさわりがあるかもしれませんが、日蓮が念仏を誹謗したことは事実です。そして、親鸞聖人がいない関東で、最初は「まさか」と笑っていた同行衆も、やがて「いやもしかして・・・」と疑いを持ち始めます。
 また、親鸞聖人の長子であった善鸞は、ある時「自分は父親鸞から、信心を得るための秘密の法文を授けられた」と言いだし、「そんなことは聞いたことがない」と思った同行衆にはやはり動揺が走りました。
 この二つの大事件があり、信仰が動揺した人々を静めるため、親鸞聖人から直に聞かせていただこう、と覚悟を決めた人々が、親鸞聖人の下へ参じたわけです。それは、自分にとって「後生の一大事」が身命を賭してでも解決せねばならない大事である、と教えを聞いて思っていたからですが、同時に「親鸞聖人から教えられていたことに、どこか誤りがあるのではないか、あるいは親鸞聖人には何か隠していたことがあったのでは」と疑っていたからでもあります。要するに、この二件によって信仰が動揺した人々は、親鸞聖人の教えた「他力の信心」を得ていなかったということです。のちに親鸞聖人はそのことを、


「慈信房(善鸞)が申すことによりて、人々の日ごろの信のたじろぎおうて在しまし候も、詮ずるところは人々の信心の真実ならぬことのあらわれて候、よきことにて候」


 と手紙に書かれています。「この事件を縁にして、真実の信心でなかったことが判ったことは良かった。今度こそ真剣に聞法し、真実の他力信心を頂きなさい」ということです。


 他力信心を得れば、阿弥陀仏の本願に対する疑いの心は露塵ほどもなくなります。『教行信証』を読めば、「この親鸞にも判りません」どころか、確信に満ちた「弥陀の本願まこと」が全編に渡って説かれています。なんでここまで確信を持って断言できるのか、と仏法を知らない人は不思議に思うほどでしょう。


 二三の文を挙げてみましょうか。
・総序
「難思の弘誓は難度の海を度する大船、無礙の光明は無明の闇を破する慧日なり。~故に知んぬ。円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は疑いを除き証を獲しむる真理なり」
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」
「慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ」
・行巻
「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。即ち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に到りて、大般涅槃を証し、普賢之徳に遵うなり。知るべし」
・信巻
「涅槃の真因は唯信心を以ってす」
「『一念』と言うは、信心二心無きが故に『一念』と曰う。これを『一心』と名く。一心は則ち清浄報土の真因なり」
「真に知んぬ。弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」
・後序
「慶ばしきかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来のコウ(矛今)哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し」


 細かい仏語の説明は省きますが、全て「弥陀の本願まこと」を大前提にして、揺るぎない信念を述べた文言ばかりです。
 こういう親鸞聖人が、一方で「判りませんわ」というような無責任な発言をするはずがありません。歎異抄は親鸞聖人直筆ではなく高弟唯円の書いたものですから、その内容は直筆の『教行信証』を物差しとして理解するべきです。




 こういう教えを、関東の同行衆は親鸞聖人から直に聞いていたわけです。にもかかわらず、他者から違うことを聞いてたちまち信心に動揺を起こし訪ねてきたわけですから、親鸞聖人としては「難信の法であるとはいえ、そなたたちは二十年間、一体何を聞いていたのか」と思われたことでしょう。その思いを、遠慮することの要らぬ相手にそのままぶちまけたのが、「惣じてもって存知せざるなり」なのです。
 二章最後にある「面々の御計らいなり」も同様。「信じるも信じないもそなたたちの好きになさるがよい」と言われて、篤信の同行衆は震え上がったに違いありませんが、何を言われるよりも鮮明に、「ああ、親鸞聖人に間違いはなかった」と頼もしく思ったはず。すなわちあの状況、この相手に対してなら、親鸞聖人のこのお言葉は見事に嵌ったというべきですが、そうでない現代人が読んでも真情を理解できないのは当然です。結果、『歎異抄』はいまだに親鸞聖人に関する凄まじい誤解を世間に流布し続けている、ということになります。


 やっかいなのは、「自分が誤解した親鸞聖人の姿」を見て感動している人も多い、ということですw eminusさんが挙げられた方々はみんなそうでしょうね。そういう方に「本当はこうですよ」と言ったところで喜ばれることはないでしょう。難儀なことです。




 以上、やっぱり思いっきり非難する論調になってしまいました。そうなることが判っていたので躊躇する気持ちが強かったのですが・・・eminusさんは「気になさらずどうぞご存分に」とおっしゃってくださるでしょうが、まあこれは自分の心情の問題なので仕方ないです。
 ただまあ一応、言うべきことは今回で言えたかな、と思います。なんか忘れてる問題とかあったかもしれませんが。もしありましたらご指摘くださいませ。<(_ _)>




☆☆☆




「1月6日に注目」
こんばんは。こちらでもコメントを。


>政権が過去の伝統をばっさり断ち切って、すべての権威を否定し尽くしてしまうところが真に恐ろしい


 このお言葉は至言だと思いました。恐れるものがなければ、確かに人は傲慢になってしまう。ただ、真の意味で「恐れるものがない」状態とはあり得ないとも思います。天や神や仏を畏れる人はそれでいい。しかし、そういったものを恐れることがない人は、きっと人を恐れるようになるのでしょう。最高権力者がそのようであれば、それは無用の粛清につながる。スターリン然り、毛沢東然り。
 人の上に立つ者こそ、へりくだらなければならないのは、そうしなければ自分を保てないからで、それは単なる倫理上の問題と言うよりも切実なものである気がします。


 そう考えると、今頃はバイデンさんも習近平氏も、相当に恐れているでしょうねえ。バイデンさんは司直の追及を、習近平氏は周りの人々の離反を。有頂天に至った者はあとは下りるしかない。これは鉄則と言うべきです。
 トランプさんが全く恐れているように見えないのは、きっと彼が神を畏れているからなのでしょう・・・と、トランプ支持者ならば言いそうですw


 まあしかし、アメリカはこれからどうなるのか・・・どんな結末を迎えるにしろ、これで「アメリカの力も絶対ではない」ことは全世界に知れ渡ってしまいましたから、日本の国家の舵取りもこれからかなり難しくなりそうです。正直、中国を舐めていたな、というのが今回の事態を見ての感想ですね。






☆☆☆☆☆☆☆






20.12.21 ぼくからのご返事「知と信。」


 コメント欄はいつでも開けてあるんだから、気が向いたとき、気が乗ったときにお書きになればいいですよ。1ヶ月くらい何てことはない。
 「哲学とはアレなひとがやる……」ってのは言い過ぎですね(笑)。思考を言語化するってのはたいへんなことだから、厳密にやろうとすればああいう具合になるんです。これは哲学よりも精神分析系の人ですが、フランスにジャック・ラカンという思想家がいて、彼の著作を読んだフランス人が、「誰かフランス語に訳してくれ。」といったとか。それでも面白くて使えるから、みんな寄ってたかって読むんです。
 でもハイデガーならむしろ原語でやったほうがいいかもしれない。ドイツ語の力があればの話だけど。「現存在」という造語はいかにも厳めしいけれど、ドイツ語ではdaseinですからね。「da」は「ここに」で、ドイツ語では「いないいないばあ」遊びのことを「fort da」というらしい。
 fortは「どっか行っちゃった」みたいな感じで、前に話題に出た『劇場版 叛逆の物語』のなかで、ほむらの使い魔であり、或る種の分身といってもいい「偽街の子供達」が、「fort!」「fort!」「fort!」「fort!」「fort!」と口々に叫んでましたね。
 フロイトが、自分の孫が糸巻きを使って一人遊びしてる様子を観察して、「快感原則の彼岸」というとても重要な論考を書くんです。そのお孫さんは、糸巻きを何度も何度も放り投げては、「いない(fort)」「いる(da)」「いない(fort)」「いる(da)」を繰り返してたってんですね。そうすることでその幼児は、母親がいなくなってしまう不安と、母親が戻ってきてくれたときの安堵とを交互に再現していたのだ……というのがフロイトの解釈でした。
 念を押すまでもないと思いますが、幼児にとって、「母親がいなくなる。」というのは、たんに寂しいなんてものではなく、存在の基盤にかかわる実存的な不安です。
 虚淵玄はそのエピソードを踏まえており、だから映画のあのシーンでも糸巻きが出てくるし、さらに「因果の糸」というメタファーも絡めて、重要なキーアイテムになってきます。






 「sein」は英語でいうbe動詞。だからdaseinは「ここにいる」ってことなんですね。それを「現存在」なんて訳さざるをえないのは、われわれの日本語っていうか、日本的な思考のありようにかかわる課題かもしれない。それこそ仏教用語のなかに該当する単語があればよかったんでしょうけど(道元に「有時(うじ)」というのがありますが、あれはまた別物だし)。
 ぼくは「ハイデガー哲学によって親鸞聖人の教えを理解することの是非」について述べたわけではなく、akiさんの文章が『存在と時間』のあのくだりに似てると言いたかっただけです(それはけっこう凄いことだと思いますけどね)。
 それはそれとして、「ハイデガーによって親鸞を読む。」あるいは「親鸞によってハイデガーを読む。」という作業は有意義だと思いますね。これは幾らでも応用がきくんですよ。げんに、森本和夫という人が、デリダによって道元を読み、道元によってデリダを読むという試みをしてます(ちくま学芸文庫『デリダから道元へ』)。この本は当のデリダ氏にも好評だったとか。
 あ。デリダってのは、フランスにおけるハイデガーの継承者みたいな人です。ハイデガーは例のナチの件で戦後しばらくドイツ本国では敬遠されてて、むしろ隣のフランスで読まれたんですね(フランスもナチにはさんざんな目にあったんだけど、それだけハイデガーの思想が魅力的だったってことかな)。デリダはそのあと、言語哲学のほうに傾いたり、いろいろと話題をまくんだけど、それはまた別の話。
 思想ってものは神棚に祭り上げてちゃしょうがないんで、どんどん使わなければ嘘なんですよ。「使う」といったらなにか冒涜みたいに思われがちだけど、ぜんぜん逆で、使えるからこそ偉大なんです。先述のラカンだって、スラヴォイ・ジジェクという人が、ヒッチコックをはじめ色んな映画を、ラカンを使って深掘りしまくったことでより多くの読者を獲得しました。「ラカンは難解だけど、ヒッチコックを使って読めばよくわかる。」とジジェクはいってます。ラカンを使ってヒッチコックを鑑賞し、ヒッチコックを使ってラカンを読むわけです。
 哲学は「知」の域内にあるものだから、どれほど難解であっても努力さえ惜しまなければ理解できるんですよ。1+1=2というルールを受けいれさえすれば、いずれはオイラーの公式も理解できるし、理屈からいえばポアンカレ予想だって理解できるのと同じです。論理を積み重ね、筋道を正しく辿っていけば必ずや到達できる。数学はそれを数式でやり、哲学はコトバでやるってだけです。
 しかし、「信」の側にあるものはそうはいかない。だから、「哲学的思考法によって理解できるのは、宗教の教義の骨格がどうなっているか、ということだけでしょう。中身(つまり『救い』の真髄に関わる部分)がわかるはずがありません。」というのは、それはそうでしょう。
 デリダによって道元を読む、ハイデガーによって親鸞を読むといっても、それで「救い」そのものが感得できるわけではない。もちろんそれはいうまでもない。
 「知」の領域と「信」の領域とのあいだには深淵がひろがっていて、軽々に渡れるはずはないんです。截然と分かたれている。でも、まるっきり無縁かというとそうではなくて、こちら側にいても、何かの拍子にちらちらと向こうの様子が見える(ような気がする)もんだから、あれこれと気にはなってるわけですね。
 それで、吉本隆明なんてひとは、およそ古今東西の文学者や思想家をあらかた読み尽くしたんだけど、そのなかで「もっとも影響を受けたのは親鸞」であると公言してた。それはどうしてなのかって話です。
 吉本さん自身は、「信」の側にいくことはなくて、終生、ありふれた生活の場にいたんですね。「戦後思想の巨人」などといわれたりもしたけど、べつにそれほど儲かってたわけでもないし。読者を名乗る人が家に押しかけてきて、金をせびったりして、そういうのにもわりとまじめに応対してたらしい。そういうのが好きだったはずはなくて、「めんどくせえなあ。」と思ってたろうけど、それなりに相手をしたそうです。
 知性というものは、磨けば磨くほど、ありふれた生活の場から乖離していくでしょう。でも、そうやって出来上がった思想にどれほどの値打ちがあるんだろうか。それこそ、理想の社会を作り上げたつもりで、結局は国民っていうか、共同体の成員を抑圧するだけの代物になっちゃうとか、そういうことはないか。
 思想史に名を刻むほどの天才と、そこいらへんのおいちゃんおばちゃん、兄ちゃん姉ちゃん、まあ凡夫凡婦ですね、そういった無名の存在が釣り合うような場はないか。そういうものを模索するうちに、親鸞さんの近くにきてたんじゃないかと、ぼくは想像するんですけどね。
 吉本さんはさておき、ぼくをも含めた一般ピープルのレベルでいえば、『歎異抄』だけ読んで『教行信証』にまで手が伸びないのがモンダイなんでしょう(笑)。でも、もし『歎異抄』がなかったら、唯円があの聞き書きを書き留めず、清沢満之が明治になってあの薄い本を紹介しなかったら、親鸞さんはこんなにも人気を博さなかったと思います。それは誤解がいきわたっているってことでもあり、だから心ある方々が「この根深い誤解を正さねば。」とて尽力されるのは尤もだと思いますけども、大衆化とはそういうものだってのも確かです。
 ぼくが思うに、あの「惣じてもて(岩波文庫版ではこう表記されてます)存知せざるなり」とは、「知」の領域ではなく「信」の領域にあることだから、それは口で言ってもわからないよなあ、という感じじゃないでしょうか。親鸞はもう「歓喜」を体験してるわけですね。それは確かでしょう。でも、心配になって問い詰めているお弟子さんたちは、その境地を体験してないからこそ心配になってるわけでしょう。それだったら、ここで私が口でいっても仕方ないよねえ、というふうにぼくには読めるんですけどね。
 そういう意味では、「もう知らんわ。」でもさほど懸け離れてはいないけど、そこまで突き放してはいないというか、「しょうがないなあ。なにしろ口で説明できることではないからね……。」と苦笑いしておられるように読めますね。
 歓喜といえば、これは宗教的な水準のものとは桁違いに劣るだろうけど、たとえばニーチェを日本語の訳で読んでいて、「これ、日本語で読み書きする人がいま世界で1億と何千万人いるのか知らんけれども、この文章を真に理解できるのはおれを含めて数千人くらいじゃないかなあ。」てなふうに思うことはありますね。そういうときには、ニーチェの文章をこれまでのすべての体験とすべての知性、すべての感性で受け止めている感覚があります。そういうのは自分にとっての歓喜ですね。そういうことが時々起こるから何とか毎日を送っていけてるってことはあるんですけど、でも、その感覚はだれかに口で説明できることではないですね。

 アメリカの大統領選については、前にe-minorだかdig君だかが、「中国は常に危機を喧伝されているけれど、けして侮ってはいけない。」と力説してたかと思います。いくつかの州で独自の選挙人をえらんだとの情報も見ましたが、それでも、この状況のまま1月6日を迎えて、連邦議会上下両院の合同会議で各州からの選挙人投票結果の正式な集計と確認をやって、そこでトラさん一発逆転ウルトラCなんて事態はぼくには想像できません。仮に状況が好転するならそれまでに何かが起きるでしょうし、なにも起きねば十中八九このままでしょう。「無理が通れば道理引っ込む」ですね。




「社会主義」はなぜ危険なのか。03

2020-12-17 | 戦後民主主義/新自由主義

 サブタイトルの「社会主義」に「」が付いているのは、ここまで2回の記事を費やして述べたとおり、マルクスが構想した本来の社会主義ではなくて、ソ連、中国がそうであったような「戦争の混乱に乗じて成立した過激かつ急進的な共産主義政権」という含みである。そのような体制が危険なものになるのは自明といえば自明であって、ことさら力をいれて弁じるまでもない。つまりとうぜん予想されるべき反革命の動きや、暴動、内紛、クーデターなどを抑え込むために、自由を極度に制限した、強権的かつ抑圧的な姿勢を取らざるをえないからである。秘密警察の網がくまなく張り巡らされ、密告が横行し、「収容所群島」とまで呼ばれた旧ソ連とはそれが常態化した国家であった。


 しかし問題はたんにそういった統治技術だけにかかわることではない。より本質的なこととして、そのような政権が過去の伝統をばっさり断ち切って、すべての権威を否定し尽くしてしまうところが真に恐ろしいのである。そうして自分たちを、いや、往々にして頂点にいるただ独りの「指導者」だけを、絶対不可侵の位置に据えてしまう。これがすなわち独裁者で、かほど恐るべきものはない。政治学的な用語にすれば、「法治」主義ではなくいわば「党治」主義、さらには「人治」主義である。


 それは自らの権力が及ぶ範囲において「神」になるほどの所業といっていい。ぼくがまっさきに思い浮かべるのは1590(天正18)年、小田原の北条氏を征伐してほぼ天下を平定してから、1598(慶長3)年に没するまでの豊臣秀吉だ。法もなければ議会もなければ裁判所もない。彼の機嫌の良しあしで、あっさりと人が処刑されてしまう。しかしそれは、けっして400年余り前の遠い昔の話ではない。じじつ、現代であっても、それに近い国はある。条件さえそろえば実際に起こることである。人間とはそのていどの動物であるということだ。弱くてしかも傲慢なのである。


 だから、ひとは何かしら大いなるものに対して畏怖なり敬意なりをもっていなければならない。その感情を≪信≫と呼んでもいい。さもなくば際限もなく増長し、暴虐な幼児と化すであろう。これはこのあいだまでやっていたakiさんとの対話にかかわるものでもあるけれど、倫理や法律は≪信≫の領域からやってくるものなのである。いや、倫理や法律だけではない。文学や芸術、あるいは哲学や思想はもちろんのこと、さらには政治と経済にいたるまで、ひとの営みとはおしなべて、≪信≫の領域にこそ淵源を、根拠をもつものなのだ。ぼくが若年のころ熱中したニーチェから逆説的に学んだのはそのことだ。ニーチェ自身がはっきりそう述べたわけではないが、彼の思想を突き詰めていけばまざまざとそれが視えてくるのだ。そしてそれは、マルクスでもフロイトでも同じである。


 人間と人間との関係などはいわば平面のうえで互いに右往左往してるようなもので、本当はそこに絶対の基準などはない。「理性」だの「正義」だのといっても空しいばかりだ。双方がともに「こちらのほうが理性的だ。」「正義は我にあり。」と主張をしたらまさに平行線である。客観的な第三者の裁定を仰ぐといっても、その第三者とやらも結局は同じ平面のうえの人間なのだ。「絶対」なんてないのである。それは≪信≫の領域にのみ存するもので、しかもぼくたちがそれを確かめる術はない。


 マルクスは貨幣(商品)について徹底的に考え詰めることでそのことを暴いた。だから彼の理論は実践理論としては誤っていても稀有の人間学として今もなお屹立している。じつは「市場(しじょう)」にだってべつに根拠はないのである。われわれの欲望の総量と、漠然たる、それでいて不思議と強固な信用の体系がそれをがっしり支えているだけだ。それは健康なことだとぼくは思うが、しかしそれでも根拠がないことに変わりはない。


 だからあらゆるものを市場にゆだねる極端な新自由主義、市場原理主義もまた同様に危険であるのはいうまでもない。イギリスの産業革命のあと、近代的資本主義の揺籃期には、少なからぬ数の労働者(プロレタリアート)が悲惨としかいいようのない状態にあった。日も射さぬ穴倉のような塒(ねぐら)に何人もが折り重なるようにして暮らし、工場では年端もいかない児童が十数時間ぶっ通しで毎日朝から晩まで働かされた。日本で明治がはじまって間もない1871年……フランスではパリ・コミューンが成立してあっという間に制圧された年だが……この頃のイギリスの平均寿命は41歳といわれている。年少者の死亡率がそれだけ高かったということだ。もとよりそれは日本においても同断であった。


 それはすなわち「人権」の概念が皆無だったということだが、マルクスの理論はこのような背景のもとで形成されたわけである。しかるにその後、資本主義の成熟に伴い、また社会主義的な思想の広がりも与って、選挙権・累進課税・団結権の保障(=組合を作れるということ)・物品支給の禁止・8時間労働・未成年の就労禁止・労働保険といった民主的な政治改革や福祉政策が少しずつ進められていった。裏返せばそれは、「資本」の原理が暴走するのに社会が(システムが……というべきか)歯止めをかけたということになる。


 かくしてほぼ150年後のこんにち、われわれはそれなりに幸福な社会に生きている(と思う)のだが、ブラック企業の横行に見られるごとく、この現状が盤石のものといいがたいのもまた確かだ。それどころか、ハイパーな情報化社会の到来および世界規模での資本・商品・人材・技術・情報の爆発的な往来をバックに、悪しき意味における「社会主義」と悪しき意味における「資本主義」とがハイブリッドに統合された世の中が、意外なくらい呆気なく、現実のものになろうしている。かに見える。それも何処かの国の特定の政党を中核として。それをアメリカにおいて嬉々として推し進めているのが民主党で、それに抗すべく懸命に奮闘しているのがトランプ。だから何が何でもトランプを応援しなければならない。ぼくの理解したかぎり、今回の米大統領選でトランプを支持する人々がいっているのはそういうことなのだ(ただしぼく自身はその見解に賛同しているわけではないが)。








「社会主義」はなぜ危険なのか。02

2020-12-14 | 戦後民主主義/新自由主義






 こんな話をはじめたのは、むろん、まだ係争中の米大統領選のことが背景にあるからなんだけど、日本のマスコミの報道姿勢ゆえに、日本に住む大半のひとが事の重大さをわかってないのは恐ろしい。「トランプがわけのわからない難癖をつけて事態を混乱させている。」くらいに思っている人が殆どではないか。いやそもそも、「それ何いってんの? ぜんぜん知らないんだけど。」という人のほうが多いかもしれない。


 ジョー・バイデン氏の子息が複数の疑惑で捜査されていることがようやく明らかにされた。これはトランプ氏に批判的、というより敵対的なアメリカ主要メディアも報じたのだから歴然たる事実である。この父子はことのほか中国とのかかわりが深いといわれている。これもまた半ば公然の事実である。「かかわりが深い」というのは精いっぱい礼儀正しい言い方だ。あとはお察しいただきたい。


 バイデン氏が大統領の座に就けば、これまでの4年間とは比べものにならぬくらいアメリカは中国を優遇する。それはすなわち日本が冷遇されるということだ(追記。2022年4月現在、幸いにしてこの予測は外れていますね。アメリカの対中姿勢はトランプ時代と比べて変わっていない。ただしそれで日本が厚遇されているとも思いませんが)。


 そしてアメリカの影が弱まれば、かの国が経済面のみならず軍事面でもますます圧迫を強めてくるのは自明である。この一点を取っても今回の大統領選はまったく他人事ではないのだが、そういったことが何ひとつわからぬ人が国民の過半を占めているというのは、やはり「大衆にものを考えさせない。」というマスメディアの方針が戦後75年にわたって貫徹された証左であろう。今まではそれでもよかった。通用した。なぜ通用したのかはわからない。たぶん運がよかったんだろう。でもこれからはそうはいかない。ほかの国々、とくに中国がべらぼうに力をつけてきたからだ。言い換えればそれは、ぼくたちが明治この方の先人たちの遺産をほぼ食い潰してしまったということである。これからはひとりひとりが知識を蓄えて先へ先へと物事を考えていかねばならない。とりあえず、お笑いとゴシップだけのテレビはもう消したほうがいいかもしれない(追記。このあたり、かなりコーフンしておりますが、当時は米大統領選の帰結についてそれくらい危機感を抱いてたのです)。


 社会主義は危険である。それがどの国のどのような指導者によって運営されるものであろうともだ。社会主義という思想そのものが根本的に危険性を抱えているのだ。しかしそのことを理解している人はどれだけいるか。旧ソ連のノーベル賞作家ソルジェニーツィンの『収容所群島』はぼくなんかの高校の頃には近所の本屋で新潮文庫の6巻セットで売っていたが、すでに絶版になって久しい。前回の記事に画像を貼ったユン・チアンの『ワイルド・スワン』と、これはジャンルとしてはSFになるけど、古典中の古典ジョージ・オーウェルの『一九八四年』。新訳が先ごろハヤカワ文庫で出た。この2冊だけは目を通しておいたほうがいい。村上春樹の『1Q84』は読んだけど、オーウェルはまだという人は、完全に順序が逆である。


 「社会主義と共産主義ってどう違うの?」という質問に対する答が前回から持ち越しになっている。しかし、明敏な人ならおおよその察しはつくだろう。「十分に発展した資本主義社会が爛熟の果てに行き詰まり、自壊を起こして必然的に次のステージに移行する。」というのがマルクスの本来の構想だったという話はやった。そのとき主体となるのは労働者階級(プロレタリアート)だ。ただ、プロレタリアートは潜在的には莫大なパワーを秘めてはいるが、そのままでは覚醒できない。いわば厚い殻のタマゴの内に閉じ込められているようなものだ。だからだれかがきっかけを与えて殻を破ってやらねばならない。それが前衛党、すなわち共産党である。共産党の指導によって、プロレタリアートは自分たちの使命に目覚め、はじめて歴史を担う主体となる。これがマルクスの革命理論であった。


 マルクスが天才だったのは間違いない。でもだからといって言ったことすべてが正しいわけではない。それはニーチェにしてもフロイトにしても同じである。


 マルクスはドイツ生まれのユダヤ系だが、生涯をほとんど海外で送った。コスモポリタンといえば聞こえはいいが、ありようはほぼ流浪者である。だが、いずれにしても彼の関心は西ヨーロッパにあった。西ヨーロッパで革命が起こると思っていたのだ。ウラル山脈の向こうのロシアのことなど知ったことではない……どころかむしろ嫌っていた。その彼の思想を換骨奪胎してスラブの大地に取り込んだのはたしかにレーニン(1870 明治3 ~1924 大正13)の力業である。


 革命前のロシアはもう立憲君主制になっていたから、いわば「社会党」に該当する政党もあったのだ。しかしそこから、より先鋭かつ過激な人たちが分派して、もっと急進的な党派をつくった。それがレーニン率いる「共産党」だ。先鋭で過激で急進的だから、初めは小さい勢力だった。しかるにそれが、第一次世界大戦による混乱のなか、あまたの政争と内戦のすえに、結局は政権を取ってしまった(このかんの経緯は、ノンフィクションとして読むぶんにはとても面白い)。ゆえにあの革命は社会主義革命ではなく、共産主義革命なのである。


 それが1917(大正6)年10月のこと(ちなみにこれは『鬼滅の刃』の時代設定とほぼ同時期だ)。その2年後の1919(大正8)年、世界に革命を輸出するため(つまりソ連の味方……もっといえば手下……となる国を増やすため)の機関として「コミンテルン」が創設される。隣国であり、1912年の辛亥革命いらい混乱の渦中にあった中国はもちろん最有力の候補となる。1921(大正10)年、上海にて中国共産党設立。正確には、コミンテルンから「中国の共産党」として承認された。毛沢東(1893 明治26~1976 昭和51)はその創設メンバーだ。ただし、この時はまだ50人余り(!)の小さな組織であったが。


 日中戦争をあいだに挟んで、28年後にはその共産党が政権の座に就くのだから、勢いとは凄いものである。しかしそれまでの混乱を力ずくで捻じ伏せ、あの広大な版図の全域にわたって、いくつもの民族を含む膨大な人民を統治するわけだから強圧的にならざるをえない。そこはソ連(ロシア)とまったく同じだ。「計画経済」の失敗によって大量の餓死者が出たり、粛清が起こったりしたのも同じである。言いたいことが思うように言えない息苦しい社会になったのも同じだ。それが社会主義なのだ。


 百歩譲って、マルクスが構想(正しくは夢想というべきだろうが)したように、民主主義に支えられた資本主義が爛熟の果てに行き詰まり、そのあげく自壊を生じて必然として到達する「社会主義」の世がもしも可能ならばそれはよかろう。そこでは「自由」と「平等」とが比類なきバランスによって実現されているのかもしれない。しかし、現にぼくたちが知っている「社会主義」の国家はいずれも過激かつ急進的な「共産主義革命」を経て成立した国々なのである。その首魁であるソ連は1991(平成3)年に崩壊・解体してロシアに戻った。しかし中国は、絶えず危機を喧伝されつつも、ずっと勢威を保っている(ようにみえる)。ほんとうは、このことに隣国のぼくたちはもっと驚いてなければおかしいのだ。


 過激かつ急進的な「共産主義革命」を経て成立した国がなぜ本質的に危険なのかを次回に述べたい。ようやく本題に入れる。

つづき
「社会主義」はなぜ危険なのか03










「社会主義」はなぜ危険なのか。01

2020-12-12 | 戦後民主主義/新自由主義

(文化大革命の悲劇を描いた世界的ベストセラー『ワイルド・スワン』。映画化もされた。画像は文庫版。今は電子書籍で出ている)


☆☆☆☆☆☆☆


 中国で暮らすふつうの人たちをどうこういう気はもちろんなくて、やばいのは共産党っていうか、社会主義そのものなのである。この点だけははっきりさせておかねばならない。


 社会主義と共産主義ってどう違うの?という質問をよく見かけるんだけど、その前にまず、よりわかりやすい対立項として、「資本主義」と「社会主義」との違いを押さえておこう。ざっくりいえば、日本やアメリカ、その他の多くの国々が取っている政体が市場原理を旨とする「資本主義」であり、「社会主義」とはそれに対する概念である。資本主義が「自由」を「平等」よりも上位に置くのに対して、社会主義は「平等」を「自由」のうえに置く。ゆえに開かれた市場で個人事業主や企業が互いに競い合うことを認めず、全員が同じだけ働き、全員がその成果を共同で分かち合うのを理想とするわけだ。


 しかし、小学生でもわかるとおり、そんなことはじっさいには不可能である。小さな村くらいならともかく、膨大な数の民が複雑に絡み合って営まれる社会が、すべての面で完全に平等な共同体に成りうるはずがない。国の主要産業が農業から商工業に移行するにつれて、都市が増え、大きくなり、必然として市場(しじょう)が生まれる。それを無理やり抑圧すれば、ひどい歪みが起こっていずれは崩壊に至るであろう。もちろん中国も、遅くとも80年代にはそれに気づいていた。


 80年代末から90年代初頭にかけて、いわゆる「(六四)天安門事件」を経験し、さらには隣の巨大な社会主義国ソ連の解体を目の当たりにした最高指導者・鄧小平氏は、「社会主義の体制下でも市場経済を導入し、経済発展を進めることはできる。」との声明を出した。1992(平成4)年の「南巡講話」である。その前後から、かの国は改革開放路線を推し進め、経済面では立派な資本主義国となった。ただし、共産党の一党独裁という政体は頑として維持したままで、だ。われわれ西側諸国が採用している意味での「議会」もなければ「選挙」もない。すなわち「民主主義」を認めていない。ここが大変な違いである。


 つまり今の中国の体制は、「社会主義」を標榜してはいても、ありようは「国家」の力がべらぼうに強い、いわば「国家資本主義」なのだ。そして、その国家の中枢というか、頂きにあるのが「共産党」だ。


 おわかりだろうか。「社会主義」国家である中国の中枢ないし頂きにあるのは、「社会党」ではなく「共産党」なのだ。そしてこれこそが、冒頭においた「社会主義と共産主義ってどう違うの?」という問いの答えにもなっているのだが、しかしそれはどういうことか。


 清王朝を倒した1912(明治45)年の辛亥革命いらい(念のため言うが、この革命は共産主義革命ではない)、中国という国には、今に至るまで、西側でいう意味での議会もなければ選挙もなかった(辛亥革命のあと共和国として出発した中華民国に議会や選挙がなかったわけではない。しかし軍事力をバックにした大総統の力が強すぎて、とても民主的とはいえなかった)。


 つまり民主政治の経験を積んでいないのだ。そして第二次大戦終結の後は、内戦によって軍事的に政権を取った組織が、法的な点でも実態においても、ずっと政権の座に就いている。毛沢東の率いた中国共産党である。日本(当時の大日本帝国)との戦争のあと、蔣介石率いる中華民国を台湾に追放し、中華人民共和国を建国。1949(昭和24)年のことだ。それほど遠い昔ではない。


 これは1917(大正6)年に政権を取ったレーニン率いるロシア共産党にしても同じなのだが、革命を成功させたソ連にしても中国にしても、「資本主義」に対立する政体として「社会主義」を名乗ってはいたのだけれど、それはこれら両国が依拠する思想的基盤としてのカール・マルクス(1818 文化15/文政1 ~1883 明治16)が唱えた「社会主義」とはまるっきり違うものだったのである。


 ざっくりいえば、マルクスの思想とは、「十分に発展した資本主義社会が爛熟の果てに行き詰まり、自壊を起こして必然的に次のステージに移行する。」というものだった。その「次のステージ」が社会主義体制なのである。つまり、近世/前近代(封建主義)が行き詰まって近代(資本主義)となり、それがまた行き詰ったあげくにようやく達するものであり、「近代」よりもさらに進化した「超―近代」のことだったのだ。ポストモダンとは本来、理念の上では、「社会主義体制」のことだったわけだ。


 しかるに、1917(大正6)年のロシアはもとより、1949(昭和24)年の中国でさえも、いうまでもなく「十分に発展した資本主義社会」などではなかった。むしろ近世/前近代からいきなり、近代(資本主義)の段階をすっ飛ばして「社会主義」に移ったわけで、ほとんど「開発独裁」に近い。中央に権力を集中し、計画を立て、めんどうな手続きを略して矢継ぎ早に実行にうつす。これは前近代からの移行期というか離陸期においてはたしかに有効なのである。思えばわがくにの明治新政府にしても、最初の20年ばかしはそうとうに荒っぽいことをやっていたのだ。


 いま明治政府の例を出したが、あの「ご一新」は薩摩や長州といったいくつかの「藩」の武力と政治力が基盤になっていた。主体となったのはそれら大藩の優秀な若手たちである(彼らは役割としては官僚であり活動家であり政治家であり軍人でもあった)。そして約270年にわたって政権を担った「征夷大将軍」の15代目を江戸城から(結果的に)放逐し、代わって天皇を奉戴することで、自分たちのつくった新参の政府を、脈々とつづく日本の伝統と接合することに成功した。明治維新が「革命」とは呼ばれぬ所以である。


 いっぽう、それから50年遅れて起こったロシア革命(これは第一次世界大戦がなければありえなかった)と、それからさらに約30年遅れで起こった中華人民共和国の建国(これも日中戦争なしには考えられない)の2つの革命は、共産党という組織が主体となっていた。ロシアはそのころ立憲君主制になっていたが、皇帝の一族を追放して王朝を断絶させた。中国においてはもう王朝は倒されており、すでに皇帝はいなかった。だからどちらの国でも彼ら自身が当然のごとく最高権力の座に就いた。まさしくこれは「革命」である。

つづき 
「社会主義」はなぜ危険なのか02




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