本年(2021)8月18日にアップした記事を、編集のうえで再掲載。
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いまの日本がやばいのは、今回のコロナ禍のような大きな災害が起こった時に、政治家や官僚といった国のトップの人たちが、「この問題にいかに対処し、どうやって解決するか?」という真っ当な思考に向かわずに、「この非常事態を利用して、いかに自分たち(政治家ならば所属政党および自らの身内や仲間、官僚ならば所属する省庁や関係機関)に利益をもたらすか?」ということばかりにアタマがいっちゃうってことなんだよね。
これ、大半の人は「いくら何でもそれはないだろう。極端なことを言うんじゃないよ。」なんて思って読み飛ばすんだろうけど、ぜんぜん誇張でも歪曲でもないんでね。試しにいちど、騙されたと思って、日々のニュースをそういう視点で見てみてください。いろいろと腑に落ちるはずだから。
大事なことだから二度いいましょう。
いまの日本では、政治家や官僚といった国のトップの人たちは、今回のコロナ禍のような大きな災害が起こった時に、「この問題にいかに対処し、どうやって解決するか?」という真っ当な思考に向かわずに、「この非常事態を利用して、いかに自分たち(政治家ならば所属政党および自らの身内や仲間、官僚ならば所属する省庁や関係機関)に利益をもたらすか?」ということだけを考えています。
付け加えるまでもないと思うけど、念のために言っておくと、なにしろ非常事態なんだから、すぐに対応しないとたくさん犠牲者は出るんですよ。犠牲者は出るし、いずれは社会全体も回らなくなる。それが重々わかっていながら、自分たちの周りの利益だけしか目に入らない。
そういう思考が刷り込まれてるというか、身に付いてしまっているわけね。それはおそらく2001(平成13)年からの小泉=竹中による「構造改革」に端を発すると思うんだけど、ここまで酷くなったというか、もう「当たり前」になってしまったのはやはり2012(平成24)年9月からの第二次安倍政権による7年8ヶ月のあいだだろうね。
どんな組織にもそれなりに良心や良識をもった人たちは一定数いるはずなんだけど、そういう人たちが出世できないというか、生き残れなくなってるんでしょうね、今や。だから「今だけカネだけ自分(たち)だけ」ってタイプしかいなくなっちゃった。
国ぜんたいがそういう体質になってて、もちろん菅義偉政権はそれをそのまま引き継いでいる。この人はずっと安倍内閣の官房長官だったわけだし、中抜き平蔵もそのままずっとブレーンとして居座ってるしね。
こういうのを「惨事便乗型」っていうんですけどね。ナオミ・クラインというカナダの女性ジャーナリスト/作家/活動家が、『ショック・ドクトリン』という本を書いて、そういう概念を打ち出した。岩波書店から邦訳が出てますが。
オリンピックは災害じゃないけど(コロナ禍の下での強行開催は、じっさいにはほぼ人災ですけども)、まあ同じことですね。あの超巨大イベントを通じて、莫大な予算(血税)をいかに中抜き(ピンハネ)するか、という大テーマに政治家(国会議員と知事をふくむ)・官僚・政商(人材派遣会社・広告代理店その他)たちがひたむきに取り組んだ。その成果がアレだったわけですよ。
まえに経済思想家・斎藤幸平氏の「祝賀資本主義」というコンセプトを紹介したけれど、これはべつに斎藤さんだけじゃなく、いろんな方がいってますね。元ネタはジュールズ・ボイコフ氏の『オリンピック秘史 120年の覇権と利権』(邦訳は早川書房)のようだけど。
「惨事便乗」と「祝賀便乗」、このふたつ、構造としては一緒なんだよね。惨事(災害)は恐怖と不安とをもたらし、祝賀は高揚と歓喜とをもたらす。どちらも非日常って点では同じ。つまり、大衆が平常心を保ってられない状態。しかも法が整備されてないから、手続き上、穴がいっぱい空いてるのね。そこにつけこんで好き放題やり散らかすわけだ。帳簿も書類もぜんぶ隠匿、ないしは破棄しちゃってね。
大多数の国民がそのことに対して怒らない、というよりも、その仕組みにさえまるで気づいていない、という点がほとほと恐ろしくて、ほとんど慄然とさせられるんだけど、なんだろう、やっぱり、「お上のなさることに間違いなんぞあるわけがねえ。お上に物申すなんざもってのほかだ!」という信仰に縋りつきたい人がそれだけ多いってことかねえ。民主国家じゃないんだよなあ。「欧米か!」ってギャグが昔あったけど、「江戸か!」と言ってみたい気分だね。
まあ、オリンピックに関しては、マスコミの責任も重大だけどね。テレビしか観てない層は、そりゃ疑いなんか持ちませんよね。朝から晩まで五輪五輪ってやってんだから。
平時ならそれでもよかったんだよ。ぼくはもともと五輪反対だけど、平時だったらここまで言わない。五輪をやったら感染拡大してえらいことになるのは小学生にだってわかる。それを無理やり強行したんだから、批判しないほうがおかしいでしょう。それをマスコミと国民が一緒んなってキャーキャーキャーキャー大騒ぎして、何やってんだって話なんですよ。
テレビがあんなぐあいになっちゃったのは、第二次安倍政権の7年8ヶ月のあいだに抱き込まれたってこともあるけど(ちなみにそういった工作を担当したのは主に菅義偉氏だといわれています。実務能力は乏しいけれど、その手の裏工作には長けているタイプはどんな時代にもおりますが、そういう人が出世したり、あまつさえトップに立ってしまう国というのはとうぜん遠からぬうちに衰亡します)、それより何より、テレビをはじめマスメディア自体がそもそも「受益者」の側なんだよね。
もはやテレビ業界も広告代理店も似たようなもんだけど、幹部がおおかた大物の二世三世とか縁故だったりするわけですよ。いうところの「第4の権力」までもが体制側になっちゃってる。それでどこまで公正な報道が期待できるんですかと。
小泉=竹中政権が始まって間もない頃、橘玲(たちばな・れい)という経済や金融に詳しい作家が『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』という本を出したんだよね。で、その冒頭に、
「日本は、黄金の羽根を撒きながら堕ちていく天使に似ている。黄金の羽根は、国家、株式市場、不動産市場など経済活動をともなうすべての場所に落ちている。」
という印象的なフレーズがあった。
……だから、その「黄金の羽根」の拾い集め方を指南しますよ、という本だったんだけど、あれからほぼ20年を経て、今やもう、「すでに地上が目に入るところまで落下してきた天使に、合法的なならず者どもが寄ってたかって襲い掛かり、手当たり次第にその黄金の羽根を毟り取っている。」といった様相を呈してますね。
橘さんが言ってた頃の「天使の墜落(日本の凋落)」とはもっぱら経済のことだったんだけど、2011(平成23)年の東北大震災およびフクシマの原発事故で、なんだか「底が抜けちゃった。」感がありますね。コロナはその追い打ちで、いまは二番底が抜けたというか、「まだ底があったのか……」という感じなんだけども……。
これは21世紀の日本式新自由主義のなれの果てではあるけれど、いっぽう、たんに「戦前」に回帰しただけとも言えるんですよ。それは前に紹介した白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)にもかかわってくる話だけれども、大雑把にいって、明治この方敗戦まで、日本の社会ってのはそんな按配でした。とにかく「カネ持ってる奴が偉い。」ってんで、民衆の人権なんて吹けば飛ぶようなもんだった。なにも戦時中だけ人の命が軽かったわけじゃないんだよ。
私は昨年(2020)の12月に「『社会主義』はなぜ危険なのか?」という3回シリーズの記事を書いて、いやもちろん社会主義は危険極まりないんだけども、『』で括ったことからもわかるとおり、それはソ連≒中国型の暴力革命によって成立した『社会主義』のことであって、政治用語としての社会主義の理念であるとか、あるいはまた、運動としての社会主義そのものを全否定しているわけではない。ニッポンの情況がここまでおかしくなってくると、均衡を保つために、今はかえって「社会主義の理念」とか「運動としての社会主義」などの意義を強調しなくてはいけないのかなあと思っています。何事も中庸がたいせつなのであって、政治面でも経済面でも、左右いずれかに極端に振り切れるのは禁物なわけです。
冒頭部分
<自民党が野党に対するデマを広める目的で、この匿名ツイッターアカウントを利用していたとすれば、河井克行元法相が対立候補を貶める架空ブログを業者に書かせていたことに匹敵する事件だ>
10月9日、オーストリアのセバスティアン・クルツ首相が、自分に有利な報道を流すようマスメディアを買収していた疑惑が発覚し、辞任した。一方、日本でも、ある企業が運営するSNSアカウントが、政権与党と通じて野党や野党議員に対するデマを流したり誹謗中傷をおこなっていたりしていたという疑惑が持ち上がっている。
マスコミを買収して自分に有利な世論調査結果を報道させる
クルツ首相は、2017年に当時31才で首相に就任し、極めて若い国家指導者として話題になった。所属政党の国民党は中道右派政党だが、クルツは極右政党である自由党のお株を奪うような移民排撃の右派ポピュリズムによって人気となり、一躍リーダーとなったとみられていた。
しかし、ここにきて彼が首相に就任する前の2016年から2018年にかけて、クルツが自分に有利な世論調査報道を行うよう大手マスコミに持ちかけ、後日、その謝礼として公金が支払われていたという疑惑が持ち上がった。クルツはこれを否定しつつも、連立パートナーの緑の党の要求もあって「混乱を招かないため」という理由で辞任を選択した。
一方、日本ではDappiというTwitterアカウントを巡って疑惑が持ち上がっている。このアカウントは、専ら野党議員をデマや中傷を交えながら攻撃するアカウントとして知られており、多くのフォロワーを抱えていた。………………
続きはぜひ本編の記事で。
そして、この醜聞から連想される、いまの自民党のなりふり構わぬ世論操作と、「違う陣営のものに対するヒステリックな誹謗中傷」の手口を目の当たりにすると、この8年間にわたって事あるごとに聞かされた、例の「悪夢の民主党政権」なるレッテル貼りにも否応なしに疑念がわく。
それについて書かれた記事がこちら。
週刊ゲンダイ デジタル版
中川 右介
民主党政権はそこまでひどかったのか? 安倍政権と比べてみると…
政策実現力と危機対応力を検証
冒頭部分
「悪夢の民主党政権」は本当か
珍しいことに、今度の総選挙は、総理大臣が何の実績もない状態での選挙となる。
岸田総理は、国会で所信表明演説をしただけで、ひとつの法律も提案すらしていない。「こういうことをやりたい」と言っているだけで、何もしていない。
現内閣が実績ゼロでの総選挙だ。
「総理としての実績が何もない」ことでは、野党第一党の立憲民主党の枝野幸男代表と同じだ。
いや、枝野代表には何の実績もないが、岸田総理には外務大臣などの要職の経験があるから、政治家としては実績がある――という反論があるかもしれない。しかし枝野代表も、かつての民主党政権では官房長官や経産大臣を歴任している。
岸田総理と枝野代表は、「総理としての実績はないが、政権のひとりだった経験はある」点で同じだ。
いやいや、岸田総理はまだ何もしていないかもしれないが、自民党はずっと政権を担い、うまくやってきたが、枝野代表が前にいた民主党政権はひどかったじゃないか、とても任せられない――そう思っている人も多いだろう。
しかし、本当に民主党政権はひどかったのだろうか。
続きはぜひ本編の記事で。