ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

21.10.31 投票に行こう。

2021-10-31 | 戦後民主主義/新自由主義






  安倍晋三・元首相が、解散直後からしきりに「日本経済のV字回復」「V字回復」といっていて、これにつき、コラムニストの小田嶋隆氏がこんなツイートをしている。


小田嶋隆
@tako_ashi
10月25日
「V字回復」の前半部分って、一本調子の右肩下がりだよね? 今が「V」の字の底なのだとすると、日本経済をここまで下げたのは、アベスガの9年間だったことになるわけだが、それで良いのか?





 どうなんだろう。いくらなんでも安倍氏もそこまで愚かではないはずなので、ここでいう「V字」とは「コロナ不況によるどん底」からの復活という含意だとは思うのだけども、それでもやっぱり「V字」なる用語はかなり長期のスパンを前提としているわけで、7年8ヶ月、菅前首相をも併せればほぼ9年にわたって政権の座にあった人のことばとしては、あまりに不用意だし、無責任だと思える。
 いや、けして揚げ足を取るわけではなく、たんに事実として、この9年間で日本が貧しくなったのは確かなのである。
 岸田文雄首相は、総裁選の時点では「分配なくして成長なし。」と述べていたにもかかわらず、首相になったとたん「成長なくして分配なし。」に変わった。ほぼ一夜にして豹変した按配だ。
 これは「V字うんぬん」よりもさらにごまかしがきかぬと思う。「ニッポンは成長していない」と、現職の首相すなわち自民党総裁がはっきりと認めているわけだ。ずっと与党として日本を運営していたのは自民と公明なのである。このことに関して野党はなんら責任を持たない。というか、責任の持ちようもない。それが与党と野党との違いである。絶大な懸隔がある。
 日本が成長できないのは格差を広げたせいだ。格差を広げたのは新自由主義政策のせいだ。新自由主義政策を推し進めるのは自民党と維新だ。すなわち、自分や家族や仕事や社会ぜんたいを含めた日本という国を現状のままにしたいか、あるいはさらに格差を広げたい人は与党や維新に入れればよいし(ちなみに経団連は「いずれ消費税を19%に」といっている)、その趨勢にどうにかして歯止めをかけたい人はその他の党に入れればよい。それだけの話だ。 





























21.10.25 ニッポンは貧しくなっている。(21.10.30 追加)

2021-10-25 | 戦後民主主義/新自由主義







 大企業優遇/労働者≒消費者冷遇によって中間層を痩せ細らせ、あげく肝心の大企業の国際競争力をも鈍らせてニッポンを貧しくしてきた自公政権。これによって国力がどんどん低下し、中国はもとより韓国にすら追い越されつつある現状をなぜ「愛国者」たるネトウヨ諸氏は正面から直視しないのか。このような状況下で仮に憲法を改正し、「自衛隊」を「国防軍」に改称したとしてもろくなことにはならない。国を根底から支えているのは中間層だ。それは古今東西どんな社会でもかわらない。
 このたびの選挙で政権交代が成らずとも、「批判票」としての野党の得票が増えれば自民党内の有望な若手が危機意識を強めて腐敗した長老支配を打破すべく行動を起こすかもしれない。そのような期待を抱くことくらいは許されるだろう。すなわち有権者の戦略として、「基本的には自民党を支持するが、かといってこのままでいいとも思えない。自民党の再生を促すべく、今回に限って野党に入れる。」という投票行動もありうるはずだ。




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日本の豊かさは70年代に戻った?GDPは4位?賃金は韓国以下?どの調査が正しいのか
連載:野口悠紀雄のデジタルイノベーションの本質
https://www.sbbit.jp/article/fj/72359


GDPや生産性、賃金などを国際比較する際に、購買力平価という指標が用いられることが多い。ただし、この指標の利用には注意が必要だ。概念を理解しないで使うと、誤った結論に導かれる。これと関連して、「実質為替レート」という指標もある。これで見た日本人の「豊かさ」は、実はあの時代まで逆戻りしてしまっている。


続きはぜひ本編の記事で。




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大塚八坂堂
@MiraiMangaLabo
中国かわいいフィギュア、パルコだけでなく109や秋葉原でもショップが拡大しているが「日本のかわいい」と「ディズニーのキャラクター」が咀嚼され世界市場向け「かわいい」に更新されている。この「更新」力がかつての日本ポップカルチャーの活力だったのに今や中韓が凌駕。
大塚八坂堂
@MiraiMangaLabo
かわいいフォギュアは瑣末な事例で、中国ポップカルチャーを「パクリ」と侮っているうちに韓国も含めた「対世界市場」の「汎アジア形式」が作られつつある現実に目をそらしているとこの分野でも気がつくと後進国になりかねない。少子高齢化のこの国に市場を籠って生きるならそれでいいけれど。
大塚八坂堂
@MiraiMangaLabo
一方ではこのブーム、記号を消費する80年代日本の消費社会と重なるが、中国の巨大中間層の形成が背後にありそれが中国のオンライン資本主義と結びついている。中国経済をなんとか破綻したものと見たいようだが岸田政権と違い崩壊した中間層の復興でなく中国ではリアルタイムで形成されつつある。


The daily olivenews
@olivenews
高成長をしているIT企業は、猛烈に事業と人に投資しています。この「投資」は未来の付加価値生産の原資なわけですが、それを怠り、前記のように「支払いを減らす」という誰でもできる政策を続けたため、今や日本のGDPは世界の中で縮小の一途なのです。
The daily olivenews
@olivenews
「付加価値生産が増えなくても支払いを減らせば利益は出せる」という甘えが、一方では、付加価値生産を増やすための挑戦を失わせ、国はツケ回しを国民に押し付けた結果、消費が増えず、投資も増えず、悪循環が繰り返されたというのが30年不況の真相です。




町山智浩
@TomoMachi
賃金をおさえ円安を続けて輸出産業(全GDPの12%)の利益を確保し内部留保額と株価を上げて富裕層と外国の投資家を儲けさせても、原材料のほとんどを輸入に頼っている日本では物価が上がり続け、それをおさえるため人件費をさらに削減、スタグフレーションが進行し、GDPの8割を占める内需が冷え込む。
 







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「法人税を上げると企業は海外に逃げるのか?」


 これは誠に大きいテーマで、ぼくもずっと考えてるんだけど、すっきりした答は出てませんね。選挙を前に改めて考えてみたものの、やはり難しい。ここではとりあえず、ネットから拾わせて頂いたものを貼っておきます。それぞれの数値の検証や、細部の正確さについては検証していません。あくまでもご参考までに。いずれまたきちんと整理して、自分なりの結論を得たいと思っています。







Q法人税を上げると外国に企業が逃げるということをいう人がいますが、その具体的根拠を教えてください。


A 01
日本人だけを相手にしている日本企業であればそのようなことはあまりないでしょう。
しかし輸出中心の日本企業であれば、日本に拠点を置くメリットはさほどありません。海外移転費用と法人税負担のバランス次第です。
またそもそも外国企業であれば高い法人税を払ってまで日本に拠点を置く必要は少ないでしょう。
日本は言語的障壁のためにその動きは比較的穏やかですが、明治や昭和の時代は過去となり、今や経済はグローバル。お金を取ろうとしてかえって逃してしまう愚を犯すことになります。


A 02
純利益が減るから。
国際的に競争している業界では、法人税が低い国の企業のほうが利益が多くなり、投資等を有利に進められます。もちろん、日本企業がそう簡単に海外に本社を移すのは簡単ではないでしょうが。
ある総合商社の金属部門の別会社はシンガポールに本社を置きましたよ。これは税対策というよりも、顧客や、対面マーケットが東南アジア全体なので、日本よりもそこのほうが有利という総合的判断からだと思います。
個人は露骨で、所得税の低い国に資産を移したり、居住地を移すのは常識ですよね。それもあって、各国の課税当局が富裕層の資産情報を国際的に把握・共有する仕組みがありますね。


A 03
原則を言えば企業の本社所在地と納税地は関連がないと思っていますが。
例えばトヨタ。アメリカトヨタの納税はあくまでもアメリカ。日本のトヨタも日本での事業活動の部分しか日本では納税していないと理解しています。アメリカで販売した車の収益に対する納税はアメリカで行いますよね。さらに言えば、アメリカトヨタの利益を豊田社長のいる日本に送金しても日本の税務では確かその95%?程度までは非課税で送金できたはずです。大企業に限って言えば本社を海外に移すも何も、そんなメリット有りませんよね?海外収益の日本への送金までほぼ無税にしてもらっているのに、更に法人税を下げて企業には優遇。なのになぜ法人税が上がると海外に逃げるなんて言われるのでしょうか。(自動車産業の孫受け等事業によっては逃げたほうが明らかにメリットが高い場合も当然あるでしょうが)
具体的に法人税率と海外移転のシミュレーションとかってされているのでしょうか?





Q 法人税を上げると企業が海外に逃げていくという論法は正しいのでしょうか?間違ってるのでしょうか?


A 01
逃げる企業は既に法人税の低い国に逃げてます。法人税を強化すると、他の企業も対応を考えるでしょう。


実例:
税率17%+優遇措置を持つアジアの海外企業誘致国にグループ会社Xを設立。国内企業の形態には工夫が必要です。登記上の形態を変え、ITシステムを変更。X社がグループ内の製造会社から製品を安く買い、グループ内の販売会社に売る。これで利益をX社が持って行きます。製品物流は、これまで契約していた物流企業とX社が契約するようにしたら何も変わりません。海外に利益が移転されていますが、変わったのは商流だけです。


利益がどうなるか乱暴に言うと、


<商流変更前>
製造販売企業が原価50円の製品を卸店に100円で売る。利益50円、これが日本の法人税対象。


商流:製造販売会社→卸店
物流:製造販売会社→物流会社(製造販売会社契約)→卸店、大口顧客


<商流変更後>
海外法人が製造企業から原価50円の製品を51円で買い、販売企業に99円で売る。販売企業は卸店に100円で売る。製造企業の利益は1円、販売企業の利益も1円、これが日本の法人税対象。
グループ内の海外法人の利益は48円、これが税率17%の国での法人税対象。


商流:製造会社→X社→販売会社→卸店
物流:製造会社→物流会社(X社契約)→卸店、大口顧客


アメリカが21%、フランスが25%、UKが17%に法人税を下げようとしているのは、そういうマネをされるのが嫌だからです。プラス、自分が海外資金・企業誘致国になる。


業種によっては、管理機能だけ海外移転すれば良いかもしれませんね。
アマゾンが日本に納税していないのは、「管理機能はアメリカにある。日本にあるのは物流倉庫だけ。なのでアメリカに納税する」という主張です。




A 02
 2007年に政府税制調査会(首相の諮問機関)に提出された資料によれば、法人所得課税と社会保険料について日本の企業負担(05年度)は、自動車製造業ではフランスの73%、ドイツの82%、エレクトロニクス製造業ではフランスの68%、ドイツの87%でした。特に、日本は社会保険料の企業負担が軽いことが特徴です。
 また、経済産業省の委託調査「公的負担と企業行動に関するアンケート調査」によると、生産拠点の海外移転を計画している企業に理由(複数回答)を聞いたところ、「税負担・社会保障負担」は5番目。一方、海外に進出している企業に、仮に現行約40%の法人実効税率が30%程度まで引き下げられた場合、「国内回帰を検討するか」と聞いたところ、「検討しない」が7割にのぼります。「企業に負担を求めると海外に逃げる」という言い分に根拠はありません。




A 03
日本の法人税は実効税率で40%、おそらく主要国No.1とされています。
利益の4割、結構大きいです(しかも現金払い)配当より高いかもしれません。
ただし、「利益」の4割です。
つまり利益出していない連中は基本免除です。
例えば銀行、不良債権の繰り延べで殆ど税金払っていません。
あと日本の会社で法人税納めているのは25%だったりします。


A 04
税というのは、単純に税率だけを並べて論じるのではなく、事実上の負担を考えなければなりません。
AmazonやGoogle等が殆ど税を払っていないというのは有名な話ですね。国際課税ルールの隙間を突いた租税回避です。日本の場合は様々な補助控除等の抜け道があり、やはり大企業の事実上の税負担はかなり軽いと言われています。
日本の大企業が海外に逃げないのは、こういった事実上の税負担までを含めて考慮した結果です。但しホールディングスを作るところまでは進んでいますので、フットワークは軽くなっています。不利が募れば直ぐに脱出する準備はできていると言えるでしょう。
通常は税を下げると海外から企業は寄ってきます。しかしそれは、そういった大企業ではなく、租税回避スキルを持たない中小企業の話になります。当然それは国内の中小企業と競合するため、中小企業は疲弊し、ますます大企業との差が開くことになります。


A 05
高度経済成長期は、今の倍の法人税(40%)でした。 日本の経済は内需が6割で、国内で給料を払う事で活性化していたのです。
そもそも大企業優遇する様々な制度で、現在の法人税の累進税率最大23%のところ、ほとんど納めていません。逃げるわけがない。





21.10.24 このたびの選挙について。

2021-10-24 | 戦後民主主義/新自由主義



 昨日は試しにああいうことをやってみたけど、あまり上手くいったとも思えないんで、ふつうの感じに戻しましょう。ただし改行多めで。


 白票がどうこうって話がtwitterで話題になってるらしいけど、ちょっと何言ってるんだかわかんない。「棄権はいけない。さりとて信任に足る政治家も政党も見当たらない。だから投票所まで足を運んで白票を出そう」ってことらしいんだけども、アホかいな。たんに組織票を持ってる与党系の政党と政治家が高笑いするだけじゃん。


 東浩紀なんてもっと酷いこと言ってて、「棄権しよう。」って呼びかけてるっていうんだけどね、このひと、著作を読んだら相当アタマ良さそうに見えるんだけど、youtubeでじっさいに喋ってること聴いたり、twitter見てるかぎりでは、いわゆる「残念な人」ですね。バブル期に淵源をもつポストモダン派の残党がゼロ年代サブカルと融合して生まれたサブカル思想家。何もかもわかってるような顔してじつは何もわかってないんだなあ。それともあれか、新自由主義の隠し球としてネット工作でもしてるつもりか。いずれにしてもアフター・コロナの鉄火場においてはもはや無用の長物ですね。


 もちろん棄権なんて何の意味もないです。理由は上に書いたとおり。投票所まで足を運んで(それが無理なら郵送で)有効票を投じる。それこそがわれわれのもつ最大の権利。


 なにも屁理屈を捏ねまわす必要はないんでね。おっそろしくシンプルな話なんだ。ニッポンが今のままでいいと思ってるなら自民党に入れればいいし、何らかの変革を望むのであれば他の政党に票を投ずればいい。それだけのこと。あったり前の話なんだけど、言論でメシを食ってる連中なんてのは、あったり前のことを言ってちゃ目立たないから奇抜な発言でとにかく耳目を集めたがる。そんなのの相手してるほど今のニッポンは暇じゃないぜって話です。


 今回の衆院選は、平成15(2003)年11月1日以前に生まれた人が投票権をもつわけですね。ぼくは平成生まれに期待してるんだけども、たとえば非正規雇用で生活が不安定で思うようにパートナーも見つからず……しかもこのコロナ禍でいよいよ苦しく……といった境遇にある若い方が政権与党に票を投ずるのは生存戦略として誤ってますね。いまの与党は格差を是正する気は毛頭ないので。










 ここで問題になってくるのは維新なんだけど、まあ「あくまでもぼく個人の私見」と念のために断っておきますが、ひとことでいえばこの党は「自民党のやんちゃ部隊」です。本質においてはまったく同じ、というか伝統がない分さらに激烈。真正の新自由主義政党ですね。公務員を減らして外部に委託、しかるにその「外部」たるや例のアレ……というやつです。だから「よう知らんけど何かやってくれそう」とか「なんとなく清新なイメージ」とか「あの知事が若くてイケメン」といった雑駁な動機で投票するのは断固NGですね。


 もちろん「ワシは維新の『改革』で儲けとるんじゃあ!」とか「俺は新自由主義が大好きだ! インフラもなにもぜんぶ自由競争で行け!」って人が投票するのは正当なことだとは思いますけどね。私個人は行き過ぎた新自由主義が地方自治体や国を亡ぼすと考えてますが、逆の考えを持つ人たちを全否定する資格はない。だから新自由主義者があの党を支持するのは仕方ないなと思うけど、政党の本質をよく知らぬまま、イメージや思い込みによって支持をするのは民主主義の精神に悖(もと)るって話ですね。


 こないだのアメリカの大統領選挙をみても、必ずしも二大政党制が理想とは言い切れないけど、やはり特定政党が長期にわたって与党の椅子に座っているのは健全ではないね。それも、内部で熾烈な権力闘争やって或るていど多極化してればまだしも(平成初頭までの自民党はそうだった。それはそれで弊害ありますけどね勿論)、党の中枢の数人の実力者が一貫して権力を握り続けているのは異常だ。ほとんど社会主義国家と変わらない。


 2009(平成21)年9月から2012(平成24)年11月までの民主党政権は、けっきょくのところ新自由主義路線を転換できず、「自民党の二軍」みたいになって潰えてしまったわけだけど、かつての「社会党」ほどではないにせよ、もう少し「全国民レベルの平等」に重きを置く一般ピープル寄りの政党を育てなくてはいけません。今回の一票はそのためのものだと思っています。


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gero Silence can be violent.(沈黙が暴力になる事もある)
@garirou
テレビが国民側でない事が如実に分かるのが、野党が消費税5%に減税すると言っているのに、それを全くといっていいほど報道しない事。5%になれば、みんなが大助かりで、国民側のメディアであれば、お祭りのように大々的に報道するけど、それが「シーン」というのが、彼らが国民側でない何よりの証拠。
gero Silence can be violent.(沈黙が暴力になる事もある)
@garirou
よく考えてみてください。法人減税をするたびに、企業の留保金や配当金などの貯蓄が増えて、その反面、消費税で私達の生活が貧しくなっていった事を…国際的な成長率の比較をすれば、この30年で、殆ど全くと言っていいほど成長していないのは日本だけです。
gero Silence can be violent.(沈黙が暴力になる事もある)
@garirou
法人企業統計を見れば、明らかに日本の法人税は諸外国よりも安いのにも関わらず、それをさらに安くするべきだと報道してしまう。安くするのが景気にいいかのような嘘を流し続けてきたのが日本のテレビメディアです。真っ赤な嘘です。実際は、法人減税するほど貯蓄が増えて、経済縮小圧力になります。









思うところをTwitterふうに書き連ねていこう 21.10.23

2021-10-23 | 戦後民主主義/新自由主義
140字では考えを伝えられないからツイッターじゃなくブログやってるんだけど、選挙まであと1週間という状況で、ゆっくりと草案を練っている余裕がない。そこで、こんな形式で思うところを披歴していくことにした。うまくいったらお慰み。
@eminus downword


さて。岸田さんになっても依然として党の実権を握っているのは安倍元首相だと思う。それで、その安倍氏の目指すところはどこなのかって話。まずここから行きましょう。
@eminus downword


それを端的にあらわすのはやはり改憲案でしょうね。自民党の改憲案は「公」を強調するけど、これが「公共の福祉」だと思ったら大間違いなんですよ。ここはすごく重要ですね。
@eminus downword


自民の改憲案が指す「公」って、「公共の福祉」じゃなく、ずばり「国家」なんだよね。国家のために国民ひとりひとりの基本的人権を制限するといっている。つまり目指す先にはかつての昭和10年頃から敗戦時にかけての「軍国主義≒国家社会主義」的な国家像があるわけだ。
@eminus downword


自民党は大政党だから幅も広くて、もっと穏健な思想の人たちもいる筈だけど、少なくとも安倍元首相まわりは、「愛国」を隠れ蓑にして「国家社会主義」的な国柄に戻そうとしてますね。そして、それが党の主流になってる。
@eminus downword


もちろんそれは中国のことがあるからだろう。中国の脅威というのはけっして絵空事ではないから、この10年ほどでこういう発想が相応のリアリティーを持ってきたのはわかる。9条を改めて、自衛隊を「国防軍」に昇格させるべきだと考える国民が一定数いてもフシギはない。
@eminus downword


ただし、本気で中国と軍事的に対峙するのなら(それだってもちろん、あくまでも米国のてのひらの上での話ですが)、この先いよいよ「自由」と「民主」は徹底して蔑ろにされる。上で言ったとおり、「国家社会主義」的な体制へと否応なしに接近していくわけね。
@eminus downword


「怪物と闘うものは、自らも怪物にならぬよう用心せよ。」というニーチェの(サブカルにも援用されまくってすっかり有名に……というか陳腐になった)箴言なども思い起こされるところですけども……(ちなみに出典は『善悪の彼岸』)。
@eminus downword


だから、自民党がその路線を進めていくのなら、「自由民主党」という党名はもう変えるべきですね。紛らわしいから。
@eminus downword


そもそも「自由」とは、「民主」とはなにか?
@eminus downword


敗戦後10年間は保守政党が分裂してて、いわゆる55年体制でようやく「自由民主党」が成立して安定に向かうわけだけど、ここで「自由」と「民主」を標榜したのは要するに「オレたちは社会主義じゃないよ。」と言ってるわけね。
@eminus downword


1955(昭和30)年から始まった55年体制は「自由民主党」と「日本社会党」とのセットだったわけ。「保守」と「革新」のワンセット。むろんアメリカに従属する西側ナンバー2の国だから常に自民が政権を握ってるわけだけど、しかしその裏側にはずっと社会党があった。
@eminus downword


保守と革新、右と左、資本側と労働側、いろいろ言い方はあるけども、この絶妙なバランスが栄えある戦後ニッポンの高度成長を支えたわけね。
@eminus downword


社会主義にもいろいろレベルがあるけど、ポイントは、「平等」に最高の価値を置くことですね。代わりに「自由」や「民主」が犠牲になってもしょうがないよ、と。じっさいソ連もそうだし、毛沢東の中国もそうだったしね。
@eminus downword


でも、戦後ニッポンのばあいは、それまで貧しかった層が底上げされて、中間層が分厚くなったことで、「平等」と「民主」とがうまい具合に両立しちゃった。これはほんとに幸運だったと思う。
@eminus downword




21.10.21 とにもかくにも中間層。

2021-10-21 | 戦後民主主義/新自由主義











 ぼくは別段どの政党のシンパでもないので、きちんとまともな政治をやってくれさえすれば本当にもうどこでもいいのだ。しかし安倍政権の7年8ヶ月、およびそのオマケないしシッポみたいな菅政権の1年はあまりにも酷かった。売り物であるアベノミクスは失敗だ。格差が広がり、しかも企業は内部留保を増やしただけで、肝心の国際競争力を失いつつある。つまり日本は成長していない。ただ日銀から資金を注入して株価を買い支え、それを糊塗しているだけである。


 「小さな政府」をうたって規制緩和を進めるも、儲けるのは誰かさんの縁故の系列企業のみ。公的サービスや社会保障を切り詰める点では確かに政府は小さくなっているのかも知らんが、財政面で節制をして健全化を成し遂げているわけではまったくない。それが証拠に税金だけはどんどん上がっているではないか。選挙後に消費税19%などという声も出ている。正気か。コロナ禍で困窮する事業者などへの補償となるとすぐさま「自助」だの「財政規律」だのと切り返すくせに、オリンピック/パラリンピックの4兆円の大赤字についてはまったく触れない。マスコミさえも。これが日本版・新自由主義の正体なのだ。


 ぼくは2006(平成18)年にブログをはじめた時から、政治の話になると中間層中間層と一つ覚えのように書いてきた。国家を支えるのは一握りの金持ちではなく分厚い中間層にほかならない。それは古代ギリシア・ローマから中世、近世、近代を経て今日にいたるすべての事例が証明している。資源に乏しい貿易国家の日本を成り立たせているのが大企業であることはもちろんだが、その大企業が世界に伍すためのイノベーションを支えてきたのは消費者としての豊かな中間層だった。それこそが戦後ニッポンの原動力だった。そこに立ち返らなくてはだめだ。


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参考資料


2021.10.03
韓国が日本を抜いていく――これがアベノミクス時代、最大の「事件」だ
円安に安住して技術革新を怠る
野口 悠紀雄




再編集版・いまの日本のどこがやばいか。

2021-10-17 | 戦後民主主義/新自由主義
 本年(2021)8月18日にアップした記事を、編集のうえで再掲載。




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 いまの日本がやばいのは、今回のコロナ禍のような大きな災害が起こった時に、政治家や官僚といった国のトップの人たちが、「この問題にいかに対処し、どうやって解決するか?」という真っ当な思考に向かわずに、「この非常事態を利用して、いかに自分たち(政治家ならば所属政党および自らの身内や仲間、官僚ならば所属する省庁や関係機関)に利益をもたらすか?」ということばかりにアタマがいっちゃうってことなんだよね。
 これ、大半の人は「いくら何でもそれはないだろう。極端なことを言うんじゃないよ。」なんて思って読み飛ばすんだろうけど、ぜんぜん誇張でも歪曲でもないんでね。試しにいちど、騙されたと思って、日々のニュースをそういう視点で見てみてください。いろいろと腑に落ちるはずだから。
 大事なことだから二度いいましょう。
 いまの日本では、政治家や官僚といった国のトップの人たちは、今回のコロナ禍のような大きな災害が起こった時に、「この問題にいかに対処し、どうやって解決するか?」という真っ当な思考に向かわずに、「この非常事態を利用して、いかに自分たち(政治家ならば所属政党および自らの身内や仲間、官僚ならば所属する省庁や関係機関)に利益をもたらすか?」ということだけを考えています。
 付け加えるまでもないと思うけど、念のために言っておくと、なにしろ非常事態なんだから、すぐに対応しないとたくさん犠牲者は出るんですよ。犠牲者は出るし、いずれは社会全体も回らなくなる。それが重々わかっていながら、自分たちの周りの利益だけしか目に入らない。
 そういう思考が刷り込まれてるというか、身に付いてしまっているわけね。それはおそらく2001(平成13)年からの小泉=竹中による「構造改革」に端を発すると思うんだけど、ここまで酷くなったというか、もう「当たり前」になってしまったのはやはり2012(平成24)年9月からの第二次安倍政権による7年8ヶ月のあいだだろうね。
 どんな組織にもそれなりに良心や良識をもった人たちは一定数いるはずなんだけど、そういう人たちが出世できないというか、生き残れなくなってるんでしょうね、今や。だから「今だけカネだけ自分(たち)だけ」ってタイプしかいなくなっちゃった。
 国ぜんたいがそういう体質になってて、もちろん菅義偉政権はそれをそのまま引き継いでいる。この人はずっと安倍内閣の官房長官だったわけだし、中抜き平蔵もそのままずっとブレーンとして居座ってるしね。
 こういうのを「惨事便乗型」っていうんですけどね。ナオミ・クラインというカナダの女性ジャーナリスト/作家/活動家が、『ショック・ドクトリン』という本を書いて、そういう概念を打ち出した。岩波書店から邦訳が出てますが。
 オリンピックは災害じゃないけど(コロナ禍の下での強行開催は、じっさいにはほぼ人災ですけども)、まあ同じことですね。あの超巨大イベントを通じて、莫大な予算(血税)をいかに中抜き(ピンハネ)するか、という大テーマに政治家(国会議員と知事をふくむ)・官僚・政商(人材派遣会社・広告代理店その他)たちがひたむきに取り組んだ。その成果がアレだったわけですよ。
 まえに経済思想家・斎藤幸平氏の「祝賀資本主義」というコンセプトを紹介したけれど、これはべつに斎藤さんだけじゃなく、いろんな方がいってますね。元ネタはジュールズ・ボイコフ氏の『オリンピック秘史 120年の覇権と利権』(邦訳は早川書房)のようだけど。
 「惨事便乗」と「祝賀便乗」、このふたつ、構造としては一緒なんだよね。惨事(災害)は恐怖と不安とをもたらし、祝賀は高揚と歓喜とをもたらす。どちらも非日常って点では同じ。つまり、大衆が平常心を保ってられない状態。しかも法が整備されてないから、手続き上、穴がいっぱい空いてるのね。そこにつけこんで好き放題やり散らかすわけだ。帳簿も書類もぜんぶ隠匿、ないしは破棄しちゃってね。
 大多数の国民がそのことに対して怒らない、というよりも、その仕組みにさえまるで気づいていない、という点がほとほと恐ろしくて、ほとんど慄然とさせられるんだけど、なんだろう、やっぱり、「お上のなさることに間違いなんぞあるわけがねえ。お上に物申すなんざもってのほかだ!」という信仰に縋りつきたい人がそれだけ多いってことかねえ。民主国家じゃないんだよなあ。「欧米か!」ってギャグが昔あったけど、「江戸か!」と言ってみたい気分だね。
 まあ、オリンピックに関しては、マスコミの責任も重大だけどね。テレビしか観てない層は、そりゃ疑いなんか持ちませんよね。朝から晩まで五輪五輪ってやってんだから。
 平時ならそれでもよかったんだよ。ぼくはもともと五輪反対だけど、平時だったらここまで言わない。五輪をやったら感染拡大してえらいことになるのは小学生にだってわかる。それを無理やり強行したんだから、批判しないほうがおかしいでしょう。それをマスコミと国民が一緒んなってキャーキャーキャーキャー大騒ぎして、何やってんだって話なんですよ。
 テレビがあんなぐあいになっちゃったのは、第二次安倍政権の7年8ヶ月のあいだに抱き込まれたってこともあるけど(ちなみにそういった工作を担当したのは主に菅義偉氏だといわれています。実務能力は乏しいけれど、その手の裏工作には長けているタイプはどんな時代にもおりますが、そういう人が出世したり、あまつさえトップに立ってしまう国というのはとうぜん遠からぬうちに衰亡します)、それより何より、テレビをはじめマスメディア自体がそもそも「受益者」の側なんだよね。
 もはやテレビ業界も広告代理店も似たようなもんだけど、幹部がおおかた大物の二世三世とか縁故だったりするわけですよ。いうところの「第4の権力」までもが体制側になっちゃってる。それでどこまで公正な報道が期待できるんですかと。
 小泉=竹中政権が始まって間もない頃、橘玲(たちばな・れい)という経済や金融に詳しい作家が『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』という本を出したんだよね。で、その冒頭に、




「日本は、黄金の羽根を撒きながら堕ちていく天使に似ている。黄金の羽根は、国家、株式市場、不動産市場など経済活動をともなうすべての場所に落ちている。」




 という印象的なフレーズがあった。
 ……だから、その「黄金の羽根」の拾い集め方を指南しますよ、という本だったんだけど、あれからほぼ20年を経て、今やもう、「すでに地上が目に入るところまで落下してきた天使に、合法的なならず者どもが寄ってたかって襲い掛かり、手当たり次第にその黄金の羽根を毟り取っている。」といった様相を呈してますね。
 橘さんが言ってた頃の「天使の墜落(日本の凋落)」とはもっぱら経済のことだったんだけど、2011(平成23)年の東北大震災およびフクシマの原発事故で、なんだか「底が抜けちゃった。」感がありますね。コロナはその追い打ちで、いまは二番底が抜けたというか、「まだ底があったのか……」という感じなんだけども……。
 これは21世紀の日本式新自由主義のなれの果てではあるけれど、いっぽう、たんに「戦前」に回帰しただけとも言えるんですよ。それは前に紹介した白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)にもかかわってくる話だけれども、大雑把にいって、明治この方敗戦まで、日本の社会ってのはそんな按配でした。とにかく「カネ持ってる奴が偉い。」ってんで、民衆の人権なんて吹けば飛ぶようなもんだった。なにも戦時中だけ人の命が軽かったわけじゃないんだよ。
 私は昨年(2020)の12月に「『社会主義』はなぜ危険なのか?」という3回シリーズの記事を書いて、いやもちろん社会主義は危険極まりないんだけども、『』で括ったことからもわかるとおり、それはソ連≒中国型の暴力革命によって成立した『社会主義』のことであって、政治用語としての社会主義の理念であるとか、あるいはまた、運動としての社会主義そのものを全否定しているわけではない。ニッポンの情況がここまでおかしくなってくると、均衡を保つために、今はかえって「社会主義の理念」とか「運動としての社会主義」などの意義を強調しなくてはいけないのかなあと思っています。何事も中庸がたいせつなのであって、政治面でも経済面でも、左右いずれかに極端に振り切れるのは禁物なわけです。





☆☆☆☆☆☆☆☆


 あと、これはこれでまた大問題。



ニューズウィーク日本版
藤崎剛人
岸田首相はDappi疑惑を放置して衆院選を戦うのか
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/10/dappi.php





冒頭部分




<自民党が野党に対するデマを広める目的で、この匿名ツイッターアカウントを利用していたとすれば、河井克行元法相が対立候補を貶める架空ブログを業者に書かせていたことに匹敵する事件だ>




10月9日、オーストリアのセバスティアン・クルツ首相が、自分に有利な報道を流すようマスメディアを買収していた疑惑が発覚し、辞任した。一方、日本でも、ある企業が運営するSNSアカウントが、政権与党と通じて野党や野党議員に対するデマを流したり誹謗中傷をおこなっていたりしていたという疑惑が持ち上がっている。


マスコミを買収して自分に有利な世論調査結果を報道させる
クルツ首相は、2017年に当時31才で首相に就任し、極めて若い国家指導者として話題になった。所属政党の国民党は中道右派政党だが、クルツは極右政党である自由党のお株を奪うような移民排撃の右派ポピュリズムによって人気となり、一躍リーダーとなったとみられていた。


しかし、ここにきて彼が首相に就任する前の2016年から2018年にかけて、クルツが自分に有利な世論調査報道を行うよう大手マスコミに持ちかけ、後日、その謝礼として公金が支払われていたという疑惑が持ち上がった。クルツはこれを否定しつつも、連立パートナーの緑の党の要求もあって「混乱を招かないため」という理由で辞任を選択した。




一方、日本ではDappiというTwitterアカウントを巡って疑惑が持ち上がっている。このアカウントは、専ら野党議員をデマや中傷を交えながら攻撃するアカウントとして知られており、多くのフォロワーを抱えていた。………………


続きはぜひ本編の記事で。


 そして、この醜聞から連想される、いまの自民党のなりふり構わぬ世論操作と、「違う陣営のものに対するヒステリックな誹謗中傷」の手口を目の当たりにすると、この8年間にわたって事あるごとに聞かされた、例の「悪夢の民主党政権」なるレッテル貼りにも否応なしに疑念がわく。
 それについて書かれた記事がこちら。

週刊ゲンダイ デジタル版
中川 右介
民主党政権はそこまでひどかったのか? 安倍政権と比べてみると…
政策実現力と危機対応力を検証


冒頭部分

 
「悪夢の民主党政権」は本当か
珍しいことに、今度の総選挙は、総理大臣が何の実績もない状態での選挙となる。


岸田総理は、国会で所信表明演説をしただけで、ひとつの法律も提案すらしていない。「こういうことをやりたい」と言っているだけで、何もしていない。


現内閣が実績ゼロでの総選挙だ。


「総理としての実績が何もない」ことでは、野党第一党の立憲民主党の枝野幸男代表と同じだ。


いや、枝野代表には何の実績もないが、岸田総理には外務大臣などの要職の経験があるから、政治家としては実績がある――という反論があるかもしれない。しかし枝野代表も、かつての民主党政権では官房長官や経産大臣を歴任している。



岸田総理と枝野代表は、「総理としての実績はないが、政権のひとりだった経験はある」点で同じだ。


いやいや、岸田総理はまだ何もしていないかもしれないが、自民党はずっと政権を担い、うまくやってきたが、枝野代表が前にいた民主党政権はひどかったじゃないか、とても任せられない――そう思っている人も多いだろう。


しかし、本当に民主党政権はひどかったのだろうか。



続きはぜひ本編の記事で。






21.10.16 試論・ニッポンの現状の総括③ 右傾化について

2021-10-16 | 戦後民主主義/新自由主義






 ぼくなんかの子供の頃から見たら、今のニホンは異常なくらい右に寄ってるんだけど、ひょっとしたら平成半ば生まれの人にとっては、これがそのままデフォルト(初期設定)になってるんじゃないか。そう考えるとちょっとコワい。
 きっかけになったのは90年代半ばの「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり(1953/昭和28年 生)だろう。日本版wikiの当該項目をみると、果たして、


しばしば「ネトウヨの生みの親」と指摘される……


 と記してある。ただしそれには続きがあって、


 ……指摘されるものの、小林はネトウヨを嫌っており、「ネトウヨは『戦争論』の副作用である。」「隣の国の悪口で自我を肥大させ尊大になっている日本人なんて美意識のカケラもない。」と強く批判している。


 ともある。ヘイトスピーチを批判しているのだ。意外と真っ当なのである。


 遡ると、1996(平成8)年に「新しい歴史教科書をつくる会」という団体ができて、従来の歴史教科書は「自虐史観」に貫かれている。という主張を声高に述べた。このあたりから潮目が変わってきたと思う。
 このとき藤岡信勝、西尾幹二、田中英道といった論客が押し出してきたのだが、若い世代に強くアピールしたのは、こういった人たちの言説ではなく、やはりマンガで描かれた「ゴーマニズム宣言」のほうだった。ビジュアルのインパクトは強烈なのだ。
 ゼロ年代いこう、かつて小林よしのりがいたポジションに鎮座するのは百田尚樹(1956年/昭和31年 生)だろう。このひとは作家なのだが、youtubeに盛んに登場して安倍応援団の主力タレントとして活躍している。かつてヒトラーは、大衆の人心掌握術の要諦として、「とにもかくにも、一にも二にもわかりやすく、わかりやすく。大衆はろくに本など読まぬのだから、論説で訴えかけても無駄である。スピーチがいちばん効果的だ。」といった。
 さすがに真理を突いている。
 1968(昭和43)年、全共闘運動の際には、学生が「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」を携えていると揶揄されたものだが、今やもう「マンガ」でさえも媒体としては回りくどくて、youtubeでまくしたてて顔を売るのが最適解なのだ。スターyoutuberが巨万の富を得るのも道理だ。
 百田尚樹は、小林よしのりとは違い、ネトウヨを忌避しておらず、それどころか、自らヘイトまがいの弁舌をふるうことも辞さない。
 2012(平成24)年の第二次安倍政権発足いこう、もはやウヨク的言説は異端ではなく、ネットでは大勢を占めるに至ったかにみえる。
 こうなった理由はシンプルで、日本の国力が弱くなり、代わって中国がべらぼうに台頭してきたからである。さらに韓国までもが経済力・技術力で日本に迫り、部門によっては上回っている。
 戦後長らく日本がアメリカに次ぐ世界第2位を堅持していて、ナショナル・アイデンティティの裏打ちとなっていたGDPも、2011(平成23)年に中国に凌駕されてしまった。なお、一人当たりのGDPでは、2018年度に韓国に抜かれてもいる。
 むろん、GDPがそのまま経済力をあらわすわけではないし、ましてや国民ひとりひとりの幸福度となればまったくの別物といっていい。しかし、それにしても、こなたが弱くなり、あなたが強くなっている事実はごまかしようもない。
 日本が衰退しているのだ。そして、これまで下に見ていた隣国が肩を並べ、ぐいぐいと上を目指している。それゆえにニホン国内では、国粋主義が盛り上がっている。焦燥、不安、苛立ち、そして歪んだ優越感、そういったものの複合体。つまり本来の意味でのコンプレックス……その発露だ。
 シンプルすぎてナミダが出るような話である。
 眞子さんは宮内庁を介して、国民の切なる声をことごとく「誹謗中傷」と一括りにして拒絶したらしいが、世の中には無謬のものなどありえないので、どのような存在であろうととうぜん批判を受ける余地はある。中にはもちろん「誹謗中傷」も「ヘイトスピーチ」もあるわけだが、そこから「正しい批判」を選り分けて、聞くべきものには耳を傾け、自分自身にフィードバックして、絶えず改善を試みるのが肝要なのだ。
 今の自民党にいちばん欠けているのもその姿勢で、政権与党のそのような態度は、国民主権の民主主義を蔑ろにするものだ。その点において、中国共産党とどれほど違うのかと言いたい。ほとんど程度問題ではないか。
 中国や韓国に対する意見も、もとよりすべてがヘイトではなくて、正当なものも少なからずある。いや、「本来ならばぜひ言っておかねばならない」ことがたくさんある。むしろ、ぜひとも言っておくべきなのに、政府が「外交上の配慮」から口にしないことのほうが多い。面と向かって口にできないそういった不満の数々が、ネット上でのヘイトになったり、もう少し大きな媒体として、「will」や「月間hanada」の記事になったりする。そんな言い方もできる。
 しかし、相手国に対して直にいうべきことならば、やはり様々な手立てを尽くして、どうにかして相手に伝えるのが筋だ。少なくともそう努めるのが筋だ。国内だけで気炎を上げて言いたい放題で憂さを晴らしても、結局それは、小林よしのりのいうとおり、「美意識のカケラもない」ふるまいでしかないだろう。ましてや政府の要人クラスがそれをやるのは論外である。
 そして、無法なことを仕掛ける隣国に対して、言うべきことをきちんと言うためには、やはり十分な国力が要る。国力を真に担うのは大企業や富裕層ではなく(なぜなら大企業や富裕層はたやすく国境を越え出ていくから)、健全なる分厚い中間層なのである。だから中間層を潰して貧困層を増やしまくる政権は「愛国」とは程遠いのだ。つまり「新自由主義」は「愛国」的ではまったくない。ネトウヨ的な指向をもった人たちが新自由主義政権へと回収されるトリックをどうにかして打ち破らねばならない。




21.10.14 試論・ニッポンの現状の総括② 中間層

2021-10-14 | 戦後民主主義/新自由主義
 選挙を前に、岸田新総理も、立憲民主も他の野党も、こぞって「中間層の復興」をうたっている。ぼくが自民の総裁選の時から述べていたことが裏打ちされた格好だが、むろん先見の明を誇るような話ではなく、誰しもが先刻承知している当たり前のことが、ようやく前面に出てきただけである。


 ただし岸田首相は、はじめ「分配なくして成長なし。」と言っていたのに、すぐ「成長なくして分配なし。」になってしまった。安倍元首相とか、財務省とか、色んなところから怒られたのだろうか。しかし、仮に「成長なくして分配なし。」だとしても、自民党の建前としては、アベノミクスでニッポンはじゅうぶん成長している筈なのだから、選挙を待たず、今すぐ直ちに分配を始めたらよいではないか。これでは「アベノミクスで日本は貧しくなった。」と与党自らが認めているに等しい。


 いや、きちんと認めて、「これまでは誤っていました。」と国民に向かって反省の辞を述べたうえで、政策を転換してくれるのであればそれに越したことはないのだが、今すぐに取り掛からないということは、たぶん選挙が終わっても取り掛からないだろう。


 岸田氏については、「まことに久しぶりにまともな人が首相をやっている……。」と素朴に思っているのだが、まともなぶんだけ迫力に乏しく、自民党はあるいは議席を減らすかもしれない。といって、その分だけ維新が議席を増やすことにでもなれば、依然として獰悪な新自由主義の世が続くだけであり、まるで明るい展望はみえない。だが迫力不足で頼りないという点でいえば、野党第一党たる立憲民主党もまた然りで、困ったものである。


 それでも、明らかな一党独裁は民主主義に反するのはもちろん、自由主義にすら抵触するわけだから、とくに大きな期待は持たぬまま、「政権交代」の可能性に賭けてみるしかないか……と考えてはいるが……。


 「分配」は不可欠だが、たんにそれが、政府によるバラ撒きではあってはダメなわけで、見たかぎり、れいわ新選組とか、共産党のいっていることは、それに該当するようにぼくには映る。そうではなくて、特定のルートを辿って一部の富裕層に流れ込むマネーや、大企業が脱税をして貯め込んでいる内部留保がうまく労働市場に放出され、所得として一般庶民に行きわたるようにするのが望ましい。だとすればしかし、厳然と出来上がってしまったシステムそのものを改変せねばならないわけだから、一朝一夕にはいかないだろう。自民党内で首相が代わっただけで簡単に可能になる話ではないし、もしも政権が代わったとしても、すぐ目に見える結果が得られる話でもない。


 ところで、さっきネットを見ていたら、いわゆる「そもそも論」というやつで、「そもそも中間層とは何ぞや。」という考察があって、面白いから読んでたのだけども、いい所で「この先は有料です。」と言われてしまった。近ごろはこういうのが増えて弱る(まあぼくも「バナナフィッシュ」でやっているのだが)。それでも、「中間層とは何ぞや」という定義については、無料でみることができた。以下のとおりだ。


就業人口の20.6%を占める
平均年収は499万円
世帯平均年収は798万円
配偶者あり79.4%(男性)、68.2%(女性)
高等教育を受けた人の比率が61.4%と際立って高い
週平均労働時間は43.4時間で資本家階級(45.1時間)より短い
貧困率は2.6%で資本家階級(4.2%)より低い
パソコンなどの情報機器の所有率も資本家階級を上回る
自分を「人並み以上」と考える人は42.8%




 社会学者・橋本健二氏の著作『新・日本の階級社会』(2018 講談社現代新書)からの引用らしいが、出典が3年前の本だし、そこに記されていた統計となるとさらにデータは古いだろうし、しかもコロナ禍も加わって労働環境が激変してるからどこまで当てになるかは不明だけれど、いずれにしても、この記事を書いた河合薫氏も敷衍しているように、これは「かなり恵まれたプロフィルを持つ人たち。いわゆる“エリート”」であることは間違いない。


 ぼくのいう「中間層」はそんなたいそうなものではなくて、「安定した正業に就き、20代半ばで家庭を持ち、平均して2人以上の子供を産んで育てる層」くらいの意味だ。こういう考え方が「ライフスタイルの多様性」を重んじる「リベラル派」から煙たがられるのはわかるが、しかし実際に戦後の日本を築いてきたのがそういった層だというのは紛れもない事実である。


 「世に倦む日日」氏はこういった層に支えられた戦後日本のありようを「戦後日本の社会システム」と呼んで、その中身をなすのは「終身雇用制・年功賃金制・護送船団方式・4人家族標準世帯基準」だといっている。妥当な意見だと思う。少なくとも90年代半ば頃までは、日本でもまだこういう世帯が大半を占めていたはずだ。それが崩れ始めたのは「自民党をぶっ壊す!」といって実際にはその「戦後日本の社会システム」をぶっ壊してしまった小泉純一郎=竹中平蔵コンビと、ほとんど狂騒に近い勢いでそれを支持した有権者のせいである。だから現下の日本の窮状はわれわれの自業自得ともいえるのだが、その人たちの多くは今も維新を信奉していたりする。何かしら得をすることがあって自民や維新を支持するのならまだ理解もできるのだが、ほぼ一方的に搾取される側でありながら一貫して新自由主義サイドを称揚する人たちが根強く存在することは、ありふれた光景だとはいいながら、やはり奇観といえば奇観である。



☆☆☆☆☆☆☆☆




追加メモ。「特定のルートを辿って一部の富裕層に流れ込むマネー」の一例。
町山智浩
@TomoMachi
電通はテレビに番組のスポンサーシップやCM枠を局に代わって売るから、テレビは電通に逆らえません。電通&自民党&メディアは離れがたい利益共同体で、公平な政治報道が不可能になっています。独占禁止法で、電通のメディア支配の割合を減らす必要があります。
町山智浩
@TomoMachi
広告費が減収するなか、自民党&電通&メディアの利益共同体性は以前よりも強くなっています。テレビはイベントや映画などの事業部収入が占める割合が大きくなり、それを企画しているのが電通だからです。そして自民党&電通&メディアが結束して税金で行ったイベントが五輪なわけです。
町山智浩
@TomoMachi
日本全体の産業規模が縮小し、広告代理店としての収入が縮小するなか、電通にとって自民党は最大の大手クライアントです。なにしろ五輪のような巨大な仕事を次々に回してくれるのですから。日本最大のプロパガンダ装置である電通と自民党の癒着を断つ立法化なしに公正な民主主義はありえません。



ふふぽぽ
@fufu99ri1
電通だけじゃない。経済がじり貧になり、少子高齢化で人口減少に転じたから、日本は市場としての魅力が失われている。そこでメディアも含めて、すべての営利企業が政府や自治体などの公共に食い込むことで生き残ろうとしている。ものすごく不健全な依存の仕方。権力機構と共倒れ関係になっている。


町山智浩
@TomoMachi
日本人の平均年収は30年間で1700ドルしか増加せず、平均4万ドルの韓国に追い抜かれた。1人当たりGDPは世界1位から24位に転落した。
 日本企業の競争力が弱体化したのは、円安にもかかわらず積極的な投資に手をこまねき、人件費を抑制して内部留保だけを増やしたからだ。











masahiro nishikawa
@masahironishika
「なぜ国民は政治に対して怒らないのか」というツイートを見かけたのだが、一気にまたは劇的に貧しくなったのなら国民も気付くのだろうが、自分の周囲を含め時間を掛けて徐々に貧しくなった場合、原因を自分の努力不足や人間関係に還元してしまうため政治が原因だと気付きにくいのではないだろうか。






(引用元の皆様には心より御礼申し上げます。)






21.10.05 試論・ニッポンの現状の総括①

2021-10-05 | 戦後民主主義/新自由主義







 「保守」と「自由主義」とは、正反対とまではいえないにせよ、本来ならば相容れぬ用語のはずだ。自由主義はいうまでもなく闊達な市場経済を諒とするが、そのばあいの市場とはすなわちカネ・商品・ひと(労働者/消費者)が流通する場の謂(いい)であり、その流れの度合が甚だしければ甚だしいほど「景気が良い」とされる。80年代(エイティーズ)後期ニホンのバブル経済が好例だ。あのときは土地(の資産価値)までもが目まぐるしく市場を駆け巡り、そのたびにますます価値を跳ね上げていた。狂奔に近い。


 バブルの例は極端にせよ、一国がそのような状態にあれば旧来の枠組は急激に崩れ、新たな形態へと変動していくのが道理である。しかもその変動のプロセスには絶え間がない。いうならばそれが「モダン(近代/現代)」のありようといっていい。「近代」そのものが自由主義的なのである。いっぽう、「保守」とは「変動を好まぬこと」なのだから、「保守」と「自由主義」とは相容れようはずがない。


 幕末、「桜田門外の変」(安政7年3月3日/太陽暦では1860年3月24日)のさいに犯行に及んだ水戸浪士たちの「自訴状(素懐痛憤書)」のなかに、「實ニ神州古來之武威を穢し、國體を辱しめ、祖宗之明訓孫謀ニ戻(もと)り候……、」との一節がある。「神州」とはむろん日本のことをいっている。「國體」は厄介な単語だが、まず「長い伝統によって培われたこの国のありよう」くらいの意だろう。あえてここでは簡明にすべく「国の体面・面目」と訳してみると、「(外国人を受け入れたことで)この神の国が古来より誇ってきた威光を汚し、国の体面を丸潰れにして、祖先たちの尊い教えや深い思慮に背いた……、」と憤激しているわけだ。


 水戸は御三家の一つ(慶喜が出た)でありながら名だたる尊皇藩だった。1860年といえば、「日米和親条約」から既に6年が経っている。幕府そのものが開国へと舵を切っているのだ。それに抗って「攘夷」を叫び、幕閣のトップの暗殺にまで及ぶ。たかだか250年余りの歴史しか持たぬ幕府より、2500年を超す「皇紀」を絶対視せんという姿勢である。「保守」というならこれこそまさにそうだろう。ほとんど「妄信」ないし「狂信」にまで高められた信念。「近代」にあっては、「保守」を貫徹するために「熱狂」が必要となるのだ。ここにひとつの逆説がある。


 日本近代史のみならず日本史そのものにとっての最大の出来事のひとつというべき「開国」を経済の面から大きく見れば、「自由主義への転換」と要約できよう。江戸期後半には大都市を中心に商品経済がかなり発達してはいたのだが、根底には農本主義が横たわっており、それゆえにあまたの矛盾が蓄積されてきた。開国そのものは外発的な要因だが、内側もそれなりに熟していたのだ。そのような時に黒船が来た。日本がアジアで最も迅速かつスムースに近代化できた所以はそこにある。しかし後進はあくまで後進である。ここから日本は、欧米の主導する「近代世界システム」へと否応なしに組み込まれていくことになる。


 概念としての「自由主義」の行きつく果て、完成形は「リバタリアニズム」である。なにもかもが自由になる。さすがに「他者の身体および正当に所有された物質的・私的財産を侵害せぬ限り」という但し書きは付いているものの、原則としては、個人は己の欲望の赴くままに何をしてもよい。まだ新しい理念であるからいろいろな論者がいるが、「最終的には政府の解体 ~ 国家の廃止にまで至る。」と説く人もいる。アナーキズムだ。私のような性格の者は、アナーキズムと聞いたら「北斗の拳」で繰り広げられる劇画チックでグロテスクな弱肉強食の地獄絵巻しか思い浮かばないが、「すべての人間が解放された理想郷」を思い浮かべる人もいる。どのみち夢想のなかの話だから、各々がその世界観・人生観に応じて、これら両極のあいだに自分なりの像を結べばいいのだろう。夢想のなかの理念としては、リバタリアニズムはたしかにそれなりの魅力を放ってはいる。


 現実のニホンが依拠しているのは新自由主義(ネオ・リベラリズム)だ。これも新しい概念であり、日本版wikiには「1990年代以降この用語は定義困難となり、思想、経済理論、開発理論、経済改革政策などを表現する複数の意味で使用され、……」などと心細いことも書かれてあるが、一般的には、当の日本版wikiの冒頭に記してあるとおり、アメリカの経済学者でノーベル賞も取ったミルトン・フリードマン(1912 明治45/大正元 ~2006 平成18)の提唱した、「自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系」を指すとみなすのがふつうであろう。


 日本で初めて本格的にこれを導入したのが中曽根康弘内閣(1982 昭和57 ~ 1987 昭和62)であり、「郵政民営化」(当時のぼくにはユーセーミンエーカ、ユーセーミンエーカという謎の呪文としか聞こえなかったが)を声高に叫んで絶大な支持を集めた小泉純一郎内閣(2001 平成13 ~ 2006 平成18)もそれを引き継いだとされる。ただ、ニッポンという国の特殊さは、小泉純一郎本人よりも、一介のブレーンであるはずの竹中平蔵という実業家が異様なほどの存在感を発揮し、しかもなおかつ、その後もずっと、自民党という政権与党と癒着しながら、安倍内閣はいうに及ばず、ついこないだの菅内閣までずっと中枢に居座っていたことである(まあ菅内閣は安倍内閣の「延長戦」みたいなものではあったが)。


 なぜこの人物が長期にわたってこれほどの権力を握り続けているのか……につき、三橋貴明は「国際金融資本の代理人だから」と述べている。平たく言えば、日本の国富を海外にせっせと献上するための窓口だから、ということになるのだろうが、肝心のその「国際金融資本」の定義に関して、三橋さんは必ずしも明瞭には述べていないため、いまひとつ釈然としない。この件は深すぎるのでここではこれ以上は踏み込まない。


 リバタリアニズムと新自由主義(ネオ・リベラリズム)とは違う。げんに、かくもネオ・リベラリズムが進んでも、ニッポンは、正確にいえばニッポンで暮らす民衆の大半は……とくに若い世代に顕著だが……貧しくなっている。貧しいとは不自由であるということだ。つまり、まったく自由が増えていないどころか、むしろ自由が奪われている。給与は少なく、いっぽうで税金と社会保障費は上がり、サービス残業は増える。可処分所得も可処分時間も減っている。自由が奪われているとはそのことである。


 ネオリベラリズムのいう「自由」とは、企業家やグローバリストにとっての自由であり、一般の労働者を益するところはほとんどない。そのことをまず抑えておきたい。



21.10.01 文化の腐蝕

2021-10-01 | 雑読日記(古典からSFまで)。
 2006(平成18)年にブログを始めたとき、「この国は衰滅に向かっている……。」との危機感のもとにダウンワード・パラダイス(下り坂の楽園)なるタイトルを冠したのだけども、あれから15年、わたくしが発したあまたの警鐘(メッセージ)はことごとく虚空のかなたに消えていき、いやそもそも、浅学菲才に加えて根っからの怠け者ゆえに、ブログの内容とて質量ともにとうてい納得のいくものではなく、警鐘もなにもあったものではなかったというのが正直なところで、結句、当然ながら現実の世界に何ひとつ爪痕を残すこともなく、元号を跨いで、いまやニッポンは或る面において実際に滅びてしまった……といっていいのではないか。
 その「象徴」というべき事象の一つが、目もくらむほどの特権を享受しながら、しかし公人たる自覚は一切持たず、「自由」の御旗を振りかざして我儘勝手を貫き通す「皇族」の出現であろう。15年前にはこのような事態は想像だにしなかった。この手の醜聞は英王室だけのことだと無邪気に信じていた。倫理(モラル)、知性、品位、教養、伝統……今やあらゆるものが地に堕ちて、饐えた腐臭を放っている。けだし、国の腐蝕は文化の領域において覆いようもなく露呈する。文化こそはひとつの国の現在の姿をまざまざと映し出す鏡でありまた鑑でもある。






☆☆☆☆☆☆☆☆






あたそ
@ataso00
インスタで自称「読書ソムリエ」って人の投稿をたまたま見てみたら、読んでる本が「20代でやるべき15のこと」「価値のある人生を歩むには」「成功のための条件」「男と女の!必読!恋のトリセツ」みたいな本しか読んでなくて、読書ってそういうことじゃなくない!!!??って思ってしまった。




CDB
@C4Dbeginner
でも普通の人にとっての『教養書』ってそのジャンルなんですよね。売れてる小説は『娯楽』で、純文学系は『何も起こらない、なんのメッセージもないつまらん本』。箇条書きで『ためになること』『やりかた』が書いてあるような本が一番勉強になる教養書だという認識で、バカにされるどころか尊敬の対象。
CDB
@C4Dbeginner
もう冗談抜きで、10代20代にとっては立花隆的な位置にひろゆきがいて『ジャンルを横断する知の巨人』くらいに思われている。河合隼雄の位置にメンタリストDaiGoがいるみたいなそういう状態。




猫=リュック・ポンティ
@nasitaro
まさかと思うが、自分らの世代であれば本田宗一郎や松下幸之助、盛田昭夫あたりに憧れてた感覚が現在はひろゆきや堀江なのだとするとこの国には確実に地獄しか待ってないな。そりゃ安倍政権支持するよな。
猫=リュック・ポンティ
@nasitaro
これが孫正義ならギリギリではあるんだが。
猫=リュック・ポンティ
@nasitaro
本田宗一郎は今で言えばジョブズやリチャード・ブランソン、イーロン・マスクあたりなんだよな。こういう人、日本ではもう無理でしょ。




 以上、ネットで見かけたツイッターからの引用。いささかの誇張はあれど、おおむね正鵠を射ているのではないかと思われる。

(引用元の皆様には心からお礼を申し上げます。)