日本を代表する少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)と『なかよし』(講談社)が創刊されたのは1950年代半ば。昭和でいえば、ちょうど30年になった頃である。『ジャンプ』『マガジン』よりも早かったのだ。
創刊当初は、「少女向け総合雑誌」ということで、挿絵付きの小説、グラフ(写真)、そして漫画が三本柱であった。
その頃はけして漫画がカルチャーの中心ではなかった。詳しくは知らぬが、たぶん内容もそれほど凝ったものではなかったと思われる。しかし10年経って、60年代も半ばくらいになると、かなり充実してきたようだ。
「定番ネタ」ってのがあって、当時は「バレエもの」「西洋もの」「お姫様もの」あたりだったらしい。「怪奇もの」なんてのも既に出てきていた。しかし、それらのうちのどれにもまして鉄板なのが「母恋もの」だったのである。
系譜を遡れば、たぶん吉屋信子の少女小説に行き着くと思う(むろん、ほかにもあるだろうし、さらに遡ることもできるだろうが)。「娘が、何らかの事情で離ればなれになった母親を慕う」パターンだ。
「母恋もの」の訴求力は強く、1976年に連載が始まった美内すずえ『ガラスの仮面』の序盤にも、その色濃い影響がみられる。
『宇宙よりも遠い場所』に対する批判の中には(それは当然、絶賛の声に比べれば些細なものだが)、「民間観測隊という設定にムリがある。」「女子高生をあんな危険な行程に伴うのはおかしい。」といったものがみられるが、「報瀬がなぜあれほど母を慕うのか分からない。」というのもある。
ぼくは正直、どの声もいちおう「もっともだ」と思う。とはいえ、リアリズムの見地からだけでも、ぜんぶ反論可能だろう。さらに、これまで縷々、ボーダイな字数(と画像)を費やして述べてるように、「物語論」の見地からすれば、どれも正統すぎるほど正統なのだ。
おさらいのつもりで要約すれば、「民間観測隊」とは「同志的紐帯によって結ばれた人たち」の謂なのだ。思いっきり荒っぽくいうならば、「麦わらの一味」みたいなもんである。
「女子高生をあんな危険な行程に伴う」のは、あれが報瀬にとって「喪の仕事」のための「象徴の旅」であるからで、ほかの3人はその介添えをしているわけだ。
そして、「報瀬があれほど母を慕う」のは、『宇宙よりも遠い場所』が「母恋もの」の系譜を引いているからだ、ということになる。
むろん、21世紀、平成ニホンの物語である「よりもい」は、「母恋もの」の伝統を受け継ぎつつ、それを超え出てもいる。
報瀬はただ亡き母を慕い続けただけでなく、「宇宙(そら)よりも遠い場所」まで赴いて、自分のなかで曖昧であったその死と正面から向き合い(キマリたちの助けを借りて)、ついにその死を乗り越えることができた。
「論 14 友を亡くした女」でも少しふれかけたのだが、「遺された娘が亡き母の死を乗り越えて、身をもってその母を継ぐ」という類型というか先例が、ぼくにはなかなか見当たらぬのである。
「遺された息子」が「亡き父」を、というパターンなら、これはもうたくさんある。バリエーションまで含めれば、枚挙にいとまがないほどだ。少年ものに留まらず、成長した男を主人公に据えたものでも、「父の影」が濃く差している作品は少なくない。
しかし、「娘」「母」というのは思いつかない。皆無ってことはあるまいが、まださほど多くないのは確かだろう。さまざまな物語の粋(エッセンス)を結集したような「よりもい」だけど、この件に関しては、先陣を切っているのではないか。
「最後に何か、やりたいことがあったらいいなさい。」と藤堂隊長から告げられていたキマリたち。選んだのは、全員でのソフトボール大会。いかにもこの4人らしい、小気味よい選択だ。
例によって、時間と場所はジャンプしているが、挿入歌「ONE STEP」のおかげで、前の「本気で答えてる。」のラストから、軽快で愉しいムードが高まりながら続いている。
「ほんとうにこんなのでいいの?」
「はい! ここにいる人、みんなで遊びたいなあ、って」
ラインマーカーの代用として、かき氷の赤いシロップをさっと取り出したところ。そのタイミングが4人四様、微妙に異なってるところが楽しい。アニメの魅力はこんな細部にも宿る
「隊長! 僕が打ったらもういちど考えてくれますか」
敏夫くん、どうやら一度はコクったらしい。たいしたもんである
「ふっ。いいよ(能登さんの男前ボイス)」
弓子「まだ諦めてなかったのか」
報瀬「打てますか?」
かなえ「ムリね。吟ちゃんは南極のタテジマ19(ナインティーン)の異名をもつの。投げる球は一級品。そして……」
最近さっぱり野球を見ないぼくはネットを調べて知ったのだが、「タテジマ19」とは阪神の藤浪晋太郎投手のことらしい。
藤堂の豪速球は敏夫の脇腹を直撃。ぶっ倒れる敏夫。なんというか、「コメディーリリーフのお勤めご苦労様です」という感じ(あとでまた、もう一仕事して弓子さんに頭をはたかれるのだが)。
かなえ「……誰もよけられない」
震えあがる報瀬とキマリ。しかし、そんな報瀬(次打者)にかなえがひとこと。
「だいじょうぶ。それでも打ったわよ、貴子は」
報瀬の顔つきが一変し、決然たる面持となって打席へと向かう。
脇腹をおさえてよたよたと一塁ベースに歩く敏夫。ファーストの結月が「……」という目つきで見やっているのがなんとも可笑しい。
藤堂(ふりかぶって)「貴子……」
「見てるでしょ」
かつての母の勇姿に……
娘の姿が重なる
(目をつぶってはいても、脇はしっかりと締め、同じフォームだ)
結月「日向さん!」
俊足の日向、追わない。追えない。球(たま)はその頭上を遥かに超えて、
蒼穹に消える。
このカットは12話のあの観測気球のカットに繋がる。そして、日本語においては「球(玉 たま)」は魂(たましい)と語源を同じくすること……すなわち、日本人の感性において「球」と「魂」とが深く関わり合っていることは、付け加えるまでもないだろう。