ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

藤井聡太八冠・誕生に寄せて。あるいは、重なり合う祝福の8。

2023-10-13 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)

 



(画像は日本将棋連盟のホームページより)



 このところ体調不良で更新が滞っているのだが、月日が経つと紛れてしまうので、備忘のためにひとつだけ書き付けておきたい。
 いま藤井聡太さんの対局は、王将戦だけを除いてほとんどabemaTVが中継してくれる。日程の都合なのか、ウイークデーが多くて困るのだけれど、自分として可能なかぎり視聴してきた。それに昔と違ってプロ棋戦の譜面の入手も容易になったので、藤井さんの棋譜は非公式戦も含めてほぼすべて持っている。
 若い時分は、好きになった作家/ミュージシャンの本/CDを蒐集するのに夢中になったりもしたが、最近はそういう情熱も褪せてきたので、かほどの熱意を持って「作品」を追いかけている「アーティスト」は藤井さんだけだ。
(優れた棋譜は優れた文芸作品や音楽と同じく、こちらに感動をもたらしてくれる点で「アート」とみなしているということは以前に書いた。)
 デビュー直後の29連勝のときから、「遠からぬうちに、八冠すべてを戴冠してもおかしくない位の実力を備えるのだろうな……。」とは思っていたが、「さりとて、八冠というのはありえないだろう。」とも思っていた。
 「八冠を取ってもおかしくないだけの実力をもつ」ことと「実際に八冠を取る」ということとはずいぶん違う。ちょっと変な比喩になるかもしれぬが、「東大を卒業していてもおかしくないだけの知性と見識を備えているひと」は世間にけっこういらっしゃるけれど、その方々のすべてが実際に東大を卒業しているわけではない。そんな感じだ。
 単純な話、まず体力がもたないだろう、と思ったのだ。タイトルが増えれば増えるほど雑務も増える。いや雑務といっては語弊があるが、つまり対局以外の業務がふえる。なにしろ年中各地を移動して回っているわけだから、それだけでも大変だろう(今年は海外対局もあった)。加えて前夜祭、就位式……その他もろもろ、エトセトラ、エトセトラ……。とうぜん疲労も溜まるし、研究に費やす時間も確保できまい。
 いまは誰しもがソフトを使って猛烈に研究を重ねている。日進月歩どころか、分進日歩くらいの勢いだ。そんな時代なのだから、いかに天才といえども、研究不足によるハンディキャップが重くのしかかってくるはずだ。そのように、ぼくとしては考えていた。だから力はあっても現実に八冠は不可能だろうと。
 じじつ、このたびの王座戦でも、序盤の研究においては明らかに永瀬拓矢(前)王座のほうが上回っていた。もっというなら、過去のタイトル戦でも、渡辺明九段、豊島将之九段、菅井竜也八段、広瀬章人八段、羽生善治九段らのほうが序中盤から優位に立つことが少なくなかった。いやタイトル戦の本戦だけのことではない。この王座戦トーナメントでも、二回戦で当たった村田顕弘六段があと一歩のところまで追いつめていた。
 もとより藤井さんのほうが序中盤に優勢を築いてそのまま押し切ることも多いが、終盤、それも藤井玉に寄り筋が見えてきて、評価値が90-10以上に開いてからの劇的な大逆転勝ちが近頃は目立つ。げんにこの王座戦でも勝った3局ぜんぶがそうだった。互いに時間が切迫し、とくに第三局と第四局は双方が1分将棋(秒読み)の鬩ぎ合いのなか、永瀬さんの痛恨の失着によって逆転した。
 羽生さんも若い頃には逆転勝ちが多くて、「羽生マジック」という用語も生まれたほどだ。ぼくもそのころは「ああ……マジックだなあ……勝負術だなあ。」と思っていたが、しかし、自分でソフトを使うようになって、「必ずしもそういうことではない」とわかった。
 というのも、プロの終盤ってものは、ぼくらアマチュアが玉の頭に金を打たれて「参りました。」などとやってるのとはまるで違って、極めて難解、複雑なものだからだ。評価値は大差でも人間の認知力では紙一重ってことが結構ある。藤井さんたちのようなトップ・オブ・ザ・トップの将棋であれば尚更で、じっさいぼくが投了図から勝った側をもって秒読みでソフトと対局してみると、たいていこちらが負けてしまう。
 ぼくの話などどうでもよいが、それくらい難しいと言いたいわけである。藤井さんを土俵際まで追い詰めるほどの一流プロであっても、朝からずっと神経をすり減らして、ついに持ち時間を使い果たしての1分将棋となり、さらにそれが延々と続いたならば、どうしたって最善手や次善手だけを重ねられるものではない。いずれは間違う。いっぽう、藤井さんのほうはほぼ間違わない。そして相手が間違えた瞬間にすかさず仕留める。そういうことなのだ。
 将棋だと思うからややこしいので、暗算にたとえてみたらどうだろう。一局の手数はおおむね120手くらいだから、その半分の60問ずつ、暗算の問題がずらっと並んでいるとする。並のアマチュアなら二桁×二桁。ふつうのプロならば、そうだなあ、まあ五桁×五桁くらいか。トッププロなら七桁×七桁かな。それが60問。
 これを2人がそれぞれ制限時間内に暗算で解いて、正答なり近似値の多いほうが勝ち。こうモデル化してみると、ぐっと明瞭になるだろう。ただ、これだと問題は初めから固定されているけれど、将棋のばあいはお互いが回答者であると同時に出題者でもあって、一手ごとに設問が目まぐるしく変わっていく。しかも、七桁×七桁だと思っていたら、とつぜん九桁×13桁になったりもするし、ときには延長戦もある。そんな感じか。
 繰り返しになるが、この出題と回答との応酬のなかで、藤井さんはどちらの側でもほぼ間違えない。そりゃあ相手はたまらない。
 ようするにまあ、ひとことでいえば、「将棋に対して完璧なまでに最適化された異常な計算能力」ってことだ。こう書くと身も蓋もないようだけれど、文学的な修辞を一切合財とっ払ってぎりぎりまで言語化すれば、そういうことになるはずだ。
 むろんその天稟をたゆまぬ努力で日々磨いておられることは言うまでもないが、その結果として、画像のとおり、八つのタイトル戦のみならず、いわゆる「四大棋戦」のすべてでも優勝するという、もはや手の付けられぬ仕儀とはなった。
 ところで、冒頭で述べた「備忘のために書き付けてお」くとはこの話ではなかった。数に関することである。藤井さんの戦ったタイトル戦の対局数は、2020(令和2)年の棋聖戦第一局から数えてこの八冠を決めた王座戦第四局までできっかり80局であるという(未決着の今期竜王戦第一局をふくむ)。そして、その星取りが64-16で、勝率がきっかり(こちらも文字どおり、きっかり)8割(!)だそうだ。「タイトル戦で勝率8割」というのも気が遠くなる数字だけれど、それよりも、ここで「8」がこんなにも綺麗に揃っていることに驚いてしまう。しかも、勝ち数の64は8の自乗すなわち8×8で、負け数のほうは8+8という念の入りようである。こんな偶然ってあるんだろうか。ぼくは神ってものを信じないんだけど、ひょっとしたら「将棋の神サマ」だけはいるのかもしれない。そしてその神サマは、どういうわけかひとりの青年を熱愛しており、祝福のためにいろいろと悪戯をして見せているのかもしれない。