ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

いま読みたい世界文学の10冊 ①『戦争と平和』その02 20世紀文学

2022-02-10 | あらためて文学と向き合う。
 流行りのアレとは関係なしに、どうも昨年末から体調が優れず、すこし持ち直した際に「さあ久しぶりに更新するか」と気合を入れたら今度はパソコンのぐあいがおかしくなったりして、なかなか思うに任せないのだが、このままでは月刊ブログとなって2022年度の記事が全12本、ということにもなりかねぬので、どうにかペースを上げていきたい。しかし不調の折には自前の文章を綴るどころか本を読んでもさっぱりアタマに入ってこないほどだから、自分でもどうなることか心もとない。
 『戦争と平和』の話をしていたのだった。それで思い出したのだが、2017(平成29)年の9月にぼくはこんな記事を書いた。






 ……(前略)……その抑圧から解き放たれて、あたかも「高2の夏」以前に戻ったかのように、またエンタメ小説が好きになった。それが6、7年前だ。山田風太郎の『明治小説全集』(ちくま文庫)、そしてケン・フォレットの『大聖堂』(ソフトバンク文庫)がきっかけであった。ことにケン・フォレットには感銘を受けた。純文学の感覚からすると文章は粗い。キャラもけっして深くはない。まさに通俗。しかしそれがなんだというのだ。むしろこれこそ文学の本道じゃないか。
 今年の7月、ケン・フォレットが20世紀のヨーロッパ史を描いた「巨人たちの落日/凍れる世界/永遠の始まり」の「100年三部作」を読んだことにより、「これが文学の本道じゃないか」という思いはより強くなった。それまでは大江健三郎であった自分のなかの「文学の基準線」が、ケン・フォレットに取って代わるくらいの勢いだった。個人的には、コペルニクス的転換といっていい。
 これに伴い、自分の中での純文学と「物語」、すなわち「大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説」との関係も、自ずと転換を迫られた。それでこのところずっと、物語のことを考えている。前回やった「大きな物語」ではなくて、シンプルな、「お話」としての物語である。
(一部を抜粋)

「お話」としての物語について。①
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/be4cedb197327182bc6d5f1d7388c0f6



 これは、長らく純文学一辺倒であった自分が、英国のベストセラー作家ケン・フォレットをきっかけに、少年期いらい久々に「物語の愉楽」を再発見したという趣旨の記事なのだが、いま読み返すと、すこし修正したくなる。
 ここでは「大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説」と「純文学」とを対比して扱っており、むろん間違いではないが、「19世紀(的)文学」と「20世紀文学」という対比もできる。今の自分ならそちらを強調したいのだ。
 トルストイの『戦争と平和』はもちろん19世紀文学である。ケン・フォレットの小説は、20世紀後半に書かれてはいるが、「19世紀的」な文学といえる。それらと対比されるものとして、「20世紀文学」というものがある。
 絵画を例にとってみたい。





 
 トルストイ文学の荘重さはレンブラントに例えられたりもするが、同時代かつロシアの画家ということで、ここではイリヤ・レーピンの作品を掲載させて頂いた。これは「休息」というタイトルで、画家本人の奥さんを描いたものらしい。綺麗な方である。綺麗な方だとわかるのは、これが19世紀に描かれた、19世紀的絵画であるからだ。







 こちらはご存じピカソの「アヴィニョンの娘たち」で、これが20世紀絵画である。レーピンは19世紀といっても後期のひとだから、上掲の絵とは25年ほどしか離れていないのだが、同じように女性をモデルにしていながら、画然たる違いは一目瞭然であろう。
 ピカソはもとより巫山戯けているわけでも奇を衒っているわけでもなく(いくらか奇を衒っているきらいはあったかもしれぬが)、写真みたいな従来式のリアリズムでは捉えきれぬかたちで世界を捉え、その認識を画面の上で再構築することによって絵画というジャンルを新しい境位へと押し上げたわけだ。これはレーピンとピカソという2人の画家の個性を超えて、やはり19世紀と20世紀との相違といっていいと思う。

 似たことは他のジャンルでも起こっていて、文学もむろん例外ではなかった。燦然たるビッグネームだけを挙げれば、アイルランドのジェイムズ・ジョイス(英語で創作。1882/明治15~1941/昭和16)、フランスのマルセル・プルースト(フランス語で創作。1871/明治4~1922/大正11)、チェコのフランツ・カフカ(ドイツ語で創作。1883/明治16~1924/大正13)といった人たちがそれぞれの仕方でそれまでとは異なる20世紀文学をつくりあげていた。
 これら巨匠たちの業績をひとことで纏めることはできないが、ひとつには、文学というジャンルにおいて、このあたりから、それまでは自明のものだった「主体(私)」なり「語り手」といったものがぐらぐらと揺らぎはじめ、果ては解体されていった。
 さらにまた、文学というのは徹頭徹尾コトバによって創られるものであるからして、そういった「主体(私)」なり「語り手」なりを成り立たせている「言葉」や「言語」もまた激しく揺動し、存立の根拠を問い直される……という仕儀にもなった。それが20世紀の文学なのだ。
 しかし、そうなるととうぜん、「文学」はどんどん難解となっていき、ふつうの読者には手の届きにくいものになる。そこで、また別の市場で「大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説」が栄える。そちらにも「20世紀文学」の余波は及ぶのだが、エンタメとしての節度(もしくは限界)があるから、けして振り切れることはない。「主体(私)」や「語り手」を徹底的に解体したりはしないし、「言葉」や「言語」の存立の根拠を問い直したりもしない。基本的にはリアリズムであり、きっちりとストーリーは保たれており、キャラクター設定は明確である。すなわち、19世紀(的)小説なのだ。
 ぼくが高1のとき新潮文庫版『戦争と平和』の第一巻を読み始めて早々に挫折したことは前回述べたが、それは文体がもたもたしていて性に合わなかったとか、登場人物が多すぎる上に馴染みのないロシア名ばかりで辟易したとか、時代背景に無知だったために作品の中に入れなかったとか、そういった情けない理由のほかに、『戦争と平和』があまりにも典型的な19世紀文学であったせいだと思う。
 その頃のぼくは、まだ前記の巨匠たちのことなどまるで知らなかったけれども(カフカの「変身」くらいは読んでいた気もするが)、それでも20世紀文学の成果はさまざまなかたちで体に浸透していた。ポップスで育った耳でクラシックを聴いたら「立派だけども古くさいなァ。」と感じる。それと似ている。
 それで思春期の柔らかい時期に『戦争と平和』と出会い損なってしまい、しかもそのあと、日本の戦後~同時代文学を介してポストモダニズムに目覚めてしまった。いわば19世紀文学をすっ飛ばして20世紀文学に耽溺してしまった。それが拙かったとは思わぬが、ちょっとばかり惜しいことをしたとは思う。もしも最初にきちんと『戦争と平和』をじっくり読み込んでいたら(高1の時点でそれくらいアタマが成熟していたら)、それ以降の文学観もずいぶんと変わっていたろうし、5年前にケン・フォレットで騒ぐこともなかった。自分のなかで「純文学」と「物語」とがもっと滑らかに溶け合っていたはずだ。