ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

中上健次について。

2015-09-28 | 純文学って何?
 「旧ダウンワード・パラダイス」では中上健次についてもずいぶん書いた。あれはどういう弾みだったのか、2010年の1月に発表したごく簡単な紹介記事が、GOOGLEで「中上健次」と検索を掛けたらトップから十番目にくる、という異常事態が半年にもわたって続いたことがあり、あのときは嬉しいというより、この国の純文学のことが本気で心配になった。それから一年ほどして「軽蔑」が高良健吾、鈴木杏主演で映画化され、中上についての記事もネット上に多くみられるようになり、ぼくの記事は虹の彼方に消えていった。正直、ほっとしたのを覚えている。
 なんかもう、アホと思われるのを承知で身もフタもないことを書いてしまうが、中上の小説は読んでいてちっとも楽しくないし面白くない。文体の呼吸も自分のリズムとぜんぜん合わない(あの文体にリズムの合うひとって居るんだろうか? ああ、居るよなあ、青山真治とか)ただその底から噴き上がってくるパワーはほんとに凄くて、好きじゃないのに気になって気になって、折にふれて読み返さずにはいられない。という変なポジションのまま十代の末期からずっと付き合っている。こんな作家はほかにはいない。
 中上については分厚い論考を正面きって一本立てるというよりも、3行くらいの箴言みたいのをいっぱい連ねて、ちょっとずつ溜めていく感じで取り組んだほうがいいのかもしれない。それで一冊の本になるくらいの分量が溜まれば、結果として、まともなことが少しくらいは言えてるかもしれない。そんな気がする。
 だからここに転載する記事も、読み返せば不備なものばかりだけれど、作家案内としてはそれなりに意義がなくもないと思う。ひとつだけ付け加えるならば、中上はたぶん日本の小説家としていちばんランボーを血肉化したひとだと思うんだけど、あまりにも血肉化しすぎて、ランボーの小骨すら見えなくなってしまった。それってたいそう勿体ないことではなかったのかしらん。
 あ。もうひとつ言いたいことがあった。中上の小説世界においては、「光」や「水」や「火」や「土」といった、根源的なイメージをあらわすことばが異様なまでに力を帯びる。あれはほんとに凄いことだなあ、と書いて、そのことは、ついさっき上で述べたこととモロに抵触するような気がしてきた。うーん、だめだな、中上について語ろうとすると、いつもたいていパラドックスに陥るのじゃ。


イントロデュース 中上健次
 初出 2010年1月19日



 ブログを始めてからずっと、いつかは中上健次について書こうと思ってきた。だけど文学、とりわけ純文学なんてものに興味を持たない人たちに対して、あの癖の強すぎる作家のことをどう紹介したらいいんだろう。
 ぼくの父親は、もともと司馬遼太郎とか池波正太郎くらいしか読まない人だけど、かれこれ十年くらい前、ぼくがあんまり誉めるので、中上を手に取ったまではいいのだが、ものの五分も経たぬうち、「なんじゃこりゃ」と言って投げ出してしまった。ぼくは父とのコミュニケーション・ブレイクダウンを再確認して悲しかったが、その心情はよーく分かった。中上文学の「読みにくさ」というやつは、大江健三郎のそれともまた違う。

 『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫)の中で、四方田犬彦はこう発言している。「日本には村上と同世代だがまったく対照的な作家がいます。中上健次です。中上は日本のローカルなものに固執し、日本の内外の問題を自分ひとりで背負おうとした人間です。彼はフィッツジェラルドには無関心でむしろガルシア=マルケスやフォークナーのような作家の影響を受けました。そして日本の中でタブーとされ、人々が絶対語ろうとしないものについて、生涯をかけて描き続けました。」
「彼の登場人物はわれわれが理解できない他者=ストレンジャーです。そういったアグレッシブな作品を書いてきた作家です。じつをいうと、村上は現在日本では多くの文学者に無視されています。彼を論じるのは社会学者であって文芸評論家ではありません。しかし海外ではものすごくブームになっています。中上はどうかというと、江藤淳のような保守的な批評家にはじまってきわめてラジカルな左翼の批評家まで、多くの人が彼について論じ、そしてモノグラフィーを書いています。」
「しかしその胃にもたれるところが災いしてか、海外ではフランスを除いてはそれほど読まれていません。英語の翻訳もようやくポツポツ出始めたくらいです。ほぼ同じ世代で同じようにジャズが好きなこのふたりの作家ですが、ローカリティーに向かうかどうかということがはっきり海外での受容のされ方に現れています。」

 シンポジウムでの発言だから、かなり簡略化しているし、控えめな表現に留めているので、中上文学を知らない人には、いまいちピンとこないかも知れない。しかし、さすがにかつて『貴種と転生・中上健次』という評論を上梓し、中上の盟友・柄谷行人氏をして、「ぼくはこれを読んで、もう中上について言うことがなくなった。」とまで言わしめた批評家の言だけに、適確に急所を押さえた要約だ。
 代表作『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の主役・秋幸は、三人の父親(母の前夫・実父・現在の母の再婚相手)と、ざっと十指にあまる兄弟姉妹(腹違い・種違い・義理を含めて)を持っている。さらにここから、当然のごとく叔父伯父叔母伯母甥姪従兄弟従姉妹といった縁戚関係が繁茂していく。もちろんそれは、中上当人の生い立ちを色濃く反映してもいるのだが、ごくごく単純に言って、こんな小説を書く作家ってのはまずいない。ちょっと思い浮かぶのは、紀南と紀北の違いはあれ、同じ和歌山出身の有吉佐和子さんだけど、中上の場合、柳田国男・折口信夫から構造主義に至る知見までをも総動員して、主人公を取り巻く関係性に神話的な広がりと深みを与えたところが突出している。
 じつはぼくも、まさかここまで複雑ではないが、核家族のマイホームとはかなり趣を異にする家庭で育った。インテリとは程遠く、あまり柄がよくない環境だった点もちょっぴり似ている。たしか中上は村上龍との対談の中で、「俺はなあ、もし育ちさえ良かったら、クラシックの音楽家になるはずだったんだよ。それがあんな境遇じゃ、いやでも内面が過剰になっちまって、文学をやるしかねぇじゃねえか。」という意味のことを言っていた。その伝で言えば、ぼくだって、ほんとなら理系の技術者になっていたはずだよなあと思う。本を読むのは好きだったが、思春期までは別に文学青年ってわけじゃなく、数学に夢中になっていたからだ。
 中上健次を読むようになったのは高2の夏だ。もし自分が、いうところの文学青年として「青春」を送ったのだとしたら、それはあの時に始まったと思う。村上春樹は19の春に初めて読んだ。それ以降、この二人のあいだを、ぼくはしばらく行ったり来たりしていた気がする。大江健三郎を中心に据えて、南と北の極北にこの二人の作家を置いたプライベートな聖域の中で、十代の終わりから二十代の半ばくらいまでを過ごしていたような記憶がある(あくまでも、文学的には、ということですよ。実際には、もっと色んなことをやっとりました。当たり前ですが)。
 もし中上健次を初めて読んでみたいと思う人がいたら、講談社文芸文庫の『戦後短篇小説再発見』シリーズの第2巻「性の根源へ」を手にとって、そこに収録されている「赫髪」という作品を、ほかの名だたる作家たちの収録作と読み比べてみてください。テーマの性質上、かなり露骨な表現に満ち満ちているこの巻の中にあって、中上の紡ぎ出す言葉が、なお群を抜いて生々しく、むせ返るほどの肉のにおいを放っているのに気がつくはずだ。そのことを、こんなふうに言い換えてみてもいいかもしれない。中上の描く人間たちのリアルさに引き比べると、ほかの作家の手になる人物は、それがどれほど精巧で緻密であっても、あたかもロボットみたいに見えてしまう、と。
 18年前に46歳で夭折したこの作家が遺した作品を読み返すたび、小説という器の底知れなさを思う。



中上健次を読む・参考文献
 初出 2010年3月9日

 グーグルで「中上健次」と検索したら、ぼくの本年1月19日の記事「中上健次について」が、とんでもない上位に来ていた(この記事の投稿に伴い、「イントロデュース 中上健次」と改題)。こちらとしては「瓶の中の手紙」よろしく、思いつくまま書き綴ったものをネットの海に投擲しただけで、あとは藻屑のごとく漂い流れるばかりと思っていたから、いささか驚いている次第だ。プロの読み手はもちろんのこと、文筆で身を立てているわけではないアマチュアの中にも、ぼくなんかより遥かにコアな中上ファン、中上フリークは山とおられるだろうに、汗顔の至りと言うほかない。ただ、中上の小説は底知れぬ魅力を湛えている反面、お世辞にも口当りがいいとは言いがたく、心酔する向きはとことん心酔するけれど、「ナカガミ? だれそれ」と切って捨てる若い人たちが、すでに圧倒的多数となっているのも事実だろう。
 ここ数年では、「文芸」別冊のKAWADE夢ムックと「ユリイカ」が中上特集をやったくらいで(ぼくは生憎どちらも読んでないけど)、ほかには目につく顕彰もなく、小学館文庫版『中上健次選集』全12巻も、大半が品切れとなっている状態だ。どの分野でもそうだろうけど、特定の対象に入れ込む人と、それ以外の人たちとの間には、どうしても溝が生じてしまう。「専門家」たちは、相応の知識を前提とし、往々にして自分たちにしか通じない概念や用語を使って論を立て、「素人」たちはおいそれと入っていけない。理系のジャンルならそれも致し方ないことだろうが、文学とはもともと万人に開かれてあるべきものだ。わが拙文にいささかの取り得があるとするならば、中上の名前くらいは耳にしたことはあれ、さしたる関心を持たない向きに対して、多少なりとも好奇の念を掻き立てるべく、(蓮實重彦流に言うならば)ささやかな「扇動」を試みている点であろうか。
 ともあれ、グーグルでの上位ランクがいつまで続くか分からぬにせよ、「中上健次」と検索をかけて当ブログへ来られる方がいる以上、少しは有益な情報を記しておかねばと思い、これから腰を据えて中上文学にアプローチしようかという人たちのための、参考文献を掲げることにした。むろん小説ってのは何よりもまずテキストそのものに惑溺すればよいわけで、作品論、作家論へ手を出すのは二の次、三の次なんだけど、中上という人は、文学はもとより哲学、思想、民俗学などの本を片っ端から「馬が水を飲むように」貪り読み、自らの血肉としながらも、小説においてはそれらを完全に昇華して、勉強の痕跡を微塵もおもてに出さない。この点では大江健三郎さんのほうがかえって取っ付きやすいのだ。だから一見すると中上文学は、なんだかむやみに複雑な血縁関係で絡まり合った荒っぽい人たちが、原形質のように麗しい自然の中で、労働したり性交したり憎しみあったりするだけの小説。であるかのように見えてしまう(『日輪の翼』以降の主人公たちは、もはやその《原形質のように麗しい自然》からも追い立てられ、さらに地縁・血縁からも切り放たれて、彷徨を余儀なくされるわけだけど)。
 それゆえ中上健次においては、ほかのどんな作家にもまして、本丸である小説のほかに、彼自身の評論/エッセイと、かてて加えて、優れた評者による中上論とが不可欠だと思う。それらを併せ読むことで、中上文学が、どれほどの分厚い層の上に立って形成されているかが明らかとなる。もとより中上は柄谷行人という盟友を終生伴っていたわけだけど、その柄谷さんの論考以上に重要だろうと思われるのが、四方田犬彦さんの『貴種と転生・中上健次』(新潮社 平成8 ちくま学芸文庫 平成13)で、この一冊ばかりはどうしても必読と言わざるを得ず、ひょっとしたら中上文学は、彼自身の全作品と、この『貴種と転生・中上健次』とを併せて初めて完結するのではないかと思えるほどだ。
 あえて付け加えるならば、その四方田、柄谷氏を含め、三浦雅士、渡部直己、浅田彰から安岡章太郎、水上勉さんに及ぶ中上論のアンソロジー『群像 日本の作家 中上健次』(小学館 平成8)だろうか。アンソロジーという性質上、一本ずつの論考が短いのが難だけど、どれも漏れなく面白いうえ、巻末に文献目録が付いており、参考になる。「現代批評の見本帖」とも呼びうるこの一巻に欠けている名前は、吉本隆明を除けば、「物語としての法」もしくは「中上健次論 物語と文学」(ともに『文学批判序説』河出文庫 に収録)の蓮實重彦くらいではなかろうか。
 また「国文学」平成3年12月号「中上健次 風の王者」には、野谷文昭による「中上健次とラテンアメリカ文学」、荒このみによる「《南部》のセクシュアリティー」といった海外文学との比較論のほか、「中上健次作品登場人物図」として、「秋幸」(岬・枯木灘系列)および「中本タツ」(千年の愉楽系列。いわゆる「中本の一統」ですね)の系図が収められている。これはずいぶん貴重なもので、やはり系図を書かねば中上文学は分からない(むろん、秋幸側の系図だけなら、河出文庫版『枯木灘』の巻末に附されているわけだけど)。確かにまあ、すべての事象を斫断し、数学的とも詩的とも言い得る美文へとまとめあげてしまう恐るべき批評機械・浅田彰氏がいうとおり「彼自身は、鳥になること、植物になること、女になり子供になること、その他ありとあらゆる生成において、エリック・ドルフィーに近かった」のだから、松浦寿輝のように、「日本語が笛のように吹き鳴らされ、シンバルのように打ち鳴らされ、その音楽がこちらの皮膚にじかにシャワーのように降りそそいで来るという感覚」に身を委ねるのもひとつの「読み方」ではあるんだろうけど、それだけでは畢竟、「中上を読む」という快楽=苦痛の、とば口に立ったにすぎないのだ。
 余談ながら、フォークナーを介して中上文学と並行関係にあるともいえるガルシア=マルケスの『百年の孤独』も、系図と年譜を作らねば読みおおせない小説であり、本来ならば自分でノートを取って作成しなけりゃいけないんだけど、その手間が惜しいというのなら、池澤夏樹の『ブッキッシュな世界像』(白水Uブックス)に収められた考証が不可欠となる。それにしても、こういった地道な作業はもともと、「文学の悦楽」の主要な部分を成すものなのに、「エヴァ」の解読になら血道をあげる若者たちは、どうしてこっちには無頓着なのか……って、なにもことさら問いを立てるまでもないか。如何せんブンガクは、アニメに比べて「萌え」の要素が希薄ですからね。どっぷり嵌まれば、けっこうそうでもないんだけどなあ。いやいや、これは脱線が過ぎました。ともあれ、樹海みたいな中上サーガに分け入るためには、この三冊が格好の地図になるんじゃないか。ぼく自身、いずれは自己流の中上論を試みたいとは思いつつ、現代日本の文芸批評の頂をなすようなこれらの面々の論考を前にすると、つい腰が引けてしまう、というのが偽らざる実情なのだった。
 そうそう、ひとつ言い忘れていた。蓮實重彦、浅田彰(やれやれ。この方々のお名前を出すのはこれが三度目か)といったこわもての諸家の絶賛を浴びた映画『EUREKA』の監督にして、三島賞作家でもある青山真治は、その(小説の)創作において、一貫して中上の文体を援用するという営為を続けておられる。それは模倣(パスティーシュ)の域を超え、すでに青山さんご自身の文体に、すなわち氏の思索の軌跡とその叙述のスタイルとなっているようにも見受けられるのだが、これもまた、中上健次を今日に引き継ぐ所業のひとつと見るならば、『ホテル・クロニクルズ』(講談社文庫 平成20)を、かなり異色ではあるけれど、四冊目の「参考文献」に挙げておくべきかも知れない。

 追記) 高山文彦による詳細な伝記『エレクトラ―中上健次の生涯』が2010年の8月に文春文庫から出た。


中上健次の『軽蔑』について。
 初出 2011年5月23日



 このマイナーなブログの更新を楽しみにしている方がいらっしゃったならごめんなさいよ。「最低でも週イチ」というノルマをあっさり破って、前回の谷山浩子の記事いらい、ほぼ2週間が夢のように過ぎ去ってしまいました。むかし、まだ三波伸介が司会していた頃の「笑点」で、「1週間が夢のように過ぎ去りまして。」というクスグリがあって、それは地方でのロケを同じ日に二週録り(たぶん客の入れ替えもせずに)していたゆえに成立したギャグだったわけだけど、今そんな話はどうでもいいな。まあとにかく、お久しぶりでした。べつに不測の事態に見舞われたんじゃなく、このたび映画化され、劇場公開を待つばかりとなっている中上健次の『軽蔑』について書こうとしたら、アタマの中がごちゃごちゃになって、どうしても草稿がまとまらなかったんですわ。風化を防ぐという意味で、中上文学が映画になるのは大歓迎だけど、どうしてそれが『軽蔑』なんだ?という思いはずっとありました。ただこのたび、鈴木杏演じる真知子の妖艶なポールダンスの写真を見て、すこし得心したところはありますね。ははあ、「掴みはオッケー」か。みたいな。
 ちょっと中上健次を読んできた人なら誰でも感じると思うけど、『軽蔑』は、それまでの彼の重厚な作品世界の系列からかなり離れたところで展開している小説なんですよね。四方田犬彦の『貴種と転生・中上健次』(新潮社/ちくま学芸文庫)には、とりあえずこう書かれてます。「中上健次の『軽蔑』を読み終わったとき受ける印象とは、これが作者の他の長編のどれともまったく似ていないという、隔絶したものである。」 はい。ぼくも朝日新聞連載時からそう思ってました。ただし、さすがに四方田さんはそんな表層レベルに留まってないで、『軽蔑』がかつての名作『鳳仙花』の構造をなぞっているうえ、『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の「秋幸3部作」という「男系」の作品群とは別の「女系」の作品群を切り開くはずのもの(作者が46歳の若さで早世しなければ)であった、とも指摘しておられるわけですが。なるほど。さすがは全集の編纂に携わってるほどの、日本でも有数の「中上読み」の見解ですね。プロの批評家の読みとはこういうものかと感心します。
 ただ、こんど映画をきっかけに初めて中上健次を読もうと思って、集英社文庫版だか角川文庫版だかの『軽蔑』を手に取る若い人たちにとっては、そんなのはぜんぜん知ったこっちゃない話ですよね。いま読んでるその小説が「面白い。」とか「すげぇ。」とか「かっこいい。」とか、とにかくそういう何かしらの感動を呼び起こしてくれるか否かが重要なわけで、他の作品との比較だのなんだのは、当面のあいだ関係がない。そういう意味で言うならば、『軽蔑』は正直なところざっくり読んでそれほど面白い小説でもなくて、中上文学の作品系列から離れてるどうかなんてことよりも、この場合、むしろそっちのほうが問題でしょう。その「面白くなさ」を分析してるうち、ぼくも今回アタマが混乱しちゃったわけですが。
 もちろん、純文学の「面白さ」ってのはエンタテインメントのそれとは性質の異なるもので、両者を同列に論じることは初歩的なミスなわけだけど、「いやいや、それにしてもなあ。」っていう話なんですよ。ストーリー自体は、まあ単純すぎるほど単純で、新宿歌舞伎町のトップレス・バーで踊り子をしている真知子が、旧家の御曹司でプレーボーイの「カズさん」と恋に落ち、なんだかあまり同情できないゴタゴタのあげく、最後には破局に至る、というだけのこと(それがどのような形の「破局」なのかは、ネタバレになるのでさすがに控えておきますが)。ラストシーンでリアリズム小説の制約を打ち破る試みがなされていることを除けば(ただし四方田さんは先述の著書の中で、この「もみあっている中から、一人、抜けて出てきた男」が「彼」ではなくて山畑である可能性に言及しておられますが)、昔から、わりとよく見るパターンですよね。無軌道な若い男女が乱脈な生活のあげく破滅に至るお話、と乱暴に括ってしまっても、けして誤りとはいえないでしょう。
 物語の冒頭、カズさんは、くだんのトップレス・バーの営業中に、「警察の手入れだーっ。」と騒ぎを起こし、鏡張りのカウンターの上で踊っていた真知子(際立った美貌に加えて大胆でダンスも上手く、店いちばんの売れっ子です)をかどわかすように車に乗せ、そのまま自分の郷里への逃避行を開始する。ずいぶん無茶な話だけれど、この二人は以前に情を交わした経験もあり、真知子は内心ではもう彼に首ったけだったから、これはべつだん「拉致」というわけではありません。ともあれ、かくしてふたりの「愛の生活」が始まるわけですが、ご覧のとおり、この小説の世界においてはヒロイン真知子もさることながら、主役の「カズさん」が尋常じゃないほど魅力的でなきゃ駄目っていうか、もう話そのものが成立しないわけですよ。ところが集英社文庫版全495ページの本編を読めども読めども、カズさんはさっぱり冴えないままで、ついに最後まで見せ場らしい見せ場もありません。
 そもそも当の騒動自体が、当のトップレス・バー(を経営する組織)が裏でやってる野球賭博で借金を背負ったカズさんが、情婦に愛想をつかされて、故郷の実家に泣きつきに帰る途中、行きがけの駄賃に仕組んだ狂言だったという次第で、そのあとも一事が万事その調子、どう贔屓目に見たところで、カズさんって男は甘やかされたええかっこしいの不良のお坊ちゃんとしか思えません。これで面白くなるはずがない。
 ただ、彼が真知子のことを愛しているのはけっして嘘ではないんですね。真知子もまた、カズさんのことを本気で一途に愛している。その点でこの小説は間違いなく真正のラブ・ストーリーです。ただしかし、四方田さんも強調しているように、けっしてただのメロドラマには収斂しない。カズさんは身の周りに他の女性たちの気配を色濃く漂わせながらずっとぐだぐだしているし、真知子もまた、「男と女、五分と五分」と護符のように繰り返しながら、ほかの男と性交したり、一人で東京に逃げ帰ったり、より頼もしい年上の男に心を移したりもする。ここのところが巷にあふれる凡百の、わかりやすくて柔弱なラブロマンスとはまったく違ったこの小説の凄味でありまして、エンタテインメント的な意味での「面白さ」は度外視したうえで、そこをこそ味わわなければならないのだと、ぼくもこの記事を書くにあたって読み直してみてよくわかりました。カズさんのダメダメぶりが醸し出す停滞感の底で、さながら濃密な花弁のように幾重にも広がり重なり合っていく真知子の心理と情愛の縺れを愉しむことが、『軽蔑』を読む本当の醍醐味なのでしょう。……ってことで、難航に難航を重ねた記事にようやくケリがつきました。なお、映画版の高良健吾さんはぼくなんかから見ても滴るようにいい男で、脚本や演出の細かいところがどうなっているかはわかりませんが、とりあえずビジュアル面では、彼の演じるカズさんは説得力を持っていそうに思いますね。


中上健次について、私が本当に言いたかったこと。

 初出 2011年5月27日~29日


 前回の記事、「中上健次の『軽蔑』について。」が、「中上健次 軽蔑」の検索ワードで、7位か8位かくらいにランクインしています(5月27日現在)。まことにありがたいことながら、いささかのプレッシャーも感じますね。たぶんこうなるだろうと思ったから、2週間近くも草稿をまとめかねていたわけですが。しかし、いざ上位にピックアップされてみると、やはりあの記事は質量ともにあまりに貧弱、とてものことに軽蔑「論」などといえるような代物ではありません。せいぜい「覚え書き」といったところでしょう。まだまだ言い足りないことがある、というか、言いたいことはほとんど述べてない、というべきですね。何しろ、草稿の2割弱くらいの分量を取り急ぎ要約しただけだから。
 もったいぶらずに思いきって言ってしまいますと、中上健次って、器用な作家じゃないんですよ。純文学と娯楽小説とを股にかけて活躍する達者な若手がたくさん出てきた今日の基準からすると、むしろ、かなり下手くそな部類に属するんじゃないかな。えっと、これ、自分としてはけっこう爆弾発言のつもりなんですけどね。このひとことが言えないばかりに、『軽蔑』についてあの程度の文章を発表するのに、2週間近くかかっちゃったということはありますね。いかに個人で気ままにやってるブログとはいえ、中上といえば一部で神格化されてる存在だし、ぼく自身、ずっと尊敬しているし。
 慌てて付け加えておきますが、もちろん中上は、たんに不器用で下手な作家ってだけじゃないですよ。それなら別に論ずるまでもない。問題は、文章やストーリー・テリングがあれほど下手であるにも関わらず、彼の作品が圧倒的な重さと密度と強さを備えてわれわれに迫ってくるという事実でありまして、この辺りの機微を考えるとき、ぼくはいつでもゴッホあるいは棟方志功を連想します。たまにいるでしょ、デッサンや遠近法のような基礎的な訓練を積むことなしに、表現欲に突き動かされるまま、我流のやり方を貫いたあげく、アカデミックな秀才が及びもつかない独自の境地に達してしまうアーティストが……。中上はまさしくそういう存在で、たぶん彼の作風は、美術用語で言ったら表現主義ってことになるんじゃないかな。中上のことを「最後の自然主義作家」と呼ぶ方もおられるようですが、それはちょっと疑わしいんじゃないかとぼくは思っています。彼の小説が異様なくらいリアリスティックなのは確かだけど、変な話、ただのリアリズムだったら、あれほどのリアリティーは出ないだろう。中上の「夏芙蓉」は、いわばゴッホの向日葵ですよ。表現主義のリアリズムだ。
 村上龍の衝撃のデビュー作にして出世作、『限りなく透明に近いブルー』(1976年)は、中上の『灰色のコカコーラ』に触発されて書かれたものですが、この二作を読み比べると、両者の資質の違いがよく分かります。『ブルー』については、かつてぼくも短い論評を書いたけれど、龍さんが、セックス&ドラッグ&ロックンロールに加えてアメリカ・コンプレックス、基地問題、乱交パーティー、暴力、そして妄想や幻覚めいたイメージの奔流といった派手な道具立てをこれでもかこれでもかと繰り出してあからさまに売れ線を狙ってるのに対し、『灰色』のほうはひたすら卑小で地味で貧乏くさく、それゆえひどく切実です。ぼくは無軌道な青春時代を送った経験とてないまったくの小市民ですが、『ブルー』に出てくる連中についてはまったく感情移入できない反面、『灰色』の主人公の心情は、中年になった今でも泣きたいほどよく分かりますね。そこのところが『灰色』と『ブルー』との差異であり、中上健次と村上龍との差異であるわけです。
 村上龍という方は、何しろ芥川賞の選考委員を務めておられるくらいだから、世間では純文学の作家と認知されているのでしょうが、だけどふつうの純文学作家は『半島を出よ』みたいなものは書かないし、テレビで嬉々として若手の起業家と対談したりしませんよね。いわばあの方は極めて尖鋭な作家的資質を持った社会批評家であり、その本質はエンタテインメント(娯楽小説)にあるとぼくはつねづね思ってきました。良くも悪くもサービス精神旺盛で、「売れる」ことを前提として作品を構想・執筆・発表します。そういった姿勢は、純文学と娯楽小説とを融合させたスタイルをも含めて、たとえば吉田修一・古川日出男などといった俊英に大きな影響を与えていると思います。つまり、今の日本の出版界(のフィクション部門)の趨勢を形作ってきたといっていい。
 いっぽう中上健次は、ほかにあまり類例のないことながら、いわば根っからの純文学作家としか言いようがなく、たとえばNYを放浪しても、今をときめくミュージシャンやら写真家と親交を深めても、現代思想の勉強をしても、それをストレートに自作に持ち込むことはありませんでした。必ずやいったん咀嚼して、身の周り半径100メートル位の濃密な人間関係の縺れへと還元してしまわずにおかない(「路地」とはよくぞ名づけたもんですよ)。それが彼の信念であり、また、そうしなければ小説が書けなかったのでしょう。なにぶん1946年生まれなんで、ハリウッド映画やマンガやアニメに取り囲まれて育ったわけじゃないですからね。ジャズは血肉化するほど聴き込んでたけど、ロックやポップスには疎かったし。サブカルの素養がほとんどなかった。龍さんのほうは1952年生まれで、この6歳の違いはけっこう大きい。そういったわけで中上の作品は、圧倒的な重さと密度と強さを備えている半面、どうしたって泥臭くて垢抜けないという印象を拭えないのです。


 今回の映画をきっかけに、中上を初めて読んでみようと思って集英社文庫だか角川文庫だかの『軽蔑』を手に取る若い人は少なくないと思いますが、果たしてその中の何人くらいが最後のページまで辿り着けるか、正直ぼくは不安なんですよね。村上春樹をはじめとする現代作家の洗練された文体に馴染んだ今の読者の目に、あの文体がどう映るか。中上の文章はよく「烈しい」とか「ごつごつしている」と評されますけど、『岬』や『枯木灘』や『千年の愉楽』はともかく、この『軽蔑』の場合はそれとも違いますからね。『軽蔑』の冒頭の数行を読んで、「ああ、やっぱ純文学って難しいんだなあ。」と溜め息をつく若者がいたら、「いや、それは純文学の責任ではないし、ついでに君の読解力の責任でもないよ。」と声をかけたい気はしますね。……純文学の文章とは、たとえば以下のようなものを申します。
 「ゆっくり起きだして洗面所に行き、壁に作りつけられた両開きの棚からいつのものだかわからないアスピリンを探しだして水道水を注いだコップに投げ入れると、細かい空気の泡が音を立てて勢いよくわきあがり、その大半がぷつぷつと宙に消えたのを見届けてから舌にかすかな刺激のある即席の水薬を飲み干した。」
 当代日本語散文の有数の使い手というべき堀江敏幸の芥川賞受賞作、『熊の敷石』の冒頭部分の一文です。この文章を「たいそう、きもちがいいのだ。それなのに、不安なのである。」と的確に評したうえで、なぜ「気持がいいのに不安なのか。」を鮮やかに分析しているのは講談社文庫版に付された川上弘美の解説ですが(この解説を読みたいばかりに、ぼくは単行本を持っているにも関わらず、文庫のほうも買いました。まあ堀江さんの本だしね)、すなわちそれは、一人称《私》が省かれた文章のなかで、「細かい空気の泡が音を立てて勢いよくわきあがり、」の部分だけが主語である《私》の動作ではなく、つまりここだけ主格が巧妙にずらされており、この一瞬の《ずれ》のすぐ後で、何くわぬ顔で再び文章が《私》を主体とする動きへと戻る、その揺れ動きが醸し出す効果であり、さらにまた、「いつのものだかわからないアスピリン」「投げ入れる」「かすかな刺激のある」「即席の水薬」といった《隠されたあらあらしさ》の効果である、ってことになるわけですが、いうまでもなくこれらの効果は、作者の綿密な計算の上に生み出されたものです。
 これこそが純文学の文体です。純文学と娯楽小説との違いについては、さまざまな角度からさまざまな定義が可能でしょうが、早い話、作者が当の文章そのものにどれほど心を配っているのか、それこそが最大の要諦といっていい。むろん、心を配ったからってそれだけで純文学になるわけじゃなく、そこには一定の修練、および相応の才能ってやつが不可欠なんですが、ともあれ、この見事な一文に比べると(いや、ことさら比べるまでもないですけど)、『軽蔑』の出だしは唖然とするほど稚拙です。

 「舞台用の衣裳と言っても、幅一メートル足らずの鏡張りのカウンターの上で、トップレス・バーの踊り子として踊る為の衣裳だけだったから、真知子もフィリピン人のマリアも、化粧バッグを衣裳バッグに兼用し、化粧バッグ一つ持つだけでいつもマンションを出た。」

 中上健次というブランド名がなかったら、何じゃこりゃ、と言いたくなる文章ですね。カルチャースクールの「創作講座」みたいなところに提出したら、真っ赤に添削されて返ってくると思います。まず、一文に情報を詰め込みすぎている。そのことが、たんに読みづらさを助長しているのみならず、作品に膨らみを持たせるための「含み」や「溜め」を消してもいる。このふたりが「トップレス・バーの踊り子」であることは、なにもこうして一行目から性急に述べ立てずとも、ストーリーの進行とともにじわじわと読者に伝えていけばいいことです。新聞での連載だから、どうしても早いうちに「幅一メートル足らずの鏡張りのカウンターの上で踊る」真知子のイメージを打ち出しておきたかったのかもしれないけど、それにしたってもう少し後回しでもいいでしょう。「フィリピン人の」はべつにここでは不要だし、「化粧バッグ」が間をおかずに二度繰り返されているのも見苦しい。

 冒頭シーンはこう続きます。「本国に送金ばかりしているマリアはイミテーションの、真知子は本物の、一目で相当張り込んで購入したと分かる白いミンクの毛皮をはおり、化粧バッグを持った二人が、マンションを出てタクシーを停めるために歩道に立つと、決まって人の突き刺さるような視線を浴びる。」

 依然としてごちゃごちゃしてるのは、「マリア」の前に「本国に送金ばかりしている」という形容詞句がくっついていたり、もともと二行に分けられるべき文章が無理やり一行に押し込められてたり、またしても「化粧バッグ」が繰り返されたりしているせいですが、ふつうならここは、「マリアはイミテーションの、真知子は本物の、見るからに高価な白いミンクの毛皮をはおり、タクシーを停めるべく歩道に立つ。周りの人々がいつものように、突き刺すような視線を浴びせてくる。」くらいに収めておくところでしょう。マリアがフィリピンから出稼ぎに来ていることも、本国に送金しているために吝嗇であることも、実際このあと嫌というほど出てきますし。

 その次の一行、「行き交う男らも女らも、真知子やマリアを同じ人間ではないように反応した。」も何だか拙い文章で、「反応」という動詞をこんなふうに使うのがそもそも変だけど、ともあれ、「真知子やマリア」は「反応した」の副詞格であって目的格ではないわけだから(「彼の声に反応した。」とは言うけど「彼の声を反応した。」とは言わないでしょ?)、ここでの「を」は「が」が正しい。つまり、テニヲハを間違っちゃってるわけです。芥川賞クラスの作家の文章で、テニヲハの誤りに出っくわすのはたいそう珍しいことですが、でも、これが中上健次なんですよ。

 中上が推敲をしなかったのは有名ですよね。彼にとり、小説を書き綴るという行為は、ジャズのインプロビゼーション(即興演奏)に匹敵するものだったのでしょう。クラシック演奏のような完成度ではなく、スピード感と勢いを重視したのだと思います。『軽蔑』の文章がここまで粗いのは、新聞連載であることと、すでに体調が悪化していたこともあるんでしょうけど、いずれにせよ、彼がもともと《名文家》でなかったことは確かでしょうね。よく言えば、市民社会の枠内で流通する、いわゆる「文章読本」的な「名文」を無化してしまうような文体ってことになるわけですけど。

 まあ即興演奏だけに、ストーリーが進んで人物が動き始めるとさすがに文章も乗ってきて、カズさんと真知子の道行きに差しかかる頃には、いつものビートのきいた中上節が聞けるんですが、それにつけても『軽蔑』という長編全域を覆うこのぎこちなさ、だらだら感、めりはりのなさは何なんでしょうか。同じ朝日新聞の連載小説、しかも男女の逃避行の話ということで、どうしても比べてしまうのですが(枚数も同じくらいじゃないのかな。朝刊と夕刊の違いはありますが)、吉田修一さんの『悪人』が、無駄のない文体を駆使し、気のきいた表現を織り交ぜながら、視点の切り替え、時間操作、巧みな伏線といった技法を用いて緊密にひとつの人間ドラマをまとめあげているのに対し、『軽蔑』はいかにも隙だらけという感じがします。会話の運びもほんとにまずくて、そうそう、会話がとことんダサいのも、もはや「芸」ともいうべき中上文学の特徴の一つですね。そして、恐ろしいことに、そのことがまた彼の作品のリアリティーを保証しているのです。だって現実のぼくたちは、けして村上春樹の登場人物たちみたいには喋りませんもんね。

 ほかの作家の名前を出したついでに、お遊びで、ちょっと強引な仮定を試みますと、もし村上龍が『軽蔑』を書いていたならば、たぶんストーリーそのものをもっと劇的に仕立てたろうと思いますね。具体的には、きっとカズさんの見せ場をきちんと作ってやったことでしょう(敵対する暴力組織に誘拐された真知子を命がけで助けに行くとかね。いや、さすがにそれはベタすぎるかな)。ともあれ、博打狂いのしょうもないダメンズであっても、他の女と浮気していても(!)、ただいちど、ここぞという時に真知子への愛をまっとうしさえするならば、カズさんはこの作品世界において、燦然と光り輝くことができたのです。いやむしろ、ふだんがだらしなければだらしないほど、ここ一番での活躍は鮮烈に映ることでしょう。ついでにそのまま殺されちゃったら完璧ですね(ぼくがもし脚本家で、あの原作を渡されたなら、どうしてもそっちのほうに持っていくと思うけど、さて、今度の映画はどうなっているんだろう……)。

 しかし実際の『軽蔑』の作品空間は、ぼくたちの生きるこの日常にひどく似通っていて、いわば真綿で首を絞められるような、ぬるーい地獄の底なんですよね。何ひとつ大きな事件は起こらない。ただ田舎のじっとりと粘っこく湿った人間関係があって、カズさんはその中でずるずると破滅に向かって滑り落ちていき、真知子はそんな愛人を目の前にしてどうすることもできぬまま、いたずらに懊悩と焦燥を重ねていくという……。まあ、ただ悶々としてるだけじゃなく、カズさんに心底惚れ抜きながら、ほかの男に恋心を抱いたり、行きずりに等しい相手と性交したりしちゃうのが、真知子およびこの小説の凄いところなんですが。いずれにせよ、『軽蔑』の作品空間において、徹頭徹尾カズさんは、「侠(おとこ)」としての華を咲かせる機会を奪われ続け、あっさりと死んでしまいます。

 集英社文庫版の解説の中で、四方田犬彦はこう書いています。

 「『岬』に始まる秋幸のサガでは……(中略)……見えない宿命に主人公が突き動かされていた。『枯木灘』における秋幸の弟殺しはすでに準備されていたものであった。そして『地の果て 至上の時』の龍造は、悲劇的世界観が織りなすすべての経緯を見据えたうえで、その物語の力学に争うようにして自死をとげる。『軽蔑』のカズさんの死は、これとは対照的である。彼はなんの運命の必然によっても保証されず、また運命という観念に争うという意識もないままに、あっけなく死んでしまう。それは『千年の愉楽』や『奇蹟』における路地の夭折者の死とも異なっている。自分の背丈を越えて先行している物語が死を指し示すといった事態から、カズさんの死はどこまでも遠い。」

 ざくっと纏めてしまうなら、ようするに、カズさんの死はどう見ても無意味だってことですね。娯楽小説の主人公としても無意味なうえに、物語論的な視点からいっても無意味だという……。「賤なる者」が、物語と詞(ことば)の類い稀なる呪力によって「高貴なる者」に聖化されるという、かつての中上文学の主人公たちに与えられたあの栄光からさえも、カズさんはすっかり見放されてるってことですよ。こりゃあほんとにどうしようもないですね。救われないし、浮かばれない。

 娯楽小説の主人公としても、物語論的な視点からいってもまるで無意味な死を死ぬカズさんは、ではまったく無意味で無価値な存在なのでしょうか? おそらくそうではないですね。だって、もういちど虚心にこの分厚い文庫を手に取って、任意のページを開いてみてください。そこには真知子の目や、耳や、鼻や、唇や、肌が感じたカズさんの魅力の断片が、まるで花びらを手づかみで巻きちらしたかのごとく、散りばめられてはいませんか。

 「踊り場に立ち、背筋をぴんとのばし、股を広げたカズさんの背後に寄り添いながら、自信に溢れ、若さに溢れ、男らしさに溢れたカズさんに物言うように(真知子は)体を寄せ、背中に手を当てる。」

 「カズさんは電話ボックスを開ける。/あらかじめ事務所のそばから電話をかけると決めていたのか、ジャケットの胸ポケットからカードを取り出して電話機に差し込み、ボタンを押す。/何の変哲もない動作だが、一つ一つがきびきびしているので、体全体から男の色気が浮きあがる。」

 「カズさんは紅茶の入ったカップの柄を指で持ち、紅茶から立つ湯気が眼にあたるのを防ぐように、眠気が少し残っているのか、こころもち腫れぼったいまぶたを閉じぎみにして、唇に持ってゆく。/紅茶をすすり、カップを放し、手を無造作にテーブルの上に置く。/その総てが好きだ、と真知子は性の昂ぶりに襲われたように思う。」

 「カズさんほどいい男が、他にいるだろうか。/まだ齢若いから、マダムの話が描き上げるお爺さんほど凛とした紳士ではないが、日本どころか世界のどこに出しても、羞ずかしくない優しさと男らしさを持っている。」

 「真知子は、鋭い形のよい、その線一つだけで男として上等だと分かる顎の骨を指でなぞり、不意にカズさんの首を指で絞めてしまう気がし、指を離し、のしかけていた体を脇にどけた。」

 「カズさんの故郷では、カズさんには仕事があり、真知子にも炊事、洗濯の細々とした雑事があってくっきり見えなかったが、生活臭の一切ないホテル暮らしをしてみると、真知子はカズさんがどのくらい若い美しい牡の性を持つ男だったか、と気づくし、……(後略)」

 「……(前略)カズさんの為に、真知子がブティックで見立ててプレゼントした春夏物の淡い緑、萌黄色のイタリア製ジャケットは、テーブルの燭台の炎に浮かびあがり、カズさんをアジア系、しかも東の方の貴公子のように見せ、……(後略)」

 これらの描写が、性愛の悦びにのぼせあがった若い娘の幻覚なのだと言ってしまえばそれまでですが、こんなふうには考えられませんか。客観的に見たならば、ちょっと様子がいいだけの、甘やかされた田舎の不良の兄ちゃん、しかも作者によって「聖」に転化することすら封じられた男が、濃やかな日常のディテールのなかで、風に揺らめく焔のように、きらきらと儚い光を放っている。その一瞬のきらめきが、真知子の五感を介して、スナップショットのように捕らえられていると……。ひょっとしたらそれは、「物語」を解体し、それまでの自分の小説のノウハウまでをも解体するに至った中上が、最後の最後に産み落とした、究極のヒーロー像だったのかもしれません(しかも彼は、驚くべきことに、ラストで「復活」を遂げてしまうんですからね……)。

 そのように仮説を立てたとき、ぎこちなく、だらだらして、めりはりがないと思えたこの長編が、まさにこのようにして書かれるほかなかったもののように見えてくるから、中上文学ってのはどうにもやっぱり、厄介で怖い代物ですよ。『軽蔑』のディスクール(書き方)は、近代小説を説話的な語りが揺さぶっているとも、近代的自我を無意識のマグマが溶融させているとも、女性原理が男性原理を突き破っているともいえる。この作品の《面白さ》はそこにこそ存すると思うのですが、さて、あなたはどのようにお読みになりますか。


いただいたコメント




はじめまして。
ラストをどう解釈していいか分からず、「軽蔑」について書かれているブログを探し回ってたどり着きました。
警察の手入れがカズさんによる嘘であって欲しい真知子は、別の男とカズさんを重ねて見てしまっているのかと…
カズさんの「復活」とは、どういう意味でしょう?

2011-06-05  マチルダ





コメントありがとうございます。
 どうもいささか思い入れ過剰の文章で、ふつうの解説文とは趣きを異にしているため、読みづらかったのでは?と恐縮してますが……(笑)。
 批評家の四方田犬彦さんは、『貴種と転生・中上健次』(新潮社/ちくま学芸文庫)の中で、この「もみあっている中から、一人、抜けて出てきた男」が、山畑である可能性に言及しています。
 もちろん、マチルダさんのおっしゃるように、カズさんのことを忘れられない真知子が、冒頭のシーンと同じシチュエーションの中で、体格や顔立ちの似通った男を見間違えたという読み方もありますね。この手の店って、たぶん照明も暗いんだろうし。
 しかしぼくは、やっぱりこれは他ならぬカズさんその人であると解釈しました。「復活」と書いたのはそういう意味です。
 中上の最高傑作(とぼくが判断している)『奇蹟』では、いわば現世と≪異界≫とが混然一体となり、登場人物が、必ずしも、≪死≫によって作品世界から完全に退場してしまうわけではありません。
 『軽蔑』はリアリズムの手法で書かれているから、そのような事態が起こったらルール違反なのですが、中上はこのラスト四行で、確信犯的にそのルール違反を犯したのではないでしょうか。
 リアリズムの制約を破ってカズさんが再登場することで、小説全体に活が入り、このお話が初めて作品として完成すると思えるのですが、いかがでしょうか。

2011-06-06 eminus(当ブログ管理人)





追記)2016年に、生誕70年を記念して、島田雅彦さんが中上のことを語ったトークセッションの記録を見つけたんで、アドレスを貼っときます。中上といえば何よりもまず「旅のひと」であり、「やたらと他者にコミュニケートするひと」だったんだよね。ぼくのエッセイにはそういう視点が抜けてますね。ちょっと反省。


「生誕70年!中上健次文学その意義と軌跡」をテーマに、島田雅彦×中上紀×高澤秀次がトークセッション……
https://pdmagazine.jp/background/nakagami-event-report/










大江健三郎について。

2015-09-26 | 純文学って何?
 シルバーウィーク中に2本くらいは記事をアップできると思っていたら、用事が入ってだめだった。貧乏ひまなし、ったぁよく言ったもんで、人生なんて雑事に追いかけ回されてるうちに終わっちまうんだろうねえ。やりたいこと、やるべきことの十分の一もできないままに……。時間なんて無尽蔵にあると錯覚していた若い時分が懐かしい。いや懐かしいというか、あのころの自分にどうにかして会って、「何やっとんじゃーっ」と喝を入れてやりたい気がするが、でも万が一それが可能だとしても、当時のぼくはそんな忠告なんぞ聞きやしないだろう。ままならんもんだなあ。まあ、それゆえに人間は文学ってものを生み出したのかもしれず、そして、自分はこんなにも文学に惹かれつづけてるのかもしれないが。
 「旧ダウンワード・パラダイス」から文学にまつわる記事を移してこようと目論んでいるんだけれど、古いのをそのまま転載するのも気が引けるし、すこしは手を加えたい。ところが、それをやりだすとキリがなくなってますます更新が滞る。この袋小路から脱出せねばなりません。さればもう、手直しは最小限にして、失礼を承知でエイヤッとばかりにやっつけるしかないわけで、井上ひさしについての前回の記事はそうだった。ほぼ昔の文章のまま。くっつけただけ。
 それで今回は大江さん。当然ながらというべきか、安保法制にともなう反対運動で、齢80歳をすぎたこの老大家はいま前面に出てきておられるのだけれど、そのことに関してぼくはふれない。文学は政治に従属するものではない、というのが長年にわたるぼくの持論で、「戦後民主主義者」としての大江さんと、小説家としての大江さんとは別のものとして考えなければいけない。「いや、そういうわけにもいかんだろう」とおっしゃる方はおられるだろうし、ぼく自身もじつは半分くらいそう思ってはいるのだが、この件について深入りするとまた袋小路となって永遠に更新できないので、とりあえず再掲でございます。


初出 2010年1月5日
基準点としての大江健三郎

 ぼくにとっての文学の基準点は大江健三郎であり、未知の小説に出逢って、価値判断をすべき時には、まず大江作品と対比して考える。ここ30年来ずっとそうしてきたし、たぶんこれからも変わらないだろう。
 ぼくにとってはそれほど大きな存在だけど、いわゆる「政治の季節」が過ぎ去ったのちは、大江さんはさほど若い世代に読まれているとは思えない。ノーベル賞を取ったあとでも、その事情は同じだろう。理由はいくつかあるんだろうけど、まず文章が晦渋であること(これは物事を内と外から緻密に描出しようとするせいなのだが)、それと関連して、文体に独特のクセがあること(一流の作家であれば当然なのだが)、作中にダンテやブレイクやイエーツといった固有名詞が頻出し、ペダンチックな印象を与えること(これは文学と現実の生とを照応させることで、双方に深みを齎そうという試みなのだが)、いちばん単純なレベルでは、そういった辺りが挙げられるんじゃないか。
 もう少し深い位相でいえば、ご自身のご家族をモデルにする形で作品を構想されるせいで、一見の読者に取っ付きにくい印象を与えること(じっくり読めば、それが決してパーソナルなものでなく、まさに普遍的なテーマを扱っていると分かるんだけど)、また、すべての作品群が有機的に繋がっているために、途中からはなかなか入っていけないということもあるみたいだ。逆にいえばそれは、作品をまとめて読み進めれば進めるほど、目くるめくような広大にして深遠な世界像が現出するってことなんだけどね。さながら樹齢何百年という樹々の生い茂る森林を散策するように……。これを傍目に眺めてうち捨てておくのは、じつに勿体ない話ではないか……。
 大江さんは、文学史でいう「第一次戦後派」の流れを汲んでおり、政治や宗教までをもひっくるめて、ぼくたちの生きるこの世界の全貌を把握せんとの野心を持ち続けておられる。いわゆる全体小説だが、大江さんのばあい、「個人的な体験」や独自のイメージに則してそれを試みられるので、失敗した全体小説にありがちな空疎さを感じさせることがない。ただ、そのために作中人物はいわゆる知識人が主体となり、これまた取っ付きにくさの一因となる。いやそもそも、社会的な関心が希薄になって、個的な欲望に引き籠りがちな今の若者にしてみれば、世界の全貌を把握するという姿勢そのものが、すでにして縁遠いのかも知れない。
 さて。Aという対象を持ち上げるためにBという対象をくさす手法は陳腐なうえに下品でもあり、本来は慎むべきなのだが、ノーベル賞が取り沙汰されるレベルの作家ということで(ぼくはぜんぜん真に受けてないけど)、申しわけないがこの方を俎上にあげさせていただこう。言わずと知れた春樹さんだ。
 このあいだ文庫になった『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫)のなかで、「大江健三郎と対照的な作家である春樹」という意味の文章があった。それ以上の説明はなかったけれど、意図するところはだいたい分かる。共同体としての「谷間の森」に想像力の拠点(トポス)を置き、あくまでも錯綜する地縁・血縁の中で個人を捉える大江さんに対して(この点において、1946年生まれの中上健次は1949年生まれの村上春樹より1935生まれの大江健三郎のほうに圧倒的に近い)、春樹さんはむしろ、そのようなしがらみをすべて取っ払ったところからストーリーを始める。ハルキ的登場人物たちは、都会の底で冷たい孤独に打ち震えはしても、たとえば病気の母親の介護でアタマを悩ませたりはしない。ついでにいえば、子供のことでアタマを悩ませたりもしない。ていうか、そもそも子供がいない。そう。「独身者性」はハルキ文学のもっとも重要な要素のひとつだ。
 ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』を最後にハルキさんから離れていったのも、どうやらその辺りに起因するようだ(だからぼくは、『アフターダーク』も『海辺のカフカ』も読んではいない)。個人レベルでも社会的にも「父」たることを引き受けた大江文学に対し、村上文学はあまりにも偏頗だと思え、そのために興味が薄れていった。『アンダーグラウンド』から社会的なコミットメントを深めていったというけれど、とてもじゃないがあれくらいでは、作家としての社会参加とはいえないだろう。これはたんにぼく個人の偏見ではなくて、じっさい、一般読者の熱狂ぶりとは裏腹に、ここ十年ほどのニッポンの評論家たちは、以前ほどの熱意を持っては春樹論に取り組んでこなかった(ビジネス偏重の便乗本はたくさんあるが)。
 父であること、ひとの親であること、さらにいえば、次の時代をつくる若者たち/子供たちに対して相応の責任を担うこと。文学に求められる最大の役割の一つはそこであり、今の日本でそれだけの重みを備えた作家は大江さんのほかにぼくには(驚くべきことに)思い当たらない(もちろん、ここでいうのは文学的な意味での「父」なり「親」であって、生物学的な意味でのそれとは必ずしも直結しない)。その点においてもやはり、大江氏は自分にとって唯一無二の基準点である。




「読む人間」としての大江健三郎

 2011年10月8日から10日にかけて、3回に分けて掲載したもの。氏が自らの読書遍歴をやわらかい言葉で語った『読む人間』という講義録が集英社文庫で出たので、その感想文として書いたものです。

 昨年のノーベル文学賞を受けたマリオ・バルガス・リョサさんは、かつての「ラテン・アメリカ文学ブーム」のときにボルヘスやマルケスやプイグやコルタサルなどと並んで熱気の渦の中心にいた作家で、ぼくにとっても懐かしい名前であったから、このブログでもすぐに記事を一本書いた。本年度の栄誉に浴したのはスウェーデンの国民的詩人とのことだが、さすがにぼくもこの方のことは存じ上げない。それで、受賞者が発表されてからこんなことを言うのは後出しジャンケンみたいで良くないけど、これまで一度たりともぼくは、村上春樹さんがノーベル賞に選ばれるなんて思ったことはない。少なく見積もっても、向こう10年あまりはけっしてそのような事態は起こらぬだろう。たしかに優秀な作家だし、春樹さんの作りあげた文体は現代日本語散文のひとつの規範を成しているとも思うし、国際的な人気を博しているのも事実なのだが、ノーベル賞というのはそれとはまた別物なのである。世界にはまだまだ、巨大な怪物めいた作家がたくさんいるのだ。
 そう。「ノーベル文学賞とは怪物に与えられるものなのだ。」というのが、18の齢から孜々として小説を書き続けながら、芥川賞どころか新人賞すら未だに取れない凡庸なワタシの偽らざる思いなのだった。川端康成という方は、怪物というよりむしろ妖怪という感じだが(ああ。なんかむちゃくちゃ失礼なことを言ってる気がしてきたけど、もちろん、これらはみんな最大級の誉め言葉ですからね。誤解なきよう)、大江健三郎さんは紛れもなく日本文学が世界に誇りうる怪物である。テレビで見かける大江さんは、紳士的というよりどこか柔弱な印象すら与えかねない、いかにも学究肌のインテリといった風情でいらっしゃるけれど、あの方の作り出す文学世界がどれほど桁外れに物凄い代物であるか、同じ日本語文化圏に暮らしていながら、果たして何人のひとが理解していることであろうか。かつての学生運動の時代はともかく、中年以降、作品で言えば『万延元年のフットボール』以降の大江健三郎は、作家として現代日本から不当に遇されていると思う。まあ、すなわちそれは、およそ「純文学」というもの全般が不当に遇されているってことなんだけど。
 だからこそ94年(平成6年)の受賞は本当に喜ばしいことだった。とかく世の中は、石が流れて木の葉が沈む、といったていの理不尽に満ち溢れているものだけど、大江さんに対するノーベル賞授与は、そんななかで例外的なくらい真っ当で、筋の通った事件であった。ぼく個人としては、平成になってからの20数年間で、あれほど快哉を叫んだニュースはない。三島由紀夫亡きあと、ノーベル賞候補として取り沙汰されることのもっとも多かった日本人作家は、ぼくの知るかぎり安部公房であった。ほかにも沢山の方の名前が挙がっていたが、その前衛性において最有力視されていたのは安部さんだったはずである(ただしノーベル賞の選考過程は秘密のヴェールに包まれているので、実際には有力候補どころか、そもそもだれが候補にのぼっているのかさえも分からないのだが)。
 それで、まあ、こういうことは節度をもったインテリの人なら決して口にしないだろうから、軽薄なぼくが言ってしまうと、ノーベル賞を取ったのが安部さんでもほかの誰かでもなく、ましてや三島由紀夫でもなくて、大江健三郎さんで本当によかった。安部さんの小説はたしかに当時の世界文学の最先端に立つものであったかもしれないが、その作品はあたかも数学の論文のごとく緻密にして論理的、しかしそれだけに硬質すぎて、およそ生身の人間の息づかいや温もりといったものから縁遠かった。これはぼく個人の私見であるから、もとより異論を持たれる方もおられるだろうけど、文学としての豊饒さ、奥深さにおいて、大江健三郎は安部公房をはるかに凌駕していると思う。
 何よりも、ある時期からの大江作品は、長編のみならず短編においてもすべてが有機的に繋がっており、全体がそれこそ瑞々しくも鬱蒼たる森のように、ひとつの世界を、いやむしろ、一個の宇宙とでも呼ぶべき大曼荼羅を織り成している。そこから浮き上がってくる主人公(的な人物)の姿は、猥雑なる俗世間から一定の距離を保ちつつ、障害を抱えた長男を含む家族と誠実な関係を取り結びながらも、核の恐怖を絶え間なく憂い、また時として、否応なく押し寄せてくる政治的あるいは性的な衝撃波に揺さぶられ、それでも毎日欠かさず古典を読み、人間と社会と歴史と世界についての真摯な思索を続け、「神」への信仰には至らぬけれど、「魂のこと」には常に考えを巡らせている、そのような、ひとりの現代人である。20世紀後半~21世紀前半を生きる「現代人」の姿をこれほどまでに重層的かつ生々しくリアルに描いた小説家は、世界レベルで見ても他にはいない。これはぼく個人の文責において断言しよう。
 じつは中上健次もかつて候補に目されたことがあるらしいのだが、中上健次があそこまで徹底的に「知識人ならざる者たち」を中世の語り物のような手法で描き抜くことができたのも、大江健三郎という巨大な先達がいたからである。中上文学は或る意味で大江文学の裏返しであり、村上龍さんはそちらの系譜を継いでいる。いっぽう、春樹さんはわりとストレートに大江さんの系譜を継いでいる(大江さんと春樹さんとの芥川賞をめぐる因縁を考えるとき、この事実はとりわけ興味ぶかく映る。もとよりこれは、春樹さんが大江文学から影響を受けたということではない。あくまでも構造的な比較論である)。
 かつてぼくは、大江健三郎を「わが文学の基準点」などと言挙げしたことがあるけれど、何のことはない、大江さんは現代日本文学そのものの基準点なのだった。そのような作家がノーベル賞というかたちで世界から認められたのは、わが国にとって誠に光栄な話であり、あまりにもわれわれは、そのことを軽く見すぎているのではないか。たとえば、愚直なまでに「戦後民主主義者」としてのお立場にたって社会的な発言をされる大江さんを捉えて、嘲弄に近い批判を行う小林よしのりさんのような態度は、ぼくにはとうてい正当なものだと思えないのである。文学者、ことに大江さんほど複雑な文学者においては、名士あるいは「有識者」としての社会的発言と、文学者として生み出される作品とはまったく次元の異なるものなのだから。


 このあいだ集英社文庫で『読む人間』という大江さんの講演録が出て、これがすこぶる面白かった。今回の記事はそのことを書きたかったので、上に述べたことは前置きである。イントロにしては長すぎるんじゃないかと言われるやも知れぬが、ネットってものは文学に詳しい人だけが見るわけではない(というか、むしろ文学とは疎遠な人たちのほうが多いってことに最近気づいた)。ブログという媒体において、大江さんほどの作家を俎上に乗せさせていただくならば、あのていどの解説は不可欠であろう。おりしもノーベル賞の時節ということもあったけど。
 大江健三郎という作家においては、「本を読む」という営みがご本人の生そのものと分かちがたく結びついており、それは巷間よく言われるような「ブッキッシュ」どころのレベルではない。大江氏はこれまでにもたとえば『小説のたくらみ、知の楽しみ』『私という小説家の作り方』(ともに新潮文庫)のような自伝的読書エッセイを刊行してこられたけれど、この『読む人間』はそれら2冊と比べてずっとシンプルで、じゃあ程度が低いのかというとそうではなくて、単純さゆえの力強さに満ちている。『小説のたくらみ……』や『私という……』はこちらがアタマで理解して、知的快楽と共に享受する按配であったが、『読む人間』は、カラダの奥にすうっと入っていく感じだ。
 それは当初の発表形態によるところが大きい。先述のとおり、講演の記録に手を入れたものなのである。ジュンク堂の池袋本店にて「大江健三郎書店」なる催しがあり、これは著名人が自分の推薦する本を書店の一角に並べて販売するジュンク堂恒例の企画なのだが、それに付随して行われた7回連続の講演と、あと、ほかの場所で行われた二つの講演が元になっている。冒頭いきなり、ナボコフ、フリーダ・カーロ、『イリアス』『オデュッセイア』、シモーヌ・ヴェイユ、エリオットなどの固有名詞が出たのち、大江さんが幼少年期を通じてもっとも多大な影響を受けたという『ハックルベリイ フィンの冒険』からいよいよ、作家の骨肉を形作ってきた雄勁にして鮮烈な読書遍歴が幕をあける。
 ご存知の方も多かろうが、ハックは黒人奴隷であるジムと一緒に筏でミシシッピ河を下っていくのだが、そのうちに、ジムに対する友情と、それまでに教え込まれてきた倫理観との板ばさみとなって苦しむ羽目になる。ジムは或る老婦人の「財産」であるから、彼の逃亡を知るハックがそれを黙認することは、「ひとの財産を奪う」ことであり、「地獄に落ちる」行いなのである。すれっからしではあっても根が純朴なハックは地獄行きを本気で恐怖し、老婦人に宛てて手紙を書くが、すぐに自らの手でその手紙を破る。「じゃあ、よろしい、僕は地獄に行こう。」と、心の奥で呟きながら……。「それは恐ろしい考えであり、恐ろしい言葉であった。だが私はそう言ったのだ。そしてそう言ったままにしているのだ。そしてそれを変えようなどとは一度だって思ったことがないのだ。」
 地獄に行っても構わないから、友人を裏切るまいと決意する、その意志の強さに、9歳の大江少年は決定的な影響を受けた。そして、その次が岩波新書の『フランス ルネサンス断章』。この本を読んで、高校2年の大江青年は、著者である渡辺一夫教授にじかに教えを請わんと切望し、東京大学仏文科への進学を心に定める。「まったく端的に、これが私の人生の実際の進み方を決めた本です。」 ちなみにこの本、著者による度重なる改稿を経たうえで、『フランス・ルネサンスの人々』と題を変え、いまは岩波文庫に入っているが、その解説をほかならぬ40年後の大江さんがお書きになっている。『読む人間』を補うかたちで、その解説の文章の一節を引くと、「このような学者に学び、このように考えうる人間となり、このようなことを表現する文章を書きたい……」というのが、若き大江青年の「熱望」であったとのこと。およそインテリとは縁遠い環境に生まれ育った若者が、一冊の本によって「知への憧憬」に目覚めたときの昂揚を描いて間然するところがない。しかもその熱望を実際に達成されたわけで、まことに見事な話である。
 かくして大江青年は「森深い谷間」を出て東大の仏文科へと進み、在学中に校内新聞に発表した小説が際立った評価を受けてプロデビューする。そしてその数年後には、新進気鋭の芥川賞作家として、石原慎太郎、開高健らとともに時代の寵児となるのである。1950年代半ばあたりのことだった。


 じつをいうとぼくは、サルトル的な閉塞状況を寓話化したような初期の大江作品がそれほど好きなわけではなく、また、いわゆるグロテスク・リアリズムを推し進めておられた時期、つまり『ピンチランナー調書』や『同時代ゲーム』の頃の作品も性に合わない。ぼくが座右に置いて繰り返し読み返すのは、『「雨の木」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』『いかに木を殺すか』『河馬に噛まれる』『静かな生活』『僕が本当に若かった頃』、そして『燃えあがる緑の木』といった辺りである。障害を持つご子息との共生が歳月を重ねて円熟してきた時期、すなわち中年期の後半以降に書かれた作品群と称していいかと思う。
 それらの作品においては、ダンテ、ブレイク、イエイツ、オーデン、エリオットといった世界文学史上の巨匠が全編を通じて言及される。ぼくがことのほか愛好している『新しい人よ眼ざめよ』などは、言及どころか作品自体がブレイクの詩篇に触発されて生まれたものである。いま取り上げている集英社文庫の『読む人間』でも、ここに名を挙げた大詩人たちの作品を、優れた研究書の助けを借りて精密に読み解き、自作へと昇華していく営みの歓びが、ページの大半を費やして詳しく語られている。読書と創作とが照応しながら絡み合い、そのことがさらに実際のライフ(人生=生活)そのものをより深く、豊かにすることへと繋がっていくのだ。時間つぶしでも、目先の利益のためでも、たんなる教養のためでもない、生の根底に直結した、もっとも理想的な読書のかたちがそこにある。創作に携わらない人であっても、本と向き合うこのような姿勢から学ぶべきものは少なくないはずだ。
 青年期から中年期にかけての大江氏は、サルトルはもとよりドストエフスキー、ラブレー、また我が国の第一次戦後派や、文化人類学者の山口昌男といった書き手たちからも大きな影響を受けてきたはずだが、それらの名前は『読む人間』のなかには現れない。おそらくは、すでに濾過されてしまったということだろう。たしかに詩というものは、言葉かずが極度にかぎられているために、1行ずつのボルテージが高く、人生のさまざまな局面において閃光のように記憶の底から蘇ってくる。また、イメージの断片が作品の内部で峻烈に飛び交ってはいても、一義的な意味は絶え間なく揺らいでいるゆえに、読む側の成熟度に応じていろいろな読解が成り立つということもあろう。生涯の伴侶となりうる本は、意外にも小説ではなく詩のほうかも知れぬと、ぼくも近ごろエリオットの『荒地』(岩波文庫)などを読みつつふと考えたりもする。
 一冊の本と向き合う作家・大江健三郎の誠実さは、そのまま他者や世界と向き合うときの誠実さに等しい。ぼくなどは、自らの放埓な濫読ぶりを省みて、信頼すべき年長者から、もの静かだが厳しい口調でたしなめられたような気分になったくらいだ。「知識人」という言葉は現代社会でほとんど死語になりかけているが、『読む人間』のなかでは、その単語がまだ目映い光芒を放っていた。冒頭、シモーヌ・ヴェイユ(フランスの女性哲学者。きわめて鋭敏で繊細な文学的感性の持ち主だった。1943年、34歳で死去。)に触れて、「これから知識人になっていかれる若い女性の方たちが、本を読んでいく上での大きい柱になさったらいいんじゃないかと思う。」とおっしゃった一節が、ひときわ心に残ったのである。これほどに直截で力強いメッセージは、今までの大江さんのエッセイにはなかった。聴衆に向かってダイレクトに語りかける、講演という媒体の功徳であろう。一級の読書論として、あるいはすこし異色の人生論として、ふだん大江さんを敬遠している若い層にも幅広く推薦したい。


いただいたコメント


 『中上健次 軽蔑』とGoogle検索し、こちらに来ました。
 僕は中上の『灰色のコカコーラ』(を収録した鳩どもの家も)を愛読していますので非常に興味深い記事でした。
 先輩に薦められて読んだ『限りなく透明に~』はなんだか退屈な作品でして、江藤淳が『あれは他人の言葉を借りて言わせれば麻薬中毒者のカセットテープを聞いているようなものだ』『サブカルチャーの表現に過ぎない、サブカルチャーの記述を脱していない』と批判していたのが印象的です。
 大江の記事に別の作家への私見をだらだら書いてしまい、恐縮です(-.-;)
 大江健三郎の『万延元年のフットボール』の記述の粘っこさと描写の鮮やかさと残酷さは衝撃の一言に尽きます。
 安部は『壁』『砂の女』しか読んでいませんが、個人の苛立ちを示した能力では大江の方が上手だというのは僕も同意見です。春樹にノーベル賞は無理だと思います。
 僕がコメントしようと決めたのは、お書きになったように最近の大江が戦後民主主義者として活躍しているのを右翼的目線から非難する人々が多すぎると常々感じていたからです。
 ぷちナショナリズムの高揚を肌に感じていますが、やはり大江の力強さは比肩しがたいものでしょうね!

投稿 野鳥先輩 | 2011\11\13


 コメントありがとうございます。気の向くままに、いろいろと雑多なテーマを取り上げていますが、やはりブンガク関係は当ブログの本丸なので、こういったご意見をお寄せいただけると嬉しいですね。
 記事の中にも書いたとおり、ぼくもまた『ブルー』よりも『灰色』のほうを愛好する者の一人ですが、ただ、『限りなく透明に近いブルー』という小説そのものが嫌いってわけでもないのです。これについても短い文章を載せておりますので、もし未読であれば目を通していただけましたら幸いです……。
 『万延元年のフットボール』は、たしかに衝撃的な作品であり、戦後文学史に輝く傑作ですよね。さっきウィキペディアを見て、春樹さんの『1973年のピンボール』というタイトルが、これのパロディーだと初めて気がついたんですが……大江さんの重厚さと春樹さんの軽妙さとは、まさしく時代の移り変わりの象徴だとは思います。しかし、『海辺のカフカ』や『1Q84』くらいでは、海外の並み居る怪物的な作家たちにはまだまだ及ばないでしょう(じつはまだどちらも読んでないんですけどね……)。
 社会的な発言をする際の大江さんは、故・井上ひさし氏と並んで愚直なまでに「戦後民主主義者」であり、その点においてはデビュー当時からまったく揺らいでおられません。いわゆる「昭和ヒトケタ」の作家たちというのは(大江さんは昭和十年だからギリギリですが)、小説の中ではずいぶんと綺想を繰り広げたり、時には反社会的なイメージを書き連ねたりしても、一知識人としては、頑として戦後民主主義者たる姿勢を貫く方が多いわけですが、大江氏はまさにその代表格ですね。その姿勢に込められた深い思いを汲み取ることなく、たとえば小林よしのり氏あたりの尻馬に乗って大江さんを嘲罵するような振る舞いは、政治的にも文化的にも、きわめて貧しい行為だと思います。せっかくあれほどの作家と時代を共有しているのに……。

投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2011\11\14

井上ひさしについて。

2015-09-19 | 純文学って何?
 
 「旧ダウンワード・パラダイス」から文学にまつわるものを転載します。どれにしようか迷ったんだけど、もし存命であればこのたびの安保法制に対して必ずやアクションを起こしたであろう、昭和~平成を代表する作家・戯曲家について……。初出は2010年4月14日、この方が亡くなった五日後のこと。

 井上ひさしへの追悼文。

 亡くなったことがすぐ公にされなかったのと、新聞休刊日とが重なって、井上ひさしさん逝去の報が新聞に載ったのは12日(月曜日)の夕刊だった。ぼくは11日の昼過ぎくらいにネットで知った。その流れでちょっと検索してみたら、前妻・好子さんに対するDVの記事がやたらに多くて、文学そのものの話題を押しやるほどの勢いだった。まあ、もともとネットの上じゃあ文学ネタはマイナーですけどね。一方、新聞とテレビの報道では、『吉里吉里人』をはじめとする小説、『父と暮せば』などの戯曲、「ひょっこりひょうたん島」の脚本や「ムーミン」の作詞といったテレビ畑での業績、そして「9条の会」のような反戦・平和活動のことが紹介され、DVのことは片鱗すらも触れられてはいない。
 「作品群を改めてみると、質と量の迫力に圧倒される。(……)一作一作が高い峰。それがどこまでも続く。雄大な山脈のようだ。」とは、朝日新聞の追悼記事の一節である。松本清張さんや司馬遼太郎さんの時にも、似たような表現を見た気もするが、確かに井上さんの業績は、昭和ヒトケタ生まれとしては、あのお二方にも匹敵しよう。この種の賛辞にふさわしい人は、あとはもう数えるほどしかおられない。じっさい、昭和の後期(から平成)の文壇および演劇界を代表する作家・戯曲家だったわけだから、マスコミ側の応対こそが正しいに決まってる。ただ、本当にそれだけでいいのかな、という思いは残る。
 ネットの上のDV記事のほとんどは、好子(現・西館代志子)さんが著した『修羅の棲む家』(はまの出版)からの引き写しである。当事者による証言の真相なんてのは、ひさし氏サイドからのものも含め、結局のところ第三者には分からない。しかし目につく限りの引用文を読んでみたかぎり、ぼく自身の判断力に照らしても、それがまったくの事実無根とは思えなかった。あまりにもリアリティーがありすぎる。小説を書くには自らの奥底にあるどろどろした感情と向き合わなくてはならないが、あれやこれやの事情で理性の歯止めが利かなくなって、その負の感情が爆発してしまうメカニズムが怖いくらいに分かるのだ。
 どんな職業に就いていようと、世の荒波に揉まれるストレスってのは大変なもので、そのストレスをいかにして発散させるかはすべての現代人に課せられたテーマだろう。しかるに家庭内での暴力などは、その方法として最悪のものというべきだ。筆一本で身を立てる作家という稼業は、ストレスの度合いも人一倍激しく、とかく内攻しがちだとは言っても、それで許されるはずもないのである。芸術とはおしなべて「善悪の彼岸」で行われるものであり、作品の中では何をやっても構わない。あれだけ倫理にうるさい石原慎太郎東京都知事とて、小説においては人倫にもとる所業を得々として書いておられる。しかし、虚構と現実とを少しでも穿き違えることがあったなら、それは誰であろうと厳しく指弾されなくてはならない。
 それ以上に引っかかったのは、井上さんが、ご自身の離婚及び好子さんからの告発に際し、表では「被害者」のように振る舞いながら、裏では権力をふるって自らに不利な情報を握りつぶしたというゴシップだ。これもまた、政治的な立場の相違から氏を快く思わない人たちによる非難だけれど、やはりただの悪意ある噂として一蹴できないリアリティーがある。確かにマスコミというエリアにおいて、井上さんと好子さん、このお二方の力関係にはあまりにも大きな懸隔があった。これらの事柄を併せると、「弱者に対するやさしいまなざし」の大切さを謳い、「わたしたちの当たり前の生活」の尊さを説き続けた井上さんのお姿そのものが、ぼくの目には危うげに揺らいで映るのである。
 大作家の訃報に接して追悼文を書くのに、このような前置きから始めねばならなかったのは悲しいことだが、それが現実とあらば致し方あるまい。今はまだ生々しすぎてタブー視されてはいるが、長いスパンで見るならば、これもまた「文学」の一部に他ならない。数十年後に井上ひさし氏の衣鉢を継ぐほどの才能が現れ、氏が宮沢賢治や石川啄木や樋口一葉や魯迅を虚実織り交ぜて描いたように、「井上ひさし」の著作と人生を、その矛盾と葛藤とを、丸ごと呑み込んで表現するような物語を書くかも知れぬではないか。
 この件はもうこれくらいにして、そろそろ本題に入ろう。ぼくが井上文学にもっとも入れ込んだのは三十代の前半で、『手鎖心中』(文春文庫。直木賞)、『腹鼓記』(新潮文庫)『不忠臣蔵』(集英社文庫。ともに吉川英治文学賞)のほか、『十二人の手紙』、『國語元年』、『自家製文章読本』などをどっさり買って片端から読んだ。『戯作者銘々伝』(中公文庫。おそらく絶版。のちに、ちくま文庫で復刊されたが、すぐまた品切れになった)を古本屋でたまたま見つけて読み耽ったのがきっかけである。これは山東京伝、恋川春町、式亭三馬といった江戸の戯作者たちを、一人につき一作ずつ主軸に据えた短編集で、それぞれにたっぷりと趣向と仕掛けが凝らしてあり、息をもつかせぬ面白さだった。これで井上さんの凄さに開眼し、ついでにしばらく江戸にも凝って、岩波文庫の『耳袋』なんかに手を出したりもした。むろん氏のお名前は幼い頃から知っていたけれど、作品を集中的に読んだのはこの時が初めてだ。
 それというのもこれ以前にいちど、ぼくは井上文学と行き違っているのだ。二十代の半ばくらいに、文庫になった『吉里吉里人』(新潮文庫。読売文学賞・日本SF大賞)を期待に胸躍らせながら買って、上、中、下巻と一気読みしたのだが、このときはまるで没入できず、むしろがっかりさせられたのだった。初めはけっこう面白かったものの、後に行くほど子供向けマンガか、三流コントみたいに安っぽくなるように感じた。SFだったら細部をもっと綿密に作り込んで欲しいし、荒唐無稽をやるのなら、筒井康隆さんくらい無軌道の果てまで突き抜けて欲しい。どちらとしても中途半端に思え、しかも致命的なことには、作者が笑わせようとしている所で、まったく笑えないのである。繰り出すギャグがどれもみな、おやじ臭くて垢抜けない。語弊があるかも知れないが、ビートたけし以前のお笑いってのが大体あんな感じであった。いちいち名前は挙げないけど、まあそのう、欽ちゃんとか。
 もともと自分が、綺想の類いを好まないということもあるとは思う。ぼくは大江健三郎さんの小説を自らの「文学の基準線」としているのだが、それは私小説的リアリズムを根底に置いた小説に限られていて、グロテスク・リアリズムと称される一連の作品、たとえば『ピンチランナー調書』や『同時代ゲーム』は苦手なのである。しかし、好き嫌いは別にして、方法論的な意味での試みとしては、『吉里吉里人』が大変なものだってことはよく分かっている。「中央」に対する「周縁」の叛乱という主題を、あそこまで大規模に展開できる作家は、今だったらエンターテインメント畑でたくさんいるのかも知れないが、あの当時には、それこそ大江、筒井といった人を除いて、ほぼ皆無であったと思う。また、世評高き言語遊戯の数々も(漱石や川端康成の名作を、標準語から「吉里吉里語」に訳してみせるあの手練!)、ただ唸るしかないものだった。
 それでも性に合わないってのは難儀なもので、この記事を書くに当たって探してみたが、一山ほどにもなっていたはずの、わが「井上ひさしコーナー」の文庫がほとんど見当たらない。『吉里吉里人』はもとより、『手鎖心中』も『腹鼓記』も『不忠臣蔵』もない。『戯作者銘々伝』は絶対あると思ったが、それさえどこかに紛れている。あるのはただ、『ことばを読む』(中公文庫)と『ナイン』(講談社文庫)と『表裏源内蛙合戦』(新潮文庫)の三冊のみ。これらはそれぞれ、順に評論、短編、戯曲の教科書として、つねに座右に置いているものだけど、それにしても、本丸というべき長編小説が一冊もないとはいかなることか。
 長編小説の醍醐味は、現実社会とは別の地点に、言語を使って壮大な伽藍を築き上げるところにある。それは現実そのものに酷似してはいるが、独自の論理・独自の体系に基づいて、作者の創った人物たちによって織り成される架空のオペラである。卓越した作家の手に掛かるとき、現実社会と作品世界との類似や乖離は、そのまま社会および時代への優れた批判となる。そのためには、膨大な資料を読みこなし、それを咀嚼して自らの言葉へと噛み砕く才覚が不可欠なのだが、その点において井上さんは傑出していた。そういえば、村上龍さんの『半島を出よ』(幻冬舎文庫)を読んだとき、これは21世紀のハードコア・デスメタル版「吉里吉里人」じゃないかと思った。物騒なテーマに正面切って取り組んだ娯楽読み物が、そのまま手厳しい日本論・日本人論となっている。
 じつをいうと、ぼくにはもうひとつだけ楽しみが残っているのである。井上さんの主著のうち、文春文庫『東京セブンローズ』(上)(下)だけはまだ読んでなかったのだ。他の多くの著作と同様、これも版元品切れらしいが、昨日、うまい具合に近所の本屋に売れ残ってるのを手に入れた。正確にいうと、前に見かけて気に留めていたのを昨日あわてて買いに走ったわけだが、こういうことが起こるから、町の小さな書店をかんたんに店じまいさせちゃあ駄目なんですよ。ともあれ、晩年は戯曲のほうに心血を注いでおられた井上さんの遺した最後の長編であり、リアリズムと資料の渉猟と井上流のストーリーテリングとが一体となった「最高傑作」との評価も高い。願わくばこれが、長編小説の教科書として、ぼくの座右に加わってくれんことを。

 追記 平成27年9月19日) その後、新潮社から『一週間』が刊行されたので、文中の「井上さんの遺した最後の長編」という部分は訂正しなくちゃならない。さらにそのあと、文春文庫から『東慶寺 花だより』、講談社文庫から『一分ノ一』(上中下)も発売された。つくづく多作な人だった。


 さらにもうひとつ、この続編として、2010年4月21日に発表した記事。


 東京セブンローズ……「銃後」の生活を知るための教科書。

 前回の記事をアップしてから早や一週間。井上ひさしさんの訃報を聞いて慌てて入手した(『東京セブンローズ』上・下 文春文庫)を、いま上巻の半分くらいまで読んだところだ。この小説の内容の濃さに圧倒されて、自前の文章を書こうなんて気が起きない。まだ読了していないから、傑作とまで呼べるかどうかは保留しておくけれど、すでに今の段階で、これが掛け値なしの大作であり、労作であることは疑うべくもない。文庫版の刊行から8年、親本である単行本の出版からは11年。井上さんならいつでも書店で手に入らぁ、と高をくくって買わずにいたのが悔まれる。日本を代表する作家の遺した最後の長編というだけでなく、驚いたことにこれは、太平洋戦争下における「日本帝国臣民」の「銃後」の生活を知るための最良無比の教科書だったのである。もっと早く読んでおくべきだったなあ。ほんと、小説としてというよりも、まずは歴史を学ぶ資料として、ぜひとも読んでおいたほうがいい。少なくとも小林よしのりさんの『戦争論』シリーズに興味を覚えた人ならば、どうしたってこちらも読んでおかなきゃ嘘だ。「あの戦争が起こった時、われら庶民がどのような生活を強いられたのか。」を知らずして、抽象的に戦争のことを論じ合っても虚しいじゃないですか。
 東京は根津の下町に暮らす53歳の一市民(本職は団扇屋さんだが、統制経済のため商売ができず、闇で運送業をしている)の日記という体裁を借りて、著者は「金もコネもない一介の庶民が、あの時代をいかに生き抜いたか」を、微に入り細に亙って描き出す。正かな・正字(例へば「国体」を「國體」と書くといふことです)できっちりと綴られたその「日記」は、浩瀚にして稠密、徹底したリアリズムに貫かれ、高度成長期以降に生まれたぼくなんかでさえ、当時の日常を追体験させられるかのごとき錯覚に陥ってしまう。家族構成は、妻および三人の娘と一人の息子。長女は比較的余裕のある家に嫁し、次女と三女は(身分はいちおう学生ながら)勤めを持っているとはいえ、もとより生活は楽ではない。というより、空襲による命の危険を別にしても、少しでも気を緩めればたちまち餓死しかねない窮乏ぶりである。何しろ物が無い。食料はいうまでもなく、水とか紙とか、ぼくたちの暮らしを普通に成り立たせてくれているものがまるで手に入らない。当時は薪が必須だったが、それも貴重品であり、だから風呂にも入れない。床屋に行くのですら贅沢の極み。どうですか? ケータイなしでは夜も日も明けない平成生まれのみなさん。「想像を絶する」というのはこのことでしょう。ぼくだって、うまく想像できません。たった65年前のことなんだけど。
 そうはいっても作者が井上さんだから、作品は、ということはすなわちこの日記は、けして陰鬱一辺倒ってわけではなくて、山中信介という名前を持つその団扇屋のご主人は、ゆたかな人間性にあふれ、いかなる労苦や災難に遭おうと、大小さまざまの「権力者」たちの横暴に振り回されようと、つまらぬ愚痴や弱音は吐かず、いつだって一抹のユーモアを忘れないのである。これは個人の日記とはいえどんな弾みで公の目に晒されるやも知れず、「お上」に対する批判が見つかろうものなら只ではすまなかった当時の事情の反映ってこともあるだろうけど、それ以上にやはり、山中氏がいつものあの懐かしい「ひさし的語り手」の一人であって、社会的には弱者の側に属していても、けして信念と矜持とを失うことのない、「理想の市民」であることの表われであろう。だからこそぼくたちも、本来であれば息詰まるようなストレスなしには読み進められない筈のこの「記録」を、人間精神のひとつの見事な描出として、つまりは優れた「文学」として、享受することができるわけである。
 松山巖さんの解説によれば、この日記は終戦の年(1945=昭和20年)の4月から、翌4月までの丸一年のことを綴っているそうで、終戦ののちは随分と趣きがかわるらしい。まだ上巻の半ばまでしか読んでないから、もちろんぼくは、この作品を文学としてここで論じるつもりはない。冒頭に述べた通り、これが太平洋戦争下における「日本帝国臣民」の「銃後」の生活を知るための最良無比の教科書であると思ったから、そのことを書き留めたかっただけである。大岡昇平さんの『俘虜記』『野火』、大西巨人さんの『神聖喜劇』、野間宏さんの『真空地帯』など、軍隊や戦場を描いた名作は多い。また、野坂昭如さんの『火垂るの墓』のように、内地における戦争の悲惨を謳い上げた名作もある。しかし、庶民の生活の細かい部分を、丁寧に丁寧に、紡ぎ上げるようにして書き込んだ小説というのは意外とほかに見当たらぬのだ。井上さんは野坂さんよりさらに四歳年少の昭和9年生まれで、終戦の年には十歳だから、『東京セブンローズ』に描かれた事柄を、ぜんぶ実際に体験されたわけではない。下巻の巻末に、延々5ページに及ぶ参考文献目録があるが、これはあくまで一端に過ぎず、ちょっと気の遠くなるほどの資料の博捜があったろうことは間違いのないところだ。
 しかし、正かな・正字のせいか、題材が地味だと見なされるのか、この著作は現在版元品切れらしい。著者のご逝去を機に即刻再版されることを祈るが、このごろの出版事情を見ていると、いささか心許ないところもある。これほどの小説がふつうに書店で手に入らぬとは、少しく薄ら寒い話だ。いくら不況がひどくとも、ニッポンの文化はそれほど底の浅いものではない、と信じたいのだが。

 追記 平成27年9月22日)『東京セブンローズ』は、期待に違わぬ名作だった。さらにこのあと、講談社文庫の『四千万歩の男』(1~5)という肉厚のセットを大手古書チェーンの百均コーナーで見つけて買い(井上さんすいません)、これにも感嘆した。ぼくにとってのひさし文学最高の長編はこの二作である。

吉田修一の『パレード』を読む。

2015-09-10 | 純文学って何?
 初出は2010年2月23日。頂いたコメントと共に再掲します。



 この記事はネタバレを含む。そうなることをできるだけ避けて、草稿を一本書いたんだけど、いかにも隔靴掻痒というか、言いたいことの半ばも言えず、これだったら取り上げる意味がないと思えた。だから改めて書き直したこの稿では、なるべく露骨にならぬよう努めたものの、やむをえず小説の核心に触れた部分がある。いかに原作の刊行が8年前とは言え(注・2010年当時)、映画化を機に読んでみようという方もおられるだろうし、未読の方はくれぐれも、原作を読むか、せめて映画を見てから目を通されることをお勧めします。
 2LDKのマンションをシェアする五人の男女(男3+女2)が、代わる代わるに語り手を務めて、それぞれの過去と現在を喋っていく。見た目は仲良く馴れ合いつつも、相手の内面には踏み込まない、ほどほどの距離感こそが円満な共同生活のモットーだ。現実にこんな暮らしを送っている若者は多数派とはいえないだろうけど、これはまた、学校やサークルや仲間同士の集まりなど、都会に生きるぼくたちが、そこで他人とふれあう「場」のメタファー(比喩)でもある。だから特殊な話じゃないのだ。
 「嫌なら出て行くしかない。いるなら笑っているしかない。」(2番目の語り手・大垣内琴美)という言葉には、だれもが共感するだろう。もう一人の女性、3番目の語り手・相馬未来はそれを、「ここでうまく暮らしていくには、ここに一番ぴったりと適応できそうな自分を、自分で演じていくしかない。」と表現する。これもまた、大方の共感を得られそうな台詞だ。
 「ロスのハイウェイって、合流するのが怖いね」という台詞で始まる『レス・ザン・ゼロ』なる小説があって、著者のブレット・イーストン・エリスは、「ニュー・ロスト・ジェネレーション」などと名指され、『ブライト・ライツ・ビッグ・シティ』のジェイ・マキナニーなんかと共に、日本でもけっこう持て囃された。
 時あたかも80年代後半、こちらでは、まさにバブルがモンスターのように膨らんでいた時期だ。それから「失われた十年」が来て、何だかすっきりせぬままに、新しい世紀が訪れたけれど、2002年に著者初の書き下ろし長編として上梓された吉田修一さんの『パレード』の出だしは、たぶん少なからぬ影響を、『レス・ザン・ゼロ』から受けている。吉田さんがあれを読んでないってことは考えにくい。
 「他人との適正距離」をクルマの運転になぞらえるあのオープニングは、もういちど238ページ(ページ数は幻冬舎文庫版。以下も同様)で反復されて、本作のテーマを、改めて読者の前に視覚化してみせる。距離の目測を誤れば、たちまち「事故」が起こるのですよ、と。
 『パレード』は、何よりもまず、「よく出来た風俗小説」なんだけど、最終章の後半に至って、一気にモダン・ホラーの様相を帯びる。ネットの感想を見ていたら、「血に逃げた」と評してる人がいた。「そっちの方向に持っていかないほうが、むしろもっと《怖く》なったはずだ。」とも、その人は言っておられた。ぼくもまったく同感だ。以下、この点について分析的に述べてみる。
 『レス・ザン・ゼロ』でも、終わりのほうに、スナッフ・ムービーにまつわるおぞましい挿話があったけれども、贅沢しすぎておかしくなってしまったビバリーヒルズの青年たちを描くブレット・イーストン・エリスはその後、『アメリカン・サイコ』というどうしようもないタイトルの小説を書き、この作品はほんとにもう、中身もまったくどうしようもない。
 ぼくは残酷描写が生理的にだめで、本当に勘弁してくれよって感じなんだけど、それでも今の時代にあって、小説を読んでたり、ましてマンガや映画を観ていれば、これを避けては通れない。既製の批評言語の内に、適切なものが見当たらぬので、自己流の概念を作ったのだが、ああいう技法をぼくは「戦場の導入」と名づけている。
 あの手の事件、さらには描写が、フィクションの中で現れた時は、そこに「戦場が導入されてる」のだ。そう考えるようにしている。初めから戦争を描いたものならば、読む側にも覚悟はできているけれど、日常の点綴の中にとつぜん戦場の光景が出てくりゃ誰だってそれは吃驚する。目眩をおぼえる。胸が悪くなる。亀裂が走り、風景が異化される。世にいうショッキング・ホラーのやり口は、この公式でほとんど説明がつく。
 『パレード』において吉田さんは、ラスト部分(と、その前に174ページでもちらっと)この「戦場の導入」をやってるんだけど、もうひとつ、それに併せて「バナナフィッシュ・エフェクト」という技法を使っている。これもまたぼくの自家製用語なんだけど、現代の古典ともいうべきサリンジャーの名短編集『ナイン・ストーリーズ』の巻頭を飾る「バナナフィッシュにうってつけの日」(もしくは「バナナフィッシュ日和」)のなかで、主人公の青年シーモアは、これと言って明確に納得できる説明(伏線)もないままに、最後の一行で唐突にピストル自殺してしまう。
 発表当時はずいぶん物議をかもしたらしいし、それから五十年以上が過ぎた今もなお、「あれはおかしい」と主張する学者がいるそうで、十分それは頷ける話だ。読者の鼻先でばたんとドアを閉めるようなあのやり方は、他人がぜったいに覗き込むことのできない個人の心の深淵(それを「闇」と呼ぶことも許されるだろう)を否応なく類推させて、ぼくたちを揺り動かすけれど、いっぽうで「あざとさ」と紙一重なのもまた事実だ。
 すでに優れた風俗小説の書き手としての評価を得ていた吉田さんは、『パレード』を手がけるに当たって、たんなる風俗小説の域を超え、「人の心の闇」を読者に提示しようとした。ひとまずはそういう言い方ができる。新進から中堅に歩を進めようとする作家にとって、その心意気はもとより至当なものであったろう。
 ポイントは、それがうまくいったかどうかだ。誰しもが想像できるとおり、「戦場の導入」も「バナナフィッシュ・エフェクト」も(考えてみれば当たり前だけど、この二つはよく対になって使われる)、きわめてインパクトが強い反面、おそろしく反動のきつい技法だからだ。「純文学」の中で使われる場合はとくに。……下手をすると、「文学」が一瞬にしてスプラッタ・ゲームと化してしまいかねないのである。
 「あの人」があのような凶行を起こす伏線は、92ページ、137ページ、184ページ、223ページ、そして248ページに敷かれている(281ページから282ページへの流れは、すでに事件が始まりつつあるので、もう伏線とはいえない)。とりわけ小石を小屋の窓に投げつける223ページのエピソードは重要だ。この話を彼がどうやらサトルだけにしかしていないことは、彼とサトルとの親和性を物語るものだろう。
 また248ページの挿話は、彼の人格が子供の頃から乖離していたことを示すのかも知れない。とはいえ、それにしたって、たったこれだけの伏線で、果たして彼が「壊れている」ことを十全に浮かび上がらせていると言えるだろうか? ぼく個人はそうは思えない。つまり作者は、「バナナフィッシュにうってつけの日」でサリンジャーが受けたのと同質の批判を受ける余地がある。ようするに、あざとい。
 ただし、もともと「バナナフィッシュ・エフェクト」自体がそういうものであり、伏線が不十分で、余白が多いからこそ当人の「闇」の深さが際立つのだとはいえる。だからやっぱりここでは「戦場の導入」を、「血に逃げた」ことの是非をこそ問題にする必要がある。
 それというのも「彼」には、この凶行に比べたらまったく些細なことだけど、作品のテーマからすれば本質的な、もうひとつの秘密があるのだ。彼自身はべつに面倒見がいいわけでもなく、人恋しいわけでもないのに、いわば≪投げやり以上、悪意未満≫ていどの気分で次々と彼ら・彼女らを引き入れてきた。その結果、意図せずして妙に居心地のいい空間ができあがってしまい、彼もまたどこかしら兄貴分のように遇されているけれど、それは別に彼の本意ではなくて、彼自身は「自分が得になるようにしか行動していない」のである。
 実をいうとぼくは、同居人たちが「知っている。」というのは、凶行ではなく、そっちのほうのことなんじゃないかと思えてならない。それならば辻褄は合うが、凶行のことだとすると途端に絵解きが難しくなる。都合三回読み返したものの、それぞれのみんなが、一体いつ、凶行の犯人が「彼」であることに気がついたのか、どうしてもぼくには分からなかった。
 ことに未来は、途中まで別の人を疑ってたわけだし、気づいた時点で明確な徴候が表れたはずだが、目を皿にして作品を読んでも、どこにもそういうものが見当たらない。ほかの三人についても同様だ(ただし隣家の占い師は、なぜか知ってるようだけど、これはさほど不思議っていう気がしない。フィクションに出てくる占い師ってのはそういうものだ)。
 川上弘美さんは解説で怖い怖いを連発しておられるけれど、芥川賞の選考を務めるこの方の目には、読み返すたび、誰がどこで「気づいた」のかが、逐一見えていったのだろうか? もしこれだけの悪事を知ってて何ひとつアクションを起こさないとしたら、その集団はもちろん怖い。
 作品のテーマからすれば、彼らが何も言わない理由は、「その人がよそで何をしてようと、僕の・私の前でいつものように振舞ってくれるのならばそれでいい。変に距離を詰めたりして、この居心地のよい空間を台無しにしたくない。」ってことになるだろう。だけどこの場合、その「よそでやってること」の凶悪さの度合いが桁外れなのだ。万引なんかとはレベルが違う(注・万引は犯罪です)。
 仮に百歩ゆずってモラルの問題を棚に上げるとしても、それほどの暴力性を秘めた人と同居を続けるなんて、それこそこんなに「怖い」事態はないではないか。どう考えてもそりゃ変だ。
 もし本当にそれで平然としていられるならば、ほかの四人も(美咲は「知ってる」かどうか不明瞭なので除く)、「あの人」と同じか、下手するとそれ以上に壊れてるってことになる。しかし、そんなことがありうるだろうか。
 「あの人」と親和性があり、一風変わった経歴をもつサトルはともかく、あとの三人はそれぞれに偏ったところがあるとはいえ、生い立ちもまあ普通だし、独白の部分を見ても、結構まともな感性と良識を持っている。ラストまで話を持ってきて、いきなり「彼らもじつは、こんなにも壊れてたんですよ。」なんて落ちにするのは、もはや単なるあざとさを超えた、無理無体なバナナフィッシュ・エフェクトだと思う。設定に無理があるってことは、つまり、あからさまに作り物ってことであり、そこに怖さは生じない。
 だからぼくは、「そっちの方向に持っていかないほうが、むしろもっと怖くなったはず」だと言いたいわけである。これはまさしく作者の力量というよりないが、良介の5本目の鍵と、琴美の宅配便の段ボールはたしかに怖い。未来のお手製つぎはぎビデオは、作品の中でもうシャレにされてしまっているけれど、ピンクパンサーのコミカルなパレード(作品のタイトルはここから来ている)を上書きされたその画像は、あのシチュエーションで流されなくてもやっぱり怖い。 
 とどめを刺すのは、「あの人」が向かいのマンションの踊り場から自分たちの部屋を眺める件りだ。「あのマンションで暮らしている誰もが、実はそれぞれ別の場所で暮らしているのではないか……」
 これだけの道具立てを揃えたうえで、彼が部屋を提供している身勝手な動機を、同居人たちが「知っている。」としたら、それでもう十分ではないか。なにもことさら、「戦場を導入」する必要なんてなかったんじゃないか。十分それで、ラストのあの一行に繋がっていくではないか。
 以上のような理由から、ぼくはこの作品をけっして評価できないけれど、もし「戦場の導入」がなく、ただ同居人たちが「あの人」の身勝手な動機を知ってましたってだけのことなら、かくも異様な読後感は生じないだろうし、この本はこんなに売れなかったろうし、おそらくは映画化されることもなかっただろう。そしてぼくも、ここでこうして論じようという気にはならなかったはずだ。
 じつはぼく自身、三回ちょっと読み返し、こんなにも時間を費やして考察していながら、「あざとさ」と「文学性」との紙一重の「距離」が、いまだにうまく見極められないでいる。小説とはどこまでも難しいものだ。






はじめまして。
楽しくブログ拝見させていただきました。

この本は読む人によって捉え方が大きく変わる小説だな、と思いました。

私が怖いと思ったのは、自分自身を振り返ってみて感じました。
上辺だけの関係でよくて、ここに一番ぴったりと適応できそうな自分を、自分で演じていく、
それがいやなら出ていくだけのこと。

一見、楽しいじゃないか、何が悪い、今よくある話だ。なんて思っていて、むしろ共感してしまった自分。
そうなると登場人物が自分自身に思えてきて……

結局何が言いたいかといいますと、

私も、直輝がどうなってもいいと思っている人たちと同じ位置にいる、ということに怖さを感じました。
ジョギング(犯行)へ向かうときは、彼らのように迷惑な顔をする。
でも、ジョギング(犯行)を止めようとはしない。

ダブって見えてしまったんです。

投稿 ブースカ | 2011/02/18



 コメントありがとうございます。
 この記事はかなりアクセス数が多いのですが、コメントを頂いたのは初めてで、うれしいかぎりです。
 記事をアップしたのはもう1年も前なので、ぼくの感想もいくらかは深まっているかと思うのですが、ひとつ気がついたのは、作者はこれを、パソコンのチャットルームを想定して書いたのではないか、ということでした。
 それも、実際にはまったく面識がなく、ただネットの上だけで繋がっている間柄をモデルにしたのではないか?と。
 それだったら、繋がってる時だけ愉しければいいわけで、相手のひとがリアル世界で何をしてようと、まったく知らぬ存ぜぬでOKですもんね。
 そういう意味なら、ぼく自身も、ここに出てくる人物たちに十分に感情移入できます。自分の中にもそういう面があると思います。
 とはいえ、小説の中では、この人たちは現実に一緒に暮らしているのだから、同居人がそんな「危険」なひとだったら、やっぱりここまで平静ではいられないと思うんですよ。
 記事の中ではその点を強調してみましたが、この小説が、現代社会の一面を鋭く切り取った優秀な作品であることは、間違いないと思っています。

投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2011/02/19



昨日、久しぶりに読み返してみて、
面白い本なんだけど
表現的に「納得出来ない感」を解消しようと
ここに辿り着きました。

本ブログ楽しく読ませて頂きました。

本作はチャットルームでの人間関係のような生活
まさにそのままです。

かく言う私も東京都内のシェアハウスで
男女8人の生活を送っています。

自分が快適に暮らす為には、
苦手な相手にも笑顔で接し
住人同士、相手に深入りしない
無用なトラブルは避ける
皆、もの分かりがいい大人を演じる
そんな不文律があります。
本作のそういった浅い善意などの
描写のうまさにはとても感心させられました。

直輝の狂気や残虐性の伏線などはさておき、
サトル以外の皆もその犯行について知っていたか?という点について
「皆が知っているが、日常の生活を壊さぬようにしている住人達の怖さ」
みたいな感想が結構多くて驚いています。

サトルには、他人の生活を覗く趣味があり、
ちょっと興味を持っただけのおじいさんの後を尾行したりするのも当たり前、
倒錯した性の持ち主で、バイオレンスな事も日常的
直輝の倒錯した性衝動(犯行)を割と早い段階で
知っていてもおかしくない設定です。

が、他の住人は知っていたか?

直輝自身が最後に「こいつら、本当に知っているのだと肌で感じた」
と思っただけで(それも思考が狂気モードの時)

そんな伏線はどこにも出てきません。
イラストレーターの未来などは、
サトルの犯行だと思い込み、
寝ている直輝を起こして相談するくだりまであります。

なので、何故読まれた方が
皆知っていた恐怖、のような感想を持つのか不思議でなりません……

何が言いたいかというと
直輝が「こいつら、本当に知っているのだと肌で感じた」という表現が
読み終わっても全く納得いかないのです。
(いくら狂気モードとはいえ)

「皆、知っていたのか?」の問いかけなら、ありがちですが、
まだ納得出来ました……

いずれにせよ全体的に面白かっただけに、残念なラストでした。

投稿 | 2012/05/20



 コメントありがとうございます。じっさいにシェアハウスにお住まいとのことで、興味ぶかく読ませて頂きました。
 吉田修一さんの作品では、『悪人』がいちばん上手くできており、『パレード』はむしろ失敗作に属するかとさえ思うのですが、破綻を生じている分だけ、ひどく謎めいていて、いつまでも心に残る小説です。小説の魅力が「完成度」だけに掛かっているわけではないことがよく分かります。
 ちょっと今、肝心の幻冬舎文庫が見当たらなくて、うろ覚えで書きますが、おっしゃるとおり、サトル以外の住人たちが直輝の凶行(もっといえば、衝動および性癖および狂気)をほんとうに知っているのかどうかは、やはり極めて不鮮明ですよね……。
 「犯行のあと、精神状態がものすごく不安定になっているところへ、ふいに現れたサトルに誘導され、そのように思い込んでいるだけ。」という解釈も十分に成り立つでしょう。どちらかといえば、そう取るほうが常識的かと思います。この記事の中で強調しているとおり、ほんとうに「知っている。」としたら、ルームメイトたちがこれほど平静でいられるはずはないだろうから(ぼくは家族以外の者とルームシェアした経験はないけど、ぜったいそうですよね?)
 だから、世評の多くが、「知っている。」という点をあっさりと受け入れているらしいのには、ぼくも違和感を覚えます。
 客観的な事実としては、じつはサトル以外のルームメイトたちは真相を知らない。しかし直輝の主観の中では、みなが彼の本性を知悉しており、しかも誰ひとり踏み込もうとはせず、冷ややかな仮面の向こうで、しらじらとこちらを眺めている。
 ラストシーンがわれわれ読者に示しているのは、そんな情景なのかもしれません。少なくとも直輝にとっては、それは耐えがたい恐怖なのでしょう(ぼく個人としては、このような凶悪犯に同情する気は毛ほども起きないのですが)。


投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2012/05/21



はじめまして。
読後のスッキリしない感からここにたどり着きました。
一番納得できるというか、共感できる感想でした。

ふと思ったのですが、サトルの「みんな知ってるんじゃないの?」という「嘘」で直輝をあの部屋に縛り付けたという見方もできますよね。
そう考えた方がキャラクターの特徴が引き立ってて面白い気がします。
そうすると他の伏線が台無しにはなりそうなんですが、
適度な距離を保つため、言いたいことだけを言う、相手に深入りしない、トラブルは避ける、という部屋の不文律をサトルが象徴的に体現したとしたらそうでもないですかね?

投稿 | 2012/07/07



 コメントありがとうございます。
 そうですね。サトルは、「みんな、そんなのとっくに知ってるよ。」という言い方はしていない。
 「みんな知ってんじゃないの? よく分かんないよ。」と言ったんですね。
 この作品の世界においては、誰ひとり「腹を割って話す。」ということをしないから、すべてが曖昧なんですね(そこに強烈なリアリティーがあって、多くの人が惹きつけられるのでしょうけれど)。
 直輝はその言葉を聞いて様々な符合に思い至り、さらに帰宅したのち彼ら全員の態度を見て、「こいつら、本当に知っているのだと肌で感じた。」と確信するわけですが、それはあくまで彼の主観であって、「事実」かどうかは疑わしい。
 そのあげく、「これまでと同じように、俺さえ一歩前へ踏み出せば、それでいいのかも知れない。」などと、開き直ったかのような述懐をしています。もし直輝がじっさいにそう振る舞うならば、彼らの「日常」=「パレード」は、少なくともいましばらくは、このまま続いていくのでしょうか……。
 それがサトルの思惑どおりであるならば、直輝は彼の術中にまんまと嵌まったことになりますね。たしかにサトルは、そのていどの策を弄するくらいは世間知に長けた少年でしょうし。
 その解釈でいくならば、「適度な距離を保つため、言いたいことだけを言う、相手に深入りしない、トラブルは避ける、という部屋の不文律」、すなわち「作品のテーマ」をもっとも端的に体現するのはおっしゃるとおりサトルであり、彼こそがいちばん「怖い」キャラクターということになるのかも知れません。
 この返信を書くうえで、あちこちをひっくり返して『パレード』の文庫版を探し出し、ラスト部分を読み返したのですが、「未だ裁かれもせず、許されもせず、俺はゼロのまま入り口に立たされている。まるで彼らが、俺の代わりに、すでに悔い、反省し、謝罪し終えてでもいるように見える。お前には何も与えない。弁解も懺悔も謝罪も、お前にはする権利を与えない。なぜかしら自分だけが、ひどくみんなに、憎まれていたような気がする。」という最後の独白には、あらためて違和感を覚え、腹が立ちましたねえ……。
 凶悪犯が何をひとりで自己憐憫に浸って、甘ったれたことをほざいてるんだ、というね……。お前に無惨に殺された人たちや、その遺族たちのことはどうなるんだ、と言いたい。
 この作品を書き上げた時点で、吉田修一さんがどれくらい直輝のことを突き放して見ていたのか、正直ぼくにはよく分からないんですよ。全編を読了したあとの「スッキリしない」感じは、じつはそこのところから発しているように思います。

投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2012/07/08

『限りなく透明に近いブルー』の女たち。

2015-09-10 | 純文学って何?
初出 2011年2月4日(のちに一部を改稿)


 『限りなく透明に近いブルー』という小説は、仔細に見ればかなり周到に組み立てられているのだが、「龍さんの中ではやっぱりあれがいちばん好き」という人に尋ねてみても、意外とその緻密な設計に気づいていない場合が多い。盛り込まれた内容の過激さと(発表から40年近く経ったいま読んでも十分に刺激的!)、それを織りなす濃密かつスピーディーな文体に目を奪われて、こまかいところまで視線が届かないらしい。
 社会現象となったこの『ブルー』の席捲から3年ののち、同じ群像新人賞を取った村上春樹さんの『風の歌を聴け』が、かのムラカミ・ハルキの記念すべきデビュー作ってことを別にして、作品そのものの魅力で絶大な支持を集めていながら、その奥深い構造がさほど正しく理解されていないのと似ている。ひどく単純に言ってしまえば、それは「鼠」がじつは異界の住人で、いわば幽霊というべき存在であり、ジェイズ・バーがその「異界」と「現実」とを繋ぐ蝶番的な場所になっているといったことなんだけど、ぼくが自分で見抜いたわけではないし、ここでは本題ではないので省きます。興味がおありの方はぜひ、加藤典洋さんの『村上春樹イエローページ①』(幻冬舎文庫 495円+税)をお読みください。
 さて。村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』には、主に4人の若い女性が登場するが、ぼくが訊いてみたかぎりでは、なんだかずいぶん多くの読者が、彼女たちのことを一緒くたにしてしまっていた。だけどそれではこの小説をきちんと読んだことにはならない。いや、本当を言うと、この「きちんと」っていう副詞を取り払ってもいいくらいだ。
 まず冒頭に登場するリリー(この作品の主人公であるリュウは、人間というよりあたかも五感を備えたビデオカメラみたいであり、彼女はカメラに映った女優のようにわれわれの前に姿を現すわけだけど)について見てみよう。リュウの交友が乱脈を極めているせいで紛らわしいのだが、彼の恋人はこのリリー一人であって、あとの女性たちはまあ乱痴気仲間といった間柄にすぎない。
 彼女はリュウより年上で、過去にファッションモデルの経験を持ち、『パルムの僧院』を読む程度にはインテリでもある。今でこそ基地の近くで米兵相手のバーのママを務め、リュウのような無軌道な青年と縺れ合うように日々を送っているけれど、まずは中流以上の家庭で育ったことが想像できる。彼女は中盤に出てくるあの有名な乱交パーティーにも参加してないし、そもそもリュウの仲間たちとは接触もせず、「あの変な連中」と呼んではっきりと距離を置いている。先述のとおり、彼女はあたかもリュウというカメラを通してのみ現前を許される女優のようにも見え、じっさい、リリーがリュウ以外の人物と同席しているシーンはついに一度も出てこないのである。
 このリリーよりたぶん4、5歳ほど若く、つまりはリュウ、オキナワ、ヨシヤマ、カズオらとほぼ同年齢で、この連中と共にセックス・ドラッグ・ロックンロールに明け暮れているレイ子、ケイ、モコの3人は、一見すると確かにほとんど区別がつかないようだが、それでも執筆当時20歳そこそこの村上龍は、彼女らにそれぞれ巧みに差異を与えている。
 たとえば喧騒に満ちた作品の中で、とても静謐で印象的なシーン、沖縄出身のレイ子がリュウと二人で朝の道を歩きながら、「中学時代に生物部で葉脈標本を作って先生から褒められ、賞を貰って鹿児島まで行った。」と語るくだりがある。当時の沖縄はまだアメリカの占領下だったから、その旅行にはパスポートを必要としたはずであり、ぼくたちが想像するよりもっと大がかりで、それだけに晴れがましいものでもあったろう。事実レイ子は、その時の葉っぱの標本を「まだ机の引き出しに持ってるのよ。」と誇らしげに語る。
 そんなレイ子は、美容師になる勉強を中途で止して家出をし、恋人の「オキナワ」と二人で福生に出てきた。最初のほうでは「レイ子も絶対ジャンキーになるんだ。オキナワと同じくらいの中毒になっとかないと結婚してから困ると思うのよ。」などと言っていた彼女も、終盤近くになると当のオキナワとクスリを巡るトラブルで喧嘩をし、彼の生活能力のなさを罵って、クレージーな彼らの「蜜月」がそろそろ終焉を迎えつつあることをぼくたちに示す。
 いっぽう、日米のハーフであるケイと、その恋人ヨシヤマとの関係は、レイ子×オキナワよりももう少し前に破綻しかけていたようだ。ケイについては所在不明の父親の話がつねに纏わりついており(ハワイにいるとの噂を聞いて渡航計画を練っていたとか、別れる前に貰った金のネックレスに執着しているとか)、それがヨシヤマの亡くなった母親の話とも呼応して、このふたりの「家族」にかかわるコンプレックスの厄介さを浮き立たせている。家族について繰り返し言及されるのはこのカップルだけであり、この点ひとつ取っても作者の(しつこいようだが、執筆当時20歳そこそこ)の力量が窺い知れる。『限りなく透明に近いブルー』は、けっしてただのヒッピー小説ではないのである。
 ケイは、そのヨシヤマの母親が逝去した際、生家の側までは付いて行ったものの、葬儀には参加させてもらえず、旅館でひとり待たされたことからヨシヤマとぎくしゃくするようになり、やがて彼のDVがエスカレートするうちに憎悪さえ抱くようになって、ついには手首を切ったヨシヤマに向かい、「あんたね、死にたかったら一人で死ぬのね。」と救いのない言葉を投げかけるまでになる。
 モコはドラッグごっこや乱交パーティーには興じるけれど、他の二人とは違ってジャンキーの恋人を持ってはいない(カズオは彼女の彼氏ではない)。彼女の家庭はグループの中で(たぶん、仕送りで生活しているリュウと並んで)いちばんまともであり、彼女はただ「遊べる時は滅多にないじゃない? 面白いことなんてないもん。」という理由で仲間に加わっているだけである。いずれは普通に結婚をして主婦に収まるつもりでおり、そのことを平然と口にも出す。自分の写真が「アンアン」に掲載されたと嬉しそうに述べる彼女は、ふだんはちょっと派手めの可愛い女の子なのだろう(そうは言っても舞台は70年代初頭だから、今の感覚とは異なるだろうけど)。
 彼女にとってここでの日々はいささか危うい冒険に過ぎず、じっさいに彼女は、真っ先に作品の中から姿を消す。ひょっとしたらこのモコという女の子は、少し後に田中康夫が描くことになる80年代の「クリスタル」な女性たちの先駆けだったのかも知れない。結婚前の火遊びにしては、いくらなんでも深みに入り込みすぎていた気はするけれど。
 才能と若さに任せて書き飛ばしたかに見えるこの作品も、ていねいに読めばこのように綿密な計算のうえで作られているのが分かる。新陳代謝の激しい文庫の世界にあって、初版の刊行から40年以上の歳月を経てなお書店の棚の一角を春樹さんと共に(例の黄色い背表紙で)占領し、改版までされて読み継がれ、新しく若い読者を獲得しつづけているのは、けっしてスキャンダラスな内容だけが理由じゃないのである。


 この記事のアップグレード版……
 新装版『限りなく透明に近いブルー』を読む。









「肝心なこと。」を書かない手法。~村上春樹の『風の歌を聴け』より。

2015-09-10 | 純文学って何?
◎これは2009年の9月10日に「旧ダウンワード・パラダイス」に発表した記事です。少し手を加えました。前回の「火花」論の参考として転載します。


 「そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6992本めの煙草を吸っていた。」(村上春樹『風の歌を聴け』より)


 ぼくが初めてハルキ作品に出会ったのは、1984年の晩春のことだ。1Q84年じゃなくて、もちろん、リアルな1984年である。デビュー作『風の歌を聴け』。駅の商店街の端っこにある古本屋で、講談社文庫の初版本だった。佐々木マキさんのあのカバーイラストは同じだけど、まだ背表紙は黄色くなかった。
 ご多分に漏れず、まずは軽快で知的な文体と洒落た会話にシビれた。断章形式のスタイルも、カッコよくて斬新だった。春樹さんがこの作品で群像新人賞を取ったのは1979年。その頃はまだ、3年前の村上龍『限りなく透明に近いブルー』の熱狂の余韻がそこここに立ち込めていた。セックス&ドラッグ&ロックンロール。群像だけでなく、純文学雑誌の各新人賞候補には、どろどろ、ぐちゃぐちゃ、饐えた臭いを漂わせた、『ブルー』の亜流が犇いていたはずである。その中に、『風の歌を聴け』は、まさに爽快な一陣の風を吹かせた。しかしそれが、たんに滅法アタマのいい29歳の作家志願者の「戦略」に留まらなかったことは、もう少し経ってから明らかになる。結果としてこのデビュー作は、日本文学の新しい地平を開くことにもなったのだから。
 最初に買った文庫本は、その年のうちに知り合いの女の子にあげた。そのあとも立て続けに2回、同じことを繰り返した。3人のうち2人までが夢中になって、すぐに自分で『ピンボール』と『羊』を買ったと言ってきた。1987年、『ノルウェイの森』が「第一次ハルキブーム」みたいなものを形成する前に、ぼくは少なくとも2人のハルキストの誕生に手を貸したことになる。ただ、あれから20年以上が過ぎて、彼女たちがみな『海辺のカフカ』や『アフターダーク』を読んだかどうかは知らない。ぼく自身は、『ねじまき鳥クロニクル』の2巻目の冒頭あたりで挫折して、そのあとしばらく、ハルキ作品から遠ざかっていた。『1Q84』で復帰したけれど、もう、往時のときめきが戻ってくることはない。
 『風の歌を聴け』は、一言でいって「喪失」(と再生)の物語なんだけど、作中に描かれている死者は、少なくとも表面的には、自殺した「仏文科の女の子」だけだ。メインストーリーの「小指のない女の子」との挿話に取り紛れているうえ、幼児期の記憶やら、寓話めいたエピソードと等置されてしまっているから気づきにくいのだが、この女の子は確かに「僕」の恋人であり、知り合った翌年に「僕」に何の相談もなく自ら命を絶った。しかもそれは、「1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。」とされるこの物語のたかだか5ヶ月まえ、つまり同年の3月のことなのだ。いかに「僕」がクールであろうと、この事実からショックを受けていないはずがない。というか、この18日間のできごとは、じつはそのショックからの回復のプロセスのなかで起こっていると見るのが正しいだろう。
 悲しいからといって大声で「悲しい」と叫んだところで、その悲しさが他人に伝わるわけではない(しかしまあ、臆面もなくそれをやってベストセラーを飛ばした人もいたけどね)。言い換えればそれは、本当の意味で自らの悲しみを表現できはしないということだ。それゆえにこそ「僕」は屈折し、独特のアイロニーに身を委ねざるを得ないのだが、冒頭に掲げた一文こそ、このうえもなくスタイリッシュに、その辺りの機微に触れているとはいえまいか。たとえば、「彼女の死を知らされた僕は、流れ落ちる涙を拭うこともできず、ただ暗闇の底に立ちすくんでいた。」などという文章と比べてみてほしい。すれっからしの現代人たるわれわれに対し、どちらがより深く、「僕」の悲しみを訴えかけてくるだろうか。
 春樹さんが好きで好きで、年に一度は休暇をとって神戸に出かけて自己流の「ハルキ・ツアー」をやっているという人に会ったことがあるが、彼は「もちろん全作好きだけど、風の歌だけは別格だ。あの哀しさは比類がない」というようなことを述べていた。たぶんそれは、いま言った理由によるものだと思う。表面からは隠されているからこそ、こちらの心のより深いところに迫ってくるのだ。
 「書かない」ことで時代の空虚と喪失感とを鮮やかに描き出してみせたこのデビュー作から30年、春樹さんは自作にどんどんテーマやキャラやストーリーやらを充填し、今やエンタテインメントもかくやと言うほどのストーリーテラー、ページターナーとなった。それはおそらく、作家が自らの心に「井戸」を掘り、そこから「物語」を汲み上げる術に習熟したということなのだろう。それは作家としての目覚しい成長には違いない。何たってノーベル賞を取り沙汰されるほどなんだから。しかし、やっぱりぼくも「『風の歌』の湛える哀しみは比類ないよな……」と思うし、大きな声では言えないけれど、春樹さんの最高傑作はどこまでいっても『風の歌を聴け』だと思っているのである。


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 19.12.31  村上春樹がもっとも影響を受けた3冊。



又吉直樹の「火花」論。

2015-09-07 | 純文学って何?
 まえに「火花」について書いたのは7月25日だった。読み返してみると、「完全に口語体にまで解体されることなく、古風かつ生硬な部分を留めつつ、それでもやっぱり総体としては口語を用いて、今の時代にぴったり則した《純文学》を創り上げたという点で、《火花》は画期的なのである。」 なんてぇことを述べている。あれから一ヶ月ちょっと経った今、これはいかにも過賞だったなあと思う。まるっきり的外れだとは思わないけれど、そこまで褒めるほどのもんでもない。口語体がどうのこうのと、大上段に構えずとも、ようするに、芥川や太宰といった近代の古典の格調の高さをほのかに漂わせる文章で、お笑い芸人という特殊だけれど身近な人たちの生態を描いて、いまどきの若い子たちにアピールする小説を書いたのはお手柄だったネ、と言っておけば済む話だったのだ。つい大げさな物言いをしてしまうのはぼくの悪い癖である。

 だいたいあのとき、ぼくはまだ「火花」をラストまで読んでなかった。そもそも「火花」のテクストが手元になかったのである。駅前の書店で帰りに毎日ちびちび読んでいたのだが、芥川賞の候補になったとたんに完売となり、そののちは入荷しなかった。だから文藝春秋の9月号が出て、ようやく全編を通して読んだ。やはり書評ってのは全編を完読したうえで、テクストを手元に置いてじっくりと練り上げるべきものなのだ。当ったり前の話である。そんな基本をおろそかにしちゃいけません。受賞のさい、太田光が又吉本人よりもコーフンしていて間抜けだったなんて揶揄したけれど、太田光よりもっと無関係なワタシがさらに平静を失っていたようで、恥ずかしいかぎりでござる。それでまあ、改めて熟読してみて思ったが、文体のことはさておいて、これは果たして小説として成功しているんだろうか。ぼく自身の意見を述べる前に、選考委員の評価を書き写してみよう。

 宮本輝「(……)しかし読み始めると、生硬な「文学的」な表現のなかに純でひたむきなものを感じ始めた。お笑い芸人である青年が私淑する先輩の芸論が、やがて少しずつ本来のところからずれていくことへの幻滅も、ほとんどが日の目を浴びずに消えていく若い芸人たちの挫折も、又吉さんは抑えた筆でよく書き切っている。/自分がいま書こうとしている小説に、ひたむきに向き合いつづけた結果として、「火花」のなかにその心があぶりだされたのであろう。」

 川上弘美「(……)同じように、「火花」の「僕」を、そして「先輩」を、私はとても好きになりました。こんな人たちと同僚だったり血縁だったり親密な仲になったりしたら大変だよ、と内心でどきどきしながらも、それでも好きになったのです。人間が存在するところにある、矛盾と、喜びと、がっかりと、しょぼい感じと、輝くような何か(それはとてもささやかなものですが)が、二作の中にはたくさんありました。」(註……「二作」のうち、もう一作は「スクラップ・アンド・ビルド」)。

 山田詠美「『火花』。ウェル・ダン。これ以上寝かせたら、文学臭過多になるぎりぎりのところで抑えて、まさに読み頃。<劇場の歴史分の笑い声が、この薄汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑うのだ。>ここ、泣けてきたよ。きっと、この作者の心身にも数多くの大事なものが吸収されているんでしょうね。」

 小川洋子「『火花』の語り手が私は好きだ。誰にも攻め込まれない布陣で王将を守りながら、攻めてくる友だちは誰もいないのだ、と気づく彼がいとおしくてならない。神谷の元彼女、真樹さんを偶然見かける場面に、彼の本質がすべて現れている。他人を無条件に丸ごと肯定できる彼だからこそ、天才気取りの詐欺師的理屈屋、神谷の存在をここまで深く掘り下げられたのだろう。『火花』の成功は、神谷でなく〝僕〟を見事に描き出した点にある。」

 高樹のぶ子「話題の「火花」の優れたところは他の選者に譲る。私が最後まで×を付けたのは、破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ。作者は終わり方が判らなかったのではないか。」

 堀江敏幸「最初からギアを使わないという選択肢もある。ただ歩くだけという原初的な方法に徹するのだ。又吉直樹さんの「火花」の火は、ギアからもエンジンからも出ていない。師匠の言動を記録する語り手の心は蒸留水のごとく純粋で、自他の汚れをほんの微量でも感知できる。描写の上滑りも、反復の単調さにも彼は気づいている。しかし最後まで歩くことで、身の詰まった浮き袋を手にしえたのだ。あとはその、自分のものではない球体の重みを、お湯の外でどう抱き抱えていくかだろう。」

 村上龍「受賞作となった『火花』は、「文学」へのリスペクトが感じられ、かつとてもていねいに書かれていて好感を持ったが、積極的に推すことができなかった。/「長すぎる」と思ったからだ。同じテイストの筆致で、同じテイストの情景が描かれ、わたしは途中から飽きた。似たようなフレーズが繰り返され長々と続くジャズのインプロビゼーションを聞いているようだった。それでは、どれくらいの長さがもっとも適当だったのか、半分でよかったのか、それとも三分の二程度にすべきだったのか。問題は、作品の具体的な長さではない。読者の一人に「長すぎる」と思わせたこと、そのものである。皮肉にも、ていねいに過不足なく書かれたことによって、作者が伝えたかったことが途中でわかってしまう。作者自身にも把握できていない、無意識の領域からの、未分化の、奔流のような表現がない。だから新人作家だけが持つ「手がつけられない恐さ」「不思議な魅力を持つ過剰や欠落」がない。だが、それは、必然性のあるモチーフを発見し物語に織り込んでいくことが非常に困難なこの時代状況にあって、「致命的な欠点」とは言えないだろう。これだけ哀感に充ち、リアリティを感じさせる青春小説を書くのは簡単ではない。」

 島田雅彦「「火花」は芸人仲間の先輩との交流を描いた「相棒(バディ)物語」だが、寝ても覚めても笑いを取るネタを考えている芸人の日常の記録を丹念に書くことで、図らずも優れたエンターテインメント論に仕上がった。さらに先輩とのふざけたやり取り、第三者を間に挟んだ駆け引き、禅問答を思わせるメールの交換などは、そのままコミュニケーション論にもなっている。漫才二十本くらいのネタでディテールを埋め尽くしてゆけば、読み応えのある小説が一本仕上がることを又吉は証明したことになるが、今回の「楽屋落ち」は一回しか使えない。」

 奥泉光「(……)又吉直樹氏の「火花」も、若くして出会った重要な他者を一人称で描くという典型的な青春小説である。方法論に見るべきものはないが、作者が長年にわたって蓄積してきたのだろう、笑芸への思索と、会話のおもしろさで楽しく読んでいける。しかし二人のやりとりと状況説明が交互に現れる叙述はやや平板だ。それはかたり手の「僕」が奥行きを欠くせいで、叙情的な描写はあるものの、「小説」であろうとするあまり、笑芸を目指す若者たちの心情の核への掘り下げがなく、何か肝心のところが描かれていない印象をもった。作者の力量は認めつつも、選考会では自分は受賞とすることに反対したが、少数意見にとどまった。」

 これらの選評を読むと、つい大げさな物言いをしてしまうのはぼくだけの癖じゃないんだなあと思って安心するが、川上、山田両氏の文章は感想であって批評ではない。宮本、村上両氏は「ひたむき」「ていねい」「(文学への)リスペクト」といった形容で作者又吉(およびその分身たる本作の語り手「僕」)の純真さと誠実さとを持ち上げている。宮本氏は持ち上げっ放しで、村上氏は持ち上げたあとで少し落としているが、まあ似たようなもんである。小川氏の評価もそれに近いが、ただ、神谷を「天才気取りの詐欺師的理屈屋」と決め付けるのが正しいかどうかは、意見の分かれる所じゃないか。少なくとも徳永は彼を真の天才と信じてきたわけで、もし神谷が詐欺師なら、徳永はカモってことになる。さんざ奢ってもらって世話になってるんだから、ふつうのカモとは違うけど、ふたりの関係性として、騙されてることに変わりはない。ほんとにそれだけなんだろうか。これは作品そのものの解釈にかかわってくる問題である。

 高樹氏の評価は、それと密接に関連する。ラストの豊胸うんぬんは、ほんとうに「言葉と無縁」な行いであり、作者は小説の終わらせ方が判らなかったのだろうか。思えば熱海の花火会場で初めて出会った夜、舞台の神谷は「何故かずっと女言葉で叫んでいた。」ではないか。言葉(による笑い)で世界をひっくり返すことを目論む神谷は、結果として、自らの肉体を自らの言葉に捧げてしまったのかもしれない。もしそうなら、ラストのあの異様な挿話は逆に、作者の緻密な計算のたまものということになる。

 これはひとつの仮説である。とはいえ、この解釈が正しかったとしても、すぐに作品自体が傑作ということにはならない。そもそも神谷は「破天荒で世界をひっくり返す言葉」なんてものを連発していたろうか? そりゃ徳永はそう言っている。神谷さんのセンスはまことに凄いと、執拗なほど強調している。ただ、じっさいにその物凄い言葉が作中に綴られているとは思えない。考えてみると、ぼくは神谷のせりふで一回も笑ったことがない(徳永のギャグではそこそこ笑えた。いとし・こいし師匠のネタがはっきりと明記されぬまま流用されているのには引っかかったけど)。神谷は芸論というか、「お笑いの哲学」みたいなものをしきりに繰り広げるのだが、それらは興味ぶかくはあっても別に可笑しいものではなかった。本来なら、その芸論ないし「お笑いの哲学」を語ること自体がすでにして話芸となり、聞く者すべてを抱腹絶倒させる、という離れ業を成し遂げてこその「天才」ではあるまいか。

 堀江氏は、ぼくは大ファンなんだけど、残念ながら今回の選評はちょっと何いってんだかわからない。ギアうんぬんというのは、候補作5本のうちの「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」(落選したが、選評を読むかぎりけっこう面白そうである)の中にギアの話が出てくるらしく、それに絡めたものなのだが、5本の作品すべてに無理やりギアの比喩を当てはめて論じているためによくわからないことになった。ぼくがバイクを運転しないせいもあるんだろうけど。

 島田氏はこの小説が「優れたエンターテインメント論」になっているという。それは、ぼくが今年の6月、この作品を初めて(デパートの書籍売り場で)立ち読みしたときに感じたことだ。しかし今は考えが変わった。「優れたエンターテインメント論」になっているのは神谷が語る内容であって、この作品そのものではない。言い換えると、神谷の言葉はあくまでも考察ないし分析であって、「芸」になってはいない。本当の意味で作品のなかに溶け込んではいない。畢竟それは、上に述べたのと同じことである。また、「そのままコミュニケーション論にもなっている」のは、島田さんも承知のうえで書いてるんだと思うけど、そこは優れた小説ってものは全部そうなんだよね。ただ、お笑いを題材にしているがゆえに、より濃厚に出ているってことはある。しかしそれでもぼくにはまだまだ不十分、不徹底と思える。だから「一回きりしか使えない」どころか、むしろ次回作もその次も、又吉氏はこのテーマを追究し、拡充していくべきだと思う。

 奥泉氏の評価が、いまのぼくの考えにもっとも近い。語り手の「僕」が奥行きを欠いている。これが最大の欠陥なのである。漫才に見切りをつけた後の、引退記念のライブハウスでの感傷とか、そこはもちろん直木賞作品ならいちばんの泣かせ所になるわけだけど、純文学としてはそんなもん、大したことじゃないのである。ふだん純文学を読みなれてない読者はあそこで喜ぶんだろうけど(山田詠美もかい!)、昔の芥川賞なら気難しい老骨の選考委員から「通俗じゃあ」と言って切り捨てられたところだろう。純文には、もっと力を込めてがっちりと書き込んでおくべきことがあるのだ。それが「笑芸を目指す若者たち(とくに僕=徳永)の心情の核への掘り下げ」であり、「肝心のところ」なのである。そこがほとんど描かれていない。まさにぼくもそう思う。もとよりそれは、折にふれてそこここに書き込まれてはいるし、神谷との交流の中でしぜんと滲み出してもいる。その程度にはもちろん、又吉さんは巧いんだけど、しかしまだまだ足りないのだ、掘り下げが。

 芸論のほかにも神谷は随所でユニークな発言や鋭い発言をするのだが、蝿川柳に代表されるとおり、残念ながらそれらもけして笑えるものではない。しかしこれは当然であって、もし彼の言動がふつうに笑えるものならば、やっぱり神谷は売れちゃうわけで、そうなるとこの小説の展開自体が変わってしまう。違う話になってしまう。神谷は生活破綻者ではあるが、戦前の或る種の芸人みたいに完全にイッちゃってるってほどでもないから、「芸そのものはむちゃくちゃに面白いけれどクスリに溺れたり刃傷沙汰に及んだりして表舞台から姿を消す」という顛末にもできない。神谷が売れないのは、あくまでも、彼の笑いが一般受けしないからである。だけど「一般受けしない笑い」って一体なんなんだろう。神谷が芸人として、また人間として一定の魅力を放っているのはぼくにもわかる。しかし彼の笑いが徳永と、真樹さんと、あとはせいぜい相方である大林くらいにしか理解されないのだとしたら、たとえばチャップリンが天才だという意味では、彼を天才とは呼べないだろう。せいぜい「鬼才」といったところか。だがしかし、鬼才は鬼才なのであり、ただの「天才気取りの詐欺師的理屈屋」とは別だ。売れないという点で社会的には大差はないが。

 そんな神谷を徳永は師匠と見込んで付いていく。ふつう、誰かが誰かに師事するのは、相手の技やセンスを自分のものにするためである。神谷と徳永とのやりとりは、一瞬一瞬が「笑い」のための丁々発止の駆け引きとなっている。それはこの師弟(?)にかぎらず、作中に出てくるすべての芸人同士のやりとりがそうだ。プロ棋士を目指す奨励会員が、顔を合わせると対局をしているようなもんだろう。だが、徳永が神谷を慕うのは、そんなうわべのことよりも、神谷といると自分がいちばん安らげるからなのだ。この作品のなかで、ぼくが何よりも印象に残ったくだりは以下だ。長くなるけど引用したい。事務所の後輩たちが企画したライブに出た「僕」が、芸歴が最長なのにもかかわらず、八組中六位という成績に終わって落ち込みながら打ち上げの席に就いているところ。全編のちょうど中ごろ、文藝春秋版だと362ページからである。


 ライブの打ち上げは渋谷の鉄板焼き屋で行われた。今まで事務所ライブで積極的に打ち上げが行われたことなどなかったかもしれない。週末ということもあり、店内は若者や酔客でごった返していた。静かなのよりはましだった。隅に座った僕の前には女性の社員が座った。
「徳永君、大阪選抜だったんでしょ? なんでサッカー辞めちゃったの?」
 この人は、いつも僕達に笑顔で接してくれるけど、僕達のことを微塵も面白いなんて思っていないのだろう。この人にとって、僕などはここに存在していなくても別に構わないのだ。どこかでサッカー選手にでもなっていたら、こいつは幸せだっただろうと軽薄に想像する程度の人間でしかないのだ。そして、それはこの人に限ったことではない。
 十代の頃、漫才師になれない自分の将来を案じた底なしの恐怖は一体何だったのだろう。上座で構成作家や舞台監督と呑んでいた相方の山下が便所に行った帰り、僕の側に来て、「舞監(ぶかん)さんが、隅で呑んでんと作家さんとかに挨拶した方がいいよ、やって」と囁き自分の席に戻って行った。この舞台監督は何かと僕達のことを気にかけてくれる優しい人物だった。僕はビールの入ったグラスを持ち、重たい腰を持ち上げて上座に歩いて行く。こんな夜でさえもそうなのか。上座の作家や舞監や山下を相手に後輩達は健気に立ち回り、場は盛り上がっている。自分の存在が水を差さないかと怖かった。笑顔を貼りつけたまま上座に辿り着いた僕には誰も気づかない。
 僕は全ての輪から放り出され、座席でも通路でもない、名称のついていない場所で一人立ち尽くしていた。僕は何なのだろう。
 こんな時、神谷さんの唱える、「気づいているか、いないかだけで、人間はみんな漫才師である」という理論は狂っていると理解しながらも妙に僕を落ち着かせてくれるのだった。今、明確に打ちのめされながら神谷さんとの日々が頭を過(よ)ぎる。僕は神谷さんの下で成長している実感が確かにあった。だが、世間に触れてみると、それはこんなにも脆弱なものなのだろうか。言葉が出てこない。表情が変えられない。神谷さんに会いたくなるのは、概ね自分を見失いかけた夜だった。


 お笑い芸人がどうこうという以前に、この人は社会人として大丈夫なんだろうか、と不安をかきたてられる一節である。まるで組織に向いてない。そしてまたこれは、「純文学」の世界には、主人公として基本のように立ち現れる人格でもある。およそ純文学なんてのは、「全ての輪から放り出され、座席でも通路でもない、名称のついていない場所で一人立ち尽くしている」ような自意識のありようからこそ生まれ出ずるものなのだ。欧米人ならおそらくそこでキリストと向き合うこともできるのだろうが、「神」を持たない、というか、あまりに多くの「神」を持ちすぎている日本人は、絶対者としてのジーザスと向きあうこともままならない。だからそれぞれに急場しのぎの「神」を希求する。それは特定の人格とは限らない。かつては「自然」がそのポジションに据えられることも多かった。でも昨今の都会人にはそれも不可能だ。徳永にとっては、それが神谷であったのだ。

 だから神谷の真の魅力は、「僕」と神谷との関係性において初めて鮮烈にスパークするわけで、それが世間に伝わらぬのも致し方ないことなのである。そこはまあ、いいんだけども、問題は、このような性格をもった「僕」が(80年代バブル用語ではネクラと呼ぶ)、なんでまたお笑い芸人なんてのを目指しちゃったんだよ、というところなのである。それこそが、本当ならばこの作品の根幹のテーマとなるべきことだったはずなのだ。

 「全ての輪から放り出され、座席でも通路でもない、名称のついていない場所で一人立ち尽くしている」ような性分の青年が「もしなれなかったらどうしよう」と「底なしの恐怖」を覚えるくらいお笑い芸人に憧れたのは、もちろん、笑いを通してしか他者なり世間なりと関わる術を持たなかったからである。彼はおそらく小学校の教室においても浮くか沈むかしていた。……たぶんまあ、沈んでたんだろう。しかしそこで、言葉を通して級友(さらには先生や家族)を笑わせることを覚えた。自分にはその方面の才があることを知った。あとは中学、高校、おおむねその路線でやってたんだと思う。その延長線上に、「お笑い芸人として食っていく」という進路が、ほぼ絶対のものとして立ち上がってきたに違いない。

 奥泉氏が(ついでにぼくも)「掘り下げが足りぬ」と言っているのはそこで、そういった経緯や心情がまったく書かれていないために(それはミスというより、作者の計算づくだと思う。さほど本質的でもない、幼年期の「貧乏ネタ」が妙に細かく書かれていたりもするからだ。これは肝心なことを書かないための手法でもある)、個々の文章や会話やエピソードはそれなりに面白く読めるにもかかわらず、作品全体としてはいまひとつ土台がしっかりしていないというか、どこか上滑りなものに終わってしまっているのである。いま気づいたけど、村上氏が「単調で長すぎる」というようなことを言っているのも同じ意味なんだろう。キツい言いかたをするならば、作者は「僕」=徳永と対峙することを避けたいがために、神谷というキャラをつくったようにさえ見える。自分のことを掘り下げるより、他人を描くほうがラクだからだ。

 もうひとつ、選考委員各位がわざと書き落としていることがある。この作品が否応なしに町田康を思い起こさせることだ。これは芥川賞の選考だから気を使って言わないだけで、もしこの「火花」が匿名で文學界の新人賞に投稿されていたならば(そのばあい、受賞にまで至ったかどうかは判らぬが、最終選考までは残ったと思う)、たぶん選考委員の全員が、そのことを指摘したはずだ。「受賞者インタヴュー」の中で又吉氏は、はっきりと町田康の影響を認めているけれど、べつに本人の証言がなくとも、すこし本を読んでいるひとなら誰にでも見て取れることである。6月の記事でぼくは「火花と町田作品は、似ているようで似ていない」なんて書いたけれども、あそこのくだりは全面的に撤回したい。はっきりいえば、「火花」は、それこそ「鬼才」すれすれの「天才」というべき町田康の世界を、作者又吉が芸人生活で蓄えたディテールを生かして、大衆向け、若者向けに甘ったるく「翻案」したものといってもいいくらいだ。

 結論をいうと、「火花」は秀作ではあるけれど、昔なら、つまり純文学業界がこれほど逼迫してない時代なら、候補にはなっても受賞とまではいかず、「もう一作、様子を見てみよう」ということに落ち着いていた作品だと思う。その「次の一作」が出せずに消えていった作家はいっぱいいる。だから上にも書いたけど、又吉直樹さんにはもう一歩さらに踏み込んで、「笑いを通してしか他者と、世間と関わることのできない男」をよりいっそう掘り下げて頂きたい。そんな作品だったらぜひまた読んでみたいもんです。



追記 2018年6月18日

 後にこの作品はドラマになった(さらにそのあと映画化もされたが、ぼくは観ていないのでそちらについては語れない)。
 製作から放映の経緯は、wikipediaによれば以下のとおりである。

「 2015年8月27日、有料動画配信のNetflixと吉本興業によって映像化されることが明らかになる。
 同年11月上旬にクランクイン。全10話のドラマとなり、2016年春から、Netflixにて全10話一挙配信された。2017年2月26日から4月30日までNHK総合にて、約45分(最終回のみ50分)に再編集して放送された。」

 ぼくは全話通して観たんだけれど、これがほんとに良い出来だった。原作を読んで感じた「物足りなさ」がことごとく丁寧に埋められ、情感あふれる青春ドラマに仕上がっていた。脚本も監督も、複数の方が分担で担当されていたらしいが、全体に筋が一本通って、冗漫なシーンはまったくなかった。主演の林遣都という青年がことのほか良くて、これまで見たテレビドラマの中でも五本の指に入ると思ったほどだ。
 先輩芸人の神谷は、原作ではちょっと掴みどころがなく、芥川賞選者のひとり小川洋子さんなど、「天才気取りの詐欺師的理屈屋」とひどいことを言っておられたけれど、ドラマ版では、「才能はあるのに、性格が詰屈していて、客に媚びることができず、自分のスタイルにこだわりすぎて売れない」ところがきちんと出ていた。
 ただ、波岡一喜という役者さんは、ぼくの思い描く神谷とはやや違っていた。ぼくの感じだと、あんなに鋭くはなくて、それこそ「天然ボケ」というか、もうちょっととぼけた空気を漂わせているように思うのだ。それでいて、滴るような色気がある。正直なところ、ぼくのなかでは、町田康さんのイメージが最初に読んだ時から確立していて、ほかのひとが浮かばないのである。これはまあしかし、極私的な思い入れです。波岡さん、スタッフの皆さん、ファンの皆さん、すいません。
 ともあれ、よいドラマだったのだ。へんな話、あれを見たことで、原作に対する自分の評価が跳ね上がったのである。あのドラマを生む母体に、核(コア)になったのならば、『火花』はやはり名作だ。そう思った。
 しかし、裏返していえば、それは小説としての『火花』が、あらためて弱さを露呈した、ということでもある。いわば大勢のスタッフやキャストたちとの「合作」によって初めて「作品」となりえた。文学作品として、独り立ちできてはいなかった。
 作家としての又吉さんが、そんな欠点を補って、より成熟の度を増したのかどうか。二作目の『劇場』をまだ読んでない(文庫になっていないから)ので、今の時点ではわからない。