ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

今ネットで(無料で)読める秀逸な『君たちはどう生きるか』評 23.08.06 追加

2023-07-22 | ジブリ
 ネット記事だからどれも短いものですが、どれも本格的な小論考です。鑑賞ののち、理解を深めるうえで有益でしょう。ただし、当然ながら、いずれも内容について詳しくふれているので、未見のばあいは、「どうしても事前情報なしでは観られない。」という人(ぼくもその一人ですが)を除いて、読まないほうが賢明でしょうね……。










Real Sound|リアルサウンド 映画部
https://realsound.jp/movie/2023/07/post-1379659.html
2023.07.20 12:00
『君たちはどう生きるか』を徹底考察 われわれ観客に対する宮﨑駿監督の“問いかけ”


文=小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。




Cinema Café net シネマ・カフェ・ネット
https://www.cinemacafe.net/article/2023/07/21/86462.html
2023.7.21 Fri 7:30
『君たちはどう生きるか』作品評 理屈を超越した「漫画映画」への回帰
「宮崎監督は生来アニメーターであり、脚本家でも演出家でもない。そして、宮崎監督は自作を肯定的に語る際、度々「漫画映画」という用語を使用して来た。本稿では「漫画映画」のキーワードから本作にアプローチしてみたい。」


叶 精二
映像研究家・東京造形大学特任教授。亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京工学院講師。 「高畑勲展」企画アドバイザー・図録担当。 著書『宮崎駿全書』(2006年 フィルムアート社)『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(2019年 復刊ドットコム)、編集『大塚康生 道楽もの雑記帖』(2023年 玄光社)など。






ブログ「イマワノキワ」
https://lastbreath.hatenablog.com/entry/2023/07/18/154400
2023-07-18
映画『君たちはどう生きるか』感想


コバヤシ (id:Lastbreath)

☆☆☆☆☆☆☆

2023/08/04
あのセリフには宮崎駿監督の“願望”が…『君たちはどう生きるか』でキムタクが“父親役”だった理由とは

三宅 香帆
文筆家、書評家
1994年生まれ。高知県出身。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)がある。






2021年の8月に改めて観る『風立ちぬ』

2021-08-29 | ジブリ




 久しぶりに編集画面をひらいたら、珍しく大量のアクセスを頂戴していて……8月27日に「金曜ロードSHOW!」で『風立ちぬ』をやったからだね。あれはたしかに見終わったあとで解説が欲しくなる作品ですね。
 いつも、作品分析をやる際にはビデオで何度も周回するし、大事なシーンはメモを取りつつ重点的に見返したりもするけれど、あの全7回の『風立ちぬ』論をやった時はあえてそれをしなかったんですよ。ただ記憶だけを頼りに書いた。そのせいで、いくつか思い違いもありますね。
 たとえば、軽井沢の「草軽ホテル」で10年ぶりに再会したとき、飛ばされたパラソルを捕まえてもらった時点では、菜穂子はまだ二郎のことを誰だか分かっていなかった。かなり距離があったからね。そのあと食堂で見かけて初めて、「あっ。震災の時にお世話になったあの方だ」とわかって驚いた。そんな表情をしてますね。
 もうひとつ、二郎が「ぼくたちには時間がない。」と口にするのは、婚礼の夜、上司であり恩人でもある黒川氏に対してのことで、正確なセリフは「私たちには時間がありません。覚悟しています。」だった。妹の加代に詰られたときに述べたのは「僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ。」でしたね。
 そういった思い違いはあるけれど、些細といえば些細なもので、全体を覆すほどではなく、本筋の論旨に支障はないので、とくに手を入れることはせず、このまま公開しておきましょう。
 テレビでの放映は、2015年2月、2019年4月につづいて3回め。今回、これに合わせてこんな小論もアップされました。


文春オンライン
なぜ二郎は“苦悩”しないのか 『風立ちぬ』が描いたものの行方   藤津亮太
https://bunshun.jp/articles/-/48159



 ここでは『もののけ姫』(1997/平成9)と絡めて『風立ちぬ』(2013/平成25)を論じていますね。『もののけ姫』は、ニッポンの「中世」が「近世」へとパラダイムシフトする際の矛盾や軋轢を描いたもので、『風立ちぬ』はニッポンの「近世」が「近代」へ、さらにはそれが破産して「現代」へとパラダイムシフトする際の矛盾や軋轢を描いたもの。おおむねそういった趣旨です。
 この論のなかでは、それらがいずれも「近代化」という一語で括られてますが、こうやって分けておくほうが判りやすいでしょう。
 『風立ちぬ』は「近世」が「近代」さらには「現代」へとパラダイムシフトする際の矛盾軋轢を、「このうえもなく美しく」描いたものだ……という論旨は、ぼくの2年まえの記事「ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑦ 近代ニッポンの象徴としての菜穂子。」とも通底します。ひょっとしたら藤津氏も、ネットでぼくの記事を見かけて、少しくらいは参考にされたんじゃないか……と想像しても、あながち邪推ではない……かもしれない(笑)。


「ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑦ 近代ニッポンの象徴としての菜穂子。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/1a5b8fba3d3f0581200af4b39060d594









 藤津氏はこのように書いています。




『風立ちぬ』において飛行機が「美しくも呪われた夢」と矛盾を孕んで表現されるのも、『もののけ姫』が象徴的に描いた「近代化」とその問題の果てにあるものだからだ。工業化を背景にした近代国家の成立、そしてその結果としての戦争。人はこの大きな枠組みの外に出ることはできない。




そして『風立ちぬ』は、その枠組の中で右往左往する人間を描いた作品なので、視点が非常に大きいところにある。視点があまりに大きいから、二郎の葛藤や良心の呵責を描いても、そこには大して意味がない、ということになるのだ。逆にいうと二郎の心理に寄れば寄るほど「日本の戦争」を描いた作品になり、「近代化(とその破産)」という大きな枠組みは見えなくなってしまう。




けれども――である。




 と、藤津氏はつづけます。少し編集しつつ引用させていただきますが……。




映画監督の伊丹万作は『戦争責任者の問題』の中でアジア・太平洋戦争にまつわる責任について次のように記した。
「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」




映画としては美しくとも、映画の中で切り取られた二郎の生き方を「時代の中で精一杯生きた」とだけシンプルにまとめてしまうのはとても危うい。




「精一杯生きたからしょうがない」と「時代に流された」の間にはどのような境界線があるのか。
『風立ちぬ』では「近代化」という枠組みと、二郎の“芸術家”としての「業」を強調したことで、その境界線が見えなくなっている。現実の「未来」は、「近代化」の枠の中にあったとしても、さまざまに変えられる部分を秘めた可塑的なものだ。




現実の中で「生きようと試みる」ということは映画の中の二郎の振る舞いとは遠く、自分の中にある「文化的無気力、無自覚、無反省、無責任」といったものに抗っていくことだと思う。映画が公開された2013年よりも現在のほうが、その意味は重くなっている。




 引用ここまで。ちなみに伊丹万作(1900 明治33~1946 昭和21)とは戦前の日本を代表する映画監督で、故・伊丹十三氏の父君です。 この有名な警句は、ぼくも以前に当ブログにて引用させて頂きました。




 「映画が公開された2013年よりも現在のほうが、その意味は重くなっている。」というのはまことに重要な指摘で、じっさい今、『風立ちぬ』を改めて観直すのであれば、このような視点は不可欠ですね。安倍政権の7年8ヶ月(その間の官房長官はずっと菅義偉氏)を経て、ニッポンの「文化的無気力、無自覚、無反省、無責任」は2013年よりもはるかに深刻となっているように見受けられるから……。
 そう考えるならば、『風立ちぬ』における二郎の描き方ってぇものは、2013年の時点における宮崎さんの「気の緩み」をあらわしていた……という見方もできるかもしれない。じつは私、公開当時に劇場で観て、大いに不満を抱き、かなり糾弾めいた作品評をアップしたんですよ。それは今は亡きOCNブログの「旧ダウンワード・パラダイス」に発表して、こちらに移ったさいに削除しちゃったんですが……。
 あのときは不満どころか、はっきりいって「憤懣」に近い感情を抱いたんだけど、今はそこまで怒ってはいない。幕末から近代の歴史をやればやるほど、やっぱり欧米列強なんてのは悪辣で傲慢だと思うし、どう考えてもニッポンだけが加害者ってはずはないと分かってくるからね。でも、宮崎監督の大衆レベルへの影響力を鑑みるならば、近代ニッポンを描くにしても、もう少し別のやり方があったんじゃないかとは思いますね。
 だからこないだ、8月6日の記事「頭の上から爆弾が降ってくるまでは。」で、




高畑勲が『火垂るの墓』(1988)で/片渕須直が『この世界の片隅に』(2016)できちんと描き、宮崎駿が『風立ちぬ』(2013)で日和りまくって描かずに逃げたことなんだけど……たとえば食料をはじめ日々の暮らしに不可欠な物資が欠乏するとか、職場や学校がうまく回らなくなって社会の機能が損なわれるとか、そういった不便さをかるく凌駕する惨事として、「頭上から爆弾が降ってくる」ということが起こる。敗戦が目の前に迫ってくるとね……。




 という書き方をしたんだけども。
 だから気になるのは、「鋭意製作中」といわれて久しい『君たちはどう生きるか』ですね。「子供向けに書かれた戦後民主主義のお手本」ともいわれる、吉野源三郎のこの名作を、宮崎駿がこの時代にどう映像化するか。また体よくファンタジーに逃避するのか、きっちりと真正面からリアリズムで描き切るのか。注目しております。




参考資料
世に倦む日日  2017-11-25
『君たちはどう生きるか』のブーム - 若者にはこう読んでもらいたい
https://critic20.exblog.jp/28361487/




『千と千尋の神隠し』のこと 04 6番目の駅

2019-09-12 | ジブリ
 分別盛り(である筈)の中高年による凶行が相次ぐ昨今、18年前(21世紀最初の年)に提起されたカオナシという表象は、繰り返し巻き返し、いつも何度でも、考察の俎上に乗せられてよい……と思う。たぶん職人的な手堅さでいえば高畑勲さんのほうが上なんだろうけど、じぶんのなかの妄想力を思う存分解放させてこのようなキャラを作り上げてしまう宮崎駿という作家はやはり「天才」と呼ぶに値する。




 さて。そんな天才が描き出した数多の作品の中の数知れぬ名シーンの内で、千尋とカオナシと坊ネズミ(公式名称)とハエドリ(公式名称)の4人(?)が電車に乗って「6番目の駅」こと「沼の底」へと向かうこのシークエンスがぼく個人はいちばん好きである。久石譲氏によるBGMの力も大きいが(楽理的には「四度堆積和音」というらしい)、その神秘的なまでの静謐さは、『銀河鉄道の夜』すら彷彿とさせる。「これはなんの暗喩だろう」「なにを象徴してるんだろう」と理性を働かせる前に、心のふかいところで感応してしまう。危ういほどの郷愁に包みこまれる。もともと『千と千尋の神隠し』という作品ぜんたいがそうなのだが、ことにこの電車のシーンは、ぼくたちのからだの底に眠る遠い記憶を凝縮したかのごとき感がある。



 「6番目の駅」はやはり「六道の辻」から来てるんだろうか。だとすれば終点の「中道」は「なかみち」ではなく仏教でいう「中道(ちゅうどう)」の含みを帯びる。あのシルエットみたいな乗客たちや、「沼原」駅に佇んで電車を見送っている少女のイメージなどとも併せ、あの道行から「死出の旅」を連想しないのは難しい。「行ったきりで帰ってこない」のであれば尚更だ。八百万の神々の集うあの温泉街がすでにして「異界」であったのに、そこからさらに深い処へと千尋は向かうわけである。「千と千尋」の作品世界はなかなかに複雑な構造をもっている。





 リンが千尋を盥(たらい)の舟で駅(「船着き場」という感じだが)まで送ってくれ、「お前のこと鈍くさいって言ったけど、取り消すぞーっ」の名台詞を吐いて、名曲「6番目の駅」がはじまり、千尋が坊ネズミ、ハエドリ、そしてカオナシを連れて乗り込む。水平線まで広がる景色が美しい。その景色も、少しずつ日が暮れると共に他の乗客が降りていき、ぽつんと座席に取り残されて、夜の底を走る車窓にネオンサインが流れ去っていく様子も、ぼく自身、かつて確かに幼い頃の夏休みに見た……気がしてならない。




 この鉄道は海原電鉄というらしい。「千と千尋の神隠し 6番目の駅」で検索をかけて上位にくる「海原電鉄(うなばらでんてつ)とは 【ピクシブ百科事典】 」によると、


踏切の通過シーンや線路を映したシーンから数学的に計算すると、海原電鉄の運行速度はおよそ60km/hであり、さらに千尋が油屋駅を午後1時に出発し、沼の底駅に午後7時に到着したと仮定したら一駅区間は60km、油屋から沼の底まで360kmほどの長大な路線であることが伺える。ちなみに360kmは東京から京都ほどの距離。


 とのこと。
 このシークエンスは進行方向をひたむきに見つめる千尋の横顔のアップでいったん切れるが、その間ほぼ3分50秒足らず。ここだけ切り取って「環境ビデオ」として繰り返し見ても飽きぬだろうなあ。べつにわざわざそんなことやらないけれども。






 このあとカメラはいったん油屋に戻り、ハクと湯婆婆との対峙を映す。絶大な魔力を誇る湯婆婆が、砂金がただの土くれに過ぎぬことはおろか、最愛の息子(?)である坊が入れ替わっていることにすら気づかない。これはラスト間際で千尋が「この中に両親はいない」ことを一目で看破するのと対をなしている。ただし、このあとの展開は率直にいってバタバタである。千尋たち一行が「沼の底」に着いた時には辺りはもう暗いのだが、本来ならば最難関であるはずのこのお詫び行脚が、拍子抜けするほど簡単に運ぶからだ。それは銭婆のキャラの豹変による。




 形代に宿って油屋までハクを追っかけてきた時の銭婆は、そのままハクを殺しかねない剣幕だったのに、今はもう、打って変わって、歩くランプを案内に寄こすほど親切だし、印鑑を返して詫びを入れる千尋を呵々大笑(かかたいしょう)してあっさり許す。カオナシにもとことん寛容で、同居人として受け入れてしまう。『千と千尋の神隠し』は古今東西のたくさんのファンタジーの要素を詰め込んだ作品と宮崎監督じしんがパンフレットでも言ってるけども、ここでの銭婆はグリム童話の「ホレおばさん」を彷彿(ほうふつ)とさせる。ホレおばさんは生意気な子、怠け者の子、平気で嘘をつく子などには徹底して残酷だけど、心根がきれいで善良な子にはあくまで優しい。ちょっと戦慄的なくらいの二面性をもつのだ。ああいうのは一神教的だなあと思う。


 それからハクが白龍の姿で迎えにきて、自らの本当の名(ニギハヤミコハクヌシ……「饒速水小白主」という字を当てる説が有力だ)と、かつて千尋と結んだ深い縁(えにし)を思い出すことで、ふたたび人間の姿に戻る。物語の定型としては、異形の姿に変えられた者が辛苦のあげく人間の姿を取り戻すところで大団円となるので、わりと手軽に自分の意志で龍→人間に往還できるっぽいハクの属性はいささか緊張感に欠けるようである。坊および千尋の両親も元の姿に戻るが、そちらも「付け足し」の感があり、まるでカタルシスを覚えない。主眼はむしろ「幼少期の記憶が二人を救う」ところにあるようだ。


 この「幼少期(あるいは前世)の記憶が二人を救う」というモティーフは次作『ハウルの動く城』へと受け継がれるわけだし、なんなら『君の名は。』にも影響を与えているといってもいいのだけれど、奔騰するイメージや、カオナシという突出したキャラや、郷愁に満ちたディテール(細部)によって素晴らしい作品に仕上がっていた『千と千尋の神隠し』に比べて、「ハウル」のほうはとかく破綻が目について、「巨匠の迷走」を思わせるものとなっていた。残念なことである。


















 



『千と千尋の神隠し』のこと 03 ハクとカオナシ

2019-09-04 | ジブリ


 追記)2020.09.25
 サブカル批評の草分けの一人で、今やyoutuberとしても名を馳せる岡田斗司夫氏が、「ハクはじつは千尋の兄だった。」なる新説を唱えて界隈で話題をまいているようだ。幼い千尋が川で溺れたさいに彼女を助け、代わりに流されてしまった実兄。その魂魄が「神」に成り切れぬままあの世界に留まっているのがハクであるというわけだ。なるほど確かにそう考えると腑に落ちることも少なくないが、自分なりにこの説を検証するには改めて作品を見返さねばならず、当面はその時間がないのでこの件は自分としては保留としたい。とりあえずここでは、従来どおり「千尋が幼いころに溺れかけて、そのあと埋め立てられてしまった川の主」がハクなのだという見解に従って話を進める。


☆☆☆☆☆☆☆


 というわけで第3回は、みんなのアイドル・ハクとカオナシでございます。いや美少年ハクと不気味なカオナシを一緒にするなと言われるだろうが、「物語論」の見地からいえばこの両者、じつは極めて酷似した構造をもっているのだ。



 まず、どちらも最初に千尋を助ける。ハクについては見やすいであろう。彼の助力と助言がなければ千尋は湯婆婆のもとで働くことができず、ニワトリにでもされていただろう(パンフレットの中の宮崎監督の発言から)し、そもそも体が透けてあのまま消滅していただろう。あの異世界に千尋が居場所を見つけて生き延びるうえで、ハクはなくてはならぬ大恩人である。








 カオナシは、千尋がハクに連れられ油屋に向かって橋を渡るシーンで初登場する。ここで彼女は息を止めているため神々や他の従業員(蛙たち)からは見えないのだが、カオナシだけはじっと彼女を見送っている。つまりこの時点では、ハクとカオナシだけが千尋のことを認識できていたってことになる。そのあと雨中で庭に佇んでいたところを(千尋を追ってきたのであろう)、彼女に招き入れられて、油屋に足を(?)踏み入れる。




 この直後にたまたまオクサレサマ(じつは名のある川の主)騒動が起きる。これは千尋にとっての事実上の初仕事であり、そこで彼女はオクサレサマの浄化に貢献することで一躍株を上げるのだが、これにはもとより千尋自身の献身もあったにせよ、カオナシが番台から「薬湯」の札をくすねてどっさりと渡してくれたことが大きく与っていた。あの大量の札がなければ浄化は叶わなかったはずで、つまりカオナシも彼なりの仕方で千尋をいちどは助けているのだ(だから千尋も、あとで会ったとき「あの時はありがとうございます。」と、きちんと礼を言っている)。




 そこで「砂金」の威力を目の当たりにしたカオナシは徐々に異形化し、増長していく。ひとびとの内にある「欲望」を喚起し、それを弄ぶことで、周りの者たちを意のままに振り回す術を会得するわけだ。この中盤~後半に向けての展開は当初のプランにはなかったもので、作品づくりが進むにつれてカオナシの存在感が膨れ上がっていった、というのは有名な話である。作品のもつ力そのものが、カオナシというキャラを要請したわけだ。それはあるいは、「時代(あるいは社会)そのものの要請」であったかもしれない。




 これにつき、次作『ハウルの動く城』の公開時(2004年)に、「世に倦む日日」氏が見解を述べていた。この人、政治的に偏向しているように思えて近年は距離を置くようになったが、この2004年当時には毎日ブログを愛読してたのだ。このカオナシ論は今でも秀逸だと思うが、「千と千尋の神隠し カオナシ」で検索をかけても上位に出てくるわけでもなく、ネットの海に沈んだ格好になっているので、そのくだりだけ引用させて頂こう。原文はこちら。




世に倦む日日 『ハウルの動く城』(4) - 暗喩と象徴 
https://critic.exblog.jp/1303839/


 『千と千尋の神隠し』のテレビ広告では、宮崎駿自らが自分の言葉で「みんなの中にもカオナシはいます」とメッセージを投げていた。
 この言葉はインパクトがとても大きくて、映画の中でもカオナシの存在に強烈な衝撃を受けたものだ。作品は全編にいろんな意味と暗喩が宝石箱のように散りばめられていて、物語の中身も深く濃いものが感じられたが、何より見た者が考えるべきはカオナシの意味であり、そこには現代の日本が見事に映し出されていた。他人とコミュニケーションがとれず、金で人を操ろうとして、物事が思いどおりにならないと暴れ狂う幼児的な男。自立性も協調性もなく、感情のまま自己主張を喚き散らす未熟な人間。そういう人間がここ十年ほどの間に世代を超えて増殖していた。それは自分とは無縁な他人事の話ではなく、カオナシ的な状況が社会を――メディアを政治を学校を職場を――侵食し影響を強めていく環境の中で、ひとりひとりがカオナシ的プロトコルに接触、感染し、自己弁護的に言えば免疫抗体を体内生成するように、カオナシと通信するインタフェースを具有しつつあるという実感、すなわち自分もカオナシ化しているという問題の自覚でもあった。
 日本人のカオナシ化。映画を見た者は誰しも同じ思いを持っただろう。カオナシはまさに(名前からしても意味深く)シンボリックな存在であり、われわれは現代の社会状況を語るときに、一言「カオナシ」と言えば、百万語の心理学や社会学の専門用語の動員を省略して、問題の本質を察知したり思考を膨らますことができる。この表現と問題提起は宮崎駿の社会科学的快挙であり、画期的な成功であったと言える。『千と千尋の神隠し』は極端に言えばカオナシの映画だ。カオナシはジブリ作品に精通した宮崎ファンでなくても一般的にその象徴的意味を理解できる。それは日本人だけでなく、世界の人々にも同じだったのではないか。同様の問題状況が社会的に発生しているに違いない。カオナシは諸外国の観客にとって理解不能な日本の特殊なキャラクターではなく、現代世界の問題状況を射抜く普遍的な象徴装置であり、その監督の手腕に世界の人々が感動したのだろう。前作への世界の評価は単にアニメ映像の芸術美や想像力だけではなかったはずだ。




 引用ここまで。いま読むと毒気が強すぎて、あまり同意はできないけれど、ひとつの社会批判として傾聴に値するご意見だと思う。




 さて。カオナシが砂金(ただの土くれであったと後にわかるが)を振り撒いて豪遊しているころ、ハクは湯婆婆の命を受けて「銭婆」の家に忍び込み、魔女の契約印を盗み出そうとしたのが発覚して、紙製の形代の群れに襲われながら逃げ帰ってくる。そのときの彼は龍体であり、痛みのために我を忘れて猛り狂っている。つまりカオナシが千尋に拒絶されて異形化し、やがて暴走を始めるのに先んじて、ハクもまた異形の姿となり、暴走していたわけである。




 そして、この両者を救うことができるのは千尋しかいない。まず階上の湯婆婆の部屋へ行き、銭婆(の魔力の宿った形代)によってあわや殺されようとしている瀕死のハクをかばい、ダストシュートを通って釜爺のいる一階のボイラー室まで墜落する。そこで再び猛り狂う龍体のハクを宥めて、川の主からもらったニガダンゴの半分を食べさせ、契約印と共に呪いの毒虫(見た目はススワタリと変わらぬくらい可愛いが)を吐瀉させることで、ハクを人間の姿に戻し、ひとまずの小康を得る。ちなみに「吐瀉」というのは「千と千尋」のキータームかもしれない。






 千尋がハクに成り代わって銭婆の家まで行き、ふかく謝罪することを決意して釜爺から片道切符を貰ったあと、リンが千尋を呼びに来る。カオナシが従業員(蛙男と蛞蝓女)3人を呑み込むなどして狼藉のあげく、「千を呼べ」といって聞かず、湯婆婆ですら持て余しているというのだ。ハクの助命嘆願のために「恐ろしい魔女」のところに(片道切符で)単身乗り込むという大仕事を控えていながら、自分が招いたことの責任を取るべく、決然としてカオナシのもとに赴く千尋は、すでにここではナウシカにも引けを取らない凛々しき宮崎ヒロインといえる。








 ただ、カオナシのような存在を相手にきちんと対峙して話をしようとする千尋はまことに立派だけれど、ぼくなんかから見れば、やっぱり子どもだなあとも思う。世間には、「ぜったいにコトバの通じない相手」ってものが確実におり、そういう人と何かの間違いで関わりを持ったらこれはもう速やかに逃げ出すよりほか仕様がないのだ。カオナシの本性がそこまで凶悪でもクレイジーでもなかったことは千尋にとって幸いであった。そこはさすがに「家族で見られるファンタジー」である。


 「『千と千尋』はカオナシの映画だ。」という極論にもし従うならば、あの「風神雷神図」みたいな鬼の絵が描かれた大広間で千尋とカオナシが向き合うシーンこそが「全編のクライマックス」ってことにもなろう。まさに「杯盤狼藉(はいばんろうぜき)」という熟語どおりのあの食い散らかしの惨状は、バブル狂乱の宴の果てのようにも視えるし、飽食ニッポンのグロテスクな戯画のようにも視える。その中でカオナシは、手のひらからざらざらと砂金を湧出させて、けんめいに千尋の気を引こうとする。しかもその砂金とて幻が解ければじつはたんなる土くれなのである。


 もとより若い観客たちは千尋とハクとの清純でかわいらしいラブロマンスに心を惹かれるんだろうけど、ある年齢を過ぎた人間にとってはカオナシがどうにも気にかかるのだ。だから千尋がここできっぱりと述べる「私の欲しいものはあなたには出せない。」という言明こそが、全編を通じての随一の名ゼリフってことにもなる。千尋が本当に欲しいもの。それは別のシーンで釜爺(CV・菅原文太)がいう「愛だよ、愛」にほかならない。


 愛とは無償の贈与であり、一切の見返りを求めることなく相手のために為すべきことを為すことだ。物欲を喚起することでしか他人の関心を得られず、しかも執着の対象を「所有」することしか念頭にない(千……欲しい……千……食べたい……)カオナシにそんなもの出せるはずがない。そもそも理解もできないだろう。ゆえに千尋はだんぜん正しいのだが、カオナシからすればこれは手ひどい拒絶にほかならない。当然ながらショックを受けたカオナシは、ここからさらなる暴走を始める。


 千尋は怯えながらもニガダンゴの残り半分をカオナシに呑ませ、そこでカオナシは番頭蛙の「兄役」(CV・小野武彦)と蛞蝓女とを吐瀉して、急速に退縮する。そのあとなおも暴れるが、油屋の外(膝のあたりまで水没している)に出てから最後のひとり(?)の青蛙(CV・我修院達也)を吐き出し、そのあとはもう、気弱で引っ込み思案な感じの、元の姿に戻っていく。



 つまりハクとカオナシは千尋のくれるニガダンゴを結果的にそれぞれ半分ずつ分かち合うわけだし、それによって体内の異物を吐瀉することで平穏な元の姿を取り戻すわけだ。ぼくが「ハクとカオナシとは物語論的構造においてほぼ同一の存在」と述べたのはここのところであり、両者は正面きって向き合うことこそ一度もないが、千尋を介して「光」と「影」の間柄といっていい。シンボルカラーも「白」と「黒」で、わかりやすく対照になっている。



 なお、千尋は「名のある川の主」から貰ったニガダンゴをハクとカオナシのために使い切ってしまうわけだが、あのニガダンゴが「両親を人間の姿へと戻すためのアイテム」ということが作中において明確に定義されないために(とりあえず、千尋がそう思い込んでるだけなのだ)、ハクとカオナシに対する千尋の心情の深さがいまひとつ伝わってこない憾みはある。こういった脚本の瑕疵は他にもいくつか散見される。










『千と千尋の神隠し』のこと 02 ウォーターフロント

2019-08-31 | ジブリ





 「油屋」およびその周辺の「温泉街」のようすは、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」がモデルだ。このことは公開当時からよく知られていた。なにしろ宮崎監督じしんがパンフレット所収のインタビューでそう明言してるんだから、知られてるのも当たり前っちゃあ当たり前である。
 しかし当時(2001年)はネットが充実していなかったので、写真付きの詳しいレポートなんて見当たらなかった。今はその点ありがたい。たとえば以下のサイトなど、「どのシーンがどこ」というところまできちんと解説してくれている。
     ↓




icotto心みちるたび
千と千尋の神隠しのモデルにも!「江戸東京たてもの園」が凄かった!
https://icotto.jp/presses/6419





 陽光のもとで見るときと、暗くなって灯が入ってからではずいぶん雰囲気がちがう。前半から中盤までは夜のシーンが多いのもわかる。妖(あやかし)や「八百万の神々」が跋扈するのは、やっぱり闇の中でなきゃいけない。
 この景観にバロック的な極彩色を塗り重ねていってあの世界を創り上げた宮崎監督の想像(妄想?)力には脱帽だけど、ただ、「江戸東京たてもの園」は、内陸部にあって、そばに大きな川が流れているわけでもない。ウォーターフロントではないのである。
 『千と千尋の神隠し』は、水のほとりで繰り広げられるお話なのだ。水辺でなければ成立しない、とすら言ってもいいのではないか。宮崎さんの最大の独創は、まさにそこにあったと思う。
 なぜなら、「水辺」とは、つねに「こちら(現世)」と「あちら(異界)」をつなぐ場なのだから。
 「お彼岸」という言葉のとおりである。
 「油屋」に疲れを癒しにくる「神々」は、屋形船みたいなので大挙して到来するのだし、ハクを救うべく「6番目の駅」へ向かう千尋は、海面に没した線路を走る電車に乗っていく。

 水辺がらみでもうひとつ忘れがたいのは、大奮闘して「名のある川の主」を浄化した千尋が、階上の女中部屋(?)に戻り、リンと一緒にでかい饅頭を齧りつつ、眼下の海を見下ろすシーンだ。
 水面に映る月の光がうつくしい。そこを電車が通り過ぎていき、名曲「6番目の駅」がかかる。





 むろん、現実にこんな所を電車が通れるはずはないので、あくまでもファンタジックな情景なのだけれども、それでいて妙な既視感がある。このシーンを見るたび「オレ絶対これ夢で見たことあるぞ」と思う。ひどく懐かしいのである。同じことを感じる人は多いのではないか。たぶん「原風景」みたいなものなんだろう。
 『千と千尋の神隠し』は、ストーリーラインそのもの以上に、こういった細部の魅力で見るものを惹きつける。






『千と千尋の神隠し』のこと 01 身体論的リアリティー

2019-08-23 | ジブリ
 この作品も映画館で観たんですよ。もう18年も前か。まだシネコンじゃなかったね。総入れ替え制じゃなかったんで、終わってから、もう一周しようって2度目を見始めたんだけど、連れが「気分が悪い」とか言い出してね……それでも、千尋がハクからおにぎりをもらってボロボロ泣くシーンだけどうしても見たかったんで、そこまでは我慢してもらった。
 そこまで見届けて、そっと席を立ったんだけど、そばの席にいたちっちゃな女の子が、千尋が泣くのをみて「なんで? なんで?」と母親に尋ねてたのが今でも印象に残ってますね。「ずっと張り詰めていた緊張が解けたときの嬉し涙」ってものを、この子もいずれ経験するんだろうなァなんて思いながら劇場を後にした。そんなことを妙に覚えてます。
 2回見たいと思ったのは、そりゃ気に入ったからなんだけど、べつに泣いた記憶はない。でもその後、金曜ロードSHOWでみると、毎回きまって貰い泣きするね。のちに「ジブリ泣き」などと称されるようになったけど、しかしあそこまで大粒かつ大量の涙ってのはジブリ作品の中でも際立ってると思う。
 金曜ロードSHOWでの放映は、このあいだ、2019年8月16日のやつで9回目らしい。さすがにぜんぶは見ちゃいないけど、それでも4、5回は見てる。その都度あのシーンで泣くし、それも回を追うごとに、ナミダの量が増えてく感じですね。それはたぶん、見るたびに、千尋が好きになってるってことなんでしょう。




 もともと千尋が苦手だったんですよ。予備知識なしに映画館に出向いたもんで、まずあのブサイクさにショックを受けたね。目がちっちゃくて、しかも離れてて、鼻ぺちゃで、下膨れで、口がでかい。なんじゃこりゃと。このヒロインに2時間付き合わされるんかいと。なにしろ私はナウシカ至上主義者なもんでね。
 それをいうなら、千尋のことを、ナウシカの対極に位置するキャラとして考える視点もありかなと思う。顔つきや体つき、それから身体の動きね、何もかも対照的でしょう。登場シーンからして、ナウシカが自力で颯爽と滑空してるのに対し、千尋ときたら父親の運転するクルマの後部シートで寝そべってブー垂れてるという……。しかも、その寝そべってるスニーカーの靴底のショットからのフレーム・インですからね。
 つまりナウシカは神話(英雄譚)のなかの人物で、千尋は日常生活のなかの女の子なわけだ。ただ、ぼくなんか今になってわかることだけど、アニメの表現としては、派手なアクションを描くより、日常のなかでの細やかな動きをていねいに再現するほうがかえって難しいのかもしれない。
 千尋のばあい、車のなかではとにかくブー垂れてて、「体軸が通っていない」という感じ。親父さんが強引に山道を突っ切るところでは、車体の揺れに翻弄される。それで、停車して外に出た後は、それが薄気味の悪いテーマパーク(?)の前だからってこともあるけど、肩にへんな力が入って、ひょろっこい両脚もどこか強張ってて、総じていうと、自分の身体をうまく扱えていない印象がある。
 このあいだ、8月16日に見たときは、そういうところに目がいって、この身体論的なリアリティーっていうか、生々しさはちょっと凄いなと思った。『千と千尋の神隠し』は、この頼りない娘さんが、他者との関わりの中で自らの身体性を回復していくお話でもある。なにしろ中盤以降は、「カリ城」のルパン三世ばりのアクションをこなすまでに至るんだから……。
 それなのに、試練を終えてトンネルをくぐって現実に帰還する際には、あらためて、あの冷たい母親にしがみついちゃうところがまたリアルなんだけど。















ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑦ 「近代ニッポン」の象徴としての菜穂子。

2019-04-29 | ジブリ



 口語調のくだけた書き方に飽きてきたので、ふつうの文体に戻すことにする。元号を跨ぐのもアレなんで、できれば今回でひとまず決着をつけたい。
 質問サイトを見ていたら、「なぜ本庄はいつもあんなにキレ気味なんですか?」みたいなQがあって笑ってしまった。二郎の親友・本庄(CV・西島秀俊)にも実在のモデルがいる。本庄季郎(きろう)という人だ。ただ、たしかに二郎の同僚ではあったがそれほど仲が良いわけでもなく、欧州への視察にも同行していないらしい。それで、本作ではフルネームではなく「本庄」という表記に留まっている。モデルはいてもあくまで架空のキャラなのだ。
 本庄は二郎とは別のチームにいる。彼がつくっているのはたぶん爆撃機だろう。
 本庄がつねにイラついているのは、欧米列強に比べて日本の技術が大きく遅れており、それが戦局の帰趨を、ひいては日本の命運を左右することが痛いほどわかってるからである。満洲事変が始まったのちも「どこと戦争するつもりなんだろう……。」などとすっとぼけたことを言っている二郎よりもずっとシビアに情況を理解し、危機感をもっているわけだ。
 明治維新いこう、日本はずっと孤立無援だったのである。それまで文化の範を仰いできた中国(清)はイギリスにこてんぱんにやられていたし、隣の韓国もまるで当てにならない。イギリス、フランスも倒幕の際には手を貸してくれたが、もちろんそれも自国の利益のためであり、腹蔵なく日本の発展を支援してくれるほどお人よしではない。アメリカもしかり。ロシアとは緊張関係どころか干戈(かんか)を交えた仲である。
 友好国たるドイツでさえも、一皮剥けば露骨な敵愾心に満ちていることは、欧州視察のくだりでわかりやすく描写されていた。カプローニの故国イタリアとは利害対立はないが、たんにそれは、はっきりいってイタリアが弱いからってだけなのだ。
 どこにも頼れる相手がない。
 そんななか、限られた技術供与をもとに、あとはほとんど工夫とアイデアだけで列強に伍しうるだけの飛行機を作っていかねばならぬのだから、そりゃ苛々するのもしょうがない。
 本庄の苛立ち、焦燥、切迫感は、明治いこうの、すなわち近代日本の苛立ちそのものだ。
 「俺たちには時間がない。」というセリフを、本庄は何度か口にする。そう。近代日本にはとにかく時間がなかったのだ。黒船の来航によってとつぜん泰平の眠りを覚まされ、準備期間もなしに国と国との熾烈な生存競争の中に引きずり込まれたわけだから。
 少しでも気を抜けば植民地化され、寄ってたかって好き放題に食い荒らされる。それが「後進国」に対する欧米のやり方なのである。
 そうならぬよう、近代国家としての体制を整えねばならない。政治・経済・科学技術・社会・商業・交通・教育……その中にはもとより軍事も含まれる。というか、軍事の優先順位は今では想像もつかぬほど高かった。なんといってもスローガンは「富国強兵」である。「強兵」のために「富国」があるわけで、「民の幸福」のためではないのだ。
 太平洋戦争の4年間とは、明治以降のその強迫観念が限界を超え、狂気じみたヒステリーの域にまで高じた時期といっていい。


 本庄とはまったく違うシチュエーションで、二郎もまた「僕たちには時間がないんだ。」と口にする。菜穂子が山を下りてきて、黒川夫妻(CV・西村雅彦/大竹しのぶ)の厚意でめでたく結ばれ、さらには邸の離れにふたりで住まわせてもらっている時期のことである。
 とはいえ、この時はまだ、太平洋戦争(アメリカとの戦争)は始まっていない。二郎と菜穂子とが軽井沢で再会したのは1933(昭和8)年。満洲事変の2年後、五一五事件の翌年、ドイツでナチスが政権を樹立し、日本が国際連盟を脱退した年だ。





 太平洋戦争が起こる(を起こす)まで、まだ8年の間がある。この8年間はけっこう大きい。
 このあたり、映画の中にそういった社会状況をはっきりと可視化する描写がないので、時代背景がわかりにくい。ぼくくらいの齢のものでも後から整理しなければわからないんだから、若い人たちは「なんか昭和の初めごろの暗ーい時代」みたいな感じで、ごっちゃになってるんじゃないか。
 二郎は再会して間もなく(菜穂子の巧みな誘導もあって)彼女との結婚を決める。そのあと菜穂子は喀血して、療養のために八ヶ岳高原の病院に籠もるのだが、ついに思いが高じてそこを抜け出し、自ら二郎に会いに行く。
 そしてそのまま、黒川夫妻に媒酌人となってもらって結婚、さらには離れを借りての同居にまで至る。
 話の都合で、黒川夫妻、むちゃくちゃ親切な人たちになっている。
 あの「お輿入れ」のシーンは美しい。夢幻的ですらある。さりとて、儚くもある。「この婚姻は寿ぐべきものだが、しかし、長続きはすまい……。」という予兆に満ちている。
 ちなみにあの折の口上、
大竹「申す。七珍万宝投げ捨てて、身ひとつにて山を下(くだ)りし見目麗しき乙女なり。いかに?」
西村「申す。雨露しのぐ屋根もなく、鈍感愚物の男(おのこ)なり。それでもよければお入り下さい」
二人「いざ夫婦の契り、とこしなえ」
 というのは、どこかの地方の習俗といったものではなく、完全なる宮崎監督のオリジナルである。ただ「あまたの金銀財宝」をあらわす「七珍万宝」という熟語は、前回ふれた『方丈記』の中に出てくる。
 夫妻の厚意で二郎と菜穂子とが結ばれ、邸の離れを借りて暮らし始めるこの辺りまでが、1934(昭和9)年の出来事だ。再会してから一年くらいしか経っていない。たいそうペースが早いのである。
 このかんずっと、設計者としての二郎は「九試単座戦闘機」の開発に勤しんでいる。これがのちの「零戦」の原型となる。
 ふたりが一緒に暮らす時間は一年にも満たない。二郎が「僕たちには時間がないんだ。」と口にするのは、医学を学ぶ妹の加代が菜穂子と会い、菜穂子の病が見かけ以上に重篤であることを指摘して、「お兄様は薄情」と詰(なじ)った時だ。
 これがその翌年、1935(昭和10)年のことである。
 「僕たちには時間がないんだ。」とは、「菜穂子が命を削ってここに留まっているのはわかっている。菜穂子にも僕にももう覚悟はできている。承知の上でこうしているんだ」という意味だ。これでは、さすがの加代もそれ以上はもう何も言えない。
 心情としては、できれば二郎は一分一秒も惜しんで菜穂子の傍に居たいはずである。しかし、いっぽうで彼は日本の命運を担う戦闘機をつくってもいるのだ。
 毎晩帰宅は遅く、帰ってからも、片手で菜穂子の手を握りしめながら、片手で計算尺を扱う日々。
 しつこくいうが、そうやって二人が共に暮らした時期は、どう見積もっても一年にも満たない。
 加代の最初の来訪からほどなく、自らの体調が臨界に達したのを悟った菜穂子は三通の手紙を残してひっそりと退居してしまう。おそらくは高原の病院に戻ったのだろうが、そのあとはもう作中には現れず、二郎がそこを訪れたり、彼女の最期を看取ったりする描写もない。
 いや、そういった描写が皆無というより、いきなり話がぽーんと飛んでしまうのである。
 夢のシーン。カプローニ伯爵(CV・野村萬斎)がいる。これまで彼の登場場面は明るくカラフルで官能的だったが、今回だけはひたすら暗い。遠景の街は焦土と化し、あちこちに飛行機の残骸が散らばる。ほぼ「地獄」のイメージである。「君の10年はどうだった?」と尋ねる彼に、「終わりのほうはズタズタでした。」と二郎は答える。
 これはもちろん敗戦直後だ。だとすれば確かに、菜穂子が去ってからきっかり10年が経過している。
 つまり、『風立ちぬ』というアニメは、日本にとって、そしてまた零戦の設計者としての二郎にとっても、「もっとも肝要」なはずの10年間が、ざっくりと割愛された作品なのだ。
 この作品がぼくたちにひどく面妖な感じをもたらすのは、ひとえにそのせいだろう。
 カプローニは二郎に、「そうだろう。国を滅ぼしたんだからな。」という。なぜそんな言い方をしたのだろう。いかに優秀とはいえ、所詮は一介の技術者ではないか。「国を滅ぼした」は大仰すぎるではないか。
 あれはすなわち、「最愛の妻を死なせたんだからな。」という含意であったのだろう。だからこそ、次のシーンで彼方から菜穂子が歩いてきて、「(あなたは)生きて。」と二郎に告げるのだ。
 


 つまり「佳人薄命」を地でいく菜穂子は、近代の幕開け以降、「ずっと時間がなかった」日本の姿と重なり合っている。もっというなら、近代日本の美しく擬人化された姿ではないかとさえ思う。少なくともぼくにはそのように視えたし、そう解釈しなければ、『風立ちぬ』という作品が理解できない。
 それがあそこでいったん死んだ。滅びた。しかし、遺された者たちは生きていく。生きて戦後のニッポンをつくる。そういう寓意なのだろう。
 でもそのことがわかるのは、ぼくが日本という共同体のなかで暮らしているせいだろうなあとも思う。感傷のナミダに濡れた瞳で近代日本を眺めているわけだ。
 ただ、いっぽうでもちろん軍国ニッポンには、「猛々しい益荒男(ますらお)」の面もあったわけであり、とりわけ「近隣諸国」の住人は、そちらの印象のほうが遥かに強いはずである(もっというなら、アジア諸国のみならず、捕虜の中から多くの死者を出した欧州の国の中にも「軍国ニッポン」への恨みを残す人たちは多い)。
 だから、ぼく個人は『風立ちぬ』というアニメが好きだが、その感覚を「他の共同体」のひとたちと共有できるかどうかは正直なところ心許ない。
 ちなみに、『風立ちぬ』は、カプローニつながりということだろうか、イタリアのベネチア映画祭に出品され、好評は博したものの受賞は逸した。ほかに海外で賞をいくつか取ってはいるが、さほど目ぼしいものはない。ドイツでのベルリン国際映画賞(金獅子賞)、アメリカでのアカデミー賞をはじめ、輝かしい経歴を誇る2001年の『千と千尋の神隠し』に比べるとずいぶん見劣りがする。ファンタジーに対して、やはり歴史を扱った作品はそれだけ難しいということなんだろう。


◎この2年後に書いた記事……

2021年の8月に改めて観る『風立ちぬ』
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/2432f538fce2a76fe0d4d5798447c2ed




ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑥ 堀田善衞

2019-04-26 | ジブリ



 むろん、戦闘機のほうが爆撃機よりもまだ殺傷力が低いから罪が軽いなんて言ってるわけじゃない。どっちも人を殺すための道具ってことでは同じだからね。それはとうぜん宮崎監督もそう思ってるはずだけど、作品の系譜を辿っていけば、「爆撃機」よりも「戦闘機」のほうを好ましく思ってらっしゃることは明白でしょう。
 でも、これは難しい問題だ。『風立ちぬ』という作品そのものの本質にかかわる問題だけど、それだけにとても難しい。保留ってことにしときましょう。
 さて。
 たまたま「堀」の字で繋がるんだけど、堀田善衞という作家がいたんですよ。1918(大正7)生まれだから、堀越二郎・堀辰雄よりは下になるけども。
 亡くなったのは1998(平成10)年。文学史の上では「戦後派」にカテゴライズされる、押しも押されもせぬ大作家ですが、後年は、司馬遼太郎さんと並んで作家というより「文明批評家」「文明史家」というべき存在になっていらした。
 戦後派の作家って、以前に述べた大岡昇平さんもそうだけど、おそろしく骨太なんだよね。兵士として戦場に行った人はもちろん、そうでない人も何らかのかたちであの大戦を経験している。それも多感な青年期、あるいは中年にさしかかる年齢でね。そりゃ人間の迫力が違ってきますよ。
 それに、好奇心が旺盛で、文学に留まらず膨大な量の本を読んでて、百科全書的な知識の持ち主が多い。武田泰淳とか、埴谷雄高とか。
 昔は純文とエンタメとの差別がうるさかったから、司馬さんは「戦後派」には入ってないけど、感じとしては近いですね。
 堀田善衞も例外ではない。どころか、知識の豊かさでは筆頭に数えられるべき方です。
 主著は『ゴヤ』全4巻(朝日文芸文庫→集英社文庫)と『ミシェル 城館の人』全3巻(集英社文庫)。
 前者はタイトルどおりあの画家のゴヤ、後者は『エセー』で知られる思想家のモンテーニュが主役……なんだけど、たんに評伝ってわけじゃなく、ほんとの主役は当時の社会そのものですね。前者であれば18世紀スペイン、後者であれば16世紀フランスを中心とした、その時代の「ヨーロッパ」そのものが主役。
 だから隈なく熟読すれば、当時のヨーロッパについて、政治・経済・宗教・商業・軍事・思想など、立体的かつ総合的な知識が得られる。ただの面白エンタメなんかじゃないんだな。ボリュームからいっても内容からいっても、こういう「小説」を書く人は、いまの日本では思い当たりませんね。まあ塩野七生さんとか、佐藤賢一さんとかかな? でもなんかちょっと違うんだなあ。
 ひとことでいえば、堀田善衞ってのは「乱世」を見据え、「乱世」を思索しつづけた方でした。この人にとっては、現代もまたひとつの「乱世」であった、というか、「乱世」に過ぎなかったんだよね。今よりもずっと長閑だった「昭和元禄」の頃も、バブルの頃でさえも。
 だいたい、日本が泰平に浮かれてへらへらしてる時期は、ずっと海外におられるんですよ。旅の好きな方でね。
 個人的には、堀田さんが少年~青年の頃の自分および仲間を……ということはつまり戦前・戦中の知識青年たちの様相を……描いた自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』(全2冊。集英社文庫)を、高2の夏休みあたりに読んでみてほしいものだなあ、と若い人たちに望むんですが。


 宮崎駿さんは、司馬さんとこの堀田さんをことのほか敬愛していた。90年代初頭には、「私は一人の書生として、お二人のお話を伺うために来ました。」なんて言って、『時代の風音』(朝日文芸文庫)という座談会の聞き手を務めたりして。
 年齢こそかなり下だけど、当時の宮崎さんはアニメ界ではもう大家だったからね。なかなかできることではない。
 昨年(2018年)、堀田さんの生誕100年・没後20年を記念して、『堀田善衞を読む 世界を読み抜くための羅針盤』って企画本が集英社新書から出たんだけども、これの帯には、「お前の映画は何に影響されたのかと言われたら、堀田善衞と答えるしかありません。 宮崎駿」と大書してあります。つまり、これが最大の売り文句になってる。






 堀田さんの本で今でもよく読まれてるものに『方丈記私記』(ちくま文庫)ってエッセイがあるんだけど、宮崎さんは、その本にふれてこう述べてます。


 「堀田さんが、何かの機会にお会いした時に、『方丈記私記』を映画にしないかとおっしゃいました。「あげるよ。」と。僕は『方丈記私記』を初めて読んだ時、夜中に寝床で読んでいたのですが、まるで平安時代に自分がいるのではないかと思えて、立ち上がって思わず窓を開けてしまったほどの感覚に陥りました。外には火の手がほうぼうに上がる平安時代の京都があり、その上を、見たはずのない東京大空襲の時、三〇〇〇メートルの高さまで降りてきて焼夷弾を落としていくB29が見えました。ぎらぎらしたB29の腹には地上の火が映って明るかった、といろんな人が書き残していますが、それがいっぱい見えてきそうなくらい、リアリティーのある小説でした。」


 『方丈記』は400字詰め原稿用紙で30枚にも満たないくらいの短いものだけど、地震や台風や大火事など、天災の記述に大きく紙数を割いている。鴨長明って人は冷静なリアリストなもんで、その記述がきわめて精確なんですよ。町を包んだ炎が地上を舐めて上空へと巻き上がっていく描写なんかが、科学的に精確なんだよね。
 27歳の堀田善衞青年は、自らが体験したB29による東京大空襲のさい、『方丈記』の一節を思い起こして、それがきわめて精確だってことに改めて気づいた。生き延びたあと、その記憶を核にして、戦後、自身初の長編エッセイ『方丈記私記』を書くわけです。
 宮崎駿さんは1941(昭和16)、まさに太平洋戦争が始まった年の生まれで、「父親に負ぶわれて逃げる中で、B29が落とす焼夷弾が降ってくるのを目撃した最後の世代」と述べてらっしゃるんだけど、宇都宮に疎開して、そこで敗戦を迎えたんだから、東京大空襲には遭遇しておられないはずなんですよね。それで「見たはずのない東京大空襲の時」という言い方になる。
 ところで、この『堀田善衞を読む』という企画本が集英社新書から出たのは前述のとおり2018年なんだけど、そこに収められたこの宮崎さんの文章は、2008年に県立神奈川近代文学館で開催された「堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世。」の時の講演の採録なわけ。
 2008年というと、ちょうど「ポニョ」の年ですね。引退宣言したあとなんだ。
 でもこの講演録を読むと、「どうにかして、『方丈記私記』から受けたインパクトを映像化したい。」といっておられるようにみえる。まだまだ意気軒昂というか。
 ただ、作家の構想なんてどんどん変わっていくもんだしね。だから当てにはならないんだけど、引退宣言を撤回して、「これこそほんとに最後の一作。」ってふれこみで作った『風立ちぬ』が、このときの意気込みと無縁とは思えないんだよなあ。
 『方丈記私記』と……ってことはすなわち「東京大空襲のイメージ」と……まるっきり無縁であるとは、少なくともぼくには思えない。
 だけど、できあがった『風立ちぬ』は、けっきょく東京大空襲を描きませんでしたね。空襲を描かなかったどころか、「地上で爆弾を落とされる側」の視点に立ったカットってものが一コマたりともなかった。「ぎらぎらしたB29の腹には地上の火が映って明るかった。」という、そのイメージをビジュアライズすることはなかった。
 それが巨匠・宮崎駿の思想の限界なのか、興業上の配慮だったのか、はたまたその両方か、さらには他にも原因があるのか、ぼくも6年前からちょくちょく考えてるんだけど、どうも結論に至らない。たぶん答えは出ないかもですね。
 いずれにせよ、高畑勲監督の『火垂るの墓』とは(もっというなら、片渕須直監督の『この世界の片隅に』とも)、決定的に違うってことは間違いない。
 アニメ『風立ちぬ』は、そういった、「戦禍の悲惨さ」の描写に振り向けるべき映画的なリソース(つまり尺とか作画枚数のことね)を、二郎と菜穂子との清冽で激しい恋愛のもようにぜんぶ注ぎ込んじゃった。
 そしてそれは、陶然とするほどロマンティックで美しく、どうしたってナミダを誘われる。それゆえに、こちらとしても困ってしまうわけですが。






ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑤ 鯖の骨とピラミッド

2019-04-24 | ジブリ


 
 カストルプが架空のキャラであるのに対し、「カプローニ伯爵」は実在の人物です。Wikipediaには、ジョヴァンニ・バッチスタ・ジャンニ・カプロニ(Giovanni Battista "Gianni" Caproni)として載ってますね。ここにはなぜか「伯爵」とは書かれてませんが、伯爵位を持っていたのは事実らしい。
 優秀な技術者だったんだけど、「カプロニ」という会社の経営者としてむしろ有名なんですね。実業家であったと。

 「第一次世界大戦が勃発すると、アメリカやイギリス、フランス等の連合国の需要に応え、爆撃機や輸送機の生産で躍進。1930年頃には、自動車・船舶用エンジンの生産など事業の多角化に成功し、イタリア有数の企業に発展した。これに併せ、ソチェタ・イタリアーナ・カプロニ (Società Italiana Caproni, Milano) へと社名を変えた。また、小企業の買収も行った。」

 と、wikiの「カプロニ」の項にはあります。
 小学生の二郎が初めて夢のなかでカプローニ伯爵と対面し、「飛行機乗りになれないのなら、設計者になればよい。」と励まされるのが1916(大正5)年のことだから、まさにこの会社が「アメリカやイギリス、フランス等の連合国の需要に応え、爆撃機や輸送機の生産で躍進」してた頃。
 そんなさなかに、「飛行機は美しい夢だ。戦争の道具でも商売の手立てでもない。」なんてセリフをぬけぬけと口にするんだから、相当なタマですが。
 この人の語録の中では、「クリエイターの最盛期はせいぜい10年。君の10年を大切にしたまえ。」とかいう忠告が人気みたいだけど、もっと重要なのは、「ピラミッドのある世界とない世界、君はどっちがいい?」って問いかけでしょう。
 これらはいずれも、二郎が欧州に視察に出かけた際の夢のなかで語られる。だから1929(昭和4)年、二郎26歳の年です(詳細は「ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。②」をご参照のほど)。
 二郎はそれには直接答えず、「僕は美しい飛行機を作りたいのです。」てなことを述べる。
 美しい飛行機。すなわち「鯖の骨」ですね。




 カプローニ伯爵はピラミッド、二郎は鯖の骨。

 これが対立する構図になっている。
 宮崎駿作品の系譜でいえば、テレビアニメ『未来少年コナン』のギガント、映画『天空の城ラピュタ』のゴリアテ、これらが典型的な「ピラミッド」。







 いっぽう、「紅の豚」ことポルコ・ロッソの愛機「サボイアS.21試作戦闘飛行艇」とか、「風の谷」のガンシップね。城おじのミト爺が操縦するやつ。ああいうのが「鯖の骨」。まあ、そう呼ぶにはいささか武骨ですが。
 もっとも軽快で優美な「鯖の骨」といえば、もちろん、ナウシカの乗るメーヴェでしょう。




 
 
 それでね、これは何を言ってるのかってことですが、これを「リアルな戦争」という文脈において翻訳するならば、「爆撃機」と「戦闘機」なんですよ。
 ここのところを抑えとかないと、あそこの対話の真意がいまいちわからない。
 「爆撃機」といえばアメリカ空軍のB-29ですね。太平洋戦争末期、日本中を火の海にした。
 対して、二郎らのチームが作った零戦は「戦闘機」。
 したたかなカプローニ伯爵はともかく、アニメの二郎は純朴だから、むろん戦争の道具なんて造りたくないんだ。だけど、当時の状況において、どうしても飛行機を造りたいならば、それは軍用機でしかありえない。
 それで二郎は、「鯖の骨」のような飛行機、すなわち「戦闘機」をつくるって言ってるわけですよ。


 軽井沢で静養して、菜穂子という恋人をえた二郎は、東京に戻って再び新型飛行機の設計主務者に選ばれ、チームで「九試単座戦闘機」をつくる。これは以前の「七試艦上戦闘機」とはうってかわった、スマートな機体であった。
 これが、さらに数段階の発展を経て、のちの「零戦」になっていきます。







2024(令和6)年・追記
 youtubeでの岡田斗司夫氏の講義によれば、「ラピュタ」に出てくるゴリアテは飛行船であるとのこと。なるほどそうか……。たしかに、ここに貼らせていただいた写真をみても、推進エンジンは確認できませんね。
 またラッパー・兼・映画批評家の宇多丸氏は、「ピラミッド」を「階級構造」の意に解しておられるようです。その解釈を用いるならば、話はずいぶん変わってきます。


ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。④ カストルプ

2019-04-23 | ジブリ



 こんなに長々やるつもりはなかったんだけどな。書き出すとだんだん面白くなってきてね……。さすがに奥が深いわ。そりゃそうだよな。宮崎さんだもんな。
 アニメの二郎は飛行機のことしかアタマにない朴念仁(ぼくねんじん)かってというとそうでもなくて、若い女性にはけっこう目がいってるし、紳士的で優しいんですよね。自分の男性的魅力にも気づいてると思う。
 いっぽうの菜穂子にしても、純情可憐な令嬢ってわけでもなくて、前回述べたとおり自分から巧妙に二郎を誘い込んだりもするし、「二郎の心が自分に傾いた。」と確信した際には、「してやったり」みたいな表情を(にっこりと可愛く)する。しかも、ソッコーで父親に紹介して、逃げ道を絶っちゃうんだからね。あのばあい、二郎のほうもぞっこんだったからいいけども。
 だから純愛ものには違いないんだけど、どっちも意外と大人なんですよ。そこがいいですね、コクがあって。

 カストルプの話をやりましょう。
 カストロプじゃないよ。原語ではCastorpだからね。「ロ」にはならない。
 まず名前だけど、これは20世紀を代表するドイツの文豪トーマス・マン(ノーベル賞作家)の主著『魔の山』の主人公の苗字です。ただし、このハンス・カストルプ君はあんな海千山千っぽいオジサンではなく、単純な青年です。「単純な青年」と作者(語り手)がはっきり言ってます。
 その単純な青年が、いろんな人とのかかわりを通じて成長していくというのが骨子で、だからこれはドイツ文学の伝統芸である「教養小説」(成長小説、と訳したほうがわかりやすい)なんですね。
 「魔の山」と聞くとおどろおどろしいけど、べつにゴシック・ホラーでもミステリーでもない。形而上的な議論がふんだんに出てくる大長編、という点では、ワタシ個人はドストエフスキーのほうが好きですが、『魔の山』が格調高き名作であることには疑いを容れません。新潮文庫・岩波文庫で翻訳あり。
 ついでにいうと、日本では、北杜夫、辻邦生さんがことのほかこのマン先生の影響を受けてます。マンの『ブッテンブローグ家の人々』がなかったら、北さんの『楡家の人びと』もなかった。
 アニメの中のカストルプも、「ここは魔の山」というセリフを吐きますね。原作の「魔の山」はスイス山上の療養所(サナトリウム)のことだけど、軽井沢のホテルも、地上の喧騒から隔絶された場所、という点で共通してるわけだ。
 巷間、カストルプ氏のモデルはリヒャルト・ゾルゲ説が最有力ですね。ほかにも、高名な哲学者などいくつか名前が挙がってますが、でもカストルプ氏がスパイ……少なくとも日本側からそう見られるに足る活動に従事してたのは間違いないでしょう。
 二郎は軽井沢から東京に戻ってすぐに特高に目をつけられるけども、ストーリーの流れからいって、その理由はカストルプとの接触以外に考えられない。カストルプ自身も、逃げるように軽井沢の地を後にしてたしね。
 ゾルゲというのは……手塚治虫の『アドルフに告ぐ』にも出てくるし、篠田正浩監督のライフワークみたいな『スパイ・ゾルゲ』って大作もあるんだけど、やっぱ若い人には説明がいるかなあ……ひとことでいえばソ連のスパイですね。世界の諜報史にその名を刻む大物といっていい。
 日本には、『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の東京特派員という肩書で滞在、ついで駐日ドイツ特命全権大使オイゲン・オットの私的顧問の地位も得た。これで人脈がぐんと広がった。有能で魅力的だったんだね。一流のスパイだったら当然だけど。
 彼がとってくる情報はとても精度が高かったんだけど、スターリンってのは猜疑心のカタマリみたいな男で、それをほとんど生かせなかった。そのせいで、独ソ戦の緒戦でソ連は大敗してしまう。
 でもそれでスターリンがゾルゲを信頼したかというと、むしろ逆で、ますます疑うようになった。そして最後は見殺しにする。スターリンとはそういう男だった。まあ独裁者ってのは大なり小なりそんなもんでしょうが。かくしてゾルゲは最後には日本で処刑されました。
 ゾルゲ自身は、スターリンなんぞに忠誠を誓ってたわけではなくて、ドイツのファシズム、つまりナチズムを恐れてたわけね。それは放っておけば世界を滅ぼすだろうし、ドイツそのものにも多大な不幸をもたらすであろう、と。だからそれと対抗するためにも、スターリニズム(ソ連型共産主義)に生命をかけて尽くしたわけだ。
 後になって思えば、スターリニズムも、ナチズムに劣らぬ「双子の悪魔」だったんだけどね。
 ともあれ、ゾルゲは私利私欲でスパイ活動をやったわけじゃなく、自分なりの正義を貫き、それに殉じたわけです。まあ政治の世界、とりわけ諜報の世界なんて魑魅魍魎(ちみもうりょう)の巣窟で、真相なんてわかりませんが、とりあえずここでは、そういうことにしておきましょう。
 食堂での初お目見えのさい、山盛りのクレソンをむしゃむしゃ食べる場面が印象的なカストルプ氏だけど、あとで二郎とふたりベランダのとこで差し向いになったとき、いかにもゾルゲが言いそうなことを言うんですよね。
「ここは忘れるにはいい所です。チャイナと戦争している、忘れる。満州国作った、忘れる。国際連盟抜けた、忘れる。世界を敵にする、忘れる。日本破裂する。ドイツも破裂する。」
 でしたっけ。「破裂」は「破滅」が正しいと思うけど、微妙に日本語を間違えるところが不気味っていうか。
 で、たしかその後に、「止めなければ。」とも言ってましたよね。
 いかにもゾルゲが言いそうなことを言うんだけども、これ、考えたら変でしょ。スパイってふつう、「いかにもその人が言いそうなこと」は言いませんよね。本来の自己とは逆の役を演じるのがスパイなんだから。
 ゾルゲほどの大物がそんな下手を打つとは思えない。だから、もう少し脇の甘い、「協力者」くらいの立場の人物じゃないか……とぼくは思うんですが。
 時代背景をおさらいすると、1931(昭和6)年が満洲事変。
 1932(昭和7)年が五一五事件。犬養毅首相暗殺。
 1933(昭和8)、つまりまさにその、二郎と菜穂子とが再会した年にドイツでナチス政権が成立、片や日本は国際連盟を脱退しています。
 さて。カストルプはそのあと、食堂のピアノでドイツ映画の名作オペレッタ『会議は踊る』(1931 昭和6年)の主題歌『唯一度だけ Das gibt's nur einmal』を演奏し、そこに二郎と、菜穂子の父も加わって大合唱になる。
 ここで皆でこの歌をうたうってのも凄い趣向で、つくづく宮崎監督、凝ってますなァって感じなんだけど、この名作が日本で配給・公開されたのはじつは1934(昭和9)年。二郎の軽井沢行きは、さっきから言ってるように1933年。さすがに二郎も菜穂子の父も、公開前のドイツ映画を観る機会はないはず。だからこれは厳密に考証すればおかしいんだけど、そこは宮崎さんの演出ですね。知るはずのないヴァレリーの詩句を13歳の菜穂子が暗唱できたのと同じ。
 それでその後日、カストルプ氏、クルマでもって風を巻いて、軽井沢をあとにする。何も知らない二郎と菜穂子はのんきなもので、手を振ってましたね。あれもまた、ぼくが彼をゾルゲとは思えない理由で、ゾルゲだったら、1933年の時点でそこまで追いつめられるはずがない。彼が日本にやってきたのはまさにこの年で、これからいよいよ本格的に活動を始めようって時なんだから。
 だけどまあ、堅苦しいこたぁ言わないで、「お話」としてみるならば、そりゃゾルゲと考えたほうが興味深いし、そう思って観ればますます作品の味が濃くなるのは確かですけどね。