ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

『千と千尋の神隠し』のこと 02 ウォーターフロント

2019-08-31 | ジブリ





 「油屋」およびその周辺の「温泉街」のようすは、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」がモデルだ。このことは公開当時からよく知られていた。なにしろ宮崎監督じしんがパンフレット所収のインタビューでそう明言してるんだから、知られてるのも当たり前っちゃあ当たり前である。
 しかし当時(2001年)はネットが充実していなかったので、写真付きの詳しいレポートなんて見当たらなかった。今はその点ありがたい。たとえば以下のサイトなど、「どのシーンがどこ」というところまできちんと解説してくれている。
     ↓




icotto心みちるたび
千と千尋の神隠しのモデルにも!「江戸東京たてもの園」が凄かった!
https://icotto.jp/presses/6419





 陽光のもとで見るときと、暗くなって灯が入ってからではずいぶん雰囲気がちがう。前半から中盤までは夜のシーンが多いのもわかる。妖(あやかし)や「八百万の神々」が跋扈するのは、やっぱり闇の中でなきゃいけない。
 この景観にバロック的な極彩色を塗り重ねていってあの世界を創り上げた宮崎監督の想像(妄想?)力には脱帽だけど、ただ、「江戸東京たてもの園」は、内陸部にあって、そばに大きな川が流れているわけでもない。ウォーターフロントではないのである。
 『千と千尋の神隠し』は、水のほとりで繰り広げられるお話なのだ。水辺でなければ成立しない、とすら言ってもいいのではないか。宮崎さんの最大の独創は、まさにそこにあったと思う。
 なぜなら、「水辺」とは、つねに「こちら(現世)」と「あちら(異界)」をつなぐ場なのだから。
 「お彼岸」という言葉のとおりである。
 「油屋」に疲れを癒しにくる「神々」は、屋形船みたいなので大挙して到来するのだし、ハクを救うべく「6番目の駅」へ向かう千尋は、海面に没した線路を走る電車に乗っていく。

 水辺がらみでもうひとつ忘れがたいのは、大奮闘して「名のある川の主」を浄化した千尋が、階上の女中部屋(?)に戻り、リンと一緒にでかい饅頭を齧りつつ、眼下の海を見下ろすシーンだ。
 水面に映る月の光がうつくしい。そこを電車が通り過ぎていき、名曲「6番目の駅」がかかる。





 むろん、現実にこんな所を電車が通れるはずはないので、あくまでもファンタジックな情景なのだけれども、それでいて妙な既視感がある。このシーンを見るたび「オレ絶対これ夢で見たことあるぞ」と思う。ひどく懐かしいのである。同じことを感じる人は多いのではないか。たぶん「原風景」みたいなものなんだろう。
 『千と千尋の神隠し』は、ストーリーラインそのもの以上に、こういった細部の魅力で見るものを惹きつける。






『千と千尋の神隠し』のこと 01 身体論的リアリティー

2019-08-23 | ジブリ
 この作品も映画館で観たんですよ。もう18年も前か。まだシネコンじゃなかったね。総入れ替え制じゃなかったんで、終わってから、もう一周しようって2度目を見始めたんだけど、連れが「気分が悪い」とか言い出してね……それでも、千尋がハクからおにぎりをもらってボロボロ泣くシーンだけどうしても見たかったんで、そこまでは我慢してもらった。
 そこまで見届けて、そっと席を立ったんだけど、そばの席にいたちっちゃな女の子が、千尋が泣くのをみて「なんで? なんで?」と母親に尋ねてたのが今でも印象に残ってますね。「ずっと張り詰めていた緊張が解けたときの嬉し涙」ってものを、この子もいずれ経験するんだろうなァなんて思いながら劇場を後にした。そんなことを妙に覚えてます。
 2回見たいと思ったのは、そりゃ気に入ったからなんだけど、べつに泣いた記憶はない。でもその後、金曜ロードSHOWでみると、毎回きまって貰い泣きするね。のちに「ジブリ泣き」などと称されるようになったけど、しかしあそこまで大粒かつ大量の涙ってのはジブリ作品の中でも際立ってると思う。
 金曜ロードSHOWでの放映は、このあいだ、2019年8月16日のやつで9回目らしい。さすがにぜんぶは見ちゃいないけど、それでも4、5回は見てる。その都度あのシーンで泣くし、それも回を追うごとに、ナミダの量が増えてく感じですね。それはたぶん、見るたびに、千尋が好きになってるってことなんでしょう。




 もともと千尋が苦手だったんですよ。予備知識なしに映画館に出向いたもんで、まずあのブサイクさにショックを受けたね。目がちっちゃくて、しかも離れてて、鼻ぺちゃで、下膨れで、口がでかい。なんじゃこりゃと。このヒロインに2時間付き合わされるんかいと。なにしろ私はナウシカ至上主義者なもんでね。
 それをいうなら、千尋のことを、ナウシカの対極に位置するキャラとして考える視点もありかなと思う。顔つきや体つき、それから身体の動きね、何もかも対照的でしょう。登場シーンからして、ナウシカが自力で颯爽と滑空してるのに対し、千尋ときたら父親の運転するクルマの後部シートで寝そべってブー垂れてるという……。しかも、その寝そべってるスニーカーの靴底のショットからのフレーム・インですからね。
 つまりナウシカは神話(英雄譚)のなかの人物で、千尋は日常生活のなかの女の子なわけだ。ただ、ぼくなんか今になってわかることだけど、アニメの表現としては、派手なアクションを描くより、日常のなかでの細やかな動きをていねいに再現するほうがかえって難しいのかもしれない。
 千尋のばあい、車のなかではとにかくブー垂れてて、「体軸が通っていない」という感じ。親父さんが強引に山道を突っ切るところでは、車体の揺れに翻弄される。それで、停車して外に出た後は、それが薄気味の悪いテーマパーク(?)の前だからってこともあるけど、肩にへんな力が入って、ひょろっこい両脚もどこか強張ってて、総じていうと、自分の身体をうまく扱えていない印象がある。
 このあいだ、8月16日に見たときは、そういうところに目がいって、この身体論的なリアリティーっていうか、生々しさはちょっと凄いなと思った。『千と千尋の神隠し』は、この頼りない娘さんが、他者との関わりの中で自らの身体性を回復していくお話でもある。なにしろ中盤以降は、「カリ城」のルパン三世ばりのアクションをこなすまでに至るんだから……。
 それなのに、試練を終えてトンネルをくぐって現実に帰還する際には、あらためて、あの冷たい母親にしがみついちゃうところがまたリアルなんだけど。















芭蕉と門人たち 03 「座」といふもの。

2019-08-18 | 雑読日記(古典からSFまで)



 芭蕉といえば「孤高の俳聖」「隠者」「漂泊の旅人」……といったイメージが無きにしも非ずだが、いっぽうでは、あまたの門人を抱える「宗匠」の顔もあったわけである。
 ご本人も、「発句だけなら門人の中にも私にひけをとらない者はいるよ。でも、連句の座を捌(さば)く業前ならば、やはり私に一日の長があるだろうね。」という意味の言を残している。
 京都アニメーションの事件につき、当ブログではもっぱら「孤立」という切り口で考察してきたが、そのあとでおもむろに、芭蕉と門人についての記事を2本アップしたのはそれ故だ。芭蕉のつくった「座」の空間は、「孤立」の対極にあるものだなあ……と、ふと思ったのだった。
 連句のことはご存じだろうか。
 江戸期の町人文化ながら、優雅な知的遊戯としては、王朝の和歌・漢詩の遊びにも劣らないと思う。決まりはなかなか煩雑で、かくいうぼく自身じつは完璧に理解しているわけではないが、体裁だけいえば、気の合う仲間が何人か(3~5人くらいが多いようだ)集まって、五七五、七七、そのあとまた五七五、七七、と付けていき、36句まで巻いたところで、「一巻の終わり」と相成る。
 きわめて高度な「連想ゲーム」といってもいいか。参加者それぞれに相当な知性や教養や感性が求められるし、前の句を詠んだひと、後の句を詠むひと、さらには一座のほかの衆にも、気遣い・気配りが欠かせない。つまり、月並みな句ばかり付けていてはつまらぬが、かといって、個性を出そうと突飛な句を付けては全体の空気を壊してしまう。その兼ね合いがむつかしい。いかに同好の士とはいえ、細やかな社交の場でもあるわけだ。
 だからこそ、座を取り仕切る宗匠の才腕ってものがとても大事になってくる。インプロビゼーション(即興)をやるジャズバンドのリーダー、もしくは、もっと卑近な例ならば、テレビのバラエティーショーのMCに当たるといえるか。
 赤穂浪士の大高源吾たちが其角(芭蕉の高弟)の俳諧仲間だったことからもわかるように、文人として会する際には、原則として身分の隔たりがない。武士も町人も、みな同列なのである。
 だから江戸の都をはじめ、「連句」の寄り合いは各地でいろいろな人たちによって行われていたと思うが、そのなかで頂点に位置するものは、もちろん芭蕉を宗匠とする会であり、その成果は「冬の日」「猿蓑」といった書に収められている。
 岩波文庫の『芭蕉七部集』などを見ていると、まあ、難しくてとうてい味読はできないけれども、そこにものすごく緻密かつ濃厚な世界が織りなされている……ことだけはわかる。
 それは「文化の粋」としかいいようのないもので、こういう点にかんしては、現代は江戸期に遥か及ばない。むしろ衰退している。
 芭蕉一門の「座」の醸し出す濃密さは、ひととひととの交わりの濃さ……でもある。
 いったいに、昔は「ひとと交わること」こそが最大の娯楽だったわけで、だから「祭り」の大切さとか熱さも今日の日ではなかった。将棋なども、個人と個人が密室に籠って一対一で指すより、縁台将棋じゃないけれど、大勢の注視のなかで指すことが多かった。皆で楽しんでたわけである。
 前々々回の記事「ハイテク社会と孤立」のなかで、akiさんは、


 さらに孤立の重要な要素として、「娯楽の進歩」があるでしょう。ネットにつなげれば、さほどお金をかけずとも様々な映像コンテンツを楽しむことができ、ゲーム・スポーツ・アイドル産業・お笑いなど、多種多様な趣味に応じたコンテンツが山のように存在します。さらに、SNSなどで個人が情報発信する手段も発達し、人間にとって本質的な「癒し」である「人とのつながり」を代替することもできる。その結果、一人暮らしであってもあまり寂しさを感じずに済むようになった。
 これらの変化は、「家事を楽にこなしたい」「居ながらにして世界中の文化に触れたい」等々の欲求に応えて、科学技術が飛躍的に進歩した結果もたらされたものです。そしてその結果として、他人の助けを借りずとも、他人と無理に関わらなくても生きていける社会が現出し、「ならば面倒な人間関係に煩わされずに生きていきたい」と考える人が増加した。実際、「孤立」とまではいかなくても、大なり小なりそう考える人は多いと思います。


 と述べておられるが、これはまったくそのとおりで、ハイテク化が進めば進むほど、ひととひととの距離は隔たり、他人のことが「うざい」「きもい」「めんどい」といった塩梅になる。こんな言い回しは、ぼくなどが20代の頃にはなかったのだ。
 テレビやビデオくらいまでならまだよかった。スマホの普及によるネットの拡大が、あまりにも巨大な影響を社会にもたらした。
 おおげさにいえば、明治維新~敗戦~高度成長~バブル崩壊~IT革命……ときて、平成の後期あたりから、ニッポンはついに、「江戸期」から完全に切断されたといえるのかもしれない。それまでは、まだしも少しは「前近代」の余慶がのこっていた気がするのだ。
 芭蕉一門の残した連句を眺め、芭蕉と門人たちのことを考えるにつけ、ぼくには今の時代の異様さってものが際立って見えてくる。






アップロード(上り)だけができない、という状況も稀には起こりうるぞという話。

2019-08-18 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 似た事例を指摘したサイトがネット上に見当たらぬので、ケーススタディーとして留めておきたい。
 事の起こりは、ONE DRIVEにデータを上げにくくなったことだった。たかが100kb(キロバイトだぜ?)のwordですら、同期に5分も掛かる。
 次いで、outlookで添付ファイル付メールを送れなくなった。空メールならいけるが、excelなどを付けるともうダメだ。長らく「送信中」が続き、最後にエラーメッセージがでる。
 ただ、この時点でぼくはこの二つのトラブルを結びつけなかった。というのも、ネットはふつうに見ることができていたからだ。上り(アップロード)だけがダメで、下り(ダウンロード)だけは大丈夫なんてことがあるとは思わなかった。つまり、ネット接続に問題があるとは考えなかったのだ。
 だからONE DRIVEの不調とoutlookの不調とがたまたま同時に起こったと思い、それぞれの原因を探っていた。しかし、どちらも一向に特定できない。
 outlookの添付ファイルは、盆明けに仕事先で必要なものだったので、ONE DRIVEの件はさておいて、まずこちらの解決に傾注した。
 ファイルが送信できない原因としては、「ファイルの破損」「ファイルの拡張子の異常」などがよくいわれる。それでZIPの中身を切り分けて、つぶさに洗ってみたのだが、やはりわからない。
 あと、送信/受信の設定がきちんとできているか否かも見た。20回くらい確かめたが、どこにも誤りはない。
 そこで、outlookではなく、webメールで試してみた。するとこのとき、添付ファイルをweb上に上げることができなかったのである。90%くらいで止まってしまう。
 これはもうoutlookに関係はない。ここでようやく、「アップロードそのものに問題が生じているのでは?」という疑問が浮かんだ。
 それでプロバイダーに電話で相談した。ところがやはり、「ダウンロードができているのに、アップロードだけできないというのはありえない。原因はおそらくファイルであろう」と仰る。
 それから「遠隔サポート」が始まったのだが、これがぜんぜん不安定で、すぐに切断されてしまう。
 先方は「こんなことは初めてだ」といい、「WINDOWSは最新か?」「更新はきちんとしているか?」「通信は有線か?」などと訊いてくるのだが、どれもまったく問題はない。
 もちろんこれも、「アップロードができない」事象の一端だったわけである。こちらの情報が送れないから、遠隔サポートもできないわけだ。
 ぼくも何度もそれを訴えた。「回線に物理的な障害が発生しているのではないか?」とも訊いた。しかしそれでも向こうは、「ダウンロードができているのに、アップロードだけできないなんてありえない」の一点張りである。
 こちらは素人、あっちは何しろプロのアドバイザーなんだから、そう強く主張されては、それ以上言い返せない。
 それで、すぐにぶつぶつ切れる不安定な遠隔サポートで、セキュリティーソフトを停止したり、ブラウザを変えたりして試してみたが、やはり何の解決にもならない。
 そうこうするうち、「別のツールでやってみましょう」となって、さらに2時間くらい無駄にして、その日は時間切れとなった。
 そのあと、いろいろと試してみたのだが、ONE DRIVEの不調はますます酷くなり、たかだか100kb(くどいようだけど、キロバイトだぜ?)のwordですら、まったく同期できなくなった。
 翌日は別の担当になった。しかしこの2人目の担当さん、若い男性だったが、「マニュアルどおりの対応しかできない」という感じで、どうも話が通じない。
 電話がつながって開口一番「ファイルの調子がおかしいって伺ってますけど」というので、「いやファイルが問題ではなく、アップロードそのものの異常だと思う」と訴え、「げんに、これこれこうで、ONE DRIVEもおかしいんですよ」と述べた。
 すると、「あー、でもONE DRIVEはマイクロソフトですからねー」ときた。マイクロソフトのことだから、うちは知ったことではないというんだろうか。常識で考えて、あきらかにこの返答は尋常ではない。それで、慌てて担当を変えてもらった。
 ここで初めて「まともに話の通じる担当さん」が現れた。事情を話すと、「たしかに、アップロードそのものの問題の可能性が高いですね」とのことで、ルーターの故障の点検のため、回線業者に連絡するようアドバイスされた。
 結論から言うと、ルーターどころか、家の外にある大元の設備自体が経年劣化で痛んでたんである。これではいくらぼくが個人で頑張ったところで解決できるはずもない。
 今にして思えば、初めからプロバイダーでなく回線業者に連絡すればよかったんだろうが、やはり「機器をいじる」というのは最終段階であり、敷居が高い。だからこそプロバイダーに確実なアドバイスを貰いたかったんだけど、担当者の対応力に差がありすぎて、2日ほど無駄にしてしまった。
 まあ工事に来てくださった方も、「アップロードだけに異常の生じる故障というのは珍しい」と言ってらしたので、プロバイダーを責めるつもりはない。
 ただ、冒頭にも述べたとおり、似た事例を指摘したサイトがネット上に見当たらぬようなので、ひとつのケーススタディーとして書き留めておく次第だ。







芭蕉と門人たち 02 枯野抄

2019-08-01 | 雑読日記(古典からSFまで)





 芥川が芭蕉に私淑しており、優れたエッセイを残したことは前回述べた。小説では「枯野抄」が有名だ。
 臨終の床に就いた師・芭蕉を囲んで最期を看取る門人たちの、それぞれに屈折を湛えた心情を辛辣に穿ってみせた短編。例によって巧すぎるほど巧く、昔はただただ嘆賞したが、この齢になって読み返すと、あまりの見事さにかえって興ざめた気分にもなる。でも名作には違いないので、もし未読であればこの機会にぜひ。


 青空文庫版テキスト
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/72_14932.html





 この作品の劈頭に、


丈艸(じょうそう)、去来(きょらい)を召し、昨夜目のあはざるまま、ふと案じ入りて、呑舟(どんしゅう)に書かせたり、おのおの咏じたまへ

  旅に病むで夢は枯野をかけめぐる

――花屋日記――


 なる一文が引用されている。「花屋日記」は、文暁という僧が1811年に刊行した二巻の書で、「芭蕉翁反古文」ともいう。上巻には芭蕉の発病から終焉・葬送の模様を伝える門人たちの手記を、下巻には門弟・縁者の書簡を収めた……ものなんだけど、じつはぜんぶ創作であったと後の研究で判明した。芥川はどうも知らなかったらしい。芥川じしん、『れげんだ・おうれあ』という虚構の種本によって世を翻弄したことを思うとなんだか可笑しいが、とはいえ、集まった門人の顔ぶれなどは正確である。


 参考資料
一つの作が出来上るまで 青空文庫版
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3754_27334.html





 当のエッセイのなかで芥川は、


 「枯野抄」といふ小説は、芭蕉翁の臨終に会つた弟子達、其角、去来、丈艸などの心持を描いたものである。それを書く時は「花屋日記」といふ芭蕉の臨終を書いた本や、支考だとか其角だとかいふ連中の書いた臨終記のやうなものを参考とし材料として、芭蕉が死ぬ半月ほど前から死ぬところまでを書いてみる考であつた。勿論、それを書くについては、先生の死に会ふ弟子の心持といつたやうなものを私自身もその当時痛切に感じてゐた。その心持を私は芭蕉の弟子に借りて書かうとした。(……後略……)




 と述べている。「先生の死に会ふ弟子の心持」がわかるというのは、もちろん、この3年ほどまえ漱石の死に接したからだ。




 「枯野抄」では、あたかも読者が劇の舞台を観客席から眺めるかのように、人物とセットが配置されている。まず「医者の木節(ぼくせつ。青空文庫版には「もくせつ」とルビがふってあるが「ぼくせつ」が正しい)」の名が挙がるが、これは「医者」ゆえにその場に呼ばれたのだろう。芭蕉の門下のなかでけして知られた人とは言えず、ほかでその名をみることはほとんどない。
 俗に「蕉門十哲」という。孔子の名だたる弟子を列挙した「孔門十哲」にあやかったものだ。ただ、この手のリストアップの常として、必ずしも一定はしていない。江戸期より既に、選ぶひとによって多少の異同があったのだが、それでも其角を筆頭に、嵐雪、去来、丈草までは外せない。これに次ぐのが杉風、凡兆、さらに支考、荷兮か。また惟然、野坡などをその癖の強さゆえ好む人もいる。「おくのほそ道」で同行した曾良を加える人ももちろんいる。
 これらの門人たちがみな芭蕉の最後に立ち会ったわけではない。来られなかった者、来なかった者も少なからずいる。そこにもまた秘められたドラマがあったと想像すれば興趣は尽きぬところだが、芥川いこう、蕉門に材をとった小説・芝居・映画・ドラマの類は意外なくらい見当たらない。
 堀切実・編注の『蕉門名家句選』(岩波文庫)の下巻に附された解説によれば、直接間接に芭蕉の教えを受けた門人の数は全国に二千余名、うち名の通った俳人だけでもほぼ一割の200名にのぼるそうだ。この日、大坂南久太郎町御堂ノ前・花屋仁右衛門貸座敷にて師の末期を見届けたのは(つまり「枯野抄」のなかで描かれるのは)、其角、去来、丈草、支考、維然、そして木節、乙州、正秀、之道の九名である。
 まえがきで、「旅に病むで……」の句を書き取ったとある呑舟はなぜか居合わせていない(この人はむしろ之道の弟子で、つまり芭蕉にとっては孫弟子にあたる)。本作の中の芭蕉はすでに意識がなく、句を詠んだのはその前である。だから「旅に病むで……」は辞世の句ではなく、あくまで「最後に詠んだ句」なのだ(厳密にいえば、そのあと「清滝や波に塵なき夏の月」に手を入れて、「清滝や波にちり込青松葉」に改稿しており、これが生涯の最終句ということになろう)。
 これら九名は、確執を生じているってほどでもないが、やはり和気藹々ってわけでもない。お互い腹に一物ある。そんな彼らが、もはや垂死となった病床の師を前にしながら各々の自意識に絡め捕られてうじうじ、ぐずぐずと内面で葛藤を演じるところが一編の眼目なのだが、芥川本人は、




(……前略……)芭蕉の呼吸のかすかになるのに従つて、限りない悲しみと、さうして又限りない安らかな心もちとが、徐に心の中へ流れこんで来るのを感じ出した。悲しみは元より説明を費すまでもない。が、その安らかな心もちは、恰も明方の寒い光が次第に暗やみの中にひろがるやうな、不思議に朗かな心もちである。しかもそれは刻々に、あらゆる雑念を溺らし去つて、果ては涙そのものさへも、毫も心を刺す痛みのない、清らかな悲しみに化してしまふ。彼は師匠の魂が虚夢の生死を超越して、常住涅槃の宝土に還つたのを喜んででもゐるのであらうか。いや、これは彼自身にも、肯定の出来ない理由であつた。それならば――ああ、誰か徒に䠖跙逡巡して、己を欺くの愚を敢へてしよう。丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、漸く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、唇頭にかすかな笑みを浮べて、恭々しく、臨終の芭蕉に礼拝した。――




 と描写される内藤丈草(作中では丈艸と表記)に自らを仮託したといわれている。あらためて漱石とのことに思いを致すと、なかなかに業の深い話ではある。