ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

志村けんを悼む。

2020-03-30 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽







 志村けんさん、じゃなくて、志村けん。なんだよね。やっぱりね。子供の頃からテレビで見てたお笑い芸人と、あと野球選手な。これは呼び捨てなんだ基本的に。それは親しみのあらわれなんで、人気商売のひとにとっては、じつはいちばんの勲章じゃないかと思うんだよね。
 だけど軽く見られてるのは確かなんで、齢くって、そういうのがイヤになってくると、シリアスな演技のほうに行ったり、文化人ぶったり、政治に色目を使ったり、派閥を作って取り巻き相手に威張ったり、つまりまあ、そっちの勲章が欲しくなってくるんだけど、志村けんって人は、ぜんぜんそういう噂が聞こえてこなかったですね。
 さっき訃報を聞いたんだけど、涙がじわっと滲んできたんで、我ながら吃驚したんですよ。なんでだろうな。そりゃ幼稚園から小3くらいまでは毎週土曜の『8時だヨ!全員集合』が何よりの楽しみだったけどもね、こっちはけっこう生意気だから、早々に「8時だヨ!」は卒業しちゃった。だからカトちゃんとのあの有名な「ヒゲダンス」もリアルタイムでは知らないんですよ。その頃にはもう勝手に卒業してたんだ、こっちは。
 「8時だヨ!」でいうとね、ぼくが番組を見だした頃は荒井注だったわけ。いかつい顔して、ガラの悪さが売り物で、カトちゃんに次ぐ人気だった。この人が乳幼児に扮して、ベビー服着て乳母車に乗せられておしゃぶりくわえて出てきただけで客席がドッと沸く。今でいう「出オチ」だよね。
 荒井注はメンバー最年長で、いかりや長介より3つ上なんだ。それで「体力が持たない。」つって降板した。あけすけにいうけど、ぼくらのあいだじゃ「なんで高木ブーじゃねえんだ。」「やめるんだったらブーだろーよ。」と非難囂々だったですね。高木ブー氏には失礼きわまる話だけど、それが当時のガキの率直な心情でした。
 で、注さんの代わりに加わったのが、ボーヤ(付き人)だった志村けん。当時24歳。その時のことはなんだか妙に覚えてますね。たしか建設作業のコントだったと思うんだけど、冒頭からは出てなかったんですよ。コントの半ば、上司の役で「お前ら何やってんだっ。」なんて怒鳴りながら下手から入ってくるんだけど、そりゃあ緊張しててね。今から思えば当然だけどさ。でもその緊張が見てるこっちにまで伝わってきたからね。
 なにしろ客席の子供たちもテレビ桟敷のこっちもまるで馴染みがないでしょう。「誰だお前?」「お前こそ何やってんだよ。」みたいな空気で、そういうとこはほんとに子供ってのは露骨っていうか、冷酷だからねえ。クスッとも笑いの取れぬまま、すぐに引っ込んじゃった。それが初舞台だったと思う。
 そのあとは見習いメンバーとして毎週出てくるんだけど、まるっきり印象に残ってないですね。相変わらず不動のエースは加藤茶で、注さんのいない分はどうにかこうにか仲本工事がカバーして……みたいな塩梅だったな。
 志村けんが「ブレイク」したのは(当時はそんな用語はなかったけど)メインの22分コントじゃなくて、そのあとの「少年少女合唱隊」のコーナーですね。「東村山音頭」。あそこから俄然、熟(こな)れた感じになって、いっきに人気者になっちゃった。
 ところがぼくは、上で言ったとおりちょうどそのころ『8時だヨ!全員集合』から卒業しちゃって、一視聴者としては、売れ出した志村けんとは入れ違いになってるんですよ。こんなのはじっくり考えたことなくて、こうやって整理してみて今気づいたようなもんですが。
 ブレイクのきっかけが「東村山音頭」ってのは偶然じゃないんだよね。東村山は志村けんの地元だけども、「あんだよ?」「あんだって?」とか、あの味わい深い口調は多摩弁なんですよ。まあ多摩弁つっても若い人はあんまりそんな喋り方はしないだろうから、お年寄り特有の言い回しだろうと思うけど、いずれにしてもそういう口調の人たちの中で生まれ育って身についたもんだと思う。だから志村けんのばあいは、一見どんなに奇矯なキャラでも、無理につくってるんじゃなく、ほんとにしぜんに、体の奥から滲み出てくる感じだったね。
 80年代バブル前夜の漫才ブームのなか、『8時だヨ!全員集合』が裏番組の『オレたちひょうきん族』に押されるかたちで終わる。ただ、それと前後してフジ系列で『ドリフ大爆笑』というコント番組が始まっていた。それほど熱心にではなかったけれど、この番組はぼくもちょくちょく見ましたね。
 これもまた、あけすけに言ってしまうけど、その頃のぼくにはカトちゃんの芝居は古いんじゃないかと思えるようになっていた。単調というか、泥臭いというか、ようするに、垢ぬけないんだよね。でも志村けんに対しては、そんなふうに思わなかった。巧いんですよ。せりふ回しはもちろん、間の取り方とか、相手との絡み方とか、「この人はほんとは役者として凄いんじゃないか。」と感じた。
 いや当時はそこまではっきり考えたわけじゃないですよ。こっちも大学に入ったばかりで何やかやと忙しいわけだし、べつにそんな志村けんのこと真剣に考察していたわけじゃないんだけれども、今から振り返ってみると、印象としてはそういう感じを抱いてましたね。
 「バカ殿様」とか、ああいうコント色の強すぎるものはあまり好きではなかったんだけど、今でもくっきり覚えてるのは、長さんの「だめだこりゃ。」で落ちるあの「もしも」コーナーでの「超高齢の芸者さん」ってネタ。
 いうところの「よいよい」で、足腰が立たなくなっちゃってるんだけど、ひどく真面目で、職業意識はむやみに高くて、「命のかぎりお務めします。」てなことをいう。でもって、天井から吊るした紐で半身を結わえて接待するわけね。
 でも酌をするのもしんどくて、やがて体力が持たなくなってバタッと倒れちゃう。客の長さんが心配して抱き起そうとすると、そのたびにキッとなって「アタシは体は売りません!」と突っぱねるというね……。最初は笑って見てたんだけど、ていうか、そりゃコントだから最後まで笑って見るわけだけども、こっちはだんだん、背筋が伸びてきちゃってさ。妙に真に迫ってるっていうか、「いや、ひょっとしたらどこかの地方の温泉街にはこういう芸者さんもいるかも知れんぞ。」という気分になってね。あのコントだけは忘れられないね。
 改めて考えてみると、やはり役者として凄い人だったと思うね。いかりや長介は早いうちから性格俳優に転向して、黒澤明作品にも抜擢されたし、なんといっても『踊る大捜査線』というドラマにその名を刻んだけれど、志村けんは『鉄道員(ぽっぽや)』に脇でちょこっと出ただけでしょう。惜しいことしたよなあ。オファーはほかにも山ほどあったらしいけど、「自分はコメディアンだ。」っていう謙遜(と綯い交ぜになった自負)があったんで、ぜんぶ断ったらしいね。『鉄道員(ぽっぽや)』だって、健さんからじきじきに誘われて、出ることを決めたっていうからね。
 それがここにきて、NHKの朝ドラ『エール』の音楽家役に加えて、山田洋次監督の『キネマの神様』の主演(菅田将暉とのダブル主演)までが決まってたっていうでしょう。その矢先にこれだもの。見たかったなあ。志村けんの芝居。惜しいよねえ。ほんとうに、惜しい人を亡くしましたねえ。


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追記)2022(令和4)年6月、文春新書から『ドリフターズとその時代』が出た。初めて聞く情報が満載で、滅法面白いし、なによりも、ドリフターズへの愛情に溢れている。著者の笹山敬輔氏は製薬会社の社長にして近代演劇研究者の肩書をもつ。1979(昭和54)年生まれだから、リアルタイムで「全員集合!」をみた世代ではないはずだけど、それでこういう本を書いてしまうのが凄い。「ドリフターズ」という響きに郷愁を禁じ得ない人はぜひご一読を。