ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ゲゲゲの鬼太郎 49話 まな(真名)が「名無し」に与えた名前。

2019-03-31 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 同じ東映アニメーション制作だからってことでもないんだろうけど、「HUGっと!鬼太郎」みたいなことになった6期第1シーズン最終話、まな(真名)が「名無し」に与えた名前が気になってビデオの当該シーンを5回見直したんですが、あれはやっぱり「キ・タ・ロ・ウ」ですよね。じぶんにとっていちばん大切な相手の名前を付けてあげたんだなあと。
 今期のアニメではOPで示唆されるだけだけど、そもそも原作の『墓場鬼太郎』においては、鬼太郎の出生そのものが陰惨きわまるもので、「名無し」の誕生シーンと濃厚に重なるわけですよ。親父さんが目玉に乗り移ってまで保護してくれたから道を誤らずに済んだけれども、ひとつ間違えれば「名無し」みたいになっててもおかしくなかった。だから「名無し」は鬼太郎の影(シャドウ)でもあるんでしょうね。
 さらにいうなら、まなが回想の情景でみた「鬼の青年」と「人間の娘」も、それぞれが鬼太郎とまなの祖先なのかもしれない(直系ではないにせよ、「血筋に連なる」という意味で)。そんなことまで想像させられましたね。

色気。

2019-03-29 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 






 ショーケン死す。思えば松田優作が亡くなったのが平成元年。その22年後の平成23年に原田芳雄とコロンボ警部の訃報を聞き、平成28年にはすでに引退していた根津甚八が逝去して、平成の終焉が目睫(もくしょう)に迫ったこの時期になって萩原健一。これで、十代の頃のぼくが「身体論的」に魅了されたカリスマは平成のうちにみんな鬼籍に入ったことになる。寂しい。
 十代の頃のぼくが「文体論的」に魅了されたカリスマ、筒井康隆と大江健三郎という両巨匠がご健在なのがせめてもの慰めというべきか。
 筒井さんはご自身も役者でいらっしゃるわけだが、冒頭に挙げた方々のばあい、むろん醜貌ではないにせよ極めてわかりやすい美男、というわけでもないのが特徴で、顔立ちからいっても全身から発するオーラからいっても「役者」としか呼びようのない存在であった。総身から、香油のようにオトコの色気が滴っていた。
 ちなみに筒井さんによる小説講義『創作の極意と掟』(講談社文庫)には、「文体」「人物」「視点」といった真っ当な項目にならんで「色気」なる項目が設けられている。身体を用いたものであれ文章を用いたものであれ、およそ「表現」さらには「芸術」にとって「色気」はぜったいになくてはならないものなのだ。色気を欠いた芸術なんて成立しない。
 ぼくのばあい、沢田研二や坂東玉三郎、さいきんだったら山田孝之、林遣都のような美男俳優よりも、むしろサンドウィッチマンの富澤たけしのごとく、やや魁偉な雰囲気を漂わせる容貌のほうに「オトコの色気」を覚えたりもするが、必ずしもそれがすべてってわけでもなく、痩せぎすで、なよっとした繊弱な佇まいのひとを色っぽく感じることももちろんある。
 リリー・フランキーなんかもそうだが、ここしばらくでは、昨年暮れの紅白で着流しを着て椎名林檎と歌い踊っていたエレファントカシマシの宮本浩次が忘れ難い。もとより林檎嬢の色気だって只事ではなかったけれど、それよりもさらにセクシーで、ちょっと胸苦しいほどの妖しさを覚えたものである。そのあとの、桑田佳祐とユーミンによる文字どおりの「歴史的共演」よりも印象に残っているのだから、よほどのインパクトであった。
 町田康に似ているなあ、とも思ったが、見たことはないが町田康が着流しでパフォーマンスをしても相当に凄い感じになることだろう。まあ総じてニホンの男は着流し姿がいちばん色っぽく映るはずであり、あなたもぼくも、それでもしサマにならなかったらちょっともう諦めたほうがいいかもしれない。
 日本語というのはもともとが色っぽい言語ではないか、ということをつねづね思ってもいて、むろんこんなのは実証困難なただの思い込みにすぎぬのだが、しかし「漢字」という直線的で詰屈した、厳めしい字面の中に「ひらかな」といふ、みるからにたおやかでやわらかな文字が立ち交わって共存している様は世界中どこを探してもほかの言語にみられないのはたしかである。
 大江健三郎が好きなのも、とかく晦渋だの衒学的だの左翼的だのと思われがちだがじつはその文体そのものがべらぼうに色っぽいから、という理由が大きくて、その伝でいけばいまの日本でもっとも色気のある文章を紡ぎだすのは古井由吉であろう。個人的には「日本文学史上、紫式部と双璧」とさえ思っており、あとはもう泉鏡花とか川端康成とか谷崎潤一郎とか永井荷風とか三島由紀夫とか、正真正銘の「化け物」たちの名前しか思い浮かばない。



カメラを止めるな! 感想

2019-03-09 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 ネタバレを含む、というより、いまふうの言い方をすれば「ネタバレしかない」ので、テレビ放送を見逃した方は、くれぐれもお読みにならぬようお願いします。




 金曜ロードshowで観たんだけど、思った以上に良かったですね。笑えたし泣けた。世評というのは侮れません。日本アカデミー賞の最優秀編集賞ですか。脚本のほうは優秀賞どまりか。最優秀は『万引き家族』だったんですね。しょうがないか。あっちは社会派だもんね。テーマの重さが違うわなあ。
 『カメ止め!』のばあい、「父と娘のきずなの回復」が隠し味(いやべつに隠れてないか)になってるんだけど、ほんとの主題は「映画づくりにかける情熱」でしょう。あの監督の父親(濱津隆之)にしても見習いADの娘(真魚)にしても、また元女優の母親(しゅはまはるみ)にしても「根っから映画が好き」ってことで通じ合ってるんですね。ただ、父親のほうは「便利屋」としての賃仕事だけで長年食ってきたもんで、今やもう「作家」ではなく、ていのいい「雇われ職人」に成り下がってる。上(プロデューサー)にも下(俳優)にも気を使いまくってね。
 まだアルバイトの身分で、世間の荒波に揉まれてなくて、本気で「映画づくり」に向き合いたい娘は、そんな親父がもどかしくってならない。ケーベツしてるわけですよ。なんでそんなに卑屈なんだと。オメエ監督だろ? 監督だったら、たとえ埋め草みたいな駄作だってわかってても、全力を尽くして納得のいくもん作っていけよと。
 ま、それができれば苦労はしないんだけどね。げんに娘は、撮影の進行そっちのけで子役にホンモノの涙を流させようとしたために、その母親を怒らせて現場を放り出されるわけだし。実情はそんなもんですよ。
 父親だってね、実力と実績さえあればなんもペコペコする筈ないわけさ。さしたる才幹もないくせに、「映画が好き」って情熱だけで業界に入って、とりあえず目先の仕事を「来るもの拒まず」でこなしてるうちに齢を重ねちゃったタイプだよね。幼い日の娘を肩車してる写真をこっそり見ながら咽び泣くシーン、いいよね。日本人ならアタマのなかに、寅さんこと渥美清のうたう「男はつらいよ」の替え歌が流れるところだ。
「い~つ~かお前の喜~ぶような えらい親父になぁりたくて 奮闘~努力の甲斐もなく きょおおおもなみぃだの~」
 今日も涙の日が落ちるってやつですよ、まさに。
 ほんとは自分だって精魂込めた名作を撮りたい。でもぜんぜん及ばなかった。たぶんこの先も駄目だろう。ていのいい職人として、便利屋としてずっとやっていくしかない。
 コネを大事に、波風立てず、世間をわたっていくしかない。
 言いたいことは山ほどあるけど、こらえてこらえて、ぜんぶ腹の底にぐぐーっと収めてやってきた。これまでも、これからも。いや、なにも「ものづくり」の人に限った話じゃないよね。社会人ならだれだって身につまされるよなあ。
 だから本番、代役できゅうきょ監督役になったこの人が、自分(と作品)をナメきってる主演女優(秋山ゆずき)に向かって、
「なんで嘘になるか教えてやろうか? お前の人生が嘘ばっかりだから。嘘ついてばっかりだからだよ!」
 とアドリブで本音をぶっつける場面が(序盤ではなく、後半の2回目の時だけど)カタルシスになるんですよね。
 いっぽうの男優(長屋和彰)のほうはその逆で、とかく考えすぎ、こだわりすぎるタイプ。真摯なのはいいんだけど、監督を蔑ろにしてる点では同じ。でもって、この人にもガツンと言ってましたね。
「これはオレの作品だ。オレの作品だよ! お前はリハの時からぐだぐだぐだぐだ口ごたえばっかりしやがって!」
 もう思ってることそのまんまだな。奥さんが(この時はまだ冷静だったんだね)慌てて止めに入ってました。もちろんこれも、後半の2回目でわかることですが。
 序盤の37分の映像内にあった退屈な部分、冗漫な部分、おかしな部分、不可解な部分が後半になって明確な意味を帯びてくるくだりの快感は『アフタースクール』『サマータイムマシン・ブルース』に通じるし、アクシデントやトラブルを現場のスタッフが取り繕いながら必死でつじつまを合わせていく愉快さは『ラヂオの時間』に通じる。
 あの序盤の37分のC級ホラーパートはほんとに下らないんだけど、ホラーをワンカットの長回しでやりゃあ、あんなもんですよ。ホラーってのはカメラワークとカット割りで恐怖を煽ってくもんなんだから。あんな企画を思いつくプロデューサーなんて、あの「超適当」なおばさん(笹原芳子)と「ふつうに適当」なイケメンさん(大沢真一郎)くらいなもんで、だからこそあの企画はどの監督にも断られて、あの人に回ってきたのな。
 感心すべきは、裏ではあれだけグダグダになってたのに、スタッフや機材が、たった1ヶ所を除いてまったく映り込まなかった(という設定になってた)点ですよ。どれほどバカげた出来であろうと、あのゾンビ映画『ONE CUT OF THE DEAD』が曲がりなりにも「映画」として成立してたところがミソなんだ。
 むろん、いちばんの見どころは、出演男優めあてで押しかけてた娘が、モニター越しにみる父親の熱気にだんだん当てられていって、ついには「カメラ、いったん止めましょう」と言ったプロデューサーに逆らい、「このシーンとこのシーン繋げたら大丈夫だから」てなこといって、勝手にディレクターと化してみんなを仕切り出すくだりですよね。
 つられて他の出演者たちも、だんだんマジになってくる。あそこはワクワクもんでした。
 でもってラストが、役者も裏方もみんな総出でつくったピラミッドのてっぺんで、監督と当の娘が在りし日の「肩車」を再現し、それを奥さんが(脳天に斧を突っ立てたまま)見守ってる場面でしょ。これは泣くよね。
 予算がなくて出演陣が無名でも、アイデアと熱意と才能があれば良い作品は作れるってことの証明というべき一作でした。上田慎一郎監督、最優秀編集賞おめでとうございます。




雑読日記。19.03.04 『民主主義』ほか

2019-03-04 | 戦後民主主義/新自由主義
 

 去年(2018)の10月に角川ソフィア文庫から出た『民主主義』を読んでるんだけど、レベルの高さに驚かされますね。「文部省著作教科書として、昭和23年10月および昭和24年8月に上下巻で刊行されたものを一冊にまとめた」本。税別920円。
 内田樹さんの解説によれば(委曲を尽くしたみごとな解説ですが)、これまでに復刻版が1995年に径(こみち)書房から、短縮版が2016年に幻冬舎から出たらしい。でもほんとなら今だって「副読本」として全国の高校で用いられるべきなんじゃないか。受験うんぬんとはとりあえず別件でね。なんつーか、いずれ社会人としてこの国で生活するうえでの一般教養として。
 ここに書かれてることが過半数のひとにきちんと浸透していたならば、いまネット上の一部(と思いたいけど)で行われてるような殺伐たる論争(というか罵り合い)はほぼ解消されてますね。それくらい普遍性があって、射程が広く、内容ゆたかな本です。
 「戦後民主主義は今もなお未完のプロジェクトである。」といった人がいるけど、これ読んでると、その言い方にも一理あるなと思えてくる。
 著者名はあくまで「文部省」(いまの文部科学省)だから、具体的にどんな人が、どんなチームが寄稿したのかはわからない。でも敗戦からわずか3、4年なんだから、その人たちも当時は役人としてあの戦争に協力してたわけだよね。これほど聡明で、物事をわきまえた人たちが官僚の中に揃ってたのに、戦争に対しては、ついに無力でしかなかったんだなあと。
 そんなことを考えてもみたりね。
 戦前っていうか、なんか昭和の初め頃って「暗黒時代」みたいに思ってる人が多いかもしれないけども、じつはそれほどでもないのな。そりゃ今日の感覚からすりゃ貧しかったし、抑圧も強かったし、要人へのテロも起こってたけど、それなりに豊かで、技術水準もそこそこ高くて、のんびりしたとこもあったんだよね。それは谷崎潤一郎の『細雪』(新潮/中公文庫)なんかを読んでもわかる。
 いよいよ切迫してくるのはやっぱアメリカと戦争を始めてからですよ。いわゆる太平洋戦争。だから1941(昭和16)からの4年間ね。このへんは確かに暗黒というのがふさわしい。食うもんがない。アタマの上から爆弾が降ってくる。ほかにもいっぱいあるけど、この2つ挙げりゃあ充分でしょ。
 この時期は言論の自由なんてのもなくて、作家も評論家も沈黙を強いられたり、むしろ進んで軍国ニッポンに加担したりもしたけれど、その手前の時期、つまり大正から昭和の劈頭(へきとう)まではそうでもなくて、いまでいう「リベラル」な傾向も少しはあった。
 一般ピープルはともかく、いわゆる「知識人」のレベルはたいそう高かったしね。いっぱい本を読んでてさ。
 サブカルっつったら寄席か映画くらいしかないもんで、気を紛らわす娯楽があんまし無くて、そのぶん本をどっさり読むんだな。
 だから『民主主義』を著した文部官僚の方々も、べつに敗戦から3年で猛勉強して「民主主義」を学んだわけじゃなく、その前に、学生の頃からちゃんとインテリとしての自己形成をしてたわけですよ。だからこそこういうものも書ける。
 1980(昭和55)年、岩波文庫から『小林秀雄初期文芸論集』ってのが出てね。タイトルどおり、この近代日本の生んだ最大の批評家の初期の論考をコンパクトにまとめてあるんで、今でも重宝してるんだけど、昭和5年から10年くらいまでのあいだに書かれた文章なんか読むと、むちゃくちゃ水準高いのな。
 「純文学」について、ぼく自身もふくめてプロアマ問わずネットの上で色んな人が色んな事を言ってるけど、たいていの議論はここで小林秀雄が書いてることに先取りされちゃってんですよ。しかもずっと緻密に、かつ華麗にね。
 好著『日本の同時代小説』(岩波新書)の斎藤美奈子さんなんて、小林秀雄と読み比べると、ほんとサブカル。つくづくサブカルの人だなあと思う。それでこういうものを書いちゃって、それが天下の岩波から出ちゃうというね。
 でも、ぼくは斎藤さんを貶める気は毛頭なくて、皮肉でもなんでもなしに、いまを代表する「文芸評論家」だと思ってる。『日本の同時代小説』にしても、当座のブックガイドとしては十分に面白いし、便利だしね。
 ようするに、いまはサブカルの人が文芸評論をやる時代なんだって話。
 もっというなら、ますます純文学とサブカルとの境がなくなってきたっつーか、下手すりゃ純文学がサブカルの一部に包摂されかねない時代だぞってことかもしれませんね。
 えーと、そうだなあ。これはむしろ「純文学って何?」のカテゴリーでやる話なんだろうけど、ひとつ言っとくと、「私」という問題がある。
 純文学は自分の身辺まわりの話ばっかやってて社会性がないから詰まらんぞ、いかんぞ、みたいな議論を斎藤さんはやるわけさ。でもこれは、まさに小林秀雄が批評家としてデビューした時分、だからそれこそ昭和の初期なんだけど、「プロレタリア文学論争」みたいな形でさんざやり尽くされた議論でもあったりする。
 プロレタリア文学ってのは「最底辺の労働者」の窮迫ぶりや、「資本家」の冷血ぶりをルポ風に、ドキュメンタリー的な手法でねちっこく描くもんで、「社会性がない」どころか、むしろ「社会性しかない」って言いたいようなジャンル。もちろんそれはそれで大きな意義をもつんだけれど、すると今度は、「じゃあ“ 私 ”はどこ行ったの? どうなるの?」って反動がくるのが人の世の習いってやつでね。
 なんといっても「文学」だからね。計量化できない「私」という切実かつ不可解なる存在のことを、コトバの力でできうるかぎり細やかに、濃密に、深く掘り下げたいって動機がそもそも近代文学の出発点にはあった。
 そうやって「近代」すなわち「明治」は「江戸」と袂(たもと)を分かって自立してったわけね。ニッポンの近代文学ってのはその苦闘の歴史でもある。そのあたりのキビしさってものが、斎藤さん、どこまで身に染みてわかってんのかなあと、ぼくなんかちょっと疑念を覚えるんですよね。 




雑読日記001 まずは『成城だより』の話から。

2019-03-01 | 雑読日記(古典からSFまで)。
 前回からの流れで「軍事」の話に持っていく予定だったんだけど、所用があって3、4日ブログのことを放念してたら、何をどう書くつもりだったのか紛れてしまい、「えーっと……」などと思ってるうちに気づけば1週間がたってしまった。こうなるとますます更新しづらくなり、あげく放置ってことにもなりかねぬ。自分のブログでも「敷居が高くなる。」ってことはあるのだ。10年あまりやってりゃそういうことは何回もあって、こんな折は、とりあえず何でもよいから書くことである(「放置ブログになったらなったで別にまあ……」という気分もないわけではないが)。
 ことのついでに「雑読日記。」なる新カテゴリーを追加しちまった。まとまった「論考」のかたちではなく、読書メモふうに読んだ本の感想や短評を記していこうぜ、というもの。本来ブログってのはそういうものであるのかもしれず、前々からやろうとは思ってたのだが、このたび踏み切ったのは大岡昇平『成城だより』の影響である。
 大岡さんといえば『レイテ戦記』(中公文庫)『武蔵野夫人』(新潮文庫)などで知られる巨匠で、かつて大江健三郎が「昭和の日本文学を代表する作家をひとり選ぶとしたら?」と問われたさい、その名を挙げた人ほどの方だ。
 理由は、
①小林秀雄、富永太郎、中原中也ら、近代日本文学の最良の系譜に連なる先輩や同輩たちのなかで自己形成してきたこと。
②スタンダールの研究家だった。すなわち、近代小説の基幹をきちんと学んでいたこと。
③サラリーマンとして会社に勤めていた。すなわち社会人としての経験をもっていたこと。
 そして、それらにもまして大きなものとして、
④太平洋戦争のとき、自ら一兵卒として従軍したこと。
 といった事どもだった。
 もう30年も前なんで、大江さんがそのとき言われたとおりじゃないかもしれぬが、いま自分で考えてみても、この評価は正鵠を射ていると思う。
 この大岡昇平(1909 明治42~1988 昭和63)は、また博学でも知られ、晩年に至っても好奇心旺盛で、ドゥルーズあたりも読んでおられたようだし、映画もよく観てらしたし(ルイーズ・ブルックスの熱烈なファンだった)、ニューミュージックも(歌謡曲ではなくて)お好きだったようである。
 だから上段に構えた論考よりむしろエッセイや座談が面白かったりもするわけで、その一端は埴谷雄高との対談『二つの同時代史』(岩波現代文庫)でも存分に伺えるのだけれど、そういった「本業以外の仕事」のうちで、とりわけ面白いと世評高いのが『成城だより』なのである。
 成城からの便りなんつったら、なにやら紀行文のようだが、ありようは日記である。東京は世田谷のあの成城だ。ご本人がここに住んでいらした。むろん高級住宅地だ。
 仰ぎ見るような大作家に対してイヤミをいうわけではないが(いややっぱりイヤミかな……)、大岡さんは終始「反体制」の立場を貫いておられたけれど、「戦後日本」の豊かな果実はたっぷりと享受しておられたわけである。そういう方はもちろん他にもたくさんおられ、というか、ニッポンが目に見えて「右旋回」する90年代末くらいまではそれがふつうの「文化人」のスタイルですらあって、その件はけっこう冗談ぬきで考察に値するテーマだと思うが、本筋ではないのでまたの機会に。
 ともあれ、『成城だより』だ。
 1981、1983、1986年の3年間……だからまさしくバブル前夜からバブル勃興の真っただ中にかけて、ってことになるわけだが、1年分ずつ「文學界」に連載された。連載当時から「むちゃオモロイ」とブンガク業界じゃあ話題だったようで、ぼくは当時、ギョーカイとはなんら関係なかったけども(いや今でも関係ないが)、それでもなんだか色んなところでタイトルを耳にした気がする。
 「文學界」は文藝春秋社のやってる純文芸誌なんで、単行本はそれぞれⅠ、Ⅱ、Ⅲの3分冊で文藝春秋から出た。そちらが品切れになってから、上下2冊となって講談社文芸文庫に入った。その電子版をいま読んでるわけである。
 いやまあオモロイ。たしかにオモロイ。聞いてた以上にオモロイ。
 大岡さんは、上記のとおり富永太郎(1901 明治34~ 1925 大正14)と親交があり、この富永は、近代日本を代表する詩人のひとりなのだが生没年をご覧になればお分かりのごとく夭折のひとだ。この若さで身罷っていながら「近代日本を代表する詩人のひとり」になりえたというのは、富永が天才だってこともあるし、およそ「近代日本」なるものが、その内面においてそれだけ「若かった」ということでもあろう。
 でもって、大岡さんはその富永の全集の編纂をライフワーク(の一つ)にしておられ、またもうひとり、これも「近代日本を代表する詩人のひとり」で、深い親交のあった中原中也(1907 明治40~ 1937 昭和12。こちらも夭折だ)のことも執拗に調べ続けておられて、その両者への50年ごしの「こだわり」が、この浩瀚な日記を統べる一本の太い縦糸になっている。
 青年の頃の友人たちを終生にわたって思い続けるなんて、それだけでアツい。むろん彼らが並外れた才能の持ち主だったからなんだけど、それだけではない。
 といって、いまの若い人はそんな「文学マニア」っぽい話に興味はないか。いや、その手の話ばかりが延々と書き綴られてるわけじゃなく、中島みゆきの名も出れば、「地獄の黙示録」についてのちょっとした考察もみえる。
 いっぽう、『なんとなく、クリスタル。』や、村上龍、村上春樹といった名前はまったくみえない。これは本当に関心がなかったのか、いちおう目を通しはしたが何らかの配慮の上で記述を避けたか、たぶん前者だろうとは思うのだが、じっさいのところは不明である。
 つまり、当時すこしずつ、しかし如実に始まっていた「文壇」の流動化についての意識は希薄で、だからとうぜん「サブカルチャー」全般への気配りってものも伺えず、いわば散発的な興味に留まっている。そこはやっぱり明治生まれの作家だなあと思わせられるが、ま、当たり前っちゃあ当たり前の話だ。
 いっぽう、いわゆる正当な純文学や文芸評論、学術書、歴史の本、さらにミステリーなどは貪婪に読みまくっておられるし、「物語論」についての考察も深くて(大岡さんは漱石研究でも有名で、オフィーリア・コンプレックスを公言してもおられた)、身辺雑記のなかに織り込まれた読書ノートをたどってるだけで、べらぼうに刺激されるし、勉強にもなるのであった。
 近現代の日本を代表する「日記文学」のひとつであることは疑いないし、戦後日本の最良の知性(のひとり)が残したバブル期の知的記録としても貴重なものに違いない。これに「影響を受けた」なんて言ったら僭越のそしりは免れぬのだが、まあ「触発された」というか、いや結局はおんなじか……ともかく、こんな感じで自分なりになんか書けたらいいなー、てな気分で、「雑読日記。」なるカテゴリーを新設したりなんかしちゃったわけである。