ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

3度目の戸締まり

2022-12-28 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり
 12月25日、『すずめの戸締まり』、3度目の鑑賞。同じ映画を3回も劇場まで足を運んで観るのはこれが初めて。
 冬休みに入り、日曜ということもあってか、早朝にも関わらずほぼ満席。小さいお子さんを連れたファミリーが目立った。
 ぼくのばあい、2度目の鑑賞は、かなり分析的というか、批評的に見てしまったので、ややストーリーに没入できなかったきらいがあり、この3度目で、また初回の感動を再体験することができた。
 ことに今回は、ダイジンに肩入れしちゃったなあ……。
 ダイジンとすずめとの関係性が、ほとんどそのまま、すずめと環さんとの関係性に被ってるところがミソだ。
 特典の「環さんのものがたり」を読んだら、御茶ノ水駅前で環さんがすずめ(と芹沢)に邂逅したのはけっして偶然(ご都合主義)ではなかったことがわかった。新海監督の脚本は、細部に至るまで周到に作られている。
 主演の若い2人をはじめ、声優陣はみな素晴らしいが、ことに深津絵里さんが凄い。パーキングエリアでのあのシーンは何回見ても鳥肌が立つ。あれで声優初挑戦とは信じがたい。
 興行収入も100億円突破との由。まだまだ伸びるだろう。





☆☆☆☆☆☆☆






hulu
すずめの戸締まり 本編12分映像(もちろん無料。ただしスマホで見る場合はアプリのダウンロードが必要になる)
https://www.hulu.jp/watch/100127089







☆☆☆☆☆☆☆


再掲




今ネットで(無料で)読める秀逸な『すずめの戸締まり』論まとめ




『すずめの戸締まり』に隠されたメッセージと新海作品の可能性
土居伸彰×藤田直哉 対談
2022.12.17
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/doi_fujita/22112







 10月17日に『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書)を上梓した土居氏と、10月30日に『新海誠論』(作品社)を刊行した藤田氏との対談。やみくもな礼賛に留まらず、エロティシズム、ナショナリズム、天皇(制)といった難しい問題にも抜かりなく目を配っている。今の時点で『すずめの戸締まり』について語られるべきことは、とりあえずこの中にほぼ尽くされているように思う。








 それぞれの評者による個別のレビューはこちら。



土居伸彰
返事のない場所を想像する――『すずめの戸締まり』を読み解く
『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』特別寄稿
2022.11.15
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/21956


藤田直哉
新海誠の『すずめの戸締まり』は、何を閉じたのか?宮崎駿作品の主題、『星を追う子ども』の共通点から考える
2022.12.15
https://www.cinra.net/article/202212-suzumenotojimari_iktaycl



 ほかに、この方の批評も有益だ。

藤津亮太
考察/新海誠『すずめの戸締まり』が「震災文学」である本当の理由
2022.12.3
https://qjweb.jp/journal/78912/?mode=all


「すずめの戸締まり」新海誠監督が描く「星を追う子ども」「君の名は。」に続く“生者の旅”とは
2022.11.15
https://animeanime.jp/article/2022/11/15/73485.html






 このお三方は「すずめ」を高く評価しているが、いっぽう、「数年ぶりに物凄い怒りと共に執筆しました……」という但し書きを付して公表されたレビューがこちら。批判的意見の急先鋒といおうか。




茂木謙之介
新海誠監督『すずめの戸締まり』レビュー:「平成流」を戯画化する、あるいは〈怪異〉と犠牲のナショナリズム
2022.11.25
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/suzume-tojimari-movie-review-2022-11











 ぼく個人は土居、藤田、藤津氏らと同じ立場であり、この茂木氏の意見には与しないけれども、『すずめの戸締まり』を観て、「なんだか引っかかる」「どこか釈然としない」(いまどきの用語でいえば「モヤモヤする」)といった感想を抱く方々の心情を精緻に言語化すればこうなるのかな……とは思う。きちんと反論を書いてみたい気もするが、いかんせん時間がない。









今ネットで(無料で)読める秀逸な『すずめの戸締まり』論まとめ

2022-12-19 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり
『すずめの戸締まり』に隠されたメッセージと新海作品の可能性
土居伸彰×藤田直哉 対談
2022.12.17
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/doi_fujita/22112



 10月17日に『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書)を上梓した土居氏と、10月30日に『新海誠論』(作品社)を刊行した藤田氏との対談。やみくもな礼賛に留まらず、エロティシズム、ナショナリズム、天皇(制)といった難しい問題にも抜かりなく目を配っている。『すずめの戸締まり』について語られるべきことは、とりあえずこの中にほぼ尽くされていると思う。




 それぞれの評者による個別のレビューはこちら。


土居伸彰
返事のない場所を想像する――『すずめの戸締まり』を読み解く
『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』特別寄稿

藤田直哉
新海誠の『すずめの戸締まり』は、何を閉じたのか?宮崎駿作品の主題、『星を追う子ども』の共通点から考える
2022.12.15
https://www.cinra.net/article/202212-suzumenotojimari_iktaycl




 ほかに、この方の批評も有益だ。


藤津亮太
考察/新海誠『すずめの戸締まり』が「震災文学」である本当の理由
2022.12.3
https://qjweb.jp/journal/78912/?mode=all


「すずめの戸締まり」新海誠監督が描く「星を追う子ども」「君の名は。」に続く“生者の旅”とは
2022.11.15



☆☆☆☆☆☆☆


 これらお三方は「すずめ」を高く評価しているが、いっぽう、「数年ぶりに物凄い怒りと共に執筆しました……」という但し書きを付して公表されたレビューがこちら。批判的意見の急先鋒といおうか。


茂木謙之介
新海誠監督『すずめの戸締まり』レビュー:「平成流」を戯画化する、あるいは〈怪異〉と犠牲のナショナリズム
2022.11.25
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/suzume-tojimari-movie-review-2022-11





 ぼく個人は、土居、藤田、藤津氏らと同じ立場であり、この茂木氏の意見には与しないけれども、『すずめの戸締まり』を観て、「なんだか引っかかる」「どこか釈然としない」(いまどきの用語でいえば「モヤモヤする」)といった感想を抱く方々の心情を精緻に言語化すればこうなるのかな……とは思う。




☆☆☆☆☆☆☆


そのほか。




『すずめの戸締まり』に登場するミミズや閉じ師、猫のダイジンら、民俗学的なモチーフの意味を読み解く
畑中章宏
2022.12.16
https://www.cinra.net/article/202212-suzumetojimari_kawrkcl



タイトルどおり、作中に出てくるキャラクターやイメージやモチーフなどを民俗学的な見地から考察するもの。




新作『すずめの戸締まり』まで連なる、新海誠作品における「孤児」たちの系譜――なぜ、誰かを「ケアする」人物を描くのか
伊藤弘了
2022.12.14
https://yomitai.jp/series/kansoumaigo/05-ito/2/



 「孤児」というキーコンセプトをもとに、『君の名は。』以前まで遡って新海誠作品の系譜をスケッチしたもの。




☆☆☆☆☆☆☆


 蛇足になりますが、これらのレビューはネタバレを含む……というより全編がネタバレそのものなので、くれぐれも、作品をご覧になってからお読みになることをお勧めします。





新海誠監督・『すずめの戸締まり』インタビュー2本

2022-12-12 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり
NHK クローズアップ現代
22.12.12 放送分
新海誠、エンターテインメントを語る。未公開インタビュー
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pvqdx5GOng/









(一部を抜粋)


例えば、2011年というのはもう随分昔のことですから、今の10代、特に被災していない地域の10代にとっては、教科書の中の出来事だと思います。でも、映画を見ている最中は鈴芽になることができるし、教科書の中の出来事だと思っていたことと自分がつながっているということを知ることができるかもしれない。それはもしかしたら、ほかの分野ではできない、エンタメだからこそできる意味のある仕事のような気がします。




(前略)起きた出来事を物語で考える。最初は事実の記録や記憶であったものが、だんだん物語のかたちになっていって、残って伝えられていくということを、人は1000年、2000年繰り返してきた。(……中略……)だったら、エンタメにしかできないことがあるだろうと思いたいですし、信じています。何を言われても、それが僕たちの仕事なんだと思います。




エンターテインメントの力は、共感させること、感情移入させることだと思います。誰かに共感するとか感情移入するっていうのは、すごく不思議な力だと思うんですよ。なぜ僕たちは誰かに共感できるのか。一番強く生きていくのであれば、誰かに共感したり感情移入したりせずに、自分にとって有利な目標に向かって真っすぐ自分のためだけを考えて歩いていけばいいのに、僕たちはそれができないわけです。だから、共感や感情移入が人間社会をちゃんと社会のかたちとしてキープさせ続けている、ぎりぎりの要石のようなものだと思います。…………










eminus このほか、われわれが創作に携わるうえで(ことエンターテインメントに限らず、純文学であっても)、……あるいは、だれかの作品を批評の俎上に載せるうえでも、ぜひ心に留めておきたい言葉がたくさん見受けられました。




☆☆☆☆☆☆☆


NHK おばんですいわて
“すずめの戸締まり” 新海誠監督 岩手を選んだ苦悩と覚悟


https://www.nhk.jp/p/ts/GV37P3QRV4/blog/bl/prAM3NPgLr/bp/pLEzDPBgV8/







eminus 大綱は「クローズアップ現代」の内容と同じですが、被災地であり、物語の終着の地である岩手を訪れた際のインタビューだけに、言葉にいっそうの重みを感じます。






「すずめの戸締まり」へのレビューについてのメモ

2022-12-08 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり
 公開からそろそろ1ヶ月。このあいだ、2度めの「戸締まり」をしてきたが、初見の際にも増して「類い稀なる傑作」との感を強くした。
 こんな短期間に再度劇場に足を運ぶのは『もののけ姫』以来だが、あの時は1度目が試写会、2度目は株主優待券を知り合いに貰った。自腹を切って2度行ったのは初めてだ。しかもなお、「あと2、3回くらいはいいかな……。」などと思っている。
 いま試みに、新旧洋邦、実写とアニメ、前衛とエンタメ、あらゆる区分を取っ払い、「我が人生でもっとも心に刺さった十本」を選ぶとしたら、こんな具合になるだろうか。


10 アレクサンドリア(2009/平成21 アレハンドロ・アメナーバル スペイン)
09 風の谷のナウシカ(1984/昭和59 宮崎駿 日本)
08 ノスタルジア(1983/昭和58 アンドレイ・タルコフスキー イタリア・ソ連)
07 生きる(1952/昭和27 黒澤明 日本)
06 ベルリン・天使の詩(1987/昭和62 ヴィム・ヴェンダース フランス・西ドイツ)
05 陽炎座(1981/昭和56 鈴木清順 日本)
04 ユリシーズの瞳(1995/平成7 テオ・アンゲロプロス ギリシャ・フランス・イタリア)
03 ゴダールのマリア(1984/昭和59 ジャン=リュック・ゴダール フランス・イギリス・スイス)
02 幕末太陽傳(1957/昭和32 川島雄三 日本)


 80年代の作品が多いのは、ぼくがもっとも多感であり、かつ、映画をよく観ていた時期だからだ。古いものはリバイバル上映ないしDVDでみた。
 新しい作品がほとんど入っていない。たぶん、齢を食って、ぼくの感性が乾いてしまったためだろう。
 6年前の『君の名は。』といい、このたびの「すずめ」といい、こうも新海アニメに揺さぶられるのは、そのせいもあるのだと思う。枯渇した感受性をもういちど潤してくれる瑞々しさがあるのだ。
 しかし、こうやって並べてみると、「錚々たる」という形容がぴったりの顔ぶれで、いささか気が引けるけれども、監督の声望とか、歴史的な評価とか、後世に与えた影響とか、さまざまな基準を度外視して、ただただひとえに、「自分の心に刺さった(インパクトを受けた)」という一点のみに限っていえば、これらを抑えて、いまは『すずめの戸締まり』が1位にくる。
 もちろんそれは、たんに熱に浮かされているからで、もう少し時間が経てば、気持ちはかわる。それはわかっているのだが、ブログってのは日記であり、今の心情を書き留めておくものなので、とりあえず書いている。
 ところで、実写作品で、『風の電話』(2020/令和2 諏訪敦彦)が、いろいろな点で「すずめ」と似通っているらしい。『すずめの戸締まり』はエンタテインメントだが、こちらはいわば「純文学」だ。この映画を観ても、きっと、いくらか気持ちはかわると思われる。
 さて今回は、『すずめの戸締まり』そのものへの感想ないし批評ではなく、本作についてのレビューの話なのだった。
 茂木謙之介という方の、以下のレビューがそこそこ話題になっているらしい。アドレスを貼っておくけれど、ネタバレに一切考慮を払っていない文章であり、しかも冒頭にそのことに関する断りもなく、未見の観客に対する配慮をまるっきり欠いているので、くれぐれもご注意のほど。




新海誠監督『すずめの戸締まり』レビュー:「平成流」を戯画化する、あるいは〈怪異〉と犠牲のナショナリズム
最終更新:2022年11月25日
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/suzume-tojimari-movie-review-2022-11






 評者の茂木さんは、東北大学大学院の准教授。1985(昭和60)年生。専攻は日本近代文化史・表象文化論・日本近代文学。
 現在の研究テーマは、
①近現代日本の天皇・皇族・皇室表象の検討を通した天皇(制)研究
②〈幻想文学〉をキーワードとした日本近代文学・メディア史研究
③近現代日本を中心とした怪異・怪談の研究
④地域史料の調査・整理・保全専門
とのこと。


 一読して、「いかにもユリイカあたりに寄稿してそうな学者さんの文章だなあ。」と思ったら、ほんとうに、過去に何度かユリイカに寄稿しておられた。
 このエッセイはとても手厳しい。発表ののち、とうぜん反論のツイートもいくつか出た。それを受けてこの方は、




すごく大事な前提を共有しない方が多いように思ったので一言だけ。
全てのテクストに一元的な正解としての読解はないのです。全ては正しくありえ、全ては誤りたりうる。その中で如何に「証拠」的を見出して、レトリックを構築できるか。そして、その上で絶えざる修正を続けるのです。




 というツイートを発していらした(「証拠」的を見出して、は打ち間違いかと思う。「証拠」を見出して、か、「証拠」的なるものを見出して、が正しいのだろう)。たしかにこれは、ロラン・バルト以降の現代批評の常識のようではあるのだが、とはいえしかし、明らかに誤った読解ってものは残念ながら存在する。『批評の教室』という著書をもつ北村紗衣さんは、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の前書きのなかで、




ここでひとつ強調しておきたいのは、批評をする時の解釈には正解はないが、間違いはある、ということです。よく、解釈なんて自由だから間違いなんかない、と思っている人がいますが、これは大間違いです。(後略)




 と言っておられる。たとえば、作品の中で明瞭に語られている「事実」を、見落としなり錯覚なりによって受容し損ねたり、歪曲して受容してしまったばあい、その結果として紡がれた批評(解釈)は、どうしたって、「間違い(誤り)」と呼ばざるを得ないものになるだろう。
 それはわかりやすいケースだけれども、ほかにも、偏った先入見に基づいて作り手のメッセージを捻じ曲げて受け取るばあい、また、行文の論理展開に飛躍や断裂や陥没などが見られるばあいも、その批評は誤り(と呼ばざるを得ないもの)になろう。
 ここで茂木さんは「被災地と被災者(特に死者)を冒涜した上、天皇をライトに利用しつつ怪異を犠牲にする災害消費エンタメ」と決めつけ、「天人相関説≒天譴論(てんけんろん)」や「天皇(制)」などのキーワード(キーコンセプト)を駆使して、『すずめの戸締まり』を難詰するのだが(そしてその手捌きそのものは、じつは、けっこう面白くもあるのだが)、衒学的な装飾を取り払い、突き詰めてしまえば何のことはない、ただ「3・11をエンタテインメント/ファンタジーとして商品化して消費するのはけしからぬ!」という、ありふれた倫理観をふりかざしているだけなのだった。
 そのうえで、ご自身の近著『SNS天皇論 ポップカルチャー=スピリチュアリティと現代日本』(講談社選書メチエ)の宣伝に繋げるという、きわめてシンプルな便乗商法なのである。
 偉大な作品にただ乗りして商売をさせて貰うなら、いくらなんでも、もうすこし礼儀を尽くすべきかと思う。
 茂木さんの倫理に従えば、3・11は、どうしたって「純文学(ないし、純映画?)」でしか扱えない。しかし、それでは多くの人に、とりわけ若い層、さらには海外の人にも届くまい。
 前述の『風の電話』は、youtubeで予告を見ただけで佳品とわかるが、はたしてこれを、なんにんの人が観たであろうか。
 ことばで書かれた「震災後文学」となると、読者はさらに限られるだろう。
 『すずめの戸締まり』は、熱心なファンによる「聖地巡礼」がはじまっている。その多くは若い世代だと思われる。これが「風化に抗うふるまい」でなければ何であろうか。
 3・11のことなど遠いニュースでしか知らぬ若い子たちは、ただ『ONE PIECE FILM RED』だの『THE FIRST SLAM DUNK』だのを観て(いやもちろん、これらの作品が悪いとかダメだというつもりはないが)「わー面白かったぁ。」と悦に入っていればよい。そのように、茂木氏は仰りたいのだろうか?
 『すずめの戸締まり』が「死者の忘却に加担している」というならば、「もっとも美しき歴史修正主義アニメ」というべき『風立ちぬ』(2013/平成25 宮崎駿)なんて、もはや犯罪レベルであろう。
 現在もっとも大衆への訴求力をもつアニメというメディアで、エンタテインメント/ファンタジーとして3・11を描くのであれば、どうしたってあれ以外には方法はないのだ。嘘だと思うなら、なにも難しいことはない、ご自分で作品をつくってみればいいのである。
 嫌味でも皮肉でもなく、そう思う。批評家は、すべからく自分で創作を試みるべきだ。いかに豊富な知識をもっていようと、最先端の批評理論に通じていようと、読者(観客)はしょせん読者にすぎない。習作のかたちでいいから、いちどは自分で作品をつくってみなきゃ、要諦はけっして掴めない。
 3・11の災禍を現在と未来に伝えつつ、しかも何百万という規模の客を、老若男女とりまぜて、劇場まで引っぱってこられる映画。いや、むろん映画そのものを作れとはいわない。シナリオでも小説でも、なんだったらプロットだけでもいい。そういうものが書けるのであれば、ぜひとも提示してほしい。
 繰り返しになるが、これは嫌味でも皮肉でもレトリックでもなく、心の底から言っている。新海誠が『すずめの戸締まり』でやった方法以外で、そのようなものが可能であるなら、ぜひとも読んでみたいのだ。


 いっぽう、藤津亮太氏による「考察/新海誠『すずめの戸締まり』が「震災文学」である本当の理由」
2022.12.3
https://qjweb.jp/journal/78912/?mode=all




は、おそらく茂木氏の上記エッセイをも踏まえて書かれたものと思われるが、作品への敬意を失わぬ良作である。現時点でネットで見られる「すずめ」論としては、これがスタンダードであろう。



2022(令和4).12.15 追加
茂木論考へのカウンターとなりうるもう一つのエッセイ

返事のない場所を想像する――『すずめの戸締まり』を読み解く
『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』特別寄稿
土居伸彰
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/21956


2022(令和4).12.17 さらに追加

このあと見つけた、藤津亮太氏によるもうひとつのエッセイ

「すずめの戸締まり」新海誠監督が描く「星を追う子ども」「君の名は。」に続く“生者の旅”とは
https://animeanime.jp/article/2022/11/15/73485.html





digとのギグ02。22.12.02 「私の政治的立場」

2022-12-02 | 哲学/思想/社会学
ギグ(gig)とは、ミュージシャンによる単発の演奏や小規模な演奏を指す英語のスラング。








dig  ラディカリスト。歯に衣着せないタイプ。




e-minor 当ブログ管理人eminusの関係者。ヒト科に属するエイプ。




☆☆☆☆☆☆☆




 ヘイ。digだぜ。




 どうも、e-minorです。




 予選1位通過おめでとう!




 えっ。…………ああ、サッカーの話ね。ワールドカップやってんだっけ、いま。……びっくりしたよ、ぼくがなんか予選通過したのかと思った。




 あいかわらずオメーはスポーツに関心ねえなあ。




 いや競技そのものには興味なくても、教養として或るていど知っときたいとは思ってるけど、いかんせん他のことに時間を取られちゃって……。




 将棋とか(笑)。




 うん、まあ、そう、将棋とかね。やっぱ自分に心得がないと、醍醐味がわかんないじゃん。ああいう社会的っていうか、集団でやる競技はぜったい駄目だかんね、オレ。チームプレイができないもの。見てて楽しめるのはテニスくらいかなあ。




 でもサッカーは将棋に似てるだろ?




 いやそれは、いわば個々の選手の役割分担や連携を駒の動きに見立てたらってことでしょ。なんというかこう、上から鳥瞰した視点でさ……。そういう見方をするためには、ルールはもとより、基本的な戦術やスタイルなんかを弁えとかなきゃいかんけど、からっきしだからね、そこが。……テニスだと、一対一だから、自分自身を対局者……じゃないか、プレイヤーそのものと同一視できるから、わりと入りやすいわけ。




 なんによらず、最初みっちり勉強してから観戦を始める奴なんて滅多におらんよ。ふつうは見ててしぜんに覚えんだよ。




 ……だろうね。だからやっぱり、根っから興味がわかないんだな。




 1位通過はめでたいけど、こないだの五輪でスポーツビジネスの汚さをイヤってくらいに見せつけられて、その不正の捜査がやっと緒についたばかりだし、しかもこの状況下で札幌五輪がどうのとかと言ってる連中がいるし、いやそれよりも、こういった国民的イベントの裏に隠れておっそろしい法改正が着々と進められてるし、眼前の値上げラッシュにもまったく歯止めはかからんし、それどころか、アホがまた増税だのと言い出してるし、内情を顧みれば、そりゃ、浮かれてる場合じゃねえよなあってのも確かだ。お前さんくらい超然と構えてるのが正解かもしれん。




 偏屈を気取るつもりはないけど、わからないんだから、同調はできないなあ……。ひとが喜んでるものに水を差す気はないけどね。




 だがな、サッカー、ラグビー、テニス、ゴルフ……こんにちの近代スポーツ発祥の地は産業革命期のイギリスだ。さっき教養がどうのと言ってたけど、じっさい、競技スポーツのことを知らずに「近代」ってものは把握できんよ。今度またレクチャーしてやるよ。




 お願いするよ。……で、この話題と繋がるかどうかはわからないけど、今回のサブタイトルは「私の政治的立場」だね。




 ……これ、前にやった話と繋がってんだよな。
digとのギグ01。22.11.23 「政治哲学」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/679d795e9be11568683a2d2a1245df16





 そうだね。一連の流れで……。




 事前にネットをざっと漁ったんだが、おれ自身の心情に近いものとして、橘玲(たちばな・あきら)氏によるこの文章が、いちばんうまく纏まってたな。以下、冒頭部分を引用させて頂くと……。


橘玲 公式ブログ
「リベラル」が嫌いなリベラリストへ
2016年5月25日








「最初に断っておきますが、私の政治的立場はリベラリズム(自由主義)です。


故郷に誇りと愛着と持つという意味での愛郷心はありますが、国(ネイション)を自分のアイデンティティと重ねる愛国主義(ナショナリズム)はまったく肌に合わず、国家(ステイト)は個人が幸福になるための「道具」だと考えています。


神や超越的なもの(スピリチュアル)ではなくダーウィンの進化論を信じ、統計学やゲーム理論、脳科学などの“新しい知”と科学技術によって効率的で衡平(公平)な社会をつくっていけばいいと考える世俗的な進歩主義者でもあります。


自由や平等、人権を「人類の普遍的な価値」とする近代の啓蒙思想を受け入れ、文化や伝統は尊重しますが、それが個人の自由な選択を制限するなら躊躇なく捨て去るべきだとの立場ですから、最近では「共同体主義者(コミュニタリアン)」と呼ばれるようになった保守派のひとたちとも意見は合わないでしょう。


しかしそれ以上に折り合えないのは、日本の社会で「リベラル」を名乗るひとたちです。なぜなら彼らは、リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僭称しているからです。
(以下略)」
 ……と、まあ、こんな感じだな。




 ……なるほどね。




 でもこれ、記事の中で橘氏ははっきり書いてないんだが……




 リバタリアンだよね。




 リバタリアンだよな。




 だから、今のニッポンに行きわたってる「リベラル」という用語(概念)は歪められたもので、本来の「リベラリスト」ってのは「何よりも自由を大切にするひと」の意であると、そう仰ってるわけだよね。




 「平等」じゃなく、「自由」をな。




 自由のほうね。自由主義。なにしろliberalismなんだから。




 そこを強調するために、ここではあえてリバタリアンという用語を使わず、「リベラリズム(自由主義)」って書き方で通してるんだろうな。たしかに、慣用としては今やすっかり「リベラル」という用語は「平和を愛する物分かりの良い平等主義者」くらいの含意になってる。きっとアメリカを真似たんだろう。でも、だからこそ本家のアメリカでは、明確に区別するために、「リバタリアン」という用語が作られたわけで……。




 その用語は10年以上まえにサンデルさんによって日本にも紹介されたはずなんだけど、いっこうに定着しなかったね。ネット見てると、「リベラル」ってのはイコール「サヨク」で、しかもそれが同時に「反自民」であったり「反日」になったり……




 それはこの国独特だな。アメリカなら、「リベラル」は「共和党ぎらい」ではあっても、「反米主義」とは言われんよ。




 日本でも、けしてリベラルすなわち「反日」ってことはないし、そもそも「反日」という用語じたいがファッショ的で気持ちわるいんだけど、それがすっかり行きわたっちゃって……




 かつては現職の総理が使ってたくらいだからなあ。




 ……まあ、亡くなった人を直接どうこういうのは控えたいけど、ああいうところは慎みを欠いていたとは思う。




 はっきりいうと、戦後ニッポンはアメリカとの軍事同盟のもとで……といえば聞こえはいいが、講和が成立したあとも、まあ事実上の支配下にあって、自民党って政党はそのバックアップでできたわけであり、いまもってそうであるわけよ。それがほぼ一党独裁を続けてきたわけだから、じつは独立国とは言い難いところがあってだな。




 「自民党がアメリカのバックアップでできた」とまで言い切っていいかどうかは、ぼくとしては保留しておくけども、ぼくらがふつうに思ってる以上に、アメリカのコントロールがきついのは事実みたいだ。それは岸信介のお孫さんである安倍元首相が暗殺されたあと色々と調べて得心できた。ここでいう「アメリカ」のことを「国際金融資本」と呼ぶ論客も近ごろは増えてきてるようだけど……。ただ、それでも80年代後半までは政治家も官僚も財界人もそれなりに国益を考えてやっていたと思うんだけど、バブル崩壊以降からだんだん風向きが変わってきて、小泉=竹中政権を経て、今やすっかり「米国ファースト」になっちゃったんだね。こういったことはむろん教科書にも書かれてないし、新聞でもテレビでもやらないっていうか、むしろ隠蔽されてるけど、ここ10年あまりでかなり文献も出てきた。このあたりは別の機会にやりたいけど……




 政治的ポジションの話に戻すか。




 うん。とりあえずそれをやっとこう。いずれにせよ、戦後ニッポンは「平和憲法」のもと、ほぼ自民党の一党独裁が続いてきて、冷戦以降も55年体制を清算できてない……。というか、構造的にできない。digが言わんとしたのはそういうことでしょ?




 だな。




 つまり、ポスト冷戦に対応するニッポン独自のパラダイム(枠組)を創れないわけだよね。それは、「民主党」という政党が、結局は張りぼてみたいにポシャったことからもわかる。いまだに、「反自民」の受け皿となる政党がない。それでネットの議論も、いつまで経っても「ウヨ」「サヨ」の二元論から抜け出せないわけでしょう。




 せめて議論の上だけでも、「リバタリアン(自由重視)」「リベラル(平等重視)」「コンサバティズム(伝統重視≒保守)」「コミュニタリアニズム(共同体重視)」と、4象限くらいには分けたいとこだがな。




 4象限ね。これは数学の授業でやったX軸、Y軸のグラフとして描けて、一方の軸を政治的自由度、もう一方の軸を経済的自由度とすれば、わりと的確に自分のポジションを示せるんだけど、ただし、ぼくなんかけっこう流動するんだなあ……。digはさっきの橘さんと同じで、リバタリアンなんだよね。




 そうなんだけど、橘氏は金持ちでおれはビンボーだから、そう簡単でもないよ。それで前回は「生粋のリバタリアンじゃない。」と言っといたんだが。




 それは大きい(笑)。貧乏なリバタリアンって、つまりはアナーキストじゃないかと思うんだけど(笑)。




 さすがにそこまで過激ではないが。




 とにかく、そう単純に割り切れるもんでもないってことだね。




 だな。そっちはどうなんだ?




 うーん。「ダーウィンの進化論を信じ」とか「自由や平等、人権を『人類の普遍的な価値』とする近代の啓蒙思想を受け入れ」といったところには完全に同意するけれど、いくつか引っかかる箇所はあるね……。そもそも、この橘氏の文章自体が、仔細に見ていくとけっこう穴だらけだし……。




 それは一種のマニュフェストみたいに書いてあるんだから、そう哲学的にごりごり詰めていくもんでもないだろう。




 ぼくのばあい、リバタリアンに共鳴する資質を濃厚に持ちつつも、「コンサバティズム」と「コミュニタリアニズム」との融合というか、折衷みたいな位置なのかなあ。「ニッポン」という「伝統に基づく共同体(コミュニティ)」を信じる貧しくも健気な一市民ってとこかな。




 やっぱり貧しいのか。




 そこはしょうがないね。
 



 いずれにしても、いまの自民党はダメだろ?




 うん。コミュニタリアン的保守派からみても、いまの自民党はダメだ。




 リバタリアンからみてもダメだな。増税、インボイス、マイナンバーカード……。こう規制を押しつけてこられちゃ敵わない。なのに、怒ってるのがほとんど「リベラル」ばかりで、リバタリアン的な立ち位置の者から一向に抗議が聞こえてこない。そこも今のニホンのおかしなところだ。



 そこは、「金持ちケンカせず」ってことじゃない(笑)。



 ちぇっ。それでおれはアナーキスト寄りってことかよ。……まあ、貧乏なリバタリアンから見ても、コミュニタリアン的保守派からみても、いまの自民党はダメなんだけど、ただ、ここで迫り上がってくるのが「憲法九条」および「中国(の軍事大国化)」という問題だわなあ。




 結局はそこなんだね。でも、この話は大きすぎるから……




 またの機会かな。



 またの機会だね。




つづく