ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

24.07.13 「ネトウヨ」と「ネオリベ」

2024-07-13 | 政治/社会/経済/軍事
 2024(令和6)年7月13日朝、ふと思いたって「ネトウヨ ネオリベ」でgoogle検索を試みたら、知恵袋のQ&Aが上位にきた。
 日付は2021年となっているから、それほど昔ではない。
 以下、その質問を引用いたす所存なのだけれど、すこし文意が取りづらいところがあったので、ぼくなりに一部を編集させていただいた。関係者各位はあしからずご了承ください。




「ネトウヨは何故リバタリアンや新自由主義を志向する傾向があるのですか?


・国家を信用しない。
・自分の利益さえ確保できれば国がどうなろうが知ったことではない(自分の都合が悪くなったら海外に移住すれば良い)。
・これらの理由から、そもそも社会を改良するという発想をもたず、貧困や不平等などはあくまでもミクロ(経済学的)な問題として、すべて自己責任に帰する。


 といったところがリバタリアンや新自由主義者の特徴だと思うのですが、
 国粋主義な傾向をもち、「国家」という枠組を何よりも重んじるはずの自民支持者のネトウヨが、
 リバタリアンや新自由主義の思想と親和性がきわめて高いのは何故でしょうか?」




 これはシンプルなようで核心を突く問いかけである。ぼくも前から疑問に思っていた(だからこそ検索をかけたわけだが)。しかし残念ながら、ここに附された回答のほうは、ぼく個人としてはあまり納得のいくものではなかった。
 仕方がないので、どうにか自分なりに考えてみようと思った次第だが、ただ、そのまえにふたつ問題がある。
 ひとつは、「ネトウヨ」という概念が(これだけ一般に行きわたっていながら)、いまひとつ社会学的/政治学的にあいまいだということ。
 かくいうぼくにも、正直よくわかっていない。
 この質問のなかでは「自民支持者のネトウヨ」という使い方がなされている。
 これは「自民党支持者のなかのネトウヨ」ではなく、
 ずばり、「自民党支持者」≒「ネトウヨ」との含意であろう。
 たしかに、
「立憲民主党を支持するネトウヨ」
 という層はいる/ありうるのか?
 あるいは、
「自民党を支持しないネトウヨ」
 という層はいる/ありうるのか?
 と考えていくと、
 ほとんどもう「自民党支持者」≒「ネトウヨ」とみなしても、さほど大きな錯誤ではない気もする。
 ただ、自民党の支持者の中には、「ネトウヨ」と一線を画すひともいるだろう。だから「ネトウヨ」≦「自民党支持者」と書くべきかな?
 とりあえず、そういうことにしておきましょう。
 もうひとつの問題は、「ネオリベ(ラリスト)」≒「ネオリベラリズムの信奉者」≒「新自由主義者」という図式はまあ、よいとして、必ずしもそれが「リバタリアン」とは一致しない……という点である。「ネオリベラリスト」と「リバタリアン」とは厳密にいえば違うので、この点を突き詰めていくなら、また別の記事が必要になる。
 そこで細かい点には目をつぶり、
 上記の質問の中にあるとおり、
① 国家なるものをもともと信用せず、
② 「今だけカネだけ自分だけ」で、当面の利益さえ確保できれば国や他の国民がどうなろうと知ったことではなく、
③ 今はいろいろ都合がいいからニホンにいるけど、経済的な地盤沈下や、重税や、物価高や、治安の悪化やらでいよいよ住めなくなったら海外に移住すればいいや資産はあるし向こうに土地も買ってるし……などと考えており、
④ それゆえに、いま自分が住んでいるこの社会を改良するという発想を持たず(マスコミやネットに顔を出して「こうすれば良くなる」という提言をする論客も多いが、それらはじつは「ネオリベ」を加速するものばかり……)、貧困や不平等などはあくまでもミクロ経済学的な問題として、すべて自己責任に帰する……
 といった思想を、はなはだ乱暴ではあるがひとまずここでは「ネオリベ(ラリズム)」と呼び、そういう思想の持主を「ネオリベ(ラリスト)」と呼んでおくことにしましょう。
 「ネトウヨ」は(正直ほんとにぼくにはよくわからないのだけど)、痩せても枯れても「右翼」なのだから、「国家」という枠組みを重んじる人たちなのだろう……とは思う。だからやっぱり、ふつうに考えれば上記のごとき「ネオリベ」とは相容れない。
 ただ、上で述べたとおり、「ネトウヨ」≦「自民党支持者」と定義づけてしまえば、なんのことはない、「自民党の政策すべてを受容する層」ということで、ようするに、いまの(より正確にいえば小泉=竹中改革以降の)自民党の政策がまるっきりネオリベなのだから、結果として、「ネトウヨ」は「ネオリベ」を支持してるんですよ、という話になる。
 まことにどうも、拍子抜けするほど単純な話で、書いている私もびっくりしている。
 しかし本当にそれだけだったら、どうもあんまり情けないので(私ではなくこの国が)、もうすこしだけ考えてみたい。
 ひとつ思いつくのは、「国家」という概念に託しているものが、いわゆる「ネトウヨ」と「サヨク」とではまったく違うのであろう……ということ。
 なお、ここでいう「サヨク」とは、あくまでもネット用語としての「ネトウヨ」に相対するもので、これも社会学的/政治学的/文化史的にげんみつに定義されたものではない。ご了承のほど。
 ここからは、なんとも大雑把で、しかもやや観念的な物言いになってしまうが、
 「国家」なるものを、
 「サヨク」のほうは、
 〝「市民」たちが合意のうえで契約を結んで形成している共同体の総体〟
 とみる。
 ルソー系ですな、いうなれば。
 それに対して、「ネトウヨ」のほうは、
 「国家」なるものを、
 〝もっともっと権威のある、位階秩序をもったシステム〟
 とみている……のではないかとぼくには思える。
 こっちはまあ、ホッブス系ってとこかね。
 ここで重要なのは、「位階秩序をもった」という点で、こちらの国家観によれば、国家はけっして巨大な横並びの仲良しクラブではない。もともと不平等を前提としている。だから内部で弱肉強食の市場原理が猛烈に働くのも当然で、「勝ち組」と「負け組」とが分かれるのも自明、より極端にいえば「敗者には何もやるな」という話にもなる(じっさい、ここ10年くらいで、そういった内容のマンガやアニメがとても増えた気がする)。
 こう考えるならば、「ネトウヨ」と「ネオリベ」とが親和性を持つのは、まるで不思議ではない。どころか、むしろ当たり前……とも思える。
 しかし、こう考えてもまだ、いくつかの疑問は残る。そのことにつき、ここまでの3倍あまりの分量に当たる草稿を書いたのだけれど、うまくまとまらなかったので、投稿は見合わせ、また次の機会があれば……ということに致しましょう。やはり政治の話はむずかしい。




24.02.22 ちょっとだけ経済の話

2024-02-22 | 政治/社会/経済/軍事
 日経平均株価の値上がりにつき、NHKのネットニュースは以下の要因を挙げてます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240220/k10014364381000.html



1 アメリカの株高
2 日本企業の好調な業績
3 株価を意識した企業経営
4 円安による輸出関連への追い風
5 円安による日本株への割安感
6 中国からの資金シフト
7 日銀の緩和継続姿勢
8 NISA拡充による期待




☆☆☆☆☆☆☆




 いっぽう、「これで景気が好転し、暮らし向きが一挙に楽になり、日本がまたGDPで世界2位の座を(現在はドイツにも抜かれて4位)取り戻す!」なんて思っている人は、よほど楽観的な人の中にもいないでしょう。
 これは昨年あたりにネットに出回った図表らしいけど、ここ30年てぇものは、まあ、こんな按配でした。ふつうに見れば、やはりこれ、衰退と呼ぶのが自然でしょうね。いかに株価が急騰しても、この流れがとつぜん覆るとは思えないわけで。




 こういうのもありました。




 よく言われることだけど、いわゆる〝アベノミクス〟以降は、株価ってものが必ずしも景気の指標とはならない……。もちろん、上記の8項目の中にも「日本企業の好調な業績」や「円安による輸出関連への追い風」があるように、まるで無関係ってことはとうぜん無いんだけども、かつてのバブル時代のように、おカネがぐるぐる国民のあいだを回って、いろんなことが活性化する……という勢いにはなっていかない。問題はそこですよね……。






24.02.01 芦原妃名子さんの悲劇について考えるための2本の記事

2024-02-01 | 政治/社会/経済/軍事
 芦原妃名子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。








① ITmedia ビジネスオンライン
『セクシー田中さん』の悲劇で加速する 日本マンガ実写化ビジネスの海外流出
窪田順生
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2401/31/news045.html





 「テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動」(記事末に付された肩書より)しておられる方が、このたびの事件の経緯をまとめ、問題点を指摘したうえで、このような事態を齎すに至った日本社会の構造的な欠陥までをも分析した記事。
 いちいち尤もであり、ことに、
「芦原さんが必死の思いで訴えたことについてはこのままフタをするべきではない。なぜこんな行き違いが起きたのかと日本テレビは第三者調査を実施、その結果を踏まえて、テレビドラマ業界、漫画原作者、そして代理人を務める出版社が知恵を出しあって、漫画の実写化で二度とこのような問題が起きないようにすべきだ、と強く思う。」
 といった提言にはふかく頷かされる。ただ、惜しむらくはこの記事、冒頭部分に誤解をうむ余地がある。事情を知らぬまま一読すると、あたかも先に原作者たる芦原さんがネット上(ブログおよびX。現在はいずれも削除)にて発言をされたようにみえてしまうが、じっさいはまったく逆であって、脚本家の側が先にインスタグラムで内部事情を暴露したのである(現在は閲覧不能)。そのため、火の粉が降りかかるかたちになった芦原さんのほうが、小学館の担当者とじっくり検討したうえで、そうなるにいたった経緯をていねいに説明せざるを得なくなったわけだ。
 この時系列をがっちりと抑えておかねば、肝心のところがぼやけてしまうし、芦原さんの名誉のためにもいかがなものかと思う。
 すでに原文が削除されているので、ぼくはスクリーンショットで拝見したのだが、芦原さんの文章は、とても誠実かつ繊細で、心を打つものであった。筋が通っており、関係各位への配慮も行き届いていた。『セクシー田中さん』というタイトルから、「どうせ軽薄なラブコメだろう。」と判断してこの件に無頓着だったぼくが、一転して関心をもつようになったのはその文章を読んだためだ。
 脚本家によるインスタグラムの投稿は、いまは閲覧不能になっているので、こちらもぼくはスクリーンショットで見たのだけれど、芦原さんの文章に比べてずっと見劣りがした。短いうえに曖昧なため、責任の所在が定かでないし、なによりも悪いことに、原作者への敬意が微塵も感じられない。むしろ不満がそちらに向かっているように読める。そこに付いている同業業者のコメントと併せると、原作者に非があるような印象操作をしているとしか映らないのだ。
 こんなものを出されたら、誰だって自らの立場を釈明せざるをえないではないか。そうせざるをえないよう先に仕向けたのは脚本家の側であって、それがこのたびの悲劇につながった。ふつうに時系列を追っていけばそう判断せざるをえず、だからこそこれほどの「炎上」を招いているのだ。
 むろん個人攻撃や誹謗中傷は厳に慎むべきだけど、少なくとも、多くのひとの目にふれるかたちであのような投稿をして火種を蒔いたからには、脚本家の方は、ご自身の口から何らかの言明をすべきだとぼくは思う。いまは混乱してそれどころではないのか、あるいは、日本テレビのスタッフや関係者や法務担当者などと協議してらっしゃる最中なのかもしれないが、いずれにせよ、このままずっと口を噤んでいられるものではない。文筆で口を糊しておられる方なら尚更である。










 とはいえ、繰り返しになるが、個人攻撃や誹謗中傷は厳に慎むべきものである。ぼくなどが義憤に駆られているのは、脚本家さんがインスタグラムに軽率な投稿をして先に火種を蒔いたことに関してであって、そもそもの原因は原作者サイド(小学館)とドラマ制作側(日本テレビ)との齟齬にある。その点においては脚本家もまた被害者なのかもしれない(その根本的な原因にしっかり向き合うことなく、不特定多数が閲覧できるインスタグラムで一方的に内情をぶちまけた非はやっぱりご本人にあるとは思うが)。
 そこでもうひとつの記事。




➁東洋経済オンライン
「セクシー田中さん」悲しい出来事の裏にある現実
ドラマ関係者のバッシング過熱に感じること
木村隆志
https://toyokeizai.net/articles/-/731303



 これは、「コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者」の肩書をもつ木村氏が、「漫画や小説をドラマ化する際、関係者の間などで問題になりやすいところなどを挙げつつ、考えられる対策などを探って」いくために書かれたもの。ちょっと微妙な書き方ながら、「脚本家のインスタグラムのあとで原作者の言明が出た。」という時系列についても明示してある。制作現場の内情を知悉しておられる方らしく、とても参考になるが、率直なところをいわせてもらえば、「やはり業界に近い方のご意見だから、そっちのほうに甘いなぁ。」とぼく個人は感じた。たとえばメディアミックスによる収益配分ひとつ取っても、すべての根源たるべきクリエーター……本来ならば誰よりも大切にされるはずの、「ゼロ」から作品を生み出す原作者その人……がとかく冷遇されているのは周知のことだ。まずはそのあたりから見直していかねばなるまい。
 いずれにせよ、ここで紹介させていただいたお二方がそれぞれのかたちで述べておられるとおり、日本テレビは、なぜこのような行き違いが起きたか、第三者機関を入れて徹底的に調査し、その結果をできうるかぎり公表したうえで、それを踏まえて、ドラマ業界、その代理人を務める出版社、そして原作者たちが知恵を出しあい、実写化のプロジェクトによって二度とこのような問題が起きぬよう、全力を尽くすべきだろう。










24.01.30 「松本人志問題」を考えるための3本の記事

2024-01-30 | 政治/社会/経済/軍事


①反社会学講座ブログ
パオロ・マッツァリーノ公式ブログ
「松本人志さんの罪についての考察と提案」


https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html




 『反社会学講座』(イースト・プレス→ちくま文庫)などの著作をもつ覆面作家パオロ・マッツァリーノ氏(いかにもイタリア人っぽい筆名だが、じっさいにイタリアの人かどうかは謎)のブログ内記事。持ち前のユーモアあふれる筆致で、現時点での「松本人志問題」をめぐる状況をまとめている。


 冒頭部分を抜粋。


「ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。
 でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。
 24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。
 でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。」
(eminus注 山下達郎氏におかれては、ここいらあたりを熟読玩味のうえ、紙に書き写してレコーディングスタジオの壁にでも貼っておいて頂きたく思う。)
「ジャニーズ問題から我々が学ばねばならないもっとも重要な教訓、それは、予断をもって犯罪告発の声を封じてはならない、ということです。」
「犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。その上で、双方の主張内容を比較検討し、どちらが正しいのかを考える。これが法治国家における正しい手順です。」


 ここから、


●的外れな人情論と損失論
●性犯罪に無関心なテレビ局
●週刊誌という入れ物を叩く人たち
●女性側の主張の信憑性は?
●携帯を取りあげる異常性
●もうひとつの罪・松本さんのパワハラ
●芸人のみなさんは河原者に戻りたいのですか?
●合意の有無でなく、合意の中身こそが重要
●記者会見の提案


 など、まことに尤もな意見がつづく。あらためて浮き彫りになるのは、口先だけで反省の弁を並べ立てつつ、ジャニーズ問題から何ひとつ学ぼうとせぬ(というか、端から学ぶ気とてない)テレビというメディアの異常性である。




②【独自】松本人志を切らないと「万博」「公的事業」「落札」を切られる…吉本興業のビジネスの生命線がヤバすぎるワケ
現代ビジネス編集部
https://gendai.media/articles/-/123611


 今やたんなる芸能事務所の枠を超え、「政商」と化した吉本興業が、いかに国政および地方行政に食い込んでいるか、その一端を明らかにした記事。




 一部を引用。

「吉本興業は、大阪府に横山ノック氏が知事に就任した際、国や自治体の仕事のうまみを実感しました。大阪府がお笑いの歴史的な施設とすべく開館した『ワッハ上方』には、吉本所有のビルを提供し家賃が入る。そこでは展示や劇場も手掛け、さらにカネがもらえる。」
「いまや、国や自治体の方から誘われて入札に参加するのが日常茶飯事です。金額さえ決まれば、わざわざ集金にいかなくとも確実に収入が入る。それに吉本のブランド力もアップする。一石二鳥どころか三鳥でした。」
「吉本が手がける公的事業は非常に幅広い。今年1月4日、吉本興業は外務省発注の「令和5年度開発協力工法動画の制作及びプロモーション事業」を約2400万円あまりで随意契約している。」
「昨年9月には、こども家庭庁発注の「令和5年度こどもまんなか社会機運醸成こどもの日イベント企画・運営等業務」を約590万円で落札。
吉本興業の地元、大阪府や大阪市に目を移しても、昨年9月に「大阪文化芸術祭(仮称)」の実施にかかる企画・運営等業務」を大手旅行代理店JTBとともに、19億8千万円あまりで受託。昨年6月には「大阪マラソン開催に関する企画調整・大会運営等業務」「介護職・介護業務の魅力発信事業」、昨年5月には「御堂筋オータムパーティー2023の開催に係る企画調整、警備及び運営等業務」……
数え切れないほど多くの公的なイベント、プロモーションの運営事業を吉本興業は多数受託し、いまや経営の中核となっているのだ。」


そして、


「国や自治体と吉本が「一体」になっている象徴が、何を隠そう2025年の「大阪・関西万博」である。」




 詳細はリンク先の元記事にて。




③もうひとつ、「現代ビジネス」の記事
#MeToo運動を連想させる松本人志の性加害疑惑
笹野 大輔(ジャーナリスト)
https://gendai.media/articles/-/123338?imp=0





 いわゆる「#MeToo運動」の発端となった「ワインスタイン事件」と、このたびの「松本人志事件」との類似性について述べた記事。「#MeToo運動」および「ワインスタイン事件」のかんたんなお浚いにもなっている。






23.11.23 お知らせ(いや大したことじゃないですが)

2023-11-23 | 政治/社会/経済/軍事
 カテゴリごと「非公開」としていた「政治/社会/経済/軍事」の全記事のうち、自分なりに精査をしまして、「これは公開してもいいんじゃないの?」と思える以下の7本を復活させました。



2022.03.02「緊急投稿・ウクライナのこと。」
2018.08.13「日本はアメリカに負けたのか。」
2018.08.10「『この世界の片隅に』と『何とも知れない未来に』」
2015.10.24「狼は生きろ 豚は死ね ~戦後史の一断面」
2015.10.07「ネオ・リベラリズム」
2015.10.07「80年代について。」
2015.08.04「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」


 古いものが多いけど、ぼく自身は、読み返してみて面白かったです。そういえば、「狼は生きろ 豚は死ね ~戦後史の一断面」と「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」の2本は、長らく検索上位にあって、アクセス数も多かったですね。





22.03.02 緊急投稿・ウクライナのこと。

2022-03-02 | 政治/社会/経済/軍事






 よもや『戦争と平和』の話をしている時にこのような事態が勃発するとは思わなかった。いやまあ「話をしている時」っつったって、実際にはほとんどしてないんですけども。なにしろ2022年に入って更新がまだ2回だけという。
 それはまあそれとして。
 ロシア軍がウクライナに侵攻した先月(2月)24日、NHKがBSプレミアムでたまたま『戦争と平和』……オードリー・ヘプバーンがナターシャ、ヘンリー・フォンダがピエールを演った1956年の映画……を放映して、「なんて皮肉な偶然だ」と一部で話題になったらしいんだけど、歴史ってものは何らかのかたちで繋がってるから、この手の巡り合わせってのもふつうに起こりうるんでしょうね。





 ところで、その大作『戦争と平和』はアメリカとイタリアの合作なので、ヘプバーンのナターシャも、フォンダのピエールも、メル・ファーラーのアンドレイ侯爵も、みんな英語で喋ってるわけね。そりゃハリウッドではモーゼだってクレオパトラだって古代ローマの剣闘士だってモーツァルトだって、ついでに銀河の彼方のジェダイたちだって、みんなアメリカ英語で喋ってきたわけで、べつにいいんだろうけど、東西対抗だの冷戦構造だのといっても、やはり戦後の世界ってものは圧倒的にアメリカを中心に回ってきたことは間違いない。その一端がこんなところにも伺えると思う。
 このたびのロシアによるウクライナへの侵攻は、「東西冷戦終結後の世界秩序を破壊する歴史的な暴挙」ということになっていて、また、「主権の尊重・領土の一体化・国際法順守などの原則に基づく国際秩序を揺るがす暴挙」ともいわれており、それはまったくそのとおりだと思うけれども、そういう論調を見ていると、だったらアメリカが2003(平成15)年に起こしたイラク戦争はどうなんだ、という思いがどうしても湧いてくるんだなあ……。
 この状況でそんなことを口にしたら「いま言うことか」「空気読め」といわれそうだけど、「ヨーロッパの秩序に対する強引な現状変更」がここまで非難されるのに、「中東の秩序に対する強引な現状変更」が何だかんだで罷り通って、いまだに有耶無耶になってるってのがどうもね……あれはやっぱりアメリカという国の歴史的な汚点のひとつであると思いますけどね。
 もちろん、いかにドストエフスキーとトルストイとをこよなく敬愛するとはいえ、ぼくはとうぜんロシアよりアメリカのほうがだんぜん好きだし、そもそも日本で生きる一国民として、選択の余地そのものが無いわけですが。アメリカが「イラクを攻めるから支持しろ。」と言ってきたら「畏まりました。」と言ってそれに従い、「ロシアに対する制裁に加われ。」と言ってきたら「畏まりました。」と言ってそれに従う。そんなふうにしてこの国は戦後80年近くを過ごしてきたわけで、ことさら卑屈だとも情けないとも思わない。それこそ「(太平洋)戦(争)後の世界秩序」というもので、仕方がないと思ってます。
 とはいえ、その調子でこれからも平穏無事でやっていけるかどうか、ちょっと怪しくなってきた気もしますがね……。いまひとつ議会制民主主義が機能してない覇権主義国家は、いつ暴走を始めるかわからない。そういった不安が顕在化した事例ともいえるわけだから……。














 それにしても、今この時期にウクライナへの侵攻とはなあ……。いやソ連時代の1979(昭和54)年にもアフガニスタン侵攻というのがありましたがね……。それは上で述べたアメリカによるイラク戦争にも深くかかわる話で、やはり因果がぜんぶ繋がってるんだけど、当時のアフガニスタンと比べたら、いまのウクライナはずっと安定した主権国家なんだからね……。NATOに加入されるのが嫌だったって……。なんだ、ぜんぜん冷戦構造終わってないじゃんって話ですよね。
 ただ、そんなこといっても、ぼくはこれまでウクライナのことはよく知らなくて、ここ4、5日くらいでネットを漁ってにわか勉強したクチなんで……そこは大多数のひとがそうじゃないかと思うんだけど。
 中公新書の「物語各国史」の一冊として、『ウクライナの歴史』というのが出てますね。簡潔な通史で、入門書として定評あるシリーズだけど、『ウクライナの歴史』の原本(紙媒体)の初版は2002年。副題が「ヨーロッパ最後の大国」。内容説明と目次はこうなってます。






ロシア帝国やソヴィエト連邦のもとで長く忍従を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出し続けたウクライナ。不撓不屈のアイデンティティは、どのように育まれてきたのか。スキタイの興亡、キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、1991年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰。人口5000万を数え、ロシアに次ぐヨーロッパ第二の広い国土を持つ、知られざる「大国」の素顔に迫る。


目次
第1章 スキタイ―騎馬と黄金の民族
第2章 キエフ・ルーシ―ヨーロッパの大国
第3章 リトアニア・ポーランドの時代
第4章 コサックの栄光と挫折
第5章 ロシア・オーストリア両帝国の支配
第6章 中央ラーダ―つかの間の独立
第7章 ソ連の時代
第8章 350年間待った独立




 


 これは電子書籍化されてますね。きちんと基本を抑えるには、こういう書籍がいいんだろうけど、より手っ取り早く、背景をざっくり掴みたいというならば、こういうメディアもいいかもしれない。日本が世界に誇る(サブ)カルチャー、すなわち漫画なんですが。




コミックDAYS(講談社)
田素弘『紛争でしたら八田まで』ウクライナ編・全6話(単行本 2巻・3巻所収)
期間限定 無料公開
https://comic-days.com/episode/13933686331616212564




 イギリスに本社を置く企業に所属するリスク・コンサルタントの八田百合(この記事の冒頭に画像を掲げたメガネの女性)が世界各地に赴き、持ち前の行動力と格闘術、そして卓越した地政学の知識を生かして紛争を解決していく痛快ストーリー。その中の「ウクライナ編」が、今回の事態を受けて無料公開されてます。講談社さんの英断ですね。アクションものには違いないけれど、どぎつい描写はなく、楽しく読めて基礎がわかる。何よりも明朗で、ハッピーエンドなのがいい。ぼくもさきほど卒読しましたが、とても良かった。なにぶん期間限定なので、取り急ぎご紹介まで。







日本はアメリカに負けたのか。

2018-08-13 | 政治/社会/経済/軍事
 8月になると必ず『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫 第1集・第2集)を読み返す。このことは毎年書いてると思う。
 2016年のブログをみると、

 ニッポンの夏は、とりわけ8月は本来、オリンピックでも高校野球の季節でもなく、ましてやポケモンGOに興じる季節でもなく、先の大戦を偲ぶ季節である。
 何よりもまずそれは、慰霊のため、鎮魂のための季節だ。旱天に鳴り響く蝉しぐれは、あれは無慮数百万の戦没者を弔う挽歌なのだ。
 ぼくは毎年、この時期になると岩波文庫の『きけ わだつみのこえ』を読み返す。広島にも長崎にも行かないし、靖国神社にも行かないけれど、ぼくなりの、それが慰霊ないし鎮魂の儀式なのである。

 と、かなりコーフン気味に述べている。『きけ わだつみのこえ』を読むと、どうしてもコーフン気味になるのである。
 きけわだつみのこえ? 何それ?という方もおられるかと思うので、長くなるけど、さらに続きも再掲しましょう。

 「きけ わだつみのこえ」は、あえて漢字で書くなら「聞け わだつみの声」だ。「わだつみ」とは、広辞苑には「わたつみ」として記載されているが、「海神」または「綿津見」と表記するそうで、読んで字のごとく「海の神」のことであり、さらにはまた、海そのもののことでもある。
 元ちとせの歌に「ワダツミの木」というのがあった。若い人にはそちらのほうでお馴染みだろうか。
 元さんには、「死んだ女の子」というショッキングな名曲もある。「ワダツミの木」は、やっぱり『きけ わだつみのこえ』が下敷きになっているのだろう。
(……中略……)
 この本の扉には、
 「なげけるか いかれるか  /  はたもだせるか  /  きけ はてしなきわだつみのこえ」
 と、どういうわけかすべて平仮名で、詩のごとき文句が記してある。
 漢字で書けば、「嘆けるか 怒れるか はた黙せるか 聞け 果てしなき ワダツミの声」だろう。嘆いているか、怒っているか、あるいはずっと沈黙を守りつづけるつもりなのか、それは定かでないけれど、それでもわたしたちは、「ワダツミの声」に耳を傾けなければならない、と、この本の編者は述べているわけだ。
 戦没学生たちの手記なのである。いや、学生とは限らないけれど、20歳くらいから、せいぜい25、6歳くらいまでの、あの十五年戦争で命を散らした若者たちの思いが、ここには言葉となって綴られている。
 ひとつひとつの文章は、どれも高潔で、知的で、真情にあふれている。兵卒として招集され、厳しい検閲を経ていながら、よくもこれだけ「生々しい肉声」が留められたものだ。その日本語の見事さには、読み返すたびに感銘を受ける。
 そしてまた、これほどの高い志と知性の持ち主が、ひとり残らず、あたかも城壁に卵を叩きつけるかのように、次々と死に追いやられていった事実を思い、そのことにただ暗澹とする。だから8月には、毎年ぼくは暗澹としている。


 といった具合で、コーフンしつつも暗澹としている。この本を読むと、だいたいまあ、いつもそういう気分になる。だからこの時期いがいはあんまり読まない。
 ただ、ぼくなんかのばあい、高校から20代前半くらいまでにかけて貪るように読み耽っていた作家たちがみな父親と同じか、さらにその上の「昭和ヒトケタ」世代だったから、ことさら「戦記もの」でなくとも、戦争体験の話はいわばデフォルトでしぜんと刷り込まれてきた。
 まず大江健三郎、井上ひさし、古井由吉、筒井康隆。もう少し上だと開高健、野坂昭如、五木寛之。そして丸谷才一、吉行淳之介、安岡章太郎、大岡昇平。
 もちろんまだまだたくさんおられる。
 三島由紀夫は昔から苦手で、ずっと敬遠していて、この齢になってなぜか夢中で読んでいるけれど、この人もむろん戦中派だ。石原慎太郎は今も昔も嫌いで、『わが人生の時の時』(新潮文庫 絶版)を除いていまだに読む気がしないけど、この人だってそうである。
 『きけ わだつみのこえ』に手記を留める若者たちは戦火に散り(という紋切り型の表現は、カッコよすぎて、本当は慎むべきかもしれないが)、わずかにその心情や思想の断片だけを遺した。上にあげた作家たちは生き延びて、戦後社会でモノカキとして身を立てた。
 その違いは、紙一重とまではいわないが、それほど大きなものでもないような気がする。
 『きけ わだつみのこえ』の中の文章の多くに、ぼくは激しく感情移入するし、だからこそコーフンもすれば暗澹ともさせられるわけだが、今年はすこしアタマを冷やして、「なんでこの有為な青年たちが戦没せねばならなかったのか。ていうか、そもそもなんであんな負け戦を始めやがったんだよボケが」ということを考えた。
 じつは2015年の8月に「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」という記事を書いており、「太平洋戦争に踏み切るまでの経緯」についてはまとめた。これもさっき読み返したが、山のように不満はあるにせよ、ひとつのレポートとしては、まずまずそつなく纏まっていると思う。
 だが、じつをいうと、何というかもう、問題の立て方そのものに根本的な誤りがある……との感も否めない。この3年で、ぼくもいくらかは成長したようだ。
 「太平洋戦争(日米戦争)」をメインと見なし、「日中戦争」をその「前段」と見なしているところ。これがどうにも間違ってるんじゃないか。
 むしろ「日中戦争」こそが……というか、「日清~日露戦争いらいの日本と中国との関わり方」そのものに根源的なもんだいがあって、その延長として、アメリカ(その他)との戦争に踏み込んでしまったのではないか。
 與那覇 潤さんの『中国化する日本 増補版』(文春文庫)はものすごく面白い本だが、タイトルが誤解を招きやすいので、ぼくはカバーをかけて、表紙に「明快 日本史講義」と自己流の題をつけている。ようするにそういう本だ。
 この本の230ページに、こう書かれている。


  要するに、「あの戦争」とは日本と中国という二大近世社会が文字通り命がけで雌雄を競った戦いだったのであり、そして日本はアメリカに負ける前に中国に負けたのです。だって、アメリカとも戦わないと中国との戦争を続けられなくなった時点で、すでに負けじゃないですか。
  『あの戦争になぜ負けたのか』式の著作は山ほどありますが、負けた相手をアメリカだと書いている時点で、まったくわかってないのと同じ。対中戦争と対米戦線の両方を含んだ「あの戦争」をいかに呼ぶかについては、右派好みの「大東亜戦争」から左派好みの「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」まで諸案がありますが、私の授業では『日中戦争とそのオマケ』と呼べと指導しています。対米開戦以降の太平洋戦争自体が、それまでの日中戦争の敗戦処理なのです。
(與那覇 潤『中国化する日本 増補版』文春文庫より)

 これを読んだのは2014年の暮れだったけど、「さすがに言い過ぎだろう」と思った。けど、それからいろいろ資料をあつめて目を通し、自分でも「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」みたいなのを書いたら、「いやどうもそう考えるのがいちばん正しいぞ」という気になってきた。
 日本の本土にいっぱい爆弾を落とし、沖縄に攻め込んできたのはアメリカの軍隊だけど、そもそも日本はその前に、大陸で中国に(と呼べるほどには主体を備えた「国家」ではまだなかったんだけど。でもって、そのせいでいよいよ話がややこしくなってたわけだけど)敗北を喫していたのである。
 「膠着状態」とはいうけれど、たんなる膠着じゃなくて、ずっと消耗しつづけてるんだから長引けば長引くだけジリ貧なのだ。短期決戦で勝負がつかず、「持久戦」にもつれこんだ時点で本当は負けてたわけだ。大陸スケールの「戦術」を、島国の尺度で量っていたゆえの錯誤であったか。
 軍部も政府も官僚も、もちろん一般庶民も、その事実上の「敗北」を認めることができず、結果として大日本帝国は展望もないままずるずるずるずる中国への派兵を続けた。そのあげくのハルノートであり、真珠湾だった。
 もろもろの要素を捨象して、思いきって一筆書きでやってしまえば、そういうことになる。
 アメリカではなく、中国とのかかわりを軸に、近代史を読み直してみよう、と思っております。


『この世界の片隅に』と『何とも知れない未来に』

2018-08-10 | 政治/社会/経済/軍事





 こうの史代(ふみよ)原作/片渕須直(かたぶちすなお)監督のアニメ『この世界の片隅に』は素晴らしい作品で、上映から2年経った今も多くの人から愛されている。松本穂香・松坂桃李のお二人が主演するドラマ版も好評のようだ。2011年にも北川景子さん主演でドラマ化されているのだが、その時は2時間の単発スペシャルだった。
 思えば2016年はたいへんな年で、『君の名は。』『シン・ゴジラ』、そしてこの作品と、ニッポンの表現史を画する秀作が3本も顔をそろえた。偶然には違いないけれど、あの震災から5年を経て、それぞれの作り手が受けた衝撃の記憶が熟して作品のかたちになった、という言い方はできるかもしれない。まだ世に出ていない人も含めて、この3本はこれから先も、数多くのクリエイターに末永く影響を与えつづけるだろう。
 『この世界の片隅に』は、ご承知のとおり太平洋戦争下の呉の町が舞台となっているわけだし、原作の連載は2007年から2009年までだったから、あの震災とは直接のかかわりはないのだが、どうしてもそこに何かしらの巡り合わせを感じないではいられない。
 アニメ『この世界の片隅に』は、何よりもまずひとつの作品として素晴らしい。そして、「銃後」の暮らしを描いた記録としても秀逸だ。10代から20代はじめくらいの若い人で、これまでにほとんど戦争を描いた小説や映画にふれたことがない観客がいたら、まっさきにお勧めしたい作品である。内容にはもちろんシビアなところもあるが、絵柄が優しいし、主人公のすずさんがほんとうにすてきな女性だからだ。
 高畑勲監督の『火垂るの墓』ももちろん必見の一作だけど、「とっつきやすさ」でいうならば、『この世界の片隅に』のほうだろう。今は「とっつきやすさ」がとても大切な時代なのである。
 もう少しきちんとした言葉でいえば、「訴求力」ということになろうか。
 このところずっと、「訴求力」について考えてるもんで、文学ブログでありながら、ついついアニメの、それもプリキュアの話なんかしている。ブンガクの話を書くよりも、プリキュアの話のほうがとりあえずアクセス数は増えるのだ。アクセス数のためにブログやってるんじゃないけれど、やはり読まれないよりは読まれたほうがいい。
 ヒロシマとナガサキへの原爆投下をモチーフにした短篇(と詩)のアンソロジーで、『何とも知れない未来に』(集英社文庫)という本があった。編んだのは大江健三郎さんだ。刊行は1983年で、1990年代の半ばごろまでは店頭でふつうに手に入った。
 同じ集英社文庫のアンソロジー『太平洋戦争 兵士と市民の記録』とあわせて、いつも手近なところに置いている……つもりだったが、今なぜか見当たらない。記憶とネットを頼りにして、収録リストを記しておこう。
 原民喜「心願の国」「夏の花」
 井伏鱒二「かきつばた」
 山代巴「或るとむらい」
 太田洋子「ほたる」
 石田耕治「雲の記憶」
 井上光晴「手の家」
 佐多稲子「色のない画」
 竹西寛子「儀式」
 桂芳久「氷牡丹」
 小田勝造「人間の灰」
 中山士朗「死の影」
 林京子「空罐」
 どれも胸に沁みる良作で、こういう本がいつでもだれでも買いたい時に買えるニッポンであって欲しいと切望するが、どうも思うに任せない。東野圭吾や綾辻行人は山積みになってるのに、『何とも知れない未来に』や『太平洋戦争』は絶版だ。そのくせ変なウヨクっぽい言説だけはあふれている。「あの戦争」のことを折にふれて考え続けることが、「愛国」的なふるまいであるとぼくなんか思うけどなあ。なんだかなあ。
 たとえば井伏さんの「かきつばた」なんて、それこそ最新の技術でアニメ化すれば、まことに美しく切ないものに仕上がるだろうな……と夢想してみる。商業ベースに乗るかどうかは微妙ながら(いやここがいちばん肝心なんだが)、珠玉のような作品ができあがるのは間違いない。原作のほうは絶版になっても、アニメなら多くの人に観てもらえる。それが訴求力だ。
 しかし、夢想はあくまで夢想である。宮崎駿さんの『風立ちぬ』でさえ採算ラインに届かなかったというし、たとえ優れたアニメでも、いんうつで地味な戦争ものはなかなか動員を見込めないだろう。だからこそ『この世界の片隅に』のヒットがますます喜ばしいわけだ。

 「何とも知れない未来に」というタイトルは、収録された原民喜「心願の国」の一節からとられている。


 ふと僕はねむれない寝床で、地球を想像する。夜の冷たさはぞくぞくと僕の寝床に侵入してくる。僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕はこんなに冷えきつているのか。僕は僕を生存させてゐる地球に呼びかけてみる。すると地球の姿がぼんやりと僕のなかに浮かぶ。哀れな地球、冷えきつた大地よ。だが、それは僕のまだ知らない何億万年後の地球らしい。僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮んでくる。その円球の内側の中核には真赤な火の塊りがとろとろと渦巻いてゐる。あの鎔鉱炉のなかには何が存在するのだらうか。まだ発見されない物質、まだ発想されたことのない神秘、そんなものが混つてゐるのかもしれない。そして、それらが一斉に地表に噴きだすとき、この世は一たいどうなるのだらうか。人々はみな地下の宝庫を夢みてゐるのだらう、破滅か、救済か、何とも知れない未来にむかつて……。
 だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みてゐたやうな気がする。


 重苦しい主旋律が、ラスト2行でほのかな希望に転調する。このくだりは、『この世界の片隅に』終幕近くのすずさんの台詞に通じているようにも思う。


「8月15日も、16日も、17日も、9月も10月も11月も来年も再来年も。
 10年後も。ずっと。ずっと。」

「晴美さんはよう笑うてじゃし。晴美さんのことは笑うて思いだしてあげよう思います。この先わたしはずっと、笑顔の入(い)れもんなんです。」

 のん(能年玲奈)さんのアテレコが、声質も台詞回しもほんとにぴったり。書き写すだけで、じわっとナミダが滲んでくる。




狼は生きろ 豚は死ね ~戦後史の一断面

2015-10-24 | 政治/社会/経済/軍事
 「狼生きろ 豚は死ね」という警句は、わりと人口に膾炙しているようだ。ただ「狼は生きろ 豚は死ね」と思っている人が多いのではないか。一般にはこちらのかたちで流布している。グーグルで検索を掛けると、「狼は生きろ 豚はしね」などと、なぜか平仮名で出てきたりする。

(追記 2019.11.  サンドウイッチマンの富澤たけしが、かつてこのタイトルでブログを書いていたことを最近になってようやく知った。それと共に、ぼくのこの記事に妙にアクセスが多い理由もわかった。みんなホントにお笑いが好きだね。まあぼくもサンドは大好きですが)

 ともあれ本来は、「狼生きろ 豚は死ね」が正しい。「オオカミイキロ・ブタハシネ」で、七五調なのである。古代の長歌、中世の和歌から江戸の俳諧、近代の短歌へと至る日本古来のリズム(韻律)に則っているわけだ。

 これが「狼は生きろ~(以下略)」に転化したのは、高木彬光の原作をもとに作られ、カドカワ映画が1979年に公開した『白昼の死角』の宣伝用テレビCMにおいて、渋い男性ナレーターの声で「狼は生きろ、豚は死ね。」とのキャッチコピーが繰りかえし流されたからである。ついでにいえば、主演は松田優作ではなく夏木勲(夏八木勲)だ。

 若い人はご存じあるまいが、気鋭の社長・角川春樹ひきいる当時のカドカワ映画の勢いたるや誠にすさまじいもので、その宣伝攻勢も、ちょっとした社会現象を形成しかねぬほどだった。ぼくなども、じっさいに劇場に足を運んで本編を観たことはないが(小学生だったんでね)、テレビで見かけた予告映像だけは今でもよく覚えている。『犬神家の一族』(1976年公開)の、湖面から二本の脚がニョッキリと突き立っているイメージなど、忘れようとしても忘れられるものではない(のちに同じ市川崑監督によってリメイクされた)。

 口に出せば分かるが、「おおかみはいきろ」と一息で言って読点(、)を挟むと、これが8文字で「字余り」になっていることは気にならず、わりとしぜんに「ぶたはしね」に続く。やはり助詞を省くと気持がわるいこともあり、むしろ「おおかみはいきろ、ぶたはしね」のほうが語呂がいい気さえする。

 こちらのほうが広まったのも当然かと思えるが、とはいえ本来はあくまで「狼生きろ」なのである。さっきから本来本来と何をしつこく言っているのかというと、ちゃんと元ネタがあるからだ。1960年、28歳の青年作家・石原慎太郎が劇団四季のために書きおろした戯曲のタイトルなのである。それをカドカワ映画(の宣伝部)が約20年後に引っ張ってきて、一部を手直ししたうえで使ったわけだ。

 しかも、字句が変わった以上に重要なのは、意味そのものが変わってしまったことである。時あたかも「60年安保」の真っただ中、弱冠28歳で、まだ政治家にはなっておらず、しかもしかも、にわかには信じにくいことだが「革新」のサイドに身を置いていたシンタロー青年は、「既存の体制の上にあぐらをかいた醜い権力者ども」を「豚」に、「それを打ち倒す真摯で精悍な若者たち」を「狼」になぞらえていたらしいのだ。

 らしい、とここでいきなり私も弱気になってしまったが、これは当の芝居を観たこともなく、新潮社から出たそのシナリオ版を読んだこともないからだ。つまり原テクストに当たっていない。原テクストにも当たらぬままにこんなエッセイを書いてしまうのは、研究者としてあるまじき態度ではあるが、しかしあの小保方さんに比べればはるかに罪は軽いと思われるのでこのまま続けることとする。そもそもよく考えてみると私はべつに研究者でもないし。

 原テクストに当たらぬまま、ネットで調べた資料を頼りにいうのだが、「狼生きろ豚は死ね」の「豚」はもともと「既存の体制の上にあぐらをかいた醜い権力者ども」で、「狼」は「それを打ち倒す真摯で精悍な若者たち」のことだった。大事なことなので二度言いました。

 それが今では「豚」は「弱者」で「狼」は「強者」、すなわち「弱肉強食」の意味で使われている。『白昼の死角』は、戦後の世相をさわがせた大がかりな詐欺事件(光クラブ事件)を題材に取った作品である。今ならばさしずめ、「振り込め詐欺」にやすやすとひっかかる「情弱」の民衆が「豚」で、「それをまんまと誑かす連中」が「狼」といった感じか。

 それはむしろ「狐」か「狸」ではないかという気もするが、いずれにせよ、本来の内容が転化して、「狼は生きろ、豚は死ね。」が「弱肉強食」を指すようになったのは、『白昼の死角』のみならず、当の石原慎太郎じしんの存在も大きい。

 戯曲のタイトルだとは知らずとも、この文章の出どころはシンタローだよってことだけは何となくみんな知っており、あのシンタローが言うのなら、そりゃ「社会的弱者はとっとと死ね。んで、強ぇ奴だけ生き延びろや」ってことだよなあと、誰しもが思ってしまうのである。

 それはつまり、かつて大江健三郎らと連帯をして「若い日本の会」などの活動をしていた石原慎太郎が、自ら政界に進出し、そこで現実の政治の汚泥にまみれることによってどう変節していったかの好例であるし(まあ、ああいう人格は根本のところでは何も変わっていないのだろうが)、さらにまた、戦後のニッポンそのものの変節をあらわす好例でもあろう(まあ、この国も根本のところでは……以下略)。

 さて。じつはこの稿、「旧ダウンワード・パラダイス」に発表したものがもとになっている。それを新たに書き直しているのだ。ここまでの記述と重複するところもあるが、より詳しく書いてあるので、以下、元の稿をそのままコピーしよう。





 「狼生きろ豚は死ね」というフレーズを、ぼくは長らく誤解していた。しかもその誤解は、かなり多くの人々に共通のものではないか……。この字面をパッと見たら、誰しもが「弱肉強食」という成句を連想する。ましてや政治家シンタローの「差別的」言動をさんざん見聞きしてきたわれわれならば……。もう少し知識のある人なら、「太った豚よりも痩せたソクラテスになれ。」なんて文句を思い浮かべて(じっさいのソクラテスは、まあ、太っていたと言われているが)、「豚」とはたんに「捕食動物」の意味ではなくて、「ただ漫然と日々を生きている人。俗物」の寓意と考えるかもしれない。その伝でいくと「狼」は、「明確な目的意識にのっとって、毅然たる態度で日々を送っている人」みたいなニュアンスになろうか。じつはニーチェも、『ツァラトゥストラ』の中で、これに近い使い方をしている。

 「狼生きろ豚は死ね」は、浅利慶太が主宰する劇団四季のために、若き日の石原氏が提供した戯曲のタイトルである。じつは氏はこれを梶原一騎原作の劇画から取ってきたのだという説もあって、そういうことがあってもおかしくないとは思うが、確認はできない。しかし先述のニーチェの事例を除けば、ほかにネタ元と思しきものが見当たらないのも確かだ。このとき石原氏はまだ28歳。「太陽の季節」で一世を風靡してから四年のちだが、まだまだ青年といっていい年齢だ。

 時はあたかも1960(昭和35)年。まさに安保闘争の年である。GHQ占領下での数々の怪事件を取り上げた松本清張の「日本の黒い霧」が文藝春秋に連載されていた年でもあった。戦後史において際立って重要な年度に違いない。5月19日に強行採決、6月10日にハガチー来日(デモ隊に包囲され、翌日には離日)、6月15日が「安保改定阻止第二次実力行使」で、国会をデモ隊が取り囲む。あの樺美智子さんはこの時に亡くなった。新安保条約は19日に自然承認されるも、その代償のように、岸内閣は7月15日に退陣を余儀なくされる。

 「狼生きろ豚は死ね」は、このような空気のなかで書かれ、上演されたわけだけど、それが「キャッツ」やら「オペラ座の怪人」などの商業演劇に専心している現今の劇団四季からは考えられない作品であったことは容易に想像がつく。しかしそもそも、なぜ石原青年が戯曲なんぞを書いたのか。ちなみにこのシナリオは、1963年に『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』として新潮社から出ている。60年代から70年代初頭くらいまでは、小説家がけっこう戯曲を書いており、それがまた単行本として出版されていたのだ。出版物としての戯曲が商業ベースに乗っていたらしい(今に残っているのは、井上ひさしを別格として、三島由紀夫や安部公房など、一握りの人のものだけだが)。「文壇」と「演劇界」との垣根が今よりずっと低かったのだろう。しかしさらに調べていくと、石原のばあいは、たんに「浅利慶太と仲がいいから頼まれた。」という話ではなかった。

 石原慎太郎青年は、1958(昭和33)年に「若い日本の会」という組織を結成している。この会のメンバーが今から見ると瞠目すべき顔ぶれで、大江健三郎、開高健、江藤淳、寺山修司、谷川俊太郎、羽仁進、黛敏郎、永六輔、福田善之、山田正弘等々とのこと。福田・山田両氏のことはぼくはまったく存じ上げぬが、ほかの方々の名はもちろんよく知っている。いずれも各々のジャンルで一家をなした、錚々たる文化人である。しかし1958年の時点では、いずれも20代かせいぜいが30代で、新進気鋭というべき年齢だった(ここで列記した人名はウィキペディアからの引き写しなので、フルメンバーを網羅しているかどうかは定かでない)。そして、浅利慶太もまたその中の一人だったのだ。石原氏の「狼生きろ豚は死ね」と同じ時期に、寺山修司も「血は立ったまま眠っている」を書き下ろして劇団四季に提供している。ただしこの時点での寺山は、大江・開高・石原といった芥川賞作家たちに比べ、ほとんど無名の一詩人に近かったらしいが。

 顔ぶれの豪華さから考えて、この「若い日本の会」のことはもっと知られていてもいいように思うが、まとまった研究書も出てないし、ネットの上にも有益な情報が置かれていない。こんなところにも、ニッポンという国の「過去の遺産を次の世代に継承しない。」悪い癖が表れている……。ただ、関係各位がこの会のことをあまり熱心に語りたがらないのも確かなようで、それはまあ、改めて指摘するまでもなく、メンバーの中にこのあと明瞭に「保守」のサイドへと参入していった方々が少なくないからだ。江藤、黛両氏はもちろん、浅利氏にしてもそうだろう。むろん石原氏は言うまでもない。「黒歴史」という表現がふさわしいかどうか知らないが、「体制」側に与したほうも、そうでない側に残った(?)ほうも、双方にとってあまり触れたくない「若気の至り」だったのかも知れない。

 言うまでもなく、「若い日本の会」は「反体制」のサイドに属するものだ。それが現実の政治運動の中でどれほどの力を持っていたのかはよく分からないけれど、そもそもが「当時の自民党が改正しようとした警察官職務執行法に対する反対運動から生まれた組織」であり、「1960年の安保闘争で安保改正に反対を表明した」組織であったのは事実である。国会を解散せよとの声明も出していた。文中のこの「」内はウィキペディアからの引き写しだけど、「従来の労働組合運動とは違って、指導部もなく綱領もない」というのはいかにも(そりゃそうだろうな……)という感じで、これだけ個性の強い売れっ子たちが集まって、指導部もなにもないだろう。まあ、「綱領」くらいは作ってもよかったんじゃないかと思うが、きっとそれも纏まらなかったんだろう。

 それにしても、その「狼生きろ豚は死ね」ってのはどんな芝居だったのか? しかしなんとも困ったことに、「若い日本の会」以上に、ほとんど資料が出てこない。先述の『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』はamazonで法外な値をつけているし、図書館で読むしかないのだが、さすがにぼくもこの件に関して、そこまで時間を費やすわけにいかない。困った困ったと言いつつネットを探して、やっと見つけたのが牧梶郎さんという方の「文学作品に見る石原慎太郎 絶対権力への憧れ――『殺人教室』」という論考。その冒頭にはこうある。「若い頃の作家石原慎太郎が、政治は茶番でありそれに携わる政治家は豚である、と考えていたことは『狼生きろ豚は死ね』に即して前回に書いた。」

 なんと! 「豚」とは「政治」という「茶番」に携わる「政治家」のことであった! まことにびっくりびっくりで、びっくりマークをあと二つくらい付けたい気分なのだが、これではそれこそジョージ・オーウェル『動物農場』の世界観ではないか。つまりこれは28歳の石原青年が披瀝した、諷刺小説ばりにマンガチックな世界観のあらわれだったということだ。とにもかくにも、「豚」というのが「弱者」ではなく「政治家」を意味していたとは、ぼくをも含め、世間の通念とは180°正反対の事実と言ってよいだろう。

 「政治は悪と考える純血主義が六〇年代には支配的だった……(後略)。いいかえれば六〇年代の学生運動は全然政治的運動ではなく、現実回避への集団的衝動であったということでしょう。」と関川夏央(1949年生)さんが自作の小説のなかで自分の分身とおぼしき男に語らせているが、「太陽の季節」を書いた青年作家石原慎太郎の1960年における感性(ちょっと思想とは言いがたい)は、ここでいう「純血主義」の見本みたいなものだったらしい。

 牧梶郎さんは「前回に書いた。」と記しておられるので、ぼくとしては当然、その「前回」の論考も探したのだが、あいにくネットの上にはなかった。ほかの論考も見当たらず、「文学作品に見る石原慎太郎」という連載エッセイの内で、どうやらたまたま「絶対権力への憧れ――『殺人教室』」の回だけがアップされているようだ。はなはだ残念ながら、ネット上ではこういうこともよく起こる。ともあれ、重要なのは「豚」とは「弱者」ではなく「政治」という「茶番」に携わる「政治家」のことであったということだ。これにはぼくもほんとに驚いたので、この場を借りて特大明記しておきたい。ところで、じゃあ「狼」のほうは何ぞやって話になるが、それはやっぱり、「権力の上にあぐらをかいてぬくぬくと肥え太る豚」どもを、その鋭い爪と牙とで打ち倒す「新世代の覚醒した若者」たちなんだろう。

 「安保闘争」の1960年から八年が過ぎた1968(昭和43)年、これもまた戦後史におけるもう一つのエポック・メイキングな年だが、36歳の石原慎太郎は7月の参議院選挙に全国区から立候補し、300万票余りを得て第一位で当選する。これが今日に至る政治家・石原慎太郎氏の軌跡の華々しい幕開けだったわけだが、この八年という歳月のあいだに、戦後ニッポン、および、石原慎太郎という「時代の寵児」の双方にどのような変化が起こったのかは、字数の都合で今回は触れることができない。

 しかしあくまで想像ながら、かなりの確信をもって言えることがひとつある。36歳の石原氏は、けっして「豚」となるべく国会議員に転進したのではなかろうということだ。そうではなくて、どこまでも氏は自らを「狼」と任じて政治家になったと思われる。つまり、「政治はすべて悪」と考える「純血主義」から、もう少しばかり大人になって、「政治の中には悪(豚)もあれば善(狼)も含まれている。」という認識に至った。そして自分は「狼」としてこの国の政治に関わっていく。心情としてはそういうことだったと思うのだ。もちろんまあ、現実にはもっともっとドロドロしたことが内にも外にも山ほどあって、そんな単純な話ではなかろうが、少なくとも心情としては、36歳の慎太郎青年はそう考えていたのであろう。

 そのように仮定してみると、1968年からかれこれ五十年近くに垂(なんな)んとする彼の政治活動の特異さの因って来たる所以がまざまざと見えてくるような気がしてくる。齢80歳を迎え、あれだけの権力を恣(ほしいまま)にするに至った現在も、あの人は自分を「豚」とは微塵も考えてはいない。いささか老いたりとはいえ、まぎれもない一匹の「狼」であると確信し続けているのであろう。だからこそあれほど矯激な言動を休むことなく取り続ける。もちろんこちらも、現実にはもっともっとドロドロしたことが内にも外にも山ほどあって、そんな単純な話ではないわけだけど、少なくともあの人の「心情」のレベルに即していえば、要するにそういうことであろうと思われる。



 以上。長くなったが、おおむねこれが、3年まえ(2012年)に書いた元の記事の大綱である。基礎になる情報をネットに置いて下さっていた牧梶郎さんには改めて感謝しなければなるまい。「狼生きろ 豚は死ね」について言いたいことは大体こんなところだが、ちょっとした後日談がある。当の記事についてコメントを頂いたので、ぼくはこう返事を書いた。





 そういえば『狼と豚と人間』という邦画があったはずだ、と思って調べてみたら、1964年の東映映画でした。監督は深作欣二で、出演は三國連太郎、高倉健、北大路欣也。ここでは狼が健さん、豚が三國さんで、人間が欣也さん。それぞれ、一人で生きようとする者、人に飼われて生きる者、人間らしく生きたいと願う者、という図式だそうです。

 1979年の『白昼の死角』の宣伝用コピーは石原戯曲のパクリでしたが、角川映画はその前年に、フィリップ・マーロウの名セリフ「(男は)しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない。」を、「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」と改ざんしたうえでパクッた前科があります。

 さらに、2002年の映画『KT』で、KCIAをサポートする富田(佐藤浩市)の「狼生きろ、豚は死ね」という言葉に対して、元特攻隊員で活動家くずれの新聞記者・神川(原田芳雄)が「豚生きろ、狼死ね」とやり返すくだりがあった、とYAHOO知恵袋に書いてありました。

 いずれにしても、権力者こそが「豚」なのだ、という「動物農場」的な発想がまったく見受けられないのは興味ぶかいところです。 投稿 eminus | 2012/11/16





 するとその後、この補足に対して、「翻訳の文章なんだから、どれがオリジナルかは一概に言えない。『改ざん』や『前科』は言い過ぎではないか」という主旨の別のコメントが来た。そこはけっこう重要なんで、補足をさらに補足しておきましょう。

 「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。」は、翻訳家で、映画の字幕の名訳者としても知られた清水俊二の手になる訳である。ご存じレイモンド・チャンドラー『プレイバック』(ハヤカワ文庫)の中で、私立探偵マーロウが女性からの問いに答えての至言だ。

 これと、『白昼の死角』のコピー「男は、タフでなければ生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない。」はどう違うのか。なぜぼくは「改ざん」「前科」という強い言葉を使ったか。たんに清水訳のほうが早かったというだけではない。

 「しっかりしている」と「タフ」との違いはこの際どうでもいいのだ。もっと大事な理由が2つある。ひとつめ。マーロウの名せりふの原文は、“If I wasn’t hard,Ⅰ wouldn’t be alive.If Ⅰ couldn’t ever be gentle, Ⅰ wouldn’t deserve to be.”だ。もういちど、清水俊二訳と「野性の証明」のキャッチコピーを見比べていただきたい。

 この台詞のキモは、「優しくなることができなかったら」という点にある。つまり、「タフでなければ生きていけない」のは大前提。そのうえで、「時と場合、つまり情況に応じて」「優しくなれる」ところがオトコの値打ちなんだぜ、と言っているわけだ。『野性の証明』のコピーは、その肝心なニュアンスを落としてしまっている。

 ふたつめは、この台詞に目をつけたのが、当時のカドカワ映画の宣伝部の手柄ではなかったということ。先駆者がすでにいた。もともとは丸谷才一がミステリ評論の中で紹介したのが最初で、それを生島治郎がいたく気に入り、「ハードボイルド美学の精髄」としてあちらこちらで引き合いに出した。ミステリ・ファンには常識といっていい話である。

 映画『野性の証明』が制作/公開されたのはそのあとで、しかもこの名セリフをキャッチコピーとして使うにあたり、関係者各位になにも挨拶はなかったらしい。それらの点から、ぼくも改ざんなどと書いたわけだ。いずれにしても、当時のカドカワ映画(の宣伝部)がかなり荒っぽいことをしていたという傍証なのだ。

 ただ、「狼は生きろ、豚は死ね。」と転用するに当たって石原慎太郎に仁義を切ったのかどうかは知らない。慎太郎は弟(裕次郎)を通じて映画界にも太いパイプを持っているので、なんらかの挨拶はあったかもしれぬが。


追記①) 2017年11月
 その後ネットを見ていたら、戯曲「狼生きろ豚は死ね」につき、新たな情報を得た。現代劇ではなく、幕末が舞台の時代もので、「坂元龍馬の護衛をする久の宮清二郎という青年が、その龍馬と幕府老中の松平帯刀、商人の山井九兵衛、土佐藩士後藤象二郎らの権謀術数の中で、理想と政治と権力に振り回される話。」とのことだ。ブログ主さんの感想によれば、「ちょっと新国劇の香りがする」内容だったとのことで、石原青年が書いたんだから、そうだろうなあという気がする。あの人はもともとセンスが古いのである。
 「久の宮清二郎」を演ったのは、劇団四季の看板役者・日下武史。なお「久の宮清二郎」については、検索してもこれ以外ヒットしないので、架空の人物と思われる。


 追記②) 2020年7月
 この記事の元となる原稿を書いたのは8年前で、そのとき石原慎太郎という政治家はまだ現役だった。この頃ぼくはかなり批判的な感情を込めて石原氏のことを見ており、それはこの文章にも色濃く反映されている。ところがこのたび、中国発のコロナウィルスの世界的蔓延ということがあり、そこであらわになった一党独裁体制の恐さを目の当たりにして、石原氏に対するぼくの評価は変わった。たしかにいろいろと問題もあったと思うが、じつは氏は先見の明を持った政治家だったのかもしれない。いずれまた石原氏については資料を集めてきちんと考えなければならないと思っている。


 追記③) 2023年11月
 そのご、2019年11月25日に、「シリーズ・戦後思想のエッセンス」の一冊として、中島岳志『石原慎太郎 作家はなぜ政治家になったか』が出た。「若い日本の会」についての言及もある。また、ユリイカも2016年5月号で慎太郎特集を組んだが、ぼくはこちらは未読である。














ネオ・リベラリズム

2015-10-07 | 政治/社会/経済/軍事
 まえの「ダウンワード・パラダイス」ってのは、とにかく色んな話柄が雑多に詰まったブログだったんで、引っ越し後のこちらではブンガクに特化というか純化するつもりでいたし、現にそのセンでやってるんだけど、もとより文学ってのは文化の一部でありまして、その文化なるものは、どうしたって経済や政治に大きく左右されるわけですな。従属するとは思わない。そうはけっして思わないけれど、政治やら経済と、文化とを比べて、さあどっちが強いかっつったら、それゃあもう答ははっきりしてる。悔しいけれどしょうがない。本を齧っても腹はふくれないもんね。むしろお腹こわすわな。
 それでまあ、文学ブログとしてのダウンワード・パラダイスは、必要最小限、万やむを得ざる範囲内でのみ政治とか経済を扱う。といま決めましたが、そこで現在、このニッポンが採用してるというか、いや違うな、「もろもろの必然としてそうなっちゃってる」状況とは、新自由主義=ネオリベラリズムというやつです。だから「火花」なんてのも、ネオリベの文学なんですよね。一見するとネオリベの真逆をいってるようだけど、そこも含めて結局はネオリベの市場で消費される文学なわけだ。
 敗戦から70年、サンフランシスコ平和条約から63年経ってもなお、わが国がアメリカなしでは立ち行かないことは、先日の安保法制を見ても明白なんだけど、今も昔もアメリカってのは世界でいちばん面白い国だと思います。911およびイラク戦争以降、「軍事国家」としての本質が前面に出てきて相当コワモテになってるけども、そこも含めて面白い。怖わオモロい。20世紀、さらには21世紀の狂気も叡智もテクノロジーも、結局はぜんぶアメリカから出てるわけでしょう。日本がその対抗原理となることはありえない。EUもロシアもだめ。対抗原理になりうるとしたら、せいぜい中国かイスラームだけですよね。そうなっちゃあ大変だぞ、ってことで、安保法制になっちゃったわけですが。

 というわけで、アメリカについて書いた記事を「旧ダウンワード・パラダイス」から転載します。1960年代から70年代前半にかけてのカウンターカルチャー、ヒッピー・ムーブメントが、70年代後半のミーイズム(個人主義)を経て、露骨きわまる格差社会を生み出すラットレース的競争主義、市場原理バンザイ主義へと変遷していくプロセスを簡単に、ごく簡単にまとめたものです。「ホール・アース・カタログ」に代表されるカウンターカルチャー、ヒッピー・ムーブメントの精神はひょっとしたらこの21世紀における唯一の(!)希望かもしれないなんてことを私は妄想してるんで、これについてはいずれまた、ゆっくりと考えてみたいとは思ってるんですけどね。それではまず、「リベラリズム」についての軽い考察から始めて、本編へ。


 ネオ・リベラリズム
 初出 2009年12月06日


 フランス革命(1789 寛政1年)の有名なモットー「自由・平等・友愛」のうち、「平等」の理念を至上とするのがコミュニズム(共産主義)だとすれば、「自由」を至上とするのがリバタリアニズム。ざっくりと要約すればそうなる。リベラリズム(自由主義)を極限まで推し進めたものとして、絶対自由主義、と訳されたりもする。

 リバタリアニズムはほんとうに極限の概念なので、これを徹底すると「国家」そのものまで消えてしまう。真逆であるはずのコミュニズムと同じことになる。両極端はぐるっと回って合致するのだ。それではいくらなんでもということで、これを本気で追求している国家なんてない(自らの消滅を追求する共同体なんてあるわけがない)。ただ、「小さな政府」や「規制改革」「民営化」を叫ぶのは方向としてはリバタリアニズムである。しかしそれならば税金は下げねばならぬのに、税だけは取って保障はどんどん切り下げる。このような立場を新自由主義、横文字でネオ・リベラリズムという。庶民にはいちばん迷惑な話だ。

 ネオ・リベラリズムはむろんリベラリズムを母体としている。これは私たちにも馴染み深いものだが、ヨーロッパとアメリカとでかなり意味が変わるので、時に混乱を生じる場合がある。整理しておくに越したことはない。

 世界史が急激にスピードを速めた、すなわち「近代」が始まったのがイギリスの産業革命とフランス革命からだというのは定説といっていいかと思うが、じつは、逆説的ながら「保守」という概念もまたこの時に明確になった。つまり「保守主義」は、そもそも「反動」として成立した。

 大革命が起こるや否や、海峡を隔てたイギリスの思想家エドモンド・バーク(1729 享保14年 ~1797 寛政9年)が、痛烈にそれを批判したのだ。この批判に端を発するヨーロッパ型保守主義は、「進歩」を疑い、理性による社会設計を否定し、伝統の破壊を憤り、経済の目まぐるしい革新を好まない。その代わり、緩やかな階級的秩序を重んじ、オーソドックスな権威を尊び、家族・共同体・国家の役割を個人の上位に置く。だからヨーロッパで「リベラリズム」と言えば、それはこの保守主義と正反対の、個人を重んじる自由主義を意味する。

 いっぽう、移民によって創られ、いきなり近代から始まったアメリカという国の保守主義は、これとはずいぶん違っている。自主独立の気風が強いから、「平等」の概念を重視せず、初めから「自由」をすべての価値の最上位に置く。自らの力で人生を切り開く、独立した個人を中心に据え、制約のない市場の中での、能力を生かした競争原理を旨とする。とうぜん進歩やテクノロジーを信奉するし、絶えざる革新や創造的破壊を推進することにもなるだろう。片や政府はなるべく小さくして、所得の再分配や福祉政策は必要最小限にとどめる。働かざる者食うべからず。つまり平等が嫌いなのである。だからアメリカで「リベラリズム」といえば、アメリカ的な自由主義/競争原理に反対するもの、すなわち左寄り、ヨーロッパでいう社会民主主義に近いものとなる。

 だからヨーロッパ型の保守を「保守」と呼ぶのはすんなり納得できるが、アメリカ型のそれは、そもそも「保守」とは言い難いものに思える。政治的にはおそらく、「共和主義」と呼ぶのがふさわしいのではないか。南北戦争の際、奴隷制廃止を主張したのは共和党のほうだった。それは「人種の平等」を重んじたという以上に、奴隷制度が経済発展を阻害していると分かっていたからだ。そして、経済的な面からいうならば、まさにこれこそ「新自由主義」だろう。つまりアメリカという国は、たとえ民主党が政権の座に就こうと、その本質において「新自由主義」な国家なのだし、さらに言うなら、「軍事国家」でしかありえないのである。

 そこで新自由主義/ネオ・リベラリズムだが、これは格差拡大の元凶として、小泉=竹中政治を批判するうえで繰り返し俎上に乗せられたから、たいていの方はご承知であろう。何よりも市場原理を重んじ、政府はなるべく小さくして、国家や公共によるサービスを縮小し、大幅な規制緩和によって、民間業者どうしの競争を激しくしようとする考え方だ。このたび仏大統領の座に就いたサルコジ氏も、この路線を目指すと言って選挙に勝った。ドイツのメルケル首相も同じ考えらしいから、先進諸国のアメリカ化は、欧州においても顕著であると見ていいだろう。

 いっぽうでアメリカは、とても人権意識の高い、世界に冠たる「リベラル」な国だともいわれる。先にも書いたが、思想のひとつの形態として見れば、個人の「自由」に最大の価値を置く点で、「ネオ・リベラル」と「リベラル」とは同根だ。しかし経済面における「新自由主義」的傾向と、政治・社会面における「リベラリズム」的傾向とは、相容れない面のほうが多い。先述のとおり、経済面での「新自由主義」がいかにもアメリカ的な理念であるのに対し、政治・社会面における「リベラリズム」は西欧型の理念なのである。

 だからアメリカにおいても、新自由主義は社会的強者、ないし強者たりうる自信に満ちた層に支持され、リベラリズムは社会的弱者やマイノリティー、または弱者というほどではないにせよ、激しい競争を好まない層(概して文化的なインテリが多い)に支持される。現代アメリカ史において、少なくとも70年代までは、双方のバランスが割合うまく取れていた。これが崩れてはっきり強者寄りへと傾いたのが、80年代の特徴かと思う。

 小泉=竹中内閣の構造改革の原点は、1980年代の中曽根行革にある(国鉄をJR各社へ、電電公社をNTTへと、それぞれ民営化)。それはイギリスにおけるサッチャリズム、アメリカにおけるレーガノミクスと共に、先進主要国のネオ・リベラリズム的潮流の中での政策だった。中でいちばん徹底していたのはサッチャー女史だが、ここではアメリカに話を絞る。1981(昭和56)年に米大統領に就任したロナルド・レーガンは、社会福祉費の大幅な削減と、大規模な企業減税とを打ち出した。この二本柱に軍事費の拡大がきっちりセットになっているところが、アメリカのアメリカたる所以なのだが。

 この時のレーガンの政策は、国内における保守派の本格的な巻き返しとして、「保守革命」と呼ばれたりもする。保守革命とはあたかも「黒い白鳥」と言うがごときだが、保守というのがもともと反動であったという先ほどの話を思い起こして頂きたい。裏返して言えば、それまでのアメリカは、色々と曲折はあれ、「大きな政府」のもとで、「リベラル」な空気を謳歌していたということだ。そのあいだ、保守派のグループは苦々しい気分を抱き続けていたわけである。

 その端緒はじつは戦前にまで遡る。1929(昭和4)年、ウォール街での株価暴落に始まる恐慌は、アメリカ全土をかつてない危機に陥れたが、フーヴァーに代わって1933年に大統領に選ばれたF・ローズヴェルト(民主党)は、周知のとおり、ニューディール政策によってこれに対処した。税金を投じて銀行や農家を救済し、政府企業によるテネシー渓谷の総合開発に取り組み、さらに労働者の団結権・団体交渉権をも認めたこの政策は、当時のアメリカという国の政治体制の中で、最大限にケインズ的な実験を試みたものといえるだろう。つまりこれこそ、アメリカ的な意味での「リベラリズム」の実践であった。

 ニューディール政策についての評価は、じつはまだ定まっていない。ひとつには、途中から第二次大戦が始まったために、政治・経済・軍事面において、戦争の影響があまりに大きく、政策そのものの効果が測りにくいこともある。しかし明瞭に言えるのは、アメリカの各州ならびに利害の錯綜する諸集団(ビジネス・農民・労働者・消費者など)を調整するための機関として、連邦政府の力がそれまでになく拡大したことだ。すなわちここに、「大きな政府」が確立した。貧困層は依然として貧しいままだったが、それでも労働組合が増員したり、アフリカ系アメリカ人の人種差別禁止命令が出されたりと、社会的弱者の権利も少しずつ認められるようになった。ただしその一方、「軍産複合体」といわれる国家中枢と大企業との癒着が、この時期に始まったのも事実なのだが。

 アメリカという国が終始一貫して軍事国家であり、国家としてのロジックの根幹に軍事を置いていることは少し注意深く見れば明らかだが、それでもなおあの国がかくも魅力的なのは、ファッションや映画やロックをはじめ、世界に向けてポップでヒップなカルチャーとライフスタイルとを発信し続けてきたからである。その源泉となってきたのが、多様な民族から成る民衆たちの逞しい活力であり、それこそが戦後アメリカの「リベラル」な空気そのものだった。軍事一色でガチガチになり、国民を一つの色に染め上げてしまえば共産主義国と変わらない。そんなアメリカを誰が好きになれるだろうか。

 ニューディールのあと、戦時下ではとうぜん共和党が盛り返してリベラル派はいったん後退したし、ローズヴェルト急死の後を受けたトルーマン大統領は「トルーマン・ドクトリン」によって冷戦構造を戦後世界のパラダイムの基調に据えた。国内でもマッカーシー旋風が吹き荒れ、共産主義者はもちろん、穏健なリベラル左派まで攻撃された。50年代には朝鮮戦争も勃発した。戦後のアメリカにおいて、軍事費が切り下げられたり、大企業の権益が抑えられたりしたことは一度だってない。それでもリベラリズムの水流は途絶えることなく、少しずつ勢いを増して広がっていく。むしろ戦争や経済成長に促されるようにして、マイノリティー、ことにアフリカ系アメリカ人の権利意識は高まった。1960(昭和35)年にJ・F・ケネディーが大統領の座に就いてのち、その水流は公民権運動となって全米を揺るがす。

 ケネディーが暗殺されてから、アメリカはヴェトナムの泥沼に足を取られていくが、そのさなか国内においては学生運動とニューレフトの活動、そしてカウンター・カルチャーが盛んになった。浦沢直樹『20世紀少年』の発想の原点というべきウッドストックの音楽祭は、まさにヴェトナム戦争真っ只中の1969(昭和44)年に行われたのだ。テントすらない野原の上に、3日間で40万人が集まり、さながら束の間のコミューンが生まれたごとき光景だったという。その動きはとうぜん反戦運動へも連なる。おそらく世界史上、あれほど大規模な反戦運動を抱えこんだ戦争はない。国外で戦争を推し進めつつ、国内ではリベラリズムが沸点に近いところまで高揚する。ここにヴェトナム戦争とイラク戦争との違い、60年代とゼロ年代との圧倒的な違いが横たわる。

 こうやって資料を頼りに近過去のおさらいをするといつも思うが、やはり1968(昭和43)年から69年にかけての2年間が、戦後史の一つの頂点だったのかも知れない。1970年代に入ると、街頭での政治行動は沈静化し、だんだんと内向していく。ウォーターゲート事件によるニクソンの辞任が1974年、ヴェトナム戦争の終結が1975年。60年代がもたらしたヒッピー・ムーブメントは、形を変えて社会の中に根付いたものの、それが連帯と変革を求めてのうねりへと高まっていくことはもうなかった。1970年代の後半は、「ミーイズム」の時代と称される。元号でいえば、興味深いことにちょうど昭和50年代と重なるわけだが。

 ミーイズムとは直訳すれば「自分主義」ないし「わたし主義」か。社会への働きかけを嫌い、変革をあきらめ、他人との紐帯を求めることなく、ひたすらに自らの内なる楽しみの中へと沈潜していく志向をいう。思えばこれは、まさにわれらが21世紀、平成の御世の若者たちの姿ではないか。私がアメリカにこだわるのは、その影響力があまりに大きく、アメリカの動向を抜きにして日本のことが考えられないせいもあるけれど、もうひとつ(それとも関連しているが)、戦後日本のトレンドが、10年単位でアメリカのそれを踏襲しているという理由もあるのだ。

 ともあれ1981(昭和56)年、カーターという影の薄い大統領が退陣したあと、R・レーガンが大統領になる背景はすでに整っていたといっていい。同じ「リベラリズム」の枠の中ではあれ、ミーイズムは紛うかたなき保守化である。社会全体の変革ではなく、自分(とせいぜいその家族)だけの幸福や快楽を求めるのなら、なにも苦労ばかり多くて実り少ない社会運動なんかせず、有能なビジネスマンとなって金儲けに勤しむのがいいに決まっている。日本がバブルに沸き立つ頃、アメリカでは「ヤッピー」という言葉が生まれていた。YOUNG URBAN PROFESSIONALSの略で、「都会やその近郊に住み、知的専門職をもつ若者たち。教育程度も高く、収入も多く、豊かな趣味を持っている」階層のことだ。むろん財テクにも長けている。

 1989(昭和64=平成1)年、レーガンの「保守革命」を継いだブッシュSrは、湾岸戦争を遂行したものの、一期4年しか続かなかった。次いで保守派にとっての雌伏期ともいうべきクリントン政権の8年間に(べつにクリントンが平和主義者だったわけでもないが)、アメリカの保守思想はより強靭で広範なものへと変質を遂げた。その新しい保守勢力は、文字どおり「ネオ・コンサーバティブ」と呼ばれる。日本ではネオコンという略称のほうが通りがいいか。この集団に支えられて成立したのが2001(平成13)年からのブッシュJr政権であり、ここにアメリカは(ひょっとしたら世界は)本格的な「第二次・保守革命」の時代を迎える。新自由主義=ネオ・リベラリズムが、改めて21世紀のハイパーリアルなイデオロギーとなっていくわけである。

 変な話だが、アメリカにおけるネオコンの台頭と、わが国における小泉=竹中政権の誕生とがあまりに符合しすぎていて、ちょっと陰謀論に色目を使いたくなる。陰謀論とジャーナリズムとのあいだの絶妙なポジションに身を置く広瀬隆氏の著作は、やはり一度は目を通しておくべきかと思うし、ことに『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『アメリカの保守本流』(すべて集英社新書)の三部作には、私も教えられるところが多かった。ただ、陰謀史観というやつは、それがユダヤ資本だろうとフリーメーソンだろうとビルダーバーグだろうと、「ごく一握りの権力者たちがシナリオを書き、それに合わせて世界がうごく。」といった図式に収まってしまう。つまり、勤労者=消費者としての「大衆」というファクターが捨象されてしまう。

 しかしこうして見ていくと、けして上からの操作ばかりでなく、大衆の意識レベルの変遷が、ネオ・リベラリズムを招き寄せた経緯がよくわかる。そして世を席巻した新自由主義は、グローバリズムの凄まじい奔流と相俟って、ひとつの巨大なシステムと化し、世界全域を飲み込んでいく。