先週は、≪感動したけれど記事を書く段になって、いろいろ引っかかりを感じた≫が、今週は、≪さしたる感動はなかったと思ったが、記事を書くときになって、面白いシーンがいろいろあったなあ≫と逆の印象である。
今回のテーマは
八重とキリスト教の出会いと八重と新島襄との出会いである。
★八重とキリスト教の出会い
会津で育った八重の信条とは反対(に思える)のキリスト教の教えを、まったく理解できない八重。ただ、理解できないとはいえ、それを受け付けず排除しようとしないのは八重らしい(ヒロインらしい)気もするし、違和感も感じるところだ。
八重らしいと感じる因は、着物姿にアンバランスな靴を履いている八重。これには、未知のモノでも、それが便利ならば取り入れようとする革新的な思考を感じ、未知な教えでも理解しようと試みる八重らしい姿勢とも考えられる。
一方、会津の「什の掟」に基づく「ならぬものはならぬ」「強くあれ」という強い正義感を持ち、さらに、義を尽くしたにもかかわらず逆賊とされた理不尽な仕打ちや会津戦争で多くのものを失った恨みを抱えていた八重が、それを捨てろというキリスト教に嫌悪感を持たないのは不自然のようにも感じた。
「悲しむ人は幸いなり。その人は慰められであろう」
八重…悲しむ人がなぜ幸せなの?悲しいことなんか、ない方がいいの決まっている。(私もそう思う)
「右の頬を殴られたら、左の頬も出せ」
八重…やられっぱなしでいんのは卑怯者か臆病者だけで、武士のすっことではねえ。
「敵を憎むな。敵のために祈れ」
八重…殴ってきた相手を憎まない人間がこの世にいんべえか?
八重は、キリスト教を学ばせる兄・覚馬の意図が分からない。(覚馬は、会津戦争で八重が負った心の傷や怨念から解放させるのに、キリスト教が手助けになるのではと考えた)
★八重と新島襄の出会い
八重がヒロインなので、上記のような書き方をしたが、今話の内容だと「新島襄の八重との出会い」の方が妥当かもしれない。
新島襄の求める女性像(伴侶像)
「顔にはこだわりません。ただ、東を向いていろ、と言われたら三年でも東を向いているような、そんな婦人は、御免なんです。
学問があって、自分の考えをはっきりと述べる人がいい。
宣教師は、いつ、どこで命を落とすかわかりませんから。一人で生きていけなければ困ります。
私の仕事を理解し、もし私に過ちがある時は、教え、導いてくれるような人。
私はそういう人と、暖かいホームを築きたい」
『東を向いていろ、と言われたら三年でも東を向いているような』という言葉に覚馬は反応。
この言葉を聞いた槇村は「そげな怖ろしげな女子、ワシは大の苦手じゃがの……≪!≫…待てよ、ワシの苦手な女子と言えばぁ……Ω☆Ψ!」
覚馬も八重を想いだしたと思うが、襄だけは何の事だかわからず、妙な顔。
豪放な槇村が八重を苦手に思うのも面白く、襄と槇村の女性観が反対で、それ故、槇村が八重を思い当たるという流れは絶妙である。
しかし、「三年でも東を向いているような女子」という比喩が、ぴったり覚馬の元妻・うらの比喩と一致するのは、少し安直に感じた。
また、この会話の直前、京都にキリスト教系の学校を作る了承を取るのに、覚馬が「大阪の知事は断った」と吹き込み、槇村の対抗心をくすぐったのは巧妙。
「川崎八重です」
この言葉に脚本の妙を感じる。
川崎姓を名乗り、八重の≪自分はまだ庄之助の妻≫であるという気持ちを表現し、同時に襄には八重が目当ての覚馬の妹であることを気づかせない。という二重の意味を一言で表している。
今話では、八重にとっては、≪襄は変わった人だなあ≫という印象を持っただけだが、襄は井戸に腰かけおどけるお転婆ぶりと、八重の背負った過去を知り、見初めてしまったようだ。覚えたばかりの讃美歌を歌い襄を励ます八重の柔軟な強さを感じたとはいえ、少し、惚れっぽすぎ。
☆もう一人の帰ってきた男
アメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきた。
健次郎と山川浩(大蔵)、二葉、そして佐川官兵衛が視聴者に近況報告をする。
それにしても、懐かしいなあ、官兵衛。分からないのに「えーる大学かあ」と感心するのが微笑ましい。
☆ちょっとびっくり!、完全に忘れていたぞ!
象山先生の蘭学所での豚乱入騒動、そんな事件があったなあ。事件を覚えていれば、あの少年が襄で、運命の再会という感慨が強いのだが、豚騒動を完全に忘れていたので、≪ああ、遠い昔にそんなこともあった!≫という驚きの方が強かった。
それに、向学心にあふれた覚馬や尚之助、さわやかな隆盛……懐かしいなあ。
そう言えば、木戸孝允に病気の兆候が……
【ストーリー】番組サイトより
1875(明治8)年、アメリカ留学から新島襄(オダギリジョー)が帰国。覚馬(西島秀俊)や槇村正直(嶋政宏)の援助を受け、京都に英学校をつくるため動き出す。
そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。ある日、宣教師の家を訪れていた八重は、偶然襄と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に、戸惑う八重。
一方、会津戦争後にアメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきていた。
今回のテーマは
八重とキリスト教の出会いと八重と新島襄との出会いである。
★八重とキリスト教の出会い
会津で育った八重の信条とは反対(に思える)のキリスト教の教えを、まったく理解できない八重。ただ、理解できないとはいえ、それを受け付けず排除しようとしないのは八重らしい(ヒロインらしい)気もするし、違和感も感じるところだ。
八重らしいと感じる因は、着物姿にアンバランスな靴を履いている八重。これには、未知のモノでも、それが便利ならば取り入れようとする革新的な思考を感じ、未知な教えでも理解しようと試みる八重らしい姿勢とも考えられる。
一方、会津の「什の掟」に基づく「ならぬものはならぬ」「強くあれ」という強い正義感を持ち、さらに、義を尽くしたにもかかわらず逆賊とされた理不尽な仕打ちや会津戦争で多くのものを失った恨みを抱えていた八重が、それを捨てろというキリスト教に嫌悪感を持たないのは不自然のようにも感じた。
「悲しむ人は幸いなり。その人は慰められであろう」
八重…悲しむ人がなぜ幸せなの?悲しいことなんか、ない方がいいの決まっている。(私もそう思う)
「右の頬を殴られたら、左の頬も出せ」
八重…やられっぱなしでいんのは卑怯者か臆病者だけで、武士のすっことではねえ。
「敵を憎むな。敵のために祈れ」
八重…殴ってきた相手を憎まない人間がこの世にいんべえか?
八重は、キリスト教を学ばせる兄・覚馬の意図が分からない。(覚馬は、会津戦争で八重が負った心の傷や怨念から解放させるのに、キリスト教が手助けになるのではと考えた)
★八重と新島襄の出会い
八重がヒロインなので、上記のような書き方をしたが、今話の内容だと「新島襄の八重との出会い」の方が妥当かもしれない。
新島襄の求める女性像(伴侶像)
「顔にはこだわりません。ただ、東を向いていろ、と言われたら三年でも東を向いているような、そんな婦人は、御免なんです。
学問があって、自分の考えをはっきりと述べる人がいい。
宣教師は、いつ、どこで命を落とすかわかりませんから。一人で生きていけなければ困ります。
私の仕事を理解し、もし私に過ちがある時は、教え、導いてくれるような人。
私はそういう人と、暖かいホームを築きたい」
『東を向いていろ、と言われたら三年でも東を向いているような』という言葉に覚馬は反応。
この言葉を聞いた槇村は「そげな怖ろしげな女子、ワシは大の苦手じゃがの……≪!≫…待てよ、ワシの苦手な女子と言えばぁ……Ω☆Ψ!」
覚馬も八重を想いだしたと思うが、襄だけは何の事だかわからず、妙な顔。
豪放な槇村が八重を苦手に思うのも面白く、襄と槇村の女性観が反対で、それ故、槇村が八重を思い当たるという流れは絶妙である。
しかし、「三年でも東を向いているような女子」という比喩が、ぴったり覚馬の元妻・うらの比喩と一致するのは、少し安直に感じた。
また、この会話の直前、京都にキリスト教系の学校を作る了承を取るのに、覚馬が「大阪の知事は断った」と吹き込み、槇村の対抗心をくすぐったのは巧妙。
「川崎八重です」
この言葉に脚本の妙を感じる。
川崎姓を名乗り、八重の≪自分はまだ庄之助の妻≫であるという気持ちを表現し、同時に襄には八重が目当ての覚馬の妹であることを気づかせない。という二重の意味を一言で表している。
今話では、八重にとっては、≪襄は変わった人だなあ≫という印象を持っただけだが、襄は井戸に腰かけおどけるお転婆ぶりと、八重の背負った過去を知り、見初めてしまったようだ。覚えたばかりの讃美歌を歌い襄を励ます八重の柔軟な強さを感じたとはいえ、少し、惚れっぽすぎ。
☆もう一人の帰ってきた男
アメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきた。
健次郎と山川浩(大蔵)、二葉、そして佐川官兵衛が視聴者に近況報告をする。
それにしても、懐かしいなあ、官兵衛。分からないのに「えーる大学かあ」と感心するのが微笑ましい。
☆ちょっとびっくり!、完全に忘れていたぞ!
象山先生の蘭学所での豚乱入騒動、そんな事件があったなあ。事件を覚えていれば、あの少年が襄で、運命の再会という感慨が強いのだが、豚騒動を完全に忘れていたので、≪ああ、遠い昔にそんなこともあった!≫という驚きの方が強かった。
それに、向学心にあふれた覚馬や尚之助、さわやかな隆盛……懐かしいなあ。
そう言えば、木戸孝允に病気の兆候が……
【ストーリー】番組サイトより
1875(明治8)年、アメリカ留学から新島襄(オダギリジョー)が帰国。覚馬(西島秀俊)や槇村正直(嶋政宏)の援助を受け、京都に英学校をつくるため動き出す。
そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。ある日、宣教師の家を訪れていた八重は、偶然襄と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に、戸惑う八重。
一方、会津戦争後にアメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきていた。
今週も、なんやかんやと思いながらも、
ついつい見てしまいました。
それにしても、山本みねちゃんが大きく
なってるぅ~~~~。
いや、多分気のせいだ(笑)
わたしは、この時代の知識がないので、
ほんと、追うのに手一杯なのですが、
それでも、覚馬や新島襄の奮闘ぶりは
見てて楽しいです。
そして、八重さん・・・・。
>「川崎八重です」
さりげなく『絶妙手』でした。
なんで、山本覚馬さんの
妹って気づかんのやろうと最初は思っていましたが、
そりゃ気づかないです。(笑)
そして、いきなり賛美歌を歌って励ますなんて・・・・・。
いやぁ~~~~、いい女(ひと)です。
そして、官兵衛さん。ついに帰ってきました。
いやぁ~~~~、これが見たかったんや
・・・・ありっ、和んでるじゃん(笑)
これからは、官兵衛の時代やねっ。
(ドヤッ・笑)
来週の「八重の桜」も楽しみです。
>豚乱入騒動
すっかり忘れていて、今思い出しました(笑)
>、山本みねちゃんが大きくなってるぅ~~~~。
>いや、多分気のせいだ(笑)
わはは、私も虚を突かれました。この時、みねは13歳のはずです。そう考えると、今までの子役さんでは少し無理がありますが、でも、新しいみねさんよりは、自然だと思います。
>官兵衛さん。ついに帰ってきました。
>・・・・ありっ、和んでるじゃん(笑)
基本的に、会津の人の世間話はいい雰囲気ですね。
>>豚乱入騒動
>すっかり忘れていて、今思い出しました(笑)
これを覚えていた人は凄いと思います。