英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第33話「清盛、五十の宴」

2012-08-26 23:43:56 | ドラマ・映画
平の新喜劇
「何奴じゃ!」
「お初にお目にかかります。忠度にございます」
「忠度?」(清盛)「忠度?」(経盛)「忠度?」(教盛)
「はて、誰であったかのう?」(清盛)
「なんと、殿も経盛様も教盛様もご存知ないと?」(貞能)
「ない」(一同)
「ひどうございますぅ。末の弟君でございます」(貞能)
「(凝視)……………………………………………………おお!」(清盛)「おお!」(一同)


「おお!教盛の兄上、噂に違わぬ豪傑とお見受けいたします」(忠度)
「だが、文才はまるで無しとの噂はござりませぬか?」(時忠)
「おいぃ!」(教盛)
「北の方様の御弟君、時忠様にございまする。口の悪さは天下一品」(盛国)
「おぉ誉めるなあ」(時忠)
「誉めてはおりませぬ」(盛国)
「あのぅ」(経盛)
「ご心配なく、此度は見えております。経盛様にございまする」(盛国)
「経盛でござる」
「経盛殿は文には長けるが武に弱く、教盛殿は武には優れているが、文は劣る。すなわち二人合わせてようやく一人前の御兄弟でござる」(時忠)
「時忠様…」(盛国)
「真の事ゆえ、言い返せぬ」(経盛)
「認めてどうするのじゃ!」(教盛)


そこへ藤原摂関家の基房と兼実兄弟が乱入!
新喜劇から芸能発表会に
 芸能においてもなかなか手ごわい平家一族に基房、太鼓でも叩き出すのではと期待したが(仮面ライダー響鬼)、負け惜しみを吐くだけ。
 そこで、清盛、厳島神社の新構想(水上神殿)を披露。目指す国家の方針を重ね合わす。


最後は清盛が神通力を披露!
 摂関家兄弟をやり込め、得意満面の清盛、薄暗くなったので危ないという皆の忠告を無視し舞い始める。

「ああ、愉快じゃ。斯様に愉快な日が終わって欲しゅうない。はははは…」
そこへ雲が晴れて清盛に日が射し込む。これが、一度沈んだ太陽を清盛が再び登らせたと拡大解釈される。(そう言えば、東の方にも拡大解釈をしている輩が)
 あまりの得意絶頂振りに、日が射すと同時に倒れるのかと思ったが、そうではなかった。今週の最期に倒れるとは、時間差攻撃も見事!(ちがうか)


【その他の感想】
・滋子の舞は、伴奏とずれることが多く、動きも稚拙に思えた。それにしても、母親になると変わるのかもしれないが、「(平家一門より)我が子が大事」の滋子の変わりぶりに唐突感を感じた。
・和歌の勝負に忠度を起用したのは、単なる思いつきだったのはガッカリ。
・次回、白河院復活?はかなり不安。



【ストーリー】(番組サイトより)
 1167(仁安2)年、乙前(祇園女御:松田聖子)は京にとどまり、後白河上皇(松田翔太)に今様の稽古をつける日々を送っていた。後白河上皇は乙前に京にきた理由と清盛(松山ケンイチ)との関係を聞くが乙前はあいまいにしか答えなかった。
 六波羅の清盛邸では清盛に、重盛(窪田正孝)らが、朝議で音戸の瀬戸の開削が決定したことを報告した。朝議には宗盛(石黒英雄)や時忠(森田剛)も参加していた。清盛はわずか百日で太政大臣を辞任していたが、思惑どおりに事をすすめていたのである。精力的に働く清盛は、妻・時子(深田恭子)が五十の賀の宴をしたいと話しても、五十歳になるのが清盛自身のことだとは気がつかないほど、自らの夢にまい進していた。
 清盛の義理の妹である滋子(成海璃子)は、後白河上皇との子・憲仁(のりひと)親王(のちの高倉天皇)が東宮(次の天皇)になったことで権勢を強めていた。ある日、滋子は後白河上皇の前で見事な舞を披露した。舞の途中で雨が降っても平然と舞う滋子の姿に上皇の近臣・西光(加藤虎ノ介)や成親(吉沢悠)らも口々にほめそやした。
 そこへ以仁(もちひと:柿澤勇人)と八条院子(あきこ:佐藤仁美)が訪ねてきた。以仁は後白河上皇の子であり、以仁の養母である八条院は鳥羽法皇と美福門院得子の娘、後白河上皇の異母妹だった。憲仁がすでに東宮と定められたにもかかわらず、彼らは以仁こそが嫡流だと訴えた。後日、滋子は実の兄である時忠を呼び出し、東宮のわが子憲仁の座を安泰にするため、平家の力を使い、以仁を邪魔立てするよう画策するのだった。
 嚴島神社で清盛は神官・佐伯景弘(温水洋一)をたずね、嚴島神社の修復を申し出た。また、博多までしか来られなかった宋の船を京の隣・大輪田泊まで呼び込むという事業を進める中、その航路にある嚴島神社の存在が大きくなることを告げた。その壮大な構想に景弘は感激して言葉もなかった。
 清盛の五十の賀の宴の日、六波羅の館に、源頼政(宇梶剛士)がその子息、仲綱(須田邦裕)を連れてお祝いに訪れた。つとめで時間のない中、ひと言だけでもと訪れたのだ。仲綱は平家にこびるそんな父の態度に不満がつのっていた。
 宴には平家一門が集まり、清盛にお祝いを伝える。そして壮大な酒宴がはじまった。清盛邸には常盤(武井咲)も息子・牛若(のちの義経)をともなって訪れていた。常盤は一条長成の妻となっていたが、牛若は清盛こそが実の父と思っていたのである。清盛はにこやかに牛若の礼を受ける。また、熊野で生まれ育ち、清盛にとって末の弟になる忠度(ただのり:ムロツヨシ)も突然宴席にあらわれた。気さくな忠度は清盛ら兄たちと初対面ながらもすぐに打ち解け、熊のような風貌で祝い踊りを披露し、一門はおおいに盛り上がる。
 そこに現れた藤原摂関家の基房(細川茂樹)と兼実(相島一之)兄弟。平家の栄華を心よく思わぬ彼らは、「嚴島の社を修復するには、雅(みやび)を解する心がなければ」と舞や歌で勝負を挑んできた。まずは基房、兼実が見事な舞を披露し、平家をうならせる。清盛は返礼として重盛と宗盛が舞を見せ、経盛(駿河太郎)が笛を吹いた。基房、兼実はその舞と演奏に目をみはる。
 兼実は次に和歌の勝負をもちかけた。清盛はその相手になんと会ったばかりの忠度を指名した。歌の名人として知られる兼実は見事に歌を詠むが、忠度も意外にも秀逸に歌を詠み、一同を感嘆させた。悔しさをかくせない基房は清盛に、嚴島改修の一件は絶対に認めないと言い放つ。
 すると、清盛は嚴島神社の修復した姿を描いた絵図を見せる。それは海上にうかんだ寝殿のような古今東西に例を見ない荘厳華麗なものだった。これは清盛が考えた画期的なもので、圧倒された基房と兼実は引き下がるしかなかった。
 その後も宴はつづき、清盛はゆかいな気持ちになり踊り続ける。そこで奇跡のような光景が起こる。この愉快な日が終わってほしくないと願う清盛が扇子で夕日を仰ぐと、沈んでいた夕日が再び姿をあらわしたのだ。この奇跡は人々のあいだにまことしやかに伝わっていく。伊豆に赴任した源頼政は北条時政(遠藤憲一)にこの話を伝えた。時政は頼政に源頼朝(岡田将生)のすっかり生気を失った姿を見せ、清盛の影響で赤子を殺されたことを伝えた。
 そんな絶大な力を恐れられる清盛は、突然の病に襲われる。1168年、嚴島神社の修復に向かおうとするやさき、清盛は熱病に倒れ意識を失い、清盛危篤の情報が全国をかけめぐった。

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