明日(3月11日)の 名古屋ウィメンズマラソンで五輪代表選考レースが終了します。(男子は4日のびわ湖毎日マラソンが最終)で、その前に、まとめておきたいので、慌てて書いています。
まず、選考方法ですが、私も正確に知らないので、「マラソン五輪代表 決定」で検索を掛けたところ、『毎日JP』の「質問なるほドリ」というコーナーの
「マラソンの五輪代表はどう決めるの?」という質問ページがヒットしました。
以下引用です。
質問なるほドリ:マラソンの五輪代表はどう決めるの?=回答・井沢真
<NEWS NAVIGATOR>
◇4レース成績基に選考 「本番で活躍」への期待も加味
なるほドリ マラソンのロンドン五輪日本代表が12日に決まるそうだね。代表は、どうやって決めるの?
記者 日本陸上競技連盟が代表選考会の成績を基に理事会を開いて決定します。選考会は男女とも昨夏の世界選手権を皮切りに国内3大会を含めた計4レースです。国際陸連が設定した五輪参加標準記録A(男子2時間15分0秒、女子2時間37分0秒)突破者が対象で、選考基準は二つあります。一つは世界選手権の日本選手最上位のメダリストを内定することでしたが、該当者はいませんでした。二つ目は各選考会の上位選手を対象に「本大会で活躍が期待される競技者を代表選手とする」としています。コースの特徴、気象条件、レース内容など多様な観点から比較します。
Q 代表は何人選ぶの?
A 男女とも最大3人です。世界選手権は各5人ですから、五輪への道は狭き門です。
Q 選考が難航したこともあるよね。
A 90年代は、五輪など主要大会での実績や夏場のレースへの適性など、数字では測りにくい要素を重視する傾向がありました。女子では96年アトランタ五輪の時は、全選考会を通じて最速のタイムを出した選手が落選。00年シドニー五輪の時は選考会で2時間22分台の好記録を出した選手が代表を逃し、ハイレベルな争いとして今でも語り草です。04年アテネ五輪の時は、過去の実績よりも選考会の内容重視に方針転換され、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんが落選しました。
ほぼ私の認識しているようなものでしたが、驚いたこともありました。
それは
、「国際陸連が設定した五輪参加標準記録A(男子2時間15分0秒、女子2時間37分0秒)突破者が対象」という事項です。
マラソン以外の陸上競技では3人出場できる標準記録Aとひとりのみの標準記録Bがあり、かなり高い記録が設定されています(日本記録以上の種目もあります)。水泳(競泳)も標準記録が設定されており、これもレベルが高いです。
これに比べると、マラソンの参加標準記録は非常に難易度が低いレベルです。マラソンが盛んな国の五輪を目指す選手にとっては、ないに等しい基準です。そもそも、この基準は日本ではなく国際陸連が定めたものなので、低く設定されています。と言っても、市民ランナーにとっては勲章モノのタイムではあります。
この五輪参加標準記録とは別に、このくらいのタイムで走らないと選びませんよという目安の記録が内示されます。五輪前のマラソン事情によってその設定タイムは上下しますが、確か今回の代表選考の設定タイムは女子の場合は2時間26分以内だったと思います(中継中にこう言っていたように記憶していますが、確かではありません)。
大阪国際女子マラソンでは、あまりタイムについては言及されていなかったようです。ただ、横浜の木崎選手の優勝タイム2時間26分32秒がひとつの目安となっていたようです。福士選手は22分台が代表当確ラインと考えていたようです。(当確ラインというのは、最低限の「目安のタイム」とは別で、このタイムで日本人最高なら間違いないというものです)
さて、タイムはともかく、このページでは、
「参加基準が2つある」としています。
ひとつは、「世界選手権の日本選手最上位のメダリストを内定する」というもの。この場合の世界選手権は五輪前年の大会に限ります。有力選手の一人の尾崎選手の場合は、世界選手権で銀メダルを獲得していますが、ロンドン五輪の3年前なので、対象外です。
また、前年にメダルを取っても日本人の最上位でなければ無効です。五輪前年の2003年のパリの世界陸上で千葉真子選手が銅メダルを獲得していますが、野口選手が銀メダルを取ったので、野口選手が代表内定となった。ちなみにこの大会、坂本直子選手も4位入賞しています。
この基準は、主観の挟む余地がなくはっきりしています。しかし、この基準も混乱を招く事態を呼んでいます(後述)。
二つ目の基準は、
各選考会の上位選手を対象に「本大会で活躍が期待される競技者を代表選手とする」としています。
これが、曖昧すぎて、毎回混乱や騒動や論議を呼んでいます。非常にあいまいな基準です。陸連は「基準」という言葉の意味を誤解していると思いたくなるようなモノです。もちろん、賢明な陸連が「基準」という言葉を誤認しているはずがなく、陸連が五輪で走って欲しい選手を選べるよう作った基準と言えます。
この基準を読んで、スポーツに詳しい方なら、ある競技の選考基準を思い浮かべたと思います。そうです、柔道ですね。柔道については、私も過去に取り上げたことがあり、興味がおありでしたら
「谷亮子、参議院選挙出馬表明と過去の五輪代表選考 考」もお読みください。
五輪で勝てる選手を選びたい連盟、協会の思惑は推察できます。五輪でメダルを取れば、競技の人気が上がり、補助費や放映権料も有利に働きます。私のような者より、当の連盟や協会の関係者の方が、はるかに選手たちの努力を知っているので、本当はそういった努力に報われるような選考でありたいと思っているはずです。でも、そうはいかない事情もある……
しかし、やはり、選手が納得できる基準、代表に選ばれるために努力したレース(試合)結果がそのまま反映する選考であるべきです。「選考会」ではなく「予選」でなければならないと思います。サッカーのワールドカップでも予選ですし、夏の甲子園大会も予選です。春の選抜大会での「選抜」も私は反対です)
さて、玉虫色の選考基準なので、びわ湖マラソンで散った堀端選手を代表に選ぶことは可能です。と言っても、世論や他の関係者が納得しないので、選べないとは思いますが、堀端選手を代表に選んだら、私は尊敬します。
この曖昧な基準も問題だと思いますが、そもそも、一発選考でなくしたのがまちがいで、そのため、いろいろな混乱を招いています。
100m走でさえ、その競技条件は一定ではありません。風、気温などの気象条件、参加者の顔ぶれ、スターターとの呼吸、競技時間などレースを左右する条件は不安定です。これがマラソンだったら、諸条件による影響は更に拡大されます。レース展開によって大きくタイムは異なります。最近は、これを揃えるためペースメーカーを設けますが、ペースメーカーの巧拙もありますし、五輪本番ではペースメーカーはいないので、どんな状況にも対応できる力が必要なはずです。
また、気温、風、コース(高低差など)、参加選手の顔ぶれなど、正直、違うレースを並べて評価できるはずがないのです。同じレースであっても、トップ集団でハイペースで走り続けた選手と第2集団で設定ペースで走った選手を「評価」で上下を付けるのは簡単ではありません。あるのは「勝ち負け」だけです。
なので、選考レースというか予選は一発勝負の1レースのみで3位までを代表に選ぶのが、最も公平で、最もスッキリします。一昔前は、福岡国際マラソンのみが選考会でした。瀬古、宗兄弟、伊藤国光、喜多秀樹選手たちがしのぎを削った競り合いをした名勝負が思い出されます。後にそうでなくなった原因を瀬古選手が作ってしまったというのは皮肉です。
瀬古選手が原因と書きましたが、それは後述するとして、もうひとつ、一発予選ではなくなった事情があります。マラソン人気が高まり、民間放送もマラソン中継に力を入れるようになり、東京国際マラソンが誕生しました。しかも、その人気ぶりは2つの民放が別々の「東京マラソン」を立ち上げたことからも窺えます。さすがにややこしく、運営や道路規制も大変ということで持ち回りになりました。
民放としても「五輪選考会」という意義を持ちたいとなるのは当然の成り行きです。
女子マラソンの場合は「東京」「大阪」「名古屋」と3大会あったのでちょうどよかった?のかもしれません。女子マラソン発足当時は、有力選手ンも少なかったので、代表は佐々木七恵、増田明美の2名でした。名古屋マラソンはそ五輪の後に誕生したのかもしれません。
とにかく、表選考レース3つ、代表3人の図式が成り立っていたので、歪みは少なかったのですが、先述したように、「世界選手権の日本選手最上位のメダリストを内定」という基準を設けたので、それによる内定選手が出てしまうと、3レースで2人を選ばなくてはならず、選考レースに最高記録を出しても優勝できなかったと理由や、実力を天秤にかけて代表になれなかったという事態も起きました。極端な話、3レースとも日本選手が好記録で優勝しても、その内のひとりは代表になれないという事態が起こり得ます。
さらに、アジア大会にも実力のある選手を派遣したいという事情から、アジア大会まで選考レースに加えてしまうという迷走ぶり。
最後に過去の代表選考が混乱した事例をご紹介します。
『ニッカンスポーツ・コム』の
「川内残った!混戦マラソン五輪争い」の記事にまとめられていたものです。
<過去の混乱選考>
◆はってでも 88年ソウル五輪男子代表をかけ、87年12月福岡国際が一発選考会とされたが瀬古利彦が故障欠場。中山竹通は「はってでも出てこい」というニュアンスの発言で波紋を呼ぶ。日本陸連の配慮で3月のびわ湖が選考会とされ、瀬古は優勝して代表に。
◆アピール会見 92年バルセロナ五輪女子代表争いは世界陸上4位の有森裕子と、大阪国際で有森のタイムを上回る2時間27分2秒を出した松野明美との争いに。松野は異例の記者会見で「私を代表に選んでください」とアピール。結局、有森が選ばれ銀メダル。
◆早期内定に疑問 00年シドニー五輪女子代表争いは、前年世界選手権で市橋有里が2時間27分2秒の銀メダルで内定。だが11月東京で山口衛里が優勝、1月大阪国際で弘山晴美が2位、3月名古屋国際で高橋尚子が優勝。選考レース3つで2時間22分台の好タイムが連発された。最後は弘山が涙をのみ、早期内定に批判の声も。
陸連理事会は、努力した選手が納得するように、死ぬ気で選考していただきたいです。そして、
今後、選考レースは止めて、一発予選にしていただきたいです。それが無理なら、選手が努力するに足りる明確な基準を設けてただきたいです。