梶原景時(中村獅童)の選択
・“戦の天才”義経を冷静に客観的に評価
さらに、「義経を戦場に出すな」という頼朝の命に抗して、一芝居を打って、義経参戦の流れを作った
…しかし、その一方で……
・戦における義経の功績を報告しつつ、その戦いぶりを《勝利の為なら手段を択ばず、人の情けを蔑ろにする》糾弾する
その後も、《法皇は義経を大事にしている》《「次の源氏の棟梁は義経である」という評判》などを強調し、頼朝が義経を排除するよう巧みに誘導した
景時の真意(思慮)は……
頼朝も義経も“神に選ばれている”と感じている。
そして、両者とも自分の思う道を進むには、手段を択ばない
………今回の義経は、荒天の中、船で四国に渡る強行をした(船乗りの功が大きい)。そして、壇ノ浦では敵軍とは言え、漕ぎ手を矢で射抜いた。
そんな両者が並び立つとは思えない!
景時は頼朝を選んだ。平家を滅ぼした今、義経自身が言うように「私はいくさ場でしか役に立たん」戦の将・義経に附くより、政治家・頼朝に附くのは、現実主義の景時には当然の選択だった。
もちろん、景時はその心を語らないので、真意をつかみ難い。本当は《勝つためなら何をしても良い》と周囲を振り回し、また、これまでの常識を無視し、情けを蔑ろにする義経が嫌いだった。あるいは、怖かった……その感情を優先させたのかもしれない。
ただ、思うに……頼朝が絶体絶命の窮地に陥った時、雷鳴などによって救われた際、この時、景時は《頼朝は神に選ばれている》と感じ、頼朝を見逃した。この時に、景時の腹は決まっていた。
今回の選択、《平家を滅ぼすのに義経を利用し、平家が滅亡したら用済みと義経を排除する》と初めから決めていたのかもしれない。
さらに深読みすると…頼朝が天下を取るためではなく、《どの選択をしたら、自分に都合がよいか》……景時は現実主義者であり、超自己主義者なのかも……
今回のテーマの一つとして《兄弟の情》
頼朝は義経排除に動いたが、政子の前では、平家滅亡の宿願を果たしたことで涙を流し、義経を褒めたたえた。
戦では非情な義経も、宗盛に親子の対面をさせるという温情を見せる。
………三谷氏は登場人物の多面性を描く。ただし、後白河法皇(西田敏行)と丹後局(鈴木京香)は一貫して、利己主義で我儘。法皇や貴族は、生まれながらに身分や権力を保持しているので、始末が悪い。
神に選ばれた兄弟が、《猜疑心が強い頼朝》《天才過ぎた義経》《景時の讒言》《法皇の我儘》などが重なり、図らずも決別することになってしまった。
さて、兄弟仲のねじれの一端は、義経が検非違使の任を授かったこと。
検非違使の人の話が出た時、たぶん、中原親能(川島潤哉)だったと思うが、「頼朝より、義経の任官の願い状(←呼称は適当)が出されていません」と進言したが、「それは、褒美が欲しくて戦をしていると思われたくなかったから私(義経)が辞退したのです」と述べた。つまり、頼朝は義経が朝廷の役職(位)について権力を持つのは避けたかったのだろう。頼朝の意向に反して、検非違使の任を受けてしまった義経…良いのか?と思ったが、それに対する頼朝や鎌倉方の直後の反応はなかったが、今話で義経のネックとなってしまった。(ネックを日本語では隘路(読み:あいろ、意味:支障など)というらしいが、初めて知った)
あと、手紙の代筆はダメだよね。
【その他の感想】
・八重の捨て身の顔墨も、大姫の心は開けず…無念
・安徳天皇や平家の女人は海に身を投げたのに、その場にいた宗盛は生き残ったのか
・“いい人その2”(“その1”は土肥実平(阿南健治)、“その3”は畠山重忠(中川大志))の源範頼は、義村など板東武者から“クソ真面目なカバ殿”と揶揄されるが、まじめに必死に神器を探していた。
・地元民と義経たちの芋煮会。「いきなり海に言ったよね」とか「富士山にも登ったよな」とか合宿のノリ。
第1話「大いなる小競り合い」
第2話「佐殿の腹」
第3話「挙兵は慎重に」
第4話「矢のゆくえ」
第5話「兄との約束」
第6話「悪い知らせ」
第7話「敵か、あるいは」
第8話「いざ、鎌倉」
第9話「決戦前夜」
第10話「根拠なき自信」
第11話「許されざる嘘」
第12話「亀の前事件」
第13話「幼なじみの絆」
第14話「都の義仲」
第15話「足固めの儀式」
第16話「伝説の幕開け」
第17話「助命と宿命」
【ストーリー】番組サイトより
苛烈さを増す源平合戦。必死の抵抗をみせる平宗盛(小泉孝太郎)率いる平家軍に対し、源頼朝(大泉洋)は義経(菅田将暉)に四国、範頼(迫田孝也)に九州を攻めさせ、逃げ道をふさぎにかかる。しかし、範頼軍は周防で足止めをくらい、義時(小栗旬)・三浦義村(山本耕史)らが状況の打開に奔走。一方の義経軍も、後白河法皇(西田敏行)の命により摂津から動けずにいた。そんな中、梶原景時(中村獅童)の献策を一蹴した義経が……
脚本:三谷幸喜
・“戦の天才”義経を冷静に客観的に評価
さらに、「義経を戦場に出すな」という頼朝の命に抗して、一芝居を打って、義経参戦の流れを作った
…しかし、その一方で……
・戦における義経の功績を報告しつつ、その戦いぶりを《勝利の為なら手段を択ばず、人の情けを蔑ろにする》糾弾する
その後も、《法皇は義経を大事にしている》《「次の源氏の棟梁は義経である」という評判》などを強調し、頼朝が義経を排除するよう巧みに誘導した
景時の真意(思慮)は……
頼朝も義経も“神に選ばれている”と感じている。
そして、両者とも自分の思う道を進むには、手段を択ばない
………今回の義経は、荒天の中、船で四国に渡る強行をした(船乗りの功が大きい)。そして、壇ノ浦では敵軍とは言え、漕ぎ手を矢で射抜いた。
そんな両者が並び立つとは思えない!
景時は頼朝を選んだ。平家を滅ぼした今、義経自身が言うように「私はいくさ場でしか役に立たん」戦の将・義経に附くより、政治家・頼朝に附くのは、現実主義の景時には当然の選択だった。
もちろん、景時はその心を語らないので、真意をつかみ難い。本当は《勝つためなら何をしても良い》と周囲を振り回し、また、これまでの常識を無視し、情けを蔑ろにする義経が嫌いだった。あるいは、怖かった……その感情を優先させたのかもしれない。
ただ、思うに……頼朝が絶体絶命の窮地に陥った時、雷鳴などによって救われた際、この時、景時は《頼朝は神に選ばれている》と感じ、頼朝を見逃した。この時に、景時の腹は決まっていた。
今回の選択、《平家を滅ぼすのに義経を利用し、平家が滅亡したら用済みと義経を排除する》と初めから決めていたのかもしれない。
さらに深読みすると…頼朝が天下を取るためではなく、《どの選択をしたら、自分に都合がよいか》……景時は現実主義者であり、超自己主義者なのかも……
今回のテーマの一つとして《兄弟の情》
頼朝は義経排除に動いたが、政子の前では、平家滅亡の宿願を果たしたことで涙を流し、義経を褒めたたえた。
戦では非情な義経も、宗盛に親子の対面をさせるという温情を見せる。
………三谷氏は登場人物の多面性を描く。ただし、後白河法皇(西田敏行)と丹後局(鈴木京香)は一貫して、利己主義で我儘。法皇や貴族は、生まれながらに身分や権力を保持しているので、始末が悪い。
神に選ばれた兄弟が、《猜疑心が強い頼朝》《天才過ぎた義経》《景時の讒言》《法皇の我儘》などが重なり、図らずも決別することになってしまった。
さて、兄弟仲のねじれの一端は、義経が検非違使の任を授かったこと。
検非違使の人の話が出た時、たぶん、中原親能(川島潤哉)だったと思うが、「頼朝より、義経の任官の願い状(←呼称は適当)が出されていません」と進言したが、「それは、褒美が欲しくて戦をしていると思われたくなかったから私(義経)が辞退したのです」と述べた。つまり、頼朝は義経が朝廷の役職(位)について権力を持つのは避けたかったのだろう。頼朝の意向に反して、検非違使の任を受けてしまった義経…良いのか?と思ったが、それに対する頼朝や鎌倉方の直後の反応はなかったが、今話で義経のネックとなってしまった。(ネックを日本語では隘路(読み:あいろ、意味:支障など)というらしいが、初めて知った)
あと、手紙の代筆はダメだよね。
【その他の感想】
・八重の捨て身の顔墨も、大姫の心は開けず…無念
・安徳天皇や平家の女人は海に身を投げたのに、その場にいた宗盛は生き残ったのか
・“いい人その2”(“その1”は土肥実平(阿南健治)、“その3”は畠山重忠(中川大志))の源範頼は、義村など板東武者から“クソ真面目なカバ殿”と揶揄されるが、まじめに必死に神器を探していた。
・地元民と義経たちの芋煮会。「いきなり海に言ったよね」とか「富士山にも登ったよな」とか合宿のノリ。
第1話「大いなる小競り合い」
第2話「佐殿の腹」
第3話「挙兵は慎重に」
第4話「矢のゆくえ」
第5話「兄との約束」
第6話「悪い知らせ」
第7話「敵か、あるいは」
第8話「いざ、鎌倉」
第9話「決戦前夜」
第10話「根拠なき自信」
第11話「許されざる嘘」
第12話「亀の前事件」
第13話「幼なじみの絆」
第14話「都の義仲」
第15話「足固めの儀式」
第16話「伝説の幕開け」
第17話「助命と宿命」
【ストーリー】番組サイトより
苛烈さを増す源平合戦。必死の抵抗をみせる平宗盛(小泉孝太郎)率いる平家軍に対し、源頼朝(大泉洋)は義経(菅田将暉)に四国、範頼(迫田孝也)に九州を攻めさせ、逃げ道をふさぎにかかる。しかし、範頼軍は周防で足止めをくらい、義時(小栗旬)・三浦義村(山本耕史)らが状況の打開に奔走。一方の義経軍も、後白河法皇(西田敏行)の命により摂津から動けずにいた。そんな中、梶原景時(中村獅童)の献策を一蹴した義経が……
脚本:三谷幸喜
ちょこっとだけ書きますね。
宗盛さんは泳ぎがうまかったので、
なかなか溺れられなかったそうです・・・・。
(なんのこっちゃ・本当は、多分息子の事が気がかり
だったのでしょうね。)
ではではっ。
なるほど、息子のことが気がかりで、生きのびたのですね。義経の計らいで、息子と対面できたのは良かったです。
それに比べて、安徳天皇が不憫です。
「海の底にはもっと良い都があります」と騙されて?海に身を任せたのですから。
上記の有名なセリフを使わなかったのは、三谷氏のプライドかもしれません。