英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

女流3題 「その2」

2016-07-12 16:35:03 | 将棋
「その1」の続きです。


 後手長谷川女流二段の攻めの間隙をぬって、4筋に2枚の成駒を作り、一歩早く敵陣に迫る手筈を整えた斎田女流五段が、▲5三とを楽しみに、△4五桂に▲4六銀上とかわしたところだが、次の一手を見て「▲5三とと攻めた方が良かった」と後悔することになった。

 △6四飛!

 5五の銀の利きに自ら飛び込む一手。
 しかし、この手によって、陰になっていた角の利きが通り、▲6四同銀ならば△4六角が抜群の味良い手となる。
 ▲6四同角△同歩で飛車角交換で収まってみると、先手玉の不安定さが気になる。と言っても、後手も▲5二とから清算する手がいつでもあり、その間合いを計るのが難しい。
 そのまま、際どい寄せ合いが展開されるかと思われたが、斎田女流五段が▲4五銀と手を戻し、後手の攻めを面倒見る流れとなった。

 その後、大駒が振り替わったり、更に打ち合ったりと、細かい攻防(斎田の受け、長谷川の攻め)が繰り広げられ、第1図は受け切ることが困難と判断した斎田女流五段が▲3七玉といなしに掛かったところ。

 実戦的な一手で、この手が長谷川女流二段の指し手を狂わせた。
 △4八金!

 “数の攻め”で着実な一手と言いたいが、次に3八の金を取ったとしても、「金を打って金を取った」ことになり、金得ではあるが、実質的には「1手+金」→「金」とあまり得とは言えない。しかも、4七の歩や5九の龍はすぐには働きそうもなく、その上、玉の上部脱出を助長させる危険性もある。教え子が指したら、厳しく叱責するような手だ。
 ここで斎田女流五段は▲4六玉と指したが、金を取らずの△6七馬が好手で、▲6四銀と上部脱出を図ったものの△5七龍で捕まってしまった(即詰み)。
 △4八金を見ると▲4六玉と逃げたくなった気持ちは良く分かる。しかし、本局の場合の▲4六玉は、後手の馬と龍の機動力が生きてしまう“やぶ蛇”の一着だったのだ。△6七馬に①▲6二角成は△5七馬で詰み、②▲4四銀や▲3四銀には△5六馬で詰み、③▲6四銀(本譜)も△5七龍で詰んでしまう。普通は、どれかが詰みを免れるのだが、不運であった。

「前手△4八金の寄せでは不安でした。実際に見直すと、ここで▲6二桂成はあったかもしれません。以下△3八金▲4六玉△6七馬▲5八金で……これは秒読みではとても読みきれません」と、長谷川は話す。強く▲6二桂成とすれば勝負はどうなっていたかわからかったようだ」(by棋譜中継解説)。

 ところで、第2図では▲1四桂はなかったのだろうか?

 3四ではなく1四に跳ねるのがミソで、1四の地点を埋めておけば、先手玉を寄せ難くなっている。また、3五の角も後手玉を攻める駒ではあるが、2四に駒を打たれた時に▲2四同角と切ってしまう役割を優先させるのが肝要。
 先手が勝つには時間がかかるが、相当勝ちやすいはずだ。

【続く】
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2016年参議院選挙 ~憲法改正草案の危険な匂い~

2016-07-12 13:27:55 | 時事
前記事「2016年参議院選挙 ~自民党公明党が大勝~」の続きです。

 選挙の争点にはならなかったが、自民党が提示した草案を見て……
 ……安易に使用してはならない言葉だが、“ファシズム”への傾きを感じさせるものだった。


 検索して、自民党草案に関する分析をを読むと、そう感じたのは私だけではないようだ。

「【真剣に考えよう】自民党の憲法改正草案、問題点を超ざっくり分かりやすく紹介! 」『ゆるねとにゅーす』
『【自民党憲法改正草案】見やすい対照表で現憲法との違いが分かる!』
「森永卓郎の戦争と平和講座 第53回“自民党憲法改正案の本質”」『マガジン9』
 詳しくは、紹介したページを読んでいただくとして(私が書くより確かであろう)、引っ掛かりが強い点をいくつかあげる。

前文
 憲法の前文は、理念と目的を示し、この憲法の根本の柱となる精神(方針)を明らかにしたものだと考える。
 現行憲法においては、「主権は国民にあり、国民は福利を享受するものでなければならない」「国民は恒久な平和を念願し、それを達成するよう努めるべし」と要約されるが、自民党草案では“国民主権”“平和主義”“世界の平和”という文言は記されているが、“司法三権に基づいて統治される”家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する”“国を成長させる”という表現があり、国家主義を思わせる内容のように感じる。

 根本理念ともいえる前文をこんなに変容させていいのだろうか?
 この前文を読んだだけで、現行憲法とはかなり違うものに改変しようとする意図が見えてくるのだが……



第1章 天皇
第一条 「天皇は、日本国の象徴」→「天皇は、日本国の元首
第三条【新設】 「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする」「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなけれならない」

 「象徴」と「元首」のどちらに権力を感じるのか?
 「国旗及び国歌に関する法律」(1999年8月13日に公布・即日施行)で規定されているのに敢えて憲法で規定したのはなぜ?


第2章 安全保障
国防軍という条項を新設
 “国防軍”て?……「軍」だよね。 「自衛」と「国防」の表現も強硬さが増していない?


第3章 国民の義務及び権利
第十二条 国民の責務
現行憲法
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
 国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、

 常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ

自民党草案
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
 国民の不断の努力により、保持されなければならない。
 国民は、これを濫用してはならず、
 自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、
 常に公益及び公の秩序に反してはならない


 “公共の福祉”と“公益及び公の秩序”は似ている表現であるが、“国民”より“国家”のためという色合いが濃いように思える。


第十三条 人としての尊重等
現行憲法
「すべて国民は、個人として尊重される。
 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

自民党草案
「全て国民は、人として尊重される。
 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
 公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない


 ここでも“公共の福祉”を“公益及び公の秩序”に言い換えている。さらに「個人として尊重される」が「人として尊重される」と言い換えてあり、個人を軽視していると考えられる。


第二十一条 表現の自由
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」
という項目は同じだが、自民党草案には項目2として
「前項の規定にかかわらず、
公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」

 という表記が加えられている。

 これだと、国家の判断で、表現や結社は統制されることになる。


第11章 最高法規
102条 憲法尊重擁護義務
「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」

 わざわざ新設して、念を押している。


この他、「第9章 緊急事態」も、緊急事態と判断されれば(判断基準があいまい)、総理大臣に権力が集中できるなど、相当危険な臭いがする。

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