デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

義父死す

2022-01-07 05:56:39 | デラシネ日誌
雪が溶けずに凍結しているので当然歩くのは無理。家の回りは坂になっているので、しばらくは外に出るのはやめておいた方がよさそう。それでも陽差しもあり、温度も高くなっているので、溶けるのは早いだろう。娘から家の回りの雪の状態を訊ねるラインが入ったので、写メをとって送り、ゆっくり出てくるようにコメントしておく。
義父が先月30日に酸素吸入できるいままでと同じ系列のホームに移ったのだが、そこから電話、血中酸素が低く、血圧も測れないという。救急車の搬送をお願いしたが、50台待ちの状態だという。とりあえず妻がホームのある磯子に向かう。娘に事情を説明、今日来ることはやめるようにラインする。かなりの渋滞のなか着いた妻からライン、妻が着いて20分ぐらいしてから呼吸が止まった状態になったという。ホーム専属の医者がいま向かっているので、その診察を待たなければならないが、亡くなったということだ。
隣の義母にその旨伝え、タクシーを呼ぶ。予想していたようになかなか電話が繋がらなかったが、なんとか20分ぐらいして出で、幸い10分ぐらいで来るという。16号線は上下ともかなりの渋滞だが、13時すぎには到着。義父の部屋に案内される。穏やかな顔で眠っていた。おもわず「ご苦労さま」という言葉が出る。まもなく医者がやってきて、臨終を確認。
義父は3年前の夏に認知症がひどくなり、さらに肺炎を起し、入院、一時はこのままかと思われたが、持ち直し、ただ家での看護は無理とのことで、そのまま民間の老人ホームに入所した。このころは会いに行ってもほとんど私が誰かはわからなかった。その後コロナで家族も面会に行けなくなったが、ホームからは随時連絡が来ていて、元気でやっていたようだ。やっと去年義母と妻が会いにいったときは、ほとんど誰かわからなかったようだ。去年自分の父が入院した時に緊急搬送され、そのまま入院、もしかしたら立て続けに葬式をすることになるのかと思ったこともあったが、持ち直し、父の葬儀の翌日に退院した。その後2度緊急搬送され、12月2度目に入院したときは、妻も覚悟をしていた。ただこの時も持ち直し、年末30日に退院した。いままで3年半世話になったホームには酸素吸入はできないということで、系列でそれができるホームに引っ越ししたばかりであった。
ホームの人の話だと朝食もきちんと食べたという。96才、あっぱれな最期といえよう。
檀家になっているお寺に連絡、それから葬儀社を紹介してもらい、まもなく遺体を引き取ってもらう。引き取りに来る前に、家族で相談、こんな時期だし、またオミクロン感染が広がっているので、家族葬、通夜なしの一日葬とすることにする。相変わらず渋滞が続く中、葬儀場に向かう。安置されたところでお線香だけあげさせてもらう、細かいことは明日打ち合わせということで、引き上げる。
16時過ぎ帰宅。ふたりとも昼飯はまだだったので、即席ラーメンをつくって食べる。
昨日の大雪のなかでなくて良かったな、そしてなにより救急車で運ばれて病院に行くより、ホームで静かに最期を迎え、しかもそれに妻が立ち会えたことは良かったなと話す。
お義父さん、ほんとうに長い間ご苦労さまでした。

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