※ 加齡による目の衰へが進み、ブログの定期更新が難しくなつてきました。文法項目中心の記事が今囘で一應區切を迎へたのを機に、今後は目をいたはりながらの「不定期更新」とさせていただきます。齡には勝てません。
なほ、過去記事は當面このままにしておきますので、適宜ご利用ください。
-でゞむ子拜
[用例研究 235] 〈Can you believe it〉
(BLONDIE By Dean Young & Stan Drake © 1993 King Features Syndicate Inc.)
1 Julius, tell me you love me.
1 I love you.
2 Am I the best-looking thing you’ve ever seen?
2 Yes, you are, dear.
3 Aren’t you lucky you found me?
3 Very lucky.
4 Can you believe it ... Even after all these years, the old goat is still a hopeless romantic.
[解説]
2
・Yes, you are: つまり you are the best-looking thing I’ve ever seen といふわけです。
・dear: 呼びかけのことばで、夫婦・親子など親しい人に用ゐて親愛の氣持を傳へます。
3
・Aren’t you lucky you found me?: lucky と判斷を述べ、そのあとに(that)節を續けて理由とする文體です。「~するとは幸運である」。ここは「私を見つけたことがあなたの幸運の理由ではないか」、つまり「ワタシをみつけて幸運(/幸せ)ぢやなくつて?」と否定疑問文で訊ねてゐます。
□參考例文
235 You're lucky that you married such a nice person.
あんないい人と結婚して果報者(/幸せ)だね。
4
・Can you believe it: 疑問符がありませんが、輕い問ひかけのかたちで、自分の主張を續けてゐるのでせう。「それつて信じられる?(/信じられないことだけど)」といつたところでせうか。
Can you believe it と it を先に出して、後からこの it が指す内容を説明してゐるやうに見えます。「豫備のit」(「先行のit」「導入のit」とも)のやうなもので、形式目的語に似たはたらきをしてゐるのではないかと思ひます。
類例として believe it or not があります。口語で「こんなことを言つても信じないだらうが」「驚くなかれ」といつた意味で、同名の新聞コラムがありました。
・even after all these years: 知合つてから老齡にいたる今日までの歳月を意味してゐると解して、「何十年を經つてるのに」としてみました。文脈によつて年の長さは變はる可能性があります。
・old goat: 俗語で、an elderly man who is disliked, especially for being mean to or disapproving of young people といつた説明がみつかります。言外に侮蔑(insulting)と好色(lecherous)を匂はせるニュアンスのあることばです。elderly は old よりも若く60歳前後の年輩の人を意味します。適切な譯語が見つからず、やむなく「ぢぢい(爺)」としてゐます。
[意味把握チェック]
1 「愛してるつて言つて、Julius」
1 「愛してるよ」
2 「ワタシは一番の器量よしなの?」
2 「ああ、その通り」
3 「ワタシをみつけたこと、幸運ぢやない?」
3 「頗る、な」
4 「信じられないわ... 何十年も經つてるのに、このぢぢいつたら未だに救ひやうのないロマンチストなんだから」
[笑ひのポイント]
・Cora の滿足げな表情とJulius の苦蟲を噛みつぶしたやうな表情との對比が笑ひを誘ひます。背景に、奧さんに頭のあがらない亭主といふ設定があります。
Julius がニコリともせず I love you / You are the best-looking thing I’ve ever seen / I am lucky I found you といつた意味のことばを發してゐます。それを口にする動機は、ひとつには奧さんの強さにあるのでせうが、さらには人間關係を圓滑にするといふはたらきを期してゐるやうにも見えます。かうしたことばは米人女性が夫に言つてほしいことばなのかもしれません。
「米國社會では、言つたことが傳はり、言はないことは理解されない」との説明を米國人から受けたことがあります。その時は、人にもよるだらうし、人間關係の深さにもよるのではないかと疑問を覺えました。しかし、文化背景がさまざまであるため、特に親しい人でもなければ、發せられることばがそれなりの重みをもつのかもしれません。