戦後の自虐史観の仕掛け 人はGHQだと思ってましたが、それだけではなかったようです。何時もの頂門の一針に第 5136回の「容共左派」でも取り上げた平井さんが書いてくれています。この平井さんは私より 少し下で元過激派だったそうですが、考え方が私と良く似ている気がします。私も、良く染まらなかったもので す。
とは言いながら、第 927話の「岡本兄弟」のハイジャック犯岡本武とふすま一枚の隣同士の部屋に住んでいながら、 顔を見るだけでそむけあっていたくらいあちらの思想とは縁がなかったのが幸運だったのかも。ちょっと間違え ば、ラケットをゲバ棒に持ち替えていたなんてことも可能性がなきにしもあらずです。危なかったのかも。
頂門の一針よ り
頂 門の一針3136号 2013・11・24(日)
日 本非難の本ばかり(2) 平井 修一
終戦から間もなく70年になろうとしているのに「日本悪者論」「自虐史観」は相変わらずだ。なぜ そのような自国を侮蔑、憎悪する論が続いているのだろう。
レーニンはこう言った。
「祖国を“世界一悪い国、恥ずべき国” という史観を各国の青年に植えつけなくてはいけない。愛国心を一掃すれば青年は祖国を憎悪して反逆し、共産主義 革命がしやすくなる」
日共の志賀義雄もこう言った。
「日本では武装闘争のない平和革命路線 でいい。教師に反日思想を植えつければ青少年も反日になるから自然と革命に向かっていく」
日共は綱領で「日本の社会主義的変革の 出発点となるのは、国家権力そのものが不必要になる社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成 である」としている。
国家を消滅させるためには国民に愛国心 を持たれたら困る。だから反日、侮日、憎日で国民を洗脳しているわけだ。まっとうな国史はもとより国旗、国歌も 絶対だめなのだ。その思想を植え付ける尖兵が赤い教師と赤い記者である。
奥野誠亮(せいすけ、せいりょう、元衆 議院議員、自民党)は1913年(大正2)生まれの100歳である。 1988年(昭和63)に衆議院決算委員会で日中戦争について「あの当時日本に侵略の意図はなかった」と発 言して批判を浴び国土庁長官を辞任した。今年の7月に産経新聞の取材にこう語っている。
<若い人たちにお願いしたいことがあり ます。一つは、自分たちの国は、天皇を頂点に戴(いただ)く国柄だと知ってほしい。戦後復興の大本になったのは 昭和天皇の全国ご巡幸です。占領軍は苦虫をかみつぶしたように眺めていましたが、国民は全国津々浦々で本当に喜 び、それが復興の意欲になりました。
国柄は歴史を重ねて形成されるもので、 作ろうと思ってもできない大切なものなのです。
もう一つは、戦後、自分の国を「悪い国 だ、悪い国だ」という風潮が続いているのを改めてほしい。日本は閣議決定で、さきの戦争の呼び名を「大東亜戦 争」と決めました。占領軍はこれを禁句にし、今も従っている人たちがいます。日本人は大東亜戦争を戦ったので す。そう呼ばなければあの戦争の意味合いは分かりません。自虐史観から抜け出してほしいのです>(2013.7.26)
かつて自民党総務会で、野中広務が「創 氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を糾弾したことがある。そのとき奥野がこう言った。
「野中君、君は若いから知らないかもし れないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売 がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私 なんだ」
これを聞いて野中は中座して出ていって しまった。居合わせた野呂田芳成(防衛庁長官)は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を聞かせていただきま した」と感激していたという。
「大東亜戦争の総括」に収録されている 奥野(歴史・検討委員会顧問)と講師として招かれた安村廉(きよし、産経新聞論説委員)のやり取りが興味深いの で紹介する。
■奥野 政治部の記者と(大東亜戦争に ついて)話をするとよく分かっているんですが、社会部の記者たちは日本を冒涜することをもって得々としている。 どうしてこう政治部と社会部と違うのかなと。
社会部は人の目を引きたい、何か変わっ たことを書いて引きつけたいのかもしれないけれど、ちょっと差がひどすぎるなと思うんですよ。
かつて参議院の本会議で戦争についての 所見をもとめられたから「昭和12年7月7日の盧溝橋事件が発端だと思 いますよ。ライシャワー氏の『ジャパン』という本の中に『偶発的な事由によって起こった』と書いてあった。
私もそう思っています」と答えたら、記 者がワーッと来ちゃった。いい機会だから私は(国土庁長官を)辞めさせてもらった。
マスコミのいろんな方が取材に来られた けれども、どうせまともに書いてくれないだろうと思ったものだから何も言わなかった。そうしたら文藝春秋社から 「ぜひ会いたい。言われたとおりに書きます」というので「文藝春秋」だけに申し上げた。
そうしたらマスコミの記者さんが何人か 「私たち不勉強です。私たちも勉強しなきゃならんと思いました」と言ってくれた。
今も当時と事情はひとつも変わっていま せん。日本を悪く言って喜んでいるんだなあ。それで後に続く若者が日本をさらに良くしようという気持ちをもって くれるもんだろうか、やっぱり誇りを失わせないようにしたいんだということはしょっちゅう言っているんですけれ ども、マスコミや一般的な風潮はあんまり変わっていない。
産経新聞を除いて、特にちゃんとした新 聞があるだろうかなという気が時々するんですよね。この辺、どうやったらいいか教えていただけたらありがたいな と。(つづく)(2013/11/22)
やはり共産党の考えがあったんです ね。両方から工作されていたのですから、人の良い日本人は簡単に騙されてしまったということなのでしょうか。
それにしても、奥野さ ん、私も顔は覚えていますが、当時、こんな立派なことを言ってたんですね。それが、マスコミによって下ろされ る。このパターンはどれだけ見せられてきたでしょうか。
最近になってやっとマスコミの煽りに気が付いた人が増えてきて、以前ほどは騙される人が減ったとはい え、まだまだマスコミの力は強烈です。
日本人の大半が目覚めて、昔の日本人の精神を取り戻すことは果して可能なのか、それとも、このまま落ち ていくのか。心配ではありますが、私のような人間にどうこうできる訳もなく、ただ祈るだけしかないのも辛い ですね。どうか日本人が目覚める日が来るように。