1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。
ちょうど子供の日になりますが、その時からスーパーフェザー級の選手を紹介しています。ヘナロ エルナンデス(米/帝拳)がその一番手を勤めました。5月19日に同級の2番手はWBC王座を獲得したジェシー ジェームス レイハ(米)。そして今回、スーパーフェザー級の最終回を飾るのはアセリノ フレイタス(ブラジル)。同級とライト級で当時の強豪達と拳を交えながら、その2つの階級で計4つの世界王座を獲得しました。フレイタスのニックネーム(あくまで日本のみだと思いますが)は「ブラジリアン ボンバー」。ちょうど来月から同国でリオ五輪が開催されるため、まさに時を得た登場といっていいでしょう。
(「ブラジリアン・ボンバー」アセリノ フレイタス)
フレイタスの通算戦績は40勝(34KO)2敗(2KO負け)。KO率は81%と流石といいたいんですが、デビューから29戦の全てをKO/TKO勝利で収めていただけに、もう少し高いかと思っていました。身長は168センチとやや小柄で、リーチも170センチ。体格的にはそれほど凄みのある選手ではありませんでした。しかしそのボクシングは野性味あふれるまさに豪快そのもの。個人的に好きなタイプのボクサーは、基本に忠実であり、それに加えて勝負強さがある選手です。フレイタスは自分の支持する型の選手ではありませんでしたが、その躍動感に満ちたボクシングは、見ていて本当に楽しかったです。
フレイタスが活躍した当時のスーパーフェザー級には無敗の世界王者が4人君臨していました。WBAにはキューバ出身の技師ホルへ カサマヨール。WBCにはあのフロイド メイウェザー(米)が同級で初の世界王座を獲得。IBFには長身のハード・パンチャー ディエゴ コラレス。そしてWBOにはフレイタス。同級のみでの実績、実力を見た場合、フレイタスが若干ではありますが他の3選手を上回っていたのでは、と思います。この4選手の同士の対戦は、いくつかではありますが実現しました。2002年1月にフレイタスとカサマヨールがそれぞれの王座を賭け対戦。フレイタスが僅かの差で勝利を収め、王座統一に成功しています。フレイタスがコラレスと対戦したのは2004年8月、同級ではなく一つ上のライト級で。その時はコラレスがその圧力でフレイタスの強打を飲み込んでしまいました。コラレスとカサマヨールはライト級で3度の大激戦を行い、カサマヨールからみて2勝(1KO)1敗。メイウェザーはコラレスとのみ対戦し、その時は長身のライバルを寄せ付けずにTKO勝利を収めています。見たかったですね、メイウェザー対フレイタス、又はメイウェザー対カサマヨールという戦いを。
話をフレイタスに戻しましょう。フレイタスについて簡単に調べてみたのですが、1992年のバルセロナ五輪にフライ級で出場していたんですね。2回戦で敗退しているんですが、フレイタスがそれほどのアマ歴があるとは知りませんでした。
フレイタスのプロ・デビューは1995年の7月14日。翌年8月に行ったプロ6戦目のリングでは早くもタイトル戦のリングに登場し、WBCの旧スペイン語圏(Mundo Hispana)王座を獲得しています。その後も当然の如くKO勝利で連勝を続けていったブラジリアン・ボンバー。その過程でIBFラテン、ブラジル国内、NABO王座を吸収していきます。意外に思うのですが、ここまでのフライタスが奪取した王座は全てライト級で獲得しています。
フレイタスが最初の世界王座であるWBOスーパーフェザー級王座を獲得したのは1999年の8月。20戦全勝全KOの勢いに乗って、当時の王者でその技術を評価されていたアナトリー アレキサンドルフ(カザフスタン)に第3国であるフランスのリングで挑戦。実力者が相手だっただけに、フライタスの苦戦、あるいは敗戦も予想されていました。しかしそんな不安な雰囲気も僅か101秒で粉砕してしまいました。
見事な世界戴冠劇を演じたフレイタスですが、王座奪取後もその勢いを止めることを知りません。母国ブラジル、北米や欧州のリングを転戦して行きながら白星、KO勝利、そして世界王座の防衛記録を伸ばしていきます。しかしその全KO記録もついに終わる時が来ました。2001年9月に米国・フロリダ州のリングで無冠戦のリングに登場したフレイタス。元3階級下のWBOバンタム級王者アルフレド コティー(ガーナ)を終始攻め続けますが結局はKOすることが出来ず。全勝記録を30に伸ばすも、連続KO記録は29で止まってしまいました。
翌年1月、フレイタスが31戦目にして世界王座統一戦という大舞台のリングに登場します。フライタスが向えた相手はWBA王座を保持するカサマヨール。前半戦は攻撃という勢いで上回るフレイタスが試合をリード。3回にはキューバ人がバランスを崩したところにパンチを当てたブラジル人がダウンを奪い、また6回にはブレイク後にパンチを放ったとしてカサマヨールが減点1を科されています。中盤戦以降カサマヨールもジリジリと追い上げ体勢に入り、試合は五分五分のまま終了。結局は議論を呼ぶ僅差の判定の末ブラジル人が王座統一に成功しています。
(論議を呼んだカサマヨールとの王座統一戦)
その後減量苦が囁かれる中、スーパーフェザー級王座の防衛回数を伸ばしていったフレイタス。WBO王座に関していえば10度の防衛に成功しています。2003年8月に行われたスーパーフェザー級卒業試合となったホルへ バリオス(亜)の凄かった事。両者が試合後半に2度ずつダウンを喫する激しいものでした。
(大激戦だったバリオス戦)
2004年1月、ライト級に主戦場を移したフレイタスはWBO王座の保持者アルツロ グレゴリアン(ウズベキスタン)に挑戦。その王座を17度も守ってきた実力者を飲み込む形で圧勝し、難なく2階級制覇に成功。ライト級でも活躍が期待されました。しかし現実はフライタスに対し厳しい試練を与えます。ライト級王座の初防衛戦で同じくスーパーフェザー級からの転向組コラレスと対戦したフレイタス。コラレスはフレイタス以上に新しい階級の体重に適しており、フライタスの強打がまったく通じません。結局は10回TKOで破れ、王座から転落してしまったフレイタス。36戦目で初の黒星となりました。
(その強打が通じなかったコラレスとの防衛戦)
その後同王座に返り咲くことに成功したフレイタスですが、以前の爆発力はまったくといっていいほど影を潜めてしまいました。2007年4月、ライト級でもWBA王座の吸収を図った元ボンバーですが、当初波に乗りまくっていたファン ディアス(米)の前に完敗。8回終了時にギプアップすると同時に、現役からの引退を発表しました。
(正直不甲斐なかったディアスとの王座統一戦)
フレイタスが獲得した王座(獲得した順):
WBCスペイン語圏ライト級:1996年8月16日獲得(防衛回数0)
(*プロデビュー僅か6戦目にして12回戦に出場し、同王座を獲得しています。)
IBFラテン・ライト級:1997年4月22日(0)
ブラジル国内ライト級:1998年5月29日(1)
NABOスーパーフェザー級:1998年10月16日(1)
WBOスーパーフェザー級:1999年8月7日(10)
WBAスーパーフェザー級:2002年1月12日(3)
(*WBOとの統一王座)
WBOライト級:2004年1月3日(0)
WBOライト級:2006年4月29日(0)
(*王座に返り咲き)
ディアス戦後2012年6月と、昨年8月に突如リングに復帰。10回戦で行ったその2試合はそれぞれスーパーウェルター級(154ポンド)のリミットで戦っています。腹回りには余分な物が付いていましたが、中々のリングパフォーマンスを見せKO、TKO勝利を収めています。しかし何のための再起だったのでしょうか?その後再起第3戦目を行うとの情報がありましたが、結局は実現されず。その後リング復帰に関するニュースは聞かれません。
ディアス戦後の一時引退時から、故郷であるブラジルの共和党の議員として手腕を振るったり、故郷のサルバドールのスポーツ大使を務めたりと中々の活躍をしているようです。来月から行われる五輪でも、その姿が見られるかもしれませんね。
ちょうど子供の日になりますが、その時からスーパーフェザー級の選手を紹介しています。ヘナロ エルナンデス(米/帝拳)がその一番手を勤めました。5月19日に同級の2番手はWBC王座を獲得したジェシー ジェームス レイハ(米)。そして今回、スーパーフェザー級の最終回を飾るのはアセリノ フレイタス(ブラジル)。同級とライト級で当時の強豪達と拳を交えながら、その2つの階級で計4つの世界王座を獲得しました。フレイタスのニックネーム(あくまで日本のみだと思いますが)は「ブラジリアン ボンバー」。ちょうど来月から同国でリオ五輪が開催されるため、まさに時を得た登場といっていいでしょう。
(「ブラジリアン・ボンバー」アセリノ フレイタス)
フレイタスの通算戦績は40勝(34KO)2敗(2KO負け)。KO率は81%と流石といいたいんですが、デビューから29戦の全てをKO/TKO勝利で収めていただけに、もう少し高いかと思っていました。身長は168センチとやや小柄で、リーチも170センチ。体格的にはそれほど凄みのある選手ではありませんでした。しかしそのボクシングは野性味あふれるまさに豪快そのもの。個人的に好きなタイプのボクサーは、基本に忠実であり、それに加えて勝負強さがある選手です。フレイタスは自分の支持する型の選手ではありませんでしたが、その躍動感に満ちたボクシングは、見ていて本当に楽しかったです。
フレイタスが活躍した当時のスーパーフェザー級には無敗の世界王者が4人君臨していました。WBAにはキューバ出身の技師ホルへ カサマヨール。WBCにはあのフロイド メイウェザー(米)が同級で初の世界王座を獲得。IBFには長身のハード・パンチャー ディエゴ コラレス。そしてWBOにはフレイタス。同級のみでの実績、実力を見た場合、フレイタスが若干ではありますが他の3選手を上回っていたのでは、と思います。この4選手の同士の対戦は、いくつかではありますが実現しました。2002年1月にフレイタスとカサマヨールがそれぞれの王座を賭け対戦。フレイタスが僅かの差で勝利を収め、王座統一に成功しています。フレイタスがコラレスと対戦したのは2004年8月、同級ではなく一つ上のライト級で。その時はコラレスがその圧力でフレイタスの強打を飲み込んでしまいました。コラレスとカサマヨールはライト級で3度の大激戦を行い、カサマヨールからみて2勝(1KO)1敗。メイウェザーはコラレスとのみ対戦し、その時は長身のライバルを寄せ付けずにTKO勝利を収めています。見たかったですね、メイウェザー対フレイタス、又はメイウェザー対カサマヨールという戦いを。
話をフレイタスに戻しましょう。フレイタスについて簡単に調べてみたのですが、1992年のバルセロナ五輪にフライ級で出場していたんですね。2回戦で敗退しているんですが、フレイタスがそれほどのアマ歴があるとは知りませんでした。
フレイタスのプロ・デビューは1995年の7月14日。翌年8月に行ったプロ6戦目のリングでは早くもタイトル戦のリングに登場し、WBCの旧スペイン語圏(Mundo Hispana)王座を獲得しています。その後も当然の如くKO勝利で連勝を続けていったブラジリアン・ボンバー。その過程でIBFラテン、ブラジル国内、NABO王座を吸収していきます。意外に思うのですが、ここまでのフライタスが奪取した王座は全てライト級で獲得しています。
フレイタスが最初の世界王座であるWBOスーパーフェザー級王座を獲得したのは1999年の8月。20戦全勝全KOの勢いに乗って、当時の王者でその技術を評価されていたアナトリー アレキサンドルフ(カザフスタン)に第3国であるフランスのリングで挑戦。実力者が相手だっただけに、フライタスの苦戦、あるいは敗戦も予想されていました。しかしそんな不安な雰囲気も僅か101秒で粉砕してしまいました。
見事な世界戴冠劇を演じたフレイタスですが、王座奪取後もその勢いを止めることを知りません。母国ブラジル、北米や欧州のリングを転戦して行きながら白星、KO勝利、そして世界王座の防衛記録を伸ばしていきます。しかしその全KO記録もついに終わる時が来ました。2001年9月に米国・フロリダ州のリングで無冠戦のリングに登場したフレイタス。元3階級下のWBOバンタム級王者アルフレド コティー(ガーナ)を終始攻め続けますが結局はKOすることが出来ず。全勝記録を30に伸ばすも、連続KO記録は29で止まってしまいました。
翌年1月、フレイタスが31戦目にして世界王座統一戦という大舞台のリングに登場します。フライタスが向えた相手はWBA王座を保持するカサマヨール。前半戦は攻撃という勢いで上回るフレイタスが試合をリード。3回にはキューバ人がバランスを崩したところにパンチを当てたブラジル人がダウンを奪い、また6回にはブレイク後にパンチを放ったとしてカサマヨールが減点1を科されています。中盤戦以降カサマヨールもジリジリと追い上げ体勢に入り、試合は五分五分のまま終了。結局は議論を呼ぶ僅差の判定の末ブラジル人が王座統一に成功しています。
(論議を呼んだカサマヨールとの王座統一戦)
その後減量苦が囁かれる中、スーパーフェザー級王座の防衛回数を伸ばしていったフレイタス。WBO王座に関していえば10度の防衛に成功しています。2003年8月に行われたスーパーフェザー級卒業試合となったホルへ バリオス(亜)の凄かった事。両者が試合後半に2度ずつダウンを喫する激しいものでした。
(大激戦だったバリオス戦)
2004年1月、ライト級に主戦場を移したフレイタスはWBO王座の保持者アルツロ グレゴリアン(ウズベキスタン)に挑戦。その王座を17度も守ってきた実力者を飲み込む形で圧勝し、難なく2階級制覇に成功。ライト級でも活躍が期待されました。しかし現実はフライタスに対し厳しい試練を与えます。ライト級王座の初防衛戦で同じくスーパーフェザー級からの転向組コラレスと対戦したフレイタス。コラレスはフレイタス以上に新しい階級の体重に適しており、フライタスの強打がまったく通じません。結局は10回TKOで破れ、王座から転落してしまったフレイタス。36戦目で初の黒星となりました。
(その強打が通じなかったコラレスとの防衛戦)
その後同王座に返り咲くことに成功したフレイタスですが、以前の爆発力はまったくといっていいほど影を潜めてしまいました。2007年4月、ライト級でもWBA王座の吸収を図った元ボンバーですが、当初波に乗りまくっていたファン ディアス(米)の前に完敗。8回終了時にギプアップすると同時に、現役からの引退を発表しました。
(正直不甲斐なかったディアスとの王座統一戦)
フレイタスが獲得した王座(獲得した順):
WBCスペイン語圏ライト級:1996年8月16日獲得(防衛回数0)
(*プロデビュー僅か6戦目にして12回戦に出場し、同王座を獲得しています。)
IBFラテン・ライト級:1997年4月22日(0)
ブラジル国内ライト級:1998年5月29日(1)
NABOスーパーフェザー級:1998年10月16日(1)
WBOスーパーフェザー級:1999年8月7日(10)
WBAスーパーフェザー級:2002年1月12日(3)
(*WBOとの統一王座)
WBOライト級:2004年1月3日(0)
WBOライト級:2006年4月29日(0)
(*王座に返り咲き)
ディアス戦後2012年6月と、昨年8月に突如リングに復帰。10回戦で行ったその2試合はそれぞれスーパーウェルター級(154ポンド)のリミットで戦っています。腹回りには余分な物が付いていましたが、中々のリングパフォーマンスを見せKO、TKO勝利を収めています。しかし何のための再起だったのでしょうか?その後再起第3戦目を行うとの情報がありましたが、結局は実現されず。その後リング復帰に関するニュースは聞かれません。
ディアス戦後の一時引退時から、故郷であるブラジルの共和党の議員として手腕を振るったり、故郷のサルバドールのスポーツ大使を務めたりと中々の活躍をしているようです。来月から行われる五輪でも、その姿が見られるかもしれませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます