DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

さらば、レオン スピンクス

2021年03月22日 05時31分29秒 | ボクシングネタ、その他雑談

現役時代、そして引退後もリング内外で話題を提供し続けた元世界ヘビー級王者のレオン スピンクス(米)が先月5日に逝去されました(享年67歳)。心よりご冥福をお祈りいたします。

私(Corleone)にとってレオン スピンクスは、記事でのみ知る選手です。調べれば調べるほど、リング内外で色々と話題になった方だったという事が分かってきました。

スピンクス氏はアマチュアで3年連続全米王者となり、その集大成として1976年に行われたモントリオール五輪に出場。ライトヘビー級で金メダルを獲得しています。178勝(133KO)7敗という見事なアマチュア歴を残したスピンクスはオリンピックが行われた翌年にプロデビュー。モントリオールから僅か2年後の1978年2月、プロ僅か8戦目で伝説のモハメド アリ(米)を破り世界ヘビー級王座を奪取してしまいました。

(プロ8戦目で、あのモハメド アリを破り世界ヘビー級王座を獲得してしまったスピンクス)

ここまでの実績のみを振り返って見ると、スーパースター誕生の感がありますね。しかしスピンクスの真のストーリーはここから始まることになります。7ヵ月後に行われたアリとの再戦に敗れると、徐々に徐々にと下降線のキャリアを辿っていく事に(ひょっとしたら、急激にと言った方が妥当かもしれません)。翌年モナコで行われた後のWBAヘビー級王者ゲリー コーツィー(南ア)との再起戦では、123秒の間に3度倒されてKO負け。1981年に、当時安定政権を築いていたラリー ホームズ(米)の持つWBC王座に挑戦するも一蹴されてしまいます。その後はクルーザー級に階級を下げ、世界逆2階級制覇を目指すも、後にWBCクルーザー級王座を4度獲得するカルロス デ レオン(プエルトリコ)や、WBA王者ドワイト ムハマド カウィ(米)等同級の実力者たちには歯が立たず。北米(NABF)クルーザー級王座や、WBC米大陸ヘビー級王座を獲得するなど奮戦した時期もありましたが、1986年以降は黒星が目立つ状態に。1995年師走まで戦い続けたスピンクス。生涯戦績は26勝(14KO)17敗(9KO負け)3引き分けと散々な結果を残してしまいました。

リング外では銃刀法違反やドラックの所持のため警察にお世話になった経験があり、WBCヘビー級王座を獲得したトレバー バービック(ジャマイカ/カナダ)と大乱闘を演じるなど、良くも悪くもマイク タイソン(米)のプロトタイプ的な存在として脚光を浴びる事も多々ありました。また離婚と破産を経験し、一時はホームレス状態だったという話も聞きます。引退後は経済面に加え、健康状態もすぐれなかったとか。特に最近は、認知症やがんとの闘病生活が続いていたようです。

日本にもゆかりのあった方で、ボクサーとしては1987年に名古屋のリングで、WBC米大陸ヘビー級王座を獲得。プロレス活動で何度も来日されていたそうです。

(プロレスラーとして何度も来日したスピンクス)

 

(アントニオ猪木氏とも対戦)

実弟のマイケル氏は、レオン氏と同様にモントリオール五輪に出場し、ミドル級で金メダルを獲得。プロ転向後には、ライトヘビー級で統一王座の座に輝き、ヘビー級でも世界のベルトを腰に巻いています。兄弟揃って金メダルを獲得し、プロのヘビー級王座をも獲得してしまうとは。凄いものです。また実子のコーリー氏もプロのリングで活躍。ウェルター級の3団体統一王座、IBFスーパーウェルター級王座を獲得するなど、2000年代後半を代表する好選手でした。

(ドン キング氏の横のメガネをかけた方がレオン氏。手前が弟のマイケルさん。ベルトを巻いているのが実子コーリー)

レオン氏がリング内外で話題を提供し続け、歴史に名を残した事だけは確かですね。

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