キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

昔の大磯

2018年05月01日 | Weblog
昨夜遅くまで飲んだので、5時に目が覚めたときにはアルコールが残っていて、これで起きたら二日酔いで具合が悪いだろうと心配したが、風呂に入って温まり、朝飯を食べたら割りと良くなった。
朝飯は豆腐と絹さやの味噌汁を作り、煮鰈を焼き、納豆を食べた。

下の息子と川匂神社まで歩き、神社の裏山を登り北へ真っ直ぐ進んだ。
百合が丘団地の南西の一番高いところへ出たが、途中、富士山が綺麗に見えた。
10年ほど前にはよく歩いた道だが、すっかりどこへ出るのかを忘れていた。
中学時代の初恋のひとの家があり、前を通ったが昔のままだった。
アメリカに住んでいると、20年以上前に風の噂で聞いたが、もうすっかりオバアサンになってるだろう。
最後に会ったのは、僕が高田馬場の予備校へ通ってるときで、彼女は女子美で、東京駅の東海道線で会い、二宮まで話をしながら帰った。
ストレートの長い髪をセンターで分け、少し浅黒く美人だった。

東へ降りると西友があり、鰹、浅利、牛乳を買った。
2時間の散歩から帰ると零時になっていて、出掛けに昼は餃子にすると云っていた妻が餃子の餡を包んでいた。
ホットプレートで42個の餃子を焼き、母に4個出し、残りの38個を3人で食べた。
この大食の癖は何に由来するのだろうかと話したが、母は僕と弟の要望で餃子100個を作った実績があり、何でもたくさん作らないと治まらない性格だ。
下の息子の観察によれば、妻の母も尋常でない量を作る傾きがあると話していたので、妻のこの何でもてんこ盛りに作る癖は、生家で養われ、婚家で開花したものと思われる。

午後、母の部屋で永平寺の修行僧の番組を観て、2時プレーボールの野球を3時まで観た。
うつらうつらしていたので2階に上がり横になったが、巨人が4点取っていたので勝つだろう。

夕方になって目が覚め岩田幸子「笛ふき天女」を読み始めたが、岩国の御殿様吉川家のおひいさまは、子供の頃夏休みを大磯の駒山を背負った海岸砂丘にあった別荘で過ごしたことを書いていたが、今はすっかり様子が変わり、海岸に西湘バイパスが出来てしまっていて、土地も分割されたが落ち着いた家もあり名残がある。
照が崎の海水浴場の様子や旧東海道の化粧坂、植木市のこと、茶屋があったこと、今は湘南平だが千畳敷の様子など、昔の大磯が書かれていて興味深かった。
最後まで読んでいないが、未亡人になってからも岩国疎開を挟んで大磯に住んで、大磯在住の岩田豊雄(獅子文六)と再婚しているのでこの後も大磯の様子が書かれているかもしれず楽しみだ。

晩飯は妻と二人で鶏を載せたミックスサラダ、冷奴、浅利の酒蒸しを食べ、9時のプレシネ「アメリカンスナイパー」まで台湾旅行について調べた。

「アメリカンスナイパー」は、アルカイダを掃討しにイラクへ行き、海兵隊を援護する狙撃手と本国での日常を交互に描く手法で戦争の悲惨さをクイント・イーストウッドが撮った映画、家族、共同体、国家のために戦う大義が分からなくなり、殺された仲間の復讐劇となってゆくが、戦場がアメリカ本土で無いことも影響してるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする