午前中曇りの予報だったが、早朝はやや雲っていたが、8時を過ぎたころには強い日差しが出て、とても庭の剪定をやれるような状況じゃない。
一昨日、長男が主催した七輪にやって来た釣友が、来る前に柳島で釣ったというワカシがやけに太っていたので、釣り心が刺激されたが、庭木の剪定が気にかかり遊びに気が回らないんだなあ。
仕事をサボってやる遊びが一番楽しいのに、毎日何をやってもいいとなると逆に仕事優先になるから不思議だ。
今朝は4時に起きてZARDの「止まっていた時間が今動き出した」「時間の翼」を聴いていたが、時代の真ん中にいてヒットしていたころとは違い、ある種の苦悩を感じる。
若い頃って「時分の花」と「まことの花」の違いについて分からないし、時流に乗っているときは変に自信をもって全能感があるから、それも作品にいいように作用するけど、一たび時代に取り残されると自信喪失になるから、作品が全く駄目になってしまうことが多い。
それでも、日頃から地道に基礎的な研鑽を摘んでいた人は、身に付いたものが力になるんだけど、伝統的な芸能なら師匠がやかましく言うから、嫌々でも基本を繰り返しやっているが、新しいジャンルの芸能では師匠もいないし、自分でジャンルを切り開いているから、中々そこまでやれる人はいない。
ZARDの坂井泉水さんはかなり謙虚な人だったんじゃないのかなあ、事務所の意向で、一たび落ち目になった人へはバックアップが無くなるが、ドル箱だから完全無視とはならないんだろうが、嫌な空気が漂う中でも地道に研鑽を摘んだのではないか。
ただし、前回も指摘したが、パートナーがいないことに拠る孤独感が強く感じられる。
それって楽曲に深みを加味するが、実際問題として同世代である30代の同性は結婚して子育てをしているから共感を得られないし、異性は生活に追われて音楽どころではない。
孤立感を凄く感じていたのだろうと思う。
日本ではこの道はまだ確立していないけど、結婚して子育てをして40代後半から再度曲作りを出来たらねえ。
個人的な見解だが、子宮周りの病気って、未婚で未出産の女性に多いように感じる。
この感受性を持った女性が50代にどのような詩を書いたのだろうかと思うと、40歳で亡くなってしまったのが残念だ。
朝飯、シメジと茄子の味噌汁、茄子のオリーブオイル焼、胡瓜の糠漬け、牛肉のたたき。
昼飯、蕎麦、茄子とシメジ、隠元、豚肉のつけ汁、桃。
晩飯、ボルシチ、鶏唐揚げ、ウルメ鰯なめろう、隠元、ミニトマト、胡瓜糠漬け、枝豆。
ディエゴのカバ、ポルトガル赤ワイン。
カンパーニュをカリカリに焼いて、それになめろうをてんこ盛りにして頬張り、カバを流し込むのが絶品。
ボルシチ、カンパーニュ、赤ワインの組み合わせも絶品だったので喰いすぎた。
月曜日なのでプレシネが昼と夜二度ある。
プレシネ昼は、「母と暮らせば」2015年山田洋次監督、広島を舞台にした井上ひさしの「父と暮らせば」の対作品らしいが、「父と暮らせば」は読んだような読まないような曖昧な状況だ。
3年前に長崎の原爆で死んだ息子が母のもとに幽霊として現れる、息子の恋人が母を案じて良く出入りしてくれて面倒を見てくれているが、新たな恋人を見つけて婚約する。
多分その晩だったと思うが、母も息を引き取る。
山田洋次らしい映画だったが、最近、山田洋次監督と母親役をやった吉永小百合が隠れ共産党員だと言われるが、別に隠れているわけじゃなく共産党員かどうかは知らないが、親派であることは間違いなく、それがどうしたのって感じがする。
日本共産党は、政党助成金をもらわず、赤旗の利益で党運営をしてきたのは立派だが、赤旗のみならず新聞全体の不調で販売数が激減し厳しい状況になっているらしい。
暴力革命による共産化のみならず、共産主義そのものを目指さないと表明しているので、党名を変えて大きな政府、社会保障の充実を党是とすればいいのにと思うが、不破哲三の影響がまだあるらしい、老害というやつだね。
党員の平均年齢が随分高くなっているのも感じる、自民に対抗して立候補する党員に若いのが絶無だ。
89年にベルリンの壁が破れ、ソ連で共産主義の実験が失敗に終わり、本質的に同じアメリカのグローバリズムも破綻したわけだから、同じ理由でユーロも早晩破綻する。
日本共産党として、子供っぽい理想論に走らず、現実にあった新たな道をきちんと示すことが重要じゃないのか。
志を同じくする人たちで、戦後実現した世界で一番格差の無い国を再び実現してほしい。
プレシネ夜は、「ポセイドン・アドヴェンチャー」1972年、題名だけは聞いたことがあり、ギリシャ神話の話だと思っていたが、ポセイドンは船の名前で、遭難にあった船の中で6人だけ生き延びる物語。
よくある展開の物語で、半世紀振りに内容が分かって、何時もの事だけど、長い間思い描いてたもののほうが随分大きかったことを知る。
我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
一昨日、長男が主催した七輪にやって来た釣友が、来る前に柳島で釣ったというワカシがやけに太っていたので、釣り心が刺激されたが、庭木の剪定が気にかかり遊びに気が回らないんだなあ。
仕事をサボってやる遊びが一番楽しいのに、毎日何をやってもいいとなると逆に仕事優先になるから不思議だ。
今朝は4時に起きてZARDの「止まっていた時間が今動き出した」「時間の翼」を聴いていたが、時代の真ん中にいてヒットしていたころとは違い、ある種の苦悩を感じる。
若い頃って「時分の花」と「まことの花」の違いについて分からないし、時流に乗っているときは変に自信をもって全能感があるから、それも作品にいいように作用するけど、一たび時代に取り残されると自信喪失になるから、作品が全く駄目になってしまうことが多い。
それでも、日頃から地道に基礎的な研鑽を摘んでいた人は、身に付いたものが力になるんだけど、伝統的な芸能なら師匠がやかましく言うから、嫌々でも基本を繰り返しやっているが、新しいジャンルの芸能では師匠もいないし、自分でジャンルを切り開いているから、中々そこまでやれる人はいない。
ZARDの坂井泉水さんはかなり謙虚な人だったんじゃないのかなあ、事務所の意向で、一たび落ち目になった人へはバックアップが無くなるが、ドル箱だから完全無視とはならないんだろうが、嫌な空気が漂う中でも地道に研鑽を摘んだのではないか。
ただし、前回も指摘したが、パートナーがいないことに拠る孤独感が強く感じられる。
それって楽曲に深みを加味するが、実際問題として同世代である30代の同性は結婚して子育てをしているから共感を得られないし、異性は生活に追われて音楽どころではない。
孤立感を凄く感じていたのだろうと思う。
日本ではこの道はまだ確立していないけど、結婚して子育てをして40代後半から再度曲作りを出来たらねえ。
個人的な見解だが、子宮周りの病気って、未婚で未出産の女性に多いように感じる。
この感受性を持った女性が50代にどのような詩を書いたのだろうかと思うと、40歳で亡くなってしまったのが残念だ。
朝飯、シメジと茄子の味噌汁、茄子のオリーブオイル焼、胡瓜の糠漬け、牛肉のたたき。
昼飯、蕎麦、茄子とシメジ、隠元、豚肉のつけ汁、桃。
晩飯、ボルシチ、鶏唐揚げ、ウルメ鰯なめろう、隠元、ミニトマト、胡瓜糠漬け、枝豆。
ディエゴのカバ、ポルトガル赤ワイン。
カンパーニュをカリカリに焼いて、それになめろうをてんこ盛りにして頬張り、カバを流し込むのが絶品。
ボルシチ、カンパーニュ、赤ワインの組み合わせも絶品だったので喰いすぎた。
月曜日なのでプレシネが昼と夜二度ある。
プレシネ昼は、「母と暮らせば」2015年山田洋次監督、広島を舞台にした井上ひさしの「父と暮らせば」の対作品らしいが、「父と暮らせば」は読んだような読まないような曖昧な状況だ。
3年前に長崎の原爆で死んだ息子が母のもとに幽霊として現れる、息子の恋人が母を案じて良く出入りしてくれて面倒を見てくれているが、新たな恋人を見つけて婚約する。
多分その晩だったと思うが、母も息を引き取る。
山田洋次らしい映画だったが、最近、山田洋次監督と母親役をやった吉永小百合が隠れ共産党員だと言われるが、別に隠れているわけじゃなく共産党員かどうかは知らないが、親派であることは間違いなく、それがどうしたのって感じがする。
日本共産党は、政党助成金をもらわず、赤旗の利益で党運営をしてきたのは立派だが、赤旗のみならず新聞全体の不調で販売数が激減し厳しい状況になっているらしい。
暴力革命による共産化のみならず、共産主義そのものを目指さないと表明しているので、党名を変えて大きな政府、社会保障の充実を党是とすればいいのにと思うが、不破哲三の影響がまだあるらしい、老害というやつだね。
党員の平均年齢が随分高くなっているのも感じる、自民に対抗して立候補する党員に若いのが絶無だ。
89年にベルリンの壁が破れ、ソ連で共産主義の実験が失敗に終わり、本質的に同じアメリカのグローバリズムも破綻したわけだから、同じ理由でユーロも早晩破綻する。
日本共産党として、子供っぽい理想論に走らず、現実にあった新たな道をきちんと示すことが重要じゃないのか。
志を同じくする人たちで、戦後実現した世界で一番格差の無い国を再び実現してほしい。
プレシネ夜は、「ポセイドン・アドヴェンチャー」1972年、題名だけは聞いたことがあり、ギリシャ神話の話だと思っていたが、ポセイドンは船の名前で、遭難にあった船の中で6人だけ生き延びる物語。
よくある展開の物語で、半世紀振りに内容が分かって、何時もの事だけど、長い間思い描いてたもののほうが随分大きかったことを知る。
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