東京観光(3)

  なんでこんな日記を書いているのかといいますと、私にとって東京は生活の場であって、いままで観光名所といわれるところには行ったことがありませんでした。それが今回、母親に同行して、観光客として東京を見物して回ったのがすごく新鮮で、なるほど、同じ土地でも、生活者と観光客とでは感じ方がかなり違うのだ、と驚いた次第です。

  その東京観光の最終日は、もちろん母親の希望で浅草に行きました。母親は日舞をやっていて、浅草には踊り用品専門の店がたくさんあるので、実用的な意味でも浅草に行きたかったらしいのです。

  都営浅草線浅草駅を下りるとすぐに仲見世です。まず雷門(←はじめて生を見た)をくぐり、仲見世の商店街を買い物がてらぶらぶら散策しました。ここも外人客が実に多く、アメ横と同じく中国人がすっごく多かったです。

  仲見世には外国人観光客向けの浴衣(もどき)や着物(もどき)を売っている店と本物の和装洋品店があります。もちろん日本人なら見てすぐに区別がつきます。外国人観光客向けの「なんちゃって」浴衣や着物には、「根性」、「招福」などのヘンな漢字熟語ロゴ入りや龍や虎の絵入りなどのトンデモ柄のものが多く、普通の日本人だったらまず着ないであろうものが多かったです。

  あと、アメ横とは違い、仲見世の店の人たちはおそらくほぼ全員が日本人だろうと思われますが、中年の店主のおっちゃんが外人客に向かって「メイアイヘルプユー?」と言っていて驚愕しました。私たち日本人が外国の有名な観光地に行って、地元人の店員さんから日本語で「ヤスイデスヨ~」と言われるのと同じといえば同じなのですが。

  母親は踊り用品の専門店に行っては、ほしい物を買ったり、品物のパンフレットをもらったりしていました(←こういう店はたいてい通販ができるらしい)。

  そして浅草で最も有名なS寺(特に名は秘す)に行きました。ここが有名なS寺かあ~、と感動しました。母親がおみくじを引こう、というので引きました(100円)。母親は「吉」でした。ところが、私は「凶」でした。これは縁起が悪い、というので、お線香(100円)を買って勢いよく突き刺し、厄除けの護摩木(300円)を買ってお焚き上げをお願いしました。そして線香の煙を身にかぶると縁起が良い、というので、線香を焚いている鉢に体を突っ込んでまんべんなく煙を浴びました。

  これで万全、と思い、確認するために再びおみくじ(100円)を引きました。ところが、世界でわたくしほどかわいそうな人間はおりますまい、なんとまた「凶」が出てしまったのです。こんな理不尽なことってあるでしょうか!?私はへなへなへな~、とおみくじの前に座り込んでしまいました。母は静かに私の肩を叩き、私の手を引っ張って「お払い」受付所へと連れて行きました。

  思いもかけないことに、S寺の本堂で午後の部の「お払い」を受けることになりました(3,000円、私の自腹)。それでも落ち込み続ける私を引っ張って、母親は近くのラーメン店に入りました。まだお昼前で店内はそんなに混んでいませんでした。和風のラーメンでおいしかったです。だししょうゆ味で、柚子の隠し味が効いていました。チャーシューもおいしかったです。ところが、店内の壁に蛭子能収のイラスト入りサイン色紙が飾ってあって、それを見たら余計に落ち込んでしまいました。

  30分前には来て下さい、と言われていたので、お払い開始30分前にS寺本堂に行きました。右側の入り口から本堂内に上がりました。本堂内には、お払いを受ける人でなくても、誰でも入れますよ。意外とみなさん、網戸で仕切られた本堂前のお賽銭箱までしか行けない、と思っているのではないかしら。でもご本尊(観音様らしい)がおられる壇の四周には幕が張ってあって見えませんでした。

  お払いが始まる前に、作務衣を着た若いお坊さんたちがハンド・モップを持って掃除してまわっていました。そのころには、お払いを受ける人々が20人ばかりは集まっていたでしょうか。掃除しているお坊さんの中に、ちょっと妙な人がいるのに私は気づきました。彼は集まっている人々をしきりに横目で見やっては、中に若い女性がいるのを見つけると、口元にニヤけた笑いを浮かべながらチラ見しているのです(心の中で「生臭君」と命名)。その生臭君は掃除が終わった後も、用事もないのに須弥壇のあたりをうろうろと歩いては、その都度若い女の子たちに目をやっていました。

  偉そうなお坊さんの一団がやって来て、ついにお払いが始まりました。お経を唱えているのですが(←当たり前だ)、何と言っているのかさっぱり聞き取れませんでした。ですが私は手を合わせながら心の中で必死に「厄払い厄払い厄払い厄払い厄払い悪運退散ー!!!」と念じていました。途中からお経に合わせて、太鼓がどーん、どーん、と打ち鳴らされます。「そろそろコーダかな」と思って太鼓のほうを見ると、なんと太鼓を叩いていたのはあの生臭君でした。ご利益が半減するのではないか、と心配になりました。

  30分くらいでお払いは終わり、帰りにお札とお供物をもらいました。母親は「○○ちゃん(私のこと)、意外と信心深かったのね!○○ちゃんがずっときちんと手を合わせてお祈りしているのを見て、お母さんホント感動したわ~。この子もやっとこんなふうに仏様を信じる気持ちを持ってくれたのか、って」と言っていました。  

  帰りに浅草で有名な甘味処に入りました。私が「掃除してた若いお坊さんの中に、1人ヘンな人がいなかった?若い女の人を横目でチラチラ見てて」と言うと、母は「いたいた。用もないのにうろうろ歩き回ってね。お母さんも、あらこのお坊さん、若い女の子ばかりやたらと見るわね~、と思って可笑しかったのよね」と答えました。彼(生臭君)にとっては、お払いに来た俗世の若い女の子をチラ見するのが、戒律の厳しい生活の中のささやかな楽しみなのかもしれません。

  晩御飯を食べるには中途半端な時間ですが、母親の帰りの新幹線の発車時刻が迫っていたので、上野駅に戻ってピザを食べました。母親の荷物は山のようなお土産のせいで上京したときの2倍になっていました。上野駅の新幹線のホームはおそろしく深い地下にあり、ホームに下りるには長~いエスカレーターに乗らなくてはなりません。危ないので荷物を持ってホームまで送りました。

  母親を送ったあと、私は奇妙な心持になりました。自分が東京で生活している人間であるという感覚を取り戻すには、まだ観光客としての気分が半分持続していたからです。        
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )