ニジンスキー・プロ

  12日の公演に行ってきました。12、13日の公演で「牧神の午後」の牧神を踊るはずだった後藤晴雄が足のケガのために出演できなくなり、結局「牧神の午後」の牧神はすべての公演でシャルル・ジュドが踊ることになりました。

  「レ・シルフィード」。小出領子の腕の動きが波打つようにやわらかくて、まさに妖精という雰囲気の、ふわっとした軽い感じの踊りでした。木村和夫は、技術はしっかりしていてちゃんと踊れていますし、リフトやサポートもすばらしかったです。すばらしかったですが、手の先や足の先までコントロールが利いていないような、粗削りなところがありました。あと、照明が異常に明るすぎるのではないでしょうか。あれでは「お天気のよい明るい昼下がり、1人の若者が大量のご婦人方と森に楽しくピクニックするバレエ」になってしまいます。
  
  「薔薇の精」。マチアス・エイマンは初めて踊るというからどうかな~、とちょっと不安でした。でも意外とよかったです。というか、別に「薔薇の精」は必ずしも中性的でクネクネしていなくてもいいんだと思いました。エイマンはかなり緊張していたらしくて、ジャンプの着地や回転の失敗がありましたが、そんな小さいことを吹っ飛ばしたのが、エイマンの薔薇の精の役作りというか踊り方でした。

  エイマンの薔薇の精は、とにかく鋭くて軽くてキレがよかったです。腕の動きもくるくるとスピーディーでした。薔薇の花びらが風に乗って少女の部屋をひらひらと舞う(←ポエムだ)イメージです。とても爽やかで新鮮で、観ていて気持ちがよかったです。たとえばイーゴリ・コルプの薔薇の精とエイマンの薔薇の精とは正反対なのですが、どっちの役作りでも踊り方でも私は好きです。

  少女役の吉岡美佳も演技がすばらしかったです。

  「牧神の午後」。このまえのボリショイ&マリインスキー合同公演でいえば、ウリヤーナ・ロパートキナが出てきたときとまさに同じでした。幕が上がり、岩の上に座って牧笛を吹くシャルル・ジュドの姿が舞台上に見えたとたん、なんだかその場の雰囲気がビシッと引きしまりました。横顔を見せて座っているジュドの存在感は圧倒的でした。あんな男性ダンサーを見たのは久しぶりです。

  牧神もニンフたちも、手の指は伸ばして反らし、手首、肘、肩、脚、膝、足首は直角に曲げられたまま、ゆっくりと、ギクシャクと踊って(動いて)いきます。必要最小限の動きしかありません。ジュドは無表情ですが、時おり口を大きく開けて咆えるような表情をします。初演時に問題とされたというラスト・シーンの他に、もっと驚くような振付がありまして、そこでもジュドは咆哮しました。もちろんラスト・シーンでも、牧神はニンフの残していった青いヴェールを体の下に敷き、その上で突然びくっと顔を上げて咆哮します。

  このように、ジュドの牧神は時に野性的で動物的でした。また、無表情だったジュドの牧神が水浴びに来たニンフを見つけたとき、ジュドは顔をすばやくニンフに向けて、彼女をじっと見据えます。無表情なジュドの瞳が鋭い光を放ちます。でも、ジュドの牧神には、男性の生々しい性欲を動物的な動きや演技に置き換えた感じではなく、なんだか峻厳で気高い雰囲気さえ感じられたのです。

  「牧神の午後」が上演されている間、私は緊張しながらも集中してジュドの牧神を見つめていました。ニジンスキーの「牧神の午後」を生で観るのは初めてですが、シャルル・ジュドで観られてよかったと思います。ちなみに、あの引き締まった筋肉だけのしなやかな体、あれが54歳の体だとは到底思えません。ジュド様にとって、メタボリック・シンドロームなど永遠に縁のないことでしょう。

  「ペトルーシュカ」。正直なところ、これはもう作品としての賞味期限が過ぎかけているのではないでしょうか。20世紀初頭のパリで上演するには、ああいうロシアの民族的な素材は歓迎されたのでしょう。ですから、街の人々の群舞の時間的割合が多くて、人形のペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人の出番は意外に少なく、観ていて拍子抜けしました。

  ペトルーシュカはローラン・イレールが踊りました。肩をすくめ、顔をうつむけ、背中を丸め、膝を曲げた弱々しいポーズを常に取っています。イレールはそんなに濃いメイクはしておらず、顔全体を軽く白く塗って、道化の眉(泣き眉)を黒で細く描いているだけでした。イレールの素の顔立ちが分かるくらいです。おとなしそうな顔立ちの人ですから、ペトルーシュカがバレリーナにフラれ、ムーア人にボコボコにされるシーンはかわいそうでした。

  いちばん心が痛んだのは、バレリーナに恋するペトルーシュカが自分の部屋の中で、またムーア人に殺されたペトルーシュカの魂が、主人である見せ物師のシャルラタンに向かって、「なぜ人形の自分に『心』なんか入れたんだ!」とマイムで絶叫するシーンでした。「心」なんかなければ苦しい思いをすることはなかったのに、というペトルーシュカの悲しみが伝わってきました。

  ローラン・イレールの踊りがどうだったかはよく分かりませんが、イレールの演技は観ている側の心を打つものでした。個人的には、ペトルーシュカは踊りの技術が云々、という役柄ではなく、心が入ってしまった人形の悲哀を醸し出すことが大事だと思います。イレールのペトルーシュカは、抱きしめてあげたいくらいかわいそうでした。

  バレリーナを踊った長谷川智佳子は、上半身を動かさず、腕に至っては微動だにせず、本当に人形みたいでよかったです。あと、シャルラタン役の高岸直樹の演技がとてもすばらしかったです。死んだペトルーシュカの魂に責められて、自分が軽はずみな真似をして悲劇を招いたことに気づき、はじめて悔やむ表情をみせます。

  マラーホフが参加できなくなったので残念でしたが、それに代わるだけの見ごたえはありました。やっぱりシャルル・ジュドの牧神がいちばん印象に残りました。    
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