デンマーク・ロイヤル・バレエ『ロミオとジュリエット』(4)

  (3)が長くなっちゃったんで、いったん切ります。うーん、とうとう(4)にまでなっちゃったか。ともかく、引き続きダンサーたちのパフォーマンスについて。

  ティボルト役はマス・ブランストルップでした。キャラ設定が制限されるベンヴォーリオなどと違い、ティボルトという人物はもっと幅広い解釈の余地があり、役作りも工夫のし甲斐がある役だと思います。

  しかし、ブランストルップのティボルトはお約束的な「定番ティボルト」で、それ以上もそれ以下もありませんでした。ティボルトは、ともに優れたパフォーマンスをみせたギッテ・リンストロムのキャピュレット夫人の不倫相手、モーテン・エガトのマキューシオの仇敵というおいしい役どころなのですから、それに拮抗する深みがブランストルップのパフォーマンスにもあれば更によかったのですが。

  ロミオ役のセバスティアン・クロボーは優れたダンサーでした。あくまで一人で踊る場合においては、です。長身でスリムな体型で、脚がとても長く、しかも男性ダンサーには往々にしてありがちな、太ももの前面が筋肉でぼっこりとふくらんでいるということもなく、すらりときれいに伸びたきれいな脚をしていました。

  踊りは非常にすばらしく、第一幕の最後、バルコニーにいるジュリエットを見上げながら一人で踊るところでは、回転の速度を徐々に落としていきながら止まり、それからゆっくりと片脚を後ろにぐぐーっと伸ばしてアラベスクをします。後ろに上げた片脚は根元から反れるように高く伸びていて、その姿勢のあまりな美しさに、心中「うっ」と唸りながら見とれていました。

  クロボーのロミオの演技も見事でした。森田健太郎ロミオに匹敵するかも。クロボーは表情がとても豊かで、表情の変化だけでセリフをしゃべっているかのようでした。純情で情熱的で一途で、好きになったら向こう見ずでほとんどストーカーまがいのアタック攻撃をしかけ、若くてパワフルで思慮が浅くて(というよりほとんどなくて)、という性格がよく分かりました。

  クロボーはロミオのこのような性格の短所もきちんと表現できていました。ロミオはキャピュレット家の舞踏会でジュリエットに出会い、それまでロザライン(エイミー・ワトソン)を追いかけ回していたのが、一瞬でジュリエットに心を移してしまいます。

  ロミオは第一幕でロザラインからハンカチをもらい、そのハンカチを顔にかぶる(←ちょっとキモい)ほど狂喜します。ところが、第二幕では、ロミオはロザラインのハンカチをベンヴォーリオ(アレクサンダー・ステーゲル)に押し付けます。ちょうどそこへロザラインがやって来ます。が、すでにジュリエットに夢中なロミオは、ロザラインからあからさまに顔をそらし、目を合わせようとすらしません。

  ロザラインはロミオの心が自分にはもうないことを察します。ベンヴォーリオはロザラインにハンカチを返します。ロザラインはややためらうような手つきでハンカチを受け取ると、かすかに悲しげな表情を浮かべながら行ってしまいます。

  このシーンを見て、ロミオはなんて軽薄な男なんだろう、と思いました。クロボーの演技がまた見事でした。婚約者がいることがバレたときのアルブレヒト、ガムザッティと婚約したことがバレたときのソロルみたいに、心中の気まずさを押し隠した素知らぬ顔を装っていて、ロミオの一途さと表裏一体の軽薄さを強く感じました。

  ところが、ジュリエットと秘密の結婚式を挙げた後に広場に戻ったロミオは、顔つきが一変して、冷静で思慮深い表情になっていました。ジュリエットと結婚したことで責任感が芽生え、またキャピュレット家と和解しなければならない、ということを真摯に考えているのが分かる表情でした。

  泥酔してロミオの胸に剣を突きつけるティボルトに対し、ロミオは完全に無抵抗、無表情で、ただティボルトをじっと見つめます。ロミオは「いけません、いけませんよ」というふうにかすかに首を振り続け、ティボルトを説得しようとします。このときのクロボーの表情と演技が最高に良かったです。

  セバスティアン・クロボーの踊りと演技はかくも見事だったのです。でも、パートナリングのほうは致命的に「ダメダメ君」でした。

  ロミオとジュリエットとの踊りには大きく三つありますね。第一幕、舞踏会でふたりきりになったロミオとジュリエットとの踊り、第一幕最後のバルコニーのパ・ド・ドゥ、そして第三幕冒頭の寝室のパ・ド・ドゥ。

  いずれの踊りにも、サポートはもちろん、ダイナミックで複雑なリフトがありましたが、クロボーのサポートとリフトはガタついていてなめらかさがありませんでした。類似例としては、「ルグリと輝ける仲間たち」(2007年)で、バンジャマン・ペッシュとエレオノーラ・アバニャートが踊ったノイマイヤー版「椿姫」第二幕のパ・ド・ドゥがあります。

  ジュリエット役はスザンネ・グリンデルでした。グリンデルの「サポートのされ方」、「リフトのされ方」に問題があるのかな?と思ったのですが、ジュリエットとパリス伯爵(マルチン・クピンスキー)、ジュリエットとキャピュレット公(モーエンス・ボーセン)との踊りでは、クピンスキーとボーセンによるリフトにぎこちなさは感じられなかったので、やはりクロボーのパートナリングに問題があったのだろうと思います。

  あるいは、クロボーのパートナリングに問題はないものの、クロボーとグリンデルのタイミングがただ単に合っていなかったのかもしれません。更にいえば、グリンデルの「サポートのされ方」、「リフトのされ方」は下手ではないにしても、上手でもなかったのだろうと思います。

  パリスやキャピュレット公との踊りでのサポートとリフトはゆっくりで単純なものがほとんどでした。一方、ロミオとの踊りでのサポートとリフトは、速くて複雑なものがほとんどでしたから、難しいほうの踊りではうまくいかなかったのかもしれません。

  比較するには無理があるでしょうが、アレッサンドラ・フェリ、ウリヤーナ・ロパートキナ、アリシア・アマトリアン、スー・ジン・カンなど、どんなに難しく複雑なデュエットでも、「サポートのされ方」と「リフトのされ方」が非常に上手なダンサーたちに比べると、スザンネ・グリンデルの「サポートのされ方」と「リフトのされ方」は、印象に残るほど魅力的とはいえませんでした。

  スザンネ・グリンデルは可愛らしい小さな顔、高い背丈とスレンダーな身体、長い手足を持ち、バレリーナとしてかなり容姿に恵まれています。身体も非常に柔軟なようで、脚はよく開くし高く上がります。

  でも、なんといったらいいのか、踊りにも演技にもパッとしたところがないというか、見ていて思わず息を呑む、見とれる、唸る瞬間というものが、グリンデルが踊ったり演技しているときにはありませんでした。

  グリンデルの溌剌とした表情には、ああ、ジュリエットは活発なハイ・ティーンの女の子なんだな、と好感は持ちましたが、ただそれだけでした。なんというか、グリンデルのパフォーマンスには「一生懸命さ」や「素顔っぽさ」は感じるんだけど、「表現力」は感じないのです。舞台では「舞台用の自然な踊りや演技」を見せるべきだと思うのですが、グリンデルは「素の自分の踊りや演技」をそのまま見せているだけのように感じました。

  『ロミオとジュリエット』という作品では、ロミオとジュリエットとの踊りがうまくいくかどうかで、舞台全体の出来不出来が決まってしまうように思います。今回の舞台では、クロボーのロミオとグリンデルのジュリエットとの踊りがいずれもぎこちなく、彼らのガタガタしたパ・ド・ドゥを見ながら「もっとちゃんと踊れるダンサーたちで見たいなあ」と思いました。

  だから、ロミオとジュリエットとのパ・ド・ドゥにおける、ノイマイヤーの振付そのものは良いのか良くないのか、今回の舞台を観た限りでは分かりません。で、やっぱりハンブルク・バレエでこの作品をぜひ観たいな、と思ったわけです。

  以上、さんざん文句を垂れましたけれど、結局(4)まで書いちゃったから、ノイマイヤー版『ロミオとジュリエット』には、それほどの大きな魅力があるということなんでしょうね。
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