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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

地方自治研修会

2013年11月25日 09時37分55秒 | えいこう語る
北海道地方自治研究所主催の自治講座「人口減少下のまちづくりを考える」に、参加してきた。
高層ビルが立ち並ぶ札幌市。のほほんとした田舎暮らしに埋没してしまいそうな毎日からの、精神の覚醒を図りたいという思いも含めての参加だ。
さて、会場は自治体関係者が多く、町会関係はおそらく私たち数人のようだ。函館市議会議員も二人参加していた。
基調講演は首都大学(以前は都立大)で、都市・環境・地域社会を研究している若手の准教だ。
分析力と論理の切り込み方は、若いだけに実に明快だ。
半世紀近く地域で暮らしている私だから、地方自治についての理解は多少蓄積されているが、頭の中は整理ができていない。
さすが学者は、整理整頓が得意だ。新たな問題提起させる能力には脱帽する。
彼は福島の被災地から、コミュニティーは何かとの問いかけをしているという。まちおこしは経済優先ではないことを、福島原発事故から学ぶことだともいう。
旧都立大には、脱原発の先鋒であった、故高木仁三郎氏が教鞭をとっていた時期もある。福島原発からのまちおこしの視点は、そんな先輩の影響があるのかもしれない。
※河口で休む。かもめの水兵さん。


久しぶりのJR北海道、乗りなれた振り子特急(カーブでも減速しなくてもよい車種)も、車両が傾くたびに不安を感じる。
一日でも早く「安心・安全な運行」に心がけてほしいと思うのは、町会長としての習性のようだ。
帰路、私は研修会の資料を広げ、要点を整理していた。
隣の席にいる男性が声をかけてきた。
「私もその研修会に出席していた」という。
S町の町会議員だと名乗った。
そこから、第二部の地方自治研修会がスタートした。
地元で農業をしているということだが、どうやら話の内容から察して、私と同じ団塊世代のようだ。
戦後の中央集権型社会に始まり、地方分権に移行する過程を、二人で確認しながら、まちづくりに対する行政・議員・住民の役割分析について話し合った。
私は地方議会のあり方に批判的な考えを述べたが、本人は6期の議員生活の中で、時々議会が住民にとって期待されていない存在ではないかと、考えることがあるという。
このような謙虚な議員に接するのは稀だ。ほとんどは弁解か詭弁を弄する者が多い。
車内の電光掲示板に「猪瀬知事が徳田議員から5000万円・・・」とでた。
そこで私が「猪瀬さんも徳田議員の“お・も・て・な・し”を受けたようですね」というと、彼はそれはいけると、大きな声で笑った。
終点が近づいたので「お互い団塊の世代、故郷に最後のご奉仕をしなけれなりませんね」といい名刺を交わすと、S町議会議長とあった。
その夜は、いとこも参加するフラメンコ団体の20周年記念公演にでかけた。
団体の主催者は、以前「とど・ほっけ料理とフラメンコ」という企画で、私の村に来てもらった方だ。
知床から取り寄せたとど肉と前浜産のホッケ料理を味わい、冬の厳しさを乗り切ろうという、粋な企画?だった。
彼女たちはそのワイルドな料理を堪能してくれ、その後の踊りのエネルギーになったのではないかと、私は思っている?。
雨上がりの函館の夜景に、本場スペインからの歌声が響き渡った。
踊り子さんたちの全身全霊を傾注した踊りは「床を踏み抜くぐらいに力強く踊れ」という、フラメンコの真髄を見事に実践してくれた。
その力強い踊りに、かつて世界最強と言われたスペイン無敵艦隊「アルマダ」を連想したのは、私だけだろうか。
※我が村最強船団とその基地。イカ漁が最盛期で、夜、は漁火銀座の如し。


函館はスペインバルセロナと同緯度だ。
市内では、春と秋、市民が企画するスペインの居酒屋を模した「バル街」というイベントも、市民権を得てきた。
開港都市函館、異文化を受け入れ、それを上手に融合させ街が発展してきた。
これからもそうあってほしいし、さらに3:11以降の「安心で安全なまちづくり」に、市民一丸となった取り組みは欠かせないと思う。
会場からの鳴り止まぬ拍手、スペインと函館が一体化した夜に酔いしれた。
家までは妻が運転する「居酒屋軽四輪」で「一人バル街」を楽しんできたのは、いうまでもない。


風立ちぬ

2013年11月21日 10時18分02秒 | えいこう語る
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」を観て来た。
零式戦闘機(通称零戦)の製作者、堀越二郎を主人公とした、小型ながらも敵が最も恐れた世界に誇る戦闘機ができるまでの物語だ。
堀辰雄の小説「風立ちぬ」「菜緒子」を読んだことのある人なら、宮崎監督がこれらの作品を堀越二郎の生涯とダブらせ、堀越の奥さんの名を菜緒子にし、彼女がサナトリュウム(結核療養所)生活を送ったというストーリーにしたのを気付くだろう。
零戦は我が国の同盟国ドイツ(ヒットラー政権)の協力により、三菱重工業が作った名機だ。靖国神社の遊就館で見ることができる。
零戦といえば、特攻隊を連想させる。
連合軍の巨大な艦船に体当たりする姿は、戦争の悲惨さと無力感を、私たちの脳裏にやきつかせる。
軍国主義が色濃くなる時代、大空を駆け巡りたいという一少年の思いが、やがてその名機を生み出すのだ。


『国家とは何か、国民とは何か』。
戦後68年を迎えた現在、この映画は私たち日本人に、アニメーションという手段で、その答えを強烈に求めてくる。
国家総動員法なるものが国民を戦争に駆り立て、国家というものが
絶対的存在であり、命を捧げる価値のあるものであったと、錯覚させられたのだ。
アベ政権下の今日、集団的自衛権・特定秘密保護法案・憲法改正・水面下でうごめく教育基本法の改正、等。
時代は繰り返すのだろうか。
作家堀辰雄は、ポール・バレリーの詩をこのように訳した。
「風立ちぬ、いざ、生きめやも」=風が吹いてきた、さあ、生きていこう。
飛行機でいうと、テーク・オフの時が来たということだろう。
希望に満ちた未来に飛び立つはずだった、飛行機野郎たち。
堀越は「一機も帰ってこなかった」と、つぶやく。
私には、こう聞こえてきた。
「生臭い風が吹いてきた。国民よ、さあ、戦争の無い国を目指し立ち上がろう」と。
映画を見終えて自宅までの車中、寺山修司のこんな句がどこからともなく聞こえてきた。

マッチ擦るつかの間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

新しき仏壇買ひに行しまま行方不明のおとうとと鳥


まちおこし

2013年11月19日 13時29分50秒 | えいこう語る
30代からの私のライフワークは「まちおこし」であるといってもいい。
いわゆるUターンで故郷に戻ってきたが、田舎の閉鎖性と“しがらみ”に、つくづく閉口したものだ。
36歳の時、村のはずれの海岸で、大きな波に何度も挑戦するサーファーを見ているうちに「チャレンジ精神」が、むくっと起き上がってきたのだ。
「SUMMER・FESTIVAL・IN・TODOHHKE・第一回全道サーフィン選手権大会」の開催である。
人口の2倍ほどのギャラリーとその新聞報道に、部屋の中で男泣きしたことが、私の“心の勲章”だと胸を張って生きてきた。
「まちおこし」とは、たんなるイベントではない。
自分が住むまち、つまり「地方自治」の健全な姿を追求する「住民参加」のことだ。そこには「民主主義」の本来の姿「国民主権」を意識せざるを得なくなるのだ。
「まちおこし」とは「国家と国民」の関係を理解する運動の一つである・・・と、今朝は、妙に鼻息の荒い出だしとなってしまった。
※沖にはイカ釣り船、手前サーフィン。


昨夜の「たけしのTVタックル」での老人介護問題について、政府の考え方に、私のキャパの少ない頭も、いささか耐えきれずに噴火したからだ。
人間を数字化して、たんなる机上の計算で、医療や介護制度を処理しようとしているだけだからだ。
血の通った人間ではなく、無限大に出るゴミを処理するために、国どうしたら税金の支出を抑え、国民から血税を吸い取るという考えに見えたからだ。
究極の「まちおこし」とは、いったい何なのだろうか。
生命を脅かす「原発の廃止」、高齢化社会を「明るく楽しく暮らす」。
つまり、安心で安全な故郷をつくるという、実践の連続ではないだろうか。
そのためには「地方自治」を、さらに学ぶことにあるのではないかと思う。
地方自治体は「民主主義の小学校」といわれる。
私たちはいつまでも「ぴかぴかの一年生」でいるわけには行かないようだ。
アベ政権、まもなく1年を迎えようとしている。
この一年を振り返れば、日本丸の大船頭“民主主義から軍国主義”へ、大きく舵を切ったのではないかと、田舎の漁村の漁師見習いの私でも、そう感じてしまうが。


写真ノ方法

2013年11月18日 16時08分59秒 | えいこう語る
“アラーキー”と呼ばれる写真家荒木経惟が「写真ノ方法」という本を出している。
※日の出。




「身近なものから関係を作って、だらだらだらだらやっていけばいいのよ。気づいたことを続けていけば、写真のいろんなテクニックなりが出てくるんだ。方法論っていうのはね、現場にいってから出てくるの。思いつきっつうか、そういうのをどんどんやっていくほうがいいんだ。写真っつうのは、事件がないほうがドラマチックだし、重要なものが入っているワケよ。“火事だー”っていうより、火事なんかじゃないときの“心の火事よ”とかさ。そういうことのほうが写真は表現しやすいんだよ。悪い写真があがっちゃったら、写した本人が悪いのよ。修業が足んない。そのくらい自分自身は写真にさらけ出されちゃうね。そんで、隠すのよ。真実は見えないように!ハハハハ」
土曜日のとどほっけ銚子ビーチ。
サーファーが泣いて喜ぶだろう、今年最高の波だ。


カメラを持ち海岸へ向かう。波のブレークの状態とサーファーのライディングがベストマッチするポジションを選んで、カメラを構えた。
だが、私が想い描いた写真が一枚も撮れない。
これは私の腕が悪い証拠だ。


一人のサーファーが海から戻ってきた。このビックな波に挑戦していたのは、なんと若い女性だったのだ。
「恐ろしくなかった」と声をかけると「怖かったけど最高の波です」と笑顔が返ってきた。
札幌からやってきて、何度か銚子ビーチに来ているという。
「この海岸や函館の街が好きです」と、夏色の日焼けが残る顔に、白い歯がまぶしい。
「今夜は函館泊りですか」「ノー・プランです」「若い時は、ノー・プランがいいネ」・・・再び彼女は白い歯を覗かせた。
濡れた髪、顔中の水滴がはちきれんばかりの若さに、はじき飛ばされてしまいそうだ。
彼女にカメラを向けなかったが、私の心のレンズはその被写体を正確にとらえていた。多分その日最高の一枚だ。
サーフィンの写真が上手に撮れなかったのは、そのすばらしい背景に、サーファーのライディングの技術が劣っていたからだと、私は自分の腕が未熟なことをさておき、そう確信したのだ。


翌朝の、NHKテレビ日曜俳句に、こんな句があった。
「寒卵どの曲線も帰りくる」・・・加藤楸邨。
自分と被写体との対話のジャブそのものが「写真ノ方法」なのかもしれないと思う。
ちなみに、アラーキーの“経惟”という名は、生家の向かいにある、浄閑寺の住職が付けたといわれる。


推理小説「続・クロコーチ」

2013年11月16日 14時47分57秒 | えいこう語る
連続テレビドラマ「クロコーチ」が面白い。
「クロコーチ」という若い警官が主人公だ。
現在の事件から、過去の事件を解明しようとしていくのだ。
3億円事件は、警察が当時の学生運動をつぶすために、仕組んだ事件だという仮定の下に物語が進む。
警察はそのプロジェクトを実行するため、つぶれかけたヤクザ組織を利用する。ヤクザも生き残るために「警察の犬」となって殺人などを引き受けるというものだ。
3億円事件当日の夜、私は東京板橋で数人しか座れない小さな居酒屋で、酒を飲んでいた。
「こいつは相当頭のいい人間が仕組んだものだ。それにしても3億円強奪だなんて痛快だ」と、世の中に不満を募らせる客全員で、溜飲を下げたのを思い出している。
さて「クロコーチ」、3億円の実行犯とみなされたS(当時19歳)とされた人物は、実は自殺ではなく殺されていたという。その犯人は公安当局員だと追い詰めるところで、昨日のドラマは終了した。
※いつのころか判明しないが、私は公共事業の現場を通ると、なんだか犯罪の匂いがしてならない。


時代を髣髴させるこのドラマに魅了された私は、昨夜、早速「続・クロコーチ」の夢を見た。
もちろん主人公「クロコーチ」は、私だ。
3億円事件が解決しないまま数年経った。
場面は函館駅構内だ。列車で運ぶ5千万円が、構内で紛失した。
現金輸送の実態を知る者の手口に違いない。労組の仕業か、はたまた学生運動家の資金調達かと、巷間噂が飛びかったが、単純な事件の割には犯人逮捕に至らなかった。
その後函館警察は、庶民が見ても単純な事件を次々に解決できず「犯罪は函館警察管内では、絶対につかまらない」とまで言われるほど、威信は地に落ちた。
その後国鉄民営化が決まり、かつて「軍隊か、国鉄か」といわれた、国鉄労組も、ずたずたに分断される。
労組幹部は全国各地に強制転属され、中には退職を待たずに自死する者も多数出た。まさしく粛清を髣髴させる出来事だった。
最後まで抵抗を続けた組合員の末路は「働かざる者食うべからず」という、世間の好奇のまなざしを背に受けて生きてきた。
さて、物語りは現在に飛ぶ。
JR北海道の一連の事故で、職員の手抜き点検などが明るみに出る。
北海道JRは、広大な大地と過疎化により、不採算路線が多い。人員は縮小され労組はますます弱体化する。
そこにトンネル内で汽車が止まり、火災が発生するという大惨事が発生した。
責任を取ったのか、社長が自殺した。
事故の究明が始まったばかりでのトップの自殺、内部問題が明るみになりそうだとおもったが、自殺はたんなる自殺で処理されてしまった。
クロコーチは納得がいかなかった。
そのトップの自殺以降、JR北海道の事故は相次ぎ、組織内のサボタージュによる事故が相次いで発生する。ついに函館補線管理内での、レール幅などのデーター改竄が明るみとなる。
検査記録の原本が「野帳」と呼ばれるものだ。
クロコーチは、労組のある職員を別件で脅かし「野帳」を見た。
そこには国鉄が民営化される前、労組の抵抗を回避するため「労組つぶし作戦」を企む。「5千万強奪事件」は会社側が仕組んだ事件で、その後の労組の組織への抵抗が,克明にかかれていた。
当時そのプロジェクトの先頭に立ったのが、函館駅の係長であったSだ。国鉄本社の命令で、警察と手を組みそれを仕掛けた張本人だったのだ。
さらに、Sがトンネル事故で自殺した社長だと判明する。
Sが死んだ後、社長は数人代わったが、今でも役員会になると、歴代の社長が出席するという、JR北海道の異常な会議の様相が見えてきた。
「野帳」は、松本清張の「黒皮の手帳」ではないかと、クロコーチは考え込んでしまう。
そこでクロコーチは尿意を覚え、夢から覚めた。
世の中は信じられないことが起きるものでだと、夢が覚めてもクロコーチになりきっている私は思う。
それは「原発再稼動」を叫ぶ総理と「即・脱原発」を叫ぶ両総理の姿だ。
さらに、クロコーチはあらぬ憶測を続ける。
ナカソネ元総理以下、アベ総理までが出席する「大日本総理会議」の場面だ。
妄想はそこまでで、クロコーチの膀胱は飽和状態になり、トイレに駆け込んだところで妄想も一緒に流されてしまったのだ。      続く。