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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

まちおこし

2013年11月19日 13時29分50秒 | えいこう語る
30代からの私のライフワークは「まちおこし」であるといってもいい。
いわゆるUターンで故郷に戻ってきたが、田舎の閉鎖性と“しがらみ”に、つくづく閉口したものだ。
36歳の時、村のはずれの海岸で、大きな波に何度も挑戦するサーファーを見ているうちに「チャレンジ精神」が、むくっと起き上がってきたのだ。
「SUMMER・FESTIVAL・IN・TODOHHKE・第一回全道サーフィン選手権大会」の開催である。
人口の2倍ほどのギャラリーとその新聞報道に、部屋の中で男泣きしたことが、私の“心の勲章”だと胸を張って生きてきた。
「まちおこし」とは、たんなるイベントではない。
自分が住むまち、つまり「地方自治」の健全な姿を追求する「住民参加」のことだ。そこには「民主主義」の本来の姿「国民主権」を意識せざるを得なくなるのだ。
「まちおこし」とは「国家と国民」の関係を理解する運動の一つである・・・と、今朝は、妙に鼻息の荒い出だしとなってしまった。
※沖にはイカ釣り船、手前サーフィン。


昨夜の「たけしのTVタックル」での老人介護問題について、政府の考え方に、私のキャパの少ない頭も、いささか耐えきれずに噴火したからだ。
人間を数字化して、たんなる机上の計算で、医療や介護制度を処理しようとしているだけだからだ。
血の通った人間ではなく、無限大に出るゴミを処理するために、国どうしたら税金の支出を抑え、国民から血税を吸い取るという考えに見えたからだ。
究極の「まちおこし」とは、いったい何なのだろうか。
生命を脅かす「原発の廃止」、高齢化社会を「明るく楽しく暮らす」。
つまり、安心で安全な故郷をつくるという、実践の連続ではないだろうか。
そのためには「地方自治」を、さらに学ぶことにあるのではないかと思う。
地方自治体は「民主主義の小学校」といわれる。
私たちはいつまでも「ぴかぴかの一年生」でいるわけには行かないようだ。
アベ政権、まもなく1年を迎えようとしている。
この一年を振り返れば、日本丸の大船頭“民主主義から軍国主義”へ、大きく舵を切ったのではないかと、田舎の漁村の漁師見習いの私でも、そう感じてしまうが。