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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

写真ノ方法

2013年11月18日 16時08分59秒 | えいこう語る
“アラーキー”と呼ばれる写真家荒木経惟が「写真ノ方法」という本を出している。
※日の出。




「身近なものから関係を作って、だらだらだらだらやっていけばいいのよ。気づいたことを続けていけば、写真のいろんなテクニックなりが出てくるんだ。方法論っていうのはね、現場にいってから出てくるの。思いつきっつうか、そういうのをどんどんやっていくほうがいいんだ。写真っつうのは、事件がないほうがドラマチックだし、重要なものが入っているワケよ。“火事だー”っていうより、火事なんかじゃないときの“心の火事よ”とかさ。そういうことのほうが写真は表現しやすいんだよ。悪い写真があがっちゃったら、写した本人が悪いのよ。修業が足んない。そのくらい自分自身は写真にさらけ出されちゃうね。そんで、隠すのよ。真実は見えないように!ハハハハ」
土曜日のとどほっけ銚子ビーチ。
サーファーが泣いて喜ぶだろう、今年最高の波だ。


カメラを持ち海岸へ向かう。波のブレークの状態とサーファーのライディングがベストマッチするポジションを選んで、カメラを構えた。
だが、私が想い描いた写真が一枚も撮れない。
これは私の腕が悪い証拠だ。


一人のサーファーが海から戻ってきた。このビックな波に挑戦していたのは、なんと若い女性だったのだ。
「恐ろしくなかった」と声をかけると「怖かったけど最高の波です」と笑顔が返ってきた。
札幌からやってきて、何度か銚子ビーチに来ているという。
「この海岸や函館の街が好きです」と、夏色の日焼けが残る顔に、白い歯がまぶしい。
「今夜は函館泊りですか」「ノー・プランです」「若い時は、ノー・プランがいいネ」・・・再び彼女は白い歯を覗かせた。
濡れた髪、顔中の水滴がはちきれんばかりの若さに、はじき飛ばされてしまいそうだ。
彼女にカメラを向けなかったが、私の心のレンズはその被写体を正確にとらえていた。多分その日最高の一枚だ。
サーフィンの写真が上手に撮れなかったのは、そのすばらしい背景に、サーファーのライディングの技術が劣っていたからだと、私は自分の腕が未熟なことをさておき、そう確信したのだ。


翌朝の、NHKテレビ日曜俳句に、こんな句があった。
「寒卵どの曲線も帰りくる」・・・加藤楸邨。
自分と被写体との対話のジャブそのものが「写真ノ方法」なのかもしれないと思う。
ちなみに、アラーキーの“経惟”という名は、生家の向かいにある、浄閑寺の住職が付けたといわれる。