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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

天下りについて考える

2013年11月29日 13時06分57秒 | えいこう語る
役人が退職後に民間企業に就職するのを、天下りという。
天から下ると言うのは、神が降りてくるので受けるところは、ありがたく扱えという意味なのだろう。実に不遜な考え方だ。
国民の血税で暮らさせていただいているという、謙虚さが無い。
謙虚さがないのは、自らが天で,国民は下々(しもじも)という思い上がりがあるからだ。
その下々も、長い間「お役人様許してくだせえ」という意識が強かったからだ。
その意識が強固になったのは、明治以降の戦争によってだ。
国家のためには、下々は命をも提供させられたのだ。
その上下関係を、再び復活させようとするのがアベ政権だ。
※山も白クマのように白くなった。


特定秘密保護法案が衆議院で強行採決され、参議院で討論されている。この法案の自民党の最高責任者は、我が北海道選出の町村信孝だ。
「反対派が審議に応じないのなら、我々でどんどん成立させていこう」と、なんとも下々蔑視の発言をしている。あの手の人間は、もっとも女性に好かれないタイプだ。単に私が思うだけなのだが。
ここまでくれば、野党など屁でもないし、国民など無視していいと与党が考えているのは、想像に難くない。
この上から目線が、天下りを生む根源なのだ。
民間企業などさじ加減で息の根を止められることができる。それを痛いほど自覚している民間企業は、天下りを受け入れ存命をはかるのだ。逆に民間が利用していると思っている人もいるが、企業にとって天下りなど迷惑で、摘発のリスクを負ってまでも受け入れたいとは、思ってもいないはずだ。
さて私が所属している或る組織、永年、天下りの指定席があった。
それをばっさり切って、民間採用にした。
役所との交渉事も多い組織で、天下りによる事務処理方程式で機能してきた。
その方程式を会得していない人物では、事務処理がスムーズにいかない。当然、元の天下り体制がいいのでは思う。
だが、それは、JRの線路のように脱線はしないが、組織の新たな発展には程遠くなる。
先日、S町の議会議長と話す機会があった。
彼は20数年議員を勤めているが、役所上がりの首長は、失敗も無いかわり進歩もないと話していた。
永年役所の方程式の中での思考が、そのまま踏襲されるからだという。役所用語で「抜本的な改革」というけど、掛け声だけで中身が伴わないのが現状だ。
事務経験堪能な天下りで、組織の安定を図るのがいいという御仁もいるが、それは自分のポジションの安泰を願ってのことだ。
組織にしがみつきたいという、精神の老化現象だ。
民間への天下りの経験者から聞いたことがあるが、役人の民間企業への天下りは良くないと話していた。
なぜなら、役所思考は民間では通用しないと理解したからだと話していた。このような真摯な反省が、残りの人生をより成熟させたものにするのかもしれない。
国民の考えが弱体化し、役人の決定が世の中を席捲してくると、戦争が近づくといったのは、二コロ・マキアヴェッリだっただろうか?