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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

風立ちぬ

2013年11月21日 10時18分02秒 | えいこう語る
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」を観て来た。
零式戦闘機(通称零戦)の製作者、堀越二郎を主人公とした、小型ながらも敵が最も恐れた世界に誇る戦闘機ができるまでの物語だ。
堀辰雄の小説「風立ちぬ」「菜緒子」を読んだことのある人なら、宮崎監督がこれらの作品を堀越二郎の生涯とダブらせ、堀越の奥さんの名を菜緒子にし、彼女がサナトリュウム(結核療養所)生活を送ったというストーリーにしたのを気付くだろう。
零戦は我が国の同盟国ドイツ(ヒットラー政権)の協力により、三菱重工業が作った名機だ。靖国神社の遊就館で見ることができる。
零戦といえば、特攻隊を連想させる。
連合軍の巨大な艦船に体当たりする姿は、戦争の悲惨さと無力感を、私たちの脳裏にやきつかせる。
軍国主義が色濃くなる時代、大空を駆け巡りたいという一少年の思いが、やがてその名機を生み出すのだ。


『国家とは何か、国民とは何か』。
戦後68年を迎えた現在、この映画は私たち日本人に、アニメーションという手段で、その答えを強烈に求めてくる。
国家総動員法なるものが国民を戦争に駆り立て、国家というものが
絶対的存在であり、命を捧げる価値のあるものであったと、錯覚させられたのだ。
アベ政権下の今日、集団的自衛権・特定秘密保護法案・憲法改正・水面下でうごめく教育基本法の改正、等。
時代は繰り返すのだろうか。
作家堀辰雄は、ポール・バレリーの詩をこのように訳した。
「風立ちぬ、いざ、生きめやも」=風が吹いてきた、さあ、生きていこう。
飛行機でいうと、テーク・オフの時が来たということだろう。
希望に満ちた未来に飛び立つはずだった、飛行機野郎たち。
堀越は「一機も帰ってこなかった」と、つぶやく。
私には、こう聞こえてきた。
「生臭い風が吹いてきた。国民よ、さあ、戦争の無い国を目指し立ち上がろう」と。
映画を見終えて自宅までの車中、寺山修司のこんな句がどこからともなく聞こえてきた。

マッチ擦るつかの間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

新しき仏壇買ひに行しまま行方不明のおとうとと鳥