▼ 落ち着いて観ることはないが、NHKテレビ日曜短歌を観ているせいか、他にチャンネルを回さず、歌会始の儀に見入った。と書き始めたが、「観ると見入る」の字が違うのに気付く。普段テレビや舞台は「観る」という字を使用しているが「見入る」となれば「観入る」でいいのか、それとも「魅入る」なのか、ふと迷ってしまう。国語に詳しい方がいれば、前半三行目までの文章は、どうしたらいいのかお尋ねしたい。
▼ 歌会始で思い出したが、私の父も、毎年歌会始に投稿していた。今年こそ、といいながら、その夢が叶わなかったのを思い出した。最近私の友人が投稿しているらしい。彼は確か還暦を期に意を決し、念願だった短歌を始めた。もっと早くからと思うが、人それぞれタイミングというものがある。他人がとやかくいうものではない。他人といっても私のことだが。
▼ 同時期に、これも念願だった、バイオリンも習い始めた。人生の再スタートに「挑戦」という目標を掲げたのだろう。習い始めた時「神田川」を聴かせてもらった事がある。彼は身長180センチ近くあり、細身だ。東京神田川を思い浮かべれば、彼の神田川はバイオリンというより「ヴィオロンのため息」という印象を受けた。
▼ 暮れに久しぶりで杯を重ねた時、自分はバイオリンよりマンドリンが似合っていると思うので、変更したと話していた。私はヴィオロンの方が似合うと思うのだが、彼の挑戦は続いているということなのだろう。次回は古賀メロディーで、一杯飲み明かしたいものだ。
▼ 歌会始が、大きく脱線してしまった。私の性癖は「移り気」だと、妻がいう。私は最近は「連鎖」と思っている。福島第一原発事故以来、少しは原子力の勉強をしてから「連鎖」ということが頭を離れない。国家なるものの本質は「お金の連鎖」を引き起こしながら、現在の未成熟な国家になったと考えたからだ。そうなれば、私も未成熟国家の中の未成熟国民といえるのだろう。そして、未成熟な民主主義者だとも。
▼ また連鎖が続きそうなので断ち切り、本題に戻そう。新聞に記載されている入選作はすべて素晴らしいが、あえて3首。
天皇陛下。「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌あてがふ」
召人の春日真木子。「緑陰に本を繰りつつわが呼吸(いき)と幸(さき)くあひあふ万の言の葉」
神奈川県、小林理央。「この本に全てがつまつてるわけじやないだから私が続き生きる」
今年は「本」が題ということだが、陛下のように「根本」で本という字が入ってもいい、というのは始めて知った。
単純な私は、陛下だけに特別扱いいているのかと、あらぬ「連鎖」をしてしまった。
▼ 歌会始めの、隣の記事の見出しに目がとまる。意識的に配列したのかもしれない。「貯蔵施設受け入れ表明」だ。福島町双葉町長が「福島の復興、再生のためにはやむを得ない」とし、原発事故の汚染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の受け入れを了承した記事だ。
▼ さて私の「連鎖」はなかなか断ち切れるものではない。ここで私も、歌会始に投稿させていただきたい。
かわぐちえいこう。「原発も事故も捨て場も受け入れる過疎地のさだめ永久につづくか」
▼30年ほど前のことだが、父と酒を飲んでいた時「お前の句は棘がある」と、父にいわれたことを思い出した。