▼ 寛容=異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人々を差別待遇しないこと。(広辞苑)
寛容という言葉が頻繁に使われたのは、9:11の貿易センタービル破壊事件からだろう。「テロへの戦い」と吼えるブッシュ米大統領に対し、世界秩序には“寛容”が大事だとの声が上がった。そんな中で、いち早く賛意を示したのは、我が国のコイズミ総理だ。フランスの風刺画ならば「米国の飼い犬」と画かれたかもしれない。私たちの時代では「名犬ラッシー」なのだが「迷犬リンチンチン」だろう。
▼ だがこの滑稽さが、我が国が「戦争をしない国」から「戦争が出来る国」へと変貌させ「米国の飼い犬から番犬」への変身を、世界に公言した瞬間でもある。コイズミ総理は、滑稽さを装って、戦後日本社会では禁句であった「憲法改正」への意志を、堂々と世界に発信したのだ。米大統領の前で「ラブミー・テンダー」を独唱し、日米安保のさらなる強化を誓ったのだ。
▼ 朝からボルテージが上がってしまったのは、もちろん、中東での「日本人殺害警告」だ。犯行グループの声明は、文学的でなおかつ歴史的だ。「日本はイスラム国から8500キロも離れていながら、進んで十字軍に参加した」。米国の番犬が戦闘地帯にやって来て、中東難民支援に235億円もの無償提供を約束したのだ。イスラム国にとっては、敵に軍資金を提供したと、思ったのだろう。第3次アベ内閣成立で、長期政権が期待できることから、楽観的な行動がこのような結果を招いたのだろうか。
▼ それとも、今回の最前線への視察は、一気呵成に「正義を振りかざし戦う国」へ舵を切る、強い意志表示なのだろうか。もし人質が殺害されれば、国民の集団的自衛権行使の支持が強まる可能性がある。正義の戦いには、多少の犠牲は覚悟しなければならないというのを、国民に知らしめる狙いなのか。さて、我が総督、「テロには絶対屈しない」と宣言した。国民の生命・身体・財産の保全のため、どのような決断をするのだろうか。戦後70年、我が国の歴史が大きく転換する、今回の事件のような気がする。
▼ 『寛容で人間らしい品のいい、そういう人たちが住んでいる社会が未来にあるならば、生きやすいと思う。しかし、同時に正義というものがなければならない。正義ということもしっかり守られている社会が、未来において、どういう体制であれ、人間にとって生きていやすい社会だ。そういう社会でなければ、人間は将来幸福に生きていくことができない』。ジョージ・オーエルの言葉だ。
▼ アベ総理に一言述べたい。この事件は戦後70年、我が国最大の危機である。ちょび髭を付け、右手を高々に掲げる風刺画になるのはよして欲しい。自らが人質の交換になり、敵国に入り和平工作の先頭に立って欲しい。イスラム国とはいえ、日本の総理の首をとりはしないはずだ。そうなれば、自分たちが絶滅の危機に陥るからだ。もし、交渉が成功すれば、念願の常任理事国入りは間違いない。
▼ その時の国連演説はこうだ。
『われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』。(日本国憲法前文だけど)
▼世界の英雄、アベシンゾウへの拍手は、マララさん以上に鳴り止まない。ノーベル平和賞も掌中に収めたも同然だ。