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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

メディアの役割

2015年01月24日 09時28分01秒 | えいこう語る

▼ 20世紀を一言で表わせば「戦争の世紀」といわれる。国際連盟や国際連合という平和組織があっても、防ぐことができなかったのはなぜなのか。20世紀以前には、子供を学校に通わせる家は少なかったのが、世界ほぼ共通の状況だった。リテラシー(識字能力)を持つ人は、限られていたのだ。始めての映像の上映は1895年(明治28年)パリに於いてだ。つまり字が読めなくても、観客は共通した考えを持つことができ、世界は大きく変革される。だが、その副作用は激烈だった。その一つがファシズム(全体主義)の形成だ。森達也著「視点をずらす思考術」から。

▼ パリ上映より数年後、浅草で活動写真が上映されたという。私は戦後生まれだが、人口4000人ほどの漁村にも、映画館が2館あった。筵を引いた座席で、連日超満員だった。例えば「鞍馬天狗」の上映では、悪者がのさばっている時、観客は「天狗早く出て来い」と叫んだ。登場すると、万雷の拍手が沸き起こった。映像に身も心も奪われたのを知っている。随分経ってからだが「チェンジマン」の映画で、観ていた子供たち全員が椅子から立ち上がり「ヘンシーン」と叫んだ時も驚いた。

▼ 私が印象に残るメディアの報道を二つ上げると「浅間山荘事件」だ。安保闘争から続く学生運動が、連日の放送で、「凶悪犯」として国民に認識され、幕引きをさせられてしまったのだ。次に「オーム事件」だ。まるで映画を観ているような構成だった。オームは悪の権化だと、画面は語った。薬品を自宅物置に保管していた人を、日本国中が「犯人」と決め付けたのは、メディアの持つ、扇動的な恐ろしさだった。

▼ 戦後70年、戦争する国への方向転換が急加速しているが、時代を変える能力を有する若者が、行動を起さないといわれるのは「浅間山荘事件」のメディアの姿勢が、大衆のエネルギーの発露である「一揆」のDNAを、根絶やしにしたのかもしれない。ファシズムという体制は、20世紀以前には存在していない。ドイツ・イタリア・日本という国に、ファシズムが同時多発的に生まれた時期は、誕生したばかりの映画とラジオが広まり始めた1910年代と一致するという。

▼ そして、今回の「イスラム国人質事件」だ。メディアからのメッセージを、私たちはどう受け止めるかが、戦後日本の大きな分かれ目となっている。肝心なのはアベ総理の発言内容だ。「テロには屈しない」という言葉を、国民はどう受け止めるかだ。メディアは今後どう放送するかだ。我が国の国営放送は、すでにアベ総理の傘下の者に(籾井会長他)に乗っ取られている状況だ。民放も、軍事産業を持つ大手スポンサーに支配されているようだ。評論家や学者は、メディア出演で危機を煽ることで、視聴率を上げる役割だとも言われている。

▼ アベ総理の現在の心境は、9:11の米国ブッシュ大統領とほぼ同じではないだろうか。「テロ撲滅作戦参加」だ。これが「積極的平和主義」で、世界平和の維持には「集団的自衛権の行使止むえず」という流れを作る、絶好のチャンス到来だと考えていやしないか。今のところメディアは、総理の言動に「待った」をかける様子はないようだ。

▼ 第3次の政権基盤を確立したアベ総理だ。万が一最悪の事態になっても、コイズミ流に「自己責任」で済ませはしないだろう。「平和を希求する、善良な二人の国民の命を奪い、我が国と世界に恐怖を与えたイスラム国に対し、鉄槌を食らわす」と叫ぶに違いない。とまで書いたところで、夢から覚めたのだ。

▼ 昨夜寝床に入ってからこの本を読み始めたのだが、いつ夢に入ったのか区切りが付かないまま、自分が作者になって本を書いてしまったようだ。森達也氏はこの本で、メディアの報道には「視点をずらす」ことが必要だと説く。ずらすとは、自分独自の判断力を持ち相手に惑わされないことだともいう。

▼今日、午後一時から、函館市五稜郭の中心部で「函館市町内会連合会の大間原発反対大署名運動」を行います。「大間原発反対」の鮮やかな幟が、27万市民の心に「戦意高揚」を訴えます。今日の署名には、私の妻も、初の「自主参戦」を願い出ました。