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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

表現の自由

2015年01月09日 10時26分58秒 | えいこう語る

▼ フランスの週刊誌を襲撃したテロ事件が、世界を震撼させている。それに呼応し、世界各国で抗議が相次いでいる。銃で口を塞ぐというのは、戦前の軍や警察権力の非人道的行為と同じだ。憲法第21条=集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。これが我が国の最高法規だ。占領下の押し付け憲法といわれ、改憲論かまびすしい今日にあって、世界共通の倫理観を持つ日本国憲法の素晴らしさを、あらためて実感させられた、人間の闇が跋扈するきわめて気色の悪い言論封鎖事件だ。

▼ ところが、我が国営放送でも、お笑いコンビ爆笑問題の政治家ネタを、放送前にすべて禁止していたという。それに対し、国営放送のテンノウといわれるモミイ氏、自分は関与していないと断った上で「個人名を挙げてネタにするのは品がない、しゃべる人も品性や常識があってしかるべきだ」とおっしゃったそうだ。

▼ 爆笑問題に告ぐ!今度は「日本国憲法第21条」というネタで「国営放送の倫理」とやらについて漫才して欲しい。そして、ネタの落ちはこうだ。「モミイ・テンノウ、漫才!」。これが本当の「爆笑問題」だからだ。

▼ 言うまでもないけど、言葉というものは、「何が」語られたかということだけで、とらえることはできない。それが「どう」語られたかという面も含めて、言葉ははじめて言葉になる。声や言い回しに現れる感情はもちろんのこと、それを言っているときの目の色や表情もすべて言葉の一部なのである。「広告批評」の故天野祐吉さんの言葉だ。

▼ 高校時代の夏休みに、友人たちと海水浴に行った、ことを思い出した。漁師のおじさんが呼び止めた。「お前ら、アワビを密猟したら逮捕するぞ」と。「僕らはただ泳ぎに来ただけです」というと、「お前たちは密漁する顔つきをしているからだ」といわれた。海に入る前の検閲だ。顔を見合わせ「俺たちって、そんなふうに見えるのかな」といって、苦笑いした。

▼ 権力を揶揄し笑い飛ばすのが、酷税に喘ぐ庶民のせめてもの抵抗だ。そこに落語や漫才などの大衆芸能が生まれた。近年、このジャンルにも人間国宝なるものがすり寄ってくる。権力に褒め殺しされたら、大衆芸能も形無しではないか。

▼ そんな傾向に「笑わしちゃいけねえ」なんていう名人も、最近とんと見なくっちまったな。どこいったって?ここにいるってえのが見えねえのかよ。・・・「あのよ」。

「表現の自由」という一席、ご清聴、誠にありがとうございました。