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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

明日があるさ

2015年01月20日 16時11分54秒 | えいこう語る

▼飛行機事故で亡くなった、坂本九さんの歌に♪「明日があるさ」というのがある。この歌は、後に缶コーヒー「ジョージア」のコマーシャルに使われ、私も忘れかけていたが、あらためて、明るく元気になる歌だなと思ったものだ。

▼ この「ジョージア」大好き人間が、私の村にいる。大好きというより「中毒」といえる愛好家だ。研修旅行などで一緒になると、朝から晩まで飲んでいる。どれほど飲んでいるかといえば、箱買いして、年金のほとんどは「ジョージア」の購入費だと豪語するほどだ。

▼ 80歳に手を届く年齢なのだが、健康状態を訊ねると、健康保険証など、一度も使用したことがないという。厚労大臣に、表彰してもらいたいくらいだと笑う。私も、亡くなったら祭壇の花は、菊ではなく「ジョージア」でといというと、それはいいかもと笑っていた。

▼ 今年は戦後70年だ。もはや戦地での体験を語る人もほとんどいない。でも、ジョージアさんの幼少期の戦争体験は、私の心に響いてくる。

▼ 当時小学生だったジョージアさんは、終戦時に家族・親戚と樺太北部に住んでいたという。戦争は終ったが、ソ連軍が攻めてくるというので、樺太を南下して、船で稚内に逃げようと移動する。樺太南部まで来た時、大勢での移動は見つかるかもしれないと、自分は親と離れた班に分かれたが、親たちは無事日本に帰ったが、自分たちの班は、船に乗ることができず捕虜となる。親が他人に託したのは、家族全滅を免れようとした、配慮なのかもしれない。

▼ 3階建ての校舎。1階に日本の子供、2階は朝鮮の子供、3階にはソ連の子供たちがいたという。いじめられたかと聞くと「日本の子供たちは根性があったので、喧嘩は負けなかった。逆に、ソ連の子供たちから食べ物をひったくって食べた」という。なんとも勇ましい敗戦後の日本の子供たちだ。

▼ 昭和23年に、故郷に戻り学校に入った。自分は成績がトップクラスだったという。なぜかというと、樺太の学校で習ったものが試験に出たからだという。ジョージアを飲みながら、漁業で鍛えられた褐色の肌(ジョージア色)で、当時の過酷な生活を笑いながら語る。逃げる時には、周囲の大人たちの世話になり、命の恩人だと思っているとも話していた。

▼ もし、私が広告会社に勤務していたら、ジョージアさん主役のCMを作成したい。真冬に焚き火を囲んでジョージアを飲みながら、戦争体験を語るジョージアさんだ。タイトルは「戦後70年・明日があるさジョージアで」。

▼ フランスでのイスラム教の風刺画騒動は、世界中に波紋を投げかけている。その風刺画家は「表現の自由は民主主義の基本で、表現の自由には“もしも”という言葉はいらない」と、強気発言だ。自己主張も表現の自由だろうが、「相手の身にもなって」という心配りも必要だろう。私も自分の胸に手を当てながら。

▼意地を張り過ぎの「表現の自由」が、世界戦争になりかねない感じもしている。ムハンマドがジョージアを飲み「それぞれの世界には、それぞれの明日があるさ」という、世界平和の風刺画を描いて、ここは休戦に持ち込みたいものである。