中央集権から地方分権、さらには地域主権などとやたら地域を奮い立たせる言葉が出現するが、実態は地域放棄だ。
原発は地域に立地されている。地域の多数がいやだといっているのに、強引に再稼動をする。地域主権どころの話ではない。
さて8月の末に、私たちの地域を走る路線バス会社から、連合町会長の私のところへ相談が持ちかけられた。
私たちの村と隣町の間の路線が乗客が極端に少なく、大きな赤字ため午前の便を廃止するという。それも10月1日から開始するというスケジュールが決まっている。当然、函館市や所轄官庁の許可を得てのことだろう。
それにしても全員の町会長を集めての話ならいいが、連合会長の私一人が納得すればそれでいいとする、上から目線ではないか。
「かつて、あなた方のバス会社は、地域では校長先生より偉い時代があった。大勢の地域の人たちを運んでくれたことから、バスが遠くに見えると一般の車は広い場所で待機し、バスを通したものだ。それだけ地域の信頼を得ていたのだ。採算が合わないといって、地域の声を無視しては、企業の社会的責任を果たせないのではないか」と、反論した。
※私の店の近くのバス停。ご主人を亡くされて、車の運転ができないご婦人が、たまに立っているだけだ。

後日、他の会長たちを招集し説明してもらったが「赤字ならしかたがない」という。「乗りもしないのに会社に負担をかけさせては心苦しい」という、やさしい心持の人が多いようだ。
過疎の町に原発が来て多額のお金がばら撒かれる。「電気は必要だし、お金がないよりあった方がいい」そんなふうにも聞こえる。
函館に新幹線が来ると不採算の在来線は廃止するだろうとの懸念があったが、江差線を廃止するというJR北海道側からの沿線首長に説明があったと、今日の朝刊は報じている。
首長側も内心は認めざるを得ないようだ。バス路線に転嫁するのだろうが、私の地域を走る同じバス会社がその路線を走っている。
企業倫理の希薄な会社であれば、不採算路線の廃止も目に見えているに違いない。
地域を旅するのに、時刻表を眺めて汽車とバスの接続を探す。
田舎の風景をのんびりした時間で眺めながら、乗りあった地域の人との会話が旅の楽しみでもある。
効率の悪いものを切り捨てるという発想であれば、地域は放棄されることになる。
公共交通とは、むしろそれらのものを守るという責務を担っていたのではないかと考える。
10月に午前の便が全廃になる我が村の路線は、昭和8年にバスが通れる道路に改修され、6月にはバスが村にやってきた。その時の小学校での祝賀会、生徒や青年団による旗行列、夜には提灯行列まで出た村の喜びようを、バス会社の若い担当者に伝えたが、昔話として聞いていたのだろうか。
その後担当者から電話があり「会長さんの多くは廃止に理解を示した」ということでよろしいですね、と確認があった。
原発は地域に立地されている。地域の多数がいやだといっているのに、強引に再稼動をする。地域主権どころの話ではない。
さて8月の末に、私たちの地域を走る路線バス会社から、連合町会長の私のところへ相談が持ちかけられた。
私たちの村と隣町の間の路線が乗客が極端に少なく、大きな赤字ため午前の便を廃止するという。それも10月1日から開始するというスケジュールが決まっている。当然、函館市や所轄官庁の許可を得てのことだろう。
それにしても全員の町会長を集めての話ならいいが、連合会長の私一人が納得すればそれでいいとする、上から目線ではないか。
「かつて、あなた方のバス会社は、地域では校長先生より偉い時代があった。大勢の地域の人たちを運んでくれたことから、バスが遠くに見えると一般の車は広い場所で待機し、バスを通したものだ。それだけ地域の信頼を得ていたのだ。採算が合わないといって、地域の声を無視しては、企業の社会的責任を果たせないのではないか」と、反論した。
※私の店の近くのバス停。ご主人を亡くされて、車の運転ができないご婦人が、たまに立っているだけだ。

後日、他の会長たちを招集し説明してもらったが「赤字ならしかたがない」という。「乗りもしないのに会社に負担をかけさせては心苦しい」という、やさしい心持の人が多いようだ。
過疎の町に原発が来て多額のお金がばら撒かれる。「電気は必要だし、お金がないよりあった方がいい」そんなふうにも聞こえる。
函館に新幹線が来ると不採算の在来線は廃止するだろうとの懸念があったが、江差線を廃止するというJR北海道側からの沿線首長に説明があったと、今日の朝刊は報じている。
首長側も内心は認めざるを得ないようだ。バス路線に転嫁するのだろうが、私の地域を走る同じバス会社がその路線を走っている。
企業倫理の希薄な会社であれば、不採算路線の廃止も目に見えているに違いない。
地域を旅するのに、時刻表を眺めて汽車とバスの接続を探す。
田舎の風景をのんびりした時間で眺めながら、乗りあった地域の人との会話が旅の楽しみでもある。
効率の悪いものを切り捨てるという発想であれば、地域は放棄されることになる。
公共交通とは、むしろそれらのものを守るという責務を担っていたのではないかと考える。
10月に午前の便が全廃になる我が村の路線は、昭和8年にバスが通れる道路に改修され、6月にはバスが村にやってきた。その時の小学校での祝賀会、生徒や青年団による旗行列、夜には提灯行列まで出た村の喜びようを、バス会社の若い担当者に伝えたが、昔話として聞いていたのだろうか。
その後担当者から電話があり「会長さんの多くは廃止に理解を示した」ということでよろしいですね、と確認があった。